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ドイツ南西部のKuppenheimクッペンハイム(Rastattラシュタットの東南)は黒い森の北部に位置し、Murgムルグ川の下流沿いにある人口8千人の小さな町で、言わば村といった規模である。<br /><br />写真は黒い森の地図とクッペンハイム

30年戦争にまつわる伝説:その4≪“麺(めん)”の異名が付いた町Kuppenheimクッペンハイム≫

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2015/07/14 - 2015/07/28

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旅行記グループ 30年戦争にまつわる伝説

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jijidaruma

jijidarumaさん

ドイツ南西部のKuppenheimクッペンハイム(Rastattラシュタットの東南)は黒い森の北部に位置し、Murgムルグ川の下流沿いにある人口8千人の小さな町で、言わば村といった規模である。

写真は黒い森の地図とクッペンハイム

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「Sagen aus dem dreissigjaehrigen Krieg30年戦争にまつわる伝説:その4」<br /><br />≪Die Sage von der Knoepflestadt伝説・クネプフレ(シュペッツレ)の町≫<br /><br />そんな小さな町・クッペンハイムは今も“クネプフレの町”と、世に知られた“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。KnoepfleクネプフレとはSpaetzleシュペッツレと同じ言葉で、いわゆる当地の“麺(めん)”である。<br />このニックネームの出現は新旧キリスト教徒の戦いであった30年戦争(1618?48年)に遡ると云う。<br /><br />写真は町役場<br />

    「Sagen aus dem dreissigjaehrigen Krieg30年戦争にまつわる伝説:その4」

    ≪Die Sage von der Knoepflestadt伝説・クネプフレ(シュペッツレ)の町≫

    そんな小さな町・クッペンハイムは今も“クネプフレの町”と、世に知られた“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。KnoepfleクネプフレとはSpaetzleシュペッツレと同じ言葉で、いわゆる当地の“麺(めん)”である。
    このニックネームの出現は新旧キリスト教徒の戦いであった30年戦争(1618?48年)に遡ると云う。

    写真は町役場

  • 伝説によれば、クッペンハイムはスウェーデン王Gustav Adolfグスタフ・アドルフが指揮するスウェーデン軍(新教徒派)によって包囲されました。<br />攻城軍に対抗して、勇敢に戦ったクッペンハイムも籠城が長くなると、蓄えていた食糧貯蔵品が徐々に終わりに近づいていきました。<br /><br />いよいよという時、ある男が奇計を考えだし、その案を籠城の住民たちに諮り、了承されたと云う。<br />直ちにクネプフレ(シュペッツレ)を作る案は実行され、すべての小麦粉と卵が集められ、クネプフレ(麺)が出来上がりました。<br /><br />写真はKuppenheの蒸気機関車の運行<br />

    伝説によれば、クッペンハイムはスウェーデン王Gustav Adolfグスタフ・アドルフが指揮するスウェーデン軍(新教徒派)によって包囲されました。
    攻城軍に対抗して、勇敢に戦ったクッペンハイムも籠城が長くなると、蓄えていた食糧貯蔵品が徐々に終わりに近づいていきました。

    いよいよという時、ある男が奇計を考えだし、その案を籠城の住民たちに諮り、了承されたと云う。
    直ちにクネプフレ(シュペッツレ)を作る案は実行され、すべての小麦粉と卵が集められ、クネプフレ(麺)が出来上がりました。

    写真はKuppenheの蒸気機関車の運行

  • そのクネプフレ(麺)を住民たちは城壁から攻城軍のスウェーデン軍に向かって、投げおろしたのでした。<br /><br />これを受けて、敵のスウェーデン軍は籠城軍がいまだに十分な食糧を貯蔵していると信じてしまいました。<br />そこで、スウェーデン軍はこれでは何時まで経っても、攻め落とせないと推測し、包囲を取りやめて、撤退してしまったそうです。<br />そして、クッペンハイムは助かったのでした。<br /><br />以来、“クネプフレの町”と、“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。<br />http://www.kuppenheim.de/<br /><br />XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX<br /><br />写真はKuppenheimクッペンハイム:市城壁とOchsengraben壕<br />

    そのクネプフレ(麺)を住民たちは城壁から攻城軍のスウェーデン軍に向かって、投げおろしたのでした。

    これを受けて、敵のスウェーデン軍は籠城軍がいまだに十分な食糧を貯蔵していると信じてしまいました。
    そこで、スウェーデン軍はこれでは何時まで経っても、攻め落とせないと推測し、包囲を取りやめて、撤退してしまったそうです。
    そして、クッペンハイムは助かったのでした。

    以来、“クネプフレの町”と、“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。
    http://www.kuppenheim.de/

    XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

    写真はKuppenheimクッペンハイム:市城壁とOchsengraben壕

  • 尚、この話は14世紀後半に起きた、次の伝説に似ている。<br /><br />≪CrailsheimクライルスハイムのHoraffensageホラッフェン伝説≫ <br />http://4travel.jp/travelogue/10847690<br /><br />写真はHoraffenホラッフェン

    尚、この話は14世紀後半に起きた、次の伝説に似ている。

    ≪CrailsheimクライルスハイムのHoraffensageホラッフェン伝説≫
    http://4travel.jp/travelogue/10847690

    写真はHoraffenホラッフェン

  • <Kuppenheimクッペンハイムについて><br /><br />KuppenheimクッペンハイムはRastattラシュタットの東南、黒い森の北部に位置し、ラインの支流Murgムルグ川の下流沿いにある人口8千人の小さな町で、言わば村といった規模である。<br />そんな小さな町・クッペンハイムは今も“クネプフレの町”と、世に知られた“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。<br /><br />写真はPfingsttraeg聖霊降臨祭の奇祭

    <Kuppenheimクッペンハイムについて>

    KuppenheimクッペンハイムはRastattラシュタットの東南、黒い森の北部に位置し、ラインの支流Murgムルグ川の下流沿いにある人口8千人の小さな町で、言わば村といった規模である。
    そんな小さな町・クッペンハイムは今も“クネプフレの町”と、世に知られた“Spitznameニックネーム”で呼ばれている。

    写真はPfingsttraeg聖霊降臨祭の奇祭

  • この町が何時できたかはよく分からないが、ローマ時代にすでにこの地区は彼らの居住地であったと思われる。つまり、黒い森の山裾を走る重要なローマ街道沿いにあったようだ。<br />この町も古くはゲルマニア・スペリオル(ラテン語: Germania Superior、日本語は高地ゲルマニア)というローマ帝国の属州にあり、その領域は現在のスイス西部、フランスのジュラ山脈やアルザス地域、およびドイツ南西部にあたる。<br />州都はモングンティアクム(Moguntiacum、現在のマインツ)に置かれた。<br />ライン川の中流域が高地ゲルマニアにあたり、北部の国境には長城(リーメス)が築かれた。(従い、今年の旅はこの属州を巡っていることとなる。)<br /><br />1095年、クッペンハイムの名は初めて歴史書に現れる。この辺りはアレマン語とフランク語との境にある。<br />1283年、クッペンハイムはGraf von Ebersteinエーベルシュタイン伯の支配下からバーデン辺境伯に売却されている。<br /><br />写真は宿泊予定の古城ホテル エーベルシュタイン城からの眺望:ムルグ渓谷とObertsrotの村

    この町が何時できたかはよく分からないが、ローマ時代にすでにこの地区は彼らの居住地であったと思われる。つまり、黒い森の山裾を走る重要なローマ街道沿いにあったようだ。
    この町も古くはゲルマニア・スペリオル(ラテン語: Germania Superior、日本語は高地ゲルマニア)というローマ帝国の属州にあり、その領域は現在のスイス西部、フランスのジュラ山脈やアルザス地域、およびドイツ南西部にあたる。
    州都はモングンティアクム(Moguntiacum、現在のマインツ)に置かれた。
    ライン川の中流域が高地ゲルマニアにあたり、北部の国境には長城(リーメス)が築かれた。(従い、今年の旅はこの属州を巡っていることとなる。)

    1095年、クッペンハイムの名は初めて歴史書に現れる。この辺りはアレマン語とフランク語との境にある。
    1283年、クッペンハイムはGraf von Ebersteinエーベルシュタイン伯の支配下からバーデン辺境伯に売却されている。

    写真は宿泊予定の古城ホテル エーベルシュタイン城からの眺望:ムルグ渓谷とObertsrotの村

  • XXXXX<br /><br />≪Spaetzleシュペッツレ≫<br /><br />さて、シュペッツレだが、柔らかい卵麺の一種であり、ドイツ、オーストリア、アルザス、南ティロル料理で使われる。<br />Spaetzleシュペッツレはシュヴァーベン語で“雀”を意味するシュパッツ(Spatz)の縮小形である。<br /><br />尚、スイスではクノップフリ(Chnoepfli)、クネプフレ(Knoepfle)、シュペッツリ(Spaetzli)、ハンガリー語でノケドリ(nokedli)またはガルシュカ(galuska)、ポーランド語ではザツィエルカ(zacierka)という。<br />何故か、クッペンハイムの伝説ではスイスで使われるクネプフレ(Knoepfle)と呼んでいるのだが。<br />Knoepfはボタンであり、俗に馬鹿者の意がある。<br /><br />写真はKaesspaetzle_mit_Zwiebelnチーズとタマネギを添えた、ケーゼシュペッツレ<br />

    XXXXX

    ≪Spaetzleシュペッツレ≫

    さて、シュペッツレだが、柔らかい卵麺の一種であり、ドイツ、オーストリア、アルザス、南ティロル料理で使われる。
    Spaetzleシュペッツレはシュヴァーベン語で“雀”を意味するシュパッツ(Spatz)の縮小形である。

    尚、スイスではクノップフリ(Chnoepfli)、クネプフレ(Knoepfle)、シュペッツリ(Spaetzli)、ハンガリー語でノケドリ(nokedli)またはガルシュカ(galuska)、ポーランド語ではザツィエルカ(zacierka)という。
    何故か、クッペンハイムの伝説ではスイスで使われるクネプフレ(Knoepfle)と呼んでいるのだが。
    Knoepfはボタンであり、俗に馬鹿者の意がある。

    写真はKaesspaetzle_mit_Zwiebelnチーズとタマネギを添えた、ケーゼシュペッツレ

  • <歴史><br />シュペッツレの発祥地域は不詳であり、様々な地域がこの麺の発祥地を主張している。Spätzleを記載した1725年の文献が発見されているが、中世の挿絵を見ると、もっと古い時代にこの麺が存在した。<br /><br />現在欧州では、シュペッツレは「シュヴァーベンの名物料理」として広く知られている。<br /><br />写真はLinsen_Spaetzle_2自家製の細いシュペッツレとレンズ豆とソーセージ<br />

    <歴史>
    シュペッツレの発祥地域は不詳であり、様々な地域がこの麺の発祥地を主張している。Spätzleを記載した1725年の文献が発見されているが、中世の挿絵を見ると、もっと古い時代にこの麺が存在した。

    現在欧州では、シュペッツレは「シュヴァーベンの名物料理」として広く知られている。

    写真はLinsen_Spaetzle_2自家製の細いシュペッツレとレンズ豆とソーセージ

  • <語源><br />Spaetzleの意味は「小さなスズメ」である。<br />この麺を作る器具が発明される以前は、手やスプーンで生地をちぎって作っていたため出来あがりの形がドイツ語でハウス・シュパッツ(Haus-Spatz)またはシュパーリング(Sperling)と呼ばれる雀の小さなもの、すなわちシュパッツェン(Spatzen、「小さなスズメ」)に似ていた。<br /><br />別名のクネップフレ(Knoepfle)は「小さなボタン」の意味で、シュペッツレの小ささに由来した名称である。<br /><br />写真は市販の細いシュペッツレ

    <語源>
    Spaetzleの意味は「小さなスズメ」である。
    この麺を作る器具が発明される以前は、手やスプーンで生地をちぎって作っていたため出来あがりの形がドイツ語でハウス・シュパッツ(Haus-Spatz)またはシュパーリング(Sperling)と呼ばれる雀の小さなもの、すなわちシュパッツェン(Spatzen、「小さなスズメ」)に似ていた。

    別名のクネップフレ(Knoepfle)は「小さなボタン」の意味で、シュペッツレの小ささに由来した名称である。

    写真は市販の細いシュペッツレ

  • <生地の種類><br />豚レバーのミンチの入ったレバーシュペッツレ(Leberspaetzle)、ホウレンソウ入りのシュピナートシュパッツェルン(Spinatspatzeln)、細かくおろしたチーズ入りのケーゼシュペッツレ(ケーゼシュペッツレ)といった特産料理がある。<br /><br />写真は自家製クネプフレ

    <生地の種類>
    豚レバーのミンチの入ったレバーシュペッツレ(Leberspaetzle)、ホウレンソウ入りのシュピナートシュパッツェルン(Spinatspatzeln)、細かくおろしたチーズ入りのケーゼシュペッツレ(ケーゼシュペッツレ)といった特産料理がある。

    写真は自家製クネプフレ

  • 写真はSpinatspatzelnシュピナートシュパッツェルン

    写真はSpinatspatzelnシュピナートシュパッツェルン

  • <調理><br />シュペッツレの生地は基本的に鶏卵、小麦粉、塩といった材料で作り、生地をゆるくするために水を加えることも多い。<br /><br />伝統的に、シュペッツレはシュペッツレブレット(Spaetzlebrett)と呼ばれる木製のまな板の上に広げた生地を沸騰した塩湯に削り入れ、浮かんでくるまで茹で、茹であがりをすくい取って作る。<br /><br />この調理法は手間がかかるため、調理を容易にするための様々な調理器具が作られた。ストレーナー(またはコランダー)に似た器具、シュペッツレプレッセ(Spaetzlepresse)と呼ばれるポテトライサーに似た器具、裏ごし器、大きな穴の明いたおろし器に似た器具シュペッツレホーベル(Spaetzlehobel)がある。<br /><br />写真はSpaetzlepresseシュペッツレ・プレス器

    <調理>
    シュペッツレの生地は基本的に鶏卵、小麦粉、塩といった材料で作り、生地をゆるくするために水を加えることも多い。

    伝統的に、シュペッツレはシュペッツレブレット(Spaetzlebrett)と呼ばれる木製のまな板の上に広げた生地を沸騰した塩湯に削り入れ、浮かんでくるまで茹で、茹であがりをすくい取って作る。

    この調理法は手間がかかるため、調理を容易にするための様々な調理器具が作られた。ストレーナー(またはコランダー)に似た器具、シュペッツレプレッセ(Spaetzlepresse)と呼ばれるポテトライサーに似た器具、裏ごし器、大きな穴の明いたおろし器に似た器具シュペッツレホーベル(Spaetzlehobel)がある。

    写真はSpaetzlepresseシュペッツレ・プレス器

  • 写真はストレーナー(濾過器)型のシュペッツレ調理器具。ヘラやスプーンを使って穴から生地を押し出す。<br /><br />XXXXX<br />         <br /> (2015年6月14日:Wik・HP編集・訳・加筆)<br />

    写真はストレーナー(濾過器)型のシュペッツレ調理器具。ヘラやスプーンを使って穴から生地を押し出す。

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     (2015年6月14日:Wik・HP編集・訳・加筆)

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