2014/07/22 - 2014/08/04
5240位(同エリア16384件中)
funasanさん
- funasanさんTOP
- 旅行記621冊
- クチコミ18件
- Q&A回答38件
- 4,144,440アクセス
- フォロワー191人
パリに6連泊するとかなり自由にパリ観光ができる。エッフェル塔に上ってみたり、セーヌ川沿いにあてもなく歩いたり、モンマルトルの丘へ行き画家達の作品を鑑賞したり、また、ベルサイユ宮殿に行き広大な庭園でお昼寝したり、と無駄な(贅沢な)時間を過ごせる。
写真:モンマルトルの丘に建つ「サクレ・クール聖堂」
私のホームページに旅行記多数あり。
『第二の人生を豊かに』
http://www.e-funahashi.jp/
(新刊『夢の豪華客船クルーズの旅
ー大衆レジャーとなった世界の船旅ー』案内あり)
PR
-
今回でパリ訪問4度目になるが、そのたびにエッフェル塔(写真)を見学しには来る。しかし、入場のための長蛇の列に嫌気がさして我々はいまだエッフェル塔(写真)に上っていない。
-
そこで、ある日の朝早くホテルを出発し、真っ先にエッフェル塔に行く。観光客はまだ少なく入場の列もない。我々は(経費節約と運動のために)歩いて上ることにする。鉄の階段をゆっくり上がっていく。徒歩入場5ユーロ(700円)
-
高さ115mの第2展望台まで上がるうちにひと汗かいてしまった。風が冷たく体が冷える。防寒具を羽織って絶景のパリ市街を写真に撮る。
写真:南東方向(眼下にシャン・ド・マルス公園、遠くの高層ビルはモンパルナス・タワー) -
東方面(写真)にはセーヌ川沿いに美しいパリの街並みが広がる。遠くに見えるのはモンマルトルの丘。
-
北西方面(写真)を見ると、イエナ橋からシャイヨー宮、パレ・デ・コングレが遠望できる。
-
折角なので拡大写真(写真)を…。時間が経つと第2展望台が込み合ってくる。それにしても観光客はアジア系が多い。特に中国人の団体が目立つ。韓国人も多い。さらに、タイ人その他のアジア系、インド系、意外に日本人が少ない。
-
今どき日本人はエッフェル塔に上らないのかもしれない。しかし、パリ市内のその他の観光地に行っても日本人は少ない。内向きなのか、旅の多様化なのか、経済力の低下なのか、いづれにしてもパリにおける日本人の存在感は低下している。
写真:南西方向 -
エッフェル塔から下りてセーヌ川沿いにルーブル方面に歩くことにする。川辺には見事な建築物(写真)が建ち並び観光客を楽しませてくれる。4本目の橋(アレクサンドル3世橋)まで頑張って歩く。パリ好きな妻は「綺麗ね〜、素敵ね〜」の連発で足取り軽くどんどん進んでいく。
-
アレクサンドル3世橋の南側には広大な緑の芝生が広がり、その先に「アンヴァリッド」(写真)が厳かに鎮座する。ここはルイ14世が負傷廃兵の収容施設として建設されたものであるが、黄金のドーム屋根の下にナポレオンが眠っている。
注:ナポレオンはロシア戦役で大敗北(1812年)をする。 -
アンヴァリッド前の芝生(写真)に寝転がってしばらく休む。見上げれば夏の青い空に白い雲、時折さわやかな風がほほを横切る。妻と2人の自由気ままなパリ滞在はとてもいい。
-
芝生の右側にエアフランスのビル(写真)がある。低層階で決してアンヴァリッドをしのがない。
-
アレクサンドル3世橋(写真)はフランス共和国の大統領サディ・カルノーとロシア皇帝アレクサンドル3世の間に結ばれた友好の証として、ニコライ2世により1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設、パリ市に寄贈されたもの。実に美しい。
-
当時の帝政ロシアは強大であった。その繁栄ぶりはアレクサンドル3世が統治したサンクトペテルブルクを訪問するとよく分かる。
-
折角なのでアレクサンドル3世橋のふもとにあるカフェ(写真)に入ってティータイムにする。
私は2011年の9月、北欧クルーズの寄港地観光でサンクトペテルブルクを訪れ、ロシアへの見方が一変した。サンクトペテルブルクはまるで第2のパリである。
詳しくは以下を参照。
http://4travel.jp/travelogue/10608730 -
アレクサンドル3世橋から引き続きセーヌ川沿いを歩く。広い川岸(写真)には遊歩道や公園、カフェやレストランもあり実に楽しい雰囲気である。
-
ひっきりなしにセーヌ川クルーズ(写真)が行き来する。20年ほど前、はじめてパリを訪れセーヌ川クルーズに乗った時、当然のごとく、日本人観光客が多く、日本語のガイド説明があった。(当時は中国語、韓国語はなし。観光客もアジア系は日本人ばかりだった。日本全盛時代?)
-
ところが数年前に再度セーヌ川クルーズに乗った時、音声説明に日本語が無くなり中国語と韓国語が聞こえてきた。まわりも日本人は少なく他のアジア系が多い。この20年で世界が激変した。
写真:オルセー美術館 -
オルセー美術館(注)のレストランにある天井壁画に感激したものであるが、今回はオルセーの入館はパスをする。そしてルーブル美術館からオペラ大通り(写真)をのんびり歩いてホテルに帰る。
オルセー美術館の旅行記は以下参照(2009年7月)
http://4travel.jp/travelogue/10363094 -
ここらで和食が食べたくなったので夕食に日本料理店が集中している界隈に行く。ラーメン店や日本料理店は大盛況である。私は長い列に並んでまで食べる気がしないので、ちょっと離れた場所にある日本料理の店(写真)に入った。
-
比較的安かったので入店してみたのであるが、中国人経営の店だった。それでもしっかりした「にぎり寿司定食」(写真:17ユーロ)に満足する。寿司飯は日本と同じ。
-
「サーモンの照り焼き定食」(写真:12ユーロ)も食べごたえがありOKだ。ただし、こちらの御飯は日本米ではなくまずい。日本人経営の店はもっと高い。今や日本料理は世界で大人気であるが、これも20年間の世界の激変ぶりを示している。こちらは大歓迎!
-
夕食の後、歩いてルーブル方面に散歩する。途中、「パレ・ロワイヤル(王宮)」の庭園(写真)を通る。
-
ヴェルサイユ宮殿を建設したルイ14世はこの王宮「パレ・ロワイヤル」(写真)で幼少時代を過ごしたという。
-
ある晴れた日の朝、地下鉄に乗ってモンマルトルの丘に行く。丘の上に建つ「サクレ・クール聖堂」(写真)が実に見事だ。普仏戦争やパリ・コミューンで気落ちした市民を励ますために建てられた聖堂という。
-
日曜日のためか、この日はミサの最中であった。教会内(写真)は厳かな雰囲気が漂う。
-
我々の目的はサクレ・クール聖堂の西側にある「テルトル広場」(写真)である。モンマルトルの丘には19世紀後半、生活費の安さや自由な雰囲気に惹かれた多くの画家達が集まった。ピカソやゴッホはこの丘に住み、ルノアールは「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」をここで描いた。
-
多数の無名の画家達がテルトル広場にキャンパスを並べ「絵の販売」や「似顔絵書き」をして生活している。そんな風景をじっくり楽しむために、我々は広場に面したカフェのテラス席に座り、1杯6ユーロ(840円)くらいの高いカフェラテ(写真)を注文する。
-
パリ滞在中に少し遠出をして「ベルサイユ宮殿」(写真)に行く。電車と徒歩で1時間くらいかかるが、ここは外せない。黄金と黒で飾られたゲートが我々を迎えてくれる。
-
早く来たつもりであるが、ご覧のような長蛇の列である。私はインターネットでベルサイユ宮殿の入館券(15ユーロ)を事前に購入しておいたので、妻に自慢顔でこの列を無視して入口に向かった。そして係官にチケットを見せた。ところが、列に並べという。この長蛇の列はチケット購入者が入館するために並んでいるという。これには驚いた。
-
ここで、妻の抜群の知恵が出た。「庭園に先に行こうよ。確かタダで入れたわよ」そこで異議なく庭園(写真)に向かう。これが大正解であった。(妻に脱帽!彼女は直観と生活力があり英語が喋れなくても海外で結構強い。)
-
我々のベルサイユ宮殿訪問は3度目である。1度目は大噴水が上がり、2度目は庭園の端に置かれた巨大なスピーカーからバロック音楽が流れていた。今回は噴水も音楽もない。
-
青々とした芝生「緑の絨毯」(写真)がどこまでも広がる。ここをのんびり歩く。8月上旬にしては爽やかな風が芝生を横切る。芝生から外れて森の中に進む道が多数ある。ここに入るとベルサイユの森の中を散歩している雰囲気でとても楽しい。
-
芝生を抜けると大きな池「アポロンの泉」(写真)に出会う。ここだけでも十分広いのであるが、この先に大運河が広がる。
-
大運河にはボート(写真)が浮かび、子供達の元気な声があちこちから聞こえてくる。ここは地元パリの人達の夏の遊び場ともなる。
-
さて、お楽しみのランチタイムだ。大運河にそばのレストラン(写真)に入る。結構賑わっているがガーデンの中には席が多数用意されているので空いている席に座る。
-
陳腐ながら中身のよく分かる「フィッシュ&チップ」を注文する。さくさく感いっぱいで実にうまい。
-
そして、いつものように「サラダ」(写真)。これにパンが付いてくるので十分ランチになる。水は「タップウオーター(水道水)」にして無料。これは助かる。フランスはエビアンに象徴されるように水に恵まれており、水道水でも十分おいしい。
-
食事の後は大きな木の木陰(写真)に寝転がってお昼寝である。我々だけでなくあちこちで観光客が昼寝をしている。まことに平和な風景で、つい30分ばかり熟睡してしまった。
-
ベルサイユ宮殿の庭園は想像を絶する広さがあり、歩いて全てをまわるのは時間と体力がいる。そこで「プチ・トラン」(写真)が役に立つ。10分おきに出発し、「宮殿→プチ・トリアノン→グラン・トリアノン→大運河」と停車する。
-
ランチ休憩の後、グラン・トリアノン(写真)、プチ・トリアノンまで足をのばす。グラン・トリアノンはルイ14世の愛人マントノン夫人のための離宮で、プチ・トリアノンとその庭園はマリーアントワネットの離宮である。
-
午後3時頃になってようやく宮殿(写真)近くまでもどってくる。結構疲れがあり、私はこのままパリに帰ってもいいかな?と思うが…。妻は当然のごとく宮殿の入り口に進む。
-
午後の光がベルサイユ宮殿(写真)を照らして大きな池の水面に映っている。観光客は一斉に岐路につきはじめている。
-
既にベルサイユ宮殿前の列はなくなり、チケットを見せてすぐに入館する。日本語のイアホンガイドを借りて音声に従って見学していく。
-
この音声ガイドは優れもので順路に従って番号順に詳しく説明してくれる。よって、日本人ガイドがいなくても大丈夫である。
注)パリから日本人ガイド引率の「ベルサイユ宮殿観光ツアー」が出ているが、旅慣れた人なら個人で行くことをお勧めする。安くて自由でとてもいい。 -
豪華絢爛な宮殿内をゆっくり見学する。午後の遅い時間帯は比較的すいており写真も撮りやすい。宮殿内は写真OKなので皆さん盛んにシャッターを押している。
-
各部屋ごとに驚きと感動があり写真を撮りまくる。しかし、多過ぎて処理しきれない。パリに嫌気がさしたルイ14世がベルサイユに移り住んだのは1682年5月のこと、以後、1世紀にわたってこの宮殿はフランスの政治、文化、芸術の中心となる。
-
最後に、長さ73m、幅10m、高さ12.5mの壮麗な「鏡の回廊」(写真)を通り抜ける。ここに至ってフランスの、いやヨーロッパの繁栄と芸術の頂点を見る。私にとっては狂気としか思えないルイ14世の偉業を心に焼き付けながら宮殿を後にする。
-
時刻は閉館間際、我々の後から係員が扉を閉めていく。かくしてベルサイユ宮殿の長い長い一日が終わった。
以上で、オランダ・ベルギー・ルクセンブルクの世界遺産巡りとパリ滞在記完了。次は日本への帰国のフライト『ルフトハンザ・ビジネスクラス搭乗記(岐路編)』に続く。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
funasanさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
48