2009/11/16 - 2009/11/17
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世界攻略者さん
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ヒマラヤ・トレッキングの醍醐味は、その雄大な景色だけでなく、地域をとりまく人々や伝統にあります。とはいえ、ただ歩いているだけでは何も見つからない。ならば、あえて立ち止まって途中下車してみるのは、いかがでしょうか。そこには発見があるかもしれないし、何もないかもしれない。旅とは本来スローであるべきもの。それでいいのです。
**情報は2009年11月後半のもの。1ルピー=1.2円で計算
==近くて遠いランタン谷・トレッキング シリーズ一覧==
① 山のグルメ紀行
http://4travel.jp/travelogue/10931674
② キャンジンゴンパ滞在記
http://4travel.jp/travelogue/10975208
③ ランシサカルカという世界一美しい谷
http://4travel.jp/travelogue/10977467
④ ふれあい各駅停車の旅 <==
http://4travel.jp/travelogue/10931988
⑤ 雲海カフェへようこそ
http://4travel.jp/travelogue/10931949
⑥ ゴサインクンドへの聖なる旅
http://4travel.jp/travelogue/11170693
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[目次]
ふれあい各駅停車の旅
ルート
1日目
- キャンジンゴンパ
- ムンドー
- ランタン村
- グンバ村
- チャムキ
- タンジャップ
- チェックポイント
- ラマホテル
- リムチェ
- スナック・リムチェ
2日目
- チャン作り
- ライスプリン
- 我が道を行く茶屋
- ポーター入門
- バンブー
- キッチンレポート春巻き編
- ランドスライド
- 電話事情
- リベンジルート
トゥローシャブル
- ホテル探し
- ホテル・ナマステ
- 結婚披露宴
まとめ
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[ふれあいの各駅停車の旅]
キャンジンゴンパ4日目の朝、私の心は秋空のように晴れ晴れしていた。前日のランシサカルカへの遠征で、「ヒマラヤ体験」としては100点満点。さらに「現地民とのふれあい」が加わればベストなのですが、こればかりは運次第。コツコツと自分から攻めに行かなくてはなりません。幸い私には時間がある。ゆっくり下山しながら、まだ見ぬ何かを見つけて行きたいと思います。 -
[1日目]
==キャンジンゴンパ==
一泊しかしていないものの、スーパービューホテル(写真)での滞在はとても思い出深いものになりました。主人は農協の青年リーダーのようなさわやかな男性で、奥さんやコックも普通に明るい人。個人客の私にも自然に接してくれます。
彼らはシーズン中のみ、ランタン村を出てこちらで暮らしています。息子は現在カトマンズ近郊コパンガオンにある学校に通学中で、壁にはに誇らしげに学生証が飾られていました。地元でテキパキ働き子供の未来に投資する。ヒマラヤ家族のひとつの完成形を見た気がします。 -
== ムンドー ==
宿をチェックアウトし、10時前にキャンジンゴンパを出発。ここからシャブルベシまでは33キロの道のり。さすがに1日では難しく、ラマホテル辺りで一泊するのが一般的です。
まずは平原を歩いて、ランタン村へ。帰りは雪山を背にしますが、気持ちのいいルートであることは変わりません。写真は途中にあるムンドーからの眺め。こんな孤立したロッジで一日過ごすのも悪くないですね。ただ、出発が遅い私は、景色をじっと目に焼付け、先を急ぎます。 -
==ランタン村==
順調に歩き、2時間ほどでランタン村に到着。基本的に、ラマホテル以降のランタン谷は、ここの住民によって仕切られています。今回の旅では、不思議なほどこの村と縁がなかった。村の端の学校見学にでも行けば少しは違ったかな。この時は、そのことさえ気付きませんでした。何一つ触れ合うチャンスのないまま、村を通過していきます。 -
==グンバ村==
吊り橋を渡り、対岸のグンバ村へ。メインの集落はもっと山の方にあるのですが、トレイル上の売店で今日も客引きの声がかかります。
幸い今回は若い女性で、ただ雑談する感じ。「川の発電所はね、日本の援助で作ったのよ」と教えてくれました。彼女によると、ランタンの水力発電は冬でもちゃんと稼動するそうです。
写真: ランタン村方面から見たグンバの集落。赤い点は左から、チャムキ、グンバ村売店、ゴンパと主集落。 -
時間に余裕があるので、ゴンパのある上の集落まで行ってみます。こういう観光客が行かない場所こそ、真のふれあいがあるはず。ただ困ったことに、ここで膝の痛みが再発し、階段を一段登る度に激痛が走ります。耐えるんだ、耐えるんだ!
文字通り亀のスピードで登り切ると、そこにあったのは、鍵のかかったゴンパと、私のビスケットを物欲しそうに見つめる近所の鼻たれ小僧だけでした。これでは、ふれあえない。苦労して報われないこともありますよ。ランタン谷にゴンパ巡りを期待してはいけません。 -
ゴンパからランタン村を振り返ると、さっきまで快晴だった空に薄雲が舞っていました。ランタン谷の風景は、これで見納め。さらば、ランタンの人々よ。
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==チャムキ==
予想外に時間を使ってしまったため、先を急ぎます。メインのトレイルに戻り、しばらくしてチャムキの集落を通過。ここでは、行きで激安チャーハンを食べた茶屋に軽く挨拶しておきます。ボロい家の中を覗いてみると、子供らが樽を使って水汲みごっこをしていました。そもそも、これはゴッコなのか、それとも普段からやっているのか...。
家があるということは、近くに水源があるということ。そこまで確認して、初めて「村に住んだ」と言えるかもしれません。 -
==タンジャップ==
チャムキのからラマホテルまでは、下りと平坦な道が交互にやってくる歩きやすい道。痛めた膝への負担も、やや軽減されます。
途中、タンジャップ(写真)などの小規模なロッジ街が出てくるのですが、特徴がなくわざわざ立ち止まってお茶する気にはなりません。 -
道沿いにキャベツ畑を発見。キャベツなどの寒さに強い野菜は、高度3000メートルのこの地でも普通に栽培されています。農作地らしきものをほどんど目にしなかったランタン谷ですが、何から何まで町からポーターが運んでくる訳ではありません。
それにしても、何だこの植え方は! 畝とか等間隔とか関係なし。バラ蒔きのようなアバウトさです。それでも牛糞堆肥が良く効いているのか、良く育ってます。 -
== チェックポイント ==
チェックポイントで、TIMSと国立公園入域証を提出。担当者は私のカメラを物欲しそうに手に取り、写真撮ってやるよとパシャパシャ撮影してきます。まだこの頃はカメラ付き携帯が少なかったため、こういうやりとりもできたのです。相手は態度のでかい軍人でしたけどね。 -
チェックポイントの後、ゴラタベラを通過。この辺りから森がやや多くなり、途中で野生の猿を見かけました。これまで見た動物といえば、ロバや馬、ヤク、ゾッキョなどの家畜ばかり。ランタン谷は、野生動物鑑賞としても、いまいちなんですよね。
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==ラマホテル==
午後5時、ゴンパ村から3時間半ほどで、今日のノルマであるラマホテルに到着。今晩ここに泊まってもいいのですが、私には全然余力がある。スタート時間が遅いため、毎度のことながら、「歩き足らなさ感」を残して、5時半の日没を迎えてしまいます。
しかし、この時私に名案が浮かびます。それは、禁断の「ナイトウォーク」。復路のため、道は完全にわかっている。天候や気温に不安はなく、性能のいいライトもある。何でこれまでこの事に気付かなかったのだろう。私にとっては、深夜に駅から歩いて帰えるのと、何ら変わりません。
写真: リバーサイド -
==リムチェ==
アッパーリムチェを過ぎると一気に暗くなり、ヘッドライトを点けて森を下っていきます。5:45PM、行きで宿泊したリムチェの宿を通過。今日は誰もいないようで、ドアには鍵がかかっており、明かりもついていません。挨拶くらいしようと思ってましたが、まあいいでしょう。旅行記を書く私としては、できるだけ大きなロッジ街に泊まりたい。となると、今日の目的地はバンブーか。 -
そのまま歩き続けようとすると、「うぉ〜っ。うぉ〜っ」。山の上から何やら私を呼ぶ声が聞こえてきます。おかしいな〜、宿には誰もいないし..。
しばらく佇んでいると、ロッジの20mほど上にある竹小屋からあの奥さんが下りてきました。あら、見つかっちゃった! 当然、彼女は宿泊を薦めてくるのですが、私には大事なミッションがある。今、それに応えるわけにはいきません。
「夜中でも歩けるか試してみたいんですよ」。「動物に襲われたらどうするの」。「サルなんか余裕ですよ」「じゃなくてー、ワイルド・ピッグよ」。どうもこの辺の森ではイノシシが出るらしく、地元民も6時以降は外出しないらしいのです。イノシシか.. イノシシ対策など、全くシミュレーションしてませんでした。結局、さっきまで煮えたぎっていた野心を捨て、素直にここに泊まることにしました。行きも帰りもこんな無名の宿に泊まることになるとは..。私はこの宿によほど縁があるのかもしれません。 -
==スナック・リムチェ==
どうも彼女は、この時間にせっせと地酒づくりをしていたようです。夕食を待っている間、宿帳を見てみると、ラクシーを注文している人が実に多い。中には、一人でビール瓶3本分飲んだ人もいます。ここは居酒屋か。彼女はどことなく情緒があるので、飲み屋のママとか似合いそうですね。ツーリストでさえこの調子なのだから、現地人はもっと飲んでいるに違いありません。
地酒のラクシーは、不思議なことにランタン谷共通メニューには載っていません。言えば出てくるタイプの裏メニュー。この宿の場合、ポリタンク容器にたっぷり入っていました。試しにコップ一杯分飲ませてもらうと、日本酒と同じで癖のない味でした。
リムチェの場合:
ラクシー グラス: 20ルピー(34円)
ラクシー ボトル(650ml): 100ルピー(120円)
ウイスキー、ラム、ヴォッカ: 180mlボトル: 300ルピー(360円) -
夕食後、カマドの前に二人で座って世間話。今回は他に客もいないので、いろいろと身の上話をうかがいました。彼女はランタン地区出身のチベタンながら、タマン族の村シェルパガオンに嫁ぎました。服装もチベタン・スタイルですが、鈍感な私にはタマンとの違いがよくわからない。ランタン方面の人がここで一服するのも、彼女がランタン出身で、彼らの方言を理解するからかもしれません。
彼女には4人の子供がおり、そのうち2人は、村に学校がないため、シャブルベシの学校に寄宿しています。子供の学費に一人年14000ルピー(17000円)からかかるらしく、結構な負担だそうです。また息子の一人は小さい時から、カトマンズのコパンにあるゴンパに送られています。窓際にある写真立てには、坊主頭の利発そうな少年の顔が飾られていました。チベタン系の人は、子供のうち一人を僧侶にするという話は、嘘ではなかったのです。
彼女の家があるシェルパガオンは、決して裕福な村ではありません。旦那は実家、自分は山小屋、子供らはシャブルベシとカトマンズ。家族はバラバラだけど、子供の将来を思いながら懸命に働く母親の姿がそこにあります。全く、自分は同世代なのに、一体何をやってるんだか。 -
[2日目]
==チャン作り==
翌朝目覚めると、今日も彼女はチャン造りに精を出していました。せっかくなので、そばで見学させてもらいます。ロッジ横の斜面を登っていくと、粗末な竹の小屋があり、ここが彼女のチャン製造基地。まず、朝から大鍋で炊いておいたお米を、竹製のシートに取り出します。これをまんべんなくもみ広げで、緑色のイーストをまぶします。 -
それを袋に入れて布団を被せておきます。翌日、それを後ろの青いプラスチックの樽に移し、1,2週間放置するとチャンの出来上がり。銅色の容器でチャンを沸かして蒸留したものがラクシーになります。私もたまにペットボトルでどぶろくを作りますが、規模が全然違います。
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==ライスプリン==
宿に戻って、遅い朝食の時間。今回も、気になるメニューをあえて注文してみます。まずはライス・プリン(Rice Pudding)から。果たして冷蔵庫もないこの場所でまともなプリンなどできるのでしょうか。作り方は、まず炊いたお米とお湯を小鍋にいれてかき混ぜる。しばらく煮た後、砂糖をたっぷり、塩を少々加える。最後に、先が十の字になった竹の棒で、火起しでもするようにかき混ぜて出来上がり。えっ、これだけ?
お味のほうは。ご飯の形がそのまま残っているので、見た目は牛乳入りご飯。味は甘いおかゆ。意外と量も多く、デザートというよりは、朝食向きです。どうりでPorridge(おかゆ)のセクションに載っているわけだ。ちなみにチョコレート・プリンは、このライス・プリンにホットチョコレートの粉を混ぜるだけとのこと。う〜ん、これじゃない感が漂いますが、人づてに聞いたレシピに従っているだけの彼女に非はありません。そもそもライスプリンの定義は広く、米を使ったデザートなら何でもありなのです。
**アンナプルナの山小屋など、ちゃんと卵からカスタードプリンをつくるところもあります。 -
さらには、コーヒー代わりにムスタン・コーヒーを注文。これは、ラクシーをベースにした立派なお酒なのですが、なぜかラマホテル版のメニューには紅茶やコーヒーなどライトなホットドリンクのコーナーに載っています。
作り方は、小鍋にラクシー、砂糖、コーヒーパウダー、ヤクのバターを入れて、3分ほど煮立てておしまい。 見た目は薄いコーヒー。飲んでみると、まずバターでマイルドになったコーヒーの味がやってきて、その後時間差で暖かい酒の風味が喉に広がります。わざわざ混ぜなくても...という微妙な味。ムスタンコーヒーはラクシー単体とくらべて割高なので、あまりお勧めできません。 -
しかし、何て楽しいのだろう。まるで子供が母親のそばで家事を習っているような「日曜日」的充実感。大人になっても、楽しいものは楽しいのです。こんな生活、もうちょっと続けようかな..。
さらに一泊することも考えましたが、さすがに午後はやることがない。ポーター軍団が外で休憩しているのを見て、気が変わりました。やはりトレッカーは歩いてナンボ。正午ジャスト、名残惜しいですが私も出発です。 -
==我が道を行く茶屋==
今日もマイペースで山を下ります。普通に行けばシャブルベシまで直帰なのですが、足の調子次第では、トゥルシェベル泊でゴサインクンド方面を狙いたいと思います。
リムチェから下ること25分、橋の手前に一軒、とても需要のなさそうな茶屋があります。実はここ協定価格の空白地帯で、上のリムチェはラマホテル地域のメニューを使っており、下のバンブーは別の共通メニューに参加しています。店のメニューを見てみると、他と値段を合わせてないせいか、どれも圧倒的に割高。そして、店番のおばさんは編み物に熱心で、宿の仕事にあまり関心が無い様子です。
写真: 腰巻ヒモ作成中。 -
土産物売り場を見ると、マフラー、ショール、帽子、ベルト、ソックス、手袋、ポシェット、財布に筆箱と見事なセレクション。もう十分在庫がある気がしますが、きっと彼女は編み物自体が好きなのでしょう。こちらは、靴型の毛糸ソックスが350ルピー(420円)と、ごく平均的な値段。茶屋なのか土産物屋なのか、どっちが本業だかわからない、我が道を行く茶屋でした。
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==ポーター入門==
時間帯のせいか、今日はポーターをよく見かけます。 この茶屋の近くの石垣でも、ポーターがひとり休憩していました。なるほど、ここから先は登りが続くので、ちょうどいい休憩ポイントなんですね。ここやリムチェの宿があまり外国人を意識していないのに納得です。
写真は、50キロの米袋を紐一本で頭に引っ掛けけて運ぶ男性。これは最も難易度が高い一本釣りスタイルで、荷物に紐が固定されておらずバランス感覚が必要です。私も試してみましたが、立ち上がることさえできませんでした。 -
橋を渡りしばらくすると、また別のポーターが道端で休憩していました。こちらは肩で背負うロープがついていて、私でも何とかなりそう。袋も30キロのやつだしね。早速挑戦させてもらいます。
米袋を背中に倒すように背負い、なんとか前傾姿勢で歩行開始。ただ、歩く度に紐の重みで首がひん曲がりそうになります。実際にはおでこでなく、頭の上で紐を支えるのですが、私にはそれができない。ふらふらバックしながら、元の位置に戻すのが精一杯でした。荷物を良く見てみると、なんと30kgの米袋が二つ重なっているではありませんか! 実は私は60kgの荷物を持ち上げていたです。プラセボ効果は絶大です。 -
まあ、私が対応できないもの、単に首の筋肉が足りていないから。彼らは子供のころからこの持ち方ですからね。野球をしない女性がボールを遠くに投げれないのと同じです。
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==バンブー==
橋から25分程歩き、バンブー(Bamboo)のロッジ街に到着。まだ大して歩いていませんが、ひとつ試したいものがあります。さきほど少し触れましたが、ここバンブーから下は、ランタンのロッジ管理委員会に関わっていません。だから、宿のメニューも別もの。ドマン-ランドスライド-バンブーだけで独自に共通メニューを作成しています。
宿のメニューを見せてもると、こちらのほうが品数豊富。ランタン・メニューでは、モモといえばフライド・モモだけでしたが、こちらは普通のスチーム・モモもあります。ラクシーもメニューに載っているし、ラザニアまである! -
==キッチンレポート 春巻編==
それならば、といまいちフライド・モモとの違いがわからない春巻き(Spring Roll)を注文してみます。両方とも具を包んで油で揚げるだけだと思うんですけどね...。
オーダーを受けた主人はキッチンに向かい、近くで収獲した葉野菜を手際よく刻んでいきます。さらに、紫玉ねぎ、にんにくも刻み、フライパンで炒めて塩コショウで味付け。 -
次に、小麦粉で円状に作った生地の上に炒めた具を載せ、両端から三分の一ずつ折ていきます。巻き方に関しては、モモやスニッカーズロールとは違うようです。
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ブリトー状になった包みを油で揚げて出来上がり。ピザといい春巻きといい、小麦粉系メニューの調理の速さには驚くものがあります。
7ページに渡って書かれた山のようなメニューも、分析してみれば5、6種類の調理法に分類できるかもしれませんね。春巻きとは、具と巻き方を変えるだけで名前が変わる、汎用性の高い料理のひとつなのでした。 -
==ランドスライド==
春巻を食べた後、40分ほどかけてランドスライド(Landslide)へ。このランドスライドという変な地名は、最初に建てられたホテルの名前に由来しています。ふれあいを求める私はここでも立ち止まり、1軒しかないロッジの様子を探ります。
このロッジは若い女性が店番をしており、対岸の温泉への行き方やランタン国立公園のホテル事情など、お茶だけ飲みに来た私に詳しく教えてくれました。例えば、このロッジはトゥロシャブルの親戚同士が共同経営しているので、毎年別の家族がロッジの面倒を見るとか。明るく社交的な彼女とは、話しが弾みます。
それにしても、リムチェを過ぎたあたりから、「各駅停車の旅」は順調です。各ロッジには特徴があり、宿の人との会話も成立する。これは、タマン族の人々が社交的だからなのか、それともたまたまなのか。 -
==電話事情==
ダイニングの端に、ネパールテレコムの卓上型携帯電話(CDMA)を発見。どうもここは携帯電波が届くようで、プリペイドカードを消費しながら、通話サービスも提供しています。 -
そういえば、バンブーにも同じような電話機(写真)ありました。あちらは勝手に通話されないように鍵がついていて、受信専用でしたが..。確かに、ラマホテルあたりまでは谷筋が真っ直ぐなので、シャブルベシの山の上や、トゥルシャブルあたりにアンテナがあれば、電波が届きそうです。ランタン村やキャンジンゴンパにも電話サービスはありますが、恐らく今も割高な衛生電話だと思います。
時刻はすでに3時半。宿の彼女からは泊まりを勧めめられましたが、私はどうしても先に進みたい。また今度来たとき、と言うと、彼女は少しさびしそうな顔をした。来年になれば、このロッジにいるのは別家族。彼女は会える保証はありません。 -
==リベンジルート==
さて、このままシャブルべシに戻るか、それともトゥルシャブル経由でゴサインクンドを目指すべきか。ずっと迷っていましたが、とりあえず今日はトゥルシャブルに向かいます。彼女と話しているうちに、トゥルシャブルがどういう町なのか俄然興味が湧いてきました。
とはいえ、この道は私が下りで膝を壊した因縁のルート。登りも簡単ではありません。ドマンとの分岐を左に曲がり、ペース良く斜面を登っていきます。30分後、カパル・ダンダ(Kapal Danda)の茶屋を通過(写真)。ここには見晴らしのいい東屋があり、何故か地元の人達がたくさん休憩しています。 -
ここからトゥロシャブル中心部へは、まだまだ長い道のり。そもまま登り続けると、驚いたことに休憩なしでも疲れない。そして、心配していた膝の痛みもない! こうなれば、いつもの自分。やっと自由になれた私は、どんどんペースを上げていきます。
吊り橋を渡り少し下った後、再び登りの道が続きます。15分後、トゥロシャブル最初の民家に到着。そこから20分ほどかけて丘の上の集落に到着しました。通常2時間半のルートを、半分の時間で登り切りった計算です。 -
[トゥローシャブル]
着いてみると、トゥロシャブルはとても大きな村でした。往路では村の下端をかすっただけでしたが、尾根沿いの集落はとても賑やか。今日は何かイベントがあるようで、大勢の人が道を行き来しています。ちなみに、トゥロシャブルとは、Thulo(大きな) Syabru(村)の意味です。 -
==ホテル探し==
珍しく5時前に到着。宿探しに入ります。尾根沿いに並ぶホテルの多くはコンクリートの3階建て。とても道路の通じてない村とは思えません。電気もシャブルベシから直接来ており、インフラもバッチリ。
メインの道を歩くだけで、ロッジの比較ができてとても楽ちんです。ランタン村のような平地より、こういう斜面の村のほうが、より山村らしい感じがしますね。 -
==ホテル・ナマステ==
眺めのいい宿を探しながら歩いていると、一人のオバサンが殺し文句を投げてきました。「部屋はタダだよ」。早速中を見せてもらうと、最上階の部屋はガネッシュ山脈がよく見える理想通りのロケーション。充電代もタダにする約束をとりつけ、泊まることに決めました。もちろん食事はここで食べなくてはいけませんけ。
写真: ホテル・ナマステ -
中に入ると、どこからともなく若い女性が二人現れ、暖炉の点火から夕食の注文まで、私をVIPのように世話してくれます。私は暖炉の前でふんぞり返っているだけ。話しを聞くと、彼女らはチリメ村近くの出身で、両親がシャブルベシで住み込みのコックをしている一方、自分たちはこの村で伯母さんの家に預けられ働いています。こちらでは家族分散はそれほど珍しくないのかもしれません。
まだ高校生くらいの年頃ですが、彼女らは学校に行ってない。その割にはちゃんとした英語を話すのですが..。他のロッジの子供らがカトマンズの学校に行っている話しをすると、「スポンサーだわね」と関心のない様子。親戚のオジサンであれ、外国人であれ、お金を出してくれる人がいないと人生を変えられない。これが田舎の現実です。彼女らとて都会の学校に行ってみたい、というシンデレラ願望がないわけではないでしょう。 -
==結婚披露宴==
食事中、宿の前の道を人が掛け声を叫びながらどんどん通過して行きます。やはり、今晩何かあるようです。夕食後、後をついていくと、Hotel Lamaという立派なホテルの前で人だかりができていました。聞いてみると、今晩この家で結婚披露宴が行われるよう。昼間に人が沢山いたのは、新郎の家だったのです。 -
中に入ると、一階のダイニングはテーブルが取り去られ、村人が数十人床に座って盛り上がっていました。部屋の奥には、関係者や長老っぽい人が陣取っています。
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屋上にはさらに多くの人がいて、女性グループや、若者グループがそれぞれ焚き火を囲んで話に花を咲かせてます。
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子供は居心地が悪いのか、二階や三階の廊下で、油を売っていました。特に何か出し物があるわけではなく、結婚当事者から振舞われる食事を待っているのです。それまでの時間、女性が会場を回り、チャンやミルクティーを来場者に振舞います。
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この村の人々は社交的で、私のような得体の知れない外人にも気軽に話しかけてきてくれます。村の若者はロッジ経営に関わっている者が多く、話した男性の一人はシンゴンパで、別の男性は、フォプラン・ダンダのロッジで働いています。この結婚式のためにわざわざ帰ってきたのです。
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8:30PM、ついに食事がやってきました。ヤクの肉、ジャガイモ、グリーンピース、大根の漬物、お菓子などをのせたプレートです。
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振る舞われる料理は、一階外の大きな窯で作られますが、配膳は屋上で行われます。屋上だけで60人はいますからね。
大作業なので、多くの人がボランティアで手伝っています。オカズのバケツを持った男達が丸くなって座り、せいので同時にプレートに料理を載せます。この間約一秒。その後、プレートはバケツリレー方式で会場の隅々まで行き渡ります。 -
最初の食事から少し経つと、今度は伝統菓子を配り始めました。シェロと呼ばれるカリカリのパンと、ゲンと呼ばれる甘いお菓子。さらにこの後、メインデッシュのダルバートがやってきます。そんなの毎日食ってるだろ! と言いたいところですが、とにかく大勢の人に食事を振舞うのが田舎の結婚式のスタイルです。
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この賑いは夜10時まで続き、新郎新婦はフトンセットを担いだポーターを従えて、新郎の家に戻っていきました。本来なら、夜通しダンスを行うのがタマン族の伝統なのですが、最近亡くなった人がいるため今回は自粛されたそうです。しかしながら、ひとり結婚するだけでこの盛り上がり。村への帰属意識は大きく、村全体が親戚のようなものです。
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[まとめ]
キャンジンゴンパから下ること2日。ふれあいあり、発見あり。各駅停車という新しい旅のスタイルも、大分コツがわかってきました。往路と全く同じルートを歩いたのにこれだけ多くの体験ができたのは、やはり「ふれあい」を求めて自ら行動したことと、下りという時間・精神的な余裕でしょう。
私の体調も戻り調子。これでトレッキングを終えてしまうのは実にもったいない。膝も治ったことだし、もう目指すしかないでしょう。ゴサインクンドという聖なる湖、まだ見ぬタマン族の聖地を!
[リンク集]
==ネパール・トレッキング==
最速のアンナプルナ 全8作 (2009年秋)
http://4travel.jp/travelogue/10444950
エベレスト・トレッキングのすすめ 全10作 (2011年春)
http://4travel.jp/travelogue/10581163
ポカラ・ザ・トレック 全4作 (2013年春)
http://4travel.jp/travelogue/10759203
トレッキング装備購入ガイド 全2作
http://4travel.jp/travelogue/10571988
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