2013/12/06 - 2013/12/06
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福知山では、観光協会等、街をあげて明智光秀の街という宣伝をしていましたが、妙に明るくて、私としてはちょっと違和感を持ちました。一方、明智光秀にゆかりの深い街のもう一つは亀岡ですから、亀岡の明智光秀像も確認したくなって、今回の旅となった次第。結果は、想像した通り、屈折した思いがけっこう残っている。それが、逆に生々しい歴史を素直に映しているようにも思いました。
ただ、亀岡は嵐山からも近いので、その前に、御無沙汰していたり、気になっていた嵐山のスポットもチェック。いつものようにバタバタと回ります。
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朝一の飛行機で、いつものように羽田から伊丹経由、京都へ入ります。
阪急嵐山駅から、渡月橋に出てきました。 -
櫟谷宗像神社は、嵐山モンキーパークの入り口傍。「いちいだに・むなかたじんじゃ」と読みますが、櫟谷神社と宗像神社という2つの神社が合わさった神社。古くは嵐山弁財天社と言ったそうです。
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ちなみに、宗像神社は、筑紫の宗像。九州を中心とした海上守護女神として広く信仰され、平家の海上交通の守り神として広島の厳島神社に祀られたことでも知られます。一方の櫟谷神社は、古くから松尾大社の末社。ただ、両社ともに、渡来系氏族の秦氏に関係のある神社だったようです。
といっても、平安京自体が、秦氏の開発していた地への遷都だったので、古いものはみんなこんな感じです。 -
櫟谷宗像神社を降りてきたところにあったのは峯嵐堂。今まで気が付きませんでしたが、朝早くから開いていて、こういう店は期待できます。
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いただいたのは、豆大福。餡子の甘さがちょっと華やかな感じ。やっぱり京都のお菓子屋さん。レベルに達していますね。
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向かいは、京都オルゴール堂。試しに入ってみました。
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小樽のオルゴール堂の系列店のようで、中に入った時の雰囲気や並んでいる商品も似た感じ。やっぱり、オルゴールは、こんな風に商品がたくさん並んでいないと盛り上がりません。修学旅行生がたくさん入っていましたが、若い人には受けるでしょう。
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さて、今回一番気になっていた場所の宝厳院に向かいます。これはほど近くにある五百羅漢です。
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宝厳院は、天龍寺の塔頭の一つ。室町時代、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して創建した歴史を持ちます。でも、そんなにすごい歴史ではありませんし、私としては、むしろマイナーな位置づけだったのですが、紅葉の時期にめちゃめちゃ宣伝をしていて、気づいたらいつの間にかメジャーになったという印象です。。
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ということで、今回初訪問。
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策彦周良の作「獅子吼の庭」は、元は河川敷だったという場所にあった巨岩をそのまま庭のアクセントにしたもの。
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この庭は、その巨石と紅葉との組み合わせがポイントですね。
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紅葉の方は、
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もう晩秋といった感じです。
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それでも、紅葉の多さは、
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なるほど。紅葉を宣伝するだけのボリュームはあるかもしれません。
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奥に本堂があって、別料金ですが、田村能里子作の障壁画を公開していました。この人も初めて聞く名前でしたが、中央アジアを舞台にして、観音様が333様の人間に生まれ変わって善行を重ねていくといった物語。青、赤、金といった背景の美しい色彩には目を見張りました。これはいいものを見せてもらいました。期待していなかったいいものに出会うと旅のテンションは上がりますよね。今回の旅も、幸先よくスタートできたようです。
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改めて、紅葉を確認。
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渓流も流れていますが、
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かつての河原の跡地だから、それは自然なことでしょう。
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河原に残っていた巨石もそのまま残して庭にした。それが庭全体に景色として、ここまで仕立てられている。まあ、そういう庭はあまりないかも。なるほど、面白い趣向かもしれません。
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三秀院は、天龍寺の塔頭の一つ。一番入口に近い場所です。一時廃れますが、後水尾天皇により復興され、明治になってから現在の地で再建されとようです。天龍寺には七福神巡りというのがあって、ここには大黒天が祀られています。
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ちなみに、境内の塔頭七か寺は、三秀院、弘源寺、慈済院、松厳寺、永明院、寿寧院、妙智院。
これが三秀院の大黒天です。 -
さて、グルメで気になっていたお店はこちら。
老松は、北野天満宮のそばにあるのが本店なんですが、対するこの嵐山店はわらび餅が超有名。 -
以前から気になっていて、今回やっと初挑戦です。
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出てきたわらび餅は、氷を浮かせた桶の中に入っていて、なるほど、なるほど。雰囲気ありますね。
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これを黄な粉か黒蜜でいただきます。
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ただ、黒蜜だと葛きりの方がフィットしますかねえ。黄な粉がいいです。黄な粉に黒蜜を掛けて食べるのもありだと思いますが、それはどうでしょう。
ただ、私の好みかもしれませんが、黄な粉がベストな味であれば、それに徹するべき。お客が好きなように食べていいですよという姿勢はあまり感心しないですね。自信の味をきちんと決めて勝負すべきでしょう。ズバリ言えば、黒蜜は余計だと思いました。
ちょっと、もやもやが残りましたが、まあまあ。ただ、茶寮宝泉の方が私は好きですね。 -
古都芋本舗は、嵐山の大通りから、野宮神社に向かった曲がり角。この辺りには、立ち食いのお菓子屋さんが集まっていて、賑やかな一角。
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看板商品の古都芋をいただきました。芋の味わいはけっこう地味。ただ、芋のおいしさをきちんと知っている人だと、これこれ、この味という感じで楽しめます。この楽しみ方のタイプは、関西の特徴だと思います。焦らないで、自然な味わいを確かめましょう。
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米満軒は、清凉寺にもう近い辺り。名代の桜餅という看板が目に止まり、寄ってみました。
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この桜餅は、粒々のお米が残った道明寺タイプですね。いただくと、あれー、さくらの葉っぱがとても塩辛い。嵐山には時々こんな桜餅があるのですが、申し訳ない。私は苦手です。
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清凉寺の門までやってきました。
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久しぶりに、森嘉に寄ってみましょう。泣く子も黙る、豆腐の名店。たぶん、ここの豆腐は京都で一番でしょう。
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厚揚げをいただきます。うーん。やっぱりここのは最高です。油の程よい香ばしさとプリンプリンした豆腐。たまりませ〜ん。
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さて、今度は、しばらくご無沙汰していた宝筐院です。ここは、嵐山でもとにかく紅葉が美しいと評判の寺。
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今回やっと気づきましたが、ここはどうだんつつじが多いんですね。
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なので、上層の紅葉だけじゃなくて、低層でも赤がきれいということなんですね。その重なった赤がこの景色の美しさのベースになっています。
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ところで、この寺は、平安時代に白河天皇の勅願寺として建立。南北朝時代に中興した夢窓国師の高弟・黙庵に帰依した足利二代将軍、足利義詮と同じく黙庵に帰依した南朝の忠臣、楠木正行が並ぶ墓があることでも有名です。
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楠木正行の最期は、四条畷の戦い。父、正成は湊川の戦で敗れ死んでいますが、四条畷の戦いは、もっと悲惨。圧倒的な兵力の差があった無謀な戦いだったと言われています。
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どうだんつつじを抜けて、
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これが、お墓。
墓前の石灯篭には冨岡鉄斎の書による「精忠」(=正行)、「碎徳」(=義詮)の文字。精忠は最も優れた忠という意味で、碎徳は一片の徳。正行の忠義を褒め称えるとともに、義詮についても、その傍らに自分の骨を埋めたことなどなんでもない。義詮の徳はずっと大きいということを表しているそうです。これ以上ない、讃辞ですね。 -
大きな紅葉は、赤に黄色。
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まさに錦秋の美しさです。
宝厳院に比べると規模は小さいですが、やっぱり宝筐院の美しさは安定感があるし、完成度も高いように思います。物語に支えられているのも一級品の証です。
ところで、京都の物語は、まずは、源氏物語と平家物語が第一級。それに次ぐのは、織田信長・豊臣秀吉の安土桃山、幕末の維新の志士、そしてここのような太平記でしょう。こうした物語に関係しているかどうかが京都では観光スポットの価値を左右しているように思います。 -
再び清凉寺です。
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見ると、こっちの紅葉がきれいです。
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まだまだ盛りですね。
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やっぱり京都の紅葉は赤の色が違います。気持ちがすっきりするような感じです。
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秀頼の首塚。こんなところにありました。
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そして、
奈良でもないのに、こんなところに薬師寺なんてあるのかなあと思っていたのですが、清凉寺の境内の一角に確かにありました。嵯峨薬師寺と言うんですね。本堂脇に、生の六道石柱があって、小野篁が冥土と現世を往復していた「生の六道」のこと。ちなみに、六道珍皇寺は入口で、こちらは出口だそうです。 -
続いて、こちらの厭離庵は、「小倉百人一首」の藤原定家ゆかりの寺。秋の特別一般拝観中です。
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かなり昔に来ていますが、あまり印象に残っていない。
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やっぱり
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庭や
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家屋の景色だけを考えると
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正直、パッとしないでしょう。
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やはり、藤原定家にどれだけ思いが馳せられるかが問題。子規によって、けちょんけちょんの評価があることもあって、藤原定家には何も感じていなかったのですが、先般、時雨殿を見てからちょっと評価が変わりました。
本堂の手前に定家塚があって、住職さんによると息子の為家が朝夕拝んでいたのではないかということでした。 -
さらに進んで、祇王寺から
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奥に入ったところにあるのが
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滝口寺です。
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ここは、平家物語で語られる滝口入道と横笛を祀る寺。
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ちなみに、滝口入道は、
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宮中警護に当たる滝口の武士、斉藤時頼。
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建礼門院に仕えた横笛と恋に落ちますが、父に厳しく叱責され、この寺で仏門に入ります。そのことを知った横笛は、自分の真の気持ちを伝えたく訪ねて来るのですが、会えることなく追い返されたという悲恋の物語です。
今はこうして二人が並んでいました。 -
二人の眺める景色はこんな感じ。
お邪魔虫ですが、私も一緒に眺めましょう。 -
庭の周囲は竹林。
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下を覗いて見ると、崖のような地形なんですね
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気が付くと、新田義貞の首塚。新田義貞は、越前国藤島の灯明寺畷にて、斯波高経の軍勢と交戦中に戦死します。その後、京の三条河原で晒し首になっていたものを、妻の勾当内侍(こうとうのないし)が、首を盗み出しここに埋葬し弔ったということです。
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出口には、嵯峨菊ですね。
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初めて見た時は
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そんなには思わなかったんですが、
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この繊細な美しさは、王朝絵巻のよう。
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名前もいいし、独特の風情があるように思います。
さて、嵐山で思わぬ時間を食ってしまいました。急いで、亀岡に向かいましょう。 -
JR亀岡駅に着いて、まずは観光案内所へ。街歩きのことを聞いていたら、時間があるなら案内しますよとのこと。それではお願いしますと、亀山城をぐるりと案内してもらいました。亀山城は大本教の敷地内なので、やはり敬意を表して回る必要がある。案内してもらってよかったかなと思います。
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亀山城は、明智光秀が丹波統治の拠点として築城。本能寺の変の際、明智光秀はここから出撃しています。その後、徳川家康もこの地を重要視し、譜代大名の岡部長盛を置き、西日本の大名を動員して、天下普請による大修築を行い、本丸には5重の層塔型天守が築かれたとも。現在は、大本教という新興宗教の持ち物となっています。
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お堀を抜けて、
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石垣の残る印は、手伝った大名家のもの。天下普請の証です。
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これが大本教の本部。挨拶をしてから、
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この門の向こうが本丸城址です。
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ここも紅葉が素晴らしいですね。
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しかし、観光案内にも書かれていないのは、やはり私有地だからではないかということです。
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大本教は、天皇の解釈等で、戦争に向かうため、為政者からは疎まれ迫害を受けることとなります。この首のない石仏もその際の爪痕です。
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こんなに、きれいな紅葉があっても実はすさまじい過去を秘めている場所なんですね。
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城跡から出て、次のスポットへ。
亀岡市文化資料館は、亀岡の歴史と文化を紹介する博物館。ところで、亀岡は、明治になってから、三重の亀山と紛らわしいということで、亀山から亀岡に名前を変更したもの。実はその辺りから、亀岡市の亀山城といった風に混乱する原因になっているような気もします。
また、歴史的には、反逆者の系譜があるらしく、明智光秀のほか、足利尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻す決心をしたのはこの地にある篠村八幡宮だということでした。この辺りの気持ちが実はガイドさんの説明にもちらほらうかがわれて、複雑な胸の内が想像できるようでした。足利尊氏と明智光秀は歴史の評価では、どちらも厳しい評価。その二人に関わっている街というのも、なかなかきついものがあるかもしれません。 -
さて、気を取り直して昼飯です。
何で亀岡まで来て、ハンバーガーかなあとも思ったのですが、とても人気の店のようだったので寄ってみたのが、このダイコクバーガー。赤い外装のお店は、なかなかファンタスティックですね。 -
店内も、遊園地のレストランのようだし、ゆったりと余裕があります。
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で、ハンバーガーもとってもグッド。マイルドな味系で、うまくまとまってます。これは人気店に間違いありません。
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丹山酒造は亀岡で100年以上の歴史を持つ老舗の酒造メーカー。
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12月の見学はもうやってないんだけどなあと言いながら、作業場の一角でビデオを見せてくれました。丹山酒造の五代目にあたる長谷川渚さんという全国でもただ一人の女性杜氏を紹介しながら、こだわりの酒造りに励む姿勢が伝わってきました。
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帰りに麹の飴をいただきました。ほんわかしたいいお味です。
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難波醤油醸造工場は、亀岡市の観光パンフレットに載っていたので訪ねました。地図の場所に到着すると「ひしおの匠庵」と看板のある醤油の販売店。あれっと思ったのですが、一応聞いてみると。
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じゃあこっちと言って、奥の醤油蔵を見せてくれました。醤油の大きな樽もよかったのですが、何より醤油の香りがすごくいい。一瞬、体が元気になったような気がしました。
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法華寺は、亀岡市内の中心部。亀山城主小早川秀秋の保護を受け、現在の場所に移されました。規模は少し小さめですが、城下の寺院本堂の中で最も古く、本堂に祀られている高祖日蓮上人像は、身延山日号上人の作と伝えられます。
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城下町観光案内所 本町・町家カフェは、亀岡市内の中心。観光案内所ではあるのですが、地域の人の集まる憩いの場所といった雰囲気もあるような。楽々荘の場所を確認しようと立ち寄ったのですが、それだけじゃなくて、なんだかんだと教えていただきまして、賑やかなことでした。
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関酒造は、亀岡の観光案内パンフレットに載っていたので訪ねたのですが、そのことを言うと、いやうちは見学とかは勘弁してもらってますとのことでした。ただ、その店構えは創業明治8年というだけに、屋号の「井づ源」の暖簾がかかって、風格十分。江戸時代には、亀岡市内に35町もの田畑を持つ豪農だったということです。
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亀岡市は、江戸時代は、亀山藩があった城下町なので、市街にはたくさんのお寺があります。この大圓寺もその一つ。西町にあって、知恩院を本山とする浄土宗のお寺です。1554年に大蓮社専譽周公上人による開基。季節になるとハスとあじさいがきれいなお寺です。
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塩田屋本店は、地元の小さな和菓子屋さん。
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あれこれ商品の種類が多くて迷っていると、「保津の宿」を勧められました。保津川は大堰川、桂川とも言って、京都に丹波の良質な木材を運ぶ重要な水運を支えていた川です。亀岡を代表するものでしょう。
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で、袋を開けてみると、船の形をした大胆な最中。楽しい最中です。
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楽々荘は、田中源太郎翁の旧邸。ちなみに、翁は、代々亀山藩の御用達をつとめた商家に生まれ、早くからその商才を現わした大事業家。亀岡銀行(京都銀行の前身)の創設にかかわったほか、京鶴鉄道にも関わっています。
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洋館と書院造りの和館を含む700坪の庭園は、それ自体では公開してはいませんが、ここのレストランを利用すると見学をさせてもらえます。
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西友店の中に入っている保津川あられ本舗で、今一番人気の商品という「丹波豆まめ焼」をいただきました。素焼きと醤油に塩味の三種類で、醤油をチョイス。丹波の豆が香ばしいし、醤油の味わいもいい感じ。食べだすと止まらなくなるおいしさでした。
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くりやは、亀岡駅前にある和菓子屋さん。金の実という栗のお菓子が看板商品です。
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ただ、いただいたのは、ここの亀岡支店にしかないという最中。餡子の余韻を楽しもうと思ったら、スーッと甘さが消えてしまって、あれっという感じ。
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そういう味に仕上げたのか、どうなのか。評価は不明です。
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満寿家は、亀岡駅前にあるこぎれいな食堂。中に入るとけっこう広いし、定食の種類も豊富です。テキパキ働く明るいおばちゃんが切り盛りしていました。
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駅の周りにはほかにめぼしい食堂もなく、適当に入ったのですが、結果は気持ちの良い店だったので正解だったでしょう。隣りは居酒屋のようですが、一緒の経営者だと思います。
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亀岡のゆるきゃらは、「明智かめまる」。お店の中で見つけました。
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