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ブルガリア~イスタンブール旅行9日目(イスタンブール2日目)。<br />ブルガリアの首都ソフィアから始まったこの旅もいよいよ最終日です。<br /><br />まずはアヤソフィアと並ぶイスタンブール旧市街の見逃せない観光スポット、“ブルーモスク”ことスルタンアフメット・ジャーミィを訪問し、“世界一美しいモスクのひとつ”と言われるほどのその壮麗なイズニック・タイルの内装を堪能。<br /><br />その後は真夏の灼熱の日射しを避け、トプカプ宮殿脇の古代の美術品をコレクションした考古学博物館を見学。<br /><br />最後にイスタンブールの巨大マーケット、グランド・バザールを少しだけ巡った後、帰国の途に着きます。<br /><br />・・・たった一日半では世界の大観光都市イスタンブールを巡るにはとても時間が足りず、急ぎ足の観光になってしまいました。<br /><br />それでも、アヤソフィアやガラタ塔などでは、遥か古代から続くこの街の数奇な歴史に思いを馳せ、時空の旅も満喫できたイスタンブール初訪問となりました。<br /><br />いつかまた、今度はブルガリアからの横断の旅ではなく、カッパドキアやエフェスなどアナトリアの大地を巡る旅とあわせて、歴史あるこの大観光都市を再訪してみたいですね。<br /><br /><旅程表><br /> 2012年<br /> 8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア<br /> 8月11日(土) ソフィア<br /> 8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア<br /> 8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ<br /> 8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ<br /> 8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス<br /> 8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→<br /> 8月17日(金) →イスタンブール<br />○8月18日(土) イスタンブール→<br /> 8月19日(日) →ソウル→成田

ブルガリア~イスタンブール紀行(10) スルタンアフメット・ジャーミィと考古学博物館~大観光都市イスタンブールの思い出

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2012/08/18 - 2012/08/18

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10

56

エンリケ

エンリケさん

ブルガリア~イスタンブール旅行9日目(イスタンブール2日目)。
ブルガリアの首都ソフィアから始まったこの旅もいよいよ最終日です。

まずはアヤソフィアと並ぶイスタンブール旧市街の見逃せない観光スポット、“ブルーモスク”ことスルタンアフメット・ジャーミィを訪問し、“世界一美しいモスクのひとつ”と言われるほどのその壮麗なイズニック・タイルの内装を堪能。

その後は真夏の灼熱の日射しを避け、トプカプ宮殿脇の古代の美術品をコレクションした考古学博物館を見学。

最後にイスタンブールの巨大マーケット、グランド・バザールを少しだけ巡った後、帰国の途に着きます。

・・・たった一日半では世界の大観光都市イスタンブールを巡るにはとても時間が足りず、急ぎ足の観光になってしまいました。

それでも、アヤソフィアやガラタ塔などでは、遥か古代から続くこの街の数奇な歴史に思いを馳せ、時空の旅も満喫できたイスタンブール初訪問となりました。

いつかまた、今度はブルガリアからの横断の旅ではなく、カッパドキアやエフェスなどアナトリアの大地を巡る旅とあわせて、歴史あるこの大観光都市を再訪してみたいですね。

<旅程表>
 2012年
 8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア
 8月11日(土) ソフィア
 8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア
 8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ
 8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ
 8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス
 8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→
 8月17日(金) →イスタンブール
○8月18日(土) イスタンブール→
 8月19日(日) →ソウル→成田

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
3.0
ショッピング
3.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
鉄道 徒歩
航空会社
アシアナ航空 アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 8月18日(土)<br />ブルガリアの首都ソフィアから始まった今回の旅も、この日がいよいよ最終日。<br /><br />早朝7時、イスタンブール旧市街スルタンアフメット広場近くの宿、レディ・ダイアナ・ホテル最上階のレストランにて、まずは腹ごしらえ。<br /><br />このホテルは最上階からアヤソフィアとスルタンアフメット・ジャーミィを見渡せることを売りにしており、朝早くからこれらイスタンブール最大の観光スポットを眺めながらの食事という贅沢なひとときを過ごせます。

    8月18日(土)
    ブルガリアの首都ソフィアから始まった今回の旅も、この日がいよいよ最終日。

    早朝7時、イスタンブール旧市街スルタンアフメット広場近くの宿、レディ・ダイアナ・ホテル最上階のレストランにて、まずは腹ごしらえ。

    このホテルは最上階からアヤソフィアとスルタンアフメット・ジャーミィを見渡せることを売りにしており、朝早くからこれらイスタンブール最大の観光スポットを眺めながらの食事という贅沢なひとときを過ごせます。

  • 朝食はビュッフェ形式でこんな感じ。<br /><br />さすが今回の旅でいちばん高いホテルだけあって(笑)、トマトやフルーツ、ジュースなどどれも美味しかったですが、特にミルクティーがインドのチャイを思い出すようなジンジャーの効いた濃厚な味で、何杯もおかわりしてしまうほどハマってしまいました。

    朝食はビュッフェ形式でこんな感じ。

    さすが今回の旅でいちばん高いホテルだけあって(笑)、トマトやフルーツ、ジュースなどどれも美味しかったですが、特にミルクティーがインドのチャイを思い出すようなジンジャーの効いた濃厚な味で、何杯もおかわりしてしまうほどハマってしまいました。

  • 朝食後、レストランの外のテラスに出て、アヤソフィアとスルタンアフメット・ジャーミィをパチリ。<br /><br />向こうにはボスポラス海峡とアジア側のユスキュダル地区も見渡せます。<br /><br />このテラスで朝食をとってもよかったですね(笑)。<br /><br />朝のこの時間帯は逆光になってしまっていますが、それでも素晴らしい眺めです。<br /><br />・・・とここで何枚か写真を撮っていたら、食事をしていた欧米系の小さいお子さん連れの家族から、スマホで写真を撮ってくれないかと頼まれました。<br /><br />今はもうちゃんとしたカメラでなく、スマホで記念撮影をする時代なんですね。<br /><br />時の流れは速いものです・・・。

    朝食後、レストランの外のテラスに出て、アヤソフィアとスルタンアフメット・ジャーミィをパチリ。

    向こうにはボスポラス海峡とアジア側のユスキュダル地区も見渡せます。

    このテラスで朝食をとってもよかったですね(笑)。

    朝のこの時間帯は逆光になってしまっていますが、それでも素晴らしい眺めです。

    ・・・とここで何枚か写真を撮っていたら、食事をしていた欧米系の小さいお子さん連れの家族から、スマホで写真を撮ってくれないかと頼まれました。

    今はもうちゃんとしたカメラでなく、スマホで記念撮影をする時代なんですね。

    時の流れは速いものです・・・。

  • 朝食後、部屋に戻りテレビを見ていたら、香港の活動家が沖縄県の尖閣諸島に上陸して青天白日満地紅旗(中華民国の国旗)を振っているニュースが放映されていました。<br /><br />韓国の李明博大統領の島根県竹島上陸や同国オリンピック男子サッカー代表のプラカード事件もそうですが、終戦記念日を含むこの旅行の間、日本と隣国との関係を悪化させる大事件が進行していたんですね・・・。<br /><br />この事件をきっかけに近年で最悪となった隣国との関係が現在(2013年4月)も続いているだけに、本当に大変な時に旅行をしていたものです。<br /><br /><br />・・・さて、明日帰るべき日本のことが心配ではありましたが、9時にホテルをチェックアウトし、フロントに荷物を預けて(と言っても他の宿泊者の荷物と一緒にそこらに置いておくよう指示されただけ)、17時30分の飛行機の時間まで、イスタンブールを楽しむべく最後の街歩きへ。<br /><br />前日の夜にスルタンアフメット広場とヒッポドローム(ローマ帝国時代の大競技場跡)を賑わしていた屋台は、ラマザン最終日となるこの日は夕方まで閉店中。<br /><br />代わりに真面目な外国人観光客たちがあちこちで記念撮影をしたりして、朝早くからこのあたりを賑わしています。<br /><br />写真の奥に見えるのはイスタンブール到着時に目にしたテオドシウス1世のオベリスクですが、手前にある、まるで地の底から生えてきたような、奇妙ならせん状のかたちをしたものは、“蛇の柱”という記念碑。<br /><br />これはもともと、アテネをはじめとする古代ギリシャ諸都市が、ペルシア戦争でのプラタイアの戦い(BC479年)の勝利を記念し、ペルシア兵の青銅の盾を溶かしてデルフィのアポロン神殿につくったとされているもので、3匹の蛇が絡み合った姿が表現されています。<br /><br />その後、ローマ帝国時代のコンスタンティヌス大帝が、330年にここビュザンティオン(コンスタンティノープル)に遷都するにあたって、新首都のイメージを高めるため、デルフィから取り寄せたと言われています。<br /><br />この柱の頂上部には、かつて3匹の蛇の頭に支えられた黄金の玉があったのですが、悪名高き第4回十字軍(1204年)により破壊または略奪されてしまったそうです・・・。

    朝食後、部屋に戻りテレビを見ていたら、香港の活動家が沖縄県の尖閣諸島に上陸して青天白日満地紅旗(中華民国の国旗)を振っているニュースが放映されていました。

    韓国の李明博大統領の島根県竹島上陸や同国オリンピック男子サッカー代表のプラカード事件もそうですが、終戦記念日を含むこの旅行の間、日本と隣国との関係を悪化させる大事件が進行していたんですね・・・。

    この事件をきっかけに近年で最悪となった隣国との関係が現在(2013年4月)も続いているだけに、本当に大変な時に旅行をしていたものです。


    ・・・さて、明日帰るべき日本のことが心配ではありましたが、9時にホテルをチェックアウトし、フロントに荷物を預けて(と言っても他の宿泊者の荷物と一緒にそこらに置いておくよう指示されただけ)、17時30分の飛行機の時間まで、イスタンブールを楽しむべく最後の街歩きへ。

    前日の夜にスルタンアフメット広場とヒッポドローム(ローマ帝国時代の大競技場跡)を賑わしていた屋台は、ラマザン最終日となるこの日は夕方まで閉店中。

    代わりに真面目な外国人観光客たちがあちこちで記念撮影をしたりして、朝早くからこのあたりを賑わしています。

    写真の奥に見えるのはイスタンブール到着時に目にしたテオドシウス1世のオベリスクですが、手前にある、まるで地の底から生えてきたような、奇妙ならせん状のかたちをしたものは、“蛇の柱”という記念碑。

    これはもともと、アテネをはじめとする古代ギリシャ諸都市が、ペルシア戦争でのプラタイアの戦い(BC479年)の勝利を記念し、ペルシア兵の青銅の盾を溶かしてデルフィのアポロン神殿につくったとされているもので、3匹の蛇が絡み合った姿が表現されています。

    その後、ローマ帝国時代のコンスタンティヌス大帝が、330年にここビュザンティオン(コンスタンティノープル)に遷都するにあたって、新首都のイメージを高めるため、デルフィから取り寄せたと言われています。

    この柱の頂上部には、かつて3匹の蛇の頭に支えられた黄金の玉があったのですが、悪名高き第4回十字軍(1204年)により破壊または略奪されてしまったそうです・・・。

  • 続いて、アヤソフィアと並ぶイスタンブール旧市街の代表的建築物、ブルーモスクことスルタンアフメット・ジャーミィへ。<br /><br />ヒッポドロームに大勢の観光客が溜まっていたので嫌な予感がありましたが、案の定、ヒッポドロームから続く入口には、アジア系の団体観光客を中心に長い行列ができていました・・・。

    続いて、アヤソフィアと並ぶイスタンブール旧市街の代表的建築物、ブルーモスクことスルタンアフメット・ジャーミィへ。

    ヒッポドロームに大勢の観光客が溜まっていたので嫌な予感がありましたが、案の定、ヒッポドロームから続く入口には、アジア系の団体観光客を中心に長い行列ができていました・・・。

  • 途中、階段を上がり、20分ほど並んだ後の9時20分、靴を脱いで(ビニール袋を渡されます。)ようやくモスクの中へ。<br /><br />入った途端、大ドームとアーチが連なる巨大な空間と、青を基調とした幾何学模様のイズニック・タイルで彩られたその壮麗な内装に圧倒されます・・・。<br /><br />さすが“世界でも最も美しいモスクのひとつ”と言われるだけのことはあります。<br /><br />オスマン帝国第14代スルタンのアフメット1世が、帝国史上最大の建築家であるミマール・スィナンの弟子、メフメト・アーに1609年から7年の歳月をかけて作らせた、オスマン様式のモスクの最高傑作です。<br /><br /><br />・・・ちなみにこのスルタンアフメット・ジャーミィ、異教徒の外国人に対しても、入場料はかかりません(寄附歓迎)。<br /><br />モスクでも入場料が必要なエジプトと違ってトルコは太っ腹(笑)。<br /><br />(エジプト紀行(6)ガーマ・スルタン・ハサンの入場料)<br />http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/21041568/

    途中、階段を上がり、20分ほど並んだ後の9時20分、靴を脱いで(ビニール袋を渡されます。)ようやくモスクの中へ。

    入った途端、大ドームとアーチが連なる巨大な空間と、青を基調とした幾何学模様のイズニック・タイルで彩られたその壮麗な内装に圧倒されます・・・。

    さすが“世界でも最も美しいモスクのひとつ”と言われるだけのことはあります。

    オスマン帝国第14代スルタンのアフメット1世が、帝国史上最大の建築家であるミマール・スィナンの弟子、メフメト・アーに1609年から7年の歳月をかけて作らせた、オスマン様式のモスクの最高傑作です。


    ・・・ちなみにこのスルタンアフメット・ジャーミィ、異教徒の外国人に対しても、入場料はかかりません(寄附歓迎)。

    モスクでも入場料が必要なエジプトと違ってトルコは太っ腹(笑)。

    (エジプト紀行(6)ガーマ・スルタン・ハサンの入場料)
    http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/21041568/

  • 後から入ってきた観光客たちも、足を踏み入れた途端、圧倒されて写真を撮りまくりです(笑)。

    後から入ってきた観光客たちも、足を踏み入れた途端、圧倒されて写真を撮りまくりです(笑)。

  • 高さ約43m、直径約24mの大ドームの内装は見とれるほどの美しさ・・・。<br /><br /><br />大ドームを支える4本の柱はそれぞれ直径5mもあり、その巨大さに圧倒されます。

    高さ約43m、直径約24mの大ドームの内装は見とれるほどの美しさ・・・。


    大ドームを支える4本の柱はそれぞれ直径5mもあり、その巨大さに圧倒されます。

  • 大ドーム下部のアーチも、イズニック・タイルの美しい幾何学模様でびっちりです。

    大ドーム下部のアーチも、イズニック・タイルの美しい幾何学模様でびっちりです。

  • 小ドームの下部にあるムカルナス(イスラム建築に見られる鍾乳石のような有機的な襞をもったくぼみ)もまた見事。

    小ドームの下部にあるムカルナス(イスラム建築に見られる鍾乳石のような有機的な襞をもったくぼみ)もまた見事。

  • メッカを示す南東の方角にはもちろんミフラーブとミンバルが。<br /><br /><br />・・・こちら側にはムスリムの方がいつでも礼拝できるよう柵が設けられており、観光客が近づけないようになっていました。

    メッカを示す南東の方角にはもちろんミフラーブとミンバルが。


    ・・・こちら側にはムスリムの方がいつでも礼拝できるよう柵が設けられており、観光客が近づけないようになっていました。

  • 上ばかり見ていましたが、床に敷いてある絨毯もこんな花の模様が織り込まれており鮮やか。

    上ばかり見ていましたが、床に敷いてある絨毯もこんな花の模様が織り込まれており鮮やか。

  • 最後に出口付近から大勢いる観光客も含めてパチリ。<br /><br />スルタンアフメット・ジャーミィの内部はこの53m×51mのひとつの空間しかなく、わずか10分ほどの見学でしたが、アヤソフィアを模倣したその力強い建築様式と、幾何学模様を配したイズニック・タイルの大装飾に圧倒。<br /><br />見学時間は長いものの、メインとなる建物がなく、単調な展示が多くてメリハリのなかったトプカプ宮殿よりも、ずっと印象に残るものとなりました。

    最後に出口付近から大勢いる観光客も含めてパチリ。

    スルタンアフメット・ジャーミィの内部はこの53m×51mのひとつの空間しかなく、わずか10分ほどの見学でしたが、アヤソフィアを模倣したその力強い建築様式と、幾何学模様を配したイズニック・タイルの大装飾に圧倒。

    見学時間は長いものの、メインとなる建物がなく、単調な展示が多くてメリハリのなかったトプカプ宮殿よりも、ずっと印象に残るものとなりました。

  • 9時30分、入口の向かい、アヤソフィア側にある出口からモスクの外へ。<br /><br />スルタンアフメット・ジャーミィは“ブルーモスク”と呼ばれるものの、こうして至近距離で見てみると、外壁は真っ白ですね。<br /><br />“ブルー”とは外壁ではなく内壁のイズニック・タイルであるということは、内部を見学してみないと勘違いしてしまいますよね。

    9時30分、入口の向かい、アヤソフィア側にある出口からモスクの外へ。

    スルタンアフメット・ジャーミィは“ブルーモスク”と呼ばれるものの、こうして至近距離で見てみると、外壁は真っ白ですね。

    “ブルー”とは外壁ではなく内壁のイズニック・タイルであるということは、内部を見学してみないと勘違いしてしまいますよね。

  • さて、礼拝の場としてのモスクの重要な要素である中庭も見学しようとしたところ、入口が閉鎖されているせいか、観光客は誰ひとり興味をもってこちらにやってこようとはしません。<br /><br />みんなイスラム建築の構造を分かっていない・・・悲しいですね。<br /><br />なぜ閉鎖されているのか、中をのぞいてみると、水をまいて掃除をしている最中だったようです。<br /><br />当分終わりそうもないので、諦めて次へ行くことにします。

    さて、礼拝の場としてのモスクの重要な要素である中庭も見学しようとしたところ、入口が閉鎖されているせいか、観光客は誰ひとり興味をもってこちらにやってこようとはしません。

    みんなイスラム建築の構造を分かっていない・・・悲しいですね。

    なぜ閉鎖されているのか、中をのぞいてみると、水をまいて掃除をしている最中だったようです。

    当分終わりそうもないので、諦めて次へ行くことにします。

  • スルタンアフメット・ジャーミィの出口からそのまま真っ直ぐ進むとアヤソフィア。<br /><br />昇りゆく太陽に照らされ、この日も壮麗な姿を披露してくれています。

    スルタンアフメット・ジャーミィの出口からそのまま真っ直ぐ進むとアヤソフィア。

    昇りゆく太陽に照らされ、この日も壮麗な姿を披露してくれています。

  • そして振り返るとスルタンアフメット・ジャーミィ。<br /><br />白く輝く姿が高貴な印象です。

    そして振り返るとスルタンアフメット・ジャーミィ。

    白く輝く姿が高貴な印象です。

  • 次はどこへ行こうかと考えましたが、前日の経験から、真夏の灼熱の気候の下では、街なかを歩きまわるのは体力の消耗が激しく危険と判断し、屋内展示のある博物館系のスポットに行くことに。<br /><br />アヤソフィアの後ろ、トプカプ宮殿脇にある考古学博物館へ向かうことにします。<br /><br />道すがら、あまり写真では見かけない、アヤソフィアのアプス側(ミフラーブ側)をパチリ。<br /><br />アヤソフィアのピンクの外壁と青い空とのコントラストが美しいですね。

    次はどこへ行こうかと考えましたが、前日の経験から、真夏の灼熱の気候の下では、街なかを歩きまわるのは体力の消耗が激しく危険と判断し、屋内展示のある博物館系のスポットに行くことに。

    アヤソフィアの後ろ、トプカプ宮殿脇にある考古学博物館へ向かうことにします。

    道すがら、あまり写真では見かけない、アヤソフィアのアプス側(ミフラーブ側)をパチリ。

    アヤソフィアのピンクの外壁と青い空とのコントラストが美しいですね。

  • 考古学博物館はトプカプ宮殿の建物を改装して建てられたものであるため、宮殿を取り囲む城壁の中にあります。<br /><br />前日と同様に、トプカプ宮殿の皇帝の門をくぐって第一の中庭へ。

    考古学博物館はトプカプ宮殿の建物を改装して建てられたものであるため、宮殿を取り囲む城壁の中にあります。

    前日と同様に、トプカプ宮殿の皇帝の門をくぐって第一の中庭へ。

  • 考古学博物館は第一の中庭の園路を左に進んですぐのところにあります。<br /><br />途中、看板のオケアヌス像と並んでポーズを決めているネコちゃんがいたので思わずパチリ。<br /><br />看板の中の彫刻を意識しているのか分かりませんが、りりしく見えますね(笑)。

    考古学博物館は第一の中庭の園路を左に進んですぐのところにあります。

    途中、看板のオケアヌス像と並んでポーズを決めているネコちゃんがいたので思わずパチリ。

    看板の中の彫刻を意識しているのか分かりませんが、りりしく見えますね(笑)。

  • 看板の反対側の建物には、なぜか格子窓に閉じ込められた(?)ネコちゃんが。<br /><br />イスタンブールはネコ好きの人が多い街なのだそうで、このように人懐こいネコちゃんたちをあちらこちらで目にする機会も多いです。<br /><br />同時に野良犬も多いそうなのですが、この旅行期間中、まったく見かけることはありませんでした・・・。

    看板の反対側の建物には、なぜか格子窓に閉じ込められた(?)ネコちゃんが。

    イスタンブールはネコ好きの人が多い街なのだそうで、このように人懐こいネコちゃんたちをあちらこちらで目にする機会も多いです。

    同時に野良犬も多いそうなのですが、この旅行期間中、まったく見かけることはありませんでした・・・。

  • 10時、考古学博物館(Istanbul Arkeoloji Muzeleri)に入場(10TL=450円)。<br /><br />もともとは1869年、トプカプ宮殿内のアヤ・イリニ教会に“帝国博物館”として設立されたもので、1881年に館長に就任したトルコ考古学の父、オスマン・ハムディによって拡張がなされ、現在の本館がオープンしました。<br /><br />オスマン・ハムディはそれまで欧米列強によって国外に持ち出されていた発掘品の散逸を防ぐため、その収蔵施設としてこの博物館を整備したのだそうです。<br /><br />現在の収蔵品は古代メソポタミアからヒッタイト、ギリシャ、ローマを経てオスマン帝国時代のものまで10万点余りにも及び、建物自体も、博物館を目的に建設されたものとしてはトルコ最古となる歴史的建造物となっています。<br /><br />【イスタンブール考古学博物館(英語版)】<br />http://www.istanbularkeoloji.gov.tr/main_page

    10時、考古学博物館(Istanbul Arkeoloji Muzeleri)に入場(10TL=450円)。

    もともとは1869年、トプカプ宮殿内のアヤ・イリニ教会に“帝国博物館”として設立されたもので、1881年に館長に就任したトルコ考古学の父、オスマン・ハムディによって拡張がなされ、現在の本館がオープンしました。

    オスマン・ハムディはそれまで欧米列強によって国外に持ち出されていた発掘品の散逸を防ぐため、その収蔵施設としてこの博物館を整備したのだそうです。

    現在の収蔵品は古代メソポタミアからヒッタイト、ギリシャ、ローマを経てオスマン帝国時代のものまで10万点余りにも及び、建物自体も、博物館を目的に建設されたものとしてはトルコ最古となる歴史的建造物となっています。

    【イスタンブール考古学博物館(英語版)】
    http://www.istanbularkeoloji.gov.tr/main_page

  • 敷地内はこんなふうに緑が生い茂り、いい雰囲気です。<br /><br />右側が1891年にオープンした本館。

    敷地内はこんなふうに緑が生い茂り、いい雰囲気です。

    右側が1891年にオープンした本館。

  • 本館の入口を正面からパチリ。<br /><br />額にアラビア文字こそ刻まれていますが、古代ギリシャのイオニア風の建築様式になっています。<br /><br />1843年から1859年にかけて造られた新宮殿のドルマバフチェ宮殿といい、オスマン帝国もその末期にはかなりヨーロッパ化していたんですね。<br /><br />バルカン半島から小アジアにかけての支配領域はかつての古代ギリシャ・ローマ文明の影響が及んだ地域と重なり、この博物館に収蔵されているようなその当時の遺品も続々と発掘されていたので、当然といえば当然なのかもしれませんが。

    本館の入口を正面からパチリ。

    額にアラビア文字こそ刻まれていますが、古代ギリシャのイオニア風の建築様式になっています。

    1843年から1859年にかけて造られた新宮殿のドルマバフチェ宮殿といい、オスマン帝国もその末期にはかなりヨーロッパ化していたんですね。

    バルカン半島から小アジアにかけての支配領域はかつての古代ギリシャ・ローマ文明の影響が及んだ地域と重なり、この博物館に収蔵されているようなその当時の遺品も続々と発掘されていたので、当然といえば当然なのかもしれませんが。

  • 古代ギリシャ・ローマ時代の作品が多く収められている本館は後にして、まずは敷地内に入ってすぐ左側にある古代オリエント博物館から見て回ります。<br /><br />この博物館には、当時オスマン帝国領であった現在のイラクから出土した、古代メソポタミア文明の遺産が主に展示されています。<br /><br />写真は新バビロニア王国(BC625−BC539年)最盛期の王、ネブカドネザル2世(Nebchadnezzar ?、在位:BC604−BC562年)時代に、その首都バビロン(バグダッドの南約90km)にあったという“イシュタル門”(Ishtar Gate)から続く行進の道の“ライオンのレリーフ”。<br /><br />“肥沃な三日月地帯”と言われるほどの平野地帯で建設に適した石材が少ないため、土の文化が発達したメソポタミア文明伝統のレンガを組み合わせてつくった装飾品です。<br /><br />交易で手に入れたと思われる鉱石のラピスラズリを使った当時の青い色彩が復元されています。<br /><br />“イシュタル”とは後のギリシャ神話のアテナに転化したとも言われる戦争の女神であったことから、この門や行進の道は当時の王の武力を誇示する軍事パレード用に使われたのでしょう。

    古代ギリシャ・ローマ時代の作品が多く収められている本館は後にして、まずは敷地内に入ってすぐ左側にある古代オリエント博物館から見て回ります。

    この博物館には、当時オスマン帝国領であった現在のイラクから出土した、古代メソポタミア文明の遺産が主に展示されています。

    写真は新バビロニア王国(BC625−BC539年)最盛期の王、ネブカドネザル2世(Nebchadnezzar ?、在位:BC604−BC562年)時代に、その首都バビロン(バグダッドの南約90km)にあったという“イシュタル門”(Ishtar Gate)から続く行進の道の“ライオンのレリーフ”。

    “肥沃な三日月地帯”と言われるほどの平野地帯で建設に適した石材が少ないため、土の文化が発達したメソポタミア文明伝統のレンガを組み合わせてつくった装飾品です。

    交易で手に入れたと思われる鉱石のラピスラズリを使った当時の青い色彩が復元されています。

    “イシュタル”とは後のギリシャ神話のアテナに転化したとも言われる戦争の女神であったことから、この門や行進の道は当時の王の武力を誇示する軍事パレード用に使われたのでしょう。

  • こちらも行進の道を彩った装飾の一部。<br /><br />上部の角がある四本足の細長い竜のような動物は“ムシュフシュ”。<br /><br />古代メソポタミアの都市神マルドゥクに仕える随獣とされています。<br /><br />その下のユニコーンのように見える一角獣は“オーロックス”で、こちらは当時実在し、現在は絶滅した原始の家畜牛とされています。<br /><br />ベルリンのペルガモン博物館に持ち去られて復元されたイシュタル門ほど立派な展示ではありませんが、ベルリンよりも距離、気候ともに発掘地のバビロンに近いことで、観ている者に遥か古代メソポタミア文明への想像をかき立てさせてくれます。<br /><br />・・・メソポタミア文明に興味を持つ人にとって、現在のイラクが政情不安で旅行が難しい中、その遺品を多数収めているこの博物館は本当に貴重な存在ですね。

    こちらも行進の道を彩った装飾の一部。

    上部の角がある四本足の細長い竜のような動物は“ムシュフシュ”。

    古代メソポタミアの都市神マルドゥクに仕える随獣とされています。

    その下のユニコーンのように見える一角獣は“オーロックス”で、こちらは当時実在し、現在は絶滅した原始の家畜牛とされています。

    ベルリンのペルガモン博物館に持ち去られて復元されたイシュタル門ほど立派な展示ではありませんが、ベルリンよりも距離、気候ともに発掘地のバビロンに近いことで、観ている者に遥か古代メソポタミア文明への想像をかき立てさせてくれます。

    ・・・メソポタミア文明に興味を持つ人にとって、現在のイラクが政情不安で旅行が難しい中、その遺品を多数収めているこの博物館は本当に貴重な存在ですね。

  • こちらは新バビロニアよりも遥かに古い、紀元前2000年前後の楔形文字が刻まれた粘土板の数々。<br /><br />上段真ん中はメソポタミア文明の最初の担い手であるシュメール人の王朝、ウル第三王朝時代に、その最初の王であるウルナンム王(BC2112−BC2095年)が発布したとされる世界最古の法典、“ウルナンム法典”が刻まれた粘土板(ニップル出土)。<br /><br />その右はシュメール人を追いやってイラク南部に建国したセム系アムル人の王国、古バビロニアのハンムラビ王がBC1790年頃編纂したと言われる、“目には目を、歯には歯を”で有名な“ハンムラビ法典”(ニップル出土)。<br /><br />そして下段右は、ウル第三王朝の第4代シュ・シン王時代(BC2037−2029年)の、“世界最古の愛の詩”が刻まれているという粘土板。<br /><br />中学生時代に教科書で習った楔形文字の現物に、しばらく釘づけです・・・。<br /><br />ちなみにこれらは紀元前2000年前後当時のオリジナルの粘土板ではなく、ずっと後のアッシリアなどのセム系王朝時代のもの。<br /><br />われわれが飛鳥時代の大宝律令や中国の唐の時代の漢詩を勉強するように、アッシリア人たちも遥か昔の古バビロニアの法律やシュメール人の詩などを教養として勉強していたんですね。

    こちらは新バビロニアよりも遥かに古い、紀元前2000年前後の楔形文字が刻まれた粘土板の数々。

    上段真ん中はメソポタミア文明の最初の担い手であるシュメール人の王朝、ウル第三王朝時代に、その最初の王であるウルナンム王(BC2112−BC2095年)が発布したとされる世界最古の法典、“ウルナンム法典”が刻まれた粘土板(ニップル出土)。

    その右はシュメール人を追いやってイラク南部に建国したセム系アムル人の王国、古バビロニアのハンムラビ王がBC1790年頃編纂したと言われる、“目には目を、歯には歯を”で有名な“ハンムラビ法典”(ニップル出土)。

    そして下段右は、ウル第三王朝の第4代シュ・シン王時代(BC2037−2029年)の、“世界最古の愛の詩”が刻まれているという粘土板。

    中学生時代に教科書で習った楔形文字の現物に、しばらく釘づけです・・・。

    ちなみにこれらは紀元前2000年前後当時のオリジナルの粘土板ではなく、ずっと後のアッシリアなどのセム系王朝時代のもの。

    われわれが飛鳥時代の大宝律令や中国の唐の時代の漢詩を勉強するように、アッシリア人たちも遥か昔の古バビロニアの法律やシュメール人の詩などを教養として勉強していたんですね。

  • 続いては、ウル第三王朝に滅ぼされたシュメール人の都市国家、ラガシュの王グデア(Gudea、在位:BC2141−BC2122年)の立像。<br /><br />古代のギルス市があったと思われるテルロー遺跡(イラク南部のペルシャ湾近くの遺跡)から出土されたもので、ライムストーン(石灰岩)で造られています。

    続いては、ウル第三王朝に滅ぼされたシュメール人の都市国家、ラガシュの王グデア(Gudea、在位:BC2141−BC2122年)の立像。

    古代のギルス市があったと思われるテルロー遺跡(イラク南部のペルシャ湾近くの遺跡)から出土されたもので、ライムストーン(石灰岩)で造られています。

  • この“グデア王”は、在世中にいくつもの像がつくられ、19世紀に発掘された際、英仏などの列強国に分散されたため、“世界で最も有名なシュメール人”とも言われているそうで、パリのルーヴル美術館には彼専用の部屋(グデア王の部屋)も用意されているほどです。<br /><br />この像の特徴である刈り込んだ髪型、ぱっちり開いた大きな目、縦に短い頭部、体に巻きつけるようにして着る衣服などは、現在は消え去ってしまった民族系統不明のシュメール人の特徴を表すものとしてしばしば引用されています。<br /><br />なかでもこのグデア像は、体の正面で握られている手が、とても4千年以上昔のものとは思えないほど美しく、歴史的価値だけでなく、美術的価値も高いとされています。<br /><br />・・・この古代オリエント博物館の展示がきっかけで古代メソポタミア文明に興味をもち、日本に帰ってきてから関連の書籍を読むようになりました。<br /><br />もしこの旅行記をお読みのみなさんも興味があるようであれば、その絶好の入門書として、小林登志子氏の“シュメル−人類最古の文明”(2005年中公新書)が分かりやすくておすすめですので、是非手にとってご覧になってください。<br /><br />古代メソポタミア文明の最初の担い手、シュメール人に的をしぼって書かれたものですが、当時の気候や経済、人々の世界観や宗教意識について非常に平易に解説がなされており、その後に続くセム系諸民族の興亡を読み解く上でも、理解の助けになるはずです。

    この“グデア王”は、在世中にいくつもの像がつくられ、19世紀に発掘された際、英仏などの列強国に分散されたため、“世界で最も有名なシュメール人”とも言われているそうで、パリのルーヴル美術館には彼専用の部屋(グデア王の部屋)も用意されているほどです。

    この像の特徴である刈り込んだ髪型、ぱっちり開いた大きな目、縦に短い頭部、体に巻きつけるようにして着る衣服などは、現在は消え去ってしまった民族系統不明のシュメール人の特徴を表すものとしてしばしば引用されています。

    なかでもこのグデア像は、体の正面で握られている手が、とても4千年以上昔のものとは思えないほど美しく、歴史的価値だけでなく、美術的価値も高いとされています。

    ・・・この古代オリエント博物館の展示がきっかけで古代メソポタミア文明に興味をもち、日本に帰ってきてから関連の書籍を読むようになりました。

    もしこの旅行記をお読みのみなさんも興味があるようであれば、その絶好の入門書として、小林登志子氏の“シュメル−人類最古の文明”(2005年中公新書)が分かりやすくておすすめですので、是非手にとってご覧になってください。

    古代メソポタミア文明の最初の担い手、シュメール人に的をしぼって書かれたものですが、当時の気候や経済、人々の世界観や宗教意識について非常に平易に解説がなされており、その後に続くセム系諸民族の興亡を読み解く上でも、理解の助けになるはずです。

  • 次は新アッシリア時代(BC934−BC609年)の王、シャルマネサル3世(Shalmaneser ?、在位:BC858−BC824年)の立像。<br /><br />首都であったアッシュール(バグダッドの北東約240km)の出土となっています。<br /><br />先ほどのシュメール人のグデア王とは違い、彫りの深い顔立ちや縮れたあごひげなど、現代のアラブ人にも通じるセム系民族の特徴を見出すことができます。

    次は新アッシリア時代(BC934−BC609年)の王、シャルマネサル3世(Shalmaneser ?、在位:BC858−BC824年)の立像。

    首都であったアッシュール(バグダッドの北東約240km)の出土となっています。

    先ほどのシュメール人のグデア王とは違い、彫りの深い顔立ちや縮れたあごひげなど、現代のアラブ人にも通じるセム系民族の特徴を見出すことができます。

  • 上記のシャルマネサル3世の父王であるアッシュールナシパル2世(Assurnasirhpal ?、在位:BC883−859年)時代の有翼の人間を描いたレリーフ。<br /><br />大理石製のレリーフで、古代のカルフ市(アッシュールナシパル2世が遷都)のあったイラク北部のニムルド遺跡から出土されたものです。<br /><br />ロンドン大英博物館に持ち去られた人面有翼獣などと同様、翼のある人間などの像は、アッシリア美術の特徴ともなっており、後のペルシア帝国(アケメネス朝)や古代ギリシャの神話や芸術に大きな影響を与えたと言われています。

    上記のシャルマネサル3世の父王であるアッシュールナシパル2世(Assurnasirhpal ?、在位:BC883−859年)時代の有翼の人間を描いたレリーフ。

    大理石製のレリーフで、古代のカルフ市(アッシュールナシパル2世が遷都)のあったイラク北部のニムルド遺跡から出土されたものです。

    ロンドン大英博物館に持ち去られた人面有翼獣などと同様、翼のある人間などの像は、アッシリア美術の特徴ともなっており、後のペルシア帝国(アケメネス朝)や古代ギリシャの神話や芸術に大きな影響を与えたと言われています。

  • 紀元前9世紀、シリア・ヒッタイト時代(海の民によるヒッタイト王国滅亡後のヒッタイト人による国家群)に描かれた、戦車のレリーフ。<br /><br />アナトリア半島の付け根のシリアに近いあたりのサマルから出土されたものです。<br /><br />ヒッタイトと言えば馬と鉄を用いて古代メソポタミアやエジプトを席巻したと世界史で習いましたが、まさにそのことが描かれていますね。<br /><br />これで古代オリエント博物館は終わり・・・。

    紀元前9世紀、シリア・ヒッタイト時代(海の民によるヒッタイト王国滅亡後のヒッタイト人による国家群)に描かれた、戦車のレリーフ。

    アナトリア半島の付け根のシリアに近いあたりのサマルから出土されたものです。

    ヒッタイトと言えば馬と鉄を用いて古代メソポタミアやエジプトを席巻したと世界史で習いましたが、まさにそのことが描かれていますね。

    これで古代オリエント博物館は終わり・・・。

  • 続いて本館に入って最初は、地中海沿岸の古代都市サイダ(現レバノンのシドン)のネクロポリスから出土された美術品群。<br /><br />この博物館の創設者、オスマン・ハムディ自身が1887年からその翌年にかけて行った発掘作業により発見された、石棺などの数々が展示されています。<br /><br />写真は紀元前5世紀に作られた“リキアの石棺”(Lycian Sacrophagus)。<br /><br />“リキア”とは小アジア南西部のことで、紀元前5世紀といえばアレクサンドロス大王の東征前のことですが、この石棺の写実的な人間を描いたレリーフからは、すでに古代ギリシャ文明の影響を受けていたことを見てとることができます。

    続いて本館に入って最初は、地中海沿岸の古代都市サイダ(現レバノンのシドン)のネクロポリスから出土された美術品群。

    この博物館の創設者、オスマン・ハムディ自身が1887年からその翌年にかけて行った発掘作業により発見された、石棺などの数々が展示されています。

    写真は紀元前5世紀に作られた“リキアの石棺”(Lycian Sacrophagus)。

    “リキア”とは小アジア南西部のことで、紀元前5世紀といえばアレクサンドロス大王の東征前のことですが、この石棺の写実的な人間を描いたレリーフからは、すでに古代ギリシャ文明の影響を受けていたことを見てとることができます。

  • この部屋の手前にある黒い石で造られた棺は紀元前6世紀のサイダの王、タブニトの石棺。<br /><br />サイダはかつて古代エジプトに支配されていた時期もあり、ファラオのような顔立ちをした石棺からは、エジプトの強い影響が見られます。

    この部屋の手前にある黒い石で造られた棺は紀元前6世紀のサイダの王、タブニトの石棺。

    サイダはかつて古代エジプトに支配されていた時期もあり、ファラオのような顔立ちをした石棺からは、エジプトの強い影響が見られます。

  • こちらはギリシャ彫刻の顔立ちをした女性の頭部が施されている紀元前5世紀の石棺。<br /><br />サイダはその地理的立場から、古代エジプトと古代ギリシャ両方の影響を大きく受けていたんですね。

    こちらはギリシャ彫刻の顔立ちをした女性の頭部が施されている紀元前5世紀の石棺。

    サイダはその地理的立場から、古代エジプトと古代ギリシャ両方の影響を大きく受けていたんですね。

  • この博物館の売りとなっている、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の石棺。<br /><br />棺の側面には、古代マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征における戦いのひとつ、紀元前333年のイッソスの戦いのレリーフが彫られていることからこの名が付けられましたが、実際は、当時のサイダの王アブダロニモス(Abdalonymos)のものであるようです。<br /><br />その証拠に、棺の別の側面にはアブダロニモスも参加している豹狩りの様子などが描かれています。<br /><br />また、この棺は現在は白くなっていますが、当時は極彩色で彩られていたようで、よく見ると、うっすら色が残っているのが分かると思います。<br /><br />そういえばアテネのパルテノン神殿も創建当時は極彩色だったと、NHKスペシャルで放映されていましたね。<br /><br />【NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ“白い”文明の真実(2012年7月1日放送)】<br />http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012040216SA000/

    この博物館の売りとなっている、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の石棺。

    棺の側面には、古代マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征における戦いのひとつ、紀元前333年のイッソスの戦いのレリーフが彫られていることからこの名が付けられましたが、実際は、当時のサイダの王アブダロニモス(Abdalonymos)のものであるようです。

    その証拠に、棺の別の側面にはアブダロニモスも参加している豹狩りの様子などが描かれています。

    また、この棺は現在は白くなっていますが、当時は極彩色で彩られていたようで、よく見ると、うっすら色が残っているのが分かると思います。

    そういえばアテネのパルテノン神殿も創建当時は極彩色だったと、NHKスペシャルで放映されていましたね。

    【NHKスペシャル 知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ“白い”文明の真実(2012年7月1日放送)】
    http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012040216SA000/

  • 当時の色彩を再現した模型も近くに展示されていました。<br /><br />中央の白馬に乗った人物がサイダ王アブダロニモス。<br /><br />アブダロニモスが戦死した紀元前312年のガゼ(Gazze)の戦いの様子を描いたものとされています。

    当時の色彩を再現した模型も近くに展示されていました。

    中央の白馬に乗った人物がサイダ王アブダロニモス。

    アブダロニモスが戦死した紀元前312年のガゼ(Gazze)の戦いの様子を描いたものとされています。

  • サイダの発掘品群の最後に展示されているのは、紀元前4世紀に造られた“嘆き悲しむ女たちの石棺”。<br /><br />この棺に葬られている主人の死を悼む18人の愛妾を描いたものとされています。<br /><br />こちらもうっすらと古代の彩色が残っていますね。<br /><br />しかし、自分の棺にこんなレリーフを彫ってしまうなんて、あの世へ行ってもなお自信過剰な男・・・(笑)。

    サイダの発掘品群の最後に展示されているのは、紀元前4世紀に造られた“嘆き悲しむ女たちの石棺”。

    この棺に葬られている主人の死を悼む18人の愛妾を描いたものとされています。

    こちらもうっすらと古代の彩色が残っていますね。

    しかし、自分の棺にこんなレリーフを彫ってしまうなんて、あの世へ行ってもなお自信過剰な男・・・(笑)。

  • ここでちょっと気分転換に外へ。<br /><br />本館の向かい側には考古学博物館の別館のひとつ、タイル博物館があります。<br /><br />この角張った建物の歴史は古く、コンスタンティノープルを征服したスルタン、メフメト2世が1472年に建設したチニリ・キョシュク(陶器の館)が元となっているそうです。

    ここでちょっと気分転換に外へ。

    本館の向かい側には考古学博物館の別館のひとつ、タイル博物館があります。

    この角張った建物の歴史は古く、コンスタンティノープルを征服したスルタン、メフメト2世が1472年に建設したチニリ・キョシュク(陶器の館)が元となっているそうです。

  • タイル博物館の入口のイーワーン。<br /><br />幾何学模様をしたタイル装飾と帯状のアラビア文字の配列が鮮やかですね。<br /><br />まるで現代芸術のようでもあります。

    タイル博物館の入口のイーワーン。

    幾何学模様をしたタイル装飾と帯状のアラビア文字の配列が鮮やかですね。

    まるで現代芸術のようでもあります。

  • 内部には皿や壺など、様々な種類のイズニック産の陶器が展示されていました。<br /><br />このタイル博物館、ほかの古代オリエント博物館や本館もそうですが、アヤソフィアやトプカプ宮殿と比べても見学者がそれほど多くないので、マイペースでゆっくりと見学できます。

    内部には皿や壺など、様々な種類のイズニック産の陶器が展示されていました。

    このタイル博物館、ほかの古代オリエント博物館や本館もそうですが、アヤソフィアやトプカプ宮殿と比べても見学者がそれほど多くないので、マイペースでゆっくりと見学できます。

  • 本館に戻ってヘレニズム期以降(アレクサンドロス大王の東征以降)の展示品の見学を続けます。<br /><br />写真は小アジア南西部のカリアにあった古代ギリシャ都市、ハリカルナッソス(現ボドルム)から出土した写実的なライオン像。<br /><br />アッシリアのレリーフなどにもライオン狩りをする王の姿が描かれていますが、紀元前の時代は小アジアから西アジアにかけて当たり前のようにライオンが生息していたんですね。

    本館に戻ってヘレニズム期以降(アレクサンドロス大王の東征以降)の展示品の見学を続けます。

    写真は小アジア南西部のカリアにあった古代ギリシャ都市、ハリカルナッソス(現ボドルム)から出土した写実的なライオン像。

    アッシリアのレリーフなどにもライオン狩りをする王の姿が描かれていますが、紀元前の時代は小アジアから西アジアにかけて当たり前のようにライオンが生息していたんですね。

  • こちらは神殿などの柱として使われる人の姿をした像、カリヤティド(Archaistic Caryatide)。<br /><br />紀元前1世紀、古代ローマのアウグストゥス帝時代のもので、小アジアのギリシャ植民市トラレスで出土したものです。

    こちらは神殿などの柱として使われる人の姿をした像、カリヤティド(Archaistic Caryatide)。

    紀元前1世紀、古代ローマのアウグストゥス帝時代のもので、小アジアのギリシャ植民市トラレスで出土したものです。

  • こんなふうに古代ローマ時代の石像もたくさん。<br /><br />左端の像は博物館入口の看板にも掲示されていた海流の神オケアヌス(Oceanus)。<br /><br />英語の“ocean”の起源になった神様ですね。<br /><br />ローマ帝国時代の2世紀の作品で、小アジアのエフェスから出土したものです。

    こんなふうに古代ローマ時代の石像もたくさん。

    左端の像は博物館入口の看板にも掲示されていた海流の神オケアヌス(Oceanus)。

    英語の“ocean”の起源になった神様ですね。

    ローマ帝国時代の2世紀の作品で、小アジアのエフェスから出土したものです。

  • 本館の2階はイスタンブールの歴史を展示するフロアとなっています。<br /><br />時代は遥かに下って1453年、オスマン帝国のコンスタンティノープル攻略戦の際、ビザンツ帝国側が金角湾閉鎖作戦に用いたという鉄の鎖も展示されていました。<br /><br />この鉄の鎖に遮られて金角湾侵入を拒まれたオスマン帝国の艦隊は、湾の北側にあるガラタ地区の山道に丸太を敷き詰め、油を塗って船を引き揚げ運ぶという、あの有名な“オスマン艦隊の山越え”をすることになります。<br /><br />この辺のスリリングな展開は、塩野七生氏の小説“コンスタンティノープルの陥落”に詳しいですね。

    本館の2階はイスタンブールの歴史を展示するフロアとなっています。

    時代は遥かに下って1453年、オスマン帝国のコンスタンティノープル攻略戦の際、ビザンツ帝国側が金角湾閉鎖作戦に用いたという鉄の鎖も展示されていました。

    この鉄の鎖に遮られて金角湾侵入を拒まれたオスマン帝国の艦隊は、湾の北側にあるガラタ地区の山道に丸太を敷き詰め、油を塗って船を引き揚げ運ぶという、あの有名な“オスマン艦隊の山越え”をすることになります。

    この辺のスリリングな展開は、塩野七生氏の小説“コンスタンティノープルの陥落”に詳しいですね。

  • そしてこちらが弱冠21歳にして、あの難攻不落のコンスタンティノープルを、約2か月間の攻防戦の末見事に陥落させたオスマン帝国第7代スルタン、メフメト2世(在位:1451−81年)。<br /><br />花を愛でるその仕草から、コンスタンティノープルを攻略し自信に満ち溢れる青年皇帝のナルシストぶりがよく伝わってきます(笑)。

    そしてこちらが弱冠21歳にして、あの難攻不落のコンスタンティノープルを、約2か月間の攻防戦の末見事に陥落させたオスマン帝国第7代スルタン、メフメト2世(在位:1451−81年)。

    花を愛でるその仕草から、コンスタンティノープルを攻略し自信に満ち溢れる青年皇帝のナルシストぶりがよく伝わってきます(笑)。

  • 古代ギリシャ時代から近代までのコインのコレクションも展示されていました。<br /><br />これは18世紀後半のオスマン帝国時代のコイン。<br /><br />こんなふうにアラビア文字が刻まれたコインはめったに見る機会がなく珍しいですね。<br /><br />蛇がのたうちまわっているようでもあり、なかなかの芸術性もあります。<br /><br />・・・時計を見ると、11時30分。入場してから1時間半が経過していました。<br /><br />最後は駆け足になってしまいましたが、ここらで博物館の見学を終え、次の場所に行くことにします。<br /><br />考古学博物館、思っていた以上に見ごたえがありました。<br />歴史好きにはおすすめのスポットです!

    古代ギリシャ時代から近代までのコインのコレクションも展示されていました。

    これは18世紀後半のオスマン帝国時代のコイン。

    こんなふうにアラビア文字が刻まれたコインはめったに見る機会がなく珍しいですね。

    蛇がのたうちまわっているようでもあり、なかなかの芸術性もあります。

    ・・・時計を見ると、11時30分。入場してから1時間半が経過していました。

    最後は駆け足になってしまいましたが、ここらで博物館の見学を終え、次の場所に行くことにします。

    考古学博物館、思っていた以上に見ごたえがありました。
    歴史好きにはおすすめのスポットです!

  • 博物館の中も2階はあまり冷房が効いておらず、途中から暑さが気になっていましたが、外はまた一段と灼熱の気候。<br /><br />残された観光時間で、イスタンブール名物のグランド・バザールを目指すことにします。<br /><br />アヤソフィア脇のイェレバタン通りからヌルオスマニェ通りに入って、1748年から1755年にかけて造られたという“ヌルオスマニェ・ジャーミィ”(Nuruosmaniye Camii)の門をくぐっていきます。

    博物館の中も2階はあまり冷房が効いておらず、途中から暑さが気になっていましたが、外はまた一段と灼熱の気候。

    残された観光時間で、イスタンブール名物のグランド・バザールを目指すことにします。

    アヤソフィア脇のイェレバタン通りからヌルオスマニェ通りに入って、1748年から1755年にかけて造られたという“ヌルオスマニェ・ジャーミィ”(Nuruosmaniye Camii)の門をくぐっていきます。

  • ヌルオスマニェ・ジャーミィを抜けると、そこはもうグランド・バザール(Grand Bazaar)。<br /><br />ここで記念撮影している外国人観光客も多いですが、早速このヌルオスマニェ門をくぐって中に入ります。<br /><br /><br />ちなみに、グランド・バザールはトルコ語で“カパル・チャルシュ”(Kapalicarsi、屋根付き市場)といい、征服帝メフメト2世が建築を命じ、1461年に完成した由緒ある市場です。<br /><br />現在の建物は1954年の火災の後に再建されたもので、敷地面積は約3万?、5,000軒近くの店舗がひしめく、まさにイスタンブール最大の屋根付き市場となっています。

    ヌルオスマニェ・ジャーミィを抜けると、そこはもうグランド・バザール(Grand Bazaar)。

    ここで記念撮影している外国人観光客も多いですが、早速このヌルオスマニェ門をくぐって中に入ります。


    ちなみに、グランド・バザールはトルコ語で“カパル・チャルシュ”(Kapalicarsi、屋根付き市場)といい、征服帝メフメト2世が建築を命じ、1461年に完成した由緒ある市場です。

    現在の建物は1954年の火災の後に再建されたもので、敷地面積は約3万?、5,000軒近くの店舗がひしめく、まさにイスタンブール最大の屋根付き市場となっています。

  • 市場内はこんな感じ。<br />黄色のドーム屋根が特徴的です。<br /><br />日中から地元の人やら観光客やらたくさんの人々が行き交っています。<br /><br />しかし、ところどころ人通りが途切れるところもあり、想像していたほどの混雑ぶりではありません。<br /><br />これならエジプト、カイロのハーン・ハリーリの市場の方が混雑していたような・・・イスタンブールのグランド・バザールの方が単純に道が広いからゆったりして見えるだけでしょうかね??

    市場内はこんな感じ。
    黄色のドーム屋根が特徴的です。

    日中から地元の人やら観光客やらたくさんの人々が行き交っています。

    しかし、ところどころ人通りが途切れるところもあり、想像していたほどの混雑ぶりではありません。

    これならエジプト、カイロのハーン・ハリーリの市場の方が混雑していたような・・・イスタンブールのグランド・バザールの方が単純に道が広いからゆったりして見えるだけでしょうかね??

  • 客引きもこんなふうに店の前で待機していますが、暇そうにしているところも。<br /><br />我が国の商店街のように、時代の流れで集客が難しくなっているのでしょうかね。<br /><br />わたしもいろいろ店をのぞいてみますが、もともと物欲もない方なのでそんなに買いたいものもなく・・・。<br /><br />これまでの9日間の旅で疲れがピークに達しかけていたところなので、早々に切り上げてしまいました。

    客引きもこんなふうに店の前で待機していますが、暇そうにしているところも。

    我が国の商店街のように、時代の流れで集客が難しくなっているのでしょうかね。

    わたしもいろいろ店をのぞいてみますが、もともと物欲もない方なのでそんなに買いたいものもなく・・・。

    これまでの9日間の旅で疲れがピークに達しかけていたところなので、早々に切り上げてしまいました。

  • グランド・バザールの南、トラムの走るチェンベルリタシュ駅付近の風景。<br /><br />一見ヨーロッパ風の街並みですが、奥に鉛筆のようなミナーレを持つモスク、アティク・アリ・パシャ・ジャーミィがあることが、この場所がトルコであるということを認識させてくれますね。

    グランド・バザールの南、トラムの走るチェンベルリタシュ駅付近の風景。

    一見ヨーロッパ風の街並みですが、奥に鉛筆のようなミナーレを持つモスク、アティク・アリ・パシャ・ジャーミィがあることが、この場所がトルコであるということを認識させてくれますね。

  • 12時30分、“地球の歩き方”にも載っているチェンベルリタシュ駅近くにあるカフェ、“デルヴィッシュ・カフェ”(DERVIS CAFE2)でイスタンブール最後の食事。<br /><br />暑さにまいっていたのと、空港に早めにいかなければと思っていたため、がっつり食べる余裕もなく、カフェでの軽食を選択。<br /><br />頼んだのはギョズレメ(トルコ風パンケーキ、7TL)、チャイ(紅茶、3TL)、そしてテュルク・カフヴェスィ(トルココーヒー、5TL)と、トルコ伝統の品々(計15TL=約680円)。<br /><br />チャイは英国の紅茶との違いをそれほど感じませんでしたが、コーヒーはカップからしてトルコらしく(写真上部参照)、“上澄みだけ飲む”(カップの下1/3くらいは粉)という独特の飲み方を経験することができました。<br />上澄み部分は二口程度で量も少なく、だいぶ苦かったですが(笑)。<br /><br />さすがはヨーロッパにコーヒーを伝えた国だけあって(1683年の第二次ウィーン包囲時にオスマン帝国軍が置き忘れたコーヒー豆からウィーンにコーヒー文化が広まった。)、こんなカフェでも伝統の作法が息づいています。<br /><br />ちなみに、メインのギョズレメはパサパサしていてたいした味もなく、食が進まなかったので残してしまいました。<br /><br />ラマザン中で新鮮な食材ではなかったのか、それとも店が悪かったのでしょうかね・・・。

    12時30分、“地球の歩き方”にも載っているチェンベルリタシュ駅近くにあるカフェ、“デルヴィッシュ・カフェ”(DERVIS CAFE2)でイスタンブール最後の食事。

    暑さにまいっていたのと、空港に早めにいかなければと思っていたため、がっつり食べる余裕もなく、カフェでの軽食を選択。

    頼んだのはギョズレメ(トルコ風パンケーキ、7TL)、チャイ(紅茶、3TL)、そしてテュルク・カフヴェスィ(トルココーヒー、5TL)と、トルコ伝統の品々(計15TL=約680円)。

    チャイは英国の紅茶との違いをそれほど感じませんでしたが、コーヒーはカップからしてトルコらしく(写真上部参照)、“上澄みだけ飲む”(カップの下1/3くらいは粉)という独特の飲み方を経験することができました。
    上澄み部分は二口程度で量も少なく、だいぶ苦かったですが(笑)。

    さすがはヨーロッパにコーヒーを伝えた国だけあって(1683年の第二次ウィーン包囲時にオスマン帝国軍が置き忘れたコーヒー豆からウィーンにコーヒー文化が広まった。)、こんなカフェでも伝統の作法が息づいています。

    ちなみに、メインのギョズレメはパサパサしていてたいした味もなく、食が進まなかったので残してしまいました。

    ラマザン中で新鮮な食材ではなかったのか、それとも店が悪かったのでしょうかね・・・。

  • デルヴィッシュ・カフェの店内の様子。<br /><br />ラマザン中だからか閑散としており、食事をしているのはもちろん外国人観光客のわたしだけ。<br /><br />右端にはパイプをくわえて水タバコを楽しんでいる人もいます。<br /><br />ラマザン中でもタバコはOKなんですね・・・。

    デルヴィッシュ・カフェの店内の様子。

    ラマザン中だからか閑散としており、食事をしているのはもちろん外国人観光客のわたしだけ。

    右端にはパイプをくわえて水タバコを楽しんでいる人もいます。

    ラマザン中でもタバコはOKなんですね・・・。

  • 13時、ホテルに戻って荷物をピックアップ、チェンベルリタシュ駅からトラムに乗り、途中、車窓からテオドシウスの城壁を眺めながら終点のゼイティンブルヌ駅へ。<br /><br />そこから地下鉄に乗り換え、14時30分、アタテュルク空港到着(運賃は各2TL(90円)で、スルタンアフメット地区からの所要時間は1時間程度)。<br /><br />意外に(?)魅力的な店が少ない空港で暇を持て余し(ファストフードばかりできちんとしたトルコ料理の店はありません。土産屋も高かったりとイマイチで、空港に来る前に市内で買っておくべき。)、少し遅れた17時30分発アシアナ航空OZ108便でソウルへ。

    13時、ホテルに戻って荷物をピックアップ、チェンベルリタシュ駅からトラムに乗り、途中、車窓からテオドシウスの城壁を眺めながら終点のゼイティンブルヌ駅へ。

    そこから地下鉄に乗り換え、14時30分、アタテュルク空港到着(運賃は各2TL(90円)で、スルタンアフメット地区からの所要時間は1時間程度)。

    意外に(?)魅力的な店が少ない空港で暇を持て余し(ファストフードばかりできちんとしたトルコ料理の店はありません。土産屋も高かったりとイマイチで、空港に来る前に市内で買っておくべき。)、少し遅れた17時30分発アシアナ航空OZ108便でソウルへ。

  • これで、ブルガリアのソフィアから始まったイスタンブールまでの9日間の旅が終わりました。<br /><br />長い日程に加えて8月の真夏の時期だったせいか、7日目のネセバルあたりからは暑さにバテ気味で、イスタンブールでは食事を十分に楽しめないなど、多少悔いが残った旅でもありました。<br /><br />・・・そんなこともあって、自分の中ではトルコ旅行は終わった気がしないですね。余ったリラもそのまま持ち帰りましたし。<br /><br />いつかまた、近い将来、イスタンブールを再訪し、今回できなかった軍楽隊のコンサート観賞やボスポラス海峡クルーズなどとあわせて、エフェスやカッパドキアなどアナトリアの大地を巡る周遊の旅がしてみたいですね。<br /><br />今度は真夏ではなく、もう少し涼しい、気候のいい時期に・・・。<br /><br />(ブルガリア〜イスタンブール紀行、灼熱のイスタンブール編終わり)

    これで、ブルガリアのソフィアから始まったイスタンブールまでの9日間の旅が終わりました。

    長い日程に加えて8月の真夏の時期だったせいか、7日目のネセバルあたりからは暑さにバテ気味で、イスタンブールでは食事を十分に楽しめないなど、多少悔いが残った旅でもありました。

    ・・・そんなこともあって、自分の中ではトルコ旅行は終わった気がしないですね。余ったリラもそのまま持ち帰りましたし。

    いつかまた、近い将来、イスタンブールを再訪し、今回できなかった軍楽隊のコンサート観賞やボスポラス海峡クルーズなどとあわせて、エフェスやカッパドキアなどアナトリアの大地を巡る周遊の旅がしてみたいですね。

    今度は真夏ではなく、もう少し涼しい、気候のいい時期に・・・。

    (ブルガリア〜イスタンブール紀行、灼熱のイスタンブール編終わり)

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この旅行記へのコメント (10)

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  • うふふ♪♪さん 2016/12/19 08:31:14
    物凄い力作ですね〜。
    エンリケさんへ♪

    おはようございます。
    うふふ♪♪です。

    うふふ♪♪の城崎旅行記に投票していただき、ありがとうございます!
    エンリケさんの立派な旅行記を拝読した後では、
    自分の旅行記がだいぶ恥ずかしくなりましたが・・💦💦

    私もブルガリア〜イスタンブールへ旅行したことがあります。
    でも、エンリケさんのようにしっかりと事前学習もせず(恥)、
    英語も中1より悲惨なレベルなので、当然博物館の展示など読めず(恥・恥)・・

    エンリケさんの大作旅行記を拝読しているうちに、
    どんどん自分が恥ずかしくなりました・・💦💦・・
    あんまり観光もしなかったし・・

    プロブディフとヴェリコ・タルノヴォは行かなかった街なので、
    興味深く拝見しました♪
    プロブディフは美しい建物が多いですね。綺麗。
    歩きにくいと仰っていた石畳も見る分には情緒たっぷりです♪
    (そう言えば、ネセバルもあんな感じで歩きにくかったような。)
    ヴェリコ・タルノヴォはホテルからの景色がとても美しいです。
    私の回ったところでは、あんな美しい緑はありませんでした。

    ソフィアもイスタンブールも回ったはずなのに、
    エンリケさんの旅行記で初めて知ることがとてもたくさんありました。
    勉強になりました。ありがとうございます。

    ソフィアのアレクサンドルネフスキー寺院のイコン博物館で妙に印象的な絵がありませんでした??
    私が感じただけかなぁ??
    薄暗い部屋の中に居て、そこだけがTVでも点いているように光を放っているような感じなんです。
    他のどの絵にも特に感慨は抱かなかったのですが。
    1点だけ他の絵とは離して飾ってあったので、有名な人の手になったものなのかなぁと。
    もしやエンリケさんなら、何かご存知かと思いまして。
    すいません、他力本願で💦💦。

    自分も行ったルートなので、色々懐かしく拝見しました。
    その割には、貧しい感想しか書けなくてごめんなさい💦💦
    私は運が無かったのか、あまり親切にしてもらえたことはなかったです。
    南米やアジアなどへ旅されてるエンリケさんと違い、旅行初心者なので、とにかく「大変だった!!(←ブルガリア。イスタンブールは客引きに悩まされ、不快でした。)」と言う想いしかありません(笑)。
    (当時はエンリケさんの利用した移動のインターネットサイトが無かったのか、
     私が見つけられなかっただけなのか。
     時刻表と窓口の方(それも人が違うとまた違う。)と全部バスや電車の時刻が違うのには参りました💦
     結局、バスの運転手さんに訊くのが1番確かと最後の方になって判明しました。
     「旧東側は大変〜」と言うのが当時の感想です・苦笑。)
    それでも大変だったところほど、後で想い出は深くなるもので、
    またブルガリアに行ってみようかとも思ってます(笑)。

    素晴らしい力作をありがとうございます。

                         うふふ♪♪

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2016/12/27 01:07:46
    イスタンブールはいつか再訪してみたいですね。
    うふふ♪♪さん

    こんばんは。ブルガリア〜イスタンブール旅行記にご訪問ありがとうございます。

    うふふ♪♪さんもソフィアやイスタンブールを回られたのですね。

    イスタンブールは今ではテロの影響で行きにくい街になってしまいましたが、軍楽隊のコンサート観賞やボスポラス海峡クルーズなどやり残したことがたくさんあるので、いつかテロの問題が落ち着いたら再訪してみたいですね。

    ソフィアのイコン博物館、そんな思い出があるのですね。
    やはり宗教上のものですから、我々が容易には理解できない何か神秘的な力が宿っているのかもしれませんね。

    うふふ♪♪さんの海外旅行記も拝見してみたいものです。

    ぜひアップしてくださいね。
  • liberty-libertyさん 2013/04/25 00:24:09
    美しい芸術の数々
    エンリケさん、こんばんは!
    ようやくエンリケさんの旅行記、ゆっくり拝見することが出来ました(^o^)

    旅行記の表紙にもなっているモスクのドーム
    圧巻の美しさですね!
    あと、カーペットの色彩も♪
    青とか赤とか黄色とか
    何というか・・・・・・エキゾチックな深い色彩なんですね〜(^o^)
    本当にステキです(*^o^*)

    そして博物館の展示品
    これって紀元前の作品ばかりなんですよね(@o@)
    なんて精巧で美しい作品ばかり・・・・・
    間近でじっくり観察してみたいものです。

    今回の旅行記のシリーズは
    私はほとんど知識のない場所ばかりだったので
    毎回、ワクワクしながら読ませていただきました(^o^)
    楽しい時間を有り難うございました!

    次回はどちらへ行かれるのでしょう♪
    今後の旅行記も楽しみにしています(*^o^*)

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/05/26 19:40:19
    いつもご訪問ありがとうございます。
    liberty-libertyさん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます。

    海外の博物館は日本ほど混雑していないので、マイペースでゆっくり見て回れるところがいいですね。

    逆に、日本の博物館があれほど混むのは、日本人が衣食住足りて豊かで、人々の知識欲が旺盛というところから来るのでしょうかね。

    > 次回はどちらへ行かれるのでしょう♪

    実はこのGWにナポリに行ってまいりました。

    イスタンブール旅行記を書いているうちに、観光化が進んだ西欧の都市が懐かしくなって、急に行きたくなったところです。

    やはり、個人旅行者向けにインフラや制度が整った国はいいものですね。

    旅行記はまだ書き始めたばかりですが、よろしかったらまた遊びにきてください。
  • がりさん 2013/04/21 18:59:12
    今回も良い旅でしたね!
    エンリケさん、こんばんは!

    ブルガリアからイスタンブールへの旅、ついに完結ですね。
    エンリケさんの旅行記はいつも自分の感情や率直な感想が丁寧に描かれていて、本当に感心させられます。
    なにより、中身の濃いすごく良い旅をしてるな〜、と感じました。

    夕暮れから夜にかけてのイスタンブール、素晴らしい景色ですね。
    イスタンブールに吹く風が、こっちにまで伝わってきそうです。
    海のある街の夜景って、やっぱり素敵ですね。

    そうそう、最近は本当にスマホで記念撮影する人が増えましたよね〜。
    スマホひとつで地図も見れるし、ネットも見れる…、でかなり旅も変わりそう。
    僕も最近ようやくスマホを買ったのですが(遅すぎ??)、旅が便利になりそうな反面、あまり頼り過ぎると旅の楽しみが減ってしまいそうな気もするかなぁ…。

    大作の旅行記作成、お疲れさまでした。

    エンリケさんの次の旅がどこになるのか、想像がつかないですね〜。
    次も良い旅をされてくださいね…♪

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/04/22 00:34:17
    いつもご訪問ありがとうございます!
    がりさん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!

    一人旅だといろいろと考えることが多くて、いつもこんな長い旅行記になってしまいます・・・。

    自分の旅のスタイルを考えると、“バカンス”というより“取材旅行”ですね(笑)。

    > 夕暮れから夜にかけてのイスタンブール、素晴らしい景色ですね。
    > イスタンブールに吹く風が、こっちにまで伝わってきそうです。
    > 海のある街の夜景って、やっぱり素敵ですね。

    あのときの風の気持ちよさは今でも忘れられませんね。
    旧市街は灼熱の暑さだったから、ガラタ橋やガラタ塔に吹く風が安らぎを感じさせるものとして余計に記憶に残っているのでしょうね。

    > 僕も最近ようやくスマホを買ったのですが(遅すぎ??)、旅が便利になりそうな反面、あまり頼り過ぎると旅の楽しみが減ってしまいそうな気もするかなぁ…。

    確かに。スマホの検索機能もカーナビと同じで、事前に勉強しないから旅の記憶が薄れてしまう・・・なんてことのないようにうまく使っていきたいものですね。

    > エンリケさんの次の旅がどこになるのか、想像がつかないですね〜。
    > 次も良い旅をされてくださいね…♪

    次はGWあたりを考えているのですが、仕事も忙しくてちゃんと行けるかどうか・・・もし行けたらまた旅行記で報告します!
  • ぴぴまるさん 2013/04/21 08:25:35
    超大作がいよいよ完結なんですね。
    エンリケさま

    おはようございます。
    ぴぴまるです。
    ブルガリア〜トルコの旅行記が完結しましたね、ちょっと寂しい気もします。
    エンリケさんのはどれもそうですが超大作!で説明も分かりやすく、食い入ってしまいます。

    それにしてもトルコは魅力的な国ですね。
    わたしもいつか行きたいです。
    イスタンブールで宿泊したホテルは立地がすごいですね。
    テラスからの眺望にびっくりでした。
    イスラム文化は全くといっていいほど分からないですがモスクの美しさは必見ですね。


    次の大作にも期待しています。

    ぴぴまる。

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/04/21 23:58:12
    いつもご訪問ありがとうございます!
    ぴぴまるさん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!

    今回の旅行記は完結するまでに去年の8月から8か月もかかっただけに、自分でも終わってしまうと寂しい気持ちがしますね(笑)。

    実は最後にトランジットのソウル編があるのですけれども、本文でも触れたようにあの事件の直後で、いい思い出がなかったのでこれで終わりにしようかなと考えています。

    > それにしてもトルコは魅力的な国ですね。
    > わたしもいつか行きたいです。

    わたしも1日半ではとてもイスタンブールをまわりきれなかっただけに、早くも再訪したい気分ですね。

    余ったリラもそのまま持ち帰ってしまったので、経済成長で価値が下がる前に、今度はカッパドキアやエフェスなど、アナトリアの観光名所とともにまわってみたいものです。
  • サウスピーチさん 2013/04/18 13:52:01
    大作、お疲れ様でした!
    エンリケさん、こんにちは♪

    ブルガリア〜イスタンブール紀行もこれで終わりなんですね・・・(しみじみ)。

    10ページもの旅行記で大作でしたが、どの場所でも写真は鮮明で美しく、
    そして説明が非常に丁寧で分かりやすかったので、とても楽しめましたョ。
    どうもありがとうございました♪

    次は・・・既に計画おありですか?

    サウスピーチ :)

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/04/20 20:41:24
    いつもご訪問ありがとうございます!
    サウスピーチさん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!

    今回の旅行記は仕事が忙しかったり、好きな歴史の話にこだわりがあったりして、作成に非常に時間がかかってしまいました・・・。

    それでも、サウスピーチさんのように全部読んでくださる方がいて、本当にうれしい限りです。
    次はどこに行ってどんな旅行記をつくろうかと励みになりますね!

    > 次は・・・既に計画おありですか?

    実は今回の旅はトランジットのソウル編もあるのですが、本文でも書いた理由により、書く手がなかなか進まないところです。

    それよりも先に次の旅行記にとりかかってしまうかも・・・。

    次はGW中を考えているのですが、仕事が忙しくてどうなるか分からないので、行けたらまた旅行記で報告します!

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