2018/01/15 - 2018/01/15
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YAMAJIさん
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成田山新勝寺は、天慶3年(940年)に寛朝大僧正により、東国鎮護のお寺として開山されています。本尊は不動明王で、真言宗智山派の大本山です。戦国時代には寂れたお寺となっていましたが、江戸時代の元禄期に歌舞伎役者の市川団十郎が成田不動に帰依し、「成田屋」の屋号で芝居を打ったことから、江戸庶民の人気となり、成田参りが盛んになり、娯楽として定着していきました。こうして成田には、多くの江戸庶民が参拝に訪れ新勝寺の門前町としてお土産屋や茶店、旅籠が並び、大いに賑わいました。現在では、正月三が日には約300万人、年間約1000万人もの参拝客が訪れます。
表参道に入って来ると、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。長命泉の滝沢本店、羊羹の米屋総本店、漢方薬局の下田康生堂、おせんべいの林田本店、竹細工の藤原商店、うなぎの川豊本店、鉄砲漬の川村佐平治商店など、お土産屋を始め、食堂、お休み処、旅館などが、参道を埋め尽くします。新しい総門をくぐり、階段を登ると仁王門です。阿吽の金剛像が境内を守ります。さらに階段を登ると大本堂が目の前に、大本堂では毎朝、護摩祈祷が行われており、一般の人も参加できます。大本堂に参拝した後は、三重塔、釈迦堂、光明堂、平和大塔、成田山公園、出世稲荷神社と巡り、成田山新勝寺を後にしました。
2012/10/26 第1版
2014/02/07 第2版
2018/01/15 第3版
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成田道の地図(酒々井町境~成田駅)です。
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成田道の地図(成田駅~成田山新勝寺)
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国道51号線の酒々井町と成田市の境から散策スタートです。
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成田市場に立ち寄り、国道409号線に入っていきます。
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成田市場です。
北総地方の台所として、水産物、青果、各種食材の卸売りを行っています。一般の方の買出し、見学は、業者の仕入れが一段落した、午前7:30〜10:30ごろをお勧めします。10:30ごろを過ぎると、片付けてしまう店舗が多くなります。 -
公津勝胤寺ヶ原跡の碑です。
現在の成田市場のある土地は、元禄享保年間に、佐倉城主稲葉氏により、勝胤寺(佐倉市大佐倉にある)に寄進されたもので、公津勝胤寺ヶ原と呼ばれていました。 -
国道409号線を進むと、「並木坂」です。
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成田山発祥の地、不動塚です。
成田市並木町の金刀比羅神社内にあり、成田山の本尊の不動明王を最初に安置した所と伝わる成田山発祥の地です。天慶3年(940年)に寛朝大僧正が平将門の乱の平定と万民豊楽を祈願して、並木町公津ヶ原に仮堂を設け、京都より不動明王の御本尊を移し安置したと伝わっています。 -
不動塚です。不動明王の石仏が安置されています。
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明治17年建立の不動塚之碑です。
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金刀比羅神社です。
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並木交差点で国道51号線を渡り成田市街へ入っていきます。
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和算家飯嶋武雄の墓です。
飯島武雄は、12歳の時に既に和算の奥義を究めたといわれ、後に江戸で私塾を開設して算法を教授します。しかし不幸にして失明し帰国し、口授で和算を教え、門下生は1000人を超えたといいます。 -
一本松跡です。
成田山参道入口のこの地に、一本の松の大木がそびえていたという。この松を見た旅人は、成田に着いたことを安堵したという。残念ながら一本松は、昭和51年(1976年)枯死し伐採されました。 -
成田赤十字病院です。
昭和23年(1947年)に開設された、成田市の中核病院です。 -
一本松通りです。
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成木県道踏切でJR成田線を渡ります。
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不動ヶ岡の庚申塔です。
庚申塔は、中国より伝来した道教に由来する、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。 -
阿利那橋で京成成田線を渡ります。
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不動尊旧跡の解説板です。
江戸時代の安政5年(1858年)に、成田山新勝寺本堂(現在の釈迦堂)が完成した祭に、入仏供養の行列は本来なら並木町の不動塚から出発するはずが、不動塚があまりに遠いので、この地に不動明王を仮安置し、ここから本堂に出発したといいます。毎年7月に行われる祇園祭には、現在でも御神輿と御稚児行列は、この地から出発するならわしになっています。 -
不動尊旧跡のお地蔵様です。
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不動尊旧跡です。
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成田山護摩木山供養塔です。
成田山の護摩を焚くために材木を切り出した山を護摩木山といい、この山を寄付したことを記念して建てられたのがこの石碑です。 -
成田山護摩木山供養塔です。
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不動ヶ岡のお地蔵様です。
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花崎町の山車蔵です。
成田祇園祭は、成田に夏の訪れを告げる毎年約45万人の見物客が訪れる成田の一大イベントです。 見事な彫刻や装飾で彩られた10台の山車・屋台と御輿1台が繰り出し、3日間に渡り成田山表参道などを引き廻されます。 -
一本松通りが続きます。
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成田駅前郵便局を通過します。
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京成成田駅です。
京成成田駅とJR成田駅は、県道を挟んですぐそばに建っています。 -
JR成田駅です。
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天ぷらの三はしです。
江戸末期創業の老舗で、天ぷらとうなぎが有名です。 -
江戸ッ子寿司総本店です。
地元の人にも観光客にも人気のお寿司屋さんです。 -
店内風景です。
値段も手ごろで安心して食べられます。 -
ネタの大きさが自慢です。
1680円のおまかせ握りで、味も良しお腹もいっぱい、大満足でした。 -
江戸末期創業の蔵元で、長命泉で有名な滝沢本店です。
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店内風景です。
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表参道です。
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羊羹の米屋総本店です。
明治32年(1899年)創業の、老舗の羊羹の製造・販売店です。「なごみの米屋」として全国に知られています。 -
店内風景です。
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成田羊羹資料館です。
米屋總本店の裏にあり、羊羹の歴史に関する資料が展示されています。羊羹の原料、明治・大正時代に使っていた羊羹作りの道具や、日本各地の羊羹も展示紹介されています。 -
お不動様旧跡庭園の解説板です。
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お不動様旧跡庭園です。
米屋の工場敷地の脇に、旧跡庭園があります。このお不動様旧跡庭園は、米屋さんの創業者の遠祖にあたる方が、室町時代以降、すっかり荒れ果てた成田山、そのご本尊である不動明王を、一時的に預かって、屋敷内に祀っていた頃の名残を保存するために造られたものです。 -
成田不動尊御遷座之旧跡記念碑です。
成田山のご本尊がこの地に安置されていたことを記念し、さらに米屋がお不動様に奉仕して今日に至ったことを感謝するために建立しました。 -
不動の大井戸です。
近くに土地の人々に愛飲された霊水の湧く大井戸があり、お不動様をこの地にお遷しした諸岡三郎左衛門は、その大井戸から毎朝水を汲んでご尊像にお供えしました。現在の地にご本堂が遷ってからも、明治の中頃まで成田山から毎朝ご本尊に供える水を汲みに来ておりました。当時の大井戸は埋まってしまいましたが、諸岡家では同じ水脈より湧出する清水を枯らすことなく、故事に基づき「不動の大井戸」と称して今日に伝えてきました。 -
成田山新勝寺の「薬師堂」です。
明暦元年(1655年)の建立で、新勝寺の元本堂です。現在地には、安政2年(1855年)に移築されました。新勝寺の本堂は、薬師堂→光明堂→釈迦堂→現本堂と引き継がれています。 -
安政5年(1858年)に発行された、「成田名所図会」に表参道と「薬師堂」が描かれています。
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三橋鷹女の解説板です。
大正5年、成田高等女学校(現成田高校)を卒業後上京し、兄・慶次郎のもとに寄寓。兄の師事する与謝野晶子、若山牧水に私淑し、作歌に励みました。大正11年、歯科医師・東謙三と結婚。夫の影響で俳句に転向し、原石鼎(はらせきてい)が主宰する「鹿火かび屋」に入会し、夫と共に競詠。昭和9年、小野蕪子(ぶし)主宰の「鶏頭陣(けいとうじん)」に転じ、東鷹女と号す。同17年、長兄が病死したため、三橋家を継いで同28年、「薔薇」の同人として参加。句集に『向日葵(ひまわり)』『魚の鰭(うおのひれ)』『白骨(はっこつ)』『羊歯地獄(しだじごく)』『ぶな』。鷹女は戦後、女流俳人の中で、橋本多佳子、中村汀女、星野立子と共に、「女流俳壇の4T」と称されました。 -
三橋鷹女のブロンズ像です。
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表参道が続きます。
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漢方薬局の下田康生堂です。
患者の症状や体質に合わせて、漢方薬を調合してもらえます。 -
店内風景です。
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おせんべいの林田本店です。
大正元年(1912年)創業の、老舗のせんべいの製造・販売店です。 -
開運せんべい、串せんです。
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竹細工の藤倉商店です。
ざるや篭、ビクなどの竹細工やおひつやセイロ、臼・杵などの木工品まで、古き良き道具類を昔ながらの職人の手作りで製造・販売しています。 -
店内風景です。
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うなぎの川豊本店です。
明治43年(1910年)創業の、うなぎの老舗で、蒲焼の持ち帰りもできます。 -
店頭で鰻を割いて串に刺しています。
井戸水で活かした新鮮なうなぎを熟練の技で、割き、蒸し、焼く、そして創業以来の「秘伝のたれ」を使い仕上げます。 -
上鰻重と肝吸いで、2900円でした。
山椒を使わなかったせいか、泥臭さが残る蒲焼でした。ちょっと残念です。 -
成田観光館です。
成田詣での歴史や成田祇園会の山車2台も展示しています。また観光案内所と休憩所も兼ねています。 -
江戸中期創業の鉄砲漬で有名な川村佐平治商店です。
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店内風景です。
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大野屋旅館です。
江戸中期創業の老舗の旅館で、望楼のある現在の建物は、昭和10年(1935年)に建て替えられたもので、国の登録有形文化財です。 -
一粒丸三橋薬局です。
江戸中期創業の和漢生薬・中医漢方の専門薬局で、 「はらのくすり成田山一粒丸」を販売しています。現在の店舗は、明治3年(1870年)の大火後に再建されたもので、土蔵造り2階建て黒塗りの建物は、 国の登録有形文化財です。 -
総欅造りの「総門」です。
開山1070年記念事業として、平成19年(2007年)に仁王門下の新勝寺正門に建設されました。 -
「仁王門」です。
文政13年(1830年)の建立で、国の指定重要文化財です。八脚門で左右に金剛像が収蔵されています。 -
成田山新勝寺の「本堂」です。
成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正により、開山されました。寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を捧持し、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満されました。大任を果たされた大僧正は再びご尊像とともに都へ帰ろうとしたが、不思議にもご尊像は磐石のごとく微動だにしません、やがて「我が願いは尽きる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響きました。これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。
しかも開山以来、護摩祈祷の香煙は1日たりとも絶えることなく、その輝かしい法灯を護持継承し、わが国不動尊信仰の随一の祈願道場として、数多くの信仰を集めています。江戸時代の興隆は凄まじく、各地で参詣のための講が結成され、江戸から3泊4日の旅として手頃なレクレーションとして認知され、成田詣が定着しました。現在では、年間970万人以上の参拝客で賑わいます。特に、正月の初詣には290万人以上のお参りがあり、全国で明治神宮に次ぎ第二位です。 -
安政5年(1858年)に発行された、「成田名所図会」に成田山新勝寺の伽藍が紹介されています。
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「成田名所図会」に紹介されている、成田山新勝寺の「本坊」です。
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「三重塔」です。
正徳2年(1712年)建立で、国の指定重要文化財です。内部に五智如来が安置されています。 -
菊花展が開催中でした。
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「釈迦堂」です。
安政5年(1858年)に建立された前本堂で、昭和39年に現在地に移設された、国の指定重要文化財です。御本尊には、仏教を開かれた釈迦如来が安置されています。 -
「光明堂」です。
釈迦堂の前の本堂で元禄14年(1701年)に建立された、国の指定重要文化財です。御本尊は真言密教の根本仏である、大日如来が安置されています。 -
「平和大塔」です。
光明堂をさらに進むと、昭和59年建立の平和大塔の荘厳な姿が見えてきます。弘法大師1150年御遠忌を記念して建立され、御本尊は不動明王です。大塔の地下には、世界を代表する11名の平和への“メッセージ”が納められ、弘法大師1600年御遠忌の年である、西暦2434年に開封されます。 -
平和大塔の御本尊不動明王です。
不動明王は大日如来の化身とされ、悪魔を降伏するために恐ろしい姿をされ、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済するという役目を持っています。 -
霊光館前の道標です。
正面に「左成田道」、右側面に「此方さくらミち」、左側面に「右なめかわ道、二里半」と刻まれており、文政10年(1827年)の建立です。 -
成田山公園です。
11月中旬〜12月初旬に紅葉まつりが行われます。 -
出世稲荷そばのお地蔵様です。
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出世稲荷大明神の鳥居です。
出世稲荷の御本尊は、江戸時代に成田山を篤く信仰した佐倉藩主・稲葉丹後守によって寄進された御尊像です。「出世開運稲荷」と称されて、商売繁昌・開運成就・火伏せのご利益があると伝えられています。毎年2月の祭礼では、大法会が厳修され、特設舞台で神楽の奉納や甘酒接待が行われ、多くの善男善女で賑わいます。 -
「出世稲荷大明神」です。
現在のお堂は、明治21年に再建された総欅造りのお堂です。朱色を基調として、金色、青色、緑色の極彩色に彩られた色彩が美しく、龍や獅子のきらびやかな彫刻が施されています。お堂の正面に施された彫刻には、天女の姿が。出世稲荷の本地仏。荼枳尼天(だきにてん)です。神仏習合思想において、仏教における荼枳尼天(だきにてん)が本地仏として仏教寺院で祀らており、成田山の出世稲荷もそのひとつです。茶枳尼天とは、サンスクリット語で空を歩く者という「ダーキニー」で、元々は古代インドの農業の神様でした。インドの神話においては、人を食らう恐ろしい神様でしたが、仏教界で大日如来の霊力に心服し、白狐に跨がり豊作をもたらす善神となったと言われています。 -
出世稲荷前の道標です。
以前、酒々井町にあったものを移設しています。正面に「右成田道」、左側面に「左いんばぬま道」と刻まれており、万延2年(1861年)の建立です。
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