津島・愛西・蟹江旅行記(ブログ) 一覧に戻る
藤とサツキの花の季節、津島の歴史散策です。天王川公園の藤を見学した後、回り道をしながら津島の歴史と街並み散策を楽しみました。(ウィキペディア)

2012春、津島の歴史街並み(1/5):津島駅、麩屋町山車、重要文化財の堀田邸、津島神社

23いいね!

2012/05/06 - 2012/05/06

76位(同エリア212件中)

旅行記グループ 2012、津島の史跡・名勝巡り

0

30

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

藤とサツキの花の季節、津島の歴史散策です。天王川公園の藤を見学した後、回り道をしながら津島の歴史と街並み散策を楽しみました。(ウィキペディア)

交通手段
私鉄

PR

  • 名古屋駅から電車で到着した、名鉄の津島駅付近の光景です。乗り継ぎ時間を含めて30分ほどでした。駅の方角を振り返っての撮影です。

    名古屋駅から電車で到着した、名鉄の津島駅付近の光景です。乗り継ぎ時間を含めて30分ほどでした。駅の方角を振り返っての撮影です。

  • 駅前から5〜600メートル、左手に折れた小路の突き当たり光景です。お祭りで使われる山車のお披露目です。麩屋町の山車でした。

    イチオシ

    駅前から5〜600メートル、左手に折れた小路の突き当たり光景です。お祭りで使われる山車のお披露目です。麩屋町の山車でした。

  • 山車の上の部分のアップ光景です。津島市の公式HPには、『七切(ななきり)の山車』の山車として七つが写真紹介してありました。その内の一体です。正徳元年(1711年)、笹に提灯をつけ傘鉾を出したのが始まりとされます。

    山車の上の部分のアップ光景です。津島市の公式HPには、『七切(ななきり)の山車』の山車として七つが写真紹介してありました。その内の一体です。正徳元年(1711年)、笹に提灯をつけ傘鉾を出したのが始まりとされます。

  • 更にアップした、山車の上の人形の光景です。四体の姿がありました。この写真では右後ろの人形が隠れていますが、男女二体づつでした。

    更にアップした、山車の上の人形の光景です。四体の姿がありました。この写真では右後ろの人形が隠れていますが、男女二体づつでした。

  • ここからは、天王川公園の藤棚を見学した後の帰り道での撮影です。公園の中にあった、お子さん用の遊戯具です。

    ここからは、天王川公園の藤棚を見学した後の帰り道での撮影です。公園の中にあった、お子さん用の遊戯具です。

  • 公園の片隅に建つ、片岡春吉(1872〜1923年)のブロンズ像です。現在の岐阜県上石津町で生れ、明治25年(1892年)、津島のおさ製造販売の片岡孫三郎に見込まれ養子となり、津島の毛織物の礎を築いた人です。

    公園の片隅に建つ、片岡春吉(1872〜1923年)のブロンズ像です。現在の岐阜県上石津町で生れ、明治25年(1892年)、津島のおさ製造販売の片岡孫三郎に見込まれ養子となり、津島の毛織物の礎を築いた人です。

  • 片岡春吉(1872〜1923年)のブロンズ像のアップ光景です。家業である毛織物のコートを羽織った姿に見えます。

    片岡春吉(1872〜1923年)のブロンズ像のアップ光景です。家業である毛織物のコートを羽織った姿に見えます。

  • ブロンズ像の台座の部分のアップ光景です。『片岡春吉君之像』の文字と、その下には、羊の頭らしいブロンズ像がありました。それにしても、相当な財を成した人でしょう、立派な造りの銅像です。

    ブロンズ像の台座の部分のアップ光景です。『片岡春吉君之像』の文字と、その下には、羊の頭らしいブロンズ像がありました。それにしても、相当な財を成した人でしょう、立派な造りの銅像です。

  • 公園の出入り口横にあった花壇の花です。シランの花です。シラン(紫蘭)は、ラン科シラン属の宿根草です。小さい頃から親しんだ花の一つです。

    公園の出入り口横にあった花壇の花です。シランの花です。シラン(紫蘭)は、ラン科シラン属の宿根草です。小さい頃から親しんだ花の一つです。

  • シャガの花です。シャガ(射干、著莪、胡蝶花)は、アイリスの仲間で、アヤメ科アヤメ属の多年草です。日陰や湿気の多い場所を好みます。

    シャガの花です。シャガ(射干、著莪、胡蝶花)は、アイリスの仲間で、アヤメ科アヤメ属の多年草です。日陰や湿気の多い場所を好みます。

  • 白いスズランの花です。スズラン(鈴蘭)は、ラン科の植物ではなく、ユリ科(またはクサスギカズラ科)スズラン属に属する多年草の総称です。

    白いスズランの花です。スズラン(鈴蘭)は、ラン科の植物ではなく、ユリ科(またはクサスギカズラ科)スズラン属に属する多年草の総称です。

  • マーガレットらしい白い花です。判断に迷うのが、マーガレットとノースポールの見分け方です。一般的には、『大きく葉が春菊に似ているのがマーガレット、小型のものがノースポール』です。

    マーガレットらしい白い花です。判断に迷うのが、マーガレットとノースポールの見分け方です。一般的には、『大きく葉が春菊に似ているのがマーガレット、小型のものがノースポール』です。

  • 『堀田邸付近』の文字があった観光案内標識です。観光案内図にも記された文化遺産の町屋作りの建物です。

    『堀田邸付近』の文字があった観光案内標識です。観光案内図にも記された文化遺産の町屋作りの建物です。

  • 『堀田邸付近』の文字があった観光案内標識の横に書かれていた説明文です。江戸時代は向島(天王島)にあった町屋作りの建物が、道路拡幅により、この場所に移されたことが説明されていました。

    『堀田邸付近』の文字があった観光案内標識の横に書かれていた説明文です。江戸時代は向島(天王島)にあった町屋作りの建物が、道路拡幅により、この場所に移されたことが説明されていました。

  • 堀田邸の建物光景です。江戸時代中期、正徳年間(1711〜1716年)に建てられたとされます。古図と合わせ、昭和53年(1978年)、国の重要文化財に指定されました。玄関に〆縄がありました。

    堀田邸の建物光景です。江戸時代中期、正徳年間(1711〜1716年)に建てられたとされます。古図と合わせ、昭和53年(1978年)、国の重要文化財に指定されました。玄関に〆縄がありました。

  • 同じく、堀田邸の建物光景です。津島市は、地域文化財保全事業として、現在の敷地を購入し、移築する建物を堀田家より寄贈を受けました。平成8年3月に市の所有となり、有料で見学用に開放されています。

    同じく、堀田邸の建物光景です。津島市は、地域文化財保全事業として、現在の敷地を購入し、移築する建物を堀田家より寄贈を受けました。平成8年3月に市の所有となり、有料で見学用に開放されています。

  • 堀田邸の中の土蔵の光景です。この住宅は、主屋と3棟の土蔵から成っています。主屋は桁行7間半、梁間7間の切妻造重層桟瓦葺です。江戸時代の町屋作りの特徴を残す建物とされます。

    堀田邸の中の土蔵の光景です。この住宅は、主屋と3棟の土蔵から成っています。主屋は桁行7間半、梁間7間の切妻造重層桟瓦葺です。江戸時代の町屋作りの特徴を残す建物とされます。

  • 北東方面から眺めた堀田邸の建物光景です。先程見学してきた天王川公園の方面になります。

    北東方面から眺めた堀田邸の建物光景です。先程見学してきた天王川公園の方面になります。

  • 北東側方面から眺めた、堀田邸の土蔵の光景です。移築の時に改修が行われたのでしょうか、新しい立派な土蔵です。

    北東側方面から眺めた、堀田邸の土蔵の光景です。移築の時に改修が行われたのでしょうか、新しい立派な土蔵です。

  • 同じく、北東側方面から眺めた、堀田邸の土蔵の光景です。黒塗りの板塀と漆喰の白い壁のモノトーンのコントラストが、現代でも新鮮に見えます。

    イチオシ

    同じく、北東側方面から眺めた、堀田邸の土蔵の光景です。黒塗りの板塀と漆喰の白い壁のモノトーンのコントラストが、現代でも新鮮に見えます。

  • 堀田邸の建物のすぐ近くにあった、レトロなレストランの光景です。もともと、この場所にあった建物か、堀田邸のように移築された建物かは分かりません。

    堀田邸の建物のすぐ近くにあった、レトロなレストランの光景です。もともと、この場所にあった建物か、堀田邸のように移築された建物かは分かりません。

  • レトロなレストランの看板の紹介です。『まのや』の名前でした。ランチとディーナーの開店時間が記されていました。津島神社が至近距離です。

    レトロなレストランの看板の紹介です。『まのや』の名前でした。ランチとディーナーの開店時間が記されていました。津島神社が至近距離です。

  • レストランの前から、堀田邸の方面を振り返って眺めた光景です。正面のやや左手の建物が、堀田邸の土蔵です。

    レストランの前から、堀田邸の方面を振り返って眺めた光景です。正面のやや左手の建物が、堀田邸の土蔵です。

  • 堀田邸からは近距離の津島神社の境内の光景です。神社の東側の入口付近にある大銀杏の光景です。

    堀田邸からは近距離の津島神社の境内の光景です。神社の東側の入口付近にある大銀杏の光景です。

  • 御神木とされているのでしょう、〆縄が張られた大銀杏の幹の光景です。たらちね(垂乳根)の銀杏と呼ばれる光景です。気根の1種のようです。

    御神木とされているのでしょう、〆縄が張られた大銀杏の幹の光景です。たらちね(垂乳根)の銀杏と呼ばれる光景です。気根の1種のようです。

  • 東門に建つ、赤い鳥居の光景です。津島駅は、この鳥居を潜って、真直ぐ西方向に20分ほど歩いた方面になります。<br />

    東門に建つ、赤い鳥居の光景です。津島駅は、この鳥居を潜って、真直ぐ西方向に20分ほど歩いた方面になります。

  • 石橋の先に見える楼門の光景です。豊臣秀吉の寄進と伝えられます。国の重要文化財に指定されている建物です。天正19年(1591年)の創建とされます。

    石橋の先に見える楼門の光景です。豊臣秀吉の寄進と伝えられます。国の重要文化財に指定されている建物です。天正19年(1591年)の創建とされます。

  • 楼門の全景です。推測ですが、元は力士像が左右を守る仁王門を計画したのかも知れません。その像はありませんので、『にもう紋』ではなく、『楼門』として重要文化財に指定されています。

    イチオシ

    楼門の全景です。推測ですが、元は力士像が左右を守る仁王門を計画したのかも知れません。その像はありませんので、『にもう紋』ではなく、『楼門』として重要文化財に指定されています。

  • 楼門の前から眺めた東門の光景です。赤い鳥居の右側に大銀杏の木が見えます。天王川公園方面からは、この銀杏の木の右側方面からやって来ました。

    楼門の前から眺めた東門の光景です。赤い鳥居の右側に大銀杏の木が見えます。天王川公園方面からは、この銀杏の木の右側方面からやって来ました。

  • 津島神社の社殿に懸けられていた提灯の光景です。菊の紋がありました。皇室の菊花紋と同じ、十六八重表菊でした。法的には国旗に準じた扱いを受けるため、類似した商標等は登録できないとされます。(商標法第4条第1項第1号)この提灯は、皇室からの下賜品でしょうか、あるいは許可を受けて製作されたものかもしれません。

    津島神社の社殿に懸けられていた提灯の光景です。菊の紋がありました。皇室の菊花紋と同じ、十六八重表菊でした。法的には国旗に準じた扱いを受けるため、類似した商標等は登録できないとされます。(商標法第4条第1項第1号)この提灯は、皇室からの下賜品でしょうか、あるいは許可を受けて製作されたものかもしれません。

この旅行記のタグ

23いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP