![ヴェッキオ宮の一部とシニョリーア広場、ウッフィツィ美術館の柱を見ます。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/65/01/650x_10650165.jpg?updated_at=1331038442)
2012/02/07 - 2012/02/07
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mas98765さん
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ヴェッキオ宮の一部とシニョリーア広場、ウッフィツィ美術館の柱を見ます。
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- ツアー(添乗員同行あり)
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前の旅行記から続きます。
イタリアでは公式ガイド以外は観光地の案内をしてはいけないきまりだそうで、これまでは自由散策ばかりでしたが、フィレンツェでは公式のガイドさんがつきました。日本人なので聞き取りに不自由はありません。でも、わたしは口頭での説明はすぐ忘れてしまいますので、後で自分で調べて説明を加えます。ガイドさんは、こんなに寒いのは珍しいです、みなさん大丈夫ですかと気遣ってくださって、主な説明だけにとどめますのでどんどん質問をしてくださいと言われていました。先ほど見たサンタクローチェ教会について説明を受けた後、広場の左側の道を通ってヴェッキオ宮殿方向に歩いていくと、右手に塔が並んでいました。ミケランジェロ広場から眺めたときに説明したように、左手のとんがった塔はパディア・フィオレンティーナ教会(Padia Fiorentina)で、右手の四角い塔は、今はバルジェッロ国立博物館(Museo Nazionale del Bargello)になっている歴史のある建物のものです。以前に警察本部(Bargello)が置かれたためにこう呼ばれるのですが、もっと前には執政長官の館でした。 -
サンタクローチェからきた道を更にまっすぐ歩いていくと、
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こんな風になっていて、すぐ目の前がシニョリーア広場です。ここで左側に見えている建物は、先ほどミケランジェロ広場から眺めたヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)です。14世紀初めに建てられ、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われました。一時メディチ家もここを住居にしていましたが、その後アルノ川の南側のピッティ宮に移ったため、Vecchio(古い)と呼ばれるそうです。今は現役のフィレンツェ市庁舎です。この位置で、ガイドさんに連れられて、
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左手の入口から中に入ります。
※周辺の地図はこちら
http://maps.google.co.jp/?ll=43.769409,11.255912&spn=0.002196,0.005284&t=m&z=18&brcurrent=3,0x0:0x0,1 -
ここは建物の中ですが、ミケロッツォの中庭と呼ばれています。この中庭には、ヴェロッキオ作の「イルカを抱く天使」の噴水があります。これはレプリカで、本物は宮殿の中にあります。急いで撮影したので、あいにく近づいて撮った写真がありません。
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この中庭は、メディチ家のコジモ1世が息子のフランチェスコ1世のお嫁さんとして迎えたジョヴァンナ・ダズブルゴ(Giovanna d'Asburgo)を喜ばせるためにつくらせたものです。ハプスブルグ家出身のジョヴァンナのために、ハプブルグ家にゆかりのあるいくつかの町のフレスコ画を壁に描かせました。正面はたしかウィーンだったように思います。神聖ローマ皇帝と結びついてメディチ家の地位を高める政略結婚だったようですが、フランチェスコ1世はジョヴァンナを好まず、結婚生活は不幸だったようです。
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別の出入口からヴェッキオ宮殿の外に出ると、目の前にシニョリーア広場が広がるわけですが、左手に目がいってしまいます。
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ここにはランツィのロッジア(Loggia dei Lanzi)と呼ばれる屋外彫刻ギャラリーがあるからです。ここはもともと、市民の集会を行う場所として14世紀後半に建てられました。ランツィという名前はコジモ1世の時にこの建物をドイツ傭兵(ランツクネヒト)が使ったためのようです。ここでしばらく撮影タイムです。同じツアーのメンバーを写さないよう注意しながら控えめに写真を撮ります。
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今出てきたところのヴェッキオ宮殿の出入口の両側には大きな像が立っています。
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左側はミケランジェロのダヴィデ像(Davide)です。でもこれはミケランジェロ広場にあるのと同様レプリカで、本物はアカデミア美術館にあります。もともとはここにあったようです。ダヴィデは旧約聖書でイスラエル王国の2代目の統治者で、この像は巨人ゴリアテに石を投げつけようとしている場面を表しています。ゴリアテは額に石を受けて気を失い、自分の剣で首をはねてしまったと言われています。予習不足で拡大写真がないのですが、目がハート形なのと、イスラエルの民の証である割礼の跡がないのが注目点のようです。
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右側は、ヘラクレスとカクスという作品で、バンディネッリという人が作りました。フィレンツェ共和国は最初、ここに立つヘラクレスの像をミケランジェロに依頼したのですが、当時ヴァチカンのシスティナ礼拝堂にとりかかっていたミケランジェロはなかなか戻って来られず、その後も多忙になってしまって、結局バンディネッリに仕事がまわってきました。でも、ダヴィデ像と比べられたこの作品は評判が悪くて、今もおそらくオリジナルのまま風雨にさらされています。ヘラクレスはギリシャ神話に登場する半神半人の英雄です。カクスは3つの首を持つ怪物または巨人で、牛を盗んだことをヘラクレスに見つかり口から火を吐いて攻撃しますが、3つの首を絡み合わされ窒息死してしまったと伝えられています。
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ランツィのロッジアを見ていきます。まず左側の部分です。
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これはベンヴェヌート・チェッリーニ(Benvenuto Cellini)が作った「ペルセウス(Perseo)」という銅像です。イタリア語のWikipediaではPerseo con la testa di Medusaとなっていて、その名の通り、左手でメドゥーサの首を掲げています。ペルセウスはギリシャ神話の英雄で、メドゥーサは見た者を石に変えてしまう怪物です。
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ヴェッキオ宮殿の出入口付近から見ると、また違った雰囲気です。どの像も、角度を変えて見ると面白いです。
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これはピオ・フェディ(Pio Fedi)の「ポリュクセネーの陵辱(Ratto di Polissena)」という作品です。ポリュクセネーはトロイアの美しい王女としてギリシャ神話に登場します。
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この後ろには、
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こんな感じと
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こんな感じの女性像が並んでいます。これはサビーニ人(Sabini)の像で古代ローマ時代のものです。ローマの北東のティベリス川一帯に住んでいた部族です。
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ロッジアの中央はこんな感じです。中央の両脇にはライオン像があります。
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左側は16世紀末にFlaminio Vaccaという人によって作られたものです。それは、
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もともとあったこちらのライオン像の対を作るためでした。こちらは2世紀頃のものらしいです。これらのライオンは、フェルディナンド1世・デ・メディチがローマに建てたヴィラ・メディチ(Villa Medici)を飾るために頼んだもので、最初はそちらに置かれていましたが後にここに移されました。フェルディナンド1世は先ほどのヴェッキオ宮殿を飾ったコジモ1世の5男でフランチェスコ1世の弟です。カトリックの枢機卿でしたが兄の死去に伴いメディチ家当主となり、市民に慕われる政治を行いました。彼の死後、メディチ家は衰退してしまいます。
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ロッジアの中央には3体の像が見えます。真ん中には「パトロクロスを抱きかかえるメネラウス(Patroclo e Menelao)」という像があります。紀元前3世紀にペルガモンで作られたものを複製したもののようです。ローマで見つかり当初ヴェッキオ橋の南端に置かれたものをここに移しました。左側はトゥスネルダ(Thusnelda)という女性の像です。右側はSabina-Matildeということですが、わたしはあまり意味が分かっていません。両側2体も古代ローマ時代につくられたもののようです。
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ロッジアの右側はこんな感じです。
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これはジャン・ブローニャ(Giambologna)の「サビニの女たちの略奪(Ratto delle Sabine)」という作品です。先ほどから彫像が何体かあったサビーニ人のことで、ロムルスたちによるローマ建国の直後にこの略奪が起こり、その後サビーニ部族の一帯はローマに併合されました。これは略奪というより、結婚すれば市民権と財産権を約束するという誘惑だったようで、ローマがどのようにして大きくなったかを示す例となっています。
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これは同じくジャンブローニャの「Ercole e il Centauro Nesso」という作品です。ケンタウロス・ネッソスを打つヘラクレスの像です。ギリシャ神話のケンタウロス(ネッソス)は下半身が馬で、ヘラクレスの妻にちょっかいを出そうとして弓で射殺されたと伝えられています。
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傍らに簡単な配置図がありました。今までの写真でだいたい網羅したと思いますが、見逃したものもあります。今夜もう一度訪れて、この配置図をもとに全ての像を見ます。後ほど別の旅行記で。
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ベッキオ宮殿に向かって左側はこんな風になっています。
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左側はコジモ1世の騎馬像です。先ほどのヴェッキオ宮殿の中庭だけでなく、色々な場所を豪華な宮殿やモニュメントで飾って、今日のフィレンツェの景観を作り上げた人です。ハプスブルグ家の支援のもとで中央集権体制を確立し、後にローマ教皇から戴冠を受けて初代のトスカーナ大公となりました。ちなみに同じコジモという名前でコジモ・デ・メディチという有名な人がいますが、ずっと前の別の人です。
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それから、この白い巨大な像が目に付きます。これは海の神ネプチューンを表していて、ここにある噴水をネプチューンの噴水といいます。このネプチューンの顔はコジモ1世に似せて作られているようです。ところで、ヴェッキオ宮殿全体の写真もシニョリーア広場全体の写真も撮っていませんでした。
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撮影タイムが終わると、ガイドさんに連れられてヴェッキオ宮殿とロッジアの間を進んだところにあるウッフィツイ美術館(Galleria degli Uffizi)の柱を見て通りました。柱には有名な人たちの像が置かれています。ガイドさんがたまたま説明してくださった彫像だけ写真に撮っておきました。どれもその人を代表する彫像になっていて、Wikipediaなどでそれぞれの人を調べるとここの写真が出てきます。
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これはジョット(Giotto)です。この後に訪れるドゥオーモのところにあるジョットの鐘楼をつくった人です。
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これはドナテッロ(Donatello)です。フィレンツェ生まれの彫刻家で、後世のミケランジェロやレオナルドダヴィンチに影響を与えた人です。手に金槌を持っています。
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これはベンヴェヌート・チェッリーニ(Benvenuto Cellini)です。ルネサンス後期の代表的な芸術家で、先ほどのロッジアのペルセウス像をつくった人です。この人を主人公にしたベルリオーズ作曲のオペラもあります。
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これはレオナルドダヴィンチ (Leonardo da Vinci)です。最後の晩餐やモナリザなどの作品を残したルネサンスを代表する芸術家で、科学技術にも長けていました。
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これはミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)、要するにミケランジェロです。やはりルネサンスを代表する芸術家で、先ほどのダヴィデ像やヴァチカンの最後の審判などの作品を残しました。
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これはダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)です。哲学者や詩人で政治家でもありました。神曲などの作品を残しました。先ほどのサンタクローチェ教会のところにも像がありました。
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ガイドさんに連れられて、アルノ川の方に抜けていきます。次の旅行記に続きます。なお、旅行記の索引はこちら。
http://mas98765.yokinihakarae.com/index.html
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