2008/01/14 - 2008/01/14
1030位(同エリア1089件中)
フロッガーさん
- フロッガーさんTOP
- 旅行記264冊
- クチコミ43件
- Q&A回答2件
- 355,437アクセス
- フォロワー6人
次に訪れたのは行道山・浄因寺(ぎょうどうさんじょういんじ)です。
とりあえず、車で細い道を登っていくとトイレのある駐車場にでました。浄因寺の名が刻まれた石門があり、ここから歩いていくのか悩みます (;´▽`A``。降りて案内看板を見ていたら、ハイキングに入るとおぼしき御夫婦が石段がある所まで車でいけると教えてくれました。そこで、参道を登っていくと広い駐車場が。先ほどの場所から1キロ近く登ったので歩いてきたら散々でしたね(笑)石段が見えましたがひたすら登るようです。。。365段。参道から山頂にかけ三万三千体といわれる大小の石仏(庚申様)があり、特に右手を枕に西向きに寝ている寝釈迦像がいるそう。
標高400mの行道山山腹にあるこのお寺は今から1200年以上前、和銅七年(714)に行基上人による開創と伝えられます。その後、法徳禅師(偉仙和尚)が禅寺として繁栄しました。永和二年(1376)には法徳禅師に帰依していた室町幕府三代将軍・足利義満が七堂伽藍を寄進しています。
室町時代には学問の道場としても多くの修行僧が集まり『関東の高野山』と呼ばれました。臨済宗の古刹となり、関東四霊場の一つにも数えられています。
元和九年(1623)には雷火のために本堂含む堂塔や経典・仏像等を焼失しましたが、後に徳川幕府から寺領20石の朱印を受けることになり繁栄していた頃の勢いを盛り返しました。
境内には『清心亭』と呼ばれる茶室があります。そこへ渡るために巨石から巨石に架けられた空中橋『天高橋』は葛飾北斎が『足利行道山雲のかけ橋』として描いたことでも有名です(浄因寺所有)。葛飾北斎が描いたものには橋の右側に本堂があるように描かれています。残念ながら、ここへ登る石段はこの日は止められていて登れませんでした。
登ってきた境内の右手側の石段を登ると不明堂(あかずのどう)があります。山頂見晴らし台へはこの先をひたすらあと600mほど登山。自分はここの時点でヘトヘトになり、次の予定もあったので帰ることにしました(;´Д`A ```。ここは紅葉も綺麗だそうです。またそのうち来て見る事にして寝釈迦像はその時にとっておきます(爆)
PR
-
駐車場から。ここから石段が続きます。365段とありますが、500段以上に感じました(;´Д`A ```
-
参道沿いには無数の石仏があります。3万体以上とか。
-
そして、一つ目の山門。まだ登ります。。。
-
崖の上に見えてきたのは清心亭。
-
2つ目の山門。あとちょっとで境内です。
-
境内に入ると、また石段が見えます(笑)
-
鐘楼堂。補強がしてあります。傾いてしまったそうです。
-
先ほど見えた清心亭の方へ。境内では寒椿がたくさん散っていました。
-
ちょっとわかりずらいかと思いますが、左に見えるのが清心亭。大きな石をまたいでいる橋が天高橋。葛飾北斎が「足利行道山・雲のかけ橋」として描いた風景です。
-
本堂(仮)では悪そうな犬が。。。蝋梅が咲いていたのですが近づけない( ̄Д ̄;;
-
先ほど見えた奥の石段を登ると熊野社。
-
熊野社から。中腹に見えるのは?
-
そして、ここから山頂方向には600mほど歩くと。寝釈迦像もこの先にあるそうですがあきらめました(^▽^;)
-
ε〜( ̄、 ̄;)ゞふ〜。と休憩。。。
-
そして降り始めます。もう西日っぽい。。。
-
石垣が凄い。城のようです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
フロッガーさんの関連旅行記
足利(栃木) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
16