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JR両毛線足利駅下車徒歩10分、堀と土塁に囲まれた平城型居館足利氏館(あしかがしやかた、栃木県足利市家富町)を訪問しました。<br />                      <br />平安時代後期、源氏の八幡太郎義家(よしいえ、1039~1106)の子義国(よしくに、1091~1155)から下野国足利荘を相続し「足利」をその姓とした足利初代の足利義康(あしかが・よしやす、1127~1157)の二代に亘って現在の地に堀と土塁を築き自らの居館とします。<br /><br />義康の子ども義兼(よしかね、1154?~1199)足利尊氏より七代前が鎌倉時代初期(1190年頃)が館を撤去して大日如来を本尊とする真言宗金剛山鑁阿寺(ばんなじ)を創建します。<br /><br />足利氏居館(鑁阿寺)は周囲を水堀と土塁に囲まれた方形の館で、東西南北に夫々ほぼ200m前後、社域面積はは約4万m2の規模を有しており、四辺の中央部を出入口として土塁を設けず、それぞれに橋と門を置いた極めてシンプルな設計で鎌倉時代武家屋敷(平城)の面影を現代の我々に伝えています。<br /><br />氏寺となった鑁阿寺内部には本堂・鐘楼・東門・西門(鎌倉時代の建物)、一切経堂・山門(室町時代の建物)、二重塔(再建)・御霊屋(再建)・校倉・太鼓橋・蛭子堂・大酉堂・北門(江戸時代の建物)、水屋・本坊(庫裏)・稲荷堂等(明治時代の建物)が配置され幸いにも火災に遭うことなく鎌倉時代からの建造物が現代に引継がれています。<br /><br />JR足利駅から徒歩10分程度の地に中世の館跡が手入れされており、現代の我々に堂々と見事に残してくれた事は誠に喜ばしい限りです。<br /><br /><br />2022年5月11日追記<br /><br />足利義兼の三男である義氏に関して下記の通り説明がされています。<br /><br />「足利義氏は当山開基足利義兼の三男で上総三郎と称し父義兼の跡を継ぎ、北条時政の女を母とし泰時の女を妻とした。蔵人検非違使に任ぜられ、正四位下左馬頭になり、鎌倉幕府の枢機に参画し、数字の意合戦に大功を立てた。<br /><br />父義兼の菩提のため天福2年(1234)、現在の重文大御堂を建てたことは、現存する棟札によって明らかである。又堀の外大日読外に東に六字院、不動院、普賢院、東光院、北に、浄土院、宝珠院、威徳院、延明院、西に金剛景院、千手院、竜福院、安養院の塔中十二ヶ院を建立し、千手院を塔頭とした。明治四年(1871)の廃仏毀釈により十二ヶ院が廃せられ、一般民家に開放されるまで六百余年この山地は続いた。今の家富町全域がこれである。<br /><br />仁治3年(1241)53歳で出家し、足利左馬入道と称し、建長6年(1255)11月23日66才で卒した。本域3丁目にある法楽寺は義氏の開基であり同寺に義氏の墓地がある。法名を法楽寺殿正義大禅門という。<br /><br />義氏五代の孫、足利尊氏に至って、天下を平定し京都に幕府を開き、室町文化の華を咲かせたことは悉く人の知るところである。」

上野足利 源姓足利氏2代当主義兼が築城し三男義氏が父の菩提を弔うため堀外に12支院を建立した旧足利氏居館の『鑁阿寺』訪問

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2012/09/09 - 2012/09/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR両毛線足利駅下車徒歩10分、堀と土塁に囲まれた平城型居館足利氏館(あしかがしやかた、栃木県足利市家富町)を訪問しました。
                      
平安時代後期、源氏の八幡太郎義家(よしいえ、1039~1106)の子義国(よしくに、1091~1155)から下野国足利荘を相続し「足利」をその姓とした足利初代の足利義康(あしかが・よしやす、1127~1157)の二代に亘って現在の地に堀と土塁を築き自らの居館とします。

義康の子ども義兼(よしかね、1154?~1199)足利尊氏より七代前が鎌倉時代初期(1190年頃)が館を撤去して大日如来を本尊とする真言宗金剛山鑁阿寺(ばんなじ)を創建します。

足利氏居館(鑁阿寺)は周囲を水堀と土塁に囲まれた方形の館で、東西南北に夫々ほぼ200m前後、社域面積はは約4万m2の規模を有しており、四辺の中央部を出入口として土塁を設けず、それぞれに橋と門を置いた極めてシンプルな設計で鎌倉時代武家屋敷(平城)の面影を現代の我々に伝えています。

氏寺となった鑁阿寺内部には本堂・鐘楼・東門・西門(鎌倉時代の建物)、一切経堂・山門(室町時代の建物)、二重塔(再建)・御霊屋(再建)・校倉・太鼓橋・蛭子堂・大酉堂・北門(江戸時代の建物)、水屋・本坊(庫裏)・稲荷堂等(明治時代の建物)が配置され幸いにも火災に遭うことなく鎌倉時代からの建造物が現代に引継がれています。

JR足利駅から徒歩10分程度の地に中世の館跡が手入れされており、現代の我々に堂々と見事に残してくれた事は誠に喜ばしい限りです。


2022年5月11日追記

足利義兼の三男である義氏に関して下記の通り説明がされています。

「足利義氏は当山開基足利義兼の三男で上総三郎と称し父義兼の跡を継ぎ、北条時政の女を母とし泰時の女を妻とした。蔵人検非違使に任ぜられ、正四位下左馬頭になり、鎌倉幕府の枢機に参画し、数字の意合戦に大功を立てた。

父義兼の菩提のため天福2年(1234)、現在の重文大御堂を建てたことは、現存する棟札によって明らかである。又堀の外大日読外に東に六字院、不動院、普賢院、東光院、北に、浄土院、宝珠院、威徳院、延明院、西に金剛景院、千手院、竜福院、安養院の塔中十二ヶ院を建立し、千手院を塔頭とした。明治四年(1871)の廃仏毀釈により十二ヶ院が廃せられ、一般民家に開放されるまで六百余年この山地は続いた。今の家富町全域がこれである。

仁治3年(1241)53歳で出家し、足利左馬入道と称し、建長6年(1255)11月23日66才で卒した。本域3丁目にある法楽寺は義氏の開基であり同寺に義氏の墓地がある。法名を法楽寺殿正義大禅門という。

義氏五代の孫、足利尊氏に至って、天下を平定し京都に幕府を開き、室町文化の華を咲かせたことは悉く人の知るところである。」

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 鑁阿寺(ばんなじ)案内図<br /><br />足利学校のすぐ隣に位置しており、併せて見学可能なロケ−ションとなっているのがいいですね。

    鑁阿寺(ばんなじ)案内図

    足利学校のすぐ隣に位置しており、併せて見学可能なロケ−ションとなっているのがいいですね。

  • 楼門(山門)と太鼓橋<br /><br />鑁阿寺の南側に位置する正門となります。桜門は当寺では仁王門又は山門と呼ばれ、開祖義兼が建久7年(1196)創建しますが室町時代に兵火にあい、永禄7年(1564)13代将軍足利義輝(あしかがよしてる、1536〜1565)による再建となります。<br />また反橋は太鼓橋とも呼ばれ江戸時代安政年間の再修とのことです。

    楼門(山門)と太鼓橋

    鑁阿寺の南側に位置する正門となります。桜門は当寺では仁王門又は山門と呼ばれ、開祖義兼が建久7年(1196)創建しますが室町時代に兵火にあい、永禄7年(1564)13代将軍足利義輝(あしかがよしてる、1536〜1565)による再建となります。
    また反橋は太鼓橋とも呼ばれ江戸時代安政年間の再修とのことです。

  • 桜門(山門)彫刻

    桜門(山門)彫刻

  • 鑁阿寺(ばんなじ)寺標

    鑁阿寺(ばんなじ)寺標

  • 足利氏宅址の石標<br /><br />源義家の子どもの義国及び義康の二代に亘り足利氏の居館でありました。

    足利氏宅址の石標

    源義家の子どもの義国及び義康の二代に亘り足利氏の居館でありました。

  • 土塁と水堀<br /><br />反橋(太鼓橋)から東方面を一望します。

    土塁と水堀

    反橋(太鼓橋)から東方面を一望します。

  • 土塁と水堀<br /><br />同様に反橋(太鼓橋)から西方面を一望します。

    土塁と水堀

    同様に反橋(太鼓橋)から西方面を一望します。

  • 金剛山鑁阿寺伽藍図

    金剛山鑁阿寺伽藍図

  • 本堂(重要文化財)<br /><br />桜門から本堂を見渡します。広々とした境内が見渡せます。

    本堂(重要文化財)

    桜門から本堂を見渡します。広々とした境内が見渡せます。

  • 大銀杏<br /><br />開祖足利義兼のお手植えと称しています。(但し鎌倉時代末期の正和年間における当山の絵図には掲載がないとのことです)<br />江戸時代には既に大樹となり往古よりの避雷針の役割をして諸堂の災厄を守ったといわれています。

    大銀杏

    開祖足利義兼のお手植えと称しています。(但し鎌倉時代末期の正和年間における当山の絵図には掲載がないとのことです)
    江戸時代には既に大樹となり往古よりの避雷針の役割をして諸堂の災厄を守ったといわれています。

  • 桜門(仁王門)<br /><br />本堂から桜門を見渡します。

    桜門(仁王門)

    本堂から桜門を見渡します。

  • 本堂<br /><br />建久7年(1196)足利義兼による建立で、本尊は当然ながら源氏相伝の守本尊である大日如来となります。<br />建築は構造雄大、手法剛健、本瓦葺唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物です。<br />

    本堂

    建久7年(1196)足利義兼による建立で、本尊は当然ながら源氏相伝の守本尊である大日如来となります。
    建築は構造雄大、手法剛健、本瓦葺唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物です。

  • 不動堂<br /><br />社伝では足利義兼の創建ですが、文禄元年(1592)生実御所国朝の再修となります。<br />不動明は千葉県成田山より勧請したもので興教大師の作といわれ霊験あらたかなご本尊となっています。

    不動堂

    社伝では足利義兼の創建ですが、文禄元年(1592)生実御所国朝の再修となります。
    不動明は千葉県成田山より勧請したもので興教大師の作といわれ霊験あらたかなご本尊となっています。

  • 土塁<br /><br />西門側の南方向土塁を内側から見ます。

    土塁

    西門側の南方向土塁を内側から見ます。

  • 土塁<br /><br />同様に西門側の北方向土塁を内側から見ます。

    土塁

    同様に西門側の北方向土塁を内側から見ます。

  • 西門<br /><br />本瓦葺、切妻造り、四脚門の県指定文化財で、開祖足利義兼の創建と言われますが永享4年(1432)公文所奉行の再修ともいわれており定かではありません。

    西門

    本瓦葺、切妻造り、四脚門の県指定文化財で、開祖足利義兼の創建と言われますが永享4年(1432)公文所奉行の再修ともいわれており定かではありません。

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