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今回は足利の北にある3つを中心に(というより午後からなのでそれしか回れなかった)、樺崎八幡宮→行道山→大岩毘沙門天で時間切れ。市内に戻り鑁阿寺→足利学校→織姫神社の順番でダラダラと書いていきます<br /><br />ということでいきなり樺崎(かばさき)八幡宮から始まります(^ー^* )。樺崎八幡宮は足利駅から北方、樺崎地区にある八幡様です。<br /><br />ここには昔、樺崎寺がありました。正式には『下御堂・法界寺』。樺崎というこの地の名をとって樺崎寺と呼ばれています。<br />樺崎寺は足利氏の二代目・足利義兼によって創建されたと伝えられています。義兼は源頼朝の従兄弟にあたり、北条時政の娘で北条政子の妹を妻(時子)とします。<br />頼朝が伊豆にて挙兵した頃には血筋の縁もあり早くから頼朝軍に従事していました。平安時代末期の源氏と平氏の戦いにおいては、頼朝の右腕として活躍し鎌倉幕府の創設に多大な貢献をしました。後に奥州平泉での戦において、戦勝を祈願するためにこの樺崎の地を伊豆走湯山の理真(りしん)上人に寄進したのがこの寺の始まりとなっています。(妻時子が懐妊した時(文治四年)の安産祈祷の為であったとも)<br /><br />鎌倉時代、足利氏は北条氏との婚姻関係を主軸として姻戚関係を結びながら有力な御家人としての地位を築いていきました。この時代の樺崎寺は、足利氏の勢力のもとに堂塔を整え繁栄していました。義兼から七代目にあたる尊氏が室町幕府を創設した後は、幕府と鎌倉公方の保護も受けています。戦国期に入って、足利氏が力を失うと共に樺崎寺も衰えていくことになります。江戸時代には足利氏の末裔にあたる喜連川氏によって八幡宮が再建されることとなりますが、中世程の繁栄は見られなく、明治時代の神仏分離令により樺崎寺は廃寺となりました。それでも、代々の氏子さんに守られてきた場所でもあります。<br /><br />樺崎寺は、鑁阿寺を壇上とした奥の院となります(義氏の八幡勧請・及び義兼合祀)。高野山に準じて鑁阿寺大御堂から北東4kmの樺崎町に建立。義兼は建久六年(1195)に東大寺にて出家し、義称と称しました。その後、樺崎寺に住み正治元年(1199)3月8日に当地で死去しました。現在の樺崎八幡宮の本殿は義兼の廟所にあたる赤御堂になります。<br /><br />昭和五十三年ごろからこの地は発掘調査が行われています。樺崎寺は平成十三年1月には国指定遺跡となりました。が、本式には法界寺なので、間違って登録されているんですねぇ。世界遺産登録準指定地候補として名乗りを上げており、目標は世界遺産登録だそうですが。。。まずは国内での地位向上じゃないですかね?(笑)<br /><br />そして次の地、行道山へ。<br />

足利巡り2008、 『樺崎八幡宮』

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2008/01/14 - 2008/01/14

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フロッガー

フロッガーさん

今回は足利の北にある3つを中心に(というより午後からなのでそれしか回れなかった)、樺崎八幡宮→行道山→大岩毘沙門天で時間切れ。市内に戻り鑁阿寺→足利学校→織姫神社の順番でダラダラと書いていきます

ということでいきなり樺崎(かばさき)八幡宮から始まります(^ー^* )。樺崎八幡宮は足利駅から北方、樺崎地区にある八幡様です。

ここには昔、樺崎寺がありました。正式には『下御堂・法界寺』。樺崎というこの地の名をとって樺崎寺と呼ばれています。
樺崎寺は足利氏の二代目・足利義兼によって創建されたと伝えられています。義兼は源頼朝の従兄弟にあたり、北条時政の娘で北条政子の妹を妻(時子)とします。
頼朝が伊豆にて挙兵した頃には血筋の縁もあり早くから頼朝軍に従事していました。平安時代末期の源氏と平氏の戦いにおいては、頼朝の右腕として活躍し鎌倉幕府の創設に多大な貢献をしました。後に奥州平泉での戦において、戦勝を祈願するためにこの樺崎の地を伊豆走湯山の理真(りしん)上人に寄進したのがこの寺の始まりとなっています。(妻時子が懐妊した時(文治四年)の安産祈祷の為であったとも)

鎌倉時代、足利氏は北条氏との婚姻関係を主軸として姻戚関係を結びながら有力な御家人としての地位を築いていきました。この時代の樺崎寺は、足利氏の勢力のもとに堂塔を整え繁栄していました。義兼から七代目にあたる尊氏が室町幕府を創設した後は、幕府と鎌倉公方の保護も受けています。戦国期に入って、足利氏が力を失うと共に樺崎寺も衰えていくことになります。江戸時代には足利氏の末裔にあたる喜連川氏によって八幡宮が再建されることとなりますが、中世程の繁栄は見られなく、明治時代の神仏分離令により樺崎寺は廃寺となりました。それでも、代々の氏子さんに守られてきた場所でもあります。

樺崎寺は、鑁阿寺を壇上とした奥の院となります(義氏の八幡勧請・及び義兼合祀)。高野山に準じて鑁阿寺大御堂から北東4kmの樺崎町に建立。義兼は建久六年(1195)に東大寺にて出家し、義称と称しました。その後、樺崎寺に住み正治元年(1199)3月8日に当地で死去しました。現在の樺崎八幡宮の本殿は義兼の廟所にあたる赤御堂になります。

昭和五十三年ごろからこの地は発掘調査が行われています。樺崎寺は平成十三年1月には国指定遺跡となりました。が、本式には法界寺なので、間違って登録されているんですねぇ。世界遺産登録準指定地候補として名乗りを上げており、目標は世界遺産登録だそうですが。。。まずは国内での地位向上じゃないですかね?(笑)

そして次の地、行道山へ。

  • 鳥居から。

    鳥居から。

  • 手水舎。手水すくいが竹でできていました。珍しい。。。

    手水舎。手水すくいが竹でできていました。珍しい。。。

  • 石段を登ります。

    石段を登ります。

  • すぐ拝殿。

    すぐ拝殿。

  • 右手に御神木の杉の木。推定樹齢600年超だそうです。

    右手に御神木の杉の木。推定樹齢600年超だそうです。

  • 本殿。

    本殿。

  • 拝殿を左手に歩いていくと義兼の供養塔があります。・・・が、今は修復等のため他の地にあります。八幡宮の左手一帯が寺跡になり、発掘作業が行われています。

    拝殿を左手に歩いていくと義兼の供養塔があります。・・・が、今は修復等のため他の地にあります。八幡宮の左手一帯が寺跡になり、発掘作業が行われています。

  • 寺跡看板。

    寺跡看板。

  • 2009、1/14に寄った時の追加写真です。<br /><br />本殿。本殿の床下には「足利義兼公御廟」と書かれた義兼の墓標が立っています。

    2009、1/14に寄った時の追加写真です。

    本殿。本殿の床下には「足利義兼公御廟」と書かれた義兼の墓標が立っています。

  • 赤御堂跡の石段。<br /><br />発掘調査において、樺崎八幡宮北側の場所で義兼がまつられた赤御堂へ上がるための石段が発見されました。<br /><br />当時は石段の正面にお堂があったと思われ、義兼は赤御堂の傍で生入定(いきにゅうじょう)したと言われています。

    赤御堂跡の石段。

    発掘調査において、樺崎八幡宮北側の場所で義兼がまつられた赤御堂へ上がるための石段が発見されました。

    当時は石段の正面にお堂があったと思われ、義兼は赤御堂の傍で生入定(いきにゅうじょう)したと言われています。

  • 多宝塔跡。

    多宝塔跡。

  • 足利市では平成13年の国史跡指定以降、保存整備のための発掘調査や史跡の公有化等を進めていました。<br /><br />平成17年度からは保存整備第1期工事が始まり、八幡山山麓部分の整備工事にを行います。<br /><br />この第1期工事では足利氏御廟跡、供養塔覆屋跡、多宝塔跡の基壇遺構等の整備を行い、平成20年3月に工事が完了しました。

    足利市では平成13年の国史跡指定以降、保存整備のための発掘調査や史跡の公有化等を進めていました。

    平成17年度からは保存整備第1期工事が始まり、八幡山山麓部分の整備工事にを行います。

    この第1期工事では足利氏御廟跡、供養塔覆屋跡、多宝塔跡の基壇遺構等の整備を行い、平成20年3月に工事が完了しました。

  • 神楽殿。<br /><br />とりあえずここまで。<br />最近はアダルトゲームの舞台になったそうです。<br />そのため町をあげての観光誘致になっているとか。<br /><br />なんだか世界遺産登録を目指してとか、今回の観光地化といい、どうも歴史文化と矛盾しているようななんというか。<br /><br />別に、地元の人が皆納得して行っているのであれば文句言う筋合いではありませんが、なりふりかまわずという風に見えます。<br /><br />鷲宮神社の例もありますから、羨ましいのはわかるんですけどね。<br />本来の歴史や文化とは無縁のものです。<br />いや、今やっていることさえも歴史になってしまいます。<br />本質を忘れず、そして将来を見据えて行動していってほしいと思います。<br />

    神楽殿。

    とりあえずここまで。
    最近はアダルトゲームの舞台になったそうです。
    そのため町をあげての観光誘致になっているとか。

    なんだか世界遺産登録を目指してとか、今回の観光地化といい、どうも歴史文化と矛盾しているようななんというか。

    別に、地元の人が皆納得して行っているのであれば文句言う筋合いではありませんが、なりふりかまわずという風に見えます。

    鷲宮神社の例もありますから、羨ましいのはわかるんですけどね。
    本来の歴史や文化とは無縁のものです。
    いや、今やっていることさえも歴史になってしまいます。
    本質を忘れず、そして将来を見据えて行動していってほしいと思います。

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