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 列車がグロズヌイを出発して間もなくのこと、私は通路に出てのんびり車窓を見ていると、若い女性二人も通路から車窓を眺めていた。彼女達は私の姿に気づくと自分の方を見ながら二人で話し始めた。彼女達はマディナとムラヌヴァの姉妹、兄と母親でダゲスタンから乗車し、チェチェンを越えイングーシ共和国へと向かっていた。チェチェン人の彼らは他の乗客と一線を画していた。第一次チェチェン戦争の影響もあってか、他の乗客たちは彼女達と話をすることはなかったが、戦争と殆ど縁のない私は何のためらいもなく彼女達の家族と向き合うことができた。<br /><br /><br /> チェチェン人家族が下車した後、私は車掌室へと向かった。昨夜チェチェンでのアドバイス以後、車掌達と仲良くなり、私は車掌の独断と偏見により、無料で紅茶や茶菓子を頻繁にご馳走になっていた。ロシアの寝台車は各車両に車掌が配置され、車掌室が設置されている。私は同号車の車掌室に行くと、偶々そこに車掌長と、昨夜車掌のアドバイスを通訳してくれたウクライナ人の男性がチャイを飲みながら談笑していたので、その中に私も入れてもらい、のんびりと茶話会を催した。<br /><br /> この時私は、何故私達の個室が武装勢力に襲われるどころか、チェチェン人たちはグロズヌイ以降一歩も個室に踏み込まなかったのか、車掌であればその理由を知っているのではないかと思い、彼らに尋ねてみた。すると車掌と車掌長は意外な理由を淡々と話してくれた・・・。<br /><br /> グロズヌイに到着後、車掌長はわざわざ私の乗車する車両に訪れ、車掌と二人で武装勢力に掛け合ってくれていたのだ。そして私の車両の担当の女性車掌が、<br />「あなた方(武装勢力)が乗車する日本人に手を出したら、大きな国際問題に発展します。まして誘拐や殺害ともなれば、ロシア内だけの問題ではなくなり、日本はもちろんアメリカも動きます。そうなればチェチェンの独立は日本やアメリカに潰される事になるでしょう。チェチェンは彼に手を出すことで終わりを迎えます。全ては貴方の態度次第です。」<br />と忠告したのだと言う。車掌長も日本人の私に手を出さぬように必死で武装勢力に頼んでくれたのだそうだ。この時初めて我々の個室だけが襲撃されなかった理由がわかった。彼らのおかげで私はこうしてグロズヌイで拉致されることなく、ここにいる。私は彼らにどれだけ感謝したことか。<br /><br /> 今回チェチェン人に手を出されなかったのには二つの幸運が重なっていた。一つが二人の車掌が私をかばってくれた事、そしてもう一つ、チェチェン人の武装勢力が過激な輩ではなかったことだ。もし彼らが過激派であれば、たとえ車掌が手を出すなと忠告していたとしても、拉致していただろうし、逆上して射殺すらしていたかもしれない。私がこうして日本に帰国できたのも、武装勢力の冷静な判断がなければ到底有得ぬ話だった。<br /><br /> 尤もこの幸運も長くは続かなかった。翌日には自分自身の油断から墓穴を掘り、モスクワへの移動で散々なことになった。この話はまた次回に・・・。<br /><br /> 私が無事にチェチェンを去った半年後、チェチェンは再び戦火に見舞われた。ロシア政府は第一次チェチェン戦争での苦い体験から学び、徹底的に情報統制を敷き、チェチェン民族の消滅をもくろんでいるのではないかと思えるほど、戦争は残虐性を極めた。そしてロシア政府による、チェチェンを取材するジャーナリストたちの暗殺・・・。戦争ではない、チェチェンは、ホロコーストになってしまった。そしてその戦争によって治安は乱れ、誘拐ビジネスや武器ビジネス、強請・・・、チェチェンは骨の髄まで戦争で富を成すものたちにシャブリ尽くされてしまった。99年プーチンが大統領に就任後、石油景気により自信を取り戻したロシア、そしてロシアはチェチェンを徹底的に弾圧・破壊をおこない、自国内の独立を目論んでいた共和国への強烈なメッセージとして見せしめた−独立を考えたらチェチェンのようになる、と。<br /><br /> 我々を恐怖に陥れた武装勢力、グロズヌイから列車に乗り込んできた売り子の人たち・・・、皆無事に生きているのだろうか?武装勢力であろうとも私が出会った人たちは生きていて欲しい。戦火を何とか切り抜けていて欲しい。ただただそれを祈っている。私は第二次チェチェン戦争が開始された後、マディナ一家のことが心配になり手紙を何度か送ったが、一度も返信がなかった。彼らが引っ越したのか、それともロシア政府の厳しい規制によりチェチェン人への手紙が届かないようになっているのか、私にはわからない・・・。いつかまた彼女達の素敵な笑顔をもう一度見てみたい。<br />

チェチェン共和国で列車ジャック−恩人と赤き狼達 4/4 -チェチェンを越えた後の落とし穴

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1999/03/03 - 1999/03/06

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worldspan

worldspanさん

 列車がグロズヌイを出発して間もなくのこと、私は通路に出てのんびり車窓を見ていると、若い女性二人も通路から車窓を眺めていた。彼女達は私の姿に気づくと自分の方を見ながら二人で話し始めた。彼女達はマディナとムラヌヴァの姉妹、兄と母親でダゲスタンから乗車し、チェチェンを越えイングーシ共和国へと向かっていた。チェチェン人の彼らは他の乗客と一線を画していた。第一次チェチェン戦争の影響もあってか、他の乗客たちは彼女達と話をすることはなかったが、戦争と殆ど縁のない私は何のためらいもなく彼女達の家族と向き合うことができた。


 チェチェン人家族が下車した後、私は車掌室へと向かった。昨夜チェチェンでのアドバイス以後、車掌達と仲良くなり、私は車掌の独断と偏見により、無料で紅茶や茶菓子を頻繁にご馳走になっていた。ロシアの寝台車は各車両に車掌が配置され、車掌室が設置されている。私は同号車の車掌室に行くと、偶々そこに車掌長と、昨夜車掌のアドバイスを通訳してくれたウクライナ人の男性がチャイを飲みながら談笑していたので、その中に私も入れてもらい、のんびりと茶話会を催した。

 この時私は、何故私達の個室が武装勢力に襲われるどころか、チェチェン人たちはグロズヌイ以降一歩も個室に踏み込まなかったのか、車掌であればその理由を知っているのではないかと思い、彼らに尋ねてみた。すると車掌と車掌長は意外な理由を淡々と話してくれた・・・。

 グロズヌイに到着後、車掌長はわざわざ私の乗車する車両に訪れ、車掌と二人で武装勢力に掛け合ってくれていたのだ。そして私の車両の担当の女性車掌が、
「あなた方(武装勢力)が乗車する日本人に手を出したら、大きな国際問題に発展します。まして誘拐や殺害ともなれば、ロシア内だけの問題ではなくなり、日本はもちろんアメリカも動きます。そうなればチェチェンの独立は日本やアメリカに潰される事になるでしょう。チェチェンは彼に手を出すことで終わりを迎えます。全ては貴方の態度次第です。」
と忠告したのだと言う。車掌長も日本人の私に手を出さぬように必死で武装勢力に頼んでくれたのだそうだ。この時初めて我々の個室だけが襲撃されなかった理由がわかった。彼らのおかげで私はこうしてグロズヌイで拉致されることなく、ここにいる。私は彼らにどれだけ感謝したことか。

 今回チェチェン人に手を出されなかったのには二つの幸運が重なっていた。一つが二人の車掌が私をかばってくれた事、そしてもう一つ、チェチェン人の武装勢力が過激な輩ではなかったことだ。もし彼らが過激派であれば、たとえ車掌が手を出すなと忠告していたとしても、拉致していただろうし、逆上して射殺すらしていたかもしれない。私がこうして日本に帰国できたのも、武装勢力の冷静な判断がなければ到底有得ぬ話だった。

 尤もこの幸運も長くは続かなかった。翌日には自分自身の油断から墓穴を掘り、モスクワへの移動で散々なことになった。この話はまた次回に・・・。

 私が無事にチェチェンを去った半年後、チェチェンは再び戦火に見舞われた。ロシア政府は第一次チェチェン戦争での苦い体験から学び、徹底的に情報統制を敷き、チェチェン民族の消滅をもくろんでいるのではないかと思えるほど、戦争は残虐性を極めた。そしてロシア政府による、チェチェンを取材するジャーナリストたちの暗殺・・・。戦争ではない、チェチェンは、ホロコーストになってしまった。そしてその戦争によって治安は乱れ、誘拐ビジネスや武器ビジネス、強請・・・、チェチェンは骨の髄まで戦争で富を成すものたちにシャブリ尽くされてしまった。99年プーチンが大統領に就任後、石油景気により自信を取り戻したロシア、そしてロシアはチェチェンを徹底的に弾圧・破壊をおこない、自国内の独立を目論んでいた共和国への強烈なメッセージとして見せしめた−独立を考えたらチェチェンのようになる、と。

 我々を恐怖に陥れた武装勢力、グロズヌイから列車に乗り込んできた売り子の人たち・・・、皆無事に生きているのだろうか?武装勢力であろうとも私が出会った人たちは生きていて欲しい。戦火を何とか切り抜けていて欲しい。ただただそれを祈っている。私は第二次チェチェン戦争が開始された後、マディナ一家のことが心配になり手紙を何度か送ったが、一度も返信がなかった。彼らが引っ越したのか、それともロシア政府の厳しい規制によりチェチェン人への手紙が届かないようになっているのか、私にはわからない・・・。いつかまた彼女達の素敵な笑顔をもう一度見てみたい。

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 自転車 タクシー ヒッチハイク
航空会社
アエロフロート・ロシア航空

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  • 命の恩人のでもある車掌たち。彼らがいなければ本当に自分はどうなっていたか・・・。思いっきり自分のディーパックを抱きしめられました(笑)<br />

    命の恩人のでもある車掌たち。彼らがいなければ本当に自分はどうなっていたか・・・。思いっきり自分のディーパックを抱きしめられました(笑)

  • チェチェン人の家族。

    チェチェン人の家族。

  • 私にはとても親近感を持って接してくれましたが、周りの乗客たちは、チェチェンとの戦争の最中ということもあってか、チェチェン人と話す事をあまり良しとしませんでした。

    私にはとても親近感を持って接してくれましたが、周りの乗客たちは、チェチェンとの戦争の最中ということもあってか、チェチェン人と話す事をあまり良しとしませんでした。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • kanaさん 2015/07/22 09:09:24
    鳥肌がたちました
    worldspanさん

    一連の旅行記を拝見しました。
    いやー、凄いご経験をされてますね
    私は、たまに「今までで一番危ない経験は?」と聞かれ、その時は、ウユニ塩湖での遭難と答えますが、レベルが違います。
    驚きましたの一言です。

    でわでわ
    kana

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2015/07/23 08:17:19
    RE: 鳥肌がたちました
    kanaさん

    こんにちは。コメント➕投票ありがとうございます。この頃はホンマに無茶な旅をしていて、ベルリンからワルシャワ間の夜行列車では強盗が出ると言われてたのに、無防備に二等客室で寝ていて実際に襲われ、首にかけていたパスポートホルダーを切られたり(95年)、同じ年にウクライナからドニエストルを経て、モルドバに入国した時には入国審査を受けぬままモルドバに入ったため、出国の際に不法入国を疑われ、拘束されたり、ロシアで三回もゲイに襲われ、一度はトイレに引きずり込まれかけたり、同じロシアですぐ近くの地下鉄の駅でテロが発生し、危うくテロに巻き込まれかけたり(この時初めてモスクワでテロによる死者が出た事件でした)。。。

    怖い目には何度も遭ってはいますが、チェチェンでの事件がやはり一番衝撃的でした。いまはチェチェンも落ち着いてはいますが、チェチェン紛争が、ちょうどいまのようなイスラム国のようなものがある時代に起こっていたとするならば、恐らく殺されていたと思います。本当にラッキーとしか言いようがありません。この後皆でドンチャン騒ぎして、ウォッカでつぶれてる間にお金をすられてしまい、ロストフという町で乗り換えの切符を買ったら手持ちのお金が1$しかなくなり、2日間、500ミリのペットボトルに10分の1だけ残された水をチマチマ飲んで生き長らえ、チェチェンを過ぎたあともお金がなくてホンマにきつかったです。しかもモスクワは氷点下、なにも食べてないので寒さで片手を抑えても震えが止まらず、この時の精神状態もおかしくなる感じでした(笑)。幸いトラベラーズチェックは残っていたので、当時紙屑のようなロシアルーブルに換金して、何とかしのぎ、バルト三国でロシアルーブルからエストニアクローンやラトビアのラトに、換金し、ホッとしました。ほんまこの時の旅はロシアを出るまで死に物狂いの旅でした。

    PS 今バングラデシュからインドを経てネパールに娘と二人旅で訪れています。9月には東京でのオフ会に参加致しますので、またよろしくお願いします。

    worldspan
  • ムロろ~んさん 2014/12/22 00:03:54
    読んでビックリ\(◎o◎)/!
    worldspanさん

    こんばんは、ムロろ〜んです。
    チェチェンに行かれた旅行記を拝見しました。
    本当に緊迫した車内、読み手の私もドキドキしてしまいました。
    本当に助かって良かったと思いました。
    車掌さんの言葉、すごいなぁと思ってしまったんです。車掌さんには本当に感謝ですよね。

    実際の旅先、平和だったら絶対良い所だろうなぁと思ってしまいました。

    それとは関係ないですけれど、ロシアの中に「ヨーロッパの仏教国」カルムイク共和国があることを初めて知りました。チベット系の仏教寺院があるのですけれど、本当にこの地で、ただただ驚いてしまったんです。


    ムロろ〜ん(-人-)

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2014/12/22 07:59:47
    RE: 読んでビックリ\(◎o◎)/!
    ムロろ〜んさん

    こんにちは。コメントありがとうございます。チェチェンでの列車ジャック、、いまでもあの時は生きた心地がしなかったことを直ぐに思い出されます。しかしかといって、我々日本人ははチェチェンと戦争をしていたわけではないので、私自身恨みつらみはもってませんが、戦争の当事者ともなれば、そんな感情にならないのかもしれません。
    カフカス(コーカサス)には多くの共和国が点在しカルムイク共和国もその一つ。昔旅行人で取り上げられたことがありますよね?また時間があればこうしたロシア連邦を形成する共和国を巡る旅をしたいのですが、ご存知の通り、ロシアの旅行は非常にお金がかかる上、安易にビザをとることができず、しかも訪れる町ごとにレギストラーツィアの手続きをしないといけない煩わしさ。特にカフカスでは警察の賄賂の問題もあるので、躊躇しています。
    もう少し旅がしやすい国であればいいんですけどね!
    今は自分の専門領域でもある中東欧を離れた旅をしてますが、またこちらの方面に回帰した旅をしていきたいとはおもっています。

    worldspan
  • 子連れ旅人さん 2014/12/10 00:31:18
    すごい経験をされているのですね。
    Worldspanさん、こんにちは。投票有難うございました。
    チェチェンのこのお話、全部読ませていただきました。
    本当にすごい経験をされていらっしゃるんですね。

    現在はウクライナ情勢が悪化していますが、東欧のこういった国々は大きなロシア政府の背景にこういう現代史をたどる運命になってしまったのですね。とはいえ、わたしはここらへんの事情にあまりにも無知なので、どんな表現を使っていいのか分かりませんが・・・。

    飛行機の中から見るロシアやシベリアは白い白い大地ですが、その地上ではとてつもないドラマが繰り広げられているのですね。

    こういう構図は日本とて他人事ではなく、将来、中国からのこういった影響を受ける可能性だってあるのですけれど・・・。私も含めて日本人は平和に慣れすぎていて、危機感に欠けるな・・・と思います。

    自分自身、何年か前、クロアチアで地雷の森に車で迷い込み、戦時ではないにしろ、戦争という状況が日常ならば、何の理由もなく命さえも普通に搾取されることはありうるのだ・・・と実感しました。

    読み応えある記事を有難うございました。またの続編、楽しみにしています。

    worldspan

    worldspanさん からの返信 2014/12/11 12:24:59
    RE: すごい経験をされているのですね。
    こんにちは
    コメントありがとうございます。
    私の祖父は若い頃中国のハルビンに住んでいたのですが、当時のハルビンは日本人はもちろん、ユダヤ人やドイツ人、英国人やフランス人がすむ国際都市で、中でもソ連から逃れた白系ロシア人が多く、元々ロシア人によって作られた町なので、ロシアのような町並みで「東洋のパリ」と呼ばれていたそうです。
    祖父はこうしたロシア文化に触れ、小さい頃からロシアやソ連、その衛星国の話を聞いて育ったので必然的に周辺国に興味を持ち、学生時代は中東欧史、特にハンガリーとクロアチアの関係史や旧ユーゴ圏を研究していました。
    そんな中でもクロアチアには内戦中でも首都ザグレブにも訪れたり、終戦間なしにクロアチアから独立を試みたクライナセルビア人共和国やザダールを通りましたが戦争の痕が生々しく衝撃を受け悲しくなりました。クロアチアがセルビア人の自治を認めてさえいれば内戦にまで発展しなかったのに・・・、と。
    さて、チェチェンでの話、、、チェチェン独立派が過激だったとはいえ、今のアルカイーダやイスラム国のように極端な思想ではなかったので救われた感じがあります。もしあの時こうした勢力がチェチェンにも存在していたならばきっと最悪の事態になっていたことでしょう。
    チェチェン内戦は終結しましたが、チェチェンでは誘拐ビジネスや腐敗も凄まじく、チェチェンにしてもクロアチアのクライナにしても敗戦すると、その民族の人権すら失われることを改めて感じました。

    worldspan

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