1995/02/25 - 2003/12/23
680位(同エリア1579件中)
関連タグ
worldspanさん
- worldspanさんTOP
- 旅行記664冊
- クチコミ5664件
- Q&A回答107件
- 2,342,245アクセス
- フォロワー335人
2007年1月1日、ブルガリアがEUに加盟したと聞いて耳を疑った。旧COMECONの中で最貧国ともいわれたブルガリアがこんなに早くEUに加盟できるとは・・・。経済が回復したとは言え、ブルガリアはEUでも最貧国である事には変わりはない。「ソ連に最も近い国」だったにも拘らず、斯くもあっさりと EUに加盟するとは10年前には考えられもせぬ事だ。
ブルガリアがCOMECONの一員だった頃、ブルガリアは最も親ソの国として知られ、ソ連に忠実な「16番目の共和国」と揶揄されていた(ソ連は15の共和国により形成されていた)。ブルガリアがソ連衛生国で最もソ連に近かったのには歴史的背景がある。
中世の時代、二次に渡りブルガリア帝国は繁栄し、第一次ブルガリア帝国シメオン帝(在位893〜927)時代にはブルガリア正教を確立、一時はコンスタンティノープルを都とするビザンツ帝国を脅かすほどの勢力を誇っていた。そして第二次ブルガリア帝国時代のアセン2世(在位1218 〜 1241年)の治世には、ブルガリアはアルバニアからマケドニアに至るまでの最大版図を誇っていた。しかしその繁栄も長く続かない。第二次ブルガリア帝国はオスマン・トルコにより1396年に滅ぼされ、ブルガリアはトルコのくびきで約500年もの間苦しみを味わう。
このオスマン・トルコの圧政は、1878年露土戦争により終焉を迎える。オスマン・トルコに対する帝政ロシアの歴史的勝利により、ブルガリアは大幅な自治権を認めらる自治公国となり、トルコに対する独立への道を歩む事になる。近代ブルガリアの独立と建国はロシアなくして成り立たなかった。それが親ソたる所以だ。
私が初めてブルガリアに訪れたのは95年2月、ソフィアに降り立ったが、町の印象はまさしくソ連の一都市の様相だった。プラハ、ブダペスト、ワルシャワ・・、旧東欧圏の首都は夫々個性豊かで魅力ある街が多いが、ソフィアは整然とし、面白味に乏しい。ああ16番目の共和国なのだなというのが第一印象だった。
当時ブルガリア経済がどん底へ向け急降下している時期だったせいもあり、どことなく陰鬱な雰囲気、町の規模も本当に人口100万人の都市なのだろうかと疑ってしまうほどだった。この時オペラを国立オペラ・バレエ劇場で観劇したが日本円換算で僅か30円、そしてソフィア市内バス・トラム共通一日券が何と激安の20円強、旧東欧圏では群を抜いた物価の安さだった。
町の人たちと話す機会が何度かあったが、いずれもフットボールの94年ワールドカップでブルガリアが4位に入る活躍を見せ、ストイーチコフが得点王になった事を、ブルガリアの誇りとして興奮しながら話していた印象ばかりが残った。
経済が停滞し、生活も上向かず先の見えぬ将来、そして不安、ブルガリアのナショナルチームはブルガリア人を勇気付けたのには間違いないだろう。しかしブルガリアはここから奈落の底に落ちていく。私が訪れた95年、通貨価値が1ドルが65レバあったが、翌年にはその通貨価値が10分の1以下にまで落ち込む経済危機に陥り、経済は破綻をきたす。
ところが、03年、通過を除けば8年振りにソフィアに訪れた時には驚くほど町が様変わりしていた。町には活気があり、ソ連と言うよりも「欧州」の香りのする町の雰囲気になっていた。
95年には市内中心にKFCがわずか一店舗のみしか外資のファーストフード店を見つけることしかできなかったが、03年にはマクドナルドも進出し、多くの家族が食事を楽しみ、賑わっていた。旧東欧圏では外資のファーストフード店は高級レストランに位置づけられているにも拘らず、である。町も垢抜けたが、町を歩く若者達もあか抜けた。そして若者達が集うНДК(エンデカ)と呼ばれるコンサートホールやボーリング場、映画館、ショッピングも楽しめる総合複合施設は、以前訪れた時には電力不足の為か内部は薄暗く、品揃えもお世辞にも良いとはいえなかったが、二度目のソフィア訪問の時には内部は格段に明るくなり、品揃えも充実し、多くの人たちが買物に訪れていた。僅か数年の間に経済危機を建て直し、この見事な回復ぶりに驚くばかりだった。それでもEUに入るには早すぎるような気がしてならない・・・。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー ヒッチハイク
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
-
95年、初めてブルガリアに訪れた時、旧東欧圏でもっとももロシアの雰囲気に近いと言う印象でした。
-
ブルガリアを代表する劇作家の名前を冠した立派なイヴァン・ヴァゾフ国立劇場
-
勝手にブルガリアらしい模様の壁だなーっと思い撮影しました。
-
2000年にトランジットでソフィアの街を通過しましたのを除き、ブルガリアに訪れたのは03年が8年ぶりでした。街のソ連のような雰囲気が欧州的にガラッと代わり驚きました。当時は外資ファーストフード店といえばケンタしか見当たりませんでしたが、今ではマクドもお目見えしています。
-
泣く子も黙る旧共産党本部。流石元一党独裁政権の本部だけあって建物はブルガリアで最も立派です。
-
1913年に建立されました聖ニコライロシア教会
-
ブルガリアが500年のトルコの頚木から開放されるきっかけとなった露土戦争(1877〜1878)で戦死したロシア軍の兵士を鎮魂する為に40年の歳月を経て1920年に建立されましたアレクサンダル・ネフスキー寺院。
-
横から見ると良くわかりますが、その規模、美しさはブルガリアきっての建築物です。
-
ブダペストの中央市場に似ていますが、趣向は市場と言うよりも商店街に近いかも。
-
ソフィアからマケドニアへ向かうバスからの車窓。ソフィアは人口110万人の都市(日本で言えば広島よりも規模が小さい)なので、バスは直ぐに街を抜けます。郊外はこの通りかなり田舎です。
-
95年に訪れたコチェノリヴォ近郊の村。典型的なのどかな雰囲気です。駅からリラの村までミニバスで向かいましたが、アジア人が珍しいせいか、村人からジロジロ見られていました。
-
95年、コチェノリヴォから、一度リラ村へ行き、そこで更にバスに乗り換えてリラの僧院へ。僧院は10世紀にはこの森の中に作られていたそうです。現在の姿は14世紀改築されました。500年のオスマン・トルコの支配下の中で多くの教会がモスクに変えられる中、リラの僧院は僻地にあることも幸いし、その支配を殆ど受ける事がなかったそうです。
-
ブルガリアは第二次ブルガリア王国の時代13世紀から14世紀、僧院では修道士達の免税の特権があることから、修道士達の文化が黄金期を迎えていました。僧院の壁や天井には約1200もの聖書の情景やキリストが亡くなるまでの情景が描かれています。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
worldspanさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ブルガリア の人気ホテル
ブルガリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ブルガリア最安
478円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
13