2007/12/09 - 2007/12/09
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まみさん
デジカメを手にして4度目の川越散策です。
デジカメを初めて手にしたのは去年(2006年)3月末のことなので、いまのところ年に2回の割合になります。
ようやります@───といっても、川越市内は、被写体を求めるのにアクセスしやすい格好な場所なんですもの。
いつもは喜多院までしか足をのばさないのですが、今回の目当ては紅葉です。
川越散策が4回目であろうと紅葉の時期に訪れるのは初めてです。
紅葉といえば、木があればあるほど、チャンスは増えそうですから(ホントか?)、今回は川越城跡本丸御殿と三芳野神社にも行ってみることにしました。
ただ、喜多院までなら、東武東上線の駅から歩いて行ってしまえますが、本丸御殿までとなると、うーん。
川越駅から出ている「小江戸めぐりバス」を利用することにしました。
本丸御殿と三芳野神社に行く場合、下りる停留所は市立博物館前が一番近いです。
時間があったら、博物館めぐりもいいかもれません。
その隣の市立美術館も興味津々@
───とは思ったのですが、捕らぬタヌキの皮算用。
本丸御殿内の拝観と三芳野神社の紅葉撮影で、お昼を過ぎてしまいました。
紅葉狩りといえば一番のハイライトの喜多院に、まだ日が出ているうちに行くためには、博物館、美術館はあきらめなければなりませんでした。
そう、川越の紅葉狩りのハイライトは、やっぱり喜多院でしたね。
とはいっても、本丸御殿では写真OKでしたし、夕方、帰路につくとき、小江戸めぐりバスで蔵の街を走り抜けたとき、少しばかり街の写真を車窓から撮ることができました。
あいにく時の鐘はありませんが。
また、三芳野神社と、喜多院に行く途中で寄り道した御嶽神社でも、紅葉撮影を十分、楽しむことができました。
というわけで、この日の紅葉求めての川越散策は、3つの旅行記に分けて作成することにしました。
その1:川越城本丸御殿とバスの窓から見た蔵の街
その2:三芳野神社と御嶽神社で紅葉狩り
その3:喜多院で紅葉狩り
その1のこの旅行記は、紅葉より歴史散歩───というより、昔なつかしの世界というところでしょうか。
本丸御殿の畳の広間や縁側、そして蔵の街の家も、どこなく昔の祖父母の家───あるいはそれに近い匂いを醸し出していたからです。
※いままでの川越散策旅行集
2006年、まだデジカメを手にしてまだまもない頃
「川越と喜多院散策その1:ツツジはまだだった〜(泣)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10064024/
「川越と喜多院散策その2:五百羅漢と市内散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10064029/
2006年の喜多院訪問と菊まつりの旅行記
「秋の花はやっぱり菊ですね@:川越喜多院・菊まつり」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10105086/
2007年秋、喜多院菊まつりに行くついでに
「喜多院菊まつりにかこつけた川越散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10198521/
「足下から見る川越&歴史博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10198525/
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小江戸めぐりバスとチラシその他
内訳:
・小江戸めぐりバスのチラシ(和・英)
・小江戸めぐりバスの一日フリー券
・川越城本丸御殿の拝観のときにもらったチラシ
・Mapionの川越マップ(喜多院で検索)
・喜多院の奥殿拝観のときにもらったチラシ
・ネットの川越情報をプリントアウトした一部 -
小江戸めぐりバスのルートマップ
東武東上線川越駅前を出発して、市内の観光ポイントに便利な停留所をぐるっと回り、東武東上線川越市駅を経由して、川越駅に戻ってきます。
逆ルートはなく、一方通行です。
小江戸めぐりバスは東武バスの一路線バスともいえます。
運賃は、おそらく他の路線バスと同様、この圏内では170〜180円というところでしょう。
一日フリー券は300円。
ちなみに、川越駅の観光案内所の方によると、500円の小江戸めぐりバスもありました。ルートはあまり変わらないといわれて私は安い方にしました。
今日は川越散策でも紅葉撮影が主な目的だったので、市内をくまなく回る予定はなかったのです。
それでも一日フリー券を買い、2度乗車して、十分おトクでした。
乗車した経路は、最初に川越駅から7番停留所の博物館前で下りて、ここから川越城本丸御殿と三芳野神社へ行きました。
その後は歩いて喜多院へ向かう途中、御嶽神社を見つけて寄り道しました。
喜多院散策がすんだ後、もう一度この小江戸めぐりバスに乗って、ぐるっと市内を回って、川越市駅で降りました。
途中、バスの車窓から蔵の街がちょっとだけ覗けました。
「時の鐘」は見えませんでしたけど@
車内放送で、各停留所に近い観光名所の簡単な解説もあったので、観光バス代わりにもなります。
停留所名は、英語・中国語・韓国語でも案内していました。 -
川越城跡本丸御殿
思いっきり逆光でした……。
でもやっと実物を見ることができました。
菊まつりのときに川越にやって来た前回(11月18日)は、歩道タイルや標識でしか本丸御殿を拝められなかったんですもの。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13015213/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13015222/
関連の旅行記
「足下から見る川越&歴史博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10198525/
「川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したものです。当初の規模は、後の本丸・二の丸を合わせた程度と推定されています。
やがて川越城は、天文6年(1537)後北条氏の占拠するところとなりましたが、同15年(1546)川越城の奪回を図った上杉氏は後北条氏の奇襲に会い、大敗して群馬に逃れ、それ以後、後北条氏の支配が決定的となりました。川越城を掌中に収めた後北条氏は、周辺の旧上杉氏所領を直轄領に組み込むとともに、城代として譜代の重臣大道寺氏を配置しました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家に攻められて落城しました。やがて同年8月徳川家康が一族家臣を従えて関東に移るにおよび、重臣を重要な地に配して領国の安定を図りました。川越には酒井重忠が1万石をもって封じられ、ここに川越藩の基礎が成立しました。」
(川越市のオフィシャルサイトより引用(前半)
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1111720186503&SiteID=0 -
唐破風玄関
靴をスリッパに履き替えて中に入ります。
拝観料は大人100円です。
写真撮影OK@
「寛永16年(1639)、川越藩主となった松平信綱は川越城の拡張・整備を行い、近世城郭の形態を整えることとなりました。即ち本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、三つの櫓、十二の門よりなり、総坪数は堀と土塁を除いて4万6千坪となりました。
川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典(なりつね)が造営したもので、16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治維新後次第に解体されていきました。現存しているのは玄関部分と、移築復元された家老詰所のみです。」
(川越市のオフィシャルサイトより引用(後半)) -
広間と使者の間を隔てる「絵帯戸」
「寛永16年(1639)、川越藩主となった松平信綱は川越城の拡張・整備を行う。川越城は、本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪(くるわ)、4つの櫓(やぐら)、13の門よりなり、総面積が約9万8千坪(約326,000平方メートル)余りの規模をもつ城郭となった。
川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典が造営したもので、当初は16棟、1025坪(約3,388平方メートル)の規模を誇っていた。現在は玄関・広間部分と移築復元された家老詰所を残すのみであるが、日本国内でも御殿建築が現存する例は極めて少なく貴重である。」
(本丸御殿で拝観のときにもらったチラシより)
川越オフィシャルサイトと本丸御殿のチラシと、櫓や門の数がちょっと違うのは……時期によるのかしら。 -
屋敷を囲む塀を内側から眺めたところ
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広間から見た中庭
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家老の詰所へ続く廊下
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家老の詰所から見た中庭
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家老の詰所のぽっかぽかの縁側
拝観の訪れた人は、みなしばし縁側に座って日向ぼっこしました。
「昔の家にはたいていこういう縁側があったのよね」となつかしみながら。 -
家老の詰所から見た中庭
ああ、庭に下りていって、近くであの紅葉が撮りたい!
(下りちゃダメなんですけどね。) -
家老たち
人形ですよ、もちろん@
等身大というより、一回り大きい気がしました。
貴重な家老の詰所
「家老詰所は、明治6年(1873)上福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで母屋として使用されていたものである。これをもらい受け修理復元した。光西寺に残された平面図を見ると、この建物は本丸御殿の奥に土塀で囲まれた家老という住職の居所であり、全国的にも貴重なものである。」
(本丸御殿で拝観の際にもらったパンフレットより) -
紅葉のある中庭
やっと紅葉狩りらしい写真を撮ることができました。
これはアングルに苦労しました。
なかなか気に入る構図にならなくて、何度もあきらめたのです。
この木の紅葉はややピークを過ぎていましたが、こうやって光が当たっているところを撮れば、まだまだ十分、愛でられます@ -
「鎌之間」に展示されていた駕籠
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外から覗いてみた本丸御殿の中庭
「(前略)現在に残る川越城本丸御殿は、明治維新後の解体により嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典により再建されたものの一部であり、現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。玄関に入ると廊下がぐるりと部屋を取り囲んでおり、いくつかある部屋の装飾は質素で装飾などは最低限に止められているが、部屋を仕切る扉に描かれた杉戸絵や車寄せの構えは豪壮でさすがに御殿と呼ぶにふさわしい造りである。
大広間にいまだに残る松の絵の絵板戸や、現存する家老詰所には家老の人形などがあり、当時の家老たちのやりとりに思いを馳せるのも楽しい。」
(川越観光局オフィシャルサイトより)
http://www.koedo.or.jp/0_japanese/site-spot/honmarugoten/index.html
現存しているのは玄関と入ってすぐの大広間と移築復元された家老詰所のみ。
ゆえに拝観料100円という安さかな。
拝観も、確かにそれほど時間がかからないで終わりました@ -
小江戸めぐりバスの車窓から見た蔵の街
なんとか撮れた蔵造りの家
川越城本丸御殿の拝観後、すぐ隣の三芳野神社、それから喜多院に向かう途上にあった御嶽神社、そして喜多院で紅葉撮影を楽しんだあと、喜多院前から再び小江戸めぐりバスに乗り、そのままぐるっと市内を回って、終点手前の東武東上線川越市駅で降りました。
小江戸めぐりバスのルートマップで蔵の街を通り抜けることは知っていたので、今回は蔵の街の写真は、バスの車窓から撮るにとどめることにしました。
だって今回の川越散策の一番の目的は、紅葉撮影なんですもの。
蔵造り
「享保5年(1720)に幕府の奨励で、江戸の町に耐火建築として蔵造り商家が立ち並ぶようになりました。江戸との取り引きで活気のあった川越の商家もこれにならい、蔵造りが建つようになりました。重要文化財である大沢家住宅は、寛政4年(1792)に建築されたものです。
明治26年(1893)、川越大火が起こり、川越町(当時)の3分の1を消失しました。現在の蔵造りの多くは、これを契機に建てられたもの。一番街を中心にそれぞれ個性のある蔵造りが建っています。」
(川越市オフィシャルサイトより)
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1099288676006&SiteID=0 -
小江戸めぐりバスの車窓から見た蔵の街
「志まんやき」屋さん
でも、志まんやき、ってナニ?
蔵の街通りは、車はなかなか渋滞で、バスはのろのろ運転でした。
といっても写真を撮るにはスピードがありすぎました。
限られたシャッターチャンスで撮った写真は、観音開きの重厚な窓のある家ばかりではありませんでしたが、それなりに風情のある家を狙うことができました。 -
小江戸めぐりバスの車窓から見た蔵の街
かつおぶし屋さん
店先の白いちらちらは、きっとクリスマスイルミネーションではないかと思います。
(違っていたら、あしからず@) -
小江戸めぐりバスの車窓から見た蔵の街
手打ちそば屋さん
店先の紅葉とサザンカ(たぶん)がイイかんじ@
でも私の好みは、そばよりうどんだったりします。 -
小江戸めぐりバスの車窓から見た蔵の街
これはほとんど後ろ向きになって撮りました。
ここでバスは左折して、蔵の街の通りは終わりになりました。
どの家も昔なつかしいような、独特な雰囲気があり、ぜひ歩いて回りたいところだと思いました。
でも、川越散策にまた来る機会はあると思うんです。
そのときの楽しみにしましょう。
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