2007/12/09 - 2007/12/09
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まみさん
童謡や童話は、意外に残酷なエピソードが下敷きになっていたりすることは、今ではよく知られています。
でも、子供の頃、口ずさんだ童謡を、よく考えたらなんだか怖そうな歌詞だな、と思っても、大人になっていちいちその背景を調べたりしません。
そんな童謡の一つ、とうりゃんせの唄。
そもそも発祥の地として特定されるところがあったなんて、知りませんでした。
神社なら紅葉撮影に良いスポットがあるだろうと行ってみた三芳野神社。
本丸御殿サイドの駐車場から入ってみたら、「とうりゃんせの唄の発祥の地」と、でかでかと看板がありました。
あの唄って、神隠しの唄かと勝手に思っていた私。
お札を納めに参った親子は、2度とこの世に戻ってこなかった、それでもいいなら通りやがれ、という意味かと(笑)。
初めてその由来と歌詞の意味を知りました。
紅葉求めての川越散策その2では、4度目の川越散策で今回初めて訪れた2つの神社───三芳野神社と御嶽神社での写真を集めました。
ただし、目的はなんといっても紅葉撮影。
紅葉の木を見上げ、足下の落ち葉を見下ろし───おかげで、その間の神社はあんまり注目しませんでした(笑)。
※いままでの川越散策旅行集
2006年、まだデジカメを手にしてまだまもない頃
「川越と喜多院散策その1:ツツジはまだだった〜(泣)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10064024/
「川越と喜多院散策その2:五百羅漢と市内散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10064029/
2006年の喜多院訪問と菊まつりの旅行記
「秋の花はやっぱり菊ですね@:川越喜多院・菊まつり」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10105086/
2007年秋、喜多院菊まつりに行くついでに
「喜多院菊まつりにかこつけた川越散策」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10198521/
「足下から見る川越&歴史博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10198525/
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黄金色の紅葉がまぶしい三芳野神社の境内へ
三芳野神社は、とうりゃんせの唄の発祥の地です。
川越城内にあったため、一般の人の参詣は難しく、「とうりゃんせ」はその様子が歌われているとのことです。
そうかぁ。もしその当時に生きていたら、私もとても参詣できなかったかも。
神社と教会違いですが、お城の中にあったということでは、プラハの聖ヴィート大聖堂などを真っ先に思い出してしまいました。
あちらは時代的にも、お城が城塞の役割をしていて、有事には民衆もお城にこもって戦ったろうから、民衆も礼拝に行けたと思うのですが……案外、その頃は身分の高い人しか教会の敷居がまたげなかったんだったりして。 -
境内の一番大きなイチョウの木
この日は風も強かったため、黄色いイチョウの葉がはらはらと、雪のように降り注いでいました。
物悲しくも、美しい光景でした。
このイチョウが目に見えて細くなっていくのが残念でしたけど。 -
一面のイチョウじゅうたん
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ふわふわなイチョウじゅうたん
できたてです@ -
お城の天神さまである「三芳野神社」
(県指定文化財)
川越城の鎮守として寛永元年(1624年)、時の城主酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営されました。
明暦2年(1656年)には、4代将軍徳川家綱の命を受けた川越城主松平信綱により大改造が行われたそうです。
そのような歴史があったとは信じられない、ささやかな神社に見えました。ちょっと古びていたので、ちゃんと建物を見なかったせいもあるかも。
(参考:ウィキペディアフリー百科事典「三芳野神社」) -
鈴を鳴らして拝みましょう
とうりゃんせの唄の由来は、紅葉が撮りたい、と気が急いでいたので石碑を読まず、あとでネットで調べました。
「童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしなければならなかった。また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と唄われるようになり、それが伝わっていったものと思われる。なお、参道は江戸時代より若干変化している。」
(ウィキペディアフリー百科事典「三芳野神社より」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8A%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE -
黄色く色づいた木の陰から境内のイチョウを覗き見
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小高い東屋から境内を見下ろして
学生たちの姿がよく目につきました。
そういえば近くに川越高校があります。お隣にはグラウンドもあって、野球の試合の最中でした。 -
ベンチで休む
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晴れ空のモミジを見上げて
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たった今、落ちたばかりの黄色いモミジ
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掃き溜めに鶴?
さて、私が鶴と呼んでいるのは、どの子でしょう@ -
モミジの根元は宝の山@
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カラフルな石段
三芳野神社から歩いて喜多院へ向かう途中。
かつてのお城の堀跡と防禦のための櫓(やぐら)跡のそばを通りかかりました。
美しい紅葉に誘われて、好奇心のままに寄ってみました。
この奥に、御嶽神社がありました。
※櫓(やぐら)
四方を展望するために設けた高楼。城郭建築では、敵情視察または射撃のために城門・城壁などの上に設けた。城楼。
(広辞苑第五版図版より) -
威嚇するお稲荷様!?
私の目は、後ろにチラッと見える美しい紅葉の木に釘付け@ -
御嶽神社の拝殿を見上げながら紅葉を愛でる
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赤と黄色の競演
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枯葉の石段を下りる
★富士見櫓(やぐら)跡
「御嶽(おのんたけ)神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。
櫓は矢倉とも書いて、合戦の時に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた建物を意味するが、天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりとなっていたと思われる。
今日では木々や建物のため、すっかり眺望も失われてしまったが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めたことであろう。
元来、城の構造及び構造物は戦略上の都合もあって、その大部分が明らかにされることなく、正確な規模は分からないが、江戸時代の慶応二年(1866)に川越城を測量した時の記録によれば、この富士見櫓は長さ八間三尺(約15メートル)、横八間(約14メートル)あったと記されている。」
(立て看板より) -
おまけ
可愛い「阿吽(あうん)の狛犬」@
ひまわり幼稚園前にて
「阿吽(あうん)の狛犬
“あ”・・・は宇宙の卵が割れる音だ。
世界が始まる音。
・・・“ん”で一切をのみこむ。
空(くう)だけどすべてがある。
あ・うんの呼吸の間に一切がある。
村田さち子
口を開くと最初にでてくる音は『阿(あ)』
口を閉じた最後の音は『吽(うん)』
サンスクリット語で、最初と最後をあらわす、この二文字の『阿吽』は、万物の存在の真実を表現しているといいます。
右側に口を開いた狛犬の阿形(あぎょう)。
左側に口を閉じた狛犬の吽形(うんぎょう)。
邪悪の侵入を禁じ、聖域を守る狛犬は、子供たちの日々の安全を見守ってくれています。」
(像の下のプレートより)
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