2013/11/04 - 2013/11/04
725位(同エリア2201件中)
滝山氏照さん
西武新宿線本川越駅から徒歩約15分、青龍山・養寿院(ようじゅいん、埼玉県川越市元町)には平安末期における武蔵国最大の豪族でなおかつ秩父一族の惣領である河越重頼(かわごえ・しげより、生誕不詳~1185)の供養塔があります。
重頼は源頼朝(みなもとのよりとも、1147~1199)の御家人として幕府創設に大きな役割を果たし、加えて重頼の妻は頼朝の乳母であった比企尼の娘でもあり深い信頼を得ていました。
然しながら義経が頼朝の推挙を得ずに検非違使の任を得たことで頼朝は激怒し、これを機に義経と頼朝の不和となるきっかけとなります。
その後双方の溝は深まる一方、ついに頼朝は義経を追討する姿勢に転じます。また頼朝は自らの肝いりで重頼の娘を義経の正室として推挙した立場でありながら義経との連携を未然に防ぐためか重頼の所領を没収、そのうえ嫡男重房(しげふさ、1169?~1185)と共に誅殺します。
頼朝は河越氏を滅亡させることまで考えていたわけではなく、やがて没収した所領は一部を除き本領の河越郷を始め、所領の大部分を重頼の母親に預けて知行させ、更に文治3年(1187)にはその河越郷を重頼の後家尼に安堵しています。
養寿院を開基したのは重頼のひ孫である経重(つねしげ、生没不詳)で義経と親戚関係となった故に連座して死罪となった重頼親子を弔うため当寺に供養塔を建てたと伝えられています。
川越重頼の墓所入り口には下記の通り紹介されています。
「 伝 河越太郎重頼の墓
川越氏は、坂東八平氏の一つ秩父氏の出で、重頼の祖父重隆のころに川越に進出し、河越氏を名乗った。
河越氏は源頼朝が挙兵した当時、敵対していたが、重頼の妻が頼朝の乳母・比企禅尼の娘であったこともあり、後に頼朝方について平氏を追討、鎌倉幕府の樹立に力を尽くした。重頼の娘は、義経の正妻に選ばれ上洛するが、頼朝・義経が不和になると、重頼は誅殺され、所領は没収された。
この五輪の塔は。河越太郎重頼の墓として当院に伝わっている。
小江戸川越観光推進協議会
(社)小江戸川越観光協会 」
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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養寿院・正門
「蔵造りの町並み」を北進、時の鐘を右手に見て小路を左折直進突き当りに養寿院正門が控えています。 -
養寿院・寺標
「漕洞宗 養寿院」と刻された石標が正門左手に建立しています。初期は天台宗でしたが天文4年(1535)に漕洞宗に改め、江戸時代になると御朱印10石を賜るなど古刹として有名です。 -
養寿院・山門
山門は閉鎖されています。 -
養寿院・境内
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養寿院・境内
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養寿院・本堂
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養寿院・庫裡
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養寿院・境内
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河越氏廟所案内
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河越氏廟所参道
本堂の左脇通路を直進します。 -
河越氏・廟所
廟所入口には石段が造られ、左には説明板が立っています。 -
河越氏・供養塔
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河越氏・供養塔(全景)
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イチオシ
河越氏・供養塔(近景)
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河越氏・供養塔(近景)
後ろ斜めから供養塔を捉えます。 -
供養塔背後の墓石
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「河越太郎重頼墓」説明板
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河越氏廟石碑
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河越氏廟周辺風景
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養寿院境内風景
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蔵造りの町並み
養寿院正門を直進すると蔵造りの町並みに出ます。小江戸を見事に演じるお土産を揃えたお店が立ち並びます。
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