那須旅行記(ブログ) 一覧に戻る
奥の細道を訪ねての旅の第6回最初の訪問先は栃木県と福島県の県境白河。<br />距離が遠くなったのに伴い、上野出発の時間も早くなり、朝7時半。<br /><br />奥の細道を訪ねての旅で何度か通った同じ東北自動車道だが、第6回が最後の日帰りの旅だと云うので、荒川に架かる橋の景観も名残り惜しく、何枚か写真に収める。<br /><br />大谷SAで休息後は、境の明神での下車の注意が行われる迄ついウトウトしてしまっていた。<br /><br />芭蕉達は芦野の遊行柳を訪れた後、旧奥州街道を北進し、次の宿・旗宿に腰を落ち着ける前に、境の明神を参拝している。<br /><br />芭蕉憧れの歌枕の”白河の関”は、その存在に諸説あり、芭蕉は”白河の関”と云われている地にくまなく足を伸ばしたらしい。<br /><br />現在”古関蹟”の碑が建っている、所謂”白河の関”に加え、今回の我々の旅では訪れなかった関山山頂にある”萬願寺”を訪れたのも”白河の関跡”と云う話を聞かされて為と思われる。<br /><br />現在”白河の関”の名称を冠した地は一か所だが、それは白河藩主でもあった松平定信が、自ら調査した結果として、芭蕉が訪れたおよそ100年後に、この地に”古関蹟”を建立した事によると思われる。<br /><br />我々も”古関蹟”を見学した後、”白河神社”を参拝、関の森を散策しながら、東隣の芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”で昼食。<br /><br />芭蕉達は”白河の関”近くの旗宿に宿を取り、翌朝”白河神社”を参拝後、関山山頂にある”萬願寺”を訪れ、阿武隈川を越え須賀川に向かい、須賀川では相良等躬宅に逗留、7泊している。<br /><br />我々のバスは白河の関から一挙に須賀川に入る。<br /><br />須賀川観光は3.11の地震で今も活動停止に追い込まれたままの須賀川市役所前の、なんとか営業再会に漕ぎ着けた”須賀川市芭蕉記念館”で、記念館の学芸員さんから須賀川での7日間の芭蕉の旅程や、芭蕉達を歓待した地元の俳人たちの歓待の様子の紹介を聴くことから始まった。<br /><br />その後須賀川の芭蕉や、芭蕉が逗留した相良等躬に係わる遺跡を中心に、芭蕉所縁の品々を、明るいモダンな雰囲気に仕立て上げた、しかし良く見るとまだあちこちに3.11の傷跡が残る町並みを散策。<br /><br />須賀川散策の最後は須賀川市立博物館で、館長さんから須賀川住人ならではの芭蕉に纏わる秘話をご披露頂く。<br /><br />須賀川市立博物館前の石塀に”めかくしを とればひゝなの笑顔かな”と云う句が飾られており、その句通りに応対して下さった職員さん方の笑顔が印象的であった。<br /><br />奥の細道を訪ねての旅の第6回の終わりに、芭蕉達も須賀川を発つ前に訪れたと云う”乙字ケ滝”へ回った。<br /><br />奥の細道を訪ねて第6回みちのくの玄関口・白河より須賀川まで 目次<br /><br />奥の細道を訪ねて第6回①荒川に架かる橋々と大谷SAの景観<br />奥の細道を訪ねて第6回②関東と奥州の国境・境の明神(新関)<br />奥の細道を訪ねて第6回③国の指定史跡・関の森の”白河の関”(古関)<br />奥の細道を訪ねて第6回④芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”<br />奥の細道を訪ねて第6回⑤須賀川市芭蕉記念館(八幡神社跡)<br />奥の細道を訪ねて第6回⑥須賀川市内の芭蕉と等躬所縁の地散策<br />奥の細道を訪ねて第6回⑦須賀川市立博物館<br />奥の細道を訪ねて第6回⑧乙字ケ滝

奥の細道を訪ねて第6回みちのくの玄関口・白河より須賀川まで (目次)

2いいね!

2011/09/15 - 2011/09/15

1454位(同エリア1784件中)

WT信

WT信さん

奥の細道を訪ねての旅の第6回最初の訪問先は栃木県と福島県の県境白河。
距離が遠くなったのに伴い、上野出発の時間も早くなり、朝7時半。

奥の細道を訪ねての旅で何度か通った同じ東北自動車道だが、第6回が最後の日帰りの旅だと云うので、荒川に架かる橋の景観も名残り惜しく、何枚か写真に収める。

大谷SAで休息後は、境の明神での下車の注意が行われる迄ついウトウトしてしまっていた。

芭蕉達は芦野の遊行柳を訪れた後、旧奥州街道を北進し、次の宿・旗宿に腰を落ち着ける前に、境の明神を参拝している。

芭蕉憧れの歌枕の”白河の関”は、その存在に諸説あり、芭蕉は”白河の関”と云われている地にくまなく足を伸ばしたらしい。

現在”古関蹟”の碑が建っている、所謂”白河の関”に加え、今回の我々の旅では訪れなかった関山山頂にある”萬願寺”を訪れたのも”白河の関跡”と云う話を聞かされて為と思われる。

現在”白河の関”の名称を冠した地は一か所だが、それは白河藩主でもあった松平定信が、自ら調査した結果として、芭蕉が訪れたおよそ100年後に、この地に”古関蹟”を建立した事によると思われる。

我々も”古関蹟”を見学した後、”白河神社”を参拝、関の森を散策しながら、東隣の芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”で昼食。

芭蕉達は”白河の関”近くの旗宿に宿を取り、翌朝”白河神社”を参拝後、関山山頂にある”萬願寺”を訪れ、阿武隈川を越え須賀川に向かい、須賀川では相良等躬宅に逗留、7泊している。

我々のバスは白河の関から一挙に須賀川に入る。

須賀川観光は3.11の地震で今も活動停止に追い込まれたままの須賀川市役所前の、なんとか営業再会に漕ぎ着けた”須賀川市芭蕉記念館”で、記念館の学芸員さんから須賀川での7日間の芭蕉の旅程や、芭蕉達を歓待した地元の俳人たちの歓待の様子の紹介を聴くことから始まった。

その後須賀川の芭蕉や、芭蕉が逗留した相良等躬に係わる遺跡を中心に、芭蕉所縁の品々を、明るいモダンな雰囲気に仕立て上げた、しかし良く見るとまだあちこちに3.11の傷跡が残る町並みを散策。

須賀川散策の最後は須賀川市立博物館で、館長さんから須賀川住人ならではの芭蕉に纏わる秘話をご披露頂く。

須賀川市立博物館前の石塀に”めかくしを とればひゝなの笑顔かな”と云う句が飾られており、その句通りに応対して下さった職員さん方の笑顔が印象的であった。

奥の細道を訪ねての旅の第6回の終わりに、芭蕉達も須賀川を発つ前に訪れたと云う”乙字ケ滝”へ回った。

奥の細道を訪ねて第6回みちのくの玄関口・白河より須賀川まで 目次

奥の細道を訪ねて第6回①荒川に架かる橋々と大谷SAの景観
奥の細道を訪ねて第6回②関東と奥州の国境・境の明神(新関)
奥の細道を訪ねて第6回③国の指定史跡・関の森の”白河の関”(古関)
奥の細道を訪ねて第6回④芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”
奥の細道を訪ねて第6回⑤須賀川市芭蕉記念館(八幡神社跡)
奥の細道を訪ねて第6回⑥須賀川市内の芭蕉と等躬所縁の地散策
奥の細道を訪ねて第6回⑦須賀川市立博物館
奥の細道を訪ねて第6回⑧乙字ケ滝

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

  • 奥の細道を訪ねて第6回①荒川に架かる橋々と大谷SAの景観<br />

    奥の細道を訪ねて第6回①荒川に架かる橋々と大谷SAの景観

  • 奥の細道を訪ねて第6回②関東と奥州の国境・境の明神(新関)<br />

    奥の細道を訪ねて第6回②関東と奥州の国境・境の明神(新関)

  • 奥の細道を訪ねて第6回③国の指定史跡・関の森の”白河の関”(古関)<br />

    奥の細道を訪ねて第6回③国の指定史跡・関の森の”白河の関”(古関)

  • 奥の細道を訪ねて第6回④芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”<br />

    奥の細道を訪ねて第6回④芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”

  • 奥の細道を訪ねて第6回⑤須賀川市芭蕉記念館(八幡神社跡)<br />

    奥の細道を訪ねて第6回⑤須賀川市芭蕉記念館(八幡神社跡)

  • 奥の細道を訪ねて第6回⑥芭蕉と等躬所縁の須賀川市内散策<br /><br />

    奥の細道を訪ねて第6回⑥芭蕉と等躬所縁の須賀川市内散策

  • 奥の細道を訪ねて第6回⑦須賀川市立博物館<br />

    奥の細道を訪ねて第6回⑦須賀川市立博物館

  • 奥の細道を訪ねて第6回⑧乙字ケ滝

    奥の細道を訪ねて第6回⑧乙字ケ滝

この旅行記のタグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP