2012/05/10 - 2012/05/11
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frau.himmelさん
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ヨーロッパ現代史の十字路。
これは今回私が参考にした本のサブタイトルです。
歴史に興味のある人にとってベルリンはこの上なく面白いところ。
プロイセン王国、ナチスによる支配、世界冷戦に伴う東西ドイツ分割、壁崩壊とドイツ統一などなど。
何度訪れても、これで満足と思ったことはありません。
今年もやってまいりました。
今回は、ヒトラー政治の暗黒の歴史について。
①ユダヤ人が数万人も強制収容所・絶滅収容所に送られたグリューネヴァルト17番線
②ナチス体制に反抗した人々を処刑したプレッツェンゼー博物館。
全くの自己満足の旅行記ですので、間違いや勘違いなどがありましたらどうかご指導ください。
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-
アレキサンダープラッツ駅からS7に乗り、グリューネヴァルト駅で下車します。
この線はヴァンゼーやポツダム駅の方に行く線です。
駅を降りるとこんな矢印が…。
「(過去の過ちを忘れないための)記念碑17番線」と。 -
長ーい地下通路。
何となくヒンヤリするような、ぞっとするような雰囲気です。
前を行く人たちに早く追いつかなければ…。 -
ここにも矢印。
-
前を歩いている人たちの後ろ姿は、旅人の明るさや楽しさは見られません。
みんな厳かな沈痛な雰囲気です。 -
ガイドさんの説明を聞きながら、向こうのほうに行ってしまいました。
この場所は深い緑に囲まれたステキなところなんですが…。 -
両側を並木が覆っているホームは、これだけを見たらまるで静かな散歩道。
-
ところがホームに敷きつめられた鉄板には、なにやら文字が刻んであります。
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1943年10月9日、ユダヤ人53人、ベルリンーアウシュヴィッツへ。
-
そしてこれは。
1943年10月15日、ユダヤ人51人、ベルリンーテレジエンシュタットへ。 -
向かいのホームにも渡ってみました。
同じようにこちらにも刻まれています。
811人ユダヤ人、リーガへ。
この文字は、この17番線から、列車が出発した日、人数、目的地なのです。
このグリューネヴァルト駅17番線は、かつて、ユダヤ人を強制収容所及び絶滅収容所に向けて移送する貨物路線のホームだったのです。 -
その数なんと183枚。
1941年から1945年にかけて、このホームから183本もの貨物列車で、総勢5万535人のユダヤ人が旅立ちました。
アウシュヴィッツへ、テレージェンシュタットへ、リーガへ、ミンスクへと… -
その中のほとんどの人は二度とベルリンには帰ってきませんでした。
誰がいつ手向けたのか、鉄板の上に置かれた薔薇の花。
枯れた花がいっそう悲しみを誘います。 -
列車はあちらの方向に向かって旅立ったのでしょうか?
◆◆
家畜用の貨物列車にぎゅうぎゅうと押し込まれ、数センチしか身体を動かすスペースはない。
トイレもほとんどない車両が多く、窓も小さく有刺鉄線が張り巡され、換気なんか考えられた車両ではなかった。
その上、目的地まで食料も水も与えられなかった、という最悪の状況の中で、多数の死者がでました。 -
なお、驚いたことに所持品は1人50マルクまでと制限されていたそうです。
それ以外のユダヤ人の貴重品は、全て親衛隊隊員(SS)が没収してしまいました。
もちろん家屋や住居、貯蓄、財産など親衛隊が没収するのは簡単でした。 -
あれから70年近く経ちました。
この線路はあの時のままなのでしょうか。
枕木もボロボロ、線路も折れて朽ち果てたままの姿、時間の経過を感じさせます。
この下には何万というユダヤ人の怨念が染み付いている…、
そう思うと静かに手を合わせずにはいられませんでした。 -
ホームを降りようとしたら、ここにも警告板が…。
「17番線。
1942-1945年にドイツ帝国鉄道(現在のドイツ鉄道)の列車によって死の収容所へと移送された人々を追悼して…」 -
下に降りてきました。
グリューネヴァルト駅は現在も使用されています。
数分おきにベルリンとポツダムを結ぶ列車が走っています。
この17番線は現在は使用されておらず、警告碑としてのみ存在しています。 -
グリューネヴァルトの駅前。
かってそんな忌まわしい過去があったなんて感じさせない高級住宅街です。 -
メルヘンチックな駅舎も、そんな過去などなかったかのような佇まいです。
-
でも、駅前には過去の過ちを記した説明版が見えます。
-
さらに、駅前の数メートル先には、長さ18メートルのコンクリートのオブジェが…。
苦悩する人間の姿に彫られたこの形は、このホームから連行され、殺害されたユダヤ人の姿を彷彿とさせるものです。 -
駅前では、ストリートミュージシャンが静かなバラードの音楽を奏でていました。
今風のうるさい音楽でなくてよかったー。 -
そんなことを考えながら、ベルリン中央駅に戻ってきました。
スゴイ賑わい!
今日はサッカーがあるらしく朝からこんな混雑振りでした。 -
中央駅から123番のバスに乗って次に向かいます。
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プレッツェンゼー記念館。
ここも悲しい歴史の場所です。 -
中央駅から15分ほどしか離れていないのに、バスを降りたところは、もう田舎町の風景です。
-
市民農園みたいなものがあったり…。
果たしてこの近くにあの忌まわしい場所はあるのでしょうか。 -
少し歩くと、目の前に赤レンガの高い塀が現れました。
向こうには煙突や塔も見えます。
塀に沿って歩きます。 -
入口が現れました。
プレッツェンゼー記念館。
第三帝国ナチス時代、ここはヒトラーに反対する人々が送り込まれ、処刑された場所でした。 -
誰でも無料で見学できます。
夏季は9時から5時まで。
冬季は9時から4時まで。
訪れる人は少ないです。
私が訪れた時も、誰一人として出逢いませんでした。 -
中に入ると、殺風景な中庭に1枚の大きなコンクリートの板があり、そこには文字が刻まれています。
-
1933年から1945年、
ヒトラー独裁の犠牲者に捧ぐ -
その奥に入ると、二つの入口がある細長いレンガの建物が。
ここが処刑場なのです。なんだかとっても不気味・・・。
この場所には今私一人しかいないのです。 -
勇気をだして、手前の入口に入りました。
-
がらんとしたコンクリートの殺風景な部屋。
背筋がぞーっと寒くなるのがわかります。
このまま後ずさりして逃げ出したい…。 -
手前には献花台。
いくつものろうそくが供えてありました。
奥の方を見ると、細長い二つの窓と3つの花輪。
ここにもろうそくが…。
そして、その上を見ると…。 -
横に鉄製の棒が張り渡され、その下に5本の釣り鉤…。
あそこに人が吊り下げられたのか?
もはやここが処刑室であることは一目瞭然。
鳥肌がゾゾーっと…。 -
急いで隣の部屋に逃げ込みました。
ここは資料室のようです。
犠牲になった人々に関する資料が展示されていました。 -
中には、1944年7月20日、フォン・シュタウフェンベルク大佐のヒトラー暗殺未遂事件(ワルキューレ作戦)に関わった89人もここで絞首刑にされました。
その中の一人、ヴィッツレーベンに関する処刑の様子が、ウィキペディアで詳しく記載されています。
それを引用します。
◆
8月8日の夕刻、ベルリンのプレッツェンゼー刑務所の処刑場。
レールのような鉄の梁に肉を吊るす鉤とピアノ線のようなワイヤーロープが垂れ下がる。
7月20日事件に関し、人民裁判所で死刑判決を受けた被告人のうち、ヴィッツレーベンは最初に絞首刑にされた。
ヒトラーはあらかじめ「陰謀者たちの死の苦しみをできるだけ長くせよ。連中にはいかなる慰めをも与えてはならない。連中を家畜の生肉のように吊るせ。」と命令し、神父・牧師など宗教関係者の立会いを禁じた。
目撃者の証言によると、部屋の隅のテーブルにはブランデーの瓶とコップが置いてある。
さらに映像撮影用カメラと強烈なライトが用意されていた。
執行は上半身裸にし、ピアノ線の輪に首を通し時間をかけて首を絞め、さらに執行人たちは苦しみもがく被処刑者のズボンを脱がすなど、徹底して人間としての尊厳を傷付ける、非常に残忍な方法で処刑したという。
そのような残忍な方法で処刑されたにも関わらず、ヴィッツレーベンは取り乱す事無く、ドイツ帝国軍人として、最高位の元帥として終始威厳を保ったという。
続いてヘプナーら7人も順番に一人ずつ同様な方法で処刑された。 -
当時ドイツ最大のレジスタンス軍団だった「赤いオーケストラ」もここで処刑されています。
情報をソ連に流していた彼らは、42年夏ゲシュタポによって捕らえられ、プレッツェンゼーで死刑判決を受けました。
釣り鉤の付いたギロチン台が設置されるようになったのは、彼らを最も残虐な手法で処刑するためだったとも言われています。 -
そのほか、ここで処刑された人々の顔・顔・顔!
-
その顔ぶれはドイツ人だけではありません。
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チェコ、ポーランド、フランス、オーストリア、ベルギー・・・・、ここで2891人が処刑されました。
年代で見ると、1943年が一番多く1180人、1942年と1944年がそれぞれ500人以上の人々が処刑されています。 -
プレッツェンゼー刑務所は1879年より使われ、1933年にはナチスの中心的な刑務所になりました。
現在も刑務所として使われています。 -
重苦しい気持ちを抱えて外に出ました。
この塀の向こうが、現在刑務所として使われているのだろうか。
あの煙突は、その昔一体何を燃したのだろう?
あらぬ想像をかきたてられる気味の悪い空の色です。 -
塀の上は鉄条網が隙間なく張り巡らされています。
囚人の逃亡対策です。
ほんの70年前まで、ヒトラーに反対したという理由で、反論の機会も得られず、思い切り残酷な方法で処刑された人々…。
本当にやりきれない思いです。 -
ふと目の前を見ると、奇妙な壷のようなものが…。
胸騒ぎがします。
単なるモニュメント?
単なる壷?それとも? -
DIE URNE ENTHALT ERDE AUS DEUTSCHEN KONZENTRATIONSLAGERN
「この壺には(各地の)ドイツ強制収容所の土が入っています」 -
庭の隅に奇妙な幹の形をした木を見つけました。
-
この地で流された幾多の血を吸って、昇華しきれない苦悩に身悶えながら、あのようなゆがんだ枝になったのではないだろうか?
私らしくないオカルト的な発想をしてしまいました。
とうとう見学を終えて、出てくるまで誰一人として会いませんでした。
そういえば、係員もいなかった…。 -
ここは、1952年より、ナチスによる過ちを忘れないための記念館として公開されています。
-
中央駅に戻ってきました。相変わらずの混雑です。
サッカーは終わったのでしょうか? -
あの「静」とこの「動」!。
ベルリンっていろんな表情を見せてくれる奥深い街です。
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この旅行記へのコメント (14)
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- 大和の住人さん 2014/04/07 12:20:36
- ベルリンの光と影
- 10年ほど前、TVで故小田実さんがベルリン滞在中、気持ちが萎えかけると叱咤してもらうため何回となく訪れたところとしてプレッツェンゼーを知った。ナチスに対し闘った勇気あるドイツの人達の処刑の地。07年家族4人で訪れた時も、われわれだけであった。
- 大和の住人さん からの返信 2014/04/07 13:29:04
- Re: ベルリンの光と影(続き)
- (不用意に投稿ボタンに触れたため
に失礼します) ご紹介の記事で、プレッェンゼー の詳しい内容も分かりました。何より雰囲気が伝わって来ました。ありがとうございました。次の機会あれば、グリューヴァルト駅行ってみたいです。(了)
- frau.himmelさん からの返信 2014/04/08 21:19:13
- はじめまして
- 大和の住人さん、こんばんは。
この度は投票とコメントと、その上フォローまでしていただいてありがとうございます。
私のマイナーな旅行記に目を留めていただき恐縮です。
故小田実さんのテレビをご覧になってプレッツェンゼーにいらっしゃったとのこと。
私も小田実さんのテレビを見たことがあります。
NHKの「世界心の旅」という題名の番組だったかと思いますが、そのときはまだ東西ドイツ再統一前のベルリンの話でした。
ベルリンは刻一刻と変貌する街、今はあの番組の頃のベルリンと街並みは随分変わっていますが、負の遺産を残して歴史認識を語り継いで行く姿勢は素晴らしいことだと思います。
プレッツェンゼー刑務所、やはり大和の住人さんがいらっしゃった時も他には誰もいませんでしたか。
首吊り用のピアノ線が残っている処刑場で、私一人、どんなに逃げ出そうと思ったことか。
でも、逃げ出さなくて良かった。ナチスの残酷なやり方を目の当たりにして、歴史認識を更に強くしたのでした。
今後ともよろしくお願いいたします。
himmel
- 大和の住人さん からの返信 2014/04/09 08:55:47
- RE: はじめまして
- > 大和の住人さん、こんばんは。
>
> この度は投票とコメントと、その上フォローまでしていただいてありがとうございます。
>
> 私のマイナーな旅行記に目を留めていただき恐縮です。
> 故小田実さんのテレビをご覧になってプレッツェンゼーにいらっしゃったとのこと。
> 私も小田実さんのテレビを見たことがあります。
> NHKの「世界心の旅」という題名の番組だったかと思いますが、そのときはまだ東西ドイツ再統一前のベルリンの話でした。
> ベルリンは刻一刻と変貌する街、今はあの番組の頃のベルリンと街並みは随分変わっていますが、負の遺産を残して歴史認識を語り継いで行く姿勢は素晴らしいことだと思います。
>
> プレッツェンゼー刑務所、やはり大和の住人さんがいらっしゃった時も他には誰もいませんでしたか。
> 首吊り用のピアノ線が残っている処刑場で、私一人、どんなに逃げ出そうと思ったことか。
> でも、逃げ出さなくて良かった。ナチスの残酷なやり方を目の当たりにして、歴史認識を更に強くしたのでした。
>
> 今後ともよろしくお願いいたします。
>
> himmel
- 大和の住人さん からの返信 2014/04/09 09:14:45
- RE: はじめまして
- > 大和の住人さん、こんばんは。
>
> この度は投票とコメントと、その上フォローまでしていただいてありがとうございます。
>
> 私のマイナーな旅行記に目を留めていただき恐縮です。
> 故小田実さんのテレビをご覧になってプレッツェンゼーにいらっしゃったとのこと。
> 私も小田実さんのテレビを見たことがあります。
> NHKの「世界心の旅」という題名の番組だったかと思いますが、そのときはまだ東西ドイツ再統一前のベルリンの話でした。
> ベルリンは刻一刻と変貌する街、今はあの番組の頃のベルリンと街並みは随分変わっていますが、負の遺産を残して歴史認識を語り継いで行く姿勢は素晴らしいことだと思います。
>
> プレッツェンゼー刑務所、やはり大和の住人さんがいらっしゃった時も他には誰もいませんでしたか。
> 首吊り用のピアノ線が残っている処刑場で、私一人、どんなに逃げ出そうと思ったことか。
> でも、逃げ出さなくて良かった。ナチスの残酷なやり方を目の当たりにして、歴史認識を更に強くしたのでした。
>
> 今後ともよろしくお願いいたします。
>
> himmel
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- johannaさん 2014/01/11 15:23:05
- こちらこそよろしくお願いいたします。
- こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。私も墓マイラーしますが、訪れるのはもっぱら音楽家です。ドイツでは、ベートーヴェンのお母様のお墓に行きました。ボンにあって、その墓地のメインはシューマン夫妻のとても立派なお墓でした。カールロバート・クライテンのお墓参りで初めて、ベルリンのプレッツェンゼーを訪れましたが、その時は『赤いオーケストラ』の映画を翻訳することになるとは思ってもみませんでした。
- frau.himmelさん からの返信 2014/01/12 12:06:29
- RE: こちらこそよろしくお願いいたします。
- 再びありがとうございます。
えっ、映画『赤いオーケストラ』の翻訳をなさったのですか?
すごい!
是非、見せていただきたいです。
墓マイラーって言葉は出発前に知ったのでした。
でもこれもなかなか面白いです。あの有名人がここに眠っていると思うと、急に身近に感じたり・・。
ボンの中央墓地には私も訪れました。
そうでしたね、あそこに眠っているのはベートーベンではなく母親のお墓でしたね。
そういえばベートーベンのお墓はウィーンにあったのでしたっけ。
本当にこれからもいろいろ教えてくださいませ。
himmel
-
- johannaさん 2014/01/10 23:52:13
- 『赤いオーケストラ』の映画を上映します。
- とても良いページをどうもありがとうございます。ベルリンには少し滞在していたのに、ズボラのせいで貴ページほど充実した探索はできませんでした。今後もときどきのぞかせていただきます。『赤いオーケストラ』のドキュメンタリー映画上映会は4月から5月です。情報は下記ですので、よろしかったらどうぞ。
http://91224772.at.webry.info/201401/article_2.html
- frau.himmelさん からの返信 2014/01/11 12:27:42
- RE: 『赤いオーケストラ』の映画を上映します。
- johannaさん、はじめまして。
4トラに登録なさったばかりですね。
私のつたない旅行記に目に留めていただいてありがとうございます。
ドイツの現代史に興味を持つようになったのは、ここ数年。
ほんの付け焼刃なのです。
ですから専門の方がご覧になったらきっと、赤面ものの記述も少なくないかと思います。
さて、「赤いオーケストラ」、とても興味があります。
ベルリンの歴史を探索していますと、避けては通れないキーワードですね。
昨年はプレッツェンゼーで足跡を発見、あの刑務所に囚われて絞首刑になったのでしたね。
また、今年はプレンツラウアーベルク地区のシオン教会を訪れましたが、ここが彼らのアジトだったのですね。
映画が上映されたら是非見せていただきたいです。
ただし、今年もその頃ドイツ旅行を計画していますので、なんとかそれとぶつからないようにと祈ります。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。
himmel
-
- 近鉄バッファローズさん 2013/01/20 23:56:34
- DIE URNE ENTHALT ERDE AUS DEUTSCHEN KONZENTRATIONSLAGERN
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
こちらの旅行記も興味深く拝見致しました。
いつもと同じく大変充実した内容ですね。
どちらも聞いたことがなく、行ってみたいところとなりました。
標題の文章ですが、
「この骨壺にはドイツ強制収容所の土が入っています」
と訳せると思います。
あの白い壺状のものの中には、土が入っているんでしょうね。
何かの御参考になれば幸甚です。
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/21 15:06:52
- RE: DIE URNE ENTHALT ERDE AUS DEUTSCHEN KONZENTRATIONSLAGERN
- 近鉄バッファローズさん こんにちは。
ドイツ語訳ありがとうございます。
> 「この骨壺にはドイツ強制収容所の土が入っています」
やっぱりそうですね。
土と言う事は判ったのですが、ここの収容所だけの土なのか、ドイツ中の数多くある強制収容所のものも含まれているのか、それが疑問でした。
私の脳内には、このプレッツェンゼー強制収容所は重大な政治犯を収容する場所で、ユダヤ人、精神薄弱者、ロマ、一般の政治犯などの収容所とは隔されていると思ったのです。
どっちにしても悲しい歴史をもった収容所でした。
その土を吸って大きくなったのでしょうね、
庭の隅でもがき苦しんで捩れてしまったような幹がとても印象的でした。
まだ重たい歴史のベルリン編は続きます。
よかったらお付き合いください。
himmel
- 近鉄バッファローズさん からの返信 2013/01/22 21:30:16
- 複数形
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
ドイツ語文の「強制収容所」は複数形になっているので、
おそらくいろんな収容所の土が使われているのだと思います。
「2012(40) ベルリン歴史探訪」も拝見致しました。
有名な「水晶の夜事件」のシナゴーグも御覧になったのですね。
いつか見に行けたら、と思いました。
これからも、続きを楽しみにしております。
くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。
-
- 迷子さん 2013/01/16 16:12:22
- ベルリン負の歴史を歩く・・・編ですね。
- 大勢の人出で賑わう中央駅から
途端にひと気の無い歴史の真空の中に移動されたようです。
どちらもドイツ人にとっては
蓋を閉めて忘れ去りたい場所なんでしょうが、
チャンと歴史の名残として残してあるのが凄いと思いました。
また、その場所へ行って受ける感慨も
同じ外国人旅行者でも日本人としては特に複雑なものがあるでしょうね。
ユダヤの民の外にドイツ人でも思想や嗜好で
大勢が粛清されたのですね。
お正月に少し、ベルリンの歴史本を齧って
今回
プロイセン→ナチスと思っていたのが、
その間に赤の嵐で内戦状態があった事を始めて知りました。
ベルリンはやっぱドイツが(過去も現在も未来も)
ギュッと詰まった愉しくも哀しくも濃い都会なんですね。
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/17 20:39:52
- RE: ベルリン負の歴史を歩く・・・編ですね。
- 迷子さん こんばんは。
ベルリン負の歴史を歩く…編、見ていただいてありがとうございます。
まだこれはプロローグの段階で、これからもっと続きます。
ベルリンって知れば知るほど、もっと深く知りたくなる不思議な街です。
次回もベルリンを計画していますが、何処に行こうか、今度はどんな顔を見せてくれるか、ワクワクです。
ヒトラーの問題、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の問題、東西分断時代、それぞれにドイツの国としては知られたくないおぞましい歴史の部分。
それを隠すことなく、真正面から向き合おうとするドイツの姿勢は素晴らしいと思います。
迷子さん、ベルリンにいらっしゃるのですね。
どうかお互いにベルリンの休日を十分に楽しみましょう。
himmel
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