2012/05/10 - 2012/05/11
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frau.himmelさん
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ヨーロッパ現代史の十字路。
これは今回私が参考にした本のサブタイトルです。
まさに歴史に興味のある人にとってベルリンはこの上なく面白いところ。
プロイセン王国、ナチスによる支配、世界冷戦に伴う東西ドイツ分割、壁崩壊とドイツ統一などなど。
何度訪れても、これで満足と思ったことはありません。
今年もやってまいりました。
ドイツの歴史を辿っていくとどうしても避けては通れないのが、ユダヤ人問題。
特にナチスとユダヤ人虐殺(ホロコースト)の歴史は、負の遺産として人類が後々まで背負わなければならない悲しい出来事です。
前編では、強制収容所に送られたグリューネヴァルト17番ホームを取り上げました。
ベルリンを歩いていると、さまざまなところでユダヤ問題に関する警告碑に出合います。
今回はこれらを取り上げてみました。
-
中央駅からハッケシャーマルクト駅に着きました。
駅前にはいくつものカフェやレストランがあり、いつも若者で賑わっています。 -
駅前にはハケッシャー・ホーフが。
中には若者に人気のショップがいくつも入っています。
その前を鮮やかな黄色のトラム・M1が走りぬけます。 -
ハッケシャー・ホーフへ。
相変わらず観光客に人気です。
この中にはこういう中庭(ホーフ)が8つもあるのです。
かってこの地区がユダヤ人街(ゲットー地区)だったということを、この観光客達は知っているのでしょうか? -
今日は私もここに買い物に来たのではありません。
私の探しているところがこの近くにあるはずなんです。
ベルリンのオスカー・シンドラーと呼ばれている「オットー・ヴァイトの盲人作業所」。
そこは今博物館になっているのです。 -
おかしいなー。地図ではハッケッシャー・ホーフの近くってあるんだけど。
この近くに、視覚障害者のオットー・ヴァイトという人物が、ホウキとブラシを扱う小さな工場を経営していました。
そこでは30名ほどのユダヤ人を雇用していました。 -
こんなきれいな建物ではないわね。
何とかホスピタルとありますから病院なのでしょう。
◆◆
時はナチスによる反ユダヤ人政策が進められていた頃。
ユダヤ人を雇うのには非常なリスクを伴いました。
しかし反ナチのオットー・ヴァルトは、国防軍の製品を納入しているという理由で、また時にはゲシュタポに賄賂を送ったりなどして、危険を犯してユダヤ人を雇い続けました。 -
オットーヴァイト博物館の前のプレート。
後日、ベルリンが大好きなフォートラ会員ペコリーノさんの旅行記を見ていたらありました。
ちゃんと彼女はその場所を見つけて、レポートしていらっしゃる。
失礼だとは思ったのですが、彼女にお願いして写真をお借りしました。
(写真提供:ペコリーノさん) -
オットーヴァイトは、経営する工場にユダヤ人を雇うことで、必死にユダヤ人の強制収容所行きを防ごうとしました。
また、時にはユダヤ人を工場に」かくまったりもしたようです。
だが、1942年以降は、ベルリンの多くのユダヤ人が収容所に送られるのです。
あのグリューネヴァルト17番線よりテレージエンシュタットに送られました。
戦後、彼はユダヤ人のための孤児院と養老院の建設に力を注ぎました。
オットーヴァイト、彼は「ベルリンのオスカー・シンドラー」と呼ばれ、彼の墓は「名誉市民の墓」に指定されているそうです。
(写真提供:ペコリーノさん) -
オットーヴァイトの作業場の向かいには、アンネフランク展示館もあったそうです。
彼女自身ベルリンに住んだことはありませんが、かってこの地区はユダヤ人街。
それでここにアンネのセンターが置かれたとのことです。
(写真提供:ペコリーノさん)
ペコリーノさんの旅行記はこちら。
http://4travel.jp/traveler/edinburgh_c/album/10723424/ -
私はオットーヴァイトの盲人工場は見つける事ができませんでした。
近くにあったこの教会のような建物は何でしょう? -
グロッセ・ハンブルガーシュトラーセの旧ユダヤ人墓地。
-
墓地の前に銘板が…。
「この場所にはベルリンで最初のユダヤ教区の老人ホームがあった。
1942年にゲシュタポはこのホームをユダヤ人のための集合所に変えた。
乳児から老人にまで、ベルリンの55000人のユダヤ人は、アウシュヴィッツとテレジエンシュタットの強制収容所に無理やり連れ去られ、残虐に殺害された。
このことをけっして忘れるな
戦争に抵抗せよ
平和を守れ」と。 -
この像は、「グロッセ・ハンブルガー・シュトラッセの慰霊碑」。
収容所に送られる女性や子供達でしょうか。 -
見ていて胸が痛くなるような、悲しげで不安そうな表情の13名のユダヤ人像。
-
足下には石がおいてあります。
ユダヤ人は、お墓にお花ではなく悲しみの小石を供えます。 -
扉が閉まっていて中に入ることは出来ませんが、扉の向こうにお墓らしきものが見えます。
-
その展示版に有名人の名前を見つけました。
メンデルスゾーン
そう!確かメンデルスゾーンもユダヤ人だったはず。
彼のお墓がこんなところにあるなんて…。 -
このお墓。残念ながら作曲家ではなく、
モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786)。
ドイツのユダヤ人の哲学者・啓蒙思想家でした。
でも、ロマン派の作曲家、フェリクス・メンデルスゾーンの祖父に当たる人なのです。
やっぱり関係があったのですね。
この旧ユダヤ墓地に1つだけ残っているお墓だそう。
後日調べたら、実際のお墓は、この庭園の奥の方にあるのだそうです。 -
いつの間にかオランニエレン通りに入っていました。
しばらく歩いていると、静かな公園があります。
都会の中のオアシスといった風情で皆さんくつろいでいます。 -
日比谷公園みたいなものかしら。
-
モンジュー公園というようです。
歴史的な説明文がありますが、チラ見だけ。 -
この公園で発掘された石。
宮殿の装飾のような発掘品は、いかにも歴史がありそう。
博物館島に渡る橋も、モンジュー橋って言いますから由緒あるお名前なんでしょう。 -
そしてその先に見えてきたのが新シナゴーク。ユダヤ教の教会です。
たまねぎ頭の金ぴかの教会。
1861年に完成したドイツ最大のシナゴーグでしたが、1933年「水晶の夜」事件でナチスにより襲撃されました。
その後、旧東ベルリン時代は取り壊されたままでしたが、1983年から1995年にこのようなネオ・ビザンチン様式の堂々たる教会が再建されました。 -
壁に掲げてあるユダヤの星と、警告のプレート。
そこには「水晶の夜」の説明プレート… -
「水晶の夜」とは、1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義者による暴動。
ユダヤ人の住宅、商店地域、シナゴーグなどが次々と襲撃され、放火されました。
この事件以来ユダヤ人の立場は非常に悪化し、ホロコーストへの道へと一気に突き進んでいくのです。 -
こちら側には、「水晶の夜」から50年後の1988年11月9日より、シナゴークの再建が始まったというプレート。
-
教会内部では、ベルリンのユダヤ人の歴史などの常設展が入っているそうです。
入口がわからなかったので入りませんでした。
「水晶の夜」以前も、ヒトラーの台頭により、ユダヤ人への差別・迫害は酷いものでしたが、「水晶の夜」以来、全ユダヤ人の運命が大きく変わっていきました。 -
ともかく足が疲れました。
シナゴークの近くの感じのいいオープンカフェの空いている席に座りました。
目の前をセグウェイに乗ってベルリンツアーを楽しむ観光客が、通り過ぎます。 -
ホテルで朝食を食べ過ぎて余りお腹はすいていません。
ベルリナー・ヴァイセとシュパーゲルスープを頼みました。
ベルリナーヴァイセは甘いカクテルのようなビールです。
ストローが付いてきます。
このスープ濃厚で美味しかった。 -
次の日。
もう少しユダヤ人の歴史を知りたくて、アレキサンダープラッツ駅に降り立ちました。
あちらに見えるのは赤の市庁舎。 -
私のベルリン観光の参考書「ベルリン<記憶の場所>を辿る旅」に載っていた場所を探しにやってきました。
第三帝国ナチスの時代、歴史的にも珍しい「ローゼン通り事件」がこの近くで起こりました。 -
1943年2月27日、ベルリンのど真ん中、ローゼン通りで、なんとナチスの横暴な政策に抗議する女性たちが集結したのです。
当時は、いかなる批判も暴力で押さえつけられていたそんな時代、
ユダヤ人の夫や家族を持つ非ユダヤ系の女性数百人が、家族の逮捕、そして強制収容所送りに抗議して立ち上がりました。
その場所は、現在はホテルになっているこの付近でした。
アレキサンダープラザ・ホテル。
ホテルの中にも、展示があるそうです。 -
当時のベルリンでは、もうほとんどのユダヤ人は強制収容所に移送されてたり、アメリカなど国外に脱出していたりして、残っていたユダヤ人はアーリア系と親族関係にある少数の人たちだけでした。
この公園には当時ユダヤ人の集会所があり、ナチスはここに一時的にユダヤ人を収容していました。 -
現在その建物は存在しませんが、ここには警告のモニュメントが建っています。
◆
女性が立ち上った日の朝、宣伝大臣ゲッペルスは来る4月20日のヒットラー総統の誕生日に「ユダヤ人のいないベルリン」をプレゼントするために、残っているユダヤ人の逮捕命令を下しました。 -
ナチスは早朝より、住宅や職場を急襲しユダヤ人を逮捕。
軍用トラックにぎゅうぎゅう詰め込み、賭殺場に送られる家畜のような惨めな姿を市民に曝しながら、ナチスの収容所となっているこの集会所に送ったのでした。 -
心配して拘束された人たちの家族がゾクゾクと集結しました。
一部は近くのゲシュタポの事務所にまで押しかけました。
警察は武器をちらつかせながら解散を要求しましたが、彼女らは屈しませんでした。
抗議の集会が何日も続くと、そのうち一般の市民まで合流し始めました。
その中には国防軍の兵士の姿さえあったということです。 -
ついに3月5日、デモ参加者に向けて機関銃が設置されました。
それでも彼女らは動きませんでした。
そして3月6日、驚くべきことが起こったのです。
拘束されていた建物から人々が次々と出ました。
ゲッペルスが彼らを釈放するように命令したのです。
あの恐ろしいナチス政府に、非暴力で抗議した勇気ある女性たちが勝利した日でした。 -
それまではナチス政府がこのような抵抗運動に対しては全て武力で解決していたことを考えれば、この事件は稀有なものと思わざるを得ません。
モニュメント像に見える文字。
「FRAUEN STANDEN HIER」(女性たちがここで立ち上った) -
ベンチに腰掛けているユダヤ人男性の石像。
彼の隣は空席になっています。
ナチス時代は、公共の場所にあるベンチにユダヤ人が腰をおろすことは禁止されていたことでした。 -
公園を抜けると、目の前に教会が見えます。
森鴎外の小説「舞姫」の舞台になったマリエン教会。
女性蜂起のモニュメントがあるこの場所は、主人公豊太郎がユダヤ人の少女エリスと出合った場所だという説もあります。
ベルリンには、まだまだ多くのホロコーストの警告碑があります。 -
その中で最も有名なのが、ユダヤ人犠牲者記念碑(ホロコーストの碑)。
今回は訪れませんでしたので、2009年の写真です。
虐殺されたユダヤ人350万人とも600万人ともいわれる犠牲者を悼む2711個の石柱が並んでいます。
ブランデンブルク門のすぐ近くです。 -
それからもう一枚。
1942年1月20日、ナチス親衛隊(SS)や政府の代表たち15人が集まり、「ユダヤ人問題の最終解決(要は集団虐殺)」が話し合われたヴァンゼー会議。
たった90分でユダヤ人の運命が決まってしまったこの会議のことは、2010年の旅行記でレポートしています。
http://4travel.jp/traveler/masago45/album/10516226/
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ペコリーノさん 2013/01/21 10:12:39
- びっくり!こんな歴史のあった場所だなんて!
- frau.himmelさんこんにちは
旅行記を拝見させていただいて、こんなにびっくりしたことはありません。
「ローゼン通り事件」の起きた場所は、私がベルリン滞在中、毎日のように行き来していた通りだったなんて!
私は「ホテル・アレキサンダープラッツ」の斜め前のホテル(himmelさんの写真にも写っています、ホテルの向かいの奥)Adinaに泊っていたのです。そして、バス停まであの公園の前を何度行き来したことか。
そうそう、赤っぽい石像等がありました。何だろうと思っていたのですが、いつもバスの時間等が気になって、通り過ぎるだけでした。
そんな歴史があったなんて、びっくりです。
一番最後の朝も、その前を通ってTXLのバスに乗って空港まで行ったのでした。
そうだったんですか〜。なんだか不思議な感慨があります。
次に行ったときには良く見てみようと思います。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/21 15:15:22
- RE: びっくり!こんな歴史のあった場所だなんて!
- ペコリーノさん こんにちは。
私の方がビックリしました。
あの付近のホテルにいらっしゃったのですか?
しかも10日も。
ずいぶん便利なところで、マリエン教会にも近いし、すばらしい場所でしたね。
「ホテル・アレキサンダープラザ」は、中に入って展示物を見たかったのですが、なんだか入り辛くて躊躇してしまいました。
あの近くのホテルに滞在していらっしゃったペコリーノさんなら、難なく入ることが出来たのよね、と今更ながら羨ましく思いました。
そうそう、お写真使わせていただきました。ありがとうございます。
あの付近はグルグル回って探したのですが、どうして見つからなかったのか?
悔しいです。
himmel
-
- norisaさん 2013/01/20 19:58:00
- 光と影!
- frau.himmelさん
いよいよベルリンですね。
今やEU経済の要のドイツ、この国無しではユーロは存在できません。
しかし半世紀ちょっと前の出来事は近代史でも格別の悲劇。
それでもゲッペルスを動かしたウーマンパワーはすごい!
frau.himmelさんパワーも全開ですね(笑)
今回も大きなトラブルなくなによりでした(笑)
女frau.himmel、明日はいずこに!?
(しかし、よくご主人が心配していないなと心配しますーー(笑))
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/21 14:55:18
- RE: 光と影!
- norisaさん いつもありがとうございます。
歴史の都 ベルリンにたどり着きました。
本当にいろいろな歴史をもった面白い町です。
> しかし半世紀ちょっと前の出来事は近代史でも格別の悲劇。
> それでもゲッペルスを動かしたウーマンパワーはすごい!
そう、私も本を読んでそれに興味を持ちました。
ここは絶対抑えておかなければ…。
泣く子も黙るゲッペルスを屈服させたのですから、スゴイウーマンパワーですね。
展示物としては地味なのですが、何気ないところに大きな歴史が隠れていると思うとワクワクします。
> 今回も大きなトラブルなくなによりでした(笑)
細かいトラブルはいろいろあるのです。
でも旅行からあんまり間が空き過ぎて、アルツ気味の私が思い出さないだけなのです。
> (しかし、よくご主人が心配していないなと心配しますーー(笑))
夫が心配する…?(笑)
norisaさんご夫妻と違って、心配してくれるような蜜月時代はとっくに過ぎました。無関心時代に突入しています。
でもそれが妙に心地よかったりして…。
(夫よ許せ!)
まだ重たいテーマのベルリン旅行記は続きます。
よろしくお願いいたします。
himmel
-
- ももであさん 2013/01/20 18:12:41
- ユダヤ問題
- himmelさん
確かにドイツを知れば知るほど、避けて通れない重たい
課題ですね。紀元前から今なお延々と続く、差別と迫害。
八百万の神を信仰する日本人には理解しがたいこと
ですが、ユダがキリストを裏切ったことを、決して忘れて
いない人々は、まだたくさんいると言うことでしょうか。
一方でそんな歴史的被害者であるはずのユダヤ人が、
パレスチナ人に対しては加害者となる。
宗教や民族、人間の性は、果てしなく複雑ですね。
アルジェリアでのテロ事件もしかり。
救いは、シンドラー、ヴァイトや杉原千畝…
真の勇気を持った人々の存在
それこそが人間の本質であると信じたいものです。
ももであ
- frau.himmelさん からの返信 2013/01/21 14:43:20
- RE: ユダヤ問題
- ももであさん こんにちは。
ユダヤ問題って本当に難しいですね。
私も一度、ヴァンゼー会議の旅行記のときに、なぜユダヤ人はヒトラー及びナチスにあんなに迫害されなければならなかったか?なんて調べたことがありました。
そしたら、そんなに最近のことではなくヨーロッパ中世の頃からの確執があるとの事。
そうかー、そういえベニスの商人もユダヤ人だったなー
あれも随分ヒドイ人間像に描かれていたしー、って妙に納得。
でも、言われてみれば、裏切り者のユダもユダヤ人。
中世どころかその前からキリスト教との確執があったのねー。
でも、イエス・キリストもユダヤ人じゃない?
なんて考えたら、やはり根っからの島国仏教徒の私には荷が重い問題でした。
でも、ヨーロッパのユダヤ人の絶滅を本気で考えていたヒットラー。
やっぱり私にはその思想の方がコワいと思いました。
その中で、シンドラー、ヴァイト、杉浦千畝さん、
その方たちの勇気はスゴイと思います。
もう少し、重たい問題のベルリン旅行記は続きます。
またいろいろ教えてください。
himmel
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