2008/06/20 - 2008/06/24
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keithforestさん
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初めてSan Franciscoにやってきたのは忘れもしない1970年8月のことだった。この時は60日ほど友人のアパートに転がり込んでいた。金もなかった。
次に行ったのは1972年のクリスマスだった。この時はその友人は逆に日本に行っていてすれ違った。
3回目は1980年2月のことで、前年の12月初めから会社から派遣されてUtahに2ヶ月半滞在した帰りのことだった。
そして4回目は(多分)1985年の夏だったと思うのだけれど、日米経済界のカンフェレンスがあってそれに出席するために4日間ほど滞在したものだった。
今回が5回目とはいえ、前回からはもう20年以上経っているということだから、初めてだと云ってもおかしくない。
その証拠に空港からダウンタウンに向かうのに初めてBARTに乗った。とはいってもこのBARTが空港までつながったのはそんなに昔の話じゃない。それにしてもこうして乗ってみると、San Franciscoのダウンタウンに行くには結構遠いものだ。
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ホテルはフライトと同じようにexpedia USAで手配をし、ここではPark 55 Hotel。
ここはPowell StとMarket Stの角にあって、空港からBARTで着いたらエスカレーターで上がって荷物をゴロゴロ転がして行けるので便利。
しかし、1000室もあるという規模なのでレセプションにしてもなんだかLas Vegasのホテルのようなホスピタリティーで、全然フレンドリーには感じない。まぁ、ビジネスホテルのようなものだ。でも、San Franciscoはホテルが高いから贅沢はいえない。 -
とりあえずGrand Circleへのバスの旅で貯まった洗濯物をどうにかしなくちゃならない。ホテルのコンシェルジュに聞いて、Bush St/Taylor Stの角あたりまで洗濯をしに行く。
中国人のおじさんが店番をしているコインランドリーで、なに人だかわからない若い兄ちゃんや、明らかに東欧圏出身者と思われるお姉ちゃんが洗濯機が止まるのを待っている。
時間がないからドライヤーは25セント玉一個分だけ回して持って帰る。ホテルの部屋に広げまくって友人の家に遊びに行く。 -
二日目になりました。
1972年以来ここに来ていない連れ合いは、全くなんにも覚えていないので、午前中はガイド付き(関西弁のお姉さん)の市内観光に乗り、午後からは初めて「アルカトラズ・アイランド」に行く。
Civic Centerももちろん1972年に来ているものだから物珍しくはないのだけれど、この周りには東洋美術館やら図書館やらあって、一人で来ていたら入り浸っていそうだ。
それにしてもSan Franciscoの市内観光というとなんでかならずここから始まるのだろうか。1972年の時も空港からまずやってきたのはここだったと思う。 -
こんなところにまでいたずら描きしている奴がいるんだなぁ。
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で、もちろんTwin Peaksにやってくるわけです。
ここからMarket Stが見えるのは変わっていないんだけれど(変わっていたら困るわけだけれど)、今回本当に時間が経ったなあと思ったのはMarket Stの先の方が北側だけではなくて、南側もこんもりと高層ビルが立ち上がっているということだった。なにしろ35年前は南側には足を踏み入れちゃいけないよ、といわれていたのだから。
連れ合いは1972年にここに来たことも思い出せないのだそうだ。 -
で、当然のごとくGolden Gate Bridgeを見に行くわけです。
この橋をかつては日本のガイドブックを見ると金門橋と書いてあったですなぁ(まだ書いてあるんですかね?)。これが妙におかしかった。
それだとやっぱりこの街の事は桑港と書かなきゃならんわけですね。 -
で、今回は橋のちょっと先まで歩きました。来るたびにこの橋は渡っているわけですが、歩いたのは今回が初めてです。
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ちょっと行ってダウンタウンの方を振り返るとこうして車からはほとんど見ることのできない景色をゆっくりと見ることができるので、とても新鮮でした。
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途中には緊急電話がある。
で、その看板には「Emergency Phone and Crisis Counseling」と書いてあって、要するに自殺志願者対策もこれで対応していることがわかる。
なにしろ2006年には「THE BRIDGE」(制作・監督:Eric Steel)というドキュメンタリー映画が作られて、この橋から自殺する人々を取り上げたと云うくらい。
1937年の橋の完成からこの映画が公開されるまでに自殺した人は1300人に上ると云われているくらいだ。
この映画の公開に当たって、「撮影するくらいならなぜ止めに入らなかったのか」という批判も出たと云うが、彼らは望遠レンズでとらえていたという。
映画では20人近くの遺族にもインタビューし、実際に飛び込んだけれど一命を取り留めた青年にもインタビューしているのだそうだ。日本でも2007年に小さい小屋で公開されたそうだけれど、見逃した。
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これがサインの下にある電話で、「There is hope, Make the Call」と大書してある。しかもその下には「ここから飛び降りるのは致命的で悲惨な結果を招きます」と書いてある。
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橋の下はやっぱりフィッシング・ポイントなのか何隻ものまるでバス・ボートのような船が集まってきていて竿を出している。釣れるのはいったい何だろう。
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そうかと思うとこんなところで波を待っているサーファーだっている。ものの見事に乗って見せたんだけれど、波は橋桁から橋に沿ってまっすぐブレイクしていく。するとその先は岩場だからうまいこと降りなくちゃならない。辛いなぁ。
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Golden Gate Parkだったかにある、1914年に開かれたパナマ運河開通記念博覧会の時にギリシア・パビリオンとして建てられたものを、ちゃんとしたRC建築で立て直したものだそうで、行ったときは修復工事かなんだかわからないけれど、工事中。
この博覧会が開かれた時点では米国は参戦していなくて中立国だったけれど、第一次世界大戦のはずだ。
しかも前年の1913年にはあの屈辱の外国人土地法(いわゆる「排日土地法」)が成立しているにもかかわらず日本は政府館をはじめ日本庭園や特別陳列館を建設し、美術品や絹織物など日本固有の文化工芸品を多数出展。
外務省記録に「桑港ニ於テ巴奈馬(パナマ)運河開通記念博覧会開設一件 附軍艦派遣ノ件」という記録が残っているそうだ。 -
おなじみのLombard Streetであります。連れ合いはここに行きたい、行きたいと申しておりましたんです。私はどうでも良いと思っていたんですが、久しぶりに行ってみたらこの辺って結構豪勢住宅地で花が実に美しくて、あんなことをいっていたというのに、やたらとシャッターを押す羽目に。
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これをご覧いただけると本当に賛成していただけるのではないかと思いますよ。Leavenworth Stを渡った向こう側のお宅も駐車場へのアプローチの壁に柴桜のようなものが満開で、そりゃもう美しいのですよ。
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Fisherman's Wharfまで降りていってそこでガイドの女性とはお別れ。
Pier 39の前で車からおろしてくれたんだけれど、すぐさまお腹が減っていて取っつきのところでbluesを歌っている奴を横目で見て、Boudinのファスト・フッド・タイプの店に入ってお定まりのクラム・チャウダーを食べる。
いやぁ、でっかいなぁというのが感想だったのだけれど、器は例の酸味のあるSourdough Breadだからそんなにたくさん入っているわけはない。ま、いってみれば上げ底って奴だ。
それまでの癖で我々は一人前をオーダーしてシェアするという習慣になっていたものだから、これだけではちょっと物足りなかった。しっかりとしたサラダくらい食べたかったなぁ。ピッツァなんかもあったのにね。 -
Pier39にはこんな果物屋も出ていてカラフルで美味しそうに見える。それでもやっぱり本当に品種改良に改良を重ねた結果、糖度充分の果物ばかりできるようになった日本の果物に比べたら、その味は遙かにオリジナルに近い。酸っぱいものは充分酸っぱくて、堅いものは充分に堅い。
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おなじみのアシカの群れ。ちょっと小さい目の雄がボスと覚しき雄の近くにあがろうとすると、そのボスが威嚇して突き落とす。すると、そいつは反対側にやってきてそぉーっとのぼって群れから離れている。でも、あいつは絶対に諦めてないって雰囲気だ。雌たちはぐぅたらぐぅたらねころんでいる。
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アルカトラズ島に船で渡ったのだけれど、そこから帰ってきたらもう我慢できなくて、結局またPier39まで戻ってきて早めの夕食をダンジネス・クラブですまそうというわけだ。
セコイア国立公園のロッジのダイニングで食べたチキンのグリルと同じように、シェアしたいといったらちゃんと分けてきてくれた。
添え物は同じようにまたワイルド・ライスだ。
もちろんシェア・プレート分はきちんと金を取られるのだ。
こういう時のズッキーニは好きだなぁ。 -
飛行機が幕を引っ張っている広告。GEICOという車の保険会社の広告なんだけれど、半分以上は蛙の絵で、この蛙がぶら下がっているように見えるのがミソ。
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生まれて初めてアルカトラズに渡る。湾内のど真ん中にあるこの島はいろいろなところからよく見える。
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ケーブル・カーが登りにかかるとやっぱりこんな具合に見えてきた。
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Golden Gate Bridgeからでもこんな具合に(まぁ、くっきりとではないけれど)見えている。
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島のジェッティに船が近づくとそこに立っている看板には「島からの逃亡を企てたり、それを手伝ったりすると訴えられ、あるいは投獄される」と大書してある。お〜、やばいぞ。
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船で到着した人がいっぺんに移動したら入り口が混み合うのは目に見えているからか、船を下りたところで、こうして(多分)NPSの係員がマイクを持って一通りの説明をする。
許可のない船は200ヤード以内に立ち入るな、許可のない人間の上陸は許さんとまた書いてあって、段々その気になってくる。
その看板の下に掲げてあるのがNational Parkの印。 -
連邦刑務所だった時代に(多分)使われていたんだろうトラックが建物入り口に駐車してある。こんなところからもその気にさせますなぁ。こんなトラックに当時、密造酒を乗っけて運んでいたかも知らないなぁ。それでアル・カポネが入っていたんだよねぇ、と思わせるじゃないですか。
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どうやらカモメが巣を作っているらしくて、観光客がちょっかいを出さないように(日本人の観光客おじさん、おばさんも危ないけれど、そうでない観光客も結構やばいからねぇ)、保護してあった。それにしてもカモメという種族はどこに行っても結構はびこっているんですなぁ。
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ここでもやっぱり解説をしているおじさんがいて、やっぱり観光客を引きつけている。この時は有名な脱獄の話をしていた。これで完全に船から下りてきた一団はバラバラにばらける。
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だからこの本当の入り口にたどり着いたときには全く入場者の列なんてできていない。するすると入ることができる。
アルカトラズ・アイランドのフェリー代にはここの入場料も、そしてイヤフォンガイドの料金も全部入っているので、イヤフォンガイドを受け取るのもスムース。
自分で言語を選択することができるのだろうけれど、私はそのイヤフォンを渡してくれた係員に「日本語にはどうするの?」と聞いたら向こうがチャンネルを切り替えてくれた。
こうして入場者をばらしておくとその後のイヤフォンガイドに従って動く人の動きもずらすことができるわけで、こうして考えてみると最初の船を下りたところで、人を引きつけるポイントが二つあるというのは相当に重要だということがわかる。 -
入ってすぐの、多分これが刑務所に入れられる囚人が様々な生活用品を渡される場所。ちゃんとそれらしいものが備えて見せている。
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イヤフォンガイドではナレーターの解説もそうだけれど、当時の看守数名、受刑者数名の話が随所に挟まる。で、本来これは当人の言葉で語られているんだけれど、日本語チャンネルではその声の上に日本語の声優が語っているものだから、TBSテレビの「CBSドキュメント」で流されるナレーションを彷彿とさせる。
こんな具合に個室がずらぁ〜っとならんでいるのはなかなか壮観でありますなぁ。 -
個室の原則的な装備。
この反対側に想像通りのシンプルなベッドがぺろっとあるわけです。
で、隣の部屋は左右対称に作られていて、折りたたみ式の机と椅子が反対についている。しかし、右手側が壁になっちゃう場合、それって相当に使いにくいだろうになぁと想像するんだが、「いや、ぎっちょの人はその方がよいだろう?」という反論が返ってくるような気がする。
しかし、なぜか生物学的に右手遣いの人と左手遣いの人の割合は半々じゃないだろうし、それは的を射てはいないと思う訳よ。
この施設を出るまで、ずっとそのことを考えていたんであります。 -
運動広場に出るところにある出入り口。アルカトラズ・アイランドはSan Franciscoのダウンタウンに比べると寒く感じるから真夏でもウィンド・ブレイカーが必需品だとどこかで読んだ記憶があるけれど、その通りで、風が吹き抜けるからかも知れないけれど、受刑者はきっと寒そうにしていたんじゃないかと思ったら、どことなくうらぶれた空気が流れ出した。
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図書館だったスペースである。天井が高いというのは図書館の必須条件。こうでなくちゃならないわけだ。多分陽射しも降り注ぎ明るい場所だったのだろうなぁ。
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季節や、風向きによってはダウンタウンのノイズがなんとこのアルカトラズ・アイランドにまで届いたのだという。あ、何か聞こえると思った時のはっとした気持ちが瞬時に、あぁ、なんで俺はこっち側にいるのだろうと、落ち込む結果となったであろうことが容易に想像がつく。
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こっち側の面会ブースはこんな具合になっている。枠の中は透明のガラス(だろうか、それともなにか違うものでできているのだろうか、たとえば戦闘機のフードに使っていたような・・)になっている。一体、こんなところまで誰が面会に来るんだろうか。マフィアに雇われて魂を悪魔に売り渡した弁護士だろうか。それとも金の切れ目が縁の切れ目で離れていった女たちと一線を画した情の厚い、そんな女だったろうか。
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面会の規則、なるものが今でも貼りだしてある。とにかく月に一回、一人の面会しか許可にならないと書いてあるのにはびっくりしたなぁ。それでは誰かが面会を外から要望してきたら、「おまえなんかに会うのに月一回のチャンスをつぶされてたまるか!」なんていったかも知れない。
「禁煙、身体的接触は不可、飲食不可、座っていること」なんて書いてある。 -
かつての状況をそのまま再現してある、当局の事務所。椅子の雰囲気も嬉しいし、机の上に置いてあるほんのちょっとしかない備品の内のラジオも昔風で(時代考証があっているのかいないのかは全然しらないけれど)気分を出しているじゃないですか。
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その事務所の窓からダウンタウンを覗くとこんな具合に見える。もちろんここが本当に刑務所だった時にはBank Of Americaのビルとか、Transamerica Pyramidなんてものはなかったからもっとひらったく見えたかも知れないけれど。
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台所がこれだ。包丁置き場には包丁の置き場がきちんと決められていて、今どの包丁がここにないのかがすぐにわかるようになっているんだとイヤフォンガイドが説明してくれる。
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アルカトラズ・アイランドはいくつもの映画に出てくるけれど、この給水塔が必ずその象徴のように登場する。
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さて、日が改まりまして翌日、三日目でございます。
この日は日曜日で、とりあえずチャイナタウンを北上しようじゃないかという話になりました。
でBush Stに面したGrant Aveの入り口にあるゲートを目指します。でUnion Squareの北東の角、Levisの先にある「Grand Hyatt on Union Square」の階段のところに噴水があります。
でその下のポットが青銅のようなものでできていて、色が地味だから目立たないのだけれど、よく見ると大層面白そうな図柄なんですな、これが。 -
これは本当に一部分ではあるけれど、よく見るとちゃんとサンフランシスコ・市、カウンティの紋章なんかもある。まるで子どもが粘土を使って、好きなだけ作って良いよといわれて延々と作ってきたと思うようなメルヘンな世界。
作者はRuth Akiko Asawaといって、1926年生まれの日系二世彫刻家。カリフォルニア州Norwalkの生まれ。
Norwalkという街はLAからインター・ステート5号線を南へ20kmほど行ったところにある。
戦争中に彼女の一家はArkansas州のRohwerにできた強制収容所に収容されていたそうだ。チャンスがあったらじっくりと見てみたい気がする。 -
Bush St.と交差するGrant St.にチャイナ・タウンの入口のゲートが建っている。
その前の角にKimptonグループのHotel Triton San Franciscoという随分洒落たホテルがあって、その一階は今はコーヒーショップだ。
その昔、ここには日本航空のクルーの定宿になっていた比較的簡素なホテル(どうしても名前が思い出せない)があった。
深夜になるとフロントには生意気で日本人を見下している Stanfordのアルバイト学生がいて(多分彼は宿題が忙しくて私を相手にする暇がなかったのかも知れない)、あとは夜勤のベルボーイのお爺さんがいるだけだった。
そのお爺さんと私は「なんでアメリカは一斉にガンを規制しないのか」という論争をしていた。そして最後に彼は必ず「“フロンティア”を知らない外国人のお前たちには理解は出来ないのだ」と言い放った。
それでも誰も出入りしない深夜のホテルのフロントは暇つぶしにはもってこいだった。 -
そして一階は「みどり」という名前の土産物屋兼カウンターの日本食屋になっていた。
何人もの日本人のおばさんが働いていて二十歳(はたち)そこそこの私は、そのおばさんたちの威勢の良さに圧倒されていた。
カウンターの上には当時良くコーヒーショップにはあったガラスの重い蓋になっている丸いケースがあってそこにはそれはそれは美味しいドーナッツが入っていた。
ある日行ってみるとおばさんのお一人が「今日は親子丼があるわよ!」と仰る。飛びついて食べた。
またある時はこっちを見透かす様に「餃子があるんだなぁ」と仰るのだ。我慢が出来る訳がない。
またある時はRenoのKENOで$12,500.00を当てた人が出たってよ!」と金欠病のひ弱な日本人を真剣にさせる様なことを大声で話している。
多分その中の何人もが戦争の後に駐留軍で日本に来ていた米国将兵と結婚して米国に来た方だったのかも知れないと、後になって思った。
多分あの方たちの大半はすでに80歳を超えておられて中には亡くなった方がおられるはずだ。あれからもう38年もの年月が通り過ぎた。 -
これがBush Stに面しているチャイナタウンのゲートを内側から見たところでありますな。
すぐにこのチャイナタウンは坂道をあがる形になります。もう、どこのものかわからないけれど、とにかくアジア、というかEast方面の雑貨ならなんでもござれ状況のお店が連なっている。中国系だけでなくて、日本のものもあるし、中にはインド系のものが置いてあったりもするわけで、西欧の目から見たEastという感じだと思えば良いんじゃないかというところでしょうかね。
浅草の仲見世あたりを歩いているのとなんか似通ったにおいがしっかりするのでありますね。 -
この写真では余りよくわからないのですが、Sacramento(カリフォルニアの首都はこのサクラメントですな)Stとの角にBank of Americaがある。もちろんチャイナタウンにふさわしい建物になっていて、銀行の名前も「美国銀行」としてある。
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Grant Ave.の一本西側にStockton Stには中国系の八百屋さんがずらあ〜っと並んでいますよ。所々には肉屋さんがあったり、魚屋があったりする。
並んでいる野菜が運ばれてきたであろう段ボール箱が重ねてあるのを見るとSan Franciscoから3-400kmほど南にあるFresnoという街から出荷されたものがとても多いことがわかる。 -
はなはだ稚拙な写真で申し訳ないのだけれど、美味しい飲茶を戴きました。
その辺のガイドブックもなかなか馬鹿にできなくて、JTBパブリッシングの「アメリカ西海岸」を読んでいたら、なんでもブロードウェイに金山酒棲と書いてある美味しい飲茶があるという。
おおむねこの種のガイド本はあんまり当たらないことが多いのであんまり期待はしていなかったけれど、行ってみると入り口から受付まで人でごった返している。
その雰囲気がシドニーの人気の飲茶の店とそっくりだったので、これなら間違いなさそうだと入っていくと受付をかわいい若い女性がやっている。
いったいどれほど時間がかかりそうなのかというと、人数によるという。二人だといったらすぐに入れるという。
早速奥にすわり(奥というのは厨房の傍で新しい飲茶をすぐに捉まえることが出来るのだ)、ずっと食べたかったチャイニーズ・ブロッコリーとシドニーで私たちが呼んでいた青菜を取り(茹でただけで、食べる直前にオイスターソースをかける)、シウマイのような味のする餃子、プロウンのシウマイ、ちまき、海老のすり身を茄子に挟んで揚げたものなんてものをとって美味しく食べる。
久しぶりの本当の中国飲茶で大満足。 -
左隣がお婆ちゃんとおばさんとかわいい子どもの三人。
そのおばさんに「take outの箱なんてものはもらえるものでしょうか?」とお伺いするとそのおばさんが「大丈夫ですよ、いえばもらえます」といってご自分も箱をもらった。女性二人と子どもでは食べきれないのだろう。
するとそのおばさんが「日本人なの?」と聞くものだからそうだと答えたついでに、あまりにもその子がかわいいので「かわいいねぇ、彼女は映画スターにでもなりそうだ!」というとくだんの「彼女」が「僕は男だよ!もう小学校4年だよ!」というのである。
まるでどこかのテレビのCMのようなんだけれど、実際その子はとてもかわいいのだ。
おばさんがいうにはその子のお母さんはイングランド人で、お父さんが中国人なんだそうだ。それでもその子は基本的にはお婆ちゃんに似ていて、その中国人のお婆ちゃんがそもそもチャーミングな人なのだ。 -
チャイナタウンから折り返してストックトン通りを戻ってくる。
Nobhillのてっぺんあたりにはいくつも豪華ホテルがあるからその辺に入ってみる。
角にあるStanford Courtはずいぶん昔に泊まったことがあるのだけれど、こんな具合だったのかなかなか思い出せない。
尤もあのときは2泊3日の間、会議から食事から外に出ることも許されなくて、ようやく夜過ぎて解放され、地元の友達と遊びに行ったら上司に見つかって翌朝角のコーヒーショップでの朝食の時にぶつぶついわれたことを思い出した。そんなことを思い出しながらトイレを借りた。
フェアモント・ホテルには確か昔の大地震に関する資料があったはずだと思ってはいる。
どこにあるの?とドアマンに聞いて入る。するとホテルの中の洋服屋さんに入るとなかなか洒落ている割には安くて滞留時間がどんどん長くなる。
旧館の屋上庭園に出て下を見るとこんな具合。
この日はPowell Stのケーブルカーは何か不具合があったとかで一日走らない。日曜日のこの通りはケーブルカーの独壇場なのに、それすら来ないんだから、ガラガラだ。 -
MARK HOPKINS SAN FRANCISCOは今はインターコンチ・グループなんだそうだけれど、かつてからそうだったのだろうか。そうじゃなかったような気がするなぁ。
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カリフォルニア通りのケーブルカーはちゃんと走っているのだけれど、この路線は中途半端に途中で終わっちゃうものだから、なかなか遣い勝手が良くないんだよね。
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さて、翌朝、四日目、月曜日の朝になると、Powell Stのケーブルカーが復活している。ユニオン・スクウェアの横を歩いていると黒いスーツを着た東洋人の女性が私たちの話を聞いて、「あ、日本人の方ですね」と声をかけてくださる挙げ句の果てにご自身が経営しておられる旅行会社のパンフレットと地図を下さる。ずいぶん面倒見の良い方だ。それにしても積極的な方だ。
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今日はまずGrace Cathedralに行く。米国聖公会の教会。ゴールド・ラッシュの時に建てられたというけれど、もちろん1906年の大地震で崩壊。大金持ちが今の場所を寄付。建て始めたのは1928年。今の姿になったのは1964年だという。
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この扉が実に美しくて、見とれてしまう。
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近づいてみるとよくわかるのだけれど・・・。
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ひとつ、ひとつがこうしてストーリーになっているわけで、その全部を写真に撮っておきたいくらいだけれど、そんなことをしているとおいて行かれちゃうので、慌ててはいる。
入ってみると、すぐはがらんとしていて、大きな洗礼台がどぉ〜んとあるだけでなくて、床にはラビリンスが描かれている。なんでもふたつあるんだそうだ。私はどうも教会の中で堂々と写真を撮れないという傾向にあって、このラビリンスも写真に撮っていない。ご覧になりたい方はこちら。
http://www.gracecathedral.org/labyrinth/ -
こちらの教会について書かれたものを見ると必ずステンドグラスにふれている。確かにとても手の込んだステンドグラスだらけである。ステンドグラスというものは手が込んでくると枠がどんどん増えるからどんどん入ってくる光量が減るんだなというのがこれから学んだことだ。
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何となく、ロンドンのSaint Paul Cathedralと似た雰囲気がする。もちろんあっちの方がその壮大さは桁違いだけれど、やっぱり何か様式として似るものなのだろうか、アングリカン系だと。
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立派なパイプオルガンだ。
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Grace Cathedralから出て、涼しいというか、むしろちょっと寒い中をMason Stに沿って、どんどん北上する。Nob Hillからは下りだから結構軽快に歩く。連れ合いは下りの方が疲れるというのだけれど、私は今回は大変に履き心地の良い靴をもってきたものだから結構軽快なのだ。
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こんな看板を見るときっとこのお店は美味しいに違いないと思える。しかし、夜にここへ食べに来るかといったら多分来ない。なんでだろう・・・。面倒くさいということだろうか。そういうタイプなものだからこれはやったね、というチャンスにはほとんど巡り会わない。
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そんなことをいっている内にとうとうフィッシャーマンズ・ウォーフにまでたどり着いてしまった。
連れ合いはどうしても昔からある、もう既に見せ物と化してしまったような、店頭にやたらと呼び込みのいる魚介類屋台で買うんだという。私はおおむね想像がつくからなにも胸焼けを招き込まなくても良いのに、と不機嫌になりながら、こんなものに10ドルもつぎ込んだ。 -
ジラルデリのチョコレート屋に行く途中でついにハンバーガーの「In-N-Out」に遭遇したのである。ある知人が米国のハンバーガー・チェーンはここに勝るものはないと豪語していたし、たまたまご一緒した方もその意見に賛同しておられたからである。
しかし、さっきあの10ドルを喰ってしまったので、一番シンプルなハンバーガーをひとつ買って二人でまたシェアした。
これは確かに日本人に受ける味だろうなぁと思った。なんでこの店は日本に出さないのだろうかと思ったけれど、日本はマックドゥナルドゥがあの値段でやっていたら誰も出てこないね、きっと。私たちは損をしているのかも知れない。 -
やっぱりここに来たら町中にあふれているGHIRARDELLIのチョコレート屋に行くことになる。とにかく街中のスーパーといい、おみやげやといい、デパートといい、どこに入ってもここのチョコレートがこれでもか、これでもかと飾ってある。
昔はこの施設はこんな具合にはなっていなかったから今回初めて入った。
今はこのFilled Chocolate Barsというやつが売り出し中で、町中どこに行っても見かける。お店の中では「お試し下さい!」とどんどん配る。
web siteも面白い。
http://www.ghirardelli.com/ -
ここの名物といえば大盛り、てんこ盛りのチョコレートサンデーだそうだ。さすがにもうこれだけのものは食べきれない。
この街に生まれて初めてやってきたときに、ダウンタウンで最初に食べたのがこの手のサンデーで、驚きながらもぺろっと平らげたことを思い出す。
なんだか、今回の旅は思い出の旅だ。 -
このGHIRARDELLIのコンパウンドの一角にはいくつかのユニークなお店があって、ペットの犬の用具店やら、このワインやお酒を扱っている店があったりする。このお店では豪州で最も売れていると思われる普遍的なビールであるVictoria Bitterまで売っていて驚いた。
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こっちはその一角にあるケーキ屋さん。昔ながらのアメリカのスイーツ屋さんではなくて日本にそのままもってきても通用しそうな洒落た店だ。
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いよいよ帰りはひとり5ドルなりの乗車賃を払ってケーブルカーで一挙にMarket Stまで帰る。かつてはこの転車台でケーブルカーの向きを変えるのにも、周りの乗客が一緒になって押して回したものだけれど、これだけ人が来るようになったらかえって危険かも知れない。
延々長蛇の列でお客さんが待っているのだけれど、かつてに比べるとヒスパニックスやロシア系、欧州系の観光客がずいぶん増えたものだなぁという印象がある。 -
さぁ、走り出した。一番後ろの座席に座って後ろをずっと見ているのはとても面白い。なんだか子どもの時にかえったようだ。それは私一人だけではなくて、誰も彼もそうなるらしくて、通り過ぎるケーブルカーを見ていると東洋人も西洋人もおじさんたちは嬉しそうだ。
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この辺の雰囲気を見ると実に非日常的で、あぁ、旅に来ているんだと再認識する。面倒くさいことも不安なことも、こんな時にはもう全部忘れているんだから人間なんてたやすいものだというしかない。
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車掌のおじさんがやおら1ドル札を取り出して数えだしたんだよ。私は始発から5ドルの切符を買って、乗るときにそれを見せたわけだから車掌のおじさんには現金は渡していない。途中から乗ってきた客から彼は料金を回収する役目だからそうした金か。
昔は車掌さんが「Brother! Fare, please!」といって取りに来たっけなぁ。 -
こんな具合に急な坂をがんがん下りてくる。この逆に上っていくときのよいしょとグリップでロープを掴む時はみんなで力が入りそうだ。
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Market Streetの終点からPowell Streetを見上げると、こんな具合。この景色はいつまで見てても飽きないけれど、腹が減ってはいられない。
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Market Streetの南側はかつては工場街だった。The Moscone Convention Centerの中庭は結構気持ちがよい風景だ。左手に見えている薄茶色いビル群はマリオットホテル。今まで来たSan Franciscoでは見られなかった風景そのものだ。
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今回相当数世話になったのはWestfieldの地下にあるFood courtで、今日はMoto Pastaで注文。頼むとこれを渡される。で、できるとこの丸いものが点滅してバイブレートする。驚く。でも、うまいシステムだ。
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チキンのグリルにチーズをのっけたもの、野菜の炒め物、そしてペンネというワンプレーとスペシャル。
これとSan Francisco Soup Companyの全く愛想のない、無表情の、なんで私がこんなことをしなきゃならないのと不機嫌そのものの若い女性(はい、私は相当に頭に来ました)から買ったポタージュスープという組み合わせを例によって二人でシェアする。 -
Westfieldの壁に大きく掛かった「SALE」の広告。
とにかく、この時期ほとんどのお店がセールの真っ最中だった。くたびれてきたサマー・セーターの代わりを探していたのだけれど、なんとあのBrooks Brothersで掘り出し物を見つけてしまう。
街の中はそうしたバーゲンねらいの結果として紙袋をいくつもぶら下げた人が行き交う。 -
さて、最終日の24日である。最後の最後には典型的なアメリカン・ブレイク・ファストで一日を始めた方がよいだろうという思いで、わざわざ50-60年代に飾り立てたいわゆる「コーヒーショップ」で朝を始動。コンビーフと芋の炒め物にスクランブルド・エッグである。いいねえ!
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 唐辛子婆さん 2009/09/02 11:59:19
- すばらしい!
- keithforestさん、こんにちは
はじめまして、唐辛子婆と申します。
なんと充実したkeithforestさんのサンフランシスコ編!
さすが住んでいらした方は違いますね。
行く前に拝見してたら!と悔やんでしまいました。
特にGrase Cathedralは、とても美しくて通り過ぎるにはあまりにもったいない。
お差し支えなかったらリンクさせていただけませんでしょうか?
〜唐辛子婆〜
- keithforestさん からの返信 2009/09/03 00:53:56
- ご丁寧に
- > 唐辛子婆さん、(なんだかこうお呼びするのに抵抗がありますが)
ご丁寧に書き込みいただいて、ありがとうございました。
サンフランシスコは住んでいたわけではないのです。友人がもう36-7年暮らしているので、何回かこれまでの人生の中で滞在したことがある、というだけです。
しかし、やっぱり生まれて初めて日本を出て滞在したところですから、その後も何かというと立ち寄っておりました。
> 特にGrase Cathedralは、とても美しくて通り過ぎるにはあまりにもったいない。
あの教会は入ってすぐの床にラビリンスがあって、なんであれを撮影してこなかったのか、自分を疑います。
地下の売店にもラビリンスが描かれたエコバッグやらT-shirtなんてものを売っていたくらいなんですけれどね。
> お差し支えなかったらリンクさせていただけませんでしょうか?
どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく。何しろどなたも繋がっておりませんから。
しかし、新しい旅行記はなかなか増えないと思いますけれど。
- 唐辛子婆さん からの返信 2009/09/03 21:47:50
- RE: ご丁寧に
- keithforestさん、こんばんは、
> あの教会は入ってすぐの床にラビリンスがあって、なんであれを撮影してこなかったのか、自分を疑います。
そうでしたか!ほんとうにもったいないことをしました。
> > お差し支えなかったらリンクさせていただけませんでしょうか?
> どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく。
ありがとうございます。では、さっそく。
〜とうがらしばば〜
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