2008/06/14 - 2008/06/19
184位(同エリア596件中)
keithforestさん
- keithforestさんTOP
- 旅行記439冊
- クチコミ169件
- Q&A回答909件
- 410,447アクセス
- フォロワー35人
JTB USAのサイトを見ていたら、ずいぶん昔に行ったっきりのヨセミテを含めてグランド・サークルと呼称する地域の国立公園群を巡るツアーが出ていた。
前半と後半は別売りもしているようで、日本からの組み込みツアーという売り方もしているし、San Francisco発5泊6日でのLas Vegas解散ツアーという売り方もしているらしい。
というわけでYellowstone→Grand Tetonツアーを終えて友人がいるLos Angelesで数日遊び、このツアーに参加した。
終わったLas VegasからそそくさとSan Franciscoに飛んでしまったけれど、もう2-3泊してLas Vegasのショウをもっと堪能すれば良かったと、それはそれは後悔している。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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第一日目
San Francisco Hiltonのロビーで集合だった。
宿泊していたPark 55 HotelのEllis StreetとMason Streetの角の出口(ホテルの中ではこれは2階になる)から出れば、はす向かいが集合場所のHilton San Franciscoだけれども、Masonに面した出入り口は改装中なのか閉鎖されていて、二人して結構な斜度をこのホテルの正面玄関が面している O'Farrell Streetまで引っ張り上げる。
9時の集合時間には充分余裕を持ってロビーに入る。ここにもたくさんの観光客らしき人たちで溢れている。自分たちの居場所が見あたらないが、取り敢えずホッとする。
一体全体これで誰が参加者か判別がつくのだろうかといぶかしく思っていると、流暢な日本語を操る白人の青年と、見るからに日本人と分かる青年が二人して近づいてきて、確認をする。どうやって判別したのか聴いてみれば良かった。
この二人が今回のガイドで、二人ともLas Vegasを拠点にしているというがやはりモルモン教徒だった。
バスは真っ黒い大型バスで、参加者は総勢18名である。
日本から来られた方、東部から来られた方、オレゴンから来られた方、かつてLos Angelesに暮らしていたけれど今は日本におられる方、札幌から来られた方、仙台から来られた母・娘とバック・グラウンドは様々。
なぜか、5号線を下ってFresnoでランチするまで写真がない。 -
これがそのFresnoでランチをとった店。buffetだったけれど、私はこういうシステムは大好きだから嬉しかったんだなぁ。
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Fresnoはかつての日本人移民にとっては意味のある名前。今はメキシコ系の農場労働者にとって意味のある地名だろうか。
FresnoにはThe Fresno Beeという新聞社がある。全米にBeeという名前がつく新聞はいくらもありそうだ。Modestoにもそんな名前の新聞があったなぁ。
大学の野球も強いけれど、ここはSan Francisco GiantsのAAAチーム、Fresno Grizzliesの本拠地でもある。
カラオケ・ナイト? -
Sequoia National Parkの入り口ゲートは道からちょっとはいった広場のようなところに作られている。
こんなところや構内の手すりの様子を見ていると、この公園はごく最近ずいぶん手をかけて抜本的に整備されてきたという雰囲気だ。
1892年にYosemiteとSequoiaがNational ParkとなったがKings Canyonが公園化されたのは1941年で、KingsとSequoiaを同一管理になったのはなんと戦争中の1943年のことだという。
ガイドがいて良かったねぇ。自分でここまで調べられないもの。それにしてもNational Parkの入場料のどこでも入ることのできる年間パスというのはここのところで50ドルから80ドルへ値上げされたということだ。 -
もう、こうした大木を見ただけでもう圧倒されてしまう。
「大木」なんて言葉じゃ説明しきれない。なんていえばいいんだろうか。giantとかhugeとかgiganticなんていっても追いつかないようなセコイアの鬱蒼たる森である。嬉しい限りだ。 -
そして上を見上げるとこんな具合だけれど、首を反って見上げなくてはならなくて、だんだん身体が硬くなってきていますなぁ、ご同輩、という声が口をつく。
かつてYosemiteに一度だけ行ったことがあるのだけれど、その時にとてつもなく大きな松ぼっくりを見てとても印象的だった。いやぁ、セコイアの松ぼっくりってのは大きいんだよと言い放っていた。
ところが今回判明したのはあれはセコイアの松ぼっくりではなくて、なんとSugar Pineの松ぼっくりだったんだ。はっきり云ってショックだった。 -
倒木もこんな具合になっていて、ごく普通に疑問にも感ずることなく、見て、入っていくんだけれど、よく考えると凄いことになっている。時間も凄いが、この大きさも凄い。
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よく見ると向こうの方を人が横切っている。想像を絶する。
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その辺のクリスマスツリーのようだけれど、実はこれがセコイアの幼木だ。
なんの変哲もない。 -
人だかりがしているところがあって、何事ならんと見ると、これほどレンジャーとしてぴったりの人はいないだろうという佇まいをしたおじさんが柵に子どもを座らせて多くの入園者に話しているところだった。
今この時点で本当に考えないとこの地球が崩壊に向かってしまう。しかし、その何かをやるのは誰かといえば、この私たち以外にいないんだという話だった。
彼が話を終わると周りの人から、「そうだ、そうだ」という意味の拍手が自然に沸き起こった。忘れない様にしたい。 -
グラント将軍の木の前にこんなプレートが立っている。
「もしリッターあたり10km走ることのできる車がこの木と同じ大きさのガソリンタンクを備えていたとしたら(そんなことしたら違反だけれど)、それだけで地球を350回まわることができる」とか、「この木を人が手をつないで囲むには20人必要です」や「この木にバスケットボールを詰めたとしたら159,000個、ピンポンボールだったら3700万個詰められる」なんて書いてある。
ボールとボールの間のスペースだってもちろん計算してあるんだよね、なんて突っ込みそう。 -
こうした景色を前にしてじっと座っていたい気持ちになる。
自分たちだけできていたら好きなだけ見ていられるんだろうか。そういいながら、今日の泊まりの場所まで急ごうときっと思ってしまうんだろう。どこでどれだけの時間を費やしても良いんだというのは知らないところでは判断がつかない・・・。 -
1872年にIsrael Gamlinという人が建てたキャビンでその後はこの地域を管理するための倉庫として使われた建物。
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ここの歴史のある背の高い木には一本一本、「何の木」というのが残されている。これは多分「カリフォルニアの木」。
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さぁ行きましょうと云ってみんなが歩き出したが、どこへ行くのかを全く把握しないまま調子に乗って浮かれたままついていった。
そのうち気がついたら岩山にとりついていて、坂道大嫌いの私がゼイゼイ云いながら脇目もふらずよたよたしながら辿りついたそこは岩山の頂上で、周りはどぉ〜んと落ち込んでいる。
アメリカン・ネイティブの名前をとって名付けられた「Moro Rock」といわれている独立した岩山。 -
この素晴らしい眺望を見よ!私はぜいぜいでぐったりなのだ。
不思議なことにこの岩にとりついて登ろうと下から上がってくる人を見ると、皆さんとても気楽にやってきた雰囲気である。ビー・サンなんかでやってきて途中からこれはやばいとそれを脱いで裸足で歩いている人たちまでいる。
そして地元の関係なのかスペイン語で話している人たちがとても目立つ。その割にあちらこちらの看板は全く英語だけで、日本の様に中国語やハングルで書いてあるなんてところは見たことがない。
この岩山は御影石の独立岩でいうなればヨセミテのハーフ・ドームと同じである。 -
登ってくる岩のそこかしこにこんな具合に可憐な花が咲いているのだ。
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ここから東側に見えている山並みがこの看板で説明されている。3000m級の山脈が並んでいて、これが大西部分水嶺を構築している。こうして考えるとアメリカ大陸のほとんどが降った雨が東へ流れるという構造になっていることに改めて気がついた。
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こういう高山植物といえる草花があっちにもこっちにも咲いていて、もう少し早く来るともっともっときれいだったのだと聞くと本当に惜しいことをしたなぁと思う。
天気は安定しないかも知れないけれど、5月くらいが最もすてきなシーズンなのかも知れない。
さて、Moro Rockから降りてきてから、ガイド氏の先導で舗装道から降りてtrailに踏み込み、いよいよnational parkらしい雰囲気が醸し出されてくるぞ、というところで、後ろからついていった私はtrailに入ってすぐにそうした花を足下に見付けて撮影していた。
すると、前の方で何やら女性の甲高い声が聞こえ、ガイド氏が慌てて逆戻りしてくる雰囲気がする。何事ならんと目を向けるとそこに見たのはブラック・ベアである。
それも本当に近い距離で〔多分正確ではないだろうが〕30mほどだ。多分むこうは餌を探していて、こっちが見えていてもそれどころではなかったのではないだろうか。
慌てて舗装道路に戻る。みんながどんどん戻ってくる。ガイド氏がなんだか急におぼつかなくなった日本語で「距離が近すぎます!皆さん、逃げてください。見てはいけません!」と怒鳴っている。
逃げる逃げる!良く日本人はどんな時にも危機感がないといわれるけれど、なるほど、皆さん、にこにこしながら慌てる気配もない。若い女性に至ってはきゃぁきゃぁしている。
私は足が震えていた。 -
なるほど、後でよく見たら看板には「熊に注意」の看板があった。
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ほら!あれがさっき私たちが登ったモロ・ロックの頂上ですよ。こうしてみると大した高さでもなさそうに見えるのに、あがってみるとあの高さなんだから不思議なものであります。
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稀にこうした瘤のついている木を見ることができる。何でかと思ったのだけれど、ガイド氏がいうにはこれは一種の木の病気なんだというのだ。
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倒木の根をこうしてみるとどれほどの大木だったのかがわかる。
実はこの種の木の根はその高さに比べてその張り巡らす範囲は大きいとは言えないのだそうで、意外なくらいの範囲なんだそうだ。それなのにこれだけの広がりなんだから、この木がいかに大きな木だったかということになる。 -
なんだか巨人の国に紛れ込んだかのごとくであります。私たちは蟻?と聞きたいくらいだ。
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セコイアの森といえば、この風景を掲載しなくては満足できないというものであろう。
看板を見るとこの木は1937年12月4日に倒れたもので根のところでの直径が6.4m、長さ83m、トンネルの高さ2.4m、幅5.14mという。 -
地球上最大の大木だという「シャーマン将軍の木」とはこのことなり。
基部の直径は11m、周囲は31mもあり、地上54mのところで直径4.2mもある。樹齢はおおよそ2,200年だと聞くともうそこで気が遠くなりそうだ。イエス・キリストが生まれるずっと前に芽が出たということを考えると思わず唸る。 -
この椅子に座って見上げるとなかなか具合がよろしいのですが、この椅子がめったやたらと傷だらけで、痛々しい感じ。
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多分ひとりで立ち入った探検者はこんな風景をひとり佇み見ていたのかも知れない。
こうした日没を前にしてさぞかし、しっかりした野営地を確保したいなと焦っていたのかも知れないなぁ。 -
東に聳えていた山並みを日没の太陽が赤く染めていく。夏時間だからもうとっくに19時を超えているのだけれど、ようやく日没だ。
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私たちが宿泊したのは「Wuksachi Lodge」である。これが管理棟とダイニングのある棟で、私たち18人は一度に席に着くことはできなかったので、8人はビールを飲みながら席が空くのを待った。その8人は旅慣れた人たちで、全員が全員、最後の日のLas Vegasでシルク・ド・ソレイユのshowを見るつもりになっているのには驚いた。
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ここの宿はすべて木造二階建てで、二階の部屋に泊まった私たちはヨイショッと自分で荷物を上げるのに苦労した。
北側の窓はなぜか隙間が空いていて涼しいを通り越していた。朝起きて一番に裏山を窓越しに見たら、そこにいたのは立派な角をつけたミュールの雄だった。 -
さぁ、セコイアからヨセミテに向かうのに、まずふれすのに戻る。その沿道はまた果樹園が広がる。
よく見ると沿道にはモービル・ハウスが寄り添った、全く小さな集落のようなものがあっちにもこっちにも見ることができる。多分にメキシコ系果樹園労働者のアコモデーションなんだろうと推測することができる。 -
トンネルを越えたら、もう見えてきた。わくわくするあのヨセミテの山並みだ。
2008/07/03付の記事で、「Hans Florine, 44, and his climbing partner, Yuji Hirayama, 39」がWarren Hardingが3000フィートの壁を47日間をかけて踏破して以来丁度50年の節目の今年に2時間43分で踏破した、と新記録が報じられていた。
もちろんYuji Hirayamaは日本人。 -
バスはランチを食べるためにYosemite Lodge at the fallsに向かって走るのだけれど、ブライダル・ベール・フォールが見えてしまって慌ててシャッターを押す。
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昼ご飯をキャフェテリアでtake outして、リスを見ながら外で食べる。なんせ中はお客さんがわんわんしている状況。
ロッジの前からGlacier Pointへ行くバスに乗る。そしてまたトンネルを越えて行くとこれ以上の景色はこれまでの人生で見たことがないというほどの素晴らしいものに出会う。
あぁ、本当に来て良かったなぁと感謝。 -
ハーフドームを見上げるとこの迫力。よぉ〜く見るとこのつるんとした岩山の上を見ると登った人たちがぽつぽつといるのがよくわかる。若い時に来たら登りたくなっただろうか。ぶるぶる。エアーズロックですら登るのを拒否した高所恐怖症の私にはとてもできそうもない。
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もう説明する気もなくて、そのまま受け入れるしかないなぁ。
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Yosemite Fallsの上の段も虹色に染まっているのが見える。
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Yosemiteの良さはどこを見ても素晴らしいことだろう。カメラを持っていることを恨むほど、あっちを見てもこっちを見ても絵になる景色ばかりだ。
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Yosemite Lodgeでチェックインを待つ。今回の旅の中でいわゆるkeyを渡されたのはこのロッジが初めてだ。他のホテル、ロッジでもnational park内の施設についてもほとんどがカード・キーである。紛失してもあまり問題にならない。
ここには日本人のガイドがいる。フロントは忙しさの渦中にいて余裕がなさそうだけれど、ツアー・デスクは余裕一杯だった。
この日はたまたま満月の直前で「Full Moon Night Tour」があることを知った。しかし、もう疲れていて寝たかったのは惜しかったなぁ。 -
Yosemite Fallsはこんな具合にここからだと「上から下まで」見ることができる。誰もが、必ずこのアングルのショットを撮る。
この構図はあまりにも自分の気持ちの中にぴったりと来てしまうので、動けなくなる。 -
Yosemite Fallsの上の方を見に行くのは至難の業で何時間もかかるだろうけれど、滝の傍にはこんなものがあって、模型でその様子をうかがい知ることができるわけ。私のような不精者にはもってこいです。
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一番下の滝の滝壺までだけでも近づくのはなかなか大変で、それにはぐっしょり濡れることを覚悟していないとならない。カメラを持っているとこれはもう行きたくないですな。この程度まで近づいただけでももう濡れておりました。
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下の橋のところから一番下の滝を望むとこんな具合です。あんなに近づいている方たちはもう間違いなくびしょびしょです。
すぐそこに横たわっている倒木は「4travel」に書かれているどなたかの旅行記にも掲載されていましたね。これはセコイアの木だろうかという話題になりましたが、わがガイド氏はそれを否定しました。 -
さて、翌日です。ヨセミテを後にするのは後ろ髪を引かれる気持ちです。
ゆったりとしたスケジュールで数日滞在したいなぁ。
朝早くYosemite Lodge at the Fallsを後にしてTioga Passを越えて東のエントランスから出て行く。
バスはTioga Roadを登っていく。Taioga Passを越えてMono Lakeに出るのは28年前に来た時と同じだけれど、あの時は395号線を左に曲がり、Lake Tahoeを目指した。
今度はDeath Valleyを目指す。途中で遥かにHalf Domeを反対側から見ることの出来るルックアウト・ポイント、Olmsted Pointで大休止。 -
ここから先のスケジュールを見ると多分こんなみずみずしい光景を見るのはこの地域が最後なんだろうという予測はつく。
そうすると余計に見ていたい気持ちになるのだ。 -
ここまでやって来た車はほとんどがここに一休みするから、こっちを通りかかった人はほとんどここから見ているはずだ。
ところが私は28年前にここを通ったはずなのに、覚えていることといったらこの坂道をあえぎながらこぎあがる自転車の青年がキャップの庇に小さなバックミラーをつけているのを見て、珍しいなぁ〜と見入っていたことだけなのである。 -
マーモットを見つけた!嬉しかったなぁ。この公園では初めて見たような気がする。
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Tenaya Lakeを目の前にして一同我慢が出来ず遂にガイド氏を説得して下車。写真を撮りまくる。人のことはいえないが日本人は本当に写真が好きだなぁ。いや、そうじゃなくて写真の好きな人が旅行に来るのだろうか。それとも人がそっちに動くとどうしてもそっちに動いていってしまうのだろうか。
そうはいっても他の国の人たちだって結構カメラを振り回しているし、Yellowstoneでは動物を見付けては、飛んでもなく長いレンズを車の後ろから取り出す人を何人も見ているよなぁ。うん、日本人だけじゃないんだよ、カメラ好きなのは。 -
タイオガ・パスを下りきると(ここの途中でもとても印象的な風景にいくらでも出会うんだけれど写真が撮れないんだよねぇ)そこはMono Lakeにぶつかる。私たちはこれを右に折れて南へ下る。
この角にはガス・スタンドとおみやげ屋さんがあってとても繁盛している。ほとんどの車がここで休む。Yosemiteと書かれ、Black Bearの絵が描かれているトート・バッグに思わず手が出た。
ここで入手したもので大成功だったのはここから先の地図だったとはね。 -
395号線は一昨日に入っていたSequoia National Parkに繋がるシェラ・ネヴァダ山脈の東側を南北に走っている。
昼食はLone Pineで、という話だったのだけれどもその手前のIndependenceという随分張り切った名前の街〔人口わずか574人。独立記念日には注目されそう〕を通り過ぎてすぐの右手にどこかで見た石垣を見付ける。
Manzanar National Historic Siteである。「シェラ・ネヴァダ山脈の山を見て富士山を想い出した」という記述が当時の収容者の言葉として残っていたという。日本人のバスツアーとしてはこの史跡をただ通り過ぎるのは如何なものか。
Lone Pineでランチに入ったのはCarl's Jrだったのだけれど、ガイド氏がここにはズッキーニのフライがあるというので食べてみた。どう?・・・まぁまぁかなぁ・・・。 -
「アラスカを除いた全米の中で最も標高の高い」Mt. Whitneyが頭を覗かせている。この山の名前は私自身は相当に昔から知っている。
知ってはいたけれど、それがどこにあってどんな意味を持っているのかほとんど知らなかった。
日本のフレームザックメーカー(今でもそんなものが作られているのかすらもう知らないが)の製品名にこの名前があったことを記憶。 -
190号線に入るといよいよDeath Valleyが始まる。くねくねとしていてその上でこぼこそのままに造られている道路は相当に運転しにくそうである。へたをすると飛び出してしまいそうだ。上り下りそれぞれに一車線しかないし、その上結構上り下りがある。その上周りの景色は土色一色だ。これは疲れそうだ。
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14:25 この地域に大層貢献したという牧師のFather John J. Crowleyを記念したモニュメントを通過。
ハタと気がつくと前方の道がまっすぐで一気に下っている。そしてその直線道路が一番そこの何やら白くなっているところを境に一気に登っていく。その先は山だ。 -
砂漠の所々になんとも気味の悪い小さな木の様な物が立っている。Joshua Treeと呼ばれているものらしいが、なぁんの役にも立たないと説明される。
そんなことはなくて、この殺風景なところにボツボツと立って、立体感を表してくれるだけまだマシなんだけれど、あんまり好きになれるタイプではない。
もうひとつ、煩雑に現れるブッシュにはCreosote Bushなるものがある。あの防腐剤のクレオソートのことだというのを聞いてびっくりしてしまった。えっ!正露丸のクレオソートとはこのことだっただ! -
Visitor Centerにたどり着く。そこには待ちかまえていたかの様に寒暖計が備えてあって、「ホウらぁ、暑いんだよぉ」と教えてくれる。
私たちが着いた時にはその寒暖計は日陰にあるのだけれど、それでも47℃を指し示していた。実のところをいうとそんな暑さを突きつけられるようなものは見たくもないのだけれども、つい見てしまい、それならと証拠写真まで撮ってしまう。
トイレに行くと大きな扇風機がぶうぅん、ぶうぅんとまわって熱い風を吹き付けていた。 -
これで納得がいきますか?
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全米で最も標高が低い、つまり海面下86mの地点に行く。多分この界隈にやってきた人たちはみんな見ているだろうところで、道路の横の崖に海面地点のボードがかかっているのが遥かに見える。ここがBad Waterなる場所で遠くの方まで塩で真っ白だ。
私たちの真っ黒いバスの不気味さはこの場所にぴったりかも知れないですなぁ。 -
Bad Waterという名前にぴったりじゃないですか、この不気味な雰囲気。
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先に向かって真っ白な塩の道ができてしまっていてこの風景は辛くない?
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そこここにぽこっと穴が開いていてそこに水が見えるがこれがしょっぱい。こういうところにもBrine Shrimpという海老が生息しているんだという。そういえばUtahのGreat Salt Lakeにもシュリンプが生息しているという話だったなぁと思い出す。
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次なるポイントはDevil's Golf Courseなるもの。さて、それはどんなゴルフ場なのでしょうという説明だったのだけれど、要するに辺り一面塩分が結晶化する時に出来たでこぼこなのである。
もうそりゃぁ荒れ果てた景色で今朝まであんなみずみずしい光景の中にいたのに、なんでこんなところにいるんだろうと後悔しそうなくらいだ。 -
これが自然が作り出した塩の結晶なんですが、面白い形になったりするもんですなぁ。
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Pahrumpの街を通ってLas Vegasに到着。このPahrumpという街がなんだかすさんだ街で、なんだろうなぁと思ったらどうやらそのての街なんだそうで、いやはや恐れ入りました。
こんなホテルに宿泊。夕ご飯を食べ終わったらもう夜中じゃないか。showの予約をしていなくて良かった。這々の体で寝てしまう。ここでガイド氏が交替。 -
Las Vegasを予定より半時間ほど遅れて出発。これまで同行していた人たちの中からLas Vegasでお別れした人もいるし、新たに加わった方々もおられて、今度は33人となった。昨日までサブ・ガイドだった人がガイドになり、南米から来た若者がサブに着く。お二人ともやはりモルモン教徒。
一人で二人分の席を占領している人たちばかりだった。おかげで私たちは最初から56人乗りのバスの一番後ろが常席になったけれど、実はここは座席の間が広いのである。
ザイオン公園にむかう。 -
St. Georgeの素晴らしいスーパー、「Harmons」でスシ・ロール、美味しいパン、サラダと様々なものを買い込んでこの木陰でランチ。
St. Georgeという街はユタの最南端といっても良いところにあって、もちろんモルモン教徒のためのテンプルがある。
この街は1951年から1958年までの間に97回にわたって核実験が実施された核実験場からは220km東に位置する。そしてこの街の15kmほど辿った先にあるSnow Canyonが西部劇映画撮影の拠点である。
広瀬隆著の「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」に詳しい。 -
多くの人たちが木陰でランチをとっているものだから何か落ちているのだろうか。トリがついばんでいる。
女性のrangerが一団にむかって、なぜこのザイオンの地形ができたかを説明していた。 -
North Fork Virgin Riverを渡ってそれに沿って登っていくEmerald Poolsへのトレッキング・ルートを上がる。木陰には様々な動物が姿を見せる。すぐ手の届くところに鳥が巣をかけてひなを育てていたり、リスが姿を現したり、hummingbirdが飛び去ったりする。
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このリスは私たちがあがって行くに従って横の崖を辿ってあがってくる。気があるのか?
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くねくねと上がっていくと上の岩からぽたぽたと水滴が落ちてくる。下には池。これがEmeraldのlower poolの様だ。じゃ、upper poolは近いんだろうとそこからまだ我慢して登るが結構離れているみたいだ。多分距離的にはたいしたことがないのだろうけれど、くねくねしているんだろう。私は時間と自分の体力を見て諦めて下る。
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こうしてみたことのない花が結構いろいろある。そもそも自分の街にいても咲いている花がなんだかわからないにもかかわらず、こういうところに来ると見る花をやたらと撮りたくなる。で、なんだかわからない。
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まるで雨が降り注いでいるのかと思うほど上からぽたぽた水滴が降り注ぐ。ミストじゃないけれど、それだけでなんだか温度が下がってくるような気がする。
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シャトル・バスに乗ってTemple of Sinawavaまで上がる。
その間は川が流れ、両岸は迫る赤い岩とその上部の白い岩。終点で降りて、また川沿いに上に上がる。もう私にとっては限界かなぁと思うあたりから引き返しはじめるがこの道はかなり奥までいかれるらしくて、上から降りてくる人たちは、もういかにも相当歩いたぞ、という雰囲気だ。
道は途切れるのだけれど、川の中を歩いていくナローズというルートがあるんだそうだ。 -
上まで登って景色を堪能する人たちもおられるそうだけれど、そういう体力のあるときにお出かけになる方たちが羨ましい。
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89号線を通ってPageの街にほど近いLake Powell Resort & Marinasに到着。遥か彼方まで見渡せるフラットなところに人工湖であるLake Powellが拡がっている。
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どうやら満月が登ってくる。Lake Powellの向こうには赤ッ茶けた全くフラットな大地が広がっている。見えるのは三本の煙突を抱えたナバホ火力発電所だけだ。
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右側に見えているのがそのナバホ火力発電所。翌日アンテロープへむかう車に乗るためにPageの街にむかうと、この火力発電所のすぐそばだった。
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日が改まりまして、またまた快晴です。
おなじみアンテロープ。理想的な時間は太陽が真上に来る時間だとは聞いているけれど、バス・ツアーではそんなうまい具合には行かない。
私たちは翌日の朝一番でここにやってきた。ここはもう既にナヴァホのテリトリーで、働いている人たちはもちろんナヴァホの人たち。この観光会社には300人のナヴァホが働いているんだよと案内のおばさんから聞いた。 -
どこを撮っても、どんな具合に撮っても実にきれいに映る。何枚撮っても撮りたりないのだ。
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そしてこれがそのナヴァホ火力発電所。
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外に出てくるとこんな青空。まぶしい!
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98号線を走り160号線に合流して東へ進む。如何にも先住民の街と覚しきKayentaを通過したのが11:20頃である。この街はShopping mallがあってこの界隈では大きい街だ。ここから163号線を通って東に行くと右手に入口が見えてくる。尤ももうこの辺からあの西部劇そのものの景色が見え隠れしている。
Monument Valley Navajo Tribal Parkというのが正式な名前で米国のNational Parkではない。 -
Visitor Centerも結構な規模でしばらくいても飽きない。今はこのvisitor centerの横にホテルが建設中で今年中にはオープンだという。
ここから今度はナヴァホのガイドが運転するバンに乗って岩を巡って歩く。 -
大変に有名な「Three Sisters」であるがオーストラリア、Blue Mountainsの見晴台の傍に見えるあの「Three Sisters」とはsistersの意味が違っていてこっちは修道女のsisterである。
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こうした景観を見ていると、まさに自分が西部劇の中に出てきそうだけれど、こちらも実は核実験華やかりしころには甚だ問題だった地域のひとつに考えられていたようだ。
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ナヴァホのジョン・ウェインが颯爽と馬を乗り入れてきた。きっと観光客が集まってくると絵になるようにやってくるのですかね?
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太陽の眼を見に行きます。
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その次は岩が大きく窪んだところに行ったんです。声がドームに反射して響きます。なんというところだったのか、ガイドの話を全く聞いていなかったので忘れちゃいました。
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そこでナヴァホのドライヴァーのひとりがIndian Fluteを取り出してとてもしっとりとした旋律を吹いてくれました。私はここぞとばかりに動画でこれを撮影。やったなぁと思ったらサウンドをオフにしていて音が全く入っていませんでした。やれやれです。
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遠くから見るとこんな感じです。
なんだか面白い光景になっちゃいました。 -
あっちもこっちも真っ赤な岩ととてもクリアーな空気で充分堪能しましたねぇ。
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ランチはGoulding'sという施設でNavajo Tacosを食べた。ここはもとはといえばHarryとMike Gouldingが始めたGeneral Storeで、彼はNavajoを支援し、Monument Valleyを「駅馬車」のジョン・フォード監督に紹介した人として知られているという。
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Navajo Tacosは私は嫌いな方ではないのだけれど、ちょっと味が濃かったのでもっとたくさんレタスをのっけて食べたかったなぁ。
ダイニングの窓から外を見るとこれまた絵になる。 -
こんな景色のところで朝眼を覚ますと、一体どんな感じの目覚めになるのでしょうねえ。
ブーツをひっくり返してサソリが入っていないか確かめて、バンダナを首に巻いてしまうんでしょうか。
私はそれでもいいけれど・・。 -
さて、いよいよツアー最後の目的地、Grand Canyonに一直線!なのに、何を焦ったか実はちょっとしたtraffic troubleに巻き込まれちゃいます。
一行の志気は必要以上に盛り下がります。(盛り上がるという言葉は存在しますが、盛り下がるなんて言葉はありませんでした、少なくともこれまでは)。
だんだん変わる景色も、何となくうつろです。
その上ひょっとして日没に間に合わなかったらどうする!?と結構焦りも見えてきて。 -
いやいや、やるじゃないの、日没に悠々間に合いましたよ。さすがサマー・タイムでございます。
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Grand Canyon South Rimの東ゲートを入ってすぐのDesert Viewで初めての谷をはやる心を抑えながら覗きます。
縁から見下ろすとすぐの岩の上に何やら人影が見えるじゃありませんか。
いったい何をやっているのかと思うと、そのまた向こうの岩の上にも人影が!
双眼鏡を取り出すと片方は三脚を構えているところを見るとカメラマンで、もう一方はモデルなのかもしれませんね。
見えますか? -
Market Plazaにバスを止めてみんなでMather Pointまで夕陽を見に急ぎます。自ずから皆さん早足です。後から日本の団体を乗せた大型バスがやってきています。
こりゃ東洋人のほとんどは日本人のようです。 -
薄暗くなっていく背景の谷に横から真っ赤なお日様を受けて浮き上がっていく、という感じです。息を呑みます。
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とうとう、夕陽は縁を染めるだけになりました。
実はもう夜の8時半をとっくに過ぎています。 -
夜遅くにもなっていたので皆さんはバスでTusayanまで食事に行くという話だったのですが、私たちはMaswik Lodgeのキャンティーンで最初のSequoiaの晩にテーブルを同じくしたメンバーで夕食をとったのです。
ここの施設はYellowstoneの施設運営をしているXanterraが同じように運営してるので全く慣れ親しんだ雰囲気でした。
ここのロッジは無線LANが大丈夫で、何人もの若い人たち(ひょっとして夏休みをここで働いている人たち?)がラップトップを広げています。 -
一夜明けると、まだあけないうちから起き出して、今度はまた同じところに日の出を見に行くわけです。
東洋人は日本人も含めて太陽が顔を出す瞬間を見逃すまいとします。
じわじわと色を変える岩の方を見ている人もいますが、どうしてもご来光に身体が向きます。何せこっちは動いていますからね。 -
やや!見えてきました!眠そうにしていた人たちも眼が大きく見開いてきました。
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岩もこんな具合です!いいですねぇ!今日もまた暑そうだなぁ、とはいえこの時間ですから、寒くて、私はYellowstoneの雪の中で入手したバーゲンジャンパーを持ち出してきました。
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ぷふぁぁ〜、眠いッす。ようやくお陽さまがあがったので帰ります。あんまり早すぎてPlazaのBook Shopもあいちゃいません。
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Maswik Lodgeの横まで汽車の線路が敷かれてあってそこにはディーゼル機関車に編成された客車が停まっていました。昔はこの汽車で地元の街からここまでやって来たのだそうです。
私がどこかに行っている間に蒸気機関車も来たという話でした。残念。 -
ここのロッジはまぁ周りの気候が昼になると暑いということはあるんだけれど、実に夜のとばりが降りても暑くて仕方がないんです・・。
カーテンを開けて窓を開けていられると部屋の中が丸見えで、ちょっと困ったりするんだけれども、我慢できないほど風が通らない。
通らないわけで、後ろに回ってみると、ほら、全く開放部分がない・・ってわけです。
ご一行さま、33人おられると様々な方がおられるわけで、あんまり暑いからガイド氏に「どうにかならないか」と電話したというのですけれど、そりゃどうにもなりませんねぇ。 -
これが我々の今朝の食事であります。スーパーで買ってきたサラダ、チーズ、美味しく堅く焼かれたパン、そしてオレンジ・ジュースであります。毎朝のコーヒーが映っておりませんが、ほとんどのホテルには必ずコーヒー・アーンがあってちゃんとしたコーヒーを飲んでおりました
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Red Shuttleに乗ってHopi Pointまであがりました。本当はもっと先まで行くんだそうですが、今年は工事をしているので、Hopi Pointで終点。下ってくるshuttleはどこにも停まらずに一気に下まで下がってきてしまいます。
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コロラド・リバーが見えています。思いっきり望遠で撮ればね。
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このどこまでも続く山並みをひとつひとつ見ていくとこんな形になるまでに経ってきた時間のその重さを考えているとその途方のなさに気が遠くなりそうです。
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知りませんでした。ここではウランが採掘されていたのだそうです。
Orphan Mineという名前が付いていて日本語にすると「みなし児鉱山」とでもいうことになるすかね。
当初は銅を発見し、1905年の写真によれば木の梯子をかけて1800ft(600mくらいか)を垂直に降りたというんです。
1951年にウランが見つかり、1950年代には国立公園の中だというのに全米一の埋蔵量だったというんです。
1969年に純度の高いウランを生産してしまい、1988年にNational Park Serviceが役割を終えた地域をようやく買い取ったということです。今でも残っているそのタワーです。 -
後はただただ一路IS-40に乗ってLas Vegasを目指して走り抜けるだけでございます。これは相当に時間がかかります。
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途中で昔のルート66に降ります。
もうこのルートは時代遅れになってしまっていてずたずたになっています。
それでも途中で町おこしをやっている人がいるそうで、お休みするきっかけもないということもありますが、Seligmanにはそうした観光客が集まる店が数店あるだけですけれどね。
これはAshfolkという街の石切会社の様子です。やっぱり産出するものとしては石は有利でしょ? -
これがそのSelligmanのルート66です。ご覧のように通りかかるのは観光客だけです。
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これが街おこしで頑張った床屋のおじさんの理髪椅子。家族がおみやげ屋をやって稼いでいるんです。
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これがそのどんなツアーも寄っていくお店の店頭です。賑やかなのはこの周りの数軒だけです。なにしろYelowstoneの時のガイド氏が9人の客を乗せたバンを駆って来たところで合流してしまったというくらいです。
この後様々なところに旅行に行っていますが、ここで買った帽子をかぶっていた人や、T-shirtを来ている人に何人も会いました。相当数の日本人が毎日ここを通り過ぎているようです。
向こうの方でソフトクリームを売っているというのでいってみると犬を連れたおばさんがいた。とてもフレンドリーなおばさんで、挨拶をするとすぐにうち解ける。
なんだかぼさぼさした灰色の犬だったので、「コヨーテじゃないでしょうね」というと大笑い。「私は田舎に住んでいるからこの犬もこんなにいっぺんに人にあったことがないから驚いているのよ」というんです。 -
Kingsmanという街でようやく昼ご飯なんだけれど時は既に14時をまわっている。腹はぺこぺこなんですね。
で、入ったのはまたもやbuffetの店。こうしたところにばかり入っているんだから、ガイド氏が食べられるところではきっちりしっかりしたものを食べたくなるのはわからないことはないですね。
彼らガイド氏は多くの場合土産物屋ではポイントがあるらしく、食べ物屋ではもちろんただ。
しまいにはトイレ休憩で立ち寄ったスーパーでも「ツアー・ガイドです」というと割引になっています。
なるほどね。今回のガイド氏は途中の土産物屋でソフト・フェルトのテンガロンを買っていました。 -
Laughlinという街でコロラド・リバーを渡ってネバダ州にはいりました。
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Las Vegasに到着して、ようやくホテルに入ったけれど、今夜は油断ができない。すぐさま目の前なのにとても時間がかかるベラッジオに出向いて、表の噴水を見て、中にもあるWET DESIGNの様々な噴水も見て、そしてシルク・ド・ソレイユの「オー」の22時半からのショウを見るんで息が継げない。
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ベラッジオはさすがに途中で泊まったレクソールのコヒーショップとは全くもってそりゃぁひとクラス以上違うホスピタリティーのコーヒーショップでめしを食い、感動に次ぐ感動のショウを見て手のひらが痛くなるくらいに手を叩き、指笛をぴぃーぴぃーならして最後の晩を閉めることができた。
今度はシルク・ド・ソレイユの残りのショウを全部みたいですなぁ。
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