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アウシュヴィッツを訪れねばならぬ、と思ったのはかなり昔のことである。ヒットラーの「ユダヤ人大虐殺」についての本を何冊か読んだあとも、「第二次世界大戦」、「戦場のピアニスト」、「シンドラーのリスト」などの映画を見たあとも、広島の「原爆ドーム」を訪れたあとも、そしてワシントンD.C.のスミソニアン博物館に新設されたばかりの「ホロコースト博物館」を訪れたあともそうだった。空調のきいた快適な映画館や博物館ではこの悲劇は伝わらない、と思った。<br /><br />しかし現実には、ポーランドを訪れる機会はなかなか来なかった。サンクトペテルブルクに長期滞在するようになって数年がたつが、やはりわずかな休日の間に苦行のような旅をするしかない、と思い立ってやっとここアウシュヴィッツまでたどり着いた。ここのイメージは、人類の犯した最大の惨劇を生んだ大量殺人工場、毒ガスと人を焼く死臭(これはインドのガンジス川で経験してイメージができあがっている)、ドイツ人のユダヤ人に対する憎悪とアーリア人至上主義、全世界を巻き込んだ戦争の狂気、などあらゆるものが頭の中で勝手にごちゃ混ぜになって増幅していた。<br /><br />しかし、である。小雨混じりとは言え、6月の爽やかな気候のなかで、ここは花が咲き新緑が映え、鳥がさえずる平和な、ヨーロッパでどこでも見かける農村である。収容所の入り口の、Bがひっくり返った有名な「ARBEIT MACHT FREI」のゲートは、巨大で威圧感のあるものを想像していたが、予想よりもはるかに小さく威圧感のないものだった。ブロック造りの建物は改修工事が続いているようで、小ざっぱりと整備されている。もし、ガイドの説明を聞くことなく(理解することなく)、この強制収容所跡の外観だけ見て帰るようなことがあれば、人類の歴史上最大規模の惨劇がここで起きたと信じることは難しいことだろう。ここアウシュヴィッツを訪れるには新緑の季節ではなく、冬枯れで寒風の吹き荒れる、物悲しい季節に限る。<br /><br />この博物館は無料であり、「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。ポーランド人の若い女性のガイドが、我々30人ほどのグループの案内人となった。この英語ツアーは、ノルウェー人、トルコ人、アイルランド人、アメリカ人、オーストラリア人、、リトアニア人、中国人を含んでいた。このツアーの最中は、ガイド以外はほとんど無言で歩んでいく。この聡明そうなガイドは、ついに最後まで笑顔を見せなかった。そのような教育がされているのであろう。このツアーではガイドの説明中に無駄話をすることは許されない。年配のノルウェー人の団体は何回か注意を受けていた。<br /><br />収容所のなかにどんな展示があるかは解説書で知っていた。ホロコースト博物館でも同種の展示はすでに見ていた。ユダヤ人や政治犯たちのメガネ、義手、義足、かばん、帽子、靴、生活用品など、これらの写真を撮ることは不謹慎かと思っていたが、ガイドはむしろ撮影してこの悲劇を多くの人に伝えて欲しい、と言うスタンスのようだ。ただし、有名な2トンもある女性の髪の毛だけは、写真撮影は禁止されている。<br /><br />この中でもとりわけ胸を張り裂かれる展示は、ガス室に送られるため並んでいる子供たちの写真や、子供たちの下着などの遺品である。罪もない子供たちまでガス室に送り込んで大量虐殺した狂気の時代、二度と繰り返してはならない。ここで虐殺されたのは110万人とも150万人とも言われ、正確な数は今現在も調査中だという。<br /><br />アウシュヴィッツ第一強制収容所は、1940〜1945年にかけてポーランド南部オシフィエンチム市に、第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ビルケナウ)につくられた。「アーリア人以外をドイツに入国させない」といった政策が国内の収容所の閉鎖を推し進め、労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人、さらには劣等民族を処分する「絶滅収容所」として機能していたのだ。<br /><br />戦争の悲劇を繰り返さないための、「負の遺産」のユネスコ世界遺産登録には大きな意義がある。日本人は、加害者として、同時に被害者として両方の立場で、戦争の悲劇を子供たちにも伝えていく責任を負っている。<br /><br />3時15分に出発したツアーが、ホテルに帰着したのは8時を回っていた。非常な疲労感とともに、達成感を持って早めの床についた。

ポーランドの世界遺産No.4:胸が張り裂けるアウシュヴィッツとビルケナウの強制収容所(改訂版)

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2012/06/11 - 2012/06/12

49位(同エリア385件中)

3

40

ハンク

ハンクさん

アウシュヴィッツを訪れねばならぬ、と思ったのはかなり昔のことである。ヒットラーの「ユダヤ人大虐殺」についての本を何冊か読んだあとも、「第二次世界大戦」、「戦場のピアニスト」、「シンドラーのリスト」などの映画を見たあとも、広島の「原爆ドーム」を訪れたあとも、そしてワシントンD.C.のスミソニアン博物館に新設されたばかりの「ホロコースト博物館」を訪れたあともそうだった。空調のきいた快適な映画館や博物館ではこの悲劇は伝わらない、と思った。

しかし現実には、ポーランドを訪れる機会はなかなか来なかった。サンクトペテルブルクに長期滞在するようになって数年がたつが、やはりわずかな休日の間に苦行のような旅をするしかない、と思い立ってやっとここアウシュヴィッツまでたどり着いた。ここのイメージは、人類の犯した最大の惨劇を生んだ大量殺人工場、毒ガスと人を焼く死臭(これはインドのガンジス川で経験してイメージができあがっている)、ドイツ人のユダヤ人に対する憎悪とアーリア人至上主義、全世界を巻き込んだ戦争の狂気、などあらゆるものが頭の中で勝手にごちゃ混ぜになって増幅していた。

しかし、である。小雨混じりとは言え、6月の爽やかな気候のなかで、ここは花が咲き新緑が映え、鳥がさえずる平和な、ヨーロッパでどこでも見かける農村である。収容所の入り口の、Bがひっくり返った有名な「ARBEIT MACHT FREI」のゲートは、巨大で威圧感のあるものを想像していたが、予想よりもはるかに小さく威圧感のないものだった。ブロック造りの建物は改修工事が続いているようで、小ざっぱりと整備されている。もし、ガイドの説明を聞くことなく(理解することなく)、この強制収容所跡の外観だけ見て帰るようなことがあれば、人類の歴史上最大規模の惨劇がここで起きたと信じることは難しいことだろう。ここアウシュヴィッツを訪れるには新緑の季節ではなく、冬枯れで寒風の吹き荒れる、物悲しい季節に限る。

この博物館は無料であり、「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。ポーランド人の若い女性のガイドが、我々30人ほどのグループの案内人となった。この英語ツアーは、ノルウェー人、トルコ人、アイルランド人、アメリカ人、オーストラリア人、、リトアニア人、中国人を含んでいた。このツアーの最中は、ガイド以外はほとんど無言で歩んでいく。この聡明そうなガイドは、ついに最後まで笑顔を見せなかった。そのような教育がされているのであろう。このツアーではガイドの説明中に無駄話をすることは許されない。年配のノルウェー人の団体は何回か注意を受けていた。

収容所のなかにどんな展示があるかは解説書で知っていた。ホロコースト博物館でも同種の展示はすでに見ていた。ユダヤ人や政治犯たちのメガネ、義手、義足、かばん、帽子、靴、生活用品など、これらの写真を撮ることは不謹慎かと思っていたが、ガイドはむしろ撮影してこの悲劇を多くの人に伝えて欲しい、と言うスタンスのようだ。ただし、有名な2トンもある女性の髪の毛だけは、写真撮影は禁止されている。

この中でもとりわけ胸を張り裂かれる展示は、ガス室に送られるため並んでいる子供たちの写真や、子供たちの下着などの遺品である。罪もない子供たちまでガス室に送り込んで大量虐殺した狂気の時代、二度と繰り返してはならない。ここで虐殺されたのは110万人とも150万人とも言われ、正確な数は今現在も調査中だという。

アウシュヴィッツ第一強制収容所は、1940〜1945年にかけてポーランド南部オシフィエンチム市に、第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ビルケナウ)につくられた。「アーリア人以外をドイツに入国させない」といった政策が国内の収容所の閉鎖を推し進め、労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人、さらには劣等民族を処分する「絶滅収容所」として機能していたのだ。

戦争の悲劇を繰り返さないための、「負の遺産」のユネスコ世界遺産登録には大きな意義がある。日本人は、加害者として、同時に被害者として両方の立場で、戦争の悲劇を子供たちにも伝えていく責任を負っている。

3時15分に出発したツアーが、ホテルに帰着したのは8時を回っていた。非常な疲労感とともに、達成感を持って早めの床についた。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
LOTポーランド航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • アウシュヴィッツ強制収容所の入り口

    アウシュヴィッツ強制収容所の入り口

  • 収容所の入り口の、Bがひっくり返った有名な「ARBEIT MACHT FREI」のゲート

    収容所の入り口の、Bがひっくり返った有名な「ARBEIT MACHT FREI」のゲート

  • アウシュヴィッツ強制収容所の配置図

    アウシュヴィッツ強制収容所の配置図

  • 入り口を入って収容所へ向かう、新緑が映えて爽やかだ

    入り口を入って収容所へ向かう、新緑が映えて爽やかだ

  • 送り込まれた囚人たちを迎えるため編成されたオーケストラ、偽りの慰みを与えていた

    送り込まれた囚人たちを迎えるため編成されたオーケストラ、偽りの慰みを与えていた

  • 送り込まれた囚人たちを迎えるため編成されたオーケストラの写真

    送り込まれた囚人たちを迎えるため編成されたオーケストラの写真

  • HALT(止まれ)の看板、鉄条網には高圧電気が流されていた

    HALT(止まれ)の看板、鉄条網には高圧電気が流されていた

  • 高圧電気が流されていた鉄条網

    高圧電気が流されていた鉄条網

  • 厨房の入った建物も改修されている

    厨房の入った建物も改修されている

  • アウシュヴィッツにはヨーロッパ各地からユダヤ人、政治犯、捕虜などが送り込まれた

    アウシュヴィッツにはヨーロッパ各地からユダヤ人、政治犯、捕虜などが送り込まれた

  • ひときわ胸を張り裂かれる写真、ガス室に向かう子供たち

    ひときわ胸を張り裂かれる写真、ガス室に向かう子供たち

  • 改修されている煉瓦造りの収容棟

    改修されている煉瓦造りの収容棟

  • 毒ガス・チクロンBの空き缶と珪藻土

    毒ガス・チクロンBの空き缶と珪藻土

  • アウシュヴィッツ上空の航空写真

    アウシュヴィッツ上空の航空写真

  • 収容所の倉庫に運び込まれた囚人の荷物

    収容所の倉庫に運び込まれた囚人の荷物

  • 小奇麗に修復された囚人棟

    小奇麗に修復された囚人棟

  • 囚人たちの夥しいメガネ類

    囚人たちの夥しいメガネ類

  • 囚人たちの夥しい義足、義手、松葉杖など

    囚人たちの夥しい義足、義手、松葉杖など

  • 囚人たちの夥しい食器などの生活品

    囚人たちの夥しい食器などの生活品

  • 囚人たちの夥しいカバン類、名前が記されている

    囚人たちの夥しいカバン類、名前が記されている

  • とりわけ悲惨な子供たちの下着類の展示

    とりわけ悲惨な子供たちの下着類の展示

  • 夥しい囚人たちの靴やサンダル

    夥しい囚人たちの靴やサンダル

  • 整然と並ぶ改修された収容棟

    整然と並ぶ改修された収容棟

  • ロシア人のグループ

    ロシア人のグループ

  • ナチスドイツが数千人を銃殺した「死の壁」

    ナチスドイツが数千人を銃殺した「死の壁」

  • 「死の壁」の献花、折り鶴も置いてある

    「死の壁」の献花、折り鶴も置いてある

  • 囚人たちの寝室、3段ベッド、過酷な生活環境が伺える

    囚人たちの寝室、3段ベッド、過酷な生活環境が伺える

  • 淡々と説明を続けるガイド、笑顔を見せることはない

    淡々と説明を続けるガイド、笑顔を見せることはない

  • ガス室の内部、ここで数10万人の命が奪われた

    ガス室の内部、ここで数10万人の命が奪われた

  • ビルケナウ第2強制収容所はアウシュヴィッツからバスで10分のところにある

    ビルケナウ第2強制収容所はアウシュヴィッツからバスで10分のところにある

  • アウシュヴィッツの象徴的な写真として有名なアングル、実はビルケナウ第二収容所の入り口である

    アウシュヴィッツの象徴的な写真として有名なアングル、実はビルケナウ第二収容所の入り口である

  • ビルケナウにある監視塔

    ビルケナウにある監視塔

  • 囚人たちをヨーロッパ各地から運んできた貨車

    囚人たちをヨーロッパ各地から運んできた貨車

  • 囚人により隠し撮りされた写真の説明、ガイドは最後まで笑顔を見せなかった

    囚人により隠し撮りされた写真の説明、ガイドは最後まで笑顔を見せなかった

  • ビルケナウに貨車で運び込まれた囚人たちの写真、隠し撮りで撮影された

    ビルケナウに貨車で運び込まれた囚人たちの写真、隠し撮りで撮影された

  • ナチスドイツによる犠牲者の国際追悼記念碑

    ナチスドイツによる犠牲者の国際追悼記念碑

  • ビルケナウ収容所の第3死体焼却場とガス室跡

    ビルケナウ収容所の第3死体焼却場とガス室跡

  • ビルケナウ収容所の囚人たちの寝室

    ビルケナウ収容所の囚人たちの寝室

  • ビルケナウ収容所内の改修された建物

    ビルケナウ収容所内の改修された建物

  • オシフィエンチム駅、アウシュヴィッツ強制収容所まで徒歩10分の距離にある

    オシフィエンチム駅、アウシュヴィッツ強制収容所まで徒歩10分の距離にある

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この旅行記へのコメント (3)

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  • とらいもんさん 2012/07/02 07:49:42
    2010年12月8日
    おじゃまします。拝見いたしました。
    私は、タイトルの日に、ポーランドの友人の案内で見学できました(投稿を見ていただければ幸いです)
    お邪魔しました。
  • tadさん 2012/07/01 20:03:13
    素晴らしいレポートです。
    クラカウには学会で行きましたが、とうとう、ここに立ち寄る勇気はでませんでした。。。

    ただ、この3月に、ロンドンの戦争博物館でユダヤ人虐殺のかなり詳しい展示を見ました。気が重かったです。。。つい、最近まで人間はこんなことをやっていたのかと思うと。。。

    ハンク

    ハンクさん からの返信 2012/07/07 23:23:04
    RE: 素晴らしいレポートです。
    tadさん、こんばんは。

    tadさんほどの方でも、ここに立ち寄るためには勇気が必要、、とお聞きしてほっとしました。私もここを訪れるために10年以上も躊躇し続けてきました。あの尊敬すべきドイツ人がヒットラーの暴走を止めるすべを持たなかった。。。日本も同様なのでしょうが、歴史を繰り返さないためにも、地道な努力が必要なのだと痛感しました。

    それではまた、ハンク

    PS 明後日からまたロシア出張です。

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