2007/04/22 - 2007/04/22
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井上@打浦橋@上海さん
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前日がやけに暑くて、当日はもしかしたら雨かもという日に、第31回上海歴史散歩が開催されました。
この散歩の会は、3ヶ月に1回というペースで2000年11月に始まりました。主催者は上海歴史好きのK山さんです。
K山さんが、当時の上海エクスプローラーの「よろず情報交換」で、呼びかけたのが始まりです。そして、それに最初に手を上げたのが、実を言いますと、何を隠そう、恥ずかしながら、ワタクシなのです。
さて、当時の「よろず情報交換」でのやり取りは下記をご覧下さい。
http://www.shanghai.or.jp/yorozu/view.php3?id=4135
どうですか当時の「よろず・・」は中身のあることがやり取りされていたでしょう。
それに引き換え・・・今のエクスプロア上海の「よろず・・」は・・・・・ググググ・・・・嘆かわしい!!
まあ、その話は置いておきまして・・・
この日の、テーマは「初期英国租界、外灘の裏通りを歩こう」です。
外灘沿いのあの歴史的建築群は、これは、もう有名。どの、上海ガイドブックを見ても、まず、紹介されるのは、この歴史的建築群ですね。バァーット、しかし・・・その歴史的建築群の裏にも、これまた、歴史を感じさせる建物が一杯詰まってるんです。そして、それら裏ワイタンの建物どもは、皆、渋いっ!!ココを極めますと、あなたは、もう上海通です。そして、はまり易い方、あるいは、どうでもいいことにこだわるタイプが、それに興味を抱き始めますと、いわゆる一つの「上海オタク」になってしまうのです。
あの裏ワイタンの上海オタクの必須アイテムは、なんといってもパンダマンホールと、ナチとラーメン模様のコラボレーションなんです。
この2つを知ってるだけで、あなたは、もう立派な「上海オタク」なのだぁーっ!!
このなんだか訳のワカラン2つが、何であるのか・・・・・最後まで、このブログを見ていただければ解明されるでしょう。
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上海歴史散歩の会は、今まで30回行われてますが、私の出席率は5割といったところでしょうか。催行日はいつも日曜日です。ここ2・3年、日曜日は、家族と食事をする日となってましたので、なかなか参加できませんでした。今回は久しぶりの参加となりました。
今日の集合場所は外灘近くにあります聯誼大厦の前です。
集合時間は9時です。
私は、一日に1回は汗を流さないと、気分がイマイチ状態になりますので、朝は5時半からタップリ汗を流しました。
そして、シャワーを浴び、朝飯食って、家を出たのが7時15分。外灘へは、いつも17路バスで行きます。この日もそれに乗り、外灘近くの漢口路というバス停で降りたのが8時ジャスト←←早すぎる・・っつうの!!
集合場所までプラプラ・・・
これは、途中、四川中路で見かけた煎餅屋ですね。
84年、天津にいる頃、よく食いました。もともと天津のものでして、上海では7・8年前は見かけませんでしたが、今は、上海でも人気ですね。
さて、その天津煎餅の製作現場を実況中継しましょう。
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溶いた粉を小さめのお玉で鉄板にジャーしたあとは、ヘラで素早く拡げなくてはなりません。ビン(餅・・クレープっぽい)は厚さ0.7mm、直径38.5cmの円形に仕上げます。そして卵を片手で割って、それをビンの上に、そして又ヘラで素早く拡げる。そのあと、裏返します。そしてミソと言うか甜麺醤を刷毛で塗りつけ、ココで「辣的マ?」と聞いてきます。OKですと辣椒も塗りつけ、そのあと、刻み葱をパラパラ、好みにより香菜、そして油状を置き、折りたたんで、茶色い紙で包み、さあ、どうぞとなります。油を一刷きから渡すまで1分08秒。・・・・正に職人技です。
【注】上記の数値はいい加減です。 -
ココが集合場所の聯誼大厦の前です。
私がここに着いたのが8時5分頃・・・勿論、まだ誰も来てませんでした。付近をぶらついて8時半頃に戻ってきましたらT田女史が来ていました。この歴史散歩の縁の下の力持ち的存在の方です。彼女に、井上さん、相変わらず早いですね・・って言われてしまいました。
さて、皆さんが集まり、主催者のK山さんの説明が始まりました。ただ今、9時6分です。
この日に回るコースの簡単な説明と、大勢で動き回るに当たっての注意事項などです。そして、この聯誼大厦のことも・・。
この聯誼大厦は85年に建てられたものだそうです。解放後は、思うに、近代的なビルなんてのは殆ど建てられなかったはずです。今でこそ、奇抜なデザインの近代的ビルが雨後の竹の子ごとく、ニョキニョキ状態ですが、当時では、珍しかったはずです。改革開放政策が採られて、上海で最初に出来た近代的なビルの1つだったんでしょう。
ということで、当時は、日本企業の事務所が、ここにはビッシリだったそうです。主催者K山さんが勤められた会社の事務所もここにあったそうで、5年間ここに通っていたとか。そして、ココには上海で最初の・・・いや、解放後ですけどね・・・戦前は結構あったはずです・・日本料理屋があったそうです。たった一軒の日本料理屋・・・まさにオアシスってところだったんでしょう。
ということで、K山さんには、聯誼大厦は思い出深いところのようです。
日本料理屋といいますと、当時私は、天津にいたんです、北京に3つあるだけでしたね。天津といいましても海辺の田舎町にいましたので、北京へは2ヶ月か3ヶ月に1回行けるくらいでしたが、日本料理屋へ行くのが楽しみで、楽しみで・・・・ -
説明が終わりさて出発です。
ただ今、9時21分です。
まずは、聯誼大厦の西側の道・四川中路を北へ行きます。
この四川中路は普段から自転車が普段から多い道でして、日曜日でも結構多かったです。
ご覧のように参加者には、子供さん連れの方もいます。 -
まずは、四川中路と広東路の南西角にありますパリ国際銀行です。
今はご覧のように中国民生銀行になっています。
ここの玄関を入ってスグのところが凄いのです。 -
コレが玄関を入ったところの天井にありますモザイク画です。
ただし、コレは去年の5月28日に撮ったものです。
ココは写真撮影禁止のようですね。
歴史散歩に日は、流石に隠し撮りは出来ませんでしたが、
去年の5月の時も、コッソリ撮りましたのでボケ写真になってしまいました。 -
コレは、その日に撮ったものです。
我々の仲間が奥に入り込みまして、警備員の目がそちらに向いた時に、コッソリ撮ったというわけです。
やはり、ボケ写真ですが、なんとか、いくらかはステンドグラスの感じがつかめると思います。
なんか、ホントに驚きますね・・・こんなところに、こんな素晴らしいものが・・・・ -
中国民生銀行の斜め対面、つまり四川中路と広東路の北東角にあるのが、この建物です。
昔は三菱公司が使っていたようです。1914年に建てられたそうです。
この写真は去年の5月28日に撮ったものです。その時は、まだ、何かに使われていたようでしたが、今はガランドウです。
でも、いずれはレストランかなんかに使われるのかもしれません。
さて、この建物で、4・5年前に映画の撮影があったそうです。
どんな映画か・・・・・ -
それが、この映画「紫胡蝶・・・Purple Butterfly」です。
ストーリーは・・・1928年満州、日本人の伊丹(仲村トオル)は丁慧(章子怡・・チャン・ツィイー)と出会い、愛し合うようになる。日中戦争の影が忍び寄り、召集令状を受けた伊丹は帰国することになり、二人は離れてしまう。それから3年後、スパイとして上海へやってきた伊丹は丁慧と再開する。だが彼女は名前を変えて、抗日組織「紫胡蝶」の一員としてテロ活動を行っていた・・・・です。
もう、コレは、どうしようもなく上海が舞台でないと成り立たない話ですね。梅機関、CC団、ジェスフィールド76号、藍衣社、共産党軍のテロ組織、上海マフィアの青パン・・・・そういった組織が暗躍していた上海・・・「上海オタク」でしたら、ギャアーッ、よしてくれぇ、と叫びながら、喜び死んでしまうような話です。
さて、その映画で渋い脇役を演じたのが、何を隠そう、恥ずかしながら、我が上海歴史散歩主催者のK山さんなのです。
そのことを、この日の歴史散歩のこの場面で、いくばくかの自慢心をホノカににじませながら、恥ずかしげに、さりげなく話されていました。
ですが、この映画でのK山さん、結構存在感ありましたね。登場する場面がイイ・・・「第三の男」のオーソン・ウェルズが登場する時みたいでした。と言いますか、この映画の監督、相当「第三の男」に影響受けてるように思えました。 -
K山さんを、持ち上げすぎたところで次に行きましょう。
四川中路を更に北に行きます。
左(西側です)に見えてきましたのが、卜内門洋行大楼です。1922年建造。
今は、上海市倉儲行業協会が入っています。
やはりエアコンの室外機が目障りですね。 -
四川中路から、外灘へ抜ける小道に入ります。
普通、この道を通り抜ける人はいません。私でも、コレで3回目。
この道の名は元芳街です。
上海では道の規模によって道の呼び名が変ります。路⇒街⇒弄の順で道が狭くなり短くなります。
北京ですと、長安街なんてのは、どうしようもなくだだっ広い道ですが、上海ではこの順となります。
この元芳街にも渋い建物があるんです。 -
それが、この建物です。渋いでしょう。
K山さんの説明を聞いてるのは、我々歴史散歩メンバーだけではありません。付近の住民も、通りすがりの人も、立ち止まって聞き入ってるのです。
さて、この建物ですが優秀歴史建築の銘板には、昔の滬寧鉄路局、安順洋行。1911年建造と書かれています。
今は多くの世帯が住む集合住宅になっています。一部は旅館になっています。 -
外灘に出ました。
暫くは北へ行きます。 -
これはバンコク銀行です。
昔は大北電報公司となっています。
このなんだか読めない字は、タイ語なんでしょうか・・・左から読むのか、右から読むのか・・・
そして、その上の鳥男はなんなんでしょうか・・・
タイに詳しい方、ご教授願います。 -
これは、バンコク銀行の扉だったか、その北隣の招商総局の扉だったか・・・??
「1901」の年号が刻まれています。 -
外灘の歴史的建築軍の主役と言って良い、匯豊銀行(HSBC)まで来ました。
HongKong&Shanghai Banking Corp.です。
今は、浦東発展銀行ですね。
この立派な扉の写真を撮ってる人は、我々のメンバーではありません。
彼も、好きなんでしょうね、こういうのが・・・。 -
浦東発展銀行の中を見学して、皆さん、外に出てきたところです。
中の素晴らしいドーム天井のモザイク画や、大理石柱などは、撮影禁止なのでカメラに収めること出来ませんでした。
あそこに入りますと、上ばかりに目が行ってしまうんですが、あそこのタイルの床が、手が込んでるんですってね。
1・5cm角のタイルが埋め込まれてるんですが、そのタイルは平面的に薄いものではないんですって。
1.5cm角のスティックタイプ(長さ7・8cmあるとか)のものを埋め込んでいったものらしいです。
しかしながら、いつ見ても、この建物は立派。さすが、「スエズ運河以東で最も華麗な建造物」といわれただけ有ります。 -
浦東発展銀行の中を見学して、外灘を少し南に戻り、福州路に入りました。
浦東発展銀行の福州路側の鉄扉にはシッカリ【HSBC】のマークが残っていますね。
元の持ち主のHongKong&Shanghai Banking Corp.(匯豊銀行)の怨念なんでしょう・・・いや、そんなことはないですね、ただの記念なんでしょう。
匯豊銀行は共産政権が中国に樹立される頃に、この建物の所有を放棄して、香港に逃げたんでしょう。
この建物は一時、上海市人民政府の建物として利用されていまして、その後1996年に民間に所有権を移行すべく、買値を競い合わしたそうです。勿論、匯豊銀行もそれに参加したらしいですが、価格が折り合わず浦東発展銀行に所有権が移ったようです。浦東発展銀行って、そんなに金持っていたんでしょうかね・・・。 -
福州路を西へ行きます。
左には船長酒店が見えてきました。
ここの6階の外灘ビューのバーはなかなかいい眺めが体験できます。
その様子は下記をご覧下さい。
「船長酒店までチラッと散歩」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10067174/ -
江西中路との交差点まで来ました。
皆さん、新城飯店の前でK山さんの説明を聞いています。
ここは、私の大好きな空間です。
メトロポール・ホテル(新城飯店)が北東角にあり、南東角にはハミルトンハウス(福州大楼)があるんですが、この2つはクローン建築物なんです。姿かたち、飾り物まで全てそっくり。そして、南西角にある昔のアメリカ総領事館の建物も似ている。そして更に、北西角にある工部局の建物も交差点を円形で囲むかのように、円形にカットされてるんです。
私、97年に2週間ほど、新城飯店に泊まったことありますが、夜になると、この辺りヒッソリとしまして、妖しげな雰囲気に包まれます。黒い丸眼鏡で黒装束のCC団の刺客がスゥーッと出てくるような・・・ -
これが、福州路と江西中路の交差点の真ん中にありますパンダ型マンホ−ルです。
この近辺の「上海オタク」必須アイテム・その1です。
実際は、真ん中より幾分北西方向にずれたところにあります。
コレが今でも生きた使われ方をしてるのかどうか・・・・
あるいは、上海オタクのために記念として残してるのか・・・
まず、上海人は、こんなどうでもいいことに、全く興味は持ってないでしょう・・・と想像しますが。
このパンダマンホールのことを、どなたに最初に聞いたのか、K山さんだったか・・失念しました。
でも、まず、最初に取り上げたのは元祖・上海オタク・藤原恵洋さんなんでしょうね。
彼の書いた「上海―疾走する近代都市」(1988年刊)で取り上げています。
(アマゾンで古本が90円で売りに出されていました・・上海オタクになりたい方は早めに購入を・・)
マンホール蓋に刻字されてます【S.M.C P.W.D.】はShanghai Municipal Council
Public Works Departmentの略で、工部局のことなんでしょう。
さて、このパンダマンホールなんですが・・・・
「上海歴史ガイドマップ」の作者・木ノ内誠先生が去年上海に来まして、もう、なくなってしまったと、ある本に書かれていました。(「時空旅行ガイド・大上海」に書いています)
また、この日、K山さんも無くなってしまったと語られていたとか・・・たまたま、私は離れていまして、聞き逃してしまったんですが・・・・。
となると、もしかして、一時的に無かった期間があったのか・・・撤去してから、文句が出て、また復旧したのか・・・・真相は如何に・・・・。 -
福州路を更に西へ行きます。
コレはアメリカの将校会議所だった建物です。
さて、福州路は、昔はスマロという別名がありました。
これは「四馬路」の上海語読みなんでしょう。
南京路が大馬路、その南を東西に走る道・九江路が二馬路、順に漢口路が三馬路、そしてこの福州路が四馬路、広東路が五馬路です。さて、六馬路はどこなのか、K山さんは、この日、延安路がそうだったと、おっしゃっていましたが、「上海歴史ガイドマップ」では北海路となっています。まあ、「六」まで行きますと、イロイロな説が噴出してるのかもしれません。
戦前の上海を歌った歌謡曲は多いんですが、どういうわけだか、「夢のスマロ」ってのが、タクサン出てきます。
当時、スマロには妓楼や茶館や演芸場などの歓楽施設が多かったので「夢の」という枕詞が付いたんでしょう。
しかし、その歓楽街はもっと西寄りの地域だったようです。当時も、外灘から、この辺りまでは官庁街といった道並みだったようです。
「夢のスマロ」が出てくる歌謡曲のことや、当時の歓楽街のスマロの様子は下記をご覧下さい。
「福州路は夢のスマロだったのだ!!」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10138553/ -
福州路から河南中路に入り北へ行きます。
途中、「中古ファミコンフェア」のノボリが立っていました。
ホントにファミコンフェアをやってるのかどうか・・・・・・
やってませんでした。
じゃあ、ナンジャ、コレは!! -
河南中路から漢口路へ入ります。
-
漢口路に入りました。
右の建物は、福州路×江西中路からL字型で続く工部局ビルの西端部です。 -
その工部局・西端部の対面にありますのが、本日のハイライト・上海外灘花園酒店なのです。
エッ、いつの間に・・・・こんなものが・・・以前は殺風景だったのに!! -
しかし、我々、ゾロゾロ行って、中を見学できるのかどうか・・・
そこは、それ、長年の上海建物見て歩き経験があるK山さんです、行けると踏んだんです。
まずは、T田女史に、見学交渉をして来るように指示しました。
T田女史が、どう言って、交渉したのか・・・そこは、それ・・T田女史も上海は長いです、引き下がることを知らない女性です。ウマイこと言って、切り抜けたんでしょう。果たして見学できるようになりました。
入って見まして、ビックリしましたね。エッ、こんなところに、こんなのが!!!
広い芝生の庭園があり、そこからは聖三一堂(初期のイギリス教会)の背中が見渡せます。
【注】T女史は非常におしとやかな女性です。引き下がることを知らない女性なのかどうかは、私は良く存じ上げませんが、そこは、それ、話の行きがかり上、そういうふうにしてしまいました。そうでない女性なら謹んでお詫び申し上げます。 -
96年までは、ここでビザ発給などを行っていたそうですね。
当時の呼び名は公安局外管処です。
いつからホテルになったんでしょうか、まず最近でしょう。
【上海外灘花園酒店】で検索しても、どこにも出てきません。日本の検索サイトでも、中国のサイトでも・・・。
持ってきたパンフレットを見ますと、部屋代は3200元+15%、2400元+15%、1600元+15%となっていますので、私などは、死んでも泊まれません。
あとレストランもありまして、利用できるようですが、一人当たり800元とかなんとか言っていました。 -
さて、いつものように、Aさんに、集合写真を撮っていただきます。
Aさんは、、上海歴史散歩の第1回から、ほとんど参加してます。
Aさん、ココが集合写真を撮るのに最適だと判断したんでしょう。
バックに聖三一堂がありますし、それに向かって芝生が高くせり上がって行ってますので、それも丁度良かったということでしょう。
ところで、このAさんが、どうしようもなく凄い方なんです。
90年初頭に上海に乗り込んできまして、工場を立ち上げ苦労をして、やっとこさ軌道に乗せたという、そういう手腕もさることながら、還暦を過ぎても、未だに冒険心を失ってないっていう、勇ましい方なんです。
この翌日からは、自分の車で、シャングリラまで行くとか、野宿も辞さないそうです。山賊が出てきても、何とか切り抜けるそうです。
シャングリラも雲南省のでなくて四川省のシャングリラらしいです。
もう脱帽ですね。 -
午後のお茶が出来るようです。
「浪漫下午茶」となってますね。
2人で128元+15%ですね。
サンドイッチ付きのようです。
あとアイスクリームですね。種類はバニラ・ドリーム、イチゴ、スイス・チョコレート、ピスタチオ、ティラミス、グレープフルーツ&オレンジなどですね。
1球で28元、2球で50元、3球で70元ですね。 -
本日のハイライト・上海外灘花園酒店を出まして漢口路を東に行きます。
左は聖三一堂脇にあります小さな公園です。 -
漢口路から江西中路に出て、九江路を左にチョイ行って、聖三一堂に入り込みました。
半年前に来た時には入れてくれませんでしたが、今日は交渉したんでしょう、入れました。
煉瓦造りの教会です。 -
これが、聖三一堂(現在は黄浦区礼堂)です。
「上海歴史ガイドマップ」によりますと・・・・・
英国国教会の礼拝堂。上海最初のプロテスタント教会として1847年に竣工。1869年再建。イギリスゴシック様式。赤煉瓦の壁から「紅礼拝堂」とも呼ばれる。1893年に尖塔式鐘楼を増築。日本占領下では適性外国人収容所として使われる。文革中、紅衛兵によって鐘楼の尖塔を破壊される。・・・・・とあります。 -
これが鐘楼なんでしょう。
やはり尖塔はないですね。 -
聖三一堂は現在改修中です。
コレを見ますと鐘楼の尖塔も再建されるようです。
この聖三一堂は、今までは閉ざされている感じで、周りの道を歩いていても気付かない人も多かったはずなんです。
実際、この日も、上海に4年以上いる女性も、エッ、こんなところに教会があったなんて、と驚いていましたから・・・・。
改修後は、周りの道からも入りやすくするようです。といいますか、このあたりの観光名所にするつもりなのかもしれません。そして名称も黄浦区礼拝堂なんていう味気ない名から、昔の聖三一堂に復活するんでしょう。 -
聖三一堂を出て九江路を東に行き四川中路を渡りました。
この交差点の南東角にあるのが、このドイツ銀行です。
当時の名は、徳華銀行。
徳華銀行の「徳」はドイツでして、「華」は中国ということです。 -
そして、そのドイツ銀行の柱の台座に刻まれた模様が、コレです。
この辺りの「上海オタク」必須アイテム・その2です。
ナチの逆卍マーク・ハーケンクロイツとラーメン模様の合体なんです。
果たしてホントに合体したものなのか、どうか・・・・・・・。
私は、以前K山さんから伺いまして、それを信用しきっています。
この日も、勿論、K山さんは、皆さんにそう説明していらっしゃいました。 -
このハーケンクロイツとラーメン模様の合体の件ですが、4.travelのメンバーの真@tokyoさんから、ご指摘がありました。
この文様は、雷紋あるいはGreek Keyという文様であるとのことです。
彼からのメールの一部転記します。
・・・・・ナニ? ラーメンとハーゲンクロイツだと。れっきとした名前が有るでよ。「雷紋」じゃ。浅草雷門ではない。遠くギリシャ建築で軒を飾っておる。西洋建築史の世界では「Greek Key」と命名している。「雷紋」は中国語と思われる。なぜなら遠く殷の時代の青銅器がこの模様で飾られていたらしい。しかし、この建物の様に柱の根元に使用した例はまず西洋ではなさそう。近年の建築家が間違えて使用したらしい。ギリシャと殷の接点が不明だが、これが解明されるとジンギスカンとシルクロードの上を行く古代交流の新説が浮上するのだが。
・・・・・・です。
真@tokyoさんは、どうしようもない古い建物好きの方です。
彼とは上海の古い建物を訪ねて、歩き廻ったこと3回あります。
真@tokyoさんのブログは下記です。
http://4travel.jp/traveler/nychito/
ここに、Greek Keyと徳華銀行の柱の台座の文様とラーメン丼の文様とハーケンクロイツを並べて表示しました。 -
九江路を東に行きます。
コレは昔の三菱銀行です。
現在は郵政局に使われています。
この辺りの九江路は、昔は銀行街だったんでしょう。
このほかに、華僑銀行、朝鮮銀行、三井銀行、台湾銀行、大陸銀行、東亜銀行、住友銀行、花旗銀行。中央銀行などがあったようです。 -
これは九江路の東端、外灘に面したところにある招商銀行です。
昔は台湾銀行です。1899年に日本が創設した植民地銀行で、1911年に上海支店を開設したらしいです。
この建物は1924年に出来たものらしいです。 -
台湾銀行の中に入って見ました。
なかなか豪華です。
銘板には日本近代西洋建築とあります。 -
九江路から外灘へ出まして、北上します。
この建物は字林西報という旧中国で最も長い期間発行された英字新聞の本社に使われていたようです。
字林西報社の英語表記はThe North−China Daily News&Herald,Ltd.です。
この建物は1924年竣工のようです。
現在はAIA友邦という保険会社が使ってるようです。 -
日曜で休業でしたが、鉄柵の間から玄関部分の中を写しました。
天井にはモザイク画が描かれてるようです。 -
外灘を更に北に行き、滇池路に入りました。
和平飯店・北楼の裏道です。
天秤棒担ぎの果物売りたちの休憩所といいますか、避難所なのかもしれません。
見回りの警官が居なくなりましたら、また人通りの多い道に出て行くんでしょう。
今の季節はマンゴスチンのようです。 -
滇池路を西へ行きます。
右の建物は中国銀行の西端部です。
前方右の赤レンガの建物の手前の道・円明園路を右に曲がります。
この赤レンガの建物は昔は仁記洋行となっています。1908年頃に建てられたようです。
仁記洋行は上海開港当時からの生糸と茶、保険を貿易商だそうです。
雨がポツポツ落ちてきました。 -
円明園路を北に行き、振り返りました。
どうも、この道は、外灘観光のための観光バスの駐車場になってるような・・・。
皆さんが見てます右の建物は、1916年建造の慎昌洋行の建物です。 -
これは1897年建造の滇池大楼です。
傘を指す人が多くなってきました。 -
滇池路の東側の敷地には芝生の庭園が広がっています。
そこにあるのが、この古色蒼然とした建物です。これは昔の英国総領事館なんです。
1872年に建てられた二代目の領事館らしいです。
外灘地区に現存する最も古い建造物らしいです。
外灘の源は、ここだったんでしょう。ということで、ココを外灘源と呼ぶとか・・・・。
そして、上海ペニンシュラが、この総領事館の裏に出来るんでしょう。
でもって、この建物もホテルの施設の一部に使うそうです。
ちょうど花園飯店が古いフランス倶楽部の建物を使ったように・・。
ペニンシュラ・ホテルは、昔上海で大儲けしたユダヤ系イギリス人・カドゥーリ家のものなんですが、そのカドゥーリが、また上海に戻ってくるっていうことなんでしょう。
そして、外灘の中でも、最高の場所にホテルを建てる・・・まず2010年の万博までには出来るんでしょう。
五つ星ホテルどころか、六星、七星ホテルになるのかもしれません。いっそのこと、縁起が良い八星にしてしまったほうがイイかも・・。 -
この辺りにありました建物は壊されてしまいました。
壊れかけた壁にはスプレー・ペンキで芸術的な落書きが・・・・ -
円明園路と香港路の角にあるこの建物は、やけに尖がりが目立つ建物です。
-
円明園路から南蘇州路に入り、東へ行きガーデンブリッジまで来ました。
この橋は1907年に架設されました。
この橋はそれぞれの時代のそれぞれの人達のイロイロな思い入れの詰まった橋なんでしょう。
ココを渡る時は、いつも・・・いや、いつもじゃないですね、10回に2・3回ですか・・・そういったことを思い浮かべ、物思いにふけったりするんです。ホントですよ・・ホント・・・。
これから目指すのは左にチラッと見えます上海大厦です。
昔のブロ−ドウェイ・マンションです。上海通は、これを「ブロマン」と気取って言ったりするのです。
泊まったこともない私も、勿論、そう呼んじゃうわけなのさ!! -
ブロマンは正面玄関は改装中でしたので裏の玄関から入りました。
目指すは17階のレストランのバルコニーです。
そして、そこからの眺めを堪能することです。
50人近くでゾロゾロ行きましたので、最後には従業員に文句を言われてしまいました。
こんなに来るんだったら料金を払いやがれ!!ですって・・・。
今まで、上海歴史散歩では、この17階のレストランを2度利用したことあります。
1回目は50人くらいで、2回目は20人で・・・。
さて上海ペニンシュラは画像の水色で囲んだところのどこに出来るのか?
やはり外灘に一番近いところなのかなと・・・そして高層建築になるのかどうか・・?
黄緑色のラインで囲んだ敷地も利用するんでしょう。
英国総領事館の建物は何に利用するのか・・・?
いや、とにかく、これからの3年で実態が少しずつ見えてくるわけでして、それを見ていくのが楽しみです。 -
これは、2009年5月に新たに貼り付けた画像です。
5月10日に、上海源近辺を散歩しましたら、上海ペニンシュラの建物がほぼ完成しているのを発見。
それを見て、えっ!!もう、こんなに出来てしまったのか、工事が速いな、と思いましたね。
建物自体は、思っていたほど豪華といいますか、風格があると言いますか、そういう風には、まだ見えませんでしたが、まあ、そのうち、イロイロ周辺設備が整い、外装にも手が施されれば、ぐっとペニンシュラらしい風格のあるものとして、あの一帯を睥睨するホテルになって来るのかなと見ています。
さて、?が、この第31回の上海歴史散歩があった2007年4月22日に上海大厦の17階バルコニーから撮った外灘源の風景です。
そして、?が、その散歩の際に見つけた上海ペニンシュラ完成予想図看板を撮ったものです。
元イギリス総領事館や、その付帯建物を抱き込んだ公園が出来、その一画に上海ペニンシュラがどっと腰をすえるという感じになるようですね。
上の画像と大きく違うところは、勿論、上海ペニンシュラがあるかないかですが、もう1つは、完成後には、あの邪魔物がなくなってしまってるということです。その邪魔物とは、呉淞路に抜けるあの高架道路のことです。
?は1983年の画像ですが、やはり上海大厦のバルコニーから撮られたものなんでしょう。これには、呉淞路に抜ける高架道路がありません、まだ、それが出来る前のものですね。やはり、ないほうがイイ・・・アレがなくなれば、相当スッキリするでしょうね。 -
これは、17階バルコニーから見たブロマン本体の外壁ですね。
なかなか味わい深いですね。
こんなてっ辺辺りにも、ちゃんと、飾り模様が施されてるんですね。
さて、このブロマンに関しましては、下記の私のブログにタップリ紹介しています。
裏から、表から、中から、上から・・・と。
宜しかったら、ご覧下さい。
「上海・孤高のブロマン・徹底探索」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10032569/ -
ブロマンを降り、昼食は向かいの浦江飯店でです。
ただ今11時45分です。
道路はスッカリ濡れてしまっています。
右に見えます、白っぽい建物は、今も昔もロシア領事館です。1917年に建てられたものです。
浦江飯店は洋式ホテルとしては、上海で最初に出来たものです。1912年建造です。
当時は礼査飯店(アスターハウス・ホテル)と言っていたそうです。 -
1時20分頃に食事が終わり、そのあとは浦江飯店内部を見学。
3階から4階にある吹き抜けの部屋が、なかなかのもんなんです。
これは、3階から4階への階段です。
広くて緩やかなユッタリとした階段です。
踊り場には、大きな明り取りの窓があります。
階段のステップの石は磨り減っていまして、年季を感じさせます。 -
4階まで来ました。
吹き抜けがあるところは、この先です。 -
これが3階から4階、そして空が見える天井窓まで続く吹き抜け空間です。
どうですか、素晴らしいでしょう。
空間の周りに廊下が走っていまして、そこに部屋が並びます。
この部屋には、昔、チャップリン、アインシュタイン、グラント将軍、バートランド・ラッセルも泊まったとか・・・。
空が見える、天井ガラス窓は、廊下の脇にあります鉄のハンドルで開け閉めが出来たようです。今は、その欠片のみが壁に残っています。
この浦江飯店に関しても徹底探索ブログをアップしてあります。
そこには、2年前だったかに復活しました孔雀庁(ピーコク・ホール)も出てきます。
孔雀庁は中国で最初の西洋式舞踏会が開かれたところらしいです。
「浦江飯店はエエでぇ、ほんまに」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10090571/ -
最後の1枚は、表紙に貼り付けたものと同じ画像です。
この日の上海歴史散歩の経路図と、主なスポットの案内図です。
表紙の画像は元画像が取り出せませんが、ここからは元画像に近い大きさのものが取り出せますので、プリントアウトすれば、チョットした案内図になります。
方法は、まずは、この画像をクリックしてください。そして出てきたページの【この写真の元画像はこちら】をクリックしますと大きな画像が出てきます。
これで、「第31回上海歴史散歩は裏ワイタンだったのだ!!」は終わりです。 -
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この旅行記へのコメント (13)
-
- 真@tokyoさん 2007/09/22 00:05:10
- 雷紋とパンダマンホール
- 井上さん
こんにちは
いろいろ宣伝ありがうございます。
少し来訪者が増えました。
こちらのサイトからの方でしょうか。
ところで、パンダのマンホール あれは私と一緒の時です。
一連隊で上海訪問し、井上さんはあれを見て飛び上がって喜んだではないですか。そうです。藤原先生の本を紹介したでしょう。
しかし、こうやってHSBCの見方など紹介するのは良いことですね。
こちらのサイトで皆さん新しい上海を発見することでしょう。
私も建物分野で協力しましょう。
ところで、とうとうHSBCは日本上陸を発表しました。
何時来るかと心配していました。(私には関係ないけれど。)
そのうち東京中にあの看板が出てくるでしょう。
ではまた
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/09/22 08:22:30
- RE: 雷紋とパンダマンホール
- 真@tokyoさん、グーテンモルゲン、
どうでもいいこと考察学会会長です。
あの、パンダマンホールを最初に紹介してくれたのは
真@tokyoさんだったんだぁ・・・・
そうかぁ・・・・
いや、そうそう、
今まで、建物をなんとなく格好いいなぁとか
風格あるなぁとか、相当古そうだなぁとか、
そういう見方しかして来なかった私が、
目覚めたのは、あの時だったのかもしれません。
いやぁ、あういうのに興味を持ち始めますと、
もう、なんていいますか、
どうでもいいこと考察学会会長である私の
探究心、好奇心を大いに、ギーコギーコ、
刺激してくれますです。
-
- enyasuさん 2007/04/26 20:48:51
- ゴールデンウイーク
- 井上@打浦橋@上海さん
こんばんは
5月3日から上海に行くことになりました。
5月5日の友人の結婚式に参加する為です。
上海は5年ぶり?だと思います。今日から過去の旅行記をじっくりと拝見させて頂きながら計画を立てたいです。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/04/27 07:51:13
- 上海B級グルメ会
- ennyasuさん、どうも。
5年ぶりの上海ですか・・・・
5年ぶりともなると、変わってしまったなあ、
と感じるところ、結構あるかもしれません。
上海では上海B級グルメ会なる集まりがあります。
だいたい月に1回ですね。
でも、春節や労働節や国慶節には番外編が開催されます。
通常ですと20人は集まりますが、
番外編は日本に帰ってしまう人が多くて、
参加者は10人以下ですね。
来る労働節の期間は下記日程にて3回、開催されます。
良かったら、どうですか。
私は5月3日のヤツに参加するかもしれません。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
皆様
お世話になっております。
表題の件、以下の要領にて開催させていただきます。
**要領:
5月3日(木) 18:00 地下鉄常熟路駅集合
5月4日(金) 18:00 地下鉄南京東駅集合
5月5日(土) 18:00 地下鉄中山公園駅集合
ご不明な点がある場合、当日山盛が見つからない場合など、
お気軽に下記携帯番号までご連絡ください。
山盛 133−1016−3838
一時帰国、国内外旅行の皆様、次回お土産話をお聞かせください。
宜しくお願いいたします。
- enyasuさん からの返信 2007/04/27 09:13:29
- 上海B級グルメ会
- 情報ありがとうございます。
なんだかおいしいものが食べられそうですね。
井上@打浦橋@上海さんの旅行記を研究しながら、これから旅の計画に入ります。
今後とも宜しく御願い致します。
- enyasuさん からの返信 2007/05/01 19:18:54
- ホテルですが
- こんばんは
連休中はいかがお過ごしでしょうか?
上海到着まであと2日になりました。
3日延吉から青島経由、上海到着は18:00過ぎなので、B級グルメの会は難しそうです。虹橋空港の旅行記を頼りにバスで市内に向かいなんとかお勧めホテルへと思ったのですが・・・
海杰ホテル
予約の電話をしたところ“どこの人?”と聞かれ吉林省ですと言ったところ“日本人か韓国人の方でしょう。ふふ。うちでは無理ですよ”とやんわり断られました。
とてもフレンドリーな感じで何とかなると思ったのですが、たぶんあの電話の様子ですと日本人に人気のホテルのようで・・・自力で探してみます。
5日夜は興国賓館での結婚式ですので、その辺りのホテルをと思ってます。
おさがわせしました。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/05/02 07:55:30
- 海杰は安くて便利
- enyasuさん、どうも。
海杰は便利ですよ。
地下鉄駅の斜め対面にありますし、
蘇州は杭州行きのバスが出てるターミナルの上にありますから。
そして、178元と安い。
でもあそこは、18時までに入らないと予約を入れてあっても、
部屋は確保できないようです。
4月にも、このホテル、
がまだす@熊本さんが24日と25日泊まり、
古代人さんが25・26・27日に泊まりました。
25日は部屋をシェアしました。
古代人さんのHP
http://www.kodaijin.sakura.ne.jp/
彼は上海から西安に行き、
今は日本人が誰も行かない山西の運城というところに行ってるはずです。
70歳超えてる方ですが、元気な方です。
結婚式、興国賓館ですか・・・それは凄い!!
参加したくなってしまいます。
あそこは、太古洋行の別荘地だったところです。
太古洋行(バタフィールド&スワイヤー商会)ってのは、
キャセイ・パシフィックの前身だとか・・。
B級グルメの会は4日と5日にもあります。
5月4日(金) 18:00 地下鉄南京東駅集合
5月5日(土) 18:00 地下鉄中山公園駅集合
いずれも、地下鉄の改札口集合らしいです。
参加表明は必要有りませんが、
一応主催者Y盛さんに、電話しておいてもイイでしょう。
井上から聞きましたって言って。
メールボックスにメールをいただければ
Y盛さんの電話番号をお知らせできます。
-
- Rockyさん 2007/04/25 20:34:33
- 「よろず情報交換」
- 井上@打浦橋@上海さん、こんばんわ
横浜は桜から新緑が綺麗な季節になりました。
>第31回上海歴史散歩が開催されました。
マズは1票!Rockyもこんな町5月の観光がしたいですね。全部でなくても一部実現したいです。それにはこのページをコピーしなくてはと思ってます。
>上海エクスプローラーの「よろず情報交換」
このサイト見つけて、いま上海観光を研究中です。
☆5月の観光服装は「ジーンズ&半そで」にてOKでしょうか?
☆市内&郊外観光中のトイレ場所の注意点アドバイスお願いします。
では、再度井上@打浦橋@上海さんの旅行記に戻り研究します。
宜しくお願いします。Rocky
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/04/27 07:42:07
- 上海の5月の服装&トイレ
- Rockyさん、どうも。
5月は、もう」半袖でOK。
私は5月になったら、短パンになってしまうでしょう。
トイレですが
上海市内でしたら、道々に、トイレ表示板がついていますので、
それにしたがってトイレに行き着いてください。
たまに、もうなくなってしまった、
あるいは改装中で使用禁止ってのもありますが・・・・
あとデパートやホテルに入って、用を済ますのも良いでしょう。
郊外観光地などでも、今は結構、綺麗なトイレが適度に配置されています。
ご心配なく。
-
- イスカンダル亜力山大さん 2007/04/25 17:32:42
- 路⇒街⇒弄
-
まいどです。
コメント仕上がってないのにのこのこ来てしまいましたσ(^_^;)A
路⇒街⇒弄の順に道が短くなるってのは知りませんでした。
上海では、街ってあんまり見かけんしにゃあ。
フランス租界ではAvenueアベニューが一番長くて、
2番目がRouteルートゥ、
一番短いのがRueリュでした。
Rueはホンマはリュとはチャいますが、日本語に無い発音で、正確なカタカナ表記できましぇん、ご容赦を。
けど、昔のAvenue⇒Route⇒Rueに現在の路⇒街⇒弄は対応してませんね。
適当やんか。
まあ、紹興路みたいに、短い通りなのにAvenueVictorEmmanuel?なんて大通りみたいなネーミングもありましたからねえ。
かつてのエマニュエル三世国王陛下に敬意を表したのかな?
ン?
ほれって誰や?
まあ、何せ、フランス租界の街路名は、ほとんど人名ですなあ。
ほな、好運常伴!
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/04/27 07:23:22
- 上海で一番短い「路」のつく道
- イスカンダルさん、どうも。
上海で一番短い「路」のつく道は、
また一番長い「街」のつく道は・・・・なぁんてなことを
調べたくなって、しまうっていうのも、
いわゆる1つの上海オタクの、困った習性なんです。
上海で一番短い「路」のつく道は、
松下路なのかなと思ってるんですが、
どうなのかは分かりません。
-
- melonpanさん 2007/04/24 09:02:55
- remonpey9375@yahoo.co.jp
- 散策の会は現在も実施されていますか。次回に(七月頃の予定)訪れた折は参加させてください。なお、中国語は話せなくても大丈夫ですか?
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2007/04/24 18:41:38
- 7月に確実に行われるかどうか・・・
- remonpeyさん、どうも。
上海歴史散歩は、3ヶ月に1回行われてると書きましたが、
実際は4ヶ月になったりもするんです。
あくまでも主催者の都合によるわけです。
そして、期日が決まるのが2週間くらい前です。
そこで、参加者を募集しまして、50名で打ち切られます。
次回が7月になるのかどうかは、
決まってからでないと、分かりません。
ということで、開催のお知らせが来ましたら、
スグ、remonpeyさんのお知らせしますので、
是非参加したいというなら、その知らせを待ってから、
上海に来る準備をしてください。
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