2026/07/17 - 2026/07/20
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しにあの旅人さん
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法隆寺から徒歩数分の門前宿、和空に泊まった特権。夜の法隆寺を散歩しました。
法隆寺徒歩圏内にホテルはここしかありません。
人影のない暗闇の法隆寺、静かというより不気味。やはり怨霊はいるかも・・・
法隆寺のガイドブック2冊追加しました。
「11歳の法隆寺」が、私たちのブログにしては珍しく、いいねが50以上も来ています。11歳に再登場してもらいます。
参考資料は文末に並べました。
引用では僭越ですが、敬称を略します。
旅行日は2026年5月と8月ですが、直近の8月といたします。
投稿日:2026/11/04
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JR特急
-
和空を出ます。
斑鳩町は法隆寺周辺のホテルの建設を禁止していましたが、数年前から1500平米以内の小さいものは許可されるようになりました。その第一号だそうです。
斑鳩という言葉は、厩戸皇子がらみで日本書紀用明記、推古記に出てきます。
用明天皇元年1月1日(厩戸皇子出生の記事で)
★この皇子は初め上宮(かみつみや)にお住みになった。のち斑鳩に移られた。★
(現代語訳日本書紀P72)
推古天皇13年冬10月
★皇太子(厩戸皇子)は斑鳩宮に移られた。★
(同P97)
斑鳩村あるいは字斑鳩は古くからあったと思っていました。ところが法隆寺村、龍田町、富郷村の合併で、昭和22年(1947年)斑鳩町ができたものなのです。 -
一書に曰く、
珍しいことに、素敵な滞在型ホテルに泊まりました。
いつもは、便利、つまり、目的地に近いとか、目的のものが見えるとか、その道筋にあるとか、もちろん、お値段。そういったことが選定の基準です。
文化講座があるホテルは、初めてです。
おいしいものをいただいて、美しいお部屋でゆっくりして、おまけに、かしこくなれて、幸せでした。
このホテルに泊まった特権。夜の法隆寺散歩。
素敵でした!
まるで、絵のようでした。
By妻 -
周囲は真っ暗ですから、わずかな低い灯が建物を浮き上がらせます。
この建築家、いい感覚しています。たぶん、夜のイメージを先に思いついたのではないかな。 -
手ブレをおこして、こんな写真が撮れました。気に入っております。
怪我の功名です。
斑鳩。郷愁をさそう地名です。
斑鳩隼人。知っている方、もう僅かでしょうね。
昭和27年(1952年)のNHKラジオドラマ笛吹童子に出てくる脇役です。どんな役回りだったか覚えていません。
「新諸国物語より、笛吹童子・・・」というような語りから始まったような。リアルタイムでラジオで聞いた覚えがあります。
斑鳩隼人という名前が記憶に残りました。それがここの地名だと知ったのは、もうず~~~と、はるかあと。
一書に曰く
ひゃり~こひゃらりら ひゃり~ろ ひゃられろ という主題曲は、覚えているのです。
「新諸国物語、、、」と語り出す重厚な声も、おぼえております。
が、斑鳩隼人?
覚えていないんですよね。
その時のラジオも、どういうところにおいてあったかも覚えているのに。
By妻 -
松並木を歩きます。奥に南大門があります。
低い街灯がいい。和空の外のあかりはこれに合わせたのかな。 -
この松並木は弘長元年(1261年)後嵯峨上皇の行幸の時につくられたそうです。
この時代はごちゃごちゃしてよう分からんのですが、鎌倉殿の13人の山本耕史じゃなかった三浦義村が死んだのが1239年、元寇の文永の役が1274年、その中間あたり。 -
一書に曰く、
南大門にやってきました。
しんと静まった法隆寺は、まるで異世界に入りこんだよう。
人間の声ばかりか、犬の声さえしない。
たった一回見かけた人は、影のように、黒いまま音もなく移動して行ってしまいました。
By妻 -
肉眼ではこんな感じです。
背の高い街灯、雰囲気ぶち壊し。斑鳩町はなんとかするように。 -
要するにはっきり見えないのです。
当方老眼のせいもあります。 -
撮影はiPhoneとデジカメを使っています。
混ざってしまって、どれがiPhoneかわかりません。
これは多分iPhone。私はなにもしていないのですが勝手に補正してくれます。 -
空が明るい。ほかの写真と同じ時間です。
なにが映っているか、分かってありがたいことはありがたい。 -
大垣越しに五重の塔が映っている!
肉眼ではこんなにはっきりはみえません。 -
この大垣は平安時代にはあったそうです。現在のように修復されたのは元禄期。3人のお坊さん、覚勝、覚賢、懐賢が活躍した、元禄大修理のおかげです。
-
むかしのアメリカの西部劇で、アメリカン・ナイトというのがありました。夜の場面なのになんとなく明るいのです。せっかくお客さんが来ているので、夜でもちゃんと見せようというサービス精神だとか。
iPhoneはアメリカ人が作った。これもそんな発想かも。 -
奈良県人は夜は出かけないようです。
人影まれ。遠くに一人歩いています。何の用だろう。大きなお世話です。
外食もしないみたい。
奈良ロイヤルホテルに泊まった時も、近くに手軽な食べ物屋さんがなくて困りました。
和空自慢の精進料理もさすがに連続すると、もっと簡単なごはんが食べたくなりました。
ところが法隆寺ちかくには、夕食をとれるお店がありません。これも斑鳩町の規則です。
コンビニもないのですよ。明るいうちに国道の向こうのスーパーマーケットでお惣菜を買って、部屋食にしました。 -
無人の南大門前で、デジカメをカチャカチャやっていたら、こんなのが撮れました。
-
肉筆の絵みたいです。こっちのほうが雰囲気あります。
が、不気味です。
デジカメの故障かもしれません。どうしたらこうなるのか。再現できません。
この旅のあと調子がおかしくなり、使えなくなりました。
怨霊の仕業かも。 -
怨霊は、やはり法隆寺にはいるのかもしれない。
閉じ込められた怨霊ではなく、ヤマトのくにのあちこちで、兵火で焼かれたり、お金がなくて廃寺になったお寺や仏像の怨霊じゃないかと。
そういう怨霊が集まって、みんなで法隆寺を守っているのではないかと。 -
もうちょっと遠くまで歩いてみたかったのですが、不気味でやめました。
1400年の歴史が充満したお寺の周りって、夜は怖いですよ。 -
法隆寺参考書紹介の続き
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法隆寺といったら、夢殿の救世観音と大宝蔵院の百済観音。
両方とも撮影できませんが、ありがたいことに法隆寺がいい資料を作ってくれました。
その2冊を紹介します。 -
「法隆寺学のススメ」「法隆寺の謎」はアマゾンで中古を買いました。「救世観音」「百済観音」は法隆寺大宝蔵院出口の東茶屋売店で売っていました。アマゾンでもナントカ書房が出していますが、投稿日で救世観音新品が16,979円、百済観音新品9524円と、なぜかお高い。売店では両方とも1200円でした。
救世観音を法隆寺で買えば、差額で大和郡山あたりのホテルに泊まれます。「本当はお高いんですが、お安くしておきますから、泊りがけで来てください」ということかな。さすが法隆寺は太っ腹です。
この本には救世観音をテーマとする作品が収録されています。
いちいち原作に当たっていたら大変です。私のような素人の面倒くさがり屋にはありがたい。 -
救世観音は夢殿の奥に安置されています。10年以上前最初の奈良旅行では、偶然秋の開帳の日でした。じっくり拝観させていただきました。正直な話、暗くてよく見えませんでした。狭い厨子の奥で、想像より小さかったのを覚えています。
-
絵葉書より。
秘仏を擔う
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「救世観音」P60-63「秘仏を擔う」(金森遵/昭和14年/東京美術研究所「書説」初出)
フェロノサや岡倉天心などの救世観音礼賛の文章は数多くありますが、金森のように直接仏像を手で触ったり、担いだ人の記録はほかに知りません。
金森(1907年-1945年)は美術史家、仏教彫刻史の専門家。東京帝室博物館研究員。鑑査官として法隆寺の仏像を研究したようです。将来を期待された研究者でしたが、1945年レイテ島で戦死されました。
昭和12年7月20日、夢殿の救世観音を礼堂に移す作業に参加しました。夢殿解体修理の準備だったようです。本人によれば「押しかけ人夫」
百済観音搬出準備。
百済観音の宝冠が取り外されました。立派な宝冠なしだと、
★宝髻(ほうけい)が非常に低いせいか、頭部が妙に淋しく間が抜けて見えて落ち着かない感じがするのだ。★
宝冠なしの救世観音を見た記録はほかにあるかな。
★宝冠が除かれると、すぐ光背を後頭部の釘柄から外して礼堂へ運ぶ。★ -
え~~~、あの光背は脱着可能なのだ!
しかも簡単に外して運び出している。軽そう。
「救世観音」のP30やP32の写真を見ると、たしかに後頭部に穴が開いています。著作権がどうなっているか不明なので引用しません。
穴にフックを入れて光背をひっかけているだけなのです。
ここですぐ思いつくのは梅原猛の「隠された十字架-法隆寺論」
このシリーズ1「怨霊目線で見た中門の柱」の続きで、揚げ足取りです。
梅原によれば、
★重い光背をこの仏像に背負わせ、しかも頭の真後ろに太い釘を打ちつける。いったい、こともあろうに仏像の頭の真ん中に釘をうつというようなことがあろうか。釘を打つのは呪詛の行為であり、殺意の表現なのである。★
(隠された十字架P523)
これを読んだとき私は、あのでかい光背を釘で打ち付けるのは大変だ。首ごと吹っ飛んじゃう、と思いました。
仏像を腹ばいに寝かせて、顔の下に厚い座布団を敷いて、釘を打ち付けるような場面を想像しました。
そうか呪詛か~~~呪詛ならやるかも。
でも実際には。
像を作る最初に、頭の後ろに穴をあけるだけ。釘を打ったりしません。
仏像ができたらフックごと光背をひっかけるだけです。
光背は大きいですが、材質は樟。薄いのでそれほど重くないはずです。
樟は乾燥すると驚くほど軽くなるのです。薪ストーバーは樟をいやがります。
薪仲間より。
「原木出たよ、とりに行かない?」
樹種はなあに?
「楠」
いらないなあ。
1年も乾燥させると軽くて火持ちがわるく、ペロッと燃えてしまうのです。10年も干したらどんなに軽くなるかな。
呪詛というには、軽すぎるなあ、というのが金森を読んだ後の私の印象です。
仏像の頭の穴にL字金具で光背をひっかけるのは、飛鳥時代前期までの古いやり方で、珍しくはないそうです。金堂四天王像も同じ。背後に建てた支柱に取り付けるのは、百済観音が最初とのこと。
(百済観音P52、救世観音P45)
金森はこのあと共同で像の要所に綿をあてがい、晒で巻きます。
明治17年に岡倉天心やフェロノサがやったのと逆です。
しっかり仏像に触っている。
巻き終わったら運び出し。
★一木造だから頗る重いが、人手はたっぷりあるからわけはない。唯台座から抜いて厨子を出すのが一と仕事だ。厨子が狭いから余り多勢してやるわけには行かないからだ。愈々(いよいよ)担いでしまえば簡単である。多勢居ることなので私なんか出しゃばる幕ではないのだけれど、仏教美術を研究する分際として、此の期に及んで秘仏を担がなくては一生の遺恨事と言ったような、妙な感傷主義が柄にもなく頭をもたげて、無理矢理に割り込んで担ぐ。やっと気が済んだようになる。★ -
行信像。絵葉書より。
飛鳥以来、救世観音を担いだ人は何人いるでしょうか。
この仏像は推古天皇在位中に造られ、法隆寺のどこかに安置されていたのを、8世紀半ば、行信が夢殿を造ったときに移されたのだそうです。
すると像が担がれたのは昭和を含めて2度。1回多くて10人くらいなもの。せいぜい数十人でしょうね。
何が何でも担ぐという金森の決意は正しかった。
ご苦労様でした。 -
右が礼堂。近い!
晒巻きの太い棒のようなものを寄ってたかって担ぎ、わずかな距離を運んでいるのを想像してください。
やや不気味。早朝まだ暗く、かわたれです。
押しかけ人夫の一団は礼堂に晒巻きの百済観音を横向きに寝かせておいて、台座を運び込む。
普通の引っ越しみたい。
その後解体した厨子を運び込んで、組み立て。台座を厨子に入れて、仏像を載せる。
救世観音は蓮肉に続く太い柄が出ていて、蓮座の穴にはめ込む。
この仏さまはどうやって立っているのかと疑問でした。こういう仕掛けなのか!
梅原は細い体で重い光背を支えるのは大変だろうと心配しています。しかし光背はそんなに重くないし、柄でしっかりと台座にはめ込まれていて、頑丈なのです。
やはり現場の人の観察は大事です。
「秘仏を擔う」は昭和14年初出です。梅原は読んでいなかったのかなあ。
これで作業は終わりです。朝8時でした。作業を開始したのはまだ暗いうちでした。7月20日です。3時くらいでしょうか。専門家集団ですから、手際がいいのは当たり前ですが、それにしても5時間です。仏像も厨子も移動を前提に造られているのかあ(*_*)
一書にいわく、
経験者には、負けます。
これこそ、百聞は一見に如かず。であります。
梅原猛先生も、一度、触らせてもらえばよかったのに。
見たままでは、重たいものを、釘で打ち付けられて、立っているだけでも、拷問に思えたのですかね。
イエス・キリストの磔刑図のように思えたのでしょうか。
梅原先生は情緒的なお考えでしたが、事実は、実にあっけらかんとしたものでした。今なら、強力接着剤だって使っちゃうところですかね。
By妻 -
若いころ、百済観音像をなんかの写真集でみたとき、てっきり女性だと思いました。同じ印象を持たれた方も多いはず。その後仏さまには性別はないと聞きました。そうかなあ~~~
十数年前、法隆寺で初めて本物を拝観したときも、同じ印象でした、
By妻さんに「初めて見た時、どう思った?」
仏像の性別は意識したことないそうです。
「百済観音」には、専門家の論文2編、小説家、歌人、俳人、計42人の作品が収録されています。
調べてみました。
専門家の論文では性別を思わせる記述なし。まあ、そうでしょうね、学問上性別はないのが常識。
私たちのブログは文章が長いと評判悪い。でも以下は誰かの役に立つかもしれないと思います。
浜田青陵/考古学者/百済観音(P68)
★童子のごとく、あるいは童女のごとき姿のまま生育した仙境の使者の感を抱かしめるのである。★
井上政次/美学者/大和古寺(P71)
★そのある真実といふのが十六・七の処女であるのは動かしがたい印象だが・・・★
亀井勝一郎/大和古寺風誌/評論家(P76)
★ともあれこのみ仏は一切を忘れさせる力をもっている。マリアは一切を思い出させる力を持っている。★
矢代幸雄/美術史家/歎美抄(P79)
★まして半ば横から眺めた時の、ゆるいS字形を描く細腰なる若き女体らしき曲線美は、まったくすばらしい。★
宮柊二/歌人/群鶏(P103)宮 柊二
★澡瓶(つぼ)提(さ)げてたたすほとけの胸肌の二つ隆起よわれは消ねべう★
加藤かけい/俳人/浄瑠璃寺(P107)
★やは肌の百済観音凍てたまはじ★
上林暁/小説家/法隆寺の敬体(P111)
★しなやかな立像はまるで生きてゐる女のやうに僕を招くのだ。★
堀辰雄/小説家/大和路・信濃路(P114)
★此のうら若い少女の細つそりとしたすがたをなすってゐられる菩薩像は、おもへば、ずゐぶん数奇なる運命をもたれたまうたものだ。★
吉野秀雄/歌人/鹿鳴集歌解(P116)
★永遠の処女ともいふべき像の面容(おももち)は、まさしく早春のものだ。★
竹山道夫/評論家/抽象についてー百済観音(P118)
★その下から、いかにも処女らしい微笑がうかんでいる。★
高田博厚/彫刻家/形の美のために(P123)
★アテネのアクロポリス美術館で十数体の「若い女」(コーレ)の直立像に直面したとき、それらの形体が百済観音と同じな点に驚くのではない・・・★
山本健吉/文芸評論家/刻意と卒意(P125)
★百済観音は(中略)側面から眺めると、実はそれは女手の仮名文字にように柔らかい曲線だったのだと納得される。★
直木孝次郎/歴史学者/新編・わたしの法隆寺/P127
★(百済観音の)その特性は何かといふに、それは「清楚」。娘盛りの豊麗や盛りの後の爛熟に対する「浅春の清楚」である。★
伊藤桂一/詩人/法隆寺漫歩/P129
★永遠の聖処女の魅惑―と呼ぶにふさわしい。★
榊莫山/書家/夢みる夢の輝き/P129
★手首にはめたブレスレットと腕にまいたアームレットも、すべては天女のものと思いたくなってくる。★
42人中15人です。あと8人で多数決により女性となります。
和辻哲郎の「古寺巡礼」の抜粋には、「あの肩から腕へ、胸から胴への清らかな肉づけ」など女体を前提とした表現があり、隠れ女性派です。
「優しい」「清楚」などという表現も引き寄せていいなら、たぶん女性が多数派でしょう。
↑の物書きどもは、不謹慎にもはじめから女性と決めております。しかし仏像に性別なしという前提を取っ払えば、これはもっともな結論だと思います。
上半身裸の仏さんです。乳房の有無に触れているのは宮柊二だけ。
★澡瓶(つぼ)提(さ)げてたたすほとけの胸肌の二つ隆起よわれは消ねべう★
乳房を問題にしている自分は不謹慎だから、消えてしまうべきだ、という意味でしょうか。
それ以外の↑の不謹慎組は、なにやら中途半端です。
女身だと思っているのに乳房に言及しないのは、偽善ぽい。 -
絵葉書より。
一書に曰く、
仏様は、男性か女性か?
私は、聖なる存在には、性がないと思っておりました。
が、考えてみると、男でも女でもないとなると、今年、亡くなられた、「ヨイトマケの歌」の人も、聖なるお方ということになってしまいますね。
そうだったのかしら?
キリストも釈迦も男性であります。
聖母マリアは、もちろん女性です。
聖母信仰と言われるほど、キリスト教のなかで、大きな役割を果たしています。
マリア様は,苦労していますもんねえ。
とんでもない妊娠に始まり、生まれた子供が、またとんでもなくて。
とうとう最後はあれですもんねえ。
気が休まるときがあったのかしら。
そういう彼女の苦しみは、同じような悩みや苦しみを持つ人たちの心の支えになったのですねえ。
ですから、聖母マリアは、絶対に、女性でなければならない。
でも、イエス・キリストは、女性でも成立しないですかね?
お釈迦様も、、、、
王国と妻、子供を捨てて出家するのだから、やっぱり男性でないといけないのか。
妻を捨てて、違う女に行ったのなら、男だろうけれど、出家したのだから、男をやめたってことですかね。
捨てられた妻子は、世俗の代表です。
この人の場合、世俗に未練の、もう一つの種である母親は、生まれて七日で、亡くなっているのですよ。
その点、父親は、未練の種にはなりませんねえ。
勝手にやってろってなもんですかね。男はつらいね。
未練を捨てて、清らかに出家生活を送ろうとしていても、世俗という悪魔は誘惑してくるわけですよ。
おっ、by夫よりライン。「本日のジム、がっかり。」
by夫は、ジムに通っているのですが、そこで、ボインさんとご一緒することがあるのだそうです。
朝食で、エッグスタンドの卵を見て、「これみたいなんだぞ。」
エッグスタンドに大きな卵をのせたら半分あふれます。
で、本日、その方がいらっしゃらないそうです。
母乳崇拝ですわね。
お釈迦様も生後七日で、生母と別れていますからね、たぶん母乳崇拝者だったのではないでしょうかね。
煩悩の代表がボインになっても不思議はないでしょう?
それに、インドの絵を見てもすごいですもんね。
お胸は、スイカのよう。それがふたつもどんどーん。
お尻は、西洋かぼちゃのよう。
マリリンモンローなんて、束になっても負け。
ああいうインド女性の中で、煩悩を沈めるのは、並大抵の努力ではなかったでしょう。なむなむ
ということで、毎日礼拝する仏様は、中性化したと。
鎌倉の大仏で、美男におわす、、、と詠った与謝野晶子には、へえ、ああいう、好みなのね。としか思わなかったけれど。
文化人諸氏の百済観音への言葉は、愛の賛歌にしか思えない。
そういう、人間くさい感情を持ち込むな。と思うわたくしは、理想主義者でございますよ。
××寺の大日如来様が、▲▲寺の薬師如来様に恋をして、○○寺のお不動さんが邪魔に入って、、、
なんて、聞きたくない、、、けど、面白いかもねえ。
いやいや、理想主義者としましては、香具山と、耳成山と畝傍の三角関係みたいなのは、お寺には持ち込まないでほしい。
By妻
孫姫再登場
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法隆寺には孫姫を連れて行きました。11歳、法隆寺デビューです。
前のブログで、聖域にスカートで行くか、短パンで入るか、By妻とバトルを繰り広げた小鬼ちゃん。
大宝蔵院の百済観音の前で、男性か、女性と思うか、聞いてみました。
正面で凝視することしばし。つかつかっと仏像の側面に行き、また凝視することしばし。
戻ってきてのたまわく、
「男の人」
11歳の実証主義です。
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