2026/08/17 - 2026/08/20
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しにあの旅人さん
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昔読んで大感激した梅原猛「隠された十字架-法隆寺論」(1972年)
法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるお寺で、怨霊が出てこないように中門の真ん中に柱がある。
常識と既成観念を打ち破る衝撃的な本でした。
あれから半世紀、大感激した青年は80才のじじいとなり、まだまだ美しいBy妻、孫姫とともに法隆寺を訪れるのであった!
一書に曰く、
法隆寺、日本最初の世界遺産だそうです。
怨霊付きですからね。そりゃ、当然ですよ。
わたくしby妻が、将来、小悪魔に育つかもしれない、11歳小鬼相手に奮闘している間、by夫は、時空を超えて、怨霊さんと親しくしていただいたようで。
言ってくれたら、少しは小鬼も、、、まあ、変わらなかったね。
By妻
今回は最後にさなえちゃんが特別出演します。
引用資料は「11歳の法隆寺(私たちの法隆寺1)」に並べました。引用では僭越ですが、敬称を略します。
投稿日:2026/09/19
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
やってきました、中門前。
法隆寺の4トラブログは投稿日で218本ありました。そのなかに中門を表紙にするブログが少なくありません。 -
どこから見ても絵になります。
まさに法隆寺定番。 -
向かって左側の土塀は、先の方が少し広がっているそうです。
この角度で写真を撮るとよく分かると言われますが、そういえばそんな感じが。
西院伽藍が大きく見えるそうです。
あ、これフランスのベルサイユ宮殿と同じテクニックだ。宮殿正面から庭園を見ると、大通りの両側が先に行くにしたがって広がっているのです。庭園が実際より広く見える。
ルイ14世はシルクロードを逆に伝わってきた法隆寺の土塀から、これを思いつきました。
信じる人、手を挙げて。 -
さあ、どうだ、立派な中門正面。
-
4間の門の両端は仁王様ですから、通行できる中央2間の真ん中です。
-
「隠された十字架」登場!
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
一書に曰く、
「隠された十字架」読みましたよ~。
大ベストセラーでした。私の周囲で読んでいない人いなかったのではないか?友人の、あの人もこの人も、読んでいましたね~。
・・・いえ、単に、一冊の本が回っただけですが。
しかしながら、この本と、宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」とで、我が人生は、変わりました。
言いきれます。
以前は、専門外のことには、口出しできないと思っておりました。
そんな考えを、はるか彼方に跳ばしたのは、この二冊でございます。
専門分野に素人の、常識、疑問、想像、推測、希望を盛り込んでもいいんだ。
拝聴する立場から、自分なりの意見、妄想をもつようになりました。
そうしたら、面白くって仕方ない。
ということで、今日に至りまして、妄想by妻誕生なわけであります。
By妻
これが梅原猛の言う中門のとうせんぼ。
梅原は「とうせんぼ」などという幼児語は使いません。
原文から引用します。
★(門が偶数の4間である)偶数性の建物は正面のない建物、それはいわば子孫断絶の建物である。それは死霊とじこめの建物である。(中略)ここに太子の霊をとじこめ、怒れる霊の鎮魂をこの寺において行おうとする意志が、いかに強いかを物語るのである。★
(P356) -
背景と混ざるので、コントラストをあげて目立つようにします。
こうすると中央が膨らんだ胴張がよく分かります。
中からでるのを塞ぐとうせんぼなので、中つまり廻廊の中から見てみます。 -
真正面。怨霊目線で中から門を見ます。
-
拡大してコントラストを上げました。
◆(#^ω^)怨霊
むむ、まっすぐ行くと柱にぶつかるな。
「怨霊は直進しかできないの?」By妻。
そういうのは揚げ足取りといいます。
中門をつくった人が、こうすれば怨霊は出られないと思ったのです。
でもどうして怨霊は生身の人間と同じように、地面を歩くだけと思ったんだろう。
「揚げ足取りです」By妻。
怨霊封じで一番確実なのは、中門なんか作らなければいい。現在でも観光客は南廻廊の左右の端っこから出入りします。昔も日々の掃除の人なんか、この通用門を使ったはず
◆(#^ω^)怨霊
通用門からは出られる。でも痩せても枯れても怨霊だ。メンツにかけて掃除のおにいさんとおなじ出口から出たくないつーの!
怨霊封じ成功です。
ところで、昭和30年代までは中門が拝観者の出入り口だったそうです。仁王像の修理で通用門が使われ、現在に至っている。
(法隆寺の謎P22)
そこいらへんのじいさんばあさんが、恐れ多くも怨霊と同じ出入り口を使っていたのです。なにやら梅原説のありがたみが少なくなります。
昔は、紙を噛んで仁王に投げつけ、仁王さんに張り付けば願いが叶うという迷信があったそうです。法隆寺でも投げつけられたチューインガムが黒の吽形像にくっつき、それがもとで虫が湧き、仁王像の大修理が行われました。
またしにあ得意のホラだろうって?
ホントだってば。法隆寺管主の高田良信さんが言っている。
(法隆寺の謎P21)
◆(#^ω^)怨霊
昭和30年と飛鳥時代はおなじかね。当時チュ-インガムがあったの? まあいいや。
怨霊としては、怖がられてなんぼ。じいさんばあさんと同じ扱いは断る。
中門からは出ないことにする。
怨霊封じダメ押し。
◆(#^ω^)怨霊
あっけらかんとした門だ。出ようと思えばいつでも出られる。
ひょっとして、おれは怖がられていないの? -
南大門と比べます。狭くて、「出るなよ」感がいっぱい。
中門がこんな感じなら、梅原説もなっとく。 -
柱が目立つようにコントラスト調整しています。
どうでしょう、この立派な門。真ん中に柱があるので、広い空間ができました。
ホントはない方がいいけれど、重量を支えられないから、しかたなく真ん中に柱を立てた。
法隆寺の設計者はなにがなんでも広い出入り口を作りたかった。
開放的です。「出入り御自由に」という感じ。
とうせんぼしているようには、見えない。
◆(#^ω^)怨霊
めげるなあ~~
好きなときに出ていいよ、ってことだよね。
こりゃもう、怨霊やめます。( ;∀;)
ということで、怨霊説はむりっぽい。
一書に曰く、
法隆寺に来てみたら、あの、「隠された十字架」のこと、なにか一言あるかなあと、思っておりました。
怨霊についてとか。
なんにもありませんでした。
気配もなし。歯牙にもかけないとは、このことか。
梅原猛?誰、その人?って感じ。
オンリョウ?何、それ、食ったことない。って感じ。
正岡子規の柿以下。
あんなに売れたのに~。ベストセラーだったのに~。
By妻
中門前でお坊さんの説明がありました。分かりやすくて、さすが現場の本職。法隆寺概論という感じ。
そのお坊さんに、梅原の怨霊説を聞いてみました。法隆寺ではまったく相手にしていないそうです。
広い出入り口から、みなさん自由に出入りしていた時代を知っているので、「そりゃないな」ということでしょう。 -
法隆寺の言い伝え
▲▲▲▲▲▲▲▲
入口は「戸」と数えるそうです。たぶん「こ」と読むんじゃないかな。
高田良信によると、
★昔の人たちも、この門の二つの入り口についてはいぶかしく思っていたらしい。中世の人たちは真言宗の金剛界、胎蔵界の思想に従ったものだとか、子孫が嗣ない相だとか、要領を得ない理屈をつけていたようだが、人々を納得させる明快な説を聞いたことがない。おそらく、伽藍の設計の上で全体のバランスを保つために二戸としたのであろうというのが、最も一般的な意見とされている。法隆寺では一戸は金堂へ、一戸は塔へ向かう入口であろうと言い伝えている。★
(法隆寺の謎P22)
法隆寺の言い伝えは、怨霊の「お」の字もなく、味も素っ気もありません。でも一番常識的な答えでしょう。 -
五重塔の前の礼拝石
-
金堂の前には、
-
別の礼拝石があります。
かつてはお坊さんでも塔や金堂に入らず、その前で礼拝をしたそうです。
二つの入り口の説明として、単純で合理的です。
事実は小説より奇ではない、と申します。
一書に曰く、
中門の柱が怨霊封じなんですってね。
でも、夏のあっけらかんの太陽の下で見たせいか、全然怖くなくて、単に、
「屋根が大きくて重いから、もう一本柱増やしました。なにか?」
しか感じなかったですねえ。
なんで、ここから入れてくれないんだろうとは、思いましたが。
向かって左端から入って、五重塔から金堂に行く流れは、自然でしたから、違和感なかったし、昔から、こういう順路だったのかと思っていました。
By妻 -
巡る礼拝
▲▲▲▲
「法隆寺の謎を解く」という本を見つけました。
筆者の武澤秀一は建築家です。インドの仏教遺跡の研究家でもあります。
こういうのがあった。
★インドで強く印象に残ることがあった。人びとが寺院のまわりを、そしてその中をぐるぐる回るのです。それがそのまま祈りの行為になっている。そういう空間のつくりになっているのです。ネパール、チベットでもそうだった。正面に向かって静止し、手を合わせる経験しかなかったわたしにとってこれは新鮮でした。★
(法隆寺の謎を解くP10)
私たちはお寺に数えきれないほど行きました。でもそれは観光で行ったので、礼拝ではありません。バチ当たりなことでした。
お寺に礼拝で行ったのは、お葬式と何回忌とかいう法事だけ。
たしかに祭壇のまえに静止し、手を合わせるだけでした。
しかしこれはお寺もよくない。祭壇の後ろには回れませんから、巡る作法で礼拝はできないのです。
本堂の周りを回ることも想定されていません。普通のお寺の本堂の裏手は、通用門とゴミ箱なんかが置いてあるはず。
7世紀の法隆寺では、礼拝は五重塔や金堂を巡ることだったのだそうです。 -
一書に曰く、
五重塔って、塔そのものが大事なのですね。
何をいまさらでございますが。
でも、マンションが林立する現代人としましては、中味のためにその器を造るのが普通ではないですか。
常識は、不変ではないのですね。
五重塔は五重塔のために建立されたのだ。
と、わかりました。頭ではなく、心で分かったかんじですわ。
五重塔を建立するためには、どれほどの知恵が集められたことか。
基盤造りから、機材調達、各種の技術者集め、もちろん資金。
わたくし無学にして、わかりませんが、とにかく膨大な富と知識と技術と人材とが、この塔に費やされたのは確かなことです。
この柱一本、戸板一枚でさえ、考え抜かれた知恵と技術の結果なのです。
回廊から、暗いねえ。見えないや。なんて言ってる場合ではないのですよ。誠にまことに、礼拝石のあたりで、ひれ伏すべき、先人の知恵と技術と努力の結晶なのであります。
By妻 -
武澤は五重塔の裳階に注目します。
初層階の下に下屋がとりつき、ぐるっと塔を回っています。これが裳階です。
裳階からは四つの塑像群を礼拝することができます。
現在は裳階には入れません。塔の外から四面を拝観するだけです。南が正面です。
南、北、西、東の順で、
★
弥勒菩薩が教えを説く場面
仏陀臨終の場面
仏舎利が塔に納められたことを表す場面
文殊菩薩が維摩古寺を訪れ問答をかわす場面
★
(P67-70) -
北です。
写真撮影はできません。絵葉書から。 -
北面の仏陀涅槃像。
-
嘆き悲しむ弟子たちがリアルに表現されています。
こういう場面を、五重塔を回りながら拝むのです。
一書に曰く、
キリスト教と、仏教と比べると、キリスト教は、何かと厳しいです。仏教はやさしい。
地獄だって、キリスト教は、一度堕ちたら、ずーーと、落ちたっぱなしらしいです。最後の審判の日まで。
翌日が、その日ならいいけど、未来永劫、地獄かもしれないのですよ。
こわいです。
対して、仏教は、まず、お地蔵さまが、わざわざ地獄までも救いに来て下さるそうです。
それに、仏教の地獄には期限があるそうですよ。懲役××年とか。
キリストは、復活はするのですが、最期は、磔刑でした。
あの絵は、見るからに痛い、つらい、苦しい。
マリアの苦しみまで合わせると、人の世の痛苦がすべて、ここに集められております。
対して、ブッダ。
生前、縁故のあった人々に囲まれ、静かに安らかに眠るような最期です。
幸せは、ここにあり。
ここに幸あり、青い空~。
と、両手を合わせてしまいますが、なんまいだ なのか、なんみょうほうれんげきょう なのか。
ま、とにかく、おててのしわとしわを合わせて、な~む と唱えておきましよう。
By妻 -
南が正面ですが、中門前から敷石があるので、だいたい皆さん東面から拝観し始めます。
しかしどこから始めてもいいはず。1回ぐるっと回るだけではなく、何回も回るのです。そのうちどこが初めでもよくなります。
こういう巡る礼拝の作法を、インドではプラグクシナー・パタというそうです。 -
金堂にも裳階がとりついています。
これは北面。 -
本尊は釈迦三尊像。内部は撮影できません。絵葉書です。
現在は東の入り口から入り、裳階を半周して西から出ます。しかし裳階は一周していますから、ここもプラグクシナー・パタ、めぐる礼拝の作法が守られています。
★柱の両側に、二つの口がある。中門から回廊がのび、聖域を囲う。塔、金堂そして回廊をめぐるとき、中門に二つの口があるのですから、一方の口から入り、もう一方の口から出てくるのが自然です。中門の真ん中に柱があっても、出入りに何の不都合もなかった。
入口と出口が二つ並ぶということ自体、列柱回廊に囲まれた聖域内のひとつの動きが循環性をもつことを示唆する。また盛大な催しが開かれ大勢のひとが出入りする際など、交錯を避け、めぐる流れを円滑にする効果もある。めぐる作法に照らして門の真ん中の柱は出入りをなんら妨げるものではなかったことがわかります。
★
(法隆寺の謎を解くP140)
この説は中門真ん中の柱を説明するきわめて単純な説です。
私はこういう合理的で、単純なのが大好き。
私はなかでも、大きなイベントのときの人の動線を滑らかにする、というのが気に入りました。
広い出入り口の真ん中に柵のようなものを仮設で作るより、初めから柱を立ててしまったほうが合理的です。
中門近くで説明してくれたお坊さんに、法隆寺でおおきな行事があるとき、お坊さんの列はどちらの門から入るのか、聞いてみました。
「左から入ります。」
そのあとは左回りですよね。
「いいえ、まっすぐに大講堂にむかいます。」
ありゃ、まあ、イベントは大講堂だから、しかたがないか。 -
モデルは早苗ちゃん
▲▲▲▲▲▲▲▲▲
ここで思いついたのは、2026年1月の高市総理大臣と韓国の大統領の法隆寺訪問。
これほど大規模なイベントはめったにないでしょう。
7世紀なら百済の王様を厩戸皇子が案内したようなもの。
首相官邸のHPを当たったら、写真がありました。
出典をちゃんと書けば、自由に使っていいそうです。
令和8年1月14日 日韓両首脳による法隆寺訪問 | 総理の一日 | 首相官邸ホームページ
https://www.kantei.go.jp/jp/104/actions/202601/14nara.html
一書に曰く、
日本最初の女性総理大臣の名前が、早苗というのが、いいなあと、おもっております。
最近はやりのカタカナ名前だったり、意味不明の名前でなくてよかった。早苗というのも、いかにもお米の国、日本ですもんね。
稲子、米子ってのもあるけれど、早苗は、若さ、希望を感じるしね。
日本最初の女性天皇ってだーれだ?日本初の女性総理ってだ~れだ?
ってクイズになりそう。
高市早苗、すごいぞ。推古天皇と肩を並べるんだ!
我々、歴史に立ち会っているのですねえ。
By妻
門のどちらから2人は入ったか。
案内係の方曰く
「いやもう、SPや随行の方がいっぱいで、わたしたちは詰め所待機。見えませんでした」
そうかあ、残念。
そこにさっきのお坊さんが「左から入られましたね」
そうこなくちゃ!
そのあと巡る作法で、回廊を回ったのですね?
「いえ、まっすぐ行かれました。」
ほにゃ! -
まっすぐ行くと塔と金堂の間。
-
金堂の釈迦三尊像だ!
いいなあ、私たちは写真とれません。
金堂直行もやむをえないか。スケジュールの都合もあるだろうし。
で、出るときは右からでしたか?
「どうだったかなあ~~~、人がいっぱいいたし」 -
バックは中門ですから、帰りですね。
すごい人数。
これだけの人が団子で出てきたんで、分からなかったのも無理はないか。
ごちゃごちゃっと、左から出ちゃった人もいっぱいいたでしょう。
しかし主人公2人は、右から出たんじゃぁないかな~~~
まあ、直近のイベントで、中門の二つの口は、単に入り口と出口であるらしい、とは言えるのではないでしょうか。
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