2026/10/01 - 2026/10/01
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alchemistさん
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世界遺産になったということで、観光客の増加が予測される飛鳥・藤原京。
大和朝廷の誕生以降、政治の中心は、ある時は三輪山の周辺、またある時は河内など、朝廷は時代により転々としている。
推古天皇以降、政治の舞台が飛鳥に集中しはじめた。
時々の天皇の住居がそのまま「皇居」となり、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、飛鳥浄御原宮など、同じ飛鳥の一角に繰り返し宮が造られるようになった。
そんな中で、中国の条里制に学び、初めて恒久的な宮を中心とした計画都市を造ろうとしたのが藤原京だ。藤原京そのものは16年存続したに過ぎないが、その発想は平城京につながり、平安京を生み出して明治に至る。
そんなヤマト王権の中心地の変遷をたどるのがこの旅だ。
その権力は、住居とともに墓にも表れる。石舞台古墳、高松塚古墳、キトラ古墳。そして明日は仁徳天皇陵に比定される大仙陵古墳にも足を運ぶことになる。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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タクシーのチャーターをあらかじめ申し込んでいた。橿原神宮前駅でピックアップしてもらう。
橿原神宮前駅 駅
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タクシーと10時15分に待ち合わせる1時間前には駅に到着。
荷物をコインロッカーに預け、まず、神武天皇にご挨拶だ。橿原神宮前駅 駅
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橿原市は、ゲームソフト大手のカプコンの創業者の出身地らしい。
その縁で、ストリートファイターのキャラクターを使ったまちづくりを進めている。
ここで出会ったケンの得意技は昇龍拳。
金髪と赤い道着が目印らしい。橿原神宮前駅 駅
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鳥居を二つ潜った正面の国旗掲揚塔に日章旗が上がっているのがいかにもこの神社らしい。
橿原神宮 寺・神社・教会
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日章旗の前で右に進むと南神門がある。
橿原神宮に参詣したのはずいぶん久しぶりだ。
記憶の中では、橿原神宮前駅を出ると直ぐに神宮があったように思っていた。
今回久しぶりに参拝すると、徒歩10分ほどの参道があり、両サイドの森の緑も記憶より濃くなっていた。橿原神宮 寺・神社・教会
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この神社の創建は明治23年。皇紀でいうと2550年にあたる年だ。
畝傍山の麓のここが、神武天皇即位の地という伝説に基づき建てられた。
天皇神話を強化するための装置の役割を果たした。橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮の本殿は京都御所の賢所を移築したもの。
ちなみに、今、今カメラを構えている拝殿も京都御所から移築されている。橿原神宮 寺・神社・教会
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橿原神宮前駅から案内してくれるのは橿原タクシーの運転手Aさん。
運転だけでなく、現地の事情や史跡の見方をかなり細かく教えてくれた安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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本薬師寺跡の横を通って藤原宮跡へ。
本薬師寺跡は、現在の西ノ京の薬師寺に移る以前の寺院跡で、世界遺産の構成資産になっている。
大規模な建物が残っているわけではないため、訪問者はそれほど多くないとのこと。橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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いきなり広い藤原京跡へ行ってもよく分からないだろうということで、まず案内してくれたのは藤原京資料室。
橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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橿原市藤原京資料室は、JAならけん橿原東部経済センター2階に間借りしている。
橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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藤原京発掘の中心になっている奈良文化財研究所は、飛鳥資料館を公開しているが、藤原京跡から距離があるので、この藤原京資料室が観光拠点になっている。
橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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藤原京は、持統天皇8年に飛鳥から遷都され、平城京まで16年間続いた古代日本の都城。
藤原京資料室への階段を上ると、持統天皇の御製「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」。
揮毫している万葉学者の犬養孝先生は、亡父と大学同期の友人だ。橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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この資料室のメインは藤原京の1,000分の1復元模型。他にカプコンが作成したアニメ「よみがえる藤原京、時を駆けたファイターたち」が上映されている。
橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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窓辺からは藤原宮跡の広大な広場を望むことができる。
持統・文武・元明の三代の天皇が都した藤原京。
平城京へ都が移ると、建物は解体され、柱や瓦などの資材は平城宮の建設に再利用された。
その後の跡地は主に水田なり、約1200年のあいだ農村の風景が続いた。橿原市藤原京資料室 美術館・博物館
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ここが藤原京跡と判り発掘が進められるのと併せ、国などが土地を買い取り、田んぼは史跡公園的な空間に変わっていった。
左手の森が大極殿跡だが、その前にあった大極殿院南門の位置を赤い列柱で示している。藤原宮跡 名所・史跡
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柱をコンコンと叩いてみたが、コンクリートではなく合成樹脂系のうつろな音がした。
現在 地下の遺構を守るために大きな建物は建てず、柱の位置を示す表示や植栽による整備にとどめている。この列柱も同じ理由から実際の場所と多少ずらして建てられている。藤原宮跡 名所・史跡
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列柱の先に見える、なだらかな手前の山が香具山。
持統天皇にとっては身近な存在だったことがこの距離からうかがわれる。香具山 自然・景勝地
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振り返ると遠くの金剛山地を背景に、畝傍山が男性的な頂を見せている。右手にあるはずの耳成山は木陰で見えなかったが、少し歩くと木立が切れて姿を現す。
飛鳥時代には高層建築がなく、大和三山は今よりはるかに存在感があったはず。大和三山(香具山、畝傍山、耳成山) 自然・景勝地
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藤原宮跡は、花の咲き乱れる野原。
春は桜の名所であり、ハスの季節には夜明け前から撮影客が集まる。
今は、彼岸花が枯れ始め、コスモスがちらほら咲き始めた程度。
たたずんでいるのは案内してくれたAさん。藤原宮跡 名所・史跡
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藤原宮跡をあとにして飛鳥方面へ移動。途中、ローソンに立ち寄って軽食を購入。
飛鳥の中心部に入ると、道路はかなり狭い。
バスも通るため、交互通行の信号で数分待つ箇所もある。
飛鳥寺に到着。拝観料を納めて堂内へ。安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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6世紀半ば、仏教受容をめぐって蘇我氏と物部氏が対立し、蘇我氏側が勝利。
その後、蘇我馬子の主導で588年に造営が始まり、百済からの技術者たちの協力を得て596年に完成した日本で最初の本格的な仏教寺院。
当時の日本にはまだなかった瓦葺きの大建築や寺院建築の技術が導入され、飛鳥寺は文字どおり当時の最先端文化の集積地だった。現在の寺域の20倍の規模を誇ったという。安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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堂内中央にはアルカイック・スマイルを湛えた飛鳥大仏(釈迦如来坐像)。
飛鳥寺の本尊で、百済から帰化した止利仏師の手になる日本最古の仏像といわれている。
鎌倉時代の火災で大きな損傷を受けたため、現在の像には後世の補修部分も多いが、顔や手などに創建当初の姿を伝える部分が残るとされる。安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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飛鳥大仏の前には仏舎利が置かれている。
堂内では説明係が、慣れた口調で飛鳥寺の歴史や飛鳥大仏について解説。
椅子にすわりながら、最前列で故事来歴を聞かせてもらった。安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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寺の西側にあった広場で開かれた蹴鞠の会で中大兄皇子と中臣鎌足が出会い、親しくなったと伝えられる。
境内を西に向け進んでいくと、枯れ始めた曼殊沙華の花が続いている。安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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その先に蘇我入鹿首塚があった。
飛鳥板蓋宮で起こった『乙巳の変』によって暗殺された入鹿の首は約600m離れたここまで飛んできたとの伝承がある。
遠くに見える甘樫丘には蘇我氏の邸宅があった。蘇我入鹿首塚 名所・史跡
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陶器でできた飛鳥観光地図があった。
観光客たちは入鹿首塚で鳩首会議。
のどかな飛鳥の田園が広がる。蘇我入鹿首塚 名所・史跡
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秋の日差しの中でカマキリが斧を振り上げていた。
蘇我入鹿首塚 名所・史跡
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飛鳥寺の鐘楼。
寄進箱に百円を入れて鐘を一撞き。安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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今は、観光客が自由に鐘を撞けるが、今後観光客が増えればすぐに、できなくなるんだろうなあ。
安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会
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飛鳥板葺宮は、それまでの茅葺や桧皮葺の屋根とは異なり、木板で屋根を葺いた革新的な建築だったため「板葺宮」の名がついたとされる。まだ、瓦のなかった時代だ。
中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した「乙巳の変」がまさにこの宮の大極殿で起こった。日本史上でも最大級の政変の現場だ。飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡) 名所・史跡
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飛鳥宮跡には、飛鳥板葺宮以外にも複数の宮が重なっている。
発掘調査により、第1期~第3期の3つの時期の宮殿遺跡が上下に重なっていることが判明した。
そのため、現在は「飛鳥板葺宮跡」を改め「飛鳥宮跡」と呼ぶようになった。
飛鳥宮跡周辺は道が細く、バスでは入りにくい場所もある。団体客はパスするスポットだ。飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡) 名所・史跡
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蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳は飛鳥の盆地から少し丘を登ったところにある。
世界遺産登録で観光客公害に直面したのがこの古墳。
Aさんによると、これまで無料だった駐車場が有料になったそうだ。
しかし、この時は係員から特に料金を求められず、そのまま駐車できた。石舞台古墳 名所・史跡
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これだけの巨大な石をどう運び、どう積んだのだろうか。
石舞台古墳 名所・史跡
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もともとは土に覆われた古墳だったものが、長い年月の風雨で土が流れ、石室だけが露出した姿が現在の「石舞台」だという。
石舞台古墳 名所・史跡
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内部に入ると、外から見る以上に空間が大きい。
石舞台古墳 名所・史跡
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石の組み方もかなり精緻で、全部しっかり組まれてる。
これは見に来ないと分からない。石舞台古墳 名所・史跡
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石舞台は、外から眺めるだけでは面白さが半分も伝わらない。
内部に入り、巨大な天井石を見上げ、隙間なく積まれた石壁を間近にすると、ようやく圧倒的なスケールが分かる。石舞台古墳 名所・史跡
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藤原宮跡は空間を想像する場所、飛鳥寺は歴史解説を聞く場所、石舞台は時空間を体感する場所だった。
石舞台古墳 名所・史跡
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石舞台古墳の隣には、草月流の勅使河原茜氏による大型のインスタレーション。
地域の竹を幾何学的・曲線的に組み合わせて飛鳥の豊かな風景や風の流れと一体化させ、ダイナミックに組み上げている。
草月流ならではのスケール感だ。あすかいちご狩りパーク フルーツ狩り・農業体験
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勅使河原茜氏は草月流第四代家元。
草月流創始者・勅使河原蒼風の孫で、映画監督勅使河原宏の次女にあたる。あすかいちご狩りパーク フルーツ狩り・農業体験
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勅使河原茜だけでなく、明日香村にゆかりの深い新進気鋭のアーティストとのコラボ企画を展開している。
書家の逢香さんや切り絵作家の望月めぐみさんの協力を得てステッカーを作り販売している。夢市茶屋 グルメ・レストラン
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ごはんを古墳の形に盛り、専用の“スコップ型スプーン”で発掘しながら食べる「古墳めし」。
ごはんの中におかずを副葬品として隠せば、宝探しが楽しそうだ。夢市茶屋 グルメ・レストラン
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続いて訪れたのは極彩色の壁画で有名な高松塚。
発見者は石舞台のふもとの寺で育ち、のちに考古学の権威となる網干善教だ。
造られた年代は藤原京と重なるとの説が有力。
この古墳が発見された1972年ごろの大騒ぎはよく覚えている。
朝日新聞は「法隆寺級の壁画発見」「戦後最大の発見」という見出しで報じている。高松塚古墳 名所・史跡
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高松塚古墳の裾を回って壁画館へ。
壁画館の入館料は300円。
壁画に描かれた飛鳥藤原京時代の衣装が迎えてくれた。高松塚壁画館 美術館・博物館
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高松塚古墳壁画のうち西壁女子群像のレプリカ。
よくぞ時代を超えて鮮やかな色が残っていたものだというのが、発見当時の驚きだった。高松塚壁画館 美術館・博物館
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鎌倉時代ごろに盗掘を受けた形跡がある一方、重要な壁画が完全には破壊されず残った。
高松塚というと女子群像の印象が強いが、男子群像も描かれている。高松塚壁画館 美術館・博物館
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影は薄いがこれが男性陣。
元日の儀式に列する官吏の姿と見られている。高松塚壁画館 美術館・博物館
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高松塚を少し登った文武天皇の古墳、檜隈安古岡上陵の横の東屋でひとやすみし、ローソンで買い込んだコンビニめしでランチを取った。
風が気持ちいい。文武天皇陵 名所・史跡
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高松塚古墳の前にはワイン用のブドウ棚がある。
史跡の周囲に現在の農業景観が入り込んでいるのが面白い。文武天皇陵 名所・史跡
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こんな丘の上まで自転車で昇ってくる若者の若さがうらやましい。
電動モーターがついているとはいえ、それなりにハードだ。文武天皇陵 名所・史跡
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続いて訪れたキトラ古墳発見のきっかけは高松塚壁画発見のニュース。
ここにも同じような古墳があるとの地元住民からの連絡を受けて、当時最先端だったファイバースコープを使って調査したところ、2例目の「彩色壁画古墳」であることが確認された。キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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キトラ古墳は、大腸ポリープ(?)のようにポッコリと盛り上がった頂上部の墳丘が印象的。
キトラ古墳 名所・史跡
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その墳丘を含む古墳の立体像が縮尺模型で示されている。
キトラ古墳 名所・史跡
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ファイバースコープ調査は、石室に外気を流入させることを極力避け、温度15~18度、湿度約100%という空気組成を保ちながら調査を進めるためのものだった。
キトラ古墳 名所・史跡
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石室の壁には、青龍・朱雀・白虎・玄武の神獣、十二支、天井には天文図と日月が描かれていた。
古墳に向かい、ちょうど拓本のように描かれた模様を写し取る乾拓板が置かれていた。キトラ古墳 名所・史跡
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これは朱雀の乾拓板。
紙を乗せ、鉛筆や墨でこすり、模様を写し取る。キトラ古墳 名所・史跡
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キトラ古墳壁画体験館「四神の館」。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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この日は古墳壁画の3面が公開中。
せっかくなので実物を見たいと思い、当日参観が可能か尋ねたが、公開は事前予約制で、すでに満員。
残念ながら実物壁画の見学はかなわなかった。キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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しかし、館内のレプリカや解説展示は非常に充実しており、高松塚で見た内容と比較しながら、四神や天文図、石室構造を理解することができた。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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盗掘穴の隙間からファイバースコープを入れた時、最初に見つかったのがこの玄武の壁画だった。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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その後、CCDを入れて詳細に調査を行い、数々の壁画が認められた。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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しかし、壁画の保存状態は万全とは言えず、漆喰は生クリームのように柔らかくなっており、青龍や白虎はすでに壁面から剥がれ落ちていた。
ぼろぼろになった漆喰片を剥がした総数は1143点。
それを、補強し貼り直し、元の姿に再構成したという。キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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展示の中で印象に残ったのは、古墳築造の技術。
石室を造るために、まず位置や規模を決め、石材を運び、石室を組み、その後に内部で壁画を描き、最後に墳丘を築いていく。その一連の工程を映像でたどらせてくれた。キトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
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当初予定したルートはキトラ古墳が最終地点。しかし、まだ時間がある。
Aさんが連れてきてくれたのは牽牛子塚古墳。牽牛子塚古墳 名所・史跡
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史上初めて二度天皇となった皇極・斉明天皇と、娘・間人皇女、孫娘・大田皇女に関わる墳墓とされる。
牽牛子塚古墳 名所・史跡
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古代天皇家の墳墓を象徴する八角形墳が復元されている。
このあたり、いかにもゾロアスター信仰もうわさされる斉明天皇らしい。牽牛子塚古墳 名所・史跡
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牽牛子塚古墳は、谷の突き当りにあり、ここに至る道も狭く、駐車スペースもない。道路には「駐車場なし」の警告が何回も表示されているが、ドライバーのAさんはさすがにプロ。停められる場所を心得ている。
観光客が少なく、静かで印象的な古墳だった。牽牛子塚古墳 名所・史跡
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当初は5時間のチャーター予定だったが、実際には4時間程度で収まったため、4時間分の料金として計算してくれた。
予算より安く済み、さらに予定していた電車より約1時間早い便に乗ることができた。
これから飛鳥駅 → 橿原神宮前 → 大阪阿部野橋 → なんばと乗り継いで大阪へ向かう。飛鳥駅 駅
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旅行記グループ 飛鳥から泉州堺
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