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2026年9月。シルバーウィーク直前の京都。ホテルオークラ京都に宿泊し、ノープランで歩き回りました。<br />その2は、ちょうど9月18日からはじまった特別公開の角屋2階を見に島原へ。島原の街並みと角屋の建物をじっくり見て回りました。<br /><br />・市バスで五条壬生川へ<br />・島原大門から、かつての花街に入る<br />・一軒だけ残っている置屋・輪違屋(外観)<br />・元揚屋を改築したきんせ旅館の1階にある、カフェ・アウスガングでベーグルサンドの昼食<br />・こちらも揚屋だった、角屋もてなしの文化美術館の1階を見学<br />  台所や網代の間、松の間から見る臥龍の松<br />・事前予約していた特別公開の角屋2階の見学<br />・東鴻臚館址、住吉神社、大銀杏を見ながらバス停へ<br /><br />表紙写真は、大正ロマンあふれるカフェ・アウスガングの店内

2026年9月京都右往左往 その2~島原散歩

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2026/09/18 - 2026/09/18

2049位(同エリア4077件中)

旅行記グループ 2026年9月の京都

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ROSARY

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この旅行記のスケジュール

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2026年9月。シルバーウィーク直前の京都。ホテルオークラ京都に宿泊し、ノープランで歩き回りました。
その2は、ちょうど9月18日からはじまった特別公開の角屋2階を見に島原へ。島原の街並みと角屋の建物をじっくり見て回りました。

・市バスで五条壬生川へ
・島原大門から、かつての花街に入る
・一軒だけ残っている置屋・輪違屋(外観)
・元揚屋を改築したきんせ旅館の1階にある、カフェ・アウスガングでベーグルサンドの昼食
・こちらも揚屋だった、角屋もてなしの文化美術館の1階を見学
  台所や網代の間、松の間から見る臥龍の松
・事前予約していた特別公開の角屋2階の見学
・東鴻臚館址、住吉神社、大銀杏を見ながらバス停へ

表紙写真は、大正ロマンあふれるカフェ・アウスガングの店内

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.0
交通
3.5
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 京都には数えきれないほど通っていますが、島原に来たのは初めて。<br /><br />市バス32番で五条壬生川まで来て、壬生川通りから花屋町通り、そして島原大門へ。

    京都には数えきれないほど通っていますが、島原に来たのは初めて。

    市バス32番で五条壬生川まで来て、壬生川通りから花屋町通り、そして島原大門へ。

    島原大門 名所・史跡

  • そもそも「島原」は通称で、正式の地名が西新屋敷、ということも知りませんでした。江戸初期の1641年に、六条坊門からこの場所に移ってきたそうです。<br /><br />そして「島原」と呼ばれる所以が、「島原の乱」からきていることも。

    そもそも「島原」は通称で、正式の地名が西新屋敷、ということも知りませんでした。江戸初期の1641年に、六条坊門からこの場所に移ってきたそうです。

    そして「島原」と呼ばれる所以が、「島原の乱」からきていることも。

  • 消火用の水でしょうか。<br /><br />後ろに見えるのは、「出口の松」。手前の垣は「さらば垣」。

    消火用の水でしょうか。

    後ろに見えるのは、「出口の松」。手前の垣は「さらば垣」。

  • 島原周辺の案内図。<br /><br />島原の区域は、大門から西は千本通、中央卸売市場の南端から南は正面通りの一筋南まで。200m×250mくらいの、狭い範囲です。

    島原周辺の案内図。

    島原の区域は、大門から西は千本通、中央卸売市場の南端から南は正面通りの一筋南まで。200m×250mくらいの、狭い範囲です。

  • さっそく、島原大門をくぐりましょう。

    さっそく、島原大門をくぐりましょう。

  • 大門を入ってすぐの路地を右に行くと「輪違屋」。<br />現在も太夫一人を抱える置屋です。

    大門を入ってすぐの路地を右に行くと「輪違屋」。
    現在も太夫一人を抱える置屋です。

    輪違屋 名所・史跡

  • 案内板が立っていますが、「観覧謝絶」の札も。<br /><br />内部の一般公開はされていないようですね。特別公開の予約制のツアーなどで訪れることができるようです。

    案内板が立っていますが、「観覧謝絶」の札も。

    内部の一般公開はされていないようですね。特別公開の予約制のツアーなどで訪れることができるようです。

  • 輪違屋のトレードマーク、重なった二つの輪っかが描かれたランプ。<br /><br />瓦には、ご当主の姓から「高」の文字が描かれています。

    輪違屋のトレードマーク、重なった二つの輪っかが描かれたランプ。

    瓦には、ご当主の姓から「高」の文字が描かれています。

  • 門灯の文字はかすれています。

    門灯の文字はかすれています。

  • 奥の方からも一枚。

    奥の方からも一枚。

  • 島原大門からの道に戻り、右手に行くと見えてくるのが「きんせ旅館」。

    島原大門からの道に戻り、右手に行くと見えてくるのが「きんせ旅館」。

  • こちらもかつては「揚屋」だったところ。<br /><br />二階の窓ガラス、楕円形なのが面白い。

    こちらもかつては「揚屋」だったところ。

    二階の窓ガラス、楕円形なのが面白い。

  • きんせ旅館の正面。<br /><br />現在はAirbnbとして、一日一組、宿泊客をとっているようです。

    きんせ旅館の正面。

    現在はAirbnbとして、一日一組、宿泊客をとっているようです。

    きんせ旅館 宿・ホテル

  • 屋根の上には鍾馗さん。

    屋根の上には鍾馗さん。

  • 一階は、朝7時から14時まで、カフェとして営業されています。<br /><br />玄関を入ったところ。レトロなランプにステンドグラス。フロアの泰山タイルも素敵!<br /><br />向かって左のドアからカフェに入ります。

    イチオシ

    一階は、朝7時から14時まで、カフェとして営業されています。

    玄関を入ったところ。レトロなランプにステンドグラス。フロアの泰山タイルも素敵!

    向かって左のドアからカフェに入ります。

  • 揚屋だったころは台所として使われていた場所。大正時代に改築されたそうです。<br />向かって右のドアから入ってきました。<br /><br />ステンドグラスは昭和初期のものとのこと。雰囲気いいですね。

    イチオシ

    揚屋だったころは台所として使われていた場所。大正時代に改築されたそうです。
    向かって右のドアから入ってきました。

    ステンドグラスは昭和初期のものとのこと。雰囲気いいですね。

  • あいている席にどうぞ、とのことだったので、ホールの一番奥へ。<br /><br />そこから隣の部屋、カウンターが見えます。

    あいている席にどうぞ、とのことだったので、ホールの一番奥へ。

    そこから隣の部屋、カウンターが見えます。

  • 猫関連のものがたくさん。<br /><br />カウンターの奥にある3匹の猫の絵が気になります。

    猫関連のものがたくさん。

    カウンターの奥にある3匹の猫の絵が気になります。

  • さっそくランチを。<br /><br />クリームチーズにキノコのマリネがのったベーグルサンド。<br />ベーグルはちょっと苦手なのですが、こちらは外がカリカリでとってもおいしかった。<br /><br />一緒にいただいたハートランドビールも、お店の雰囲気に良く合っています。

    イチオシ

    さっそくランチを。

    クリームチーズにキノコのマリネがのったベーグルサンド。
    ベーグルはちょっと苦手なのですが、こちらは外がカリカリでとってもおいしかった。

    一緒にいただいたハートランドビールも、お店の雰囲気に良く合っています。

  • もう一人は、フムスとベーコンのベーグル。

    もう一人は、フムスとベーコンのベーグル。

  • たくさんあるステンドグラスの中でも、特に気に入ったのがこちら。<br /><br />菊のステンドグラス。

    たくさんあるステンドグラスの中でも、特に気に入ったのがこちら。

    菊のステンドグラス。

  • バーカウンターのある部屋。ここにも猫グッズ。

    バーカウンターのある部屋。ここにも猫グッズ。

  • カフェのスペースを出て、玄関の奥を見た所です。<br /><br />こちらは、昔の旅館、という風情ですね。

    カフェのスペースを出て、玄関の奥を見た所です。

    こちらは、昔の旅館、という風情ですね。

  • きんせ旅館の前の道をそのまま進むと、角屋のある一角に出てきます。

    きんせ旅館の前の道をそのまま進むと、角屋のある一角に出てきます。

  • 「長州志士 久坂玄瑞の密議の角屋」という石碑が立っています。<br /><br />久坂玄瑞や西郷隆盛などの勤王の志士を追って、新選組も足しげく訪れたそう。

    「長州志士 久坂玄瑞の密議の角屋」という石碑が立っています。

    久坂玄瑞や西郷隆盛などの勤王の志士を追って、新選組も足しげく訪れたそう。

  • 角屋の建物。ポスターが掲げてある、真ん中あたりが本来の門口です。<br /><br />移転当初の間口は5間だったそう。そのあと、北側、南側が増築されました。

    角屋の建物。ポスターが掲げてある、真ん中あたりが本来の門口です。

    移転当初の間口は5間だったそう。そのあと、北側、南側が増築されました。

    角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡

  • 揚屋としての角屋の説明。<br /><br />揚屋というのは、今でいう宴会場のようなところ。一階で料理を作り、二階の座敷にお客を「揚げ」て、食事を出したそうです。<br /><br />角屋は明治5年まで揚屋として、その後、お茶屋(料理を作らず仕出しをとる)としては昭和60年まで営業されていたとのこと。

    揚屋としての角屋の説明。

    揚屋というのは、今でいう宴会場のようなところ。一階で料理を作り、二階の座敷にお客を「揚げ」て、食事を出したそうです。

    角屋は明治5年まで揚屋として、その後、お茶屋(料理を作らず仕出しをとる)としては昭和60年まで営業されていたとのこと。

  • 角屋一階の見取り図です。鍵付きのロッカーに荷物を入れて、展示室でしばし待機。

    角屋一階の見取り図です。鍵付きのロッカーに荷物を入れて、展示室でしばし待機。

  • 展示室奥にあった岸駒の「龍虎図屏風」。<br /><br />そろったようで、一階のガイドツアーが始まります。団体さんと一緒のツアーになりました。

    展示室奥にあった岸駒の「龍虎図屏風」。

    そろったようで、一階のガイドツアーが始まります。団体さんと一緒のツアーになりました。

  • こちらの裏側が、さきほど通ってきた門口になります。<br /><br />角屋の家紋「蔓三つ蔦」を染め抜いた暖簾。

    こちらの裏側が、さきほど通ってきた門口になります。

    角屋の家紋「蔓三つ蔦」を染め抜いた暖簾。

  • 暖簾を背に、正面を見ると、2階の窓が。<br /><br />人の顔にも見えて、面白い。

    暖簾を背に、正面を見ると、2階の窓が。

    人の顔にも見えて、面白い。

  • 右手には玄関。<br /><br />お客はここで駕籠を下りて、中にはいったそうです。<br />玄関の奥には中庭が見えています。

    右手には玄関。

    お客はここで駕籠を下りて、中にはいったそうです。
    玄関の奥には中庭が見えています。

  • ここの柱には、新選組の刀傷がついています。

    ここの柱には、新選組の刀傷がついています。

  • 台所に戻ります。<br /><br />手前には火と竈の神「三宝荒神」が。<br />こちらは飾りのかまど。

    台所に戻ります。

    手前には火と竈の神「三宝荒神」が。
    こちらは飾りのかまど。

  • 奥には、実際に使ったかまどが5つ、並んでいました。

    奥には、実際に使ったかまどが5つ、並んでいました。

  • 50畳もあるという台所。<br /><br />手前の桟があるところが帳場です。<br />ここでのお金のやり取りはなく(すべて「つけ」)、いつ誰が来たかの記録を取っていました。<br /><br />左に見えるのは「八方行燈」。幅広く照らすことができたそうです。

    50畳もあるという台所。

    手前の桟があるところが帳場です。
    ここでのお金のやり取りはなく(すべて「つけ」)、いつ誰が来たかの記録を取っていました。

    左に見えるのは「八方行燈」。幅広く照らすことができたそうです。

  • かまどの上の天井は高いですね。<br /><br />靴を脱いで、台所に上がります。

    かまどの上の天井は高いですね。

    靴を脱いで、台所に上がります。

  • 布袋様。

    布袋様。

  • 西郷隆盛が行水につかった盥。<br /><br />昭和20年に、空襲による延焼を防ぐため、角屋も取り壊しの対象となっていました。市の担当者にこの盥を見せて、歴史ある建物だから、と再考してもらっている間に終戦となり、取り壊しを免れたとのこと。

    西郷隆盛が行水につかった盥。

    昭和20年に、空襲による延焼を防ぐため、角屋も取り壊しの対象となっていました。市の担当者にこの盥を見せて、歴史ある建物だから、と再考してもらっている間に終戦となり、取り壊しを免れたとのこと。

  • 台所の奥には、二階に続く階段。<br /><br />左の箱階段は従業員用。

    台所の奥には、二階に続く階段。

    左の箱階段は従業員用。

  • こんな階段を、食事をもって上り下りしていたなんて!

    こんな階段を、食事をもって上り下りしていたなんて!

  • お客は、ここで刀を預けて、別の階段から二階に上がりました。<br /><br />横暴な新選組は刀を預けずに座敷に上がり、暴れてつけた刀傷が二階の柱にも残っていました。

    お客は、ここで刀を預けて、別の階段から二階に上がりました。

    横暴な新選組は刀を預けずに座敷に上がり、暴れてつけた刀傷が二階の柱にも残っていました。

  • 中庭と、右手は網代の間。

    中庭と、右手は網代の間。

  • ちょうど玄関に面しています。<br /><br />玄関から外を見た所。井戸がありますね。<br />二本の槐の木は、枯れてしまったそう。<br /><br />このあと、与謝蕪村の「紅白梅図屏風」などの展示室に入りましたが、そちらは撮影禁止でした。

    ちょうど玄関に面しています。

    玄関から外を見た所。井戸がありますね。
    二本の槐の木は、枯れてしまったそう。

    このあと、与謝蕪村の「紅白梅図屏風」などの展示室に入りましたが、そちらは撮影禁止でした。

  • 28畳の「網代の間」に入ります。<br />天井が網代に組まれているところから名付けられました。

    28畳の「網代の間」に入ります。
    天井が網代に組まれているところから名付けられました。

  • 床の間には「寒山拾得」の掛け軸。奥の花頭窓もいいですね。

    床の間には「寒山拾得」の掛け軸。奥の花頭窓もいいですね。

  • この部屋は中に柱が一本もなく、天井の長さ4間の竿縁だけで、二階を支えているのです。<br /><br />煤で真っ黒だった壁は、洗って塗りなおして、元の赤壁の色が見えますが、右の襖はすすけたままですね。

    この部屋は中に柱が一本もなく、天井の長さ4間の竿縁だけで、二階を支えているのです。

    煤で真っ黒だった壁は、洗って塗りなおして、元の赤壁の色が見えますが、右の襖はすすけたままですね。

  • 襖絵は長谷川等雲の「唐子の図」。<br /><br />じっくり見ると、子どもの姿が。<br /><br />

    襖絵は長谷川等雲の「唐子の図」。

    じっくり見ると、子どもの姿が。

  • このあと、廊下を通って「松の間」へ。<br /><br />襖絵は岸連山の「金地桐に鳳凰の図」。とてもゴージャス。<br /><br />松の間は大正時代にボヤで焼けてしまったのですが、この襖絵は火災を免れたのだとか。

    このあと、廊下を通って「松の間」へ。

    襖絵は岸連山の「金地桐に鳳凰の図」。とてもゴージャス。

    松の間は大正時代にボヤで焼けてしまったのですが、この襖絵は火災を免れたのだとか。

  • 床の間には「山水図」。<br /><br />この「松の間」は、新選組の芹沢鴨が暗殺される直前に、宴会を開いていたところなのだとか。

    床の間には「山水図」。

    この「松の間」は、新選組の芹沢鴨が暗殺される直前に、宴会を開いていたところなのだとか。

  • 「松の間」の命名の理由は、庭に植えられている「臥龍の松」から。<br /><br />ガイドさんから説明を聞きます。

    「松の間」の命名の理由は、庭に植えられている「臥龍の松」から。

    ガイドさんから説明を聞きます。

  • 臥龍の松。

    臥龍の松。

  • 本来は一本の松でしたが、残念ながら枯れてしまい、新しく植えなおした二本の松で、それらしい形にしているのだとか。

    本来は一本の松でしたが、残念ながら枯れてしまい、新しく植えなおした二本の松で、それらしい形にしているのだとか。

  • 奥に、枯れた松の幹が残っていました。

    奥に、枯れた松の幹が残っていました。

  • 庭の右手には2つのお茶室。曲木亭と、茅葺きの清隠斎茶席。

    庭の右手には2つのお茶室。曲木亭と、茅葺きの清隠斎茶席。

  • 松の間にあった、岸良の「布袋図」衝立。<br /><br />周囲は琉球螺鈿です。

    松の間にあった、岸良の「布袋図」衝立。

    周囲は琉球螺鈿です。

  • 磨きこまれた廊下を、網代の間のほうに戻ります。

    磨きこまれた廊下を、網代の間のほうに戻ります。

  • 奥からみた台所。この左手から、2階の特別公開へ。こちらは予約制で、撮影不可。見学者は3人のみ。<br /><br />上がったところが「翠簾の間」。左手が網代の間の上にあたる「緞子の間」です。<br />「緞子の間」は立ち入り禁止。下に柱が一本もないんですからね。襖や障子の腰に緞子が貼られていることから、名付けられました。釘隠しのブルーの七宝がきれい。<br /><br />「翠簾の間」は、御簾の襖絵と、本物の御簾がかかった二間続きのお座敷です。床の間の紫檀の曲木や金が刷り込まれた虫喰丸太など、贅を凝らした作りでした。<br /><br />その奥(一番南側)は「扇の間」。天井、欄間、襖の引手など扇尽くし。この部屋には一番奥に高座があり、浄瑠璃などが語られていたのだとか。この部屋の壁はブルーグレーの九条土。<br /><br />この4つの座敷は襖を取り払うと一つのお座敷としても使え、遠くからも見えるようにと高座が仕立てられているそうです。そして4つの部屋とも、通り側の障子の桟が五本と三本の吹き寄せで統一されていました。<br /><br />とはいえ、別々の部屋として使うばあいは、お客同士が顔を合わせずにすむよう、裏に部屋(草花の間)や隠し廊下が付けられています。<br /><br />奥には小さなお座敷がいくつか。<br />「馬の間」は丸山応挙の「少年行の図」の襖絵。<br />「孔雀の間」は江村春甫の「孔雀に牡丹・海棠の図」の襖絵。<br /><br />一番奥は「青貝の間」。壁にも建具にも螺鈿がはめ込まれた、一番ゴージャスな部屋です。本来は「扇の間」と同じブルーグレーの九条土の壁でしたが、煤で真っ黒に。螺鈿が施されているので洗うことができず、黒のままになっているのがかえって強烈な印象を残します。障子の松皮菱組も凝った造り。露台(ベランダ)があって、臥龍の松を見下ろせるようになっていました。<br /><br />この部屋の柱には、新選組の狼藉による刀傷が2つもついていました。<br /><br />最後は「檜垣の間」。この部屋の障子は、縦が波型で、見る方向によって手前に飛び出したり、引っ込んだりして見えるのが面白かった。

    奥からみた台所。この左手から、2階の特別公開へ。こちらは予約制で、撮影不可。見学者は3人のみ。

    上がったところが「翠簾の間」。左手が網代の間の上にあたる「緞子の間」です。
    「緞子の間」は立ち入り禁止。下に柱が一本もないんですからね。襖や障子の腰に緞子が貼られていることから、名付けられました。釘隠しのブルーの七宝がきれい。

    「翠簾の間」は、御簾の襖絵と、本物の御簾がかかった二間続きのお座敷です。床の間の紫檀の曲木や金が刷り込まれた虫喰丸太など、贅を凝らした作りでした。

    その奥(一番南側)は「扇の間」。天井、欄間、襖の引手など扇尽くし。この部屋には一番奥に高座があり、浄瑠璃などが語られていたのだとか。この部屋の壁はブルーグレーの九条土。

    この4つの座敷は襖を取り払うと一つのお座敷としても使え、遠くからも見えるようにと高座が仕立てられているそうです。そして4つの部屋とも、通り側の障子の桟が五本と三本の吹き寄せで統一されていました。

    とはいえ、別々の部屋として使うばあいは、お客同士が顔を合わせずにすむよう、裏に部屋(草花の間)や隠し廊下が付けられています。

    奥には小さなお座敷がいくつか。
    「馬の間」は丸山応挙の「少年行の図」の襖絵。
    「孔雀の間」は江村春甫の「孔雀に牡丹・海棠の図」の襖絵。

    一番奥は「青貝の間」。壁にも建具にも螺鈿がはめ込まれた、一番ゴージャスな部屋です。本来は「扇の間」と同じブルーグレーの九条土の壁でしたが、煤で真っ黒に。螺鈿が施されているので洗うことができず、黒のままになっているのがかえって強烈な印象を残します。障子の松皮菱組も凝った造り。露台(ベランダ)があって、臥龍の松を見下ろせるようになっていました。

    この部屋の柱には、新選組の狼藉による刀傷が2つもついていました。

    最後は「檜垣の間」。この部屋の障子は、縦が波型で、見る方向によって手前に飛び出したり、引っ込んだりして見えるのが面白かった。

  • 台所に戻り、靴を履いて外へ。<br /><br />最後に見たのは、江戸時代の冷蔵庫。井戸水を浸すことで食材を冷やしていたそうです。かなり深いですね。

    台所に戻り、靴を履いて外へ。

    最後に見たのは、江戸時代の冷蔵庫。井戸水を浸すことで食材を冷やしていたそうです。かなり深いですね。

  • 角屋の見学は以上です。<br /><br />一階、二階ともツアーの時間が決まっているので、ホームページで確認の上、お出かけください。二階は事前予約のみ。一階、二階あわせて、大人一人2000円でした。

    角屋の見学は以上です。

    一階、二階ともツアーの時間が決まっているので、ホームページで確認の上、お出かけください。二階は事前予約のみ。一階、二階あわせて、大人一人2000円でした。

  • 島原には、ほかにも揚屋建築が残っていました。現在は普通のお宅のようですね。

    島原には、ほかにも揚屋建築が残っていました。現在は普通のお宅のようですね。

  • 角屋の北側を通って・・

    角屋の北側を通って・・

  • 東鴻臚館址の石碑。朱雀大路の東西にあったものですよね。<br /><br />地図の位置はちょっと間違っています。

    東鴻臚館址の石碑。朱雀大路の東西にあったものですよね。

    地図の位置はちょっと間違っています。

    東鴻臚館跡 名所・史跡

  • 島原住吉神社

    島原住吉神社

    島原住吉神社 寺・神社・教会

  • 住吉神社の説明。

    住吉神社の説明。

  • そのすぐ脇には、「島原西門碑」。

    そのすぐ脇には、「島原西門碑」。

  • 山陰本線の高架沿いの道を北へ。<br /><br />島原大銀杏弁財天社。もとは住吉神社の境内にあった大銀杏だそう。

    山陰本線の高架沿いの道を北へ。

    島原大銀杏弁財天社。もとは住吉神社の境内にあった大銀杏だそう。

    大銀杏 名所・史跡

  • 大銀杏の石碑。<br /><br />このあと、京都リサーチパーク前からバスで祇園方面に向かいました。

    大銀杏の石碑。

    このあと、京都リサーチパーク前からバスで祇園方面に向かいました。

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