2008/04/29 - 2008/04/29
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jijidarumaさん
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≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫
アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る
期間 :2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間
目的地:今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方と
Ostbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
【ローマ軍団はドナウ川のもたらした肥沃の地ゴイボーデンに軍事的拠点(シュトラウビング)を設けた。】
かつてローマ帝国が北ヨーロッパ進出の拠点として、重点地域にしていた「第二のローマ」と云われたTrierトリアー、ノルトライン・ヴェストファーレン州に属する、古代ローマの大きな軍団都市があったXantenクサンテンのことはドライブがてら訪れて、よく知っていた。
だが、ドナウ川に面したStraubingシュトラウビングの町はほとんど日本人観光客には無縁の地(地球の歩き方にも掲載がない)で、パッサウ=>レーゲンスブルクを走る際に、通り過ぎてしまうのが普通だった。
シュトラウビングの町は、ローマ軍団の規模は小さいと思われたが、予想以上の軍事拠点が設けられていた。
写真:2008.04.29.Straubing:1950年、Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館のローマ人のマスクが発掘された。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Freistaat Bayernバイエルン自由州は面積(7千万平方キロ)がドイツ最大、人口(12百万人・カトリック教徒が凡そ67%、新教徒が24%と数えられている)も二番手となる有力州であり、それぞれが個性的な四つの地方からなる。
州都ミュンヘンを中心とするOberbayern高地バイエルン地方、
レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルン地方、
ニュルンベルクを中心としたフランケン地方、
アウグスブルクが中心都市となるアルゴイ・バイエリッシャー-シュヴァーベン地方である。
参考写真:2008.04.15.ドイツ全図:各州の紋章と・・・自由バイエルン州は右下にある。 -
<2008.04.29 (火) 小雨 時に激しく 9℃、 163km>
朝食後、古城ホテルSchloss Eggエック城を9:30に出発。=>L? 9km Mettenメッテン =>A3・B20 33km Straubingシュトラウビング 市内観光 :68mの市の塔、ゴイボーデン博物館10:30~12:00 =>B20・A3 54km Regensburgレーゲンスブルクに12:50着。
参考写真:Straubingシュトラウビング_16世紀の絵 -
<Straubingシュトラウビング 市内観光>
ドナウ川がこの辺りは蛇行して流れ、川に沿って発展したStraubingシュトラウビングの町は古きバイエルンの中心とも言うべき町(人口45千人)である。
周辺はドナウ川が作った肥沃な土地に恵まれ、穀物の産地として栄えた。鳥獣や木の実の豊富なバイエルンの森の入口に位置している。
バイエルンの習慣では、新しい集落は族長ストルポ・ストルピングに因んで名付けられ、最終的にシュトラウビングという名前が生まれたと云う。
参考写真:Straubingシュトラウビング(北側からみた)_1630年の絵 -
8000年の歴史を持ち、紀元前40年頃から、ローマ軍団の活動がみられ、75年にはローマ軍の砦、ドナウ川に港、物資の集積場が出来ていたと云われる。
その町は、ドナウ川沿いの肥沃なゴイボーデンの中心に位置している。
【Die Kastelle von Straubingシュトラウビングに築かれたローマ軍団の城砦】
Kastell城砦 I=>Kastell城砦 IV
ローマ人は1世紀後半に、ゴイボーデンの場所にレーティア(ラエティア)地方ドナウ川沿いの重要な軍事基地を建設した。
軍事および民間のローマの集落は、現在のシュトラウビングの市中心部から約2キロ東、ドナウ川(ダヌビウス)の低地段にあるOsterfeldオスターフェルトにあり、 Allachbachアラッハ川がドナウ川に合流している地点です。
四つのカステル(城砦)には、最初は正規部隊が、後にはカナティナー千人長弓部隊、つまり現在のシリア周辺出身の約千人の弓兵の特殊部隊が駐屯した。
最大1500人の兵士が常駐していたことや、港の丁寧な設計から、この駐屯地の戦略的重要性がうかがえる。
ここに駐屯していた部隊の任務は、おそらくボヘミアへの便利な古い交易路が通るKinsachsenkeキンザクセンケ?(多分、キンザッハ川の流域、ニーダーバイエルンのシュトラウビング・ボーゲン郡にあるドナウ川の左支流)の監視であったと思われる。
参考写真:Straubingシュトラウビング・・・Luftbild俯瞰、ドナウ川が蛇行している左手あたりに港があったと思われる。 -
4つの城砦は三つの建設段階を持っていて、最初の二つの段階では木と土で作られたものだった。三つ目の段階では、より簡単な建物に代わって石の城が建てられたのだ。
木の城には、幅12m、深さ4.6mの簡単な堀を備えた。
石の城は二重の堀で囲まれ、内堀は深さ2mで幅10m、外堀は幅5m、深さ2.7mだった。
参考写真:Straubingシュトラウビング ・・・Luftbild俯瞰、写真左上に小港らしきものが見えるが、かつてのローマ軍団もこのあたりに港を設けていたかも。 -
リーメス(羅: Limes)は、ローマ帝国時代の防砦システムであり、ローマ領の境界線を示すものでもあった。リーメスは、ローマ帝国全土に張り巡らされていたが、世界遺産に登録されたドイツのリーメスが著名である。
リーメスはラテン語で境界を意味し、英語の「Limit」の語源でもある。リーメスは英語「rim」とも同源であり、部隊の出動拠点(駐屯地)を中心として防衛範囲(rim:輪)をもつ部隊配置をさす。
最も広義にはローマ帝国の国境全域を表し、「ハドリアヌスの長城」もリーメスの一つとなる。
なお、狭義ではドイツの長城跡(リーメス・ゲルマニクス)を指す。
リーメスの建設は、1世紀末頃から始まり、目的としては、ゲルマン民族の侵入からライン川・マイン川流域の肥沃な土地と通商路を守るためであった。
リーメスは、ローマ帝国の繁栄と衰退を象徴する文化的景観が評価され、2005年7月にイギリスのハドリアヌスの長城を含めた形で、物件名「ローマ帝国の国境線」として、ユネスコの世界遺産に登録された。
参考写真:*Rätischer_Donaulimesレーティッシュ・ドナウ リーメス
*レーティア・ドナウのリーメスは、レーティア(ラエティア)州の北の境界で、バイエルンにある。
ラエティア(ラテン語: Raetia、古い文献での綴りは Rhaetia)は、かつてのローマ帝国の属州で、その領域は、現在のスイス東部および中央部(ライン川上流やボーデン湖を含む)、ドイツのバイエルン州南部やドナウ川上流部、オーストリアのフォアアールベルク州、オーストリアとイタリアにまたがるティロル地方の大部分、およびイタリアのロンバルディア州の一部からなると云う。 -
ドナウ川に架かるSchlossシュロス橋を渡り、旧市街に入る。メインストリートのLudwigsplatzルートヴィヒ広場傍に東駐車ハウス(Euro 1)があり、直ぐに停めることができた。
参考写真:Straubingシュトラウビング の遠景・・・中央St.Jakob聖ヤコブ教会 、左に68mのStadtturm市塔、右にJesuitenkircheイエズス会教会 -
897年には町らしきもの(Alte Straubing)が登場し、1218年にはWittelsbachヴィッテルスバッハ家(バイエルンの君主であるバイエルン公(選帝侯)、バイエルン王の家系として有名)のLudwigルートヴィヒ伯により、新しい町(Neustadt)が建設される。
参考写真:Straubing_Goldener_Wegシュトラウビング黄金の道の銅板 -
Stetthaimerplatzシュテッツハイマ―広場の門の先には、町のシンボルである68mの市の塔が高々と見える。
写真:Straubingシュトラウビング ・・・町の門から5本の尖塔を持つ市塔を望む -
市塔の横にRathaus市庁舎がある。ゴシック様式の美しい切妻のある建物だ。
市庁舎はTheresienplatzテレジアン広場 2番地に1382年に建設された。
市庁舎の中に観光局があったので、観光案内書を手に入れ、ゴイボーデン博物館の道を教えてもらう。
参考写真:Straubingシュトラウビング・・・Rathaus市庁舎 -
また雨が降りだし、観光には残念だ。こうした時は博物館見学が一番だ。
写真:Straubingシュトラウビング の街角で、生憎の雨! -
この町の見どころは、ゴイボーデン博物館で、今日第一の目的です。
博物館の主な展示は、先史時代(新石器時代からケルト時代まで)、ローマ時代、初期バイエルン、中世、対宗教改革からバイエルン王国の終わりまで、さらに宗教美術と民間信仰に関するものである。
常設展示のほかに、この博物館ではさまざまな特別展が行われる。
シュトラウビングのローマ港やローマ時代のドナウ川の船運に関するものなど。
ローマが残した様々な宝物や武器が見られる。郷土博物館でもあるので、小学生が課外授業で来ていた。私どもは新石器とか青銅器時代の発掘されたものより、ローマの宝物に興味がある。
この博物館の始まりは1845年にさかのぼり、当時、市の武器庫で使えなくなった品々がいわゆる火薬塔に集められ、一般に公開されていたと云う。
1898年にシュトラウビングとその周辺の歴史協会が設立されると、このコレクションもさらに発展し、スペースが不足していたため、1908年以降コレクションはフラウンホーファー通り9番地に収められました。
ゴイボーデン博物館という現在の名前は、1938年の新装開館時に付けられた。
1976年にはさらにフラウンホーファー通り11番地の家も取得されました。
現在、ゴイボーデン博物館は合計で約2500平方メートルの展示スペースを有している。
参考写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館の建物 -
博物館の目玉はローマの宝物で、1868年のヒルデスハイムの銀の発見以降、ドイツで最も重要なローマ時代の宝の発見とされている。
1950年の発見場所は、1920年代後半から知られていたVilla rustica ヴィラ・ルスティカのすぐ近くにあった。
1950年に建設作業中に銅製の大鍋が発見され、そこにはいくつかのローマの儀式用甲冑(ローマ軍団の馬飾り)や印象的な青銅の顔面ヘルメットや金色に輝く、見事な古代ローマ人のマスク付きなど、その他の金属製品が入っていた。この宝物は、おそらく3世紀ごろに略奪してくるアラマン人から隠すために埋められたと考えられている。
(開館:火~日の10~16時 ;Euro 5) (10:30~12:00 )
写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・入り口に見られたローマ人のマスク -
イチオシ
博物館の一角にこれらの品が展示されていた。
アレキサンダー(アレキサンダー大王は大帝国を築いた:在位は紀元前336~323年)タイプと称するギリシャ人的なマスクや小彫像、
ローマ軍団の馬たちの馬飾り(脛当て、前頭(額)の防具)などが完全な形で展示されていた。
人面マスクはギリシャ人に似ていて、前頭(額)の防具には軍神マースやゼウスの双生児が彫られていた。
最初は皆な戦いの防具かと思い、馬用の防具もローマの兵士の胸当てかと思ったが、館の学芸員に聞いてみると、いずれも祭祀用のもので、兵士の胸当てではなく、馬用だと言う。
写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・ローマ人のマスク -
写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・様々な人面マスク
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イチオシ
写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・ローマ軍団の馬たちの馬飾り(脛当て、前頭(額)の防具)などが完全な形で展示されていた。
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写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・Rossstirn mit Signatur des Proclus Maternus aus Straubingシュトラウビング出身のプロクルス・マテルヌスの署名入りの赤い馬飾り
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写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・脛当て、前頭(額)の防具
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イチオシ
写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・人面マスクはギリシャ人に似ていて、前頭(額)の防具には軍神マースやゼウスの双生児が彫られていた。
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写真:Gäubodenmuseumゴイボーデン博物館・・・彫像
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参考写真:Straubingシュトラウビング の紋章・・・赤地に銀の*鍬(すき)、 その上に並んで二つのバイエルンの**菱形の小盾、下に金の***百合の紋章を配した。
*この鋤は、ゴイボーデン地方、バイエルンの穀倉地帯の大都市周辺で栄える農業の象徴である。伝説もこの鋤に結びついており、例えば、巨人の鋤でドナウ川に新しい河床が掘られたという話がある。
**二つの菱形の小盾は、おそらくシュトラウビングの創設者とされるボーゲン伯やその相続者であるヴィッテルスバッハ家を表している。
***ユリの花はマリアの象徴としてアウクスブルク司教区の守護聖人を示している。 -
参考写真:Straubingシュトラウビング・・・俯瞰
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町のシンボルである68mのStadtturm市の塔が高々と立ち、4つの小さな尖塔と中央にもう一つ大きめの尖塔があり、壁面の四面に時計がある。緑の屋根、真っ白の壁が独特で、通りを囲む赤レンガ屋根の家並の中で、美しく映える。
1316年、火の見櫓・監視塔の役割を持った8階建ての塔が建設され、この塔の上から、中世の街並みや、ドナウの流れ、ゴイボーデン(豊かな平原=肥沃な土地の意)、バイエルンの森が展望できる。
雨ではせっかくの眺望も台無しと思い、塔には上らなかったが・・・。
写真:Straubingシュトラウビング・・・広場から見る68m市の塔 -
参考写真:Straubingシュトラウビング ・・・中心の通り_panorama
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参考写真:Straubingシュトラウビング ・・・劇場広場から見る市の塔、三位一体の柱
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参考写真:Straubingシュトラウビング ・・・68m市の塔(拡大)
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参考写真:Straubingシュトラウビング・・・中心の通り
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参考写真:Straubingシュトラウビング ・・・68mと高々としたStadtturm市塔
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シュトラウビング公爵の城は、バイエルン・シュトラウビング公国の公爵たちのバイエルンでの居城でした。この城は公爵アルブレヒト1世が1356年に建設を始めた。
参考写真:Straubingシュトラウビング・・・ドナウ川沿いの岸辺に立つ公爵の城は現在、税務署など公的機関が使用している。 -
参考写真:Straubingシュトラウビングに残るAgnes_Bernauer-Tod処刑されるアグネス・ベルナウアー(ドナウ川に落とされる光景)・・・次編にて【Agnes-Bernauer-Affäreアグネス・ベルナウアーの事件】について、書く予定だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この町では雨に降られて、市内探訪が難しくなり、ゴイボーデン博物館でその分、時間をとって見物した。発掘されたローマ軍団のマスクなど初めて見るもので、小学生の子供たちに交じって、興味深い時間を過ごした。
(2026年9月12日Wiki/HP参考、訳、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (2)
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- 偏西風さん 2026/09/14 00:22:08
- アグネス・ベルナウアー!
- jijidarumaさん、今晩は、おじゃまします。
私は、ローマ時代に遡るというシュトラウビングの歴史はまったく知らなかったのですが、哀れなアグネス・ベルナウアーのことを何かで知って、ただただ彼女のためにこの町に行ったことがあります。
聖ペトロ教会の敷地に「アグネス・ベルナウアー礼拝堂」があると聞き、教会に行ってみました。
礼拝堂の入り口からのぞくと、向かい側の壁面に彼女の像が彫り込まれていました。来訪者が削り取っていったそうで、だいぶ傷ついていました。
哀れな彼女についての詳しいお話を楽しみにしています。
偏西風
- jijidarumaさん からの返信 2026/09/14 00:59:51
- Re: アグネス・ベルナウアー!
- 偏西風さん、
今晩は。
イヤー!恐れ入りました。
本文でも書きましたように、シュトラウビングの町は「ほとんど日本人観光客には無縁の地」と思っていました。
多分、シュトラウビングの町にとっても、ローマ軍団はもう古すぎるようで、Kastell城砦の復元もせず、軍団の行進(祭り)の様子がありません。
この町は悲運の女性に優しく、Agnes-Bernauer-Festspieleアグネス・ベルナウアー祭りを行って、思いを共にしているようですね。
それにしても、アグネスさんの事をお知りになって、町(礼拝堂まで)をお訪ねとはほんとに驚きました。
ドイツ好きでも、この挿話を知る方はまず、偏西風さんしかいないと思いますよ。
ともあれ、「アグネス・ベルナウアー礼拝堂」の関連資料、写真など、本日改めて、探り出ししました。さすがにドイツの方には身近な話なのでしょうね。
現在、投稿用に纏めておりますので、しばしお待ちください(笑)。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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