2026/05/09 - 2026/05/19
1412位(同エリア1473件中)
Noraさん
この旅行記スケジュールを元に
【ナポリ考古学博物館】
時が止まったかのような感覚に陥る場所です。この博物館を世界でも稀有な存在にしているのは、間違いなく目を見張るようなポンペイからの出土品でしょう。1階に展示された彫像や石棺の数量、質ともに充実しています。古代の装飾品やエジプト関連の展示コーナーもあり、いづれも非常に丁寧に構成管理されていると思いました。ただ、マイナス点を挙げると来館者への案内が不十分な点や、展示物のデジタル化が遅れていることなどでしょうか。
カバーの画像はナポリ考古学博物館の至宝のひとつである、「究極のフリースタイルの女神たち:左からフローラ、メデア、レダ、ディアナ」です。
MANNは非常に広くて想像してたより入り組んでおり、なかなかフローラに行きつけませんでした。ちょうどそこに通りかかった館員みたいな方がいらして、‘フローラを探しています。どこでしょうか?と聞いたら、すぐに私と一緒に歩いて彼女の展示場所につれてってくれました。そして何も言わずに小さいフローラの額縁を指さすんです。‘ああ、本当にどうもありがとう!と言ったら、彼は満面の笑みを浮かべてうなずいていましたっけ。感動的な出会いだったと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- ITAエアウェイズ ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ロイヤル・ジスモンダ(Hotel Royal Gismonda)
お部屋に荷物を置いて慌ただしくナポリ中央駅に向かいます。 -
ナポリ中央駅。タクシースタンドでタクシーを拾い考古学博物館に向かいます。
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タクシーでナポリ考古学博物館前に到着しました。所要時間,約20分。ぼられることもなくまずはスムースな第一歩です。
入り口でオンラインで購入していたカンパーニャアルテカードを有効化します。
【ナポリ国立考古学博物館(MANN)】の横顔。
正式名称はMuseo Archeologico Nazionale di Napoli。世界最高峰の考古学博物館の一つで以下の絢爛豪華な所蔵で知られています。
1.ファルネーゼ・コレクション: 名門貴族ファルネーゼ家がルネサンス期にローマなどで収集した古代美術品のコレクションです。この博物館には「ファルネーゼの牡牛」をはじめ、筋骨隆々とした「ファルネーゼのヘラクレス」や、天球を背負う「ファルネーゼのアトラス」など、教科書級の古代彫刻が並んでいます。
2.ポンペイの至宝: 火山噴火で埋没したポンペイやヘルクラネウムの遺跡から発掘された壁画、膨大なモザイク画(アレクサンダー大王のモザイクなど)、日常の道具などもここに保管・展示されています。
3.秘密の部屋(ガビネット・セグレート): かつて一般公開が制限されていた、ポンペイなどから出土した古代の性的なモチーフの美術品や彫刻を集めたユニークな展示室も有名です。(ここはスキップ。画像もありません。)
南イタリアの歴史やギリシャ・ローマ神話の芸術の極みを体感できる、ナポリ観光の最重要スポットと言われています。 -
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カンパーニャアルテカード2日間(?)有効です。
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入館してすぐに見える中庭。もともとこの建物は16世紀に騎兵隊宿舎(の馬小屋だった?)として建てられたものでした。で、18世紀にブルボン家のカルロ王が母のエリザベートから相続したファルネーゼ家の財宝を展示出来るように改装して博物館がスタートしました。
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【カラファの馬の頭(Testa di cavallo Carafa)】
ルネサンスの巨匠ドナテッロが1456年頃に制作した、高さ1.75メートルに及ぶ堂々たる馬の頭部のブロンズ彫刻です。
歴史と由来
*この彫刻は、アラゴン王アルフォンソ5世に捧げる巨大な騎馬像の一部として制作されたものと見られていますが、その騎馬像自体は未完に終わりました。
*未完の傑作:彫刻は首の部分で途切れており、口は開いた状態になっていますが、皮膚の血管やたてがみの一本一本に至るまで、驚くべき精巧さで表現されています。 -
【ファルネーゼの牡牛(別名:ティルケーの拷問)】
制作年: 西暦3世紀初頭(およそ212年~216年頃)年齢: 約1,810歳。
この博物館を代表する展示作品で、一つの大理石の巨大な塊から切り出された、高さ約3.7メートル、重さ約24トンに及ぶ圧倒的なスケールの彫刻群です。
神話のテーマ: ギリシャ神話に登場する「ティルケー(ディルケ)の拷問」の場面を描いています。テーバイ王の妻ティルケーは、ゼウスの子を身ごもった女性アンティオペー(未婚の母で一族の恥)を激しく虐待しました。その後、成長したアンティオペーの双子の息子(アムピーオーンとゼートス)が実母の復讐のため、ティルケーを暴れ牡牛の角に縛り付けて引き回すという、非常に緊迫した残酷な復讐の瞬間を表現しています。
歴史と起源: 紀元前2世紀のヘレニズム期のギリシャ彫刻を起源とし、現在残っているものは3世紀初頭(セウェルス朝時代)のローマ時代の精巧な模刻(コピー)とされています。
発見と修復: 1545年にローマのカラカラ浴場跡からバラバラの状態で発掘されました。発掘を命じたファルネーゼ家出身のローマ教皇パウルス3世の命により、巨匠ミケランジェロらが修復に関わったと伝えられています。ピラミッド型の構図と、どこから見てもダイナミックな躍動感が特徴です。 -
なぜテーバイ王の妻ティルケーは、ゼウスの子を身ごもった女性アンティオペーを激しく虐待したのでしょう?
当時(あるいは一部、今でも?)、結婚もしていない若い娘(姪)が未婚のまま妊娠することは、王家の名誉を著しく汚す「一族の大スキャンダル」でした。激怒した父親が彼女を殺そうとしたため、アンティオペーは別の国へ逃亡し、そこで子供(双子)を産み落とします。
その後、怒りが収まらない叔父のリュコス(ティルケーの夫)は、軍を率いてアンティオペーを連れ戻しました。リュコス王は、一族の恥をさらしたアンティオペーを罪人・奴隷として扱い、妻であるティルケーに「こいつを厳しく監視し、処罰しろ」と引き渡したのです。ティルケーにしてみれば、夫(王)から公式に「身内の恥さらしを痛めつけておけ」と命令された形になります。現代風に言えば、「家族経営の会社で夫(社長)から『会社のイメージを大暴落させた身内の不祥事メンバー』の厳しい業務指導係(HRマネージャー)に任命されたということですね。 -
王の許可(命令)を得たティルケーは、残虐性をエスカレートをさせていきます。アンティオペーを暗い監獄に閉じ込め、以下のような凄惨な虐待を行いました。(※完全な監禁罪であり、現代なら一発で警察が動くレベルの業務指導の名を借りた肉体的、精神的ハラスメントです)
*髪の毛を引っ張って引きずり回す
*衣服を剥ぎ取り、まともな食事を与えない
*日常的に激しい暴力を振るう
ティルケーがここまで執拗に虐待した心理としては、王妃としてのプライド(王家の血筋を汚された怒り)に加え、アンティオペーが「ゼウス(最高神)に愛されるほど美しい女性だった」ことへの女としての激しい嫉妬心もあったと言われています。
つまり、人事権を握った教育係のHRマネージャー(ティルケー)が、個人的な嫉妬とサディズムをフルスロットルで大爆発させ、公式の業務命令を隠れ蓑にして、限界まで相手をメンタル・肉体ともに追い詰めた究極のハラスメントが展開されていたわけです。現代なら間違いなく刑事訴訟レベルの職権乱用です。
だからこそ、後に長したアンティオペーの息子たちが、母親を苦しめ抜いたティルケーに対して「超弩級の報復=暴れ牛に縛り付ける」という、同じくらい残酷な方法で復讐を遂げたのです。この巨大な大理石の彫刻には、『絶対にブラック上司(ティルケー)を許さない』という息子たちの怨念と、文字通り1ミリの容赦もない因果応報のドラマがぎっちりと詰まっています。 -
【棍棒にもたれて休息するヘラクレス像】
製作年: 西暦3世紀初頭(およそ212年~216年頃)約1,810歳
こちらもこの博物館を代表する展示品です。ローマのカラカラ浴場跡から発掘されました。この方、筋肉隆々で休憩中のようですが、どんな大仕事の後なんでしょう。
この像は彼が12番目の最後の難業「ヘスペリデスの黄金のリンゴの強奪」をついに成し遂げ、休息している瞬間をとらえています。
黄金のリンゴとは: 世界の西の果てにある、神々の女王ヘラが持つ聖なる果樹園に実るリンゴです。食べれば不老不死になれると言われていました。
何がそんなに大変だったのか: 果樹園の場所は誰も知らず、おまけに100の頭を持つ決して眠らない竜(ラドン)がガッチリと守っていました。
どうやって手に入れたのか: ヘラクレスは世界を旅してようやく場所を突き止め、竜を退治(または天空を支える巨人アトラスを騙して代わりに取ってきてもらうなどして)し、見事にこの不可能なミッションをコンプリートしました。
*この彫刻の「見どころ」超人的な肉体美:
浮き出た血管、引き締まった広背筋、丸太のような太ももなどが、古代ギリシャの理想的な「男性美・強さ」を象徴しています。当時のローマの男たちは、この筋骨隆々のヘラクレス像を見上げながら筋トレや入浴をしていたそうです。今でも「ミスター・オリンピア」や「アーノルド・クラシック」出場を目指すボディビルダーの世界で!’目指せ、ヘラクレス!’的存在としてみられています。 -
*人間的な哀愁: 神のような強さを持つヘラクレスですが、表情を見ると、どこか人生に疲れ果てたような、物憂げで孤独な顔をしています。この「最強の男が見せる、ふとした弱さや人間味」が、見る人の心を惹きつけます。
(注)現代の感覚で見ると、「神様の浮気のせいで八つ当たりされ、精神を病まされて事件を起こしたのに、その被害者が超過酷な労働で禊(みそぎ)をさせられている」という、究極に理不尽なストーリーです。あの物憂げで寂しそうなヘラクレスの表情は、ただ肉体的に疲れているだけでなく、「自分のせいで死なせてしまった家族への哀悼や、神々の気まぐれに振り回された人生の虚しさ」が滲み出ているからこそ、美術的にも高く評価されているのではないでしょうか? -
後ろに回したヘラクレスの右手には彼が強奪した、食べると不老不死になる’ヘスペリデスの黄金のリンゴ’が握られています。ザクロに見えたのですがリンゴとのこと。
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階段両脇の川の神様、2尊。
古代ローマ時代(2世紀後半)に造られた非常に貴重な彫刻で、名門ファルネーゼ家のコレクション(Collezione Farnese)に由来しています。ローマのマルス広場にあった「イシス神殿(Iseo Campense)」の遺跡から出土したとされています。この考古学博物館の守護神的存在です。でも私はこの神様たちの空虚な表情が気になりました。で、彼らのこんな内なる声を聴いたのですが、錯覚だったのでしょうか?
【右の神様(オールを担ぐナイル川、またはオケアノス)】オール(舵)」を肩に担いでいるのは航海や川の流れをコントロールする象徴です。つぶやき:「毎日毎日、こんな重いオールを担がされて……。隣のやつはフルーツてんこ盛りのカゴ(コーニュコピア)を抱えて左肘で優雅に寄りかかってるのに、俺のこの肉体労働感は何なんだ? そろそろ現場職からデスクワーク(内勤)に移りたい……」的な少し虚空を見つめてお疲れ気味のように見えます。ちなみに、彼の右肘の下にはワニが潜んでいて、それもまた彼の激務っぷりを引き立てています。
【左の神様(コーニュコピアを持つテヴェレ川)】豊穣の象徴である「コーニュコピア(豊穣の角)」を掲げています。中には果物が溢れんばかりに詰まっています。
つぶやき:「周りからは『果物いっぱいでいいね、楽しそうな仕事だね」って言われるけどさ……これ、ずっと持ってると地味に腕がプルプルするんだよね。しかも隣の視線が痛いし。もうこのノルマ(豊穣)を達成し続けるプレッシャーに耐えられない、いっそバックパッカーにでもなりたい……」と、こちらもどこか哀愁を帯びた、自分の仕事に飽き飽きしたかのような浮かない顔をしています。 -
*噂によると、彼らはすでにNYのメトロポリタン美術館(The Met)のホワイトな内勤ポストにResume(履歴書)を送ったそうです。しかし、スポンサーを引き受けようとしたJ〇モルガン・チェースが「船便輸送」のFeasibility Study(実現可能性調査)を行ったところ、25トン×2の巨体は採算がまったく合わないことが発覚。「これに投資したら、我々(J〇モルガン)のほうがバックパッカーに転落する」という無慈悲な財務判断で計画は頓挫しました。結局、転職希望は諦めざるを得ず、メンタルだけが先に放浪してしまった2人の神様。ナポリ国立博物館(MANN)を訪れた際は、ぜひ彼らの「完全に燃え尽きた哀愁の表情」に心の中でエールを送ってあげてください。(この部分は私の創造の産物なので信じないでください)。
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【フェルディナンド1世の巨像。】大階段(中央階段)の踊り場。
古代ローマの「知恵の女神ミネルヴァ(アテナ)」の姿に扮した超ユニーク、かつ堂々たる出で立ちで来館者を迎えます。新古典主義の巨匠である彫刻家アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova)の手になるものです。
*ナポリ国立考古学博物館(旧称:ブルボン王立博物館)は、フェルディナンド1世によって正式に開館・設立されました。
*背景: もともとは彼の父であるカルロ3世が、母方から相続した広大な「ファルネーゼ・コレクション」や、当時発掘が始まったポンペイ・ヘルクラネウムの出土品を収蔵する場所を構想していました。
*設立: フェルディナンド1世(当時はナポリ王フェルディナンド4世)がその意志を継ぎ、1777年に現在の建物(かつての兵舎・大学)を博物館とする改装を着手させました。ナポレオン戦争による中断を経て、王位に返り咲いた後の1816年に「ブルボン王立博物館(Real Museo Borbonico)」として正式に開館させました。 -
台座の長い碑文:彼がどれほど偉大にポンペイやヘルクラネウムの遺物を守り、この博物館(ブルボン王立博物館)を設立したかが仰々しく書かれていますが、これも当時の「勝者のプロパガンダ」そのものです。
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以上のように、フェルディナンド1世は、ポンペイ出土の遺物を保存するためナポリ国立考古学博物館を設立した、 と殆どのサイトにありますが、実際にこれを行ったのは実質的に政治の実権をにぎっていたマリア・カロリーナ王妃でした。もともと彼はろくに教育を受けずに成長した粗野な人で(失礼!)、政治、経済にはうとく大食いが趣味で(エグい)、マリア・カロリーナ王妃は彼の調教師のごとく振舞い、‘かわいいおバカさん’と夫のことを呼んでいたそうです。ポンペイ出土の遺物も文化、学芸面において夫を凌ぐ彼女のリードですすめられた可能性が大と思われます。去年訪れたノルマン王宮のポンペイの間の美しい神話物語にも彼女のテイストがにくまなく反映されているように見えました。残念乍ら、当時は男尊女卑の思想が幅を利かせていた時代、また、晩年のマリア・カロリーナ王妃はアヘン中毒を患っていたこともあり、歴史に名を遺すことも像を作って偉行を称えらることもなくこの世を去りました。画像は2025年、ノルマン王宮、ポンペイの間を訪問時に撮ったマリア・カロリーナ王妃のポートレートです。
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この階段の上部天井:ローマのパンテオンのドーム天井を強く意識した(新古典主義の)デザインです。
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【踊るファウヌス(伊: Fauno danzante)】
*製作年:紀元前2世紀(ヘレニズム時代)
*ギリシャ美術のオリジナル(原品)ではなく、ローマ時代に作られた優れたコピー(複製)ー>「踊るファウヌス」の表現様式(躍動感や肉体表現)は、紀元前4世紀後半~紀元前3世紀(古典期後期からヘレニズム初期)にギリシャの巨匠たちが生み出した彫刻スタイル(リュシッポス派など)が元になっていると考えられています。ポンペイの像は、その高名なギリシャの傑作を模して、紀元前2世紀頃のローマ人(あるいはローマの工房)が作らせたものとされています。
火山灰に埋もれた古代都市ポンペイで、最大級かつ最も豪華な邸宅であった「ファウヌスの家(Casa del Fauno)」の中庭(アトリウム)にある浅いプール(インプルーヴィウム)の中央から、1830年に発見されました。あまりに美しいこの像が発見されたため、邸宅そのものが「ファウヌスの家」と呼ばれるようになりました。
「ファウヌスの家(牧神の家 / Casa del Fauno)」は、 ヘレニズム文化の融合紀元前2世紀(サムニウム人の時代)に建てられ、のちにローマ風に改築されました。ギリシャ美術の影響を強く受けた建築様式や、ナイル川の風景を描いたモザイクなど、当時の国際色豊かで高い教養を感じさせる装飾が特徴です。
西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火によって灰に埋もれましたが、その後の発掘によって、当時の貴族の圧倒的な富と洗練された暮らしぶりがそのままの形で現代に伝えられています。 これほどの規模と美術品を所有していたことから、ポンペイの行政長官や最高名門の貴族が住んでいたと考えられています。
*主な特徴と見どころポンペイ最大級のスケール敷地面積は約 3,000平方メートル(約40m × 110m)に及び、これはポンペイの一般的な民家とは一線を画すサイズです。家の中に2つのアトリウム(主庭・中庭)と、広大なふたつのペリスタイル(列柱回廊付きの庭園)を備えていました。
*この家の『アレクサンドロス大王のモザイク』奥の広間(エクセドラ)の床からは、世界最高峰と言われるアレクサンドロス大王とペルシャのダレイオス3世の戦いを描いた超大作のモザイク画(アレクサンドロス・モザイク)が出土しました。 -
*ファウヌスとは何者?
ローマ神話における森と牧畜の神(ギリシャ神話のサテュロスやパンに相当)です。よく見ると、人間の体に小さな尻尾が生えています。彼らは自然の精霊であり、酒の神バッカス(ディオニュソス)の従者として、音楽やダンス、お酒を愛する陽気な存在として描かれます。
*美術的な見どころ
紀元前2世紀頃(ヘレニズム期)のギリシャ彫刻のスタイルを色濃く残した、きわめて質の高いブロンズ(青銅)製です。
*躍動感あふれるポーズ:頭を後ろに反らせ、つま先立ちで軽やかにステップを踏む一瞬の動きが見事に捉えられています。重いブロンズ(青銅)で作られているにもかかわらず、指先まで神経が行き届いたしなやかなポーズや、今にも軽やかに跳躍しそうなステップの表現は驚異的です。
*見事な解剖学的表現:引き締まった腹筋や、背中・足の筋肉のリアリティは、大理石よりも自由な表現ができるブロンズならではの強みを活かしています。
*表情と髪:細かくカールした豊かな髭と髪、そしてどこか恍惚とした野生味のある表情が特徴的です。
(追記):この『踊る牧神』のポーズを見つめていると、現代のバレエ界のトップダンサーであるダニール・シムキンの姿が強烈にオーバーラップしてきます。彼の踊る『ラ・バヤデール』の「黄金の神像」のように、頭を後ろに反らせ、全身を幾何学的なラインへと変形させた瞬間を想像してください。彼は物理的な重力から完全に開放され、あたかも踊る牧神の再来であるかの如く空間を切り取り、動く彫刻となります。 -
ナポリ国立考古学博物館が誇る、世界で最も有名なモザイク画【アレクサンダー大王のモザイク(Il Mosaico di Alessandro)】です。
*製作年:紀元前100年頃(ヘレニズム期)。
*発見場所:ポンペイの「ファウヌスの家(Casa del Fauno)」の床面。
紀元前333年、世界を揺るがした世紀の大決戦「イッソスの戦い」が舞台になっています。
*失われたギリシャ絵画の写し:当時(紀元前4世紀後半)の天才画家、エリトリアのフィロクセノス、あるいは女性画家ヘレナが描いたとされる伝説的な壁画を、ローマ時代に精巧なモザイクとして模写したものと考えられています。古代ギリシャの本格的な絵画は現存していないため、当時の色彩や構図を知る極めて貴重な史料です。
*約150万枚(!)もの極小の天然石のタイル(テッセラ)を敷き詰めて作られています。
極限のリアリズム:この作品が「奇跡のモザイク」と呼ばれるのは、石のパズルでありながら、現代の絵画や映画のワンシーンのような超絶技法が使われているからです。馬のお尻と盾の反射: 画面中央下部には、怯えて倒れ込んだ馬のお尻が大胆にこちらを向いて描かれています(これだけで凄まじい遠近感です)。そして、そのすぐ隣で地面に倒れたペルシア兵が、自分の盾に映った自分の死に顔(恐怖の表情)を見つめているという、信じられないほどの細かい心理描写が施されています。 -
画面の左側から、ヘルメットも被らずに愛馬ブケファロスに跨り、怒涛の勢いで突撃してくるのがマケドニアのアレクサンダー大王です。彼の「目」に注目してください。大きく見開かれたその瞳は、狂気と天才紙一重の、凄まじい集中力に満ちています。彼の視線の先には、敵の総大将であるペルシア王ダレイオス3世しか映っていません。ディテール: 彼の胸当て(鎧)には、ギリシャ神話で「見た者を石に変える」という怪物メドゥーサの顔が描かれています。まさに敵を恐怖で竦ませる象徴です。
*崩れゆく帝国の王、ダレイオス3世の「絶望の表情」画面の右側、豪華な戦車の上から大王を迎え撃つ(というより圧倒されている)のが、大帝国ペルシアのダレイオス3世です。
アレクサンダーの「攻め」の表情とは対照的に、ダレイオスは恐怖と絶望、そして悲しみに顔を歪めています。ドラマの一瞬: 実はダレイオスの戦車の前では、彼の忠実な側近がアレクサンダーの槍に突き刺され、身代わりとなって命を落としています。ダレイオスは、自分を守るために死んでいく部下に哀れみの手を伸ばしながらも、御者に「車を回せ!退却だ!」と命じている、まさに「帝国の崩壊が始まった決定的な瞬間」が描かれているのです。
*悲劇の(ツイてない)ダレイオス3世(モザイク画の敗者):紀元前4世紀後半、アケメネス朝ペルシアの「最後の王」。実は彼は直系の王ではなく、王室のドロドロした暗殺劇によって血筋が途絶えかけた際、親戚筋から「君、真面目そうだから王様になってよ」と引っ張られてきた人物でした。つまり、クセルクセス1世がギリシャをいじめて大帝国をブイブイ言わせていた時代の「ツケ」が、150年後に巡り巡って、ギリシャ側の天才(アレクサンダー)による超強力なカウンターとして、おとなしいダレイオス3世の時代に炸裂したという構図になります。ダレイオス3世からすれば、「そんな昔の因縁を俺の代で返されても…」という、これまた理不尽な悲劇の主人公なのです。 -
最上階(2階)から下に降りて行きます。
【日時計の間 (Salone della Meridiana)】 の天井画
作者: ピエトロ・バルデッリーニ (Pietro Bardellino)
制作年代: 1781年頃
フェルディナンド1世とマリア・カロリーナ王妃の治世、および芸術と科学を保護する王家を称える壮大なフレスコ天井画。床を斜めに走る真鍮製の日時計の線とともに、博物館最大の空間を演出しています。
背景:
「日時計の間(サローネ・デッラ・メリディアーナ)」は、もともと「王立ブルボン図書館(Library)」のメインホールとして設計された場所です。当時の王家にとって、最高峰の知識を集めた図書館は宮殿と同等、あるいはそれ以上に「国の威信」をかけた豪華絢爛な空間にする必要がありました -
天井部分(高さ22m:):「中央の赤丸の中に、うっすらと2つの肖像(緑色のメダリオン)が見えます。これがナポリ国王フェルディナンド4世とマリア・カロリーナ王妃です。実は彼らの周りには、ラテン語で『芸術は、公開されなければ滅びてしまう(Iacent nisi pateant)』と書かれた巻物を天使たちが掲げているのですが、遥か天界へと突き抜けるようなロココ調の壮大さ(と、200年の時の経過による傷み)のせいで、下から肉眼で見上げるだけでは文字までは判読できません。
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この部屋の入り口や壁面を飾る美しいヴォールト(円弧状)天井の装飾。
*製作年:バロック期:16~17世紀初頭
*様式:グロテスク模様(Grottesche): 金箔、鮮やかな青や緑のフレームの中に、架空の生き物や植物、仮面などが細密に描かれています。これは、ローマのネロ皇帝の宮殿(ドムス・アウレア)などから着想を得てルネサンス・バロック期に大流行した「グロテスク模様」と呼ばれる絵画スタイルです。
*立体的な彫刻(スタッコ): 天井の付け根部分を見ると、美しい羽のある天使(あるいは勝利の女神ヴィトリア)の白い立体彫刻(スタッコ)が、金色のニッチ(窪み)と交互に並んで天井を支えるように配置されており、非常にドラマチックなバロックらしい空間演出がなされています。
*同じグロテスク模様でもウフィツイ美術館で見た天井部分のグロテスク模様とのこちらのそれは明らかに意匠の違いがあります。同じ「古代ローマの洞窟(グロッタ)から見つかった壁画を真似る」というルーツを持ちながら、フィレンツェの洗練された知的で軽やかな遊び心 と、ナポリの力強く豪華絢爛な劇場的演出の差が、天井の意匠にそのまま表れていて比較するととても面白いです。 -
床を斜めに走る真鍮製の日時計の線。右画像の小さい穴から光が入角します。
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この日時計の間(Salone della Meridiana)は博物館の最上階にある最もダイナミックな大広間です。エルコラーノのパピルス別荘(荘Villa of the Papyri)」の主客間から1752年に出土した大理石像のコレクションを展示しています。
1. 手前の像:作品名: 【アテナ・プロマコス(Athena Promachos / 先陣を切って戦うアテナ)】
*制作年: 紀元前1世紀末~紀元1世紀頃(またはそれ以降のローマコピー)
*アテナの証拠:頭に被っているのは高々とした羽飾りのついたアッティカ型の兜です。さらに、彼女が大きく広げている左腕のマントのようなもの(写真右側)をよく見ると、うろこ状の模様の真ん中にメドゥーサの顔(アイギスの盾・魔除け)が彫られているのが見えます。右腕は、本来はブロンズ製の槍を突き出すように掲げていました。
*美術史的価値: 紀元前5世紀の古いギリシャの彫刻スタイル(アルカイック期)を、ローマ時代にあえて真似して作った「擬アルカイック様式」の傑作とされています。
2. 奥の像:【ファルネーゼのアトラス(Atlante Farnese)】
*制作年: 西暦2世紀(およそ150年頃)
天球の価値: 彼が肩に担いでいる球体は、地球ではなく「天球(夜空の星座が描かれたドーム)」です。表面には41の星座や黄道十二星座(サイン)が精密な浮き彫りで表現されており、「現存する世界最古の天球儀(西欧最古の夜空の表現)」として、天文学の歴史にとっても国宝級というとんでもない超一級の歴史的価値を持っています。 -
【休むメルクリウス (Mercury Seated)】
*製作年:紀元前1世紀末~紀元後1世紀初頭頃(あるいは紀元後79年以前のローマ帝国初期)
*発見場所:エルコラーノ「パピルス別荘 (Villa dei Papiri)」
* 1758年に出土した非常に有名な古代のブロンズ像。その卓越した写実性と優美なプロポーションは、18世紀以降のヨーロッパの知識人たちに決定的な衝撃を与え、数多くのレプリカがつくられました。
*ギリシアの「オリジナル」の存在: この作品は、紀元前4世紀後半(ヘレニズム期) に古代ギリシアの伝説的な天才彫刻家リュシッポス(Lysippos) (または彼の流派)が制作した高名なギリシア・ブロンズ像を、ローマ時代に極めて忠実に模刻(コピー)したもの とされています。 -
【フローラ(または『春』(Flora / Primavera)】
*制作年: 紀元1世紀(西暦79年以前)
ポンペイのすぐ近くにある古代の高級リゾート地スタビアエ(Stabiae)の「アリアンナ邸(Villa Arianna)」の小部屋(クビクルム)から発掘された、歴史的な傑作フレスコ画です。ルネサンスの巨匠ボッティチェリが名画『春(プリマヴェーラ)』を描く際にインスピレーションを受けた(あるいは時空を超えて気を失うほど共鳴した)と言われる、究極の優美さがここにあります。
この背景の独特な色、ペパーミントグリーンは当時のもっとも高価な顔料、エジプシャン・ブルー(1000度以上の窯で焼くハイテク技術が駆使されていました)と黄色の顔料をミックスして作られています。
鮮やかなペパーミントグリーンの背景、そして2000年の時を経てもなお、風にふわっと揺れているかのような黄色いドレス(キトン)の裾のなめらかなグラデーション……。実物のディテールをみていると2000年前に描かれたとはとても思えない、この絵の持つ「静かな、しかし圧倒的な前衛性」がダイレクトに伝わってきます。 -
古代ローマの滅亡とともに、エジプシャン・ブルーの化学的な「レシピ(1000度以上の窯で焼くハイテク技術)」は、歴史の経過とともに完全に失われてしまっていました(Lost recipe)。
ナポリに本拠地を置き、ポンペイの発掘を自ら指揮・所有していたブルボン王家にとって、古代ローマの美は「自分たちの財産と権力の象徴」そのものでした。
*絵師ジュゼッペ・パタニアの挑戦: 1830年代、王家からノルマン宮殿のポンペイの間(部屋)の装飾を任された地元パレルモの天才画家ジュゼッペ・パタニアは、ポンペイの遺跡から出土した本物のフレスコ画、フローラたちの色彩を徹底的に研究しました。19世紀のパレルモの絵師たちは、完璧な「ポンペイの青」を再現するために、ラピスラズリや最先端の合成顔料を駆使して、必死にあの古代の神秘的なエジプシャン・ブルーのニュアンスを模索したのです。そして、多くの試行錯誤を経て、あの神秘的に発光するエジプシャン・ブルーの色を再現しノルマン王宮のポンペイの間の壁面に鮮やかに蘇らせました。 -
【左=メデア(Medea)】静かに佇み、物憂げな表情で一本の杖(王笏)のようなものを持っているのは、ギリシャ神話の悲劇のヒロイン『メデア(Medea)』です。彼女は「影と死」のドラマを背負っています。愛した夫に裏切られ、復讐のために我が子を手にかけようと苦悩する直前の、嵐の前の静けさのような張り詰めた美しさが、青い背景の中に凛と描き出されています。
【中=スパルタの王妃『レダ(Leda)】
大きな翼を広げた美しい白鳥を腕に抱いているのが、レダです。 彼女が抱いているのはただの鳥ではなく、彼女の美しさに目を奪われて白鳥に姿を変えてアプローチしてきた、あの最高神ゼウスです。グリーンの背景の中で、白鳥の首を優しく愛おしむように抱く彼女の姿は、エロティシズムと高貴な気品が完璧なバランスで同居しています。
【右端】ディアナ(アルテミス)一番右側で、凛々しく弓を構えているのが、狩猟と月の女神『ディアナ(Diana / Artemis)』です。彼女は短いチュニックをまとい、黄金の弓を引き絞ってまさに獲物を狙おうとしています。静的な他の女神たちと比べて、フローラとはまた異なる「活動的でシャープな躍動感」が、深いブルーの背景に鮮烈に映えています。 -
この4枚のフレスコ画が発見された部屋は、お屋敷の主人がお昼寝をしたり読書をしたりするプライベートな小さな寝室兼書斎(クビクルム)でした。
家主は部屋の4面の壁のちょうど中央に、この4人の女神の絵を1枚ずつ配していました。部屋に足を踏み入れると、「春を連れて歩くフローラ」、「ドラマチックに苦悩するメデア」、「神の愛を受けるレダ」、「俊敏に駆けるディアナ」という、女性の持つ美しさ、強さ、儚さ、情熱のすべての側面(キャラクター)に360度囲まれる仕掛けになっていたのです。
当時のポンペイ・スタビアエの貴族たちの、インテリアに対する並々ならぬこだわりには本当に脱帽してしまいますよね。 -
このフレスコ画は、ポンペイ屈指の超豪邸『秘儀荘(Villa of the Mysteries)』の「タブリーヌム(応接間・書斎)」から剥離された第3様式の教科書に載るレベルの超一級品です。
*製作年代: 紀元前15年~紀元後45年頃(ポンペイ第3様式)
(「遠目にはシンプル、近づくと超精密なミニチュア」というスタイルは、美術史でポンペイ第3様式(オルナメンタル・スタイル)と呼ばれるものです。)
ただの背景のカラーブロックに見える大きな青や茶色の壁の上に、まるで「ミニチュアの絵画ギャラリー」のように、細密なエジプト風の風景や、神話の裁判の場面が『線画(白い輪郭線)』でチマチマと描かれているのです。
1.上部の黒い帯(フリーズ):
よーく見ると、人々が椅子に座って対話していたり、何かの儀式を行ったりしている演劇的なシーンが、まるでアニメーションのコマのように繊細に描かれています。これはギリシャの有名な物語や裁判の風景と言われています。
2.極細の「建築だまし絵」:
青と茶色の壁を区切っている中央の細い柱を見てください。「細すぎて、現実には絶対に屋根を支えられないファンタジーな細い柱(燭台のようなデザイン)」になっています。これが、上品さを追求した結果なのだそうです。 -
3.贅沢の極み:部屋の中に「美術展」を作る
当時のローマやポンペイの超富豪たちは、自分の部屋の壁をただ塗るだけでなく、「壁そのものを、巨大な美術コレクションの額縁(ギャラリー)にしてしまおう」と考えました。
大きな色鮮やかな壁(青や茶色)の中に、目を凝らさないと見えないほどの超絶ミニチュア絵画を散りばめることで、招待したゲストに「ほら、近くに寄ってこの細部を見てごらん。素晴らしいギリシャの物語が描かれているだろう?」と自慢するための、これまた知的で贅沢なギミックだったのです。
でもこんなチマチマ、コソコソした描き方、老眼鏡愛用者にはちょっとばかし厳しい描き方ですよね。(当時そんな眼鏡あったかどうか不明)招待されてこの絵を見せられてた客だって、暗いランプの光の中で「何か描いてあるっぽいけど、何か分かんない。もっと近くに寄らないと見えないじゃん!」なんて目を細めて接近しすぎた結果、頭ゴチンとなってたに違いありません。
(注)当時のローマ人は、他国の宗教を信仰するというより、完全に「最先端のインテリア・デザインのパーツ」としてハックしていました。エジプトがローマの属州になると、それまでのギリシャ風に代わって「エジプト風(アエギュプティアカ)」が大流行し、ピラミッドやイシス神話のモチーフがこぞって壁画に採用されました。この『秘儀荘』の壁画も、まさにそのトレンドのド真ん中です。神聖な神々のはずなのに、「ファッション感覚」でリビングに描いてしまうあたり、現代の私たちが「なんかオシャレだから」と、意味も分からずフランス語や英語のロゴが入ったTシャツを着たり、異国の雑貨を部屋に飾ったりする感覚と完全に一致します。 -
ミニチュア・フレスコ画のコレクション(静物画と海の神話のフリーズ)作品名: 【アモリーニ(キューピッド)とネレイス(海の妖精)のフリーズ、および小壁画群】
発見場所: ポンペイ、エルコラーノなどの複数の邸宅解説: 黒い背景の細長いパネル(一番下)には、海の怪物(シーモンスター)やトリトンに乗って優雅に海を渡る「海の妖精ネレイス(Nereids)」や、戯れるアモリーニたちが細密に描かれています。ローマの富豪たちは、大きな壁画の帯(フリーズ)や、部屋のワンポイントの装飾(マキエッティ)として、こうしたミニチュア絵画を額縁のように壁に描かせて楽しんでいました。 -
【聖域のなかのキュベレー」(Cybele in her rural sanctuary / Cybele on her throne】
この絵に描かれているのは、「大地の豊穣の女神キュベレーの聖なる森(聖域)」です。
*年代: 紀元前15年~紀元後60年頃
*出土地: ポンペイの「中庭のある家 / 列柱の家(Casa del Peristilio)」の第8寝室(クビクルム)
画面の左手前で、頭の上に四角いカゴのようなものを乗せて、左手にタンバリン(ティンパヌム)のようなものを持っている、少し赤ら顔の裸の変なおじさん。この人の正体は、ギリシャ神話に登場する「セイレーノス(シレノス)」という、お酒の神様バッカスの養育係であり、大酒飲みの森の神様(半人半獣)です。
頭に乗せているのは、果物ではなく、神への捧げ物(あるいは儀式用の道具)が入った円筒形のカゴです。このおじさんは物語の登場人物として生身でそこに立っています(多分ここまで千鳥足でやってきた)。
*中央の女性の像:柱の上に立っている白い女性は、生身の人間ではなく、女神キュベレーの神像です。
*右側の座っている人物:ベールを被って豪華な椅子に座っているのは、この聖域に仕える高貴な巫女(または神官)です。
*森の神セイレーノス(左のおじさん)が、女神キュベレーへの敬意を表すために、お供えのカゴを頭に担ぎ、楽器を鳴らしながら聖域を訪れた様子を描いています。背景には聖なる森の木々が描かれています。
このフレスコ画は「小アジアの神秘的な大地母神の聖域の空気感」を、ポンペイの人々が自宅の壁に再現して楽しんでいたという究極の証拠になります。 -
赤と黒の衝立型の展示
*製作年:紀元前20年~紀元前10年頃(あるいは紀元前1世紀末のオクタウィアヌス/アウグストゥス帝期)。
*発見場所:ポンペイ近郊のボスコトレカーゼ(Boscotrecase)から出土した高名な帝国別荘の壁画コレクションの部屋(LXX号室周辺)です。
この別荘は、初代ローマ皇帝アウグストゥスの腹心であったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパが建て、彼の死後に生まれた息子アグリッパ・ポストゥムスに受け継がれました。皇帝一族に関わる最上級の絵師が手がけたため、保存状態も非常に良いまま残っています。
古代ローマの住居(ドムス)は、防犯や構造上の理由から外壁に窓がほとんどなく、中央の中庭(アトリウムやペリスタイル)から採光する閉鎖的な造りでした。そのため、暗く狭い部屋に「視覚的な開放感」をもたらす必要性がありました。ので、壁一面に広がる瑞々しい庭園や青空を描いたり、またはこのようにあたかも窓から庭園を眺めているような「壁の向こうに本物の庭が広がっているかのような錯覚」を与えるスタイルを取り入れたのです。これが後のトロンプ・ルイユ(だまし絵)のルーツになりました。 -
【この見事な建築だまし絵(トロンプ・ルイユ)が完成するまでには、まさに高度な職人たちの分業と道具の連携がありました。】
1. 小さなパピルスや蝋板への「ラフスケッチ」
まず、チーフ画家(ピクトル・イマジナリウス)が、手元で構図の素案や正確な透視図法の設計図を描きます。
2. 壁面のグリッド割り(小型グロマ・ノルマの出番)
まだ漆喰が乾いていない、あるいは地塗り段階の広い壁(鮮やかなポンペイアンレッド)に対して、手持ちのミニ・グロマや直角定規(ノルマ)、そして下げ振り糸を使い、完璧な垂直・水平の「枠線」を割り振ります。
3. 「スナップ・ライン」とグリッドによる拡大
小さな下絵の比率をそのまま大きな壁面に拡大するため、壁に細かな「グリッド(方眼)」を引きます。ここで、先ほどお話しした炭や赤土をまぶした糸をパチンと弾く「スナップ・ライン(チョークライン)」が大活躍します。
実際に、このボスコトレカーゼの壁画や他のポンペイの精密な壁画を斜めから特殊な光(斜光)で照らすと、職人が比率を間違えないように漆喰の表面にヘラや糸で刻み込んだ、「細い直線のガイドラインの溝(インシジョン)」が今でもくっきりと残っているのが確認できます。
4. ジョルナータ(一日分の仕事)ごとの漆喰塗りと仕上げ
フレスコ画は漆喰が「濡れている間」に描かなければならないため、その日に描くグリッドのエリアだけに新しく上塗りの漆喰(イントーナコ)を薄く塗り、ガイドの溝をなぞりながら一気に拡大彩色を施していきます。 -
古代ローマにおける建設業界のシステム(ジェネラルコントラクター、モザイク職人の育成、徒弟制度)」について。
現代のゼネコンに非常に近い総合建築業者や、専門的な職人集団、そして「徹底した徒弟制度」が完璧に出来上がっていました。
当時の建設現場がどのように回っていたのか、そのプロフェッショナルな世界を紐解いてみましょう。
1. 現代の「ゼネコン(ジェネラルコントラクター)に相当する統括役:
ローマ時代には「レデンプトル(Redemptor)」と呼ばれる、現代のゼネコンや民間建築請負業者にそっくりなビジネスマン(または企業)がいました。
*プロの請負システム: 施主(国家や、ポッパエァのような大富豪)が「こんな別荘を建てたい」と発注すると、建築家(アーキテクトゥス)が設計図を引き、この「レデンプトル」が予算の管理、資材(レンガや大理石、漆喰、そして高価な顔料)の調達、そして各種職人たちの手配までをトータルで請け負いました。
*分業制の指揮: 彼らは、土木作業員から、レンガ積み職人、漆喰職人、そして仕上げの画家やモザイク職人に至るまで、多種多様なプロフェッショナルを現場でオーガナイズする、まさにジェネラルコントラクターそのものの役割を果たしていたのです。
2. モザイク職人や壁画職人の「チーム編成」
床を飾るモザイク職人(ムシウァリウス)や壁画職人(ピクトル)は、基本的には独立した、あるいはレデンプトルの下に集まる「専門職人ギルド(工房チーム)」として動いていました。
彼らの中にも厳格な階級(ランク)があり、完全に分業化されていました。
*マイスター(親方): 全体の構図(まさに画像#1のような縮図)を決定し、最も重要なパート(神話の人物の顔や複雑な装飾)を自ら描きます。
*中堅職人: 柱や背景の広い面(エジプシャンブルーや黄土色を塗る作業)を担当します。
*アシスタント: 漆喰を練ったり、顔料をすり潰して調合したりする下準備をこなします。
3. 学校はあったのか?それとも「徒弟制度」か?
現代のような「建築学校」や「美術アカデミー」のような公的な学校はありませんでした。技術の継承は、100%「現場叩き上げの徒引き制度(ワークショップ方式)」です。
*背中を見て育つ: 少年たちは幼くして工房(オフシーナ)に弟子入りし、最初は顔料をひたすらすり潰す、漆喰の水分量を調整する、といった地味な雑用から始めました。
*技術のコピー(模倣): 親方や先輩が壁に引く「下げ振り糸」の扱い方や、チョーク糸をパチンと弾く技術を間近で見ながら、体で覚えていきました。
&パターンブック(手本帖): 各工房には、代々伝わる「ギリシャ神話の構図」や「人気の建築デザイン」をまとめたパターンブック(スケッチ集)があり、弟子たちはそれを何度も模写して、工房固有のスタイルを身につけていきました。 -
補足説明:このアグリッパ・ポストゥムスの別荘の元々の所有者、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパとは?
初代ローマ皇帝アウグストゥスの右腕(腹心)であり、天才的な軍人でした。眉間にしわを寄せた、意思の強そうな厳しい表情をしています。彼は数々の戦争(アクティウムの海戦など)を勝ち抜き、ローマ帝国誕生の最大の功労者となりました。
*石膏像のモデルは、父親のマルクス・ウィプサニウス・アグリッパ(紀元前63年~紀元前12年)の方です。(息子のアグリッパ・ポストゥムス(紀元前12年~紀元後14年)ではありません。)
*日本の美大生のデッサンでよく使われるこの石膏像は、ルーヴル美術館(パリ)に所蔵されている大理石の胸像(ガッビアの別荘出土)を型取りしたものです。
イメージ:Wikipediaより -
「カリュドーンの猪狩りの後のメレアグロスとアタランテー」(Meleager and Atalanta resting after hunting the Calydonian boar)
(MANN:Inv. 8980)
*製作年代: 紀元後40~50年頃(ポンペイ第4様式)
*出土地: ポンペイ(「ケンタウロスの家 / House of the Centaur」のタブリヌム[主客間]から発掘)
メレアグロスの足元に横たわっているのは怪力乱神の暴れん坊「カリュドーンの魔猪(いのしし)」です。この場面は、「みんなで命がけのイノシシ狩りを終えて、一息つきながら、この仕留めた獲物をどう分けるか(どう調理するか・誰の手柄にするか、イノシシ鍋一択か)を話し合っているところなんです。 -
ここで理解しなければいけないのは古代の狩猟社会やギリシャ神話の世界においては、イノシシの首や毛皮は単なる食材ではなく、「国家を脅かす大怪獣を討伐した勇者の証」という、オリンピックの金メダル以上の超最高級ステータスだったということです。で、いいとこを見せたいメレアグロスはハートマークをチラチラさせながらアタランテーに世界で一番価値のあるプレゼント(=イノシシの首)贈っちゃう。おれ、カッコいいところを見せたい一心!のモードで実行に移します。それを横で見ていた彼の叔父たち、「いや、俺たちの若い甥っ子が、ぽっと出の女(アタランテー)にそんな最高レアアイテムを貢ぐなんてゼッタイ許せん!」と激怒したわけです。ま、早い話が一種の「高級貢ぎ物を巡る、身内の泥沼スキャンダル」のようでもあります。で、このオチなんですが、叔父たちがアタランテーから無理やりイノシシの首を奪い取ったため、怒ったメレアグロスは絵の中に見える槍で彼等をその場で串刺しにして殺してしまいます。我が子(メレアグロス)が自分の兄弟を殺したことを知った母親は髪をかきむしって絶望します。そして、彼女は’あんな子、私の子じゃないっ!!’とメレアグロスの命と繋がっていた「魔法の薪」を暖炉にくべて燃やしてしまい、結局、メレアグロスもまた命を落とすという、ギリシャ神話でも屈指の切ない悲劇へと突入するエンディングなのです。
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遠近法を使っただまし絵
*制作年代: 紀元前50~40年頃
*発見場所: ボスコレアーレのヴィラ(Villa of P. Fanius Synistor)
* 空間に騙し絵(Illusion)のような奥行きを持たせる、ローマ壁画「第2様式」の最高峰。ニューヨークのメトロポリタン美術館にも一部が分割されて所蔵されています。 -
【円盤(クリペウス)に描かれた勝利の女神(ヴィクトリア)】または「翼のあるヴィクトリア?」
*制作年代:紀元後1世紀頃
*発見場所: ポンペイ近郊のスタビア(Stabiae)の遺跡
*これは「クリペウス(Clipeus)」と呼ばれる、盾のような円形の枠の中に描かれた壁画です。宙に浮かぶ勝利の女神ヴィクトリアが、勝利の象徴である「棕櫚(しゅろ)の枝」や「冠」を手に持っています。この鮮やかな「ポンペイ・レッド」の背景に浮かび上がる女神の姿は、古代ローマの優雅さの極みです。 -
いわゆる【サッフォーの肖像(Sappho)】
*制作年代: 紀元1世紀中頃(50~79年頃)
*発見場所: ポンペイ(インスラ・オケシデンタリス)
*ペンを口元に当てて思考する姿から古代ギリシャの詩人サッフォーと呼ばれますが、実際はポンペイの教養ある富裕層の若い女性の肖像です。 -
【テレンティウス・ネオとその妻の肖像】
*制作年代: 紀元1世紀(79年以前)
*発見場所: ポンペイ(テレンティウス・ネオの家、またはパン屋の家)
*夫がパピルスの巻物、妻が蝋板(ノート)を持つ、古代ローマの「インテリ夫婦っぽい」有名なリアル肖像画です。
夫の心の声:「よっしゃ、この巻物(パピルス)を持っとけば、インテリのインフルエンサーっぽく見えるだろ? 実はこれ、今月の小麦粉の仕入れ領収書なんだけどな!えっ?首にバスタオル巻いてるって?違うってば。 これ、トガ(正装)っていうんだ。向かいの貸衣裳屋で借りてきたから、ちょっと首元が苦しいんだけど……。カメラ目線、これで合ってる?」ちょっとカメラを意識しすぎて、目が泳いで固まっている感じが絶妙に愛おしい男です。
妻:裏のボス、ガチの「キャリアウーマン」
この奥さんの目は完全に「現金を数えている目」であり、「会社の財布を握っている敏腕CFO(最高財務責任者)」の貫禄です。旦那を座布団がわりに完全にお尻に敷き、実務をゴリゴリに回しているのは間違いなく彼女です。
以下、火山灰の中から発見された当時のポンペイガーディアン誌(?)より抜粋:
彼らは高貴な貴族や学者のように報道されれいるがそれは全く事実と異なる。事実はポンペイのストリートでめちゃくちゃ商売が成功した「ガチのパン屋の経営者夫婦」である。(当時のポンペイは商業都市。実力次第でいくらでも成り上がれるエンタメ感満載の街でした。)彼らはパンの製造・販売で大儲けし、「俺たちも一丁、いけてる有名職人にポートレート(肖像画)でも描かせて、玄関に飾ってマウントとるか!」と、この絵を発注した。今の感覚で言うなら、「SNSのアイコン用に、プロのカメラマンを雇って『できる経営者(インテリ風)』のキメ写真を撮らせた」というのが真実である。 -
【空飛ぶカップル(ディオニュソスとアリアドネ)】
*制作年代: 紀元1世紀(西暦10年~37年頃、ティベリウス帝の時代)
*発見場所: スタビア(ヴィラ・アリアンナ/アリアドネの別荘)の「アトリウム(正門広間)」 -
【飛翔する少年(青年)たち】
*制作年代:紀元後1世紀
空飛ぶカップル(ディオニュソスとアリアドネ)と同じ「ヴィラ・アリアンナ」の第13室の壁画です。上のパネル(inv. 8911)が勝利のパームの枝と冠を持つ青年、下のパネル(inv. 9663)が容器(杯)を持つ青年です。 -
【ヘラクラレスとオンファレの胸像 (Busti di Eracle e Onfale)】
ギリシャ神話の大英雄ヘラクレス( Eracle )と、彼が奴隷として仕えたリュディアの女王オンファレ( Onfale )の胸像が並んで描かれた壁画です。
*制作年代:西暦45~79年頃(第4様式)。ヘラクレスは髭を蓄え、トレードマークの「棍棒」を持っていますが、よく見るとオンファレはヘラクレスから奪った「ライオンの毛皮(レオンテー)」を頭に被っています。神話の「立場逆転ラブストーリー」をコミカルかつエレガントに描いた、非常に人気の高い作品です -
【植物の冠を戴き、棍棒を持つへラクレスの胸像(Busto di Eracle / Crowned Herakles bearing the club inside a vegetal wreath)】
出土地: ヘルクラネウム(イタリア語名:エルコラーノ)
*製作年代: 紀元後45~79年頃(ポンペイ第4様式の時代。西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火によって埋没する直前の時期にあたります)。
*主題: ギリシャ神話の大英雄ヘラクレスの若き日の姿です。肩に彼のトレードマークであるゴツゴツした木製の「棍棒(clava)」を担いでいます。
*メダリオン(クリペウス)型: 円形(トンド)の構図をとっており、人物の周りを美しい植物(キヅタの葉やリボン)の織り成すリース(冠)がぐるりと囲んでいます。これは当時の邸宅の壁画において、中央の大きな絵の周囲や上部を飾る装飾としてよく用いられたスタイルです。
*エジプシャン・ブルー: 背景にあしらわれている非常に鮮やかで深い青色は、古代に人工的に調合されていた貴重な顔料「エジプシャン・ブルー」です。 -
こちらの美しい赤い壁画(フレスコ画)は、ポンペイの「イシス神殿(Tempio di Iside)」の回廊(ポルチコ)を飾っていた装飾壁画です。
*製作年代:紀元後62~79年
主な特徴と見どころポンペイの「第4様式」壁画:鮮やかな「ポンペイ・レッド(ポンペイの赤)」を背景に、細い柱や複雑な建物の骨組みをだまし絵(トロンプ・ルイユ)のように描く、古代ローマの「第4様式」と呼ばれる建築装飾スタイルです。中央に描かれたミニアチュール(小画):赤い壁の中央部分に、細長い横型の小さな絵画が組み込まれています。ここには、エジプトのナイル川の風景(ワニやピグミー、イビスなど)や、港・海戦(ナウマキア)の様子が緻密に描かれており、エジプト起源の女神イシスを祀る神殿ならではの国際色豊かなテーマとなっています。最上部の装飾:黒い帯状のフリーズ部分には、植物の蔓(つる)模様や、演劇で使われるような女性の演劇用マスク(仮面)が描かれており、非常にエレガントな仕上がりです。イシス神殿は、ポンペイがヴェスヴィオ火山の噴火に見舞われる直前(西暦62年の大地震の後)にいち早く再建されたため、このように保存状態が大変よく、瑞々しい色彩を保ったまま発掘されました。 -
右の画像:「シノーピア(Sinopia)」、または「アンダーペインティング(Underpainting)」アトリウムの粗壁に、建築の縮小図を「試し描き」してデザインを練った実際の建築構造のスケッチです。
左の画像:プレートから読み解く解説:Inv.155730
イタリア語と英語で書かれた解説によると、以下のような事実が記されています。
*タイトル: 建築構造のスケッチ(Sketch of architectural structures)
*出土地点: オプロンティス(Oplontis)
*解説内容:
「アトリウムの粗い漆喰(しっくい)壁の上に、縮尺(in scala ridotta / on a reduced scale)で描かれた建築構造のスケッチである。これは後に、トリクリニウム(食堂)14の北壁にも実際に描かれ、実行された(表現された)。」
*年代: 西暦55~79年 -
イタリア語の「シノーピア(Sinopia)」、または「アンダーペインティング(Underpainting)」とは:
壁にフレスコ画(壁画)を描く前段階で、漆喰の上に建築物の構図や遠近法を正確に表現するために描かれた「下地グリッドとスケッチ」です。
通常、フレスコ画が完成するとこの下絵は完全に色の層に覆われて見えなくなってしまいますが、表面の絵の具の層が剥がれた、あるいは未完成であったなどの理由により、このように当時の画家たちが壁面をどう分割し、幾何学的な計算を行っていたかを示すグリッド線が奇跡的に残りました。
「縮図(スケッチ)」としての役割
これは現場の大きな壁画全体のレイアウトを決定づけるための設計図(部分的な縮図・試し描き)にあたります。
拡大してうっすら見える直線の交差や建築物の輪郭は、職人がいきなり感覚で描いたのではなく、あらかじめ数学的・幾何学的な比率を用いて画面を緻密に構成していたことを証明しています。 左の画像の博物館の解説が、それが「トリクリニウム14の北壁」のための設計図であったと証明しています。 -
これがプレートInv.155730の解説に出てきた「トリクリニウム(食堂)14の北壁」そのもの、あるいはその一画です。
詳しくはカルミアーノのヴィラ・トリクリニウム(横臥食堂)の復元。
展示作品名: 『カルミアーノのヴィラ (Villa di Carmiano) のトリクリニウム』とあります。
*製作年代:紀元後50年~79年頃
*発見場所: ポンペイ近郊のスタビア(カルミアーノ遺跡)解説: 鮮やかなエジプシャン・ブルーの壁画で囲まれた、古代ローマの「食堂(トリクリニウム)」を完全に再現した超目玉の展示室です。手前にある赤いクッションの木製ベッド(レクティス)に、当時の貴族たちは横たわりながら贅沢な宴会を開いていました。目の前の青い壁には、お酒の神ディオニュソス(バッカス)の神話が描かれており、当時の最高級のディナー空間が視覚化されています。 -
「創造のプロセス」が裏付けとともに揃って残っているケースは極めて稀です。
では、それをここでまとめてみます。
1. 粗削りなスケッチから「洗練された大作」への昇華
画像#1(Inv.155730)で見られたのは、まだ絵の具も塗られていないグレーの粗い漆喰に描かれた、ある意味「職人のメモ書き」のような細い建築スケッチでした。
それが、このトリクリニウム14の部屋に舞台を移すことで、まばゆいばかりの鮮やかな青(エジプシャンブルー)と深い赤(ポンペイ・レッド)、そして精緻な金の植物文様をまとった、極めて格式高い建築装飾壁画へと見事に結実しています。アトリウムの壁で「縮尺スケッチ」を繰り返し、構図の黄金比を完全に計算し尽くしていたからこそ、これほどブレのない、美しく直線の通った大画面を本番の一発勝負(フレスコ技法)で描き切ることができたのです。
2. 「だまし絵(建築装飾)」のガイドラインとしての痕跡
中央の赤い柱や、青い壁面を囲む細い白い額縁線(フレーム)をよく見てみてください。非常に直線的で、歪みがありません。
先ほどのプレート(Inv.9168)の解説にもあったように、こうした洗練された直線を引くために、職人たちは定規や糸を使って、湿った漆喰の表面に鋭いガイド線をヘラや針で刻み込んでいました。ここに見られる美しい仕上がりは、先に見たシノーピア(Sinopia)」の幾何学的なアプローチが100%活かされている証拠です。
3. 手前に置かれた「トリクリニウムの寝椅子(レクテュス)」との完璧な空間調和
展示の手前に再現されている赤い木製のトリクリニウム(寝椅子)も圧倒的な臨場感を醸し出していますね。
古代ローマの貴族たちは、この寝椅子に斜めに寝そべりながら、目の前にあるこの美しい青い壁画を眺め、贅沢な宴を楽しんでいました。壁画に描かれた「だまし絵的な建築の奥行き」は、室内に置かれた本物の家具や、そこに集う人々の視線の高さ(アイレベル)に合わせて緻密に計算されています。あの縮小スケッチは、この贅沢な3次元空間の調和を生み出すための、最初の一歩だったわけです。
3枚の画像が示す、奇跡的なクリエイティブの旅
1. アトリウムの粗壁に、建築の縮小図を「試し描き」してデザインを練る。
2. 博物館の解説が、それが「トリクリニウム14の北壁」のための設計図であったと証明する。
3. その設計図を基に、最高の色彩と技術で完成された、息をのむような美しい本番の壁画空間。
どうでしょうか? -
【 庭園の風景(小鳥と果樹のフレスコ画)】
*制作年代: 紀元1世紀(79年以前、第3~第4様式)
*発見場所: ポンペイ、またはスタビアの豪邸の庭園(エントランスや中庭に面した部屋の壁画)
*当時の富豪たちは、自分の部屋にいながらにして「年中青々とした美しい庭園」を眺められるよう、エジプシャン・ブルーをブレンドしたグリーンを背景に、実り豊かな果樹や鳥たちの静物画を職人に特注しました。 -
猛犬注意:
約2,000年前のポンペイの邸宅(悲劇詩人の家など)の玄関床に飾られていた、訪問者に番犬の存在を知らせるための有名な警告画(モザイク)です。
製作年代: 1世紀頃(紀元前後の古代ローマ期)
出土地: ポンペイ(「悲劇詩人の家」などの玄関床)
ラテン語表記: 「CAVE CANEM(犬に注意・猛犬注意)」
特徴: 首輪と鎖につながれた黒い犬が四本の足で力強く立ち、赤い舌を出す姿が対角線上の構図で生き生きと描かれています。
ポンペイのファウヌスの家の玄関にもやはり猛犬注意のモザイクがありますが、デザインが少し違います。(尻尾との先端とか6本に見える手足とか) -
ポンペイで出土した大変有名なモザイク画、【旅芸人の音楽師たち(Street Musicians)(別名:辻音楽師)】
製作年代: 紀元前150年~紀元前125年頃(ヘレニズム期)
作者のサイン入り:画面の左上(白っぽい背景部分)に、ギリシャ語で「サモスのディオスリデスが作った(ΔΙΟΣΚΟΥΡΙΔΗΣ ΣΑΜΙΟΣ ΕΠΟΙΗΣΕ)」という貴重な制作者のサインが刻まれています。紀元前2世紀~紀元前1世紀頃の作品と考えられています。ギリシャ喜劇の一場面:描かれている人物たちは、よく見ると顔に「演劇用のマスク(仮面)」を被っています。新喜劇(古代ギリシャの演劇ジャンル)の一場面をモチーフにした、 itinerant(旅回り)の芸能人たちの姿です。 古代の楽器:登場人物たちはそれぞれ、シベレ(大地母神)の信仰にも深く結びついた当時の楽器を演奏しています。右の人物:ティンパヌム(タンバリンのような太鼓)中央の人物:クンバラ(小さなシンバル)奥の人物:ティビア(2本管のダブル・フルート)左端の子供:小さな打楽器を持っています。
超絶技巧「オプス・ウェルミクラトゥム」:米粒ほどの極小のモザイク石(テッセラ)を細かく敷き詰める技法(オプス・ウェルミクラトゥム)が使われています。衣服のドレープや陰影、人物の表情が、まるで絵の具で描いた絵画のようにリアルに表現されています。 -
【魔女のもとを訪ねる女性たち」Comedy scene: consultation of the sorceress*製作年代: 紀元前150年~紀元前125年頃(ヘレニズム期)】
『旅芸人の音楽師たち』と「完全なるペア」。そして同じく「サモスのディオスリデス(Dioscuride di Samo)」のサインが入っています。描かれているシーン:若い2人の女性が、テーブルの向こう側に座る老いた「魔女(占い師)」のもとを訪れ、未来の運勢や恋占い、あるいは怪しげな薬について相談している(consultation)ユーモラスな喜劇の一場面です。キケロの別荘(Villa di Cicerone)からの出土:こちらも同じ邸宅の床から旅芸人の音楽師たちとセットで見つかりました。 -
【プリクソスとヘレー(Frisso e Elle英語ではPhrixus and Helle )】。金羊毛の牡羊の背に乗って空を飛ぶ兄プリクソスと、海(のちのヘレスポントス海峡The Hellespont)に落ちて溺れかけ、兄に手を伸ばしている妹ヘレーの劇的な瞬間が描かれています。
*制作年代:紀元後1世紀前半~中頃
出土地: ポンペイのすぐ近くにある古代ローマの保養都市スタビアエ(現在のカステッランマーレ・ディ・スタービア)にある「ヴィラ・サン・マルコ(Villa San Marco)」から発掘されました。
*素材: ガラスペースト(パスタ・ディ・ヴェトロ)などを用いた古代ローマの壁面モザイク画です。
現在の保管場所: MAANNの「メリディアーナの間(Sala della Meridiana)」の壁面。
(注)ヘレスポントス海峡のヘレーの海と言う意味です。
ちなみに、この『プリクソスとヘレー』というモチーフは古代ローマ人に大人気だったようで、実は2024年春にもポンペイ遺跡からほぼ同じ構図の鮮烈なフレスコ画が新発見されて世界中で大ニュースになりました。そちらは現在もポンペイの現地で発掘・保存プロジェクトが進行中のため、まだこのMANNで見ることはできませんが、いつか修復を終えてこの博物館のコレクションに加わる日が来るのか、今からとても楽しみです。」
*なぜ、ローマの富裕層はギリシャ神話のモチーフをダイニングルームにかけることを好んだのか?彼等にとって「ギリシア神話の絵を家に飾ること」は、最高のステータスシンボルであり、知識人アピール(背伸び)でした。古代ローマ人はギリシャ文化にコンプレックス持っていました。実利主義で土木建築業には優れているけど芸術性の面ではちょとギリシャ人に引け目を感じてたというか、現代のルイヴィトンとかシャネルみたいなブランド志向です。で、ちょと背伸びして、’うち、こんなのもあるよ、見せてあげようか’’、みたいにお食事に誘ってた。で、招かれたほうは、トリクリニウムの壁に掛けてあるこの絵をみて’あ、いい絵だね~、すごくいいテイスト!’なんて調子合せて御馳走の方が主目的だったりして。。 -
海洋生物の円形モザイク(または演劇のお面モザイク)
*制作年代: 紀元前2世紀~紀元1世紀
*発見場所: ポンペイ「ファウヌスの家(House of the Faun)」(アレクサンドロス大王のモザイクと同じ、ポンペイ最大の超豪邸から出土した床モザイクです) -
【ライオンの捕縛(あるいはディオニュソスとライオンのモザイク)】
ポンペイ屈指の高名な傑作(インベントリ番号 inv. 10019)です。
*制作年代:紀元前2世紀末(紀元前100年頃)
*出土地: この床モザイクは、ポンペイで最も広大かつ豪華な邸宅として知られ、あの有名な『アレクサンダー・モザイク』も発掘された「ファウヌスの家(Casa del Fauno)」のトリクリニウム(食堂)の床中央を飾っていたものです。
非常に美しい円形構図(ロンド型)の床モザイクです。中央に堂々と描かれているのは、花冠を身にまといクピド(キューピッド)たちが投げた花綱(ガーランド)によって複雑に絡み取られている巨大なライオンです。画面の右側奥からは、杖を持ったお酒の神ディオニュソス(バッカス)が、自身の神殿の前でこのライオンが捕らえられる様子を静かに見守っています。ライオンの左右にある岩場には、ディオニュソスの熱狂的な女性信者である2人のマイナス(メナド)が座っており、画面中央の下部では小さなキューピッドたちが楽しそうに動き回っています。これほど完璧な円形で残っているモザイクは珍しく、MANNの床モザイク展示室でも特に目を引く美しい名品です。 -
【闘鶏(ニワトリの闘い)】
*制作年代:およそ1世紀(西暦1世紀前半~半ば頃)
ひし形の美しい装飾枠(フレーミング)を含めて完璧に一致しており、同博物館のサンタンジェロ・コレクション(Santangelo Collection)に収蔵されている傑作です。
作品の見どころと背景
描かれている主題: 二羽のオス。中央の台(テーブル)の上には、勝者に贈られる「勝利の象徴である椰子の枝(パーム)」と「賞金が入った袋(または財布)」が置かれており、まさにこれから始まる、あるいは繰り広げられている真剣勝負をリアルに描写しています。
出土地: 古代ローマの遺跡(ポンペイの「迷宮の家 / House of the Labyrinth」の床モザイクなど、同モチーフのバリエーションがいくつか知られています)。 技法: オプス・ヴェルミクラトゥム(Opus vermiculatum)と呼ばれる、非常に細かく色彩豊かなテッセラ(モザイクの破片)を虫の這った跡のように緻密に敷き詰める高度な古代の技法が使われています -
ニンファエウム(泉水堂)のモザイク・ニッチ(壁龕)作品名: 『モザイクと貝殻で飾られた壁龕(ニッチ)』
*制作年代:およそ1世紀(西暦50年~75年頃、または第3四半期).
*発見場所: ポンペイ、またはエルコラーノの邸宅の中庭(アトリウムやペリスタイル)解説: 当時の富豪たちの邸宅の庭にあった、涼しげな噴水や湧き水を祀る「ニンファエウム(泉水堂)」の壁を飾っていた装飾です。アーチの内側がまるで本物の海の洞窟のように、本物の貝殻(ホタテ貝など)や、色鮮やかなガラス・モザイクで埋め尽くされています。奥には建築的な騙し絵が描かれており、ここに水がチョロチョロと流れて涼を演出していた、古代ローマのラグジュアリーな庭園文化の結晶です。 -
『エフェソスのアルテミス像』(別名:ファルネーゼのアルテミス)は、2世紀(ローマ帝国期)に制作されたアラバスター(雪石膏)とブロンズ製の彫像です。
推定年齢:1800歳
古代ギリシャ神話における「アルテミス」は、弓矢を持ち、鹿を連れた「純潔な狩猟の女神」として描かれるのが一般的です。しかし、トルコのエフェソス(小アジア)で信仰されていたアルテミスは、ギリシャ人が入植する以前から現地(アナトリア地方)に存在していた古代の地母神・豊穣の女神(キベレなど)と結びついた、独自の「エフェソスのアルテミス」でした。そのため、通常のギリシャ風アルテミスとは大きく異なる異形の姿をしています。
神殿の記憶:かつてエフェソスには、世界の七不思議の一つに数えられた巨大な「アルテミス神殿」があり、その中心には木製の御神体(偶像)が祀られていました。オリジナルはキリスト教の台頭や度重なる破壊で失われましたが、その霊験あらたかな姿はローマ帝国期に多くのレプリカとして複製されました。
近年の修復:この像の「黒いブロンズ製の手・足・顔」と「白いアラバスターの身体」のコントラストは非常に印象的ですが、このブロンズ部分は18世紀後半(1700年代)に彫刻家ジュゼッペ・ヴァラディエらによって修復・追加されたものです。1800年前のレプリカ像の木製部分が経年で黒ずんでいたことや、異国情緒あふれる神秘性を表現するために、この配色で修復されました。イタリアの名門貴族ファルネーゼ家のコレクションを経て、現在このナポリ国立古典考古学博物館(MANN)に収蔵されています。
【**後ろのMANNの公式解説プレート(英語セクション)】:
にこう書かれています。“Rounded elements in multiple rows hang from the bust; traditionally identified as breasts, they are now interpreted as scrotums of the bulls sacrificed to the goddess.”(胸に何列も並ぶ丸い突起。伝統的には「乳房」とされてきたが、現代では女神に捧げられた「雄牛の睾丸」と解釈されている) -
『エフェソスのアルテミス』本物?コピー?どうなってるの?
初代オリジナル(紀元前):エフェソスのアルテミス神殿の奥深くに祀られていたのは、紀元前(ギリシャ時代やそれ以前)に作られた「木製の古い像」でした。それこそが、世界の七不思議の神殿のド真ん中にいた「本物のご神体」です。
ローマ時代のコピー(1~2世紀):その後、エフェソスがローマ帝国の支配下に入ると、街は大発展し、観光客(巡礼者)が激増しました。また、ローマ皇帝たちもこの信仰を大プッシュしました。そこで、現地の役所や街のあちこちを豪華に飾るために、「本殿にあるあの木製のご神体をそっくりそのまま真似して、大理石で新しくハイクオリティな複製(コピー)を作ろう!」ということになり、大量生産されました。つまり、トルコのエフェソス博物館にある像は、「ローマ時代に、エフェソスの地元民が、自分たちの神殿の木像を職人に大理石でコピーさせて、街の中に飾っていたもの」なのです。それが20世紀になって、エフェソスの街の遺跡(役所跡など)から発掘されたため、現在の地元の博物館に展示されています。
【ナポリ(MANN)の像との違い】
トルコの像: ローマ時代に、エフェソスの地元(本場)でコピーされ、現地に飾られていたもの。
ナポリの像: ローマ時代に、イタリア本国(首都周辺)でコピーされ、皇帝や貴族の別荘などに飾られていたもの。
どちらも「お手本(本殿の木像)」は同じなので、形がそっくりなのです。エフェソス現地にあったオリジナルの木像自体は、のちに神殿が破壊されたときに一緒に燃えてしまったか、腐って失われてしまいました。そのため、現在私たちが目にする大理石のアルテミス像は、トルコにあるものも、ナポリにあるものも、すべて「ローマ時代の職人が残してくれた、超高精度の立体コピー(レプリカ)」ということになります。 -
①もとになったご神体はなぜこのように装飾過剰で異様な姿を?
1.「着せ替え」の伝統(儀礼的背景):もともとの木像は、四角い柱に頭と手足がついたような極めてシンプルなものだったと考えられています。古代のアナトリアやギリシャでは、お祭りのたびに神像に本物の豪華な衣装を着せ、金銀の装飾品や生贄の部位、果物などを文字通り「盛り付ける」儀礼がありました。
2.衣服(エペンデュテス)の固定化:時代が進むにつれ、その「着せ替えられた姿」そのものが女神のビジュアルとして定着していきました。後世に作られた大理石やブロンズのレプリカ(MANN所蔵のものなど)は、「儀礼で着飾った状態の木像」をそのまま丸ごと石や金属で固定して再現したものです。この異様な形状は、何世紀にもわたって積み重なった信仰の衣服や供物が一体化した結果です。
② ローマ皇帝たちが「アルテミス信仰」を推進した理由:このレプリカが作られたのはローマ帝国がキリスト教を国教化(4世紀末)する前の、2世紀(パクス・ロマーナの全盛期)頃です。トラヤヌス帝やハドリアヌス帝などの皇帝たちが、何の理由もなくこの東方の異形の女神を熱心に保護・プッシュしたわけではありません。その裏に明確な政治的・経済的理由がありました。
*東方属州(特に小アジア)の懐柔と政治的安定。ローマ皇帝たちは、現地の住民が最も熱狂的に崇拝している「エフェソスのアルテミス」を公式に認め、自らも保護者となることで、「ローマはあなた方の伝統と宗教を尊重しているよ」という強烈な政治的アピールを行いました。これにより、帝国の支配をスムーズに受け入れさせたのです。
* 巨大な経済圏と巡礼ビジネスの保護
エフェソスのアルテミス神殿は、単なる宗教施設ではなく、「古代世界のJPモルガン・チェースのようなメガバンク」であり、地中海全域から人が集まる最大の巡礼地(観光地)でした。新約聖書の『使徒言行録』には、キリスト教のパウロがエフェソスで布教した際、アルテミス神殿のミニチュアを作って儲けていた銀細工師たちが「やんなっちゃう!商売あがったりだい!」と大暴動を起こしたエピソードが記されています。皇帝たちにとって、この巨大な経済の原動力であるアルテミス信仰を維持することは、帝国の経済安定に直結していました。 -
「古代世界のJ〇モルガン・チェースのようなメガバンク」って何よ、それ!
神様がビジネスするの?というツッコミ。
神殿が「メガバンク」だった4つの事実
① 預金業務(セーフティボックス):王族、大商人、そして一般市民にいたるまで、個人や国家の莫大な現金を神殿に預けていました。当時はまだ警察や頑丈な金庫が未発達な時代です。しかし、強力な女神の領地である神殿からお金を盗むことは「神への冒涜」であり、死罪や呪いの対象となるため、泥棒や敵国でさえ手が出せませんでした。「古代世界で最もセキュリティが高い場所」だったからこそ、みんなが競ってお金を預けにきたのです。
② 貸付業務(ローンと利息):神殿はただお金を保管するだけでなく、預かった莫大な資産を元手にして、個人や他国の都市にお金を貸し付けていました。 しかも、しっかり「利息(金利)」を取っていました。この利息収入がさらに神殿の富を拡大させました。
*お坊さんが電卓と帳簿をもって、’あなた、今月の利息滞納してますよ。’’というシーンを連想しましょう。
③ 為替と通貨両替(外貨両替):地中海全域から商人や巡礼者が集まるエフェソスには、各地の様々な通貨(コイン)が持ち込まれました。神殿には専門の「両替人」が常駐し、それらの重さや純度をチェックして地元の通貨に両替する業務を行っていました。
*神殿の前にはしっかりと’本日のExhange Rate'が張り出されていました。
④ 独自の通貨発行(中央銀行):アルテミス神殿は、世界最古の硬貨を作ったリディア王国のクロイソス王の援助を受けていたこともあり、初期の金銀合金貨幣(エレクトラム貨)の鋳造・発行も行っていました。
エレクトラム貨参考:
https://onemorecoin.com/blogs/news/ancient-ephesus-bee-coin-history?srsltid=AU7gw4XciokNVvrmvaIrJEzCY7JM5wzdSuxZY_z9QhVrPY78VEG0lCrn -
まとめ:ナポリ国立古典考古学博物館(MANN)が誇る1800歳のアラバスターのアルテミスさんは、まさに「見た目より結果(実利)」、そして「東方のエキゾチックな最強神をリスペクトするぜ!」という2世紀前半の熱いノリのなかで、トラヤヌス帝(在位98~117年)またはハドリアヌス帝(在位117~138年)の時代に制作されています。 この二人の皇帝のストリートな横顔はきっとこうでしょう。
【トラヤヌス帝(「最高(オプティムス)」と呼ばれたイケイケ皇帝)】
ローマ帝国の領土を最大に広げた、軍事の天才です。とにかく実利主義で、インフラ整備や戦争の勝利で民衆の支持を集めました。東方の属州をガチッと掌握するために、現地のアルテミス信仰を強力に後押ししました。
【ハドリアヌス帝(旅するカルチャーオタク皇帝)】
トラヤヌス帝の跡を継いだのが、あのパンテオンを現在の完璧な姿に再建したハドリアヌス帝です。彼はとにかくギリシャ・東方文化の大ファンで、生涯のほとんどを前線の視察と地方のカルチャー巡り(旅)に費やしました。エフェソスにも何度も足を運び、街に莫大な投資をして「皇帝神殿」を建てさせ、このエフェソスのアルテミス信仰を大々的にリバイバルさせました。ので、この像は「トラヤヌス帝が広げた東方のネットワーク」と、「ハドリアヌス帝のエキゾチック趣味&政治的ディール」がガチに噛み合った、2世紀前半のローマ帝国の絶頂期(五賢帝時代)に生まれた最高傑作(?)と言えます。実際一度見たら忘れられないほど迫力があります。 -
アルテミスさんの関連資料:
ハドリアヌス帝(旅するカルチャーオタク皇帝)が建てさせた皇帝神殿は今もなおエフェソスにこうして立っています。2023年撮影。 -
【ファルネーゼの杯(Tazza Farnese)】
制作時期・場所: 紀元前2世紀~紀元前1世紀頃(ヘレニズム美術/プトレマイオス朝エジプトのアレクサンドリアで作られたと推定されています)。
素材: サードニクス(紅縞瑪瑙:べにしまめのう)という天然石。縞模様の美層を極めて高度な技術で彫り分けることで、立体的な浮き彫り(カメオ)に仕上げています。直径は約20cmあります。
描かれている主題: プトレマイオス朝エジプトの繁栄、あるいは「ナイル川の豊穣(アバンダンス)」を擬人化した寓意画です。左側に座る髭の男性はナイル川の神、中央下で横たわる女性はエジプトの象徴(あるいは女神イシス)、中央で角(コーニュコピア)を掲げる男性は豊穣の神など、諸説あります。 -
ポンペイの「青い壺」 (The Blue Vase / Vaso Blu)作品名: 『青い壺(クピドのブドウ収穫)』
*製作年:紀元後1世紀半ば(より詳細には、紀元後40年~50年頃のクラウディウス帝期)
*発見場所: ポンペイの「モザイクの柱の家 (House of the Mosaic Columns)」に隣接する墓地解説: 古代ローマのガラス工芸における、世界の至宝(最高傑作)です。濃いコバルトブルーのガラスの上に白いガラスを重ね、アゲート(瑪瑙)のカメオを彫るのと同じ高度な技術で、表面の白ガラスを削ってクピド(キューピッド)たちが楽しそうにブドウを収穫している姿を浮かび上がらせています。大英博物館の「ポートランドの壺」と並び、世界に数点しか現存しない極めて希少で美しい宝物です -
イタリア語で「Plastico di Pompei(プラスティコ・ディ・ポンペイ:ポンペイの模型)」と呼ばれるもので、「19世紀(1879年時点)までに発掘された当時のポンペイ遺跡の姿を、そのままそっくり再現した立体模型(ジオラマ)です。
**模型(プラスティコ)と見比べるとわかること:床にある1/100模型とこの壁の地図は、どちらも「1879年」という同じ時点のデータを基にしています。そのため、地図の右側にある楕円形の形(円形闘技場/アムフィテアトルム)や、中央の広場(フォーラム)、四方に広がる格子状の通りが、模型の配置と完全に一致するようになっています。当時はまだ街の約3分の1が土の中に埋まっていたため、地図の上のほう(北側)や左端などは、道路や輪郭線が途切れて白くなっている(まだ発掘されていない)のがリアルに描かれているのも歴史的な見どころです。 -
『ポンペイ発掘平面図(Pianta degli scavi di Pompei)』と呼ばれる、先ほどの1/100立体模型(プラスティコ)と全く同じ1879年時点の発掘状況を記録した巨大な地図です。当時、ポンペイ発掘の総責任者(監督官)を務めていたジュゼッペ・フィオレッリ(Giuseppe Fiorelli)という有名な考古学者の指揮のもと、建築家や測量士たちによって作られました。手書きで極めて緻密に描かれており、当時の最先端の測量技術が注ぎ込まれています。
**模型(プラスティコ)と見比べるとわかること:床にある1/100模型とこの壁の地図は、どちらも「1879年」という同じ時点のデータを基にしています。そのため、地図の右側にある楕円形の形(円形闘技場/アムフィテアトルム)や、中央の広場(フォーラム)、四方に広がる格子状の通りが、模型の配置と完全に一致するようになっています。当時はまだ街の約3分の1が土の中に埋まっていたため、地図の上のほう(北側)や左端などは、道路や輪郭線が途切れて白くなっている(まだ発掘されていない)のがリアルに描かれているのも歴史的な見どころです。 -
MANNcaffeで早めのランチ。フォカッチャとオレンジジュースです。
このあと、12:00pmの予約をいれてるCappella Sanseveroへタクシーで移動します。
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