タオルミナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
カバーフォトはタオルミーナが誇る至宝「テアトロアンティコ(古代劇場)」のパノラミックビュー。<br />実は今回の旅、手荷物を減らすために持参したレンズは18-135mmのズームレンズが1本きり。この圧倒的なスケール感をどうしても1枚に収めたくて、同じ立ち位置から苦肉の策で2枚を撮影し、帰国後にPhotoshopで繋ぎ合わせた(フォト・ステッチ)こだわりの1枚です。<br />2000年以上前、この同じ大地を踏みしめ、同じ海の青を見つめていた人々がいた――。物理的な粒子は時の流れの中で風化し、入れ替わってしまっているかもしれません。それでも、この遺構に佇み、耳を澄ませば、当時の人々の息遣いが聞こえてくるような気がします。<br />しかし、そんなロマンに満ちた古代劇場に辿り着くまでには、ローマの空港でのEES体験、カターニア空港でのロストバゲージ発見、そしてサバイバルのための緊急ショッピングという、あまりにもドタバタな「イタリアン.ラプソディー」を経験しなければなりませんでした。……。(このドラマの経緯は1日目の旅行記に書きました。)今日は昨夜バスルームで洗った生乾きの穴あきジーンズを太陽熱で乾かしながらタウロ山の頂きを目指します。その後、このミッションと同じくらいプライオリティの高い電気店訪問が待っています。ロスバのせいでシチリア仕様のアダプターを購入しなければならないからです。千変万化の旅のオープニング!古代劇場はどんな顔を見せてくれるでしょうか?<br /><br />

再び長靴の国へーハプニングで始まったシチリア・南イタリア10日間②:タオルミーナ(古代の息ぶき)

40いいね!

2026/05/09 - 2026/05/19

22位(同エリア319件中)

0

79

Nora

Noraさん

この旅行記のスケジュール

2026/05/11

この旅行記スケジュールを元に

カバーフォトはタオルミーナが誇る至宝「テアトロアンティコ(古代劇場)」のパノラミックビュー。
実は今回の旅、手荷物を減らすために持参したレンズは18-135mmのズームレンズが1本きり。この圧倒的なスケール感をどうしても1枚に収めたくて、同じ立ち位置から苦肉の策で2枚を撮影し、帰国後にPhotoshopで繋ぎ合わせた(フォト・ステッチ)こだわりの1枚です。
2000年以上前、この同じ大地を踏みしめ、同じ海の青を見つめていた人々がいた――。物理的な粒子は時の流れの中で風化し、入れ替わってしまっているかもしれません。それでも、この遺構に佇み、耳を澄ませば、当時の人々の息遣いが聞こえてくるような気がします。
しかし、そんなロマンに満ちた古代劇場に辿り着くまでには、ローマの空港でのEES体験、カターニア空港でのロストバゲージ発見、そしてサバイバルのための緊急ショッピングという、あまりにもドタバタな「イタリアン.ラプソディー」を経験しなければなりませんでした。……。(このドラマの経緯は1日目の旅行記に書きました。)今日は昨夜バスルームで洗った生乾きの穴あきジーンズを太陽熱で乾かしながらタウロ山の頂きを目指します。その後、このミッションと同じくらいプライオリティの高い電気店訪問が待っています。ロスバのせいでシチリア仕様のアダプターを購入しなければならないからです。千変万化の旅のオープニング!古代劇場はどんな顔を見せてくれるでしょうか?

交通手段
鉄道 タクシー 徒歩
航空会社
ITAエアウェイズ ユナイテッド航空
  • 一夜明けてHotel Elios (ホテルエリオス)のベランダから。。朝陽のなかに優雅に姿を現したエトナ山。

    一夜明けてHotel Elios (ホテルエリオス)のベランダから。。朝陽のなかに優雅に姿を現したエトナ山。

  • 朝食。藤棚がある2階のバルコニーです。

    朝食。藤棚がある2階のバルコニーです。

  • バルコニーからは下の通りVia Bagnoli Croci(バニョーリ・クローチ通り)が見渡せます。

    バルコニーからは下の通りVia Bagnoli Croci(バニョーリ・クローチ通り)が見渡せます。

  • ホテルのフロントでもらたマップを片手に。。。では歩いてギリシャ劇場へ向かいます。地図では2次元の表示ですが、自分の頭を3次元モードに切り替えないと高低差と実際の距離に驚くことになります。

    ホテルのフロントでもらたマップを片手に。。。では歩いてギリシャ劇場へ向かいます。地図では2次元の表示ですが、自分の頭を3次元モードに切り替えないと高低差と実際の距離に驚くことになります。

  • タオルミーナにあるテアトロ・グレコ(ギリシャ劇場)は、モンテ・タウロ(タウロ山)の岩がちな斜面に位置しています。この遺跡は、イオニア海を見下ろす標高約200~250メートルの場所にあり,その劇場は、山の岩盤を直接掘り込んで造られました。ギリシア建築の典型的な特徴であるこうした高台の立地により、海岸線やエトナ山頂を見渡すすばらしいパノラミックな絶景が広がります。

    タオルミーナにあるテアトロ・グレコ(ギリシャ劇場)は、モンテ・タウロ(タウロ山)の岩がちな斜面に位置しています。この遺跡は、イオニア海を見下ろす標高約200~250メートルの場所にあり,その劇場は、山の岩盤を直接掘り込んで造られました。ギリシア建築の典型的な特徴であるこうした高台の立地により、海岸線やエトナ山頂を見渡すすばらしいパノラミックな絶景が広がります。

  • ほぼ現地到着。右の緩やかな坂を上ったところにチケットオフィスがあります。

    ほぼ現地到着。右の緩やかな坂を上ったところにチケットオフィスがあります。

  • 買ったチケットを入口センサーに読み取らせて入場。すでに見学をおえて下山(?)する人々。<br />シラクーサに次ぐシチリア島第二の規模を誇るタオルミーナのギリシャ劇場は、紀元前3世紀に建設されました。当初は5000人の観客を収容できる劇場でした。が西暦2世紀以降ローマ時代にその倍10000人の観客を収容できるマンモス劇場へと継続的な大改造が行われました。<br />ので、「タオルミーナの古代ギリシア劇場」と呼ばれてはいるものの、今日私たちが目にしている建造物の多くの部分は、’紀元前3世紀のギリシア劇場をベースに西暦2世紀以降のローマ時代に継続的な改造の手が加わったものである’ということです。<br />言葉を変えれば、このタオルミーナの劇場は、’自然を愛したギリシャ人の精神と、都市とエンタメを力技で制御しようとしたローマ人の執念が、奇跡的なバランスで融合した世界でも唯一無二の場所’と言えるかもしれません。

    買ったチケットを入口センサーに読み取らせて入場。すでに見学をおえて下山(?)する人々。
    シラクーサに次ぐシチリア島第二の規模を誇るタオルミーナのギリシャ劇場は、紀元前3世紀に建設されました。当初は5000人の観客を収容できる劇場でした。が西暦2世紀以降ローマ時代にその倍10000人の観客を収容できるマンモス劇場へと継続的な大改造が行われました。
    ので、「タオルミーナの古代ギリシア劇場」と呼ばれてはいるものの、今日私たちが目にしている建造物の多くの部分は、’紀元前3世紀のギリシア劇場をベースに西暦2世紀以降のローマ時代に継続的な改造の手が加わったものである’ということです。
    言葉を変えれば、このタオルミーナの劇場は、’自然を愛したギリシャ人の精神と、都市とエンタメを力技で制御しようとしたローマ人の執念が、奇跡的なバランスで融合した世界でも唯一無二の場所’と言えるかもしれません。

    ギリシア劇場 史跡・遺跡

  • この図面で「濃い赤色(または茶色)」で塗られている部分が、ローマ時代にレンガとコンクリートで『新築・拡張』されたエリアです。<br />*最上段の「ポチポチのある外周壁(擁壁)と二重ポルティコ」<br />*画面下側の「巨大な舞台背景の建物(パルコ / スカエナエ・フロンズ)」<br />等がすべて同じ濃い赤色になっています。これはギリシャ時代にもともとあった自然のすり鉢(中央の薄いグレーの席)の周りを、ローマ人が「レンガの建造物」で完全に包み込むように大改造したことを示しています。<br />このたった1枚の図面からこの劇場の辿ってきた深い歴史が瞬時に浮かび上がってきませんか? <br />           ー画像は現場のインフォメーションボードより。<br />古代ローマ時代の主な改造点:<br />・オーケストラ席の掘削:半円形の床を深く掘り下げ、観客を野生動物から守るため、ギリシャ時代の最下層の座席を取り除き、深い保護ピットを造った。<br />・演壇壁の建設:獣や剣闘士が観客席に飛び込むのを防ぐため、新しいアリーナの床の周囲に高いレンガ造りの演壇壁を建設。<br />・舞台背景幕の拡張:元のギリシャ時代のややオープンな舞台背景幕は、閉鎖的建築スクリーンへと生まれ変わった。巨大な多層構造のレンガ造りの壁に柱、彫像のためのニッチ、そして登場人物の劇的演出のため3つの大きな登場口を新設した。<br />・地下空間の新設:舞台の下と後ろに、動物を捕獲したり舞台装置を保管したりするための地下通路、アーチ型の回廊、そして収容室を追加。<br />・ポルティクス(ポリティコ)の増築:観客席(カヴェア)の最上部に、雨風をしのぐための屋根付きのレンガ造りの列柱廊を建設。またそれは構造的な補強のため(擁壁)でもあった。

    この図面で「濃い赤色(または茶色)」で塗られている部分が、ローマ時代にレンガとコンクリートで『新築・拡張』されたエリアです。
    *最上段の「ポチポチのある外周壁(擁壁)と二重ポルティコ」
    *画面下側の「巨大な舞台背景の建物(パルコ / スカエナエ・フロンズ)」
    等がすべて同じ濃い赤色になっています。これはギリシャ時代にもともとあった自然のすり鉢(中央の薄いグレーの席)の周りを、ローマ人が「レンガの建造物」で完全に包み込むように大改造したことを示しています。
    このたった1枚の図面からこの劇場の辿ってきた深い歴史が瞬時に浮かび上がってきませんか? 
               ー画像は現場のインフォメーションボードより。
    古代ローマ時代の主な改造点:
    ・オーケストラ席の掘削:半円形の床を深く掘り下げ、観客を野生動物から守るため、ギリシャ時代の最下層の座席を取り除き、深い保護ピットを造った。
    ・演壇壁の建設:獣や剣闘士が観客席に飛び込むのを防ぐため、新しいアリーナの床の周囲に高いレンガ造りの演壇壁を建設。
    ・舞台背景幕の拡張:元のギリシャ時代のややオープンな舞台背景幕は、閉鎖的建築スクリーンへと生まれ変わった。巨大な多層構造のレンガ造りの壁に柱、彫像のためのニッチ、そして登場人物の劇的演出のため3つの大きな登場口を新設した。
    ・地下空間の新設:舞台の下と後ろに、動物を捕獲したり舞台装置を保管したりするための地下通路、アーチ型の回廊、そして収容室を追加。
    ・ポルティクス(ポリティコ)の増築:観客席(カヴェア)の最上部に、雨風をしのぐための屋根付きのレンガ造りの列柱廊を建設。またそれは構造的な補強のため(擁壁)でもあった。

  • &#39;タオルミーナの古代劇場&#39;のマップ、フロアプランです。<br />(ボードに書かれてている用語の意味は以下のようになります)<br />1.Versura ovestヴェルスーラ西<br />2.Versura est ヴェルスーラ東<br />Versura ヴェルスーラは「舞台(ステージ)と客席の空間を物理的・音響的に繋ぐ、極めて重要なサイドウイング(側壁構造)」です。バジリカ(Basilica)と呼ばれる多目的ホールあるいは側室の構成要素で、ここには役者が舞台裏から登場するための楽屋口(演者用の出入り口)その他が設けられていました。<br /><br />3. Orchestraオルケストラ: 観客席の前にある半円形の空間で、ギリシア時代には合唱隊が歌い踊る場でしたが、ローマ時代には貴賓席などに使われました。<br /><br />4.Frontescenaフロンテシェーナー>は単なる仮設の「舞台装置」ではなく、劇場と一体化した「永久的な大建築壁(背景ビル)」です。Scaenae frons(スカエナエ・フロンズ)とも呼ばれます。<br /><br />5.Retroscenaレトロシェーナー>「舞台裏」や「舞台の背後」を意味します。古代ローマの劇場において、これは装飾が施された背景の壁(Frontescena / Scaenae frons)のすぐ背後に位置する実用的なエリアでした。古代の役者たちが衣装の着替えや小道具の保管を行ったり、舞台に登場する合図を待ったりするために使用していました。<br /><br />6. Caveaカヴェア(観客席)ー>観客のシーティングエリアです。<br /><br />7. Dippo Portディッポポルティコ→二重ポルティコ。半円形の観客席エリアの最上端に沿って設けられたレンガ造りのアーチ部分です。<br /><br />8.Tempieto Ellenisticoヘレニズム神殿<br />ヘレニズム時代の小神殿ー>長く曲がりくねった道の真ん中あたり、急なヘアピンカーブのすぐ上に位置する孤立した円形の標識です。古代ギリシャ神殿の基礎跡を示しています。<br /><br />9.Antiquariumアンティクアリウムー>古代遺物展示室<br />地図の右下、道の終点近く、「入口」を示すボックスのすぐ隣にあります。アンティクアリウムは、かつての管理人住居を利用した敷地内の小さな考古学博物館です。<br /><br />10. Camera Sotterraneaー>カメラソッテラ二ア(地下室)<br />________________________<br />11.Sentico di Goetheと12. Gymnasiumはこの劇場構造と直接関係はないので割愛します。<br />           -画像は現場のインフォメーションボードより。

    'タオルミーナの古代劇場'のマップ、フロアプランです。
    (ボードに書かれてている用語の意味は以下のようになります)
    1.Versura ovestヴェルスーラ西
    2.Versura est ヴェルスーラ東
    Versura ヴェルスーラは「舞台(ステージ)と客席の空間を物理的・音響的に繋ぐ、極めて重要なサイドウイング(側壁構造)」です。バジリカ(Basilica)と呼ばれる多目的ホールあるいは側室の構成要素で、ここには役者が舞台裏から登場するための楽屋口(演者用の出入り口)その他が設けられていました。

    3. Orchestraオルケストラ: 観客席の前にある半円形の空間で、ギリシア時代には合唱隊が歌い踊る場でしたが、ローマ時代には貴賓席などに使われました。

    4.Frontescenaフロンテシェーナー>は単なる仮設の「舞台装置」ではなく、劇場と一体化した「永久的な大建築壁(背景ビル)」です。Scaenae frons(スカエナエ・フロンズ)とも呼ばれます。

    5.Retroscenaレトロシェーナー>「舞台裏」や「舞台の背後」を意味します。古代ローマの劇場において、これは装飾が施された背景の壁(Frontescena / Scaenae frons)のすぐ背後に位置する実用的なエリアでした。古代の役者たちが衣装の着替えや小道具の保管を行ったり、舞台に登場する合図を待ったりするために使用していました。

    6. Caveaカヴェア(観客席)ー>観客のシーティングエリアです。

    7. Dippo Portディッポポルティコ→二重ポルティコ。半円形の観客席エリアの最上端に沿って設けられたレンガ造りのアーチ部分です。

    8.Tempieto Ellenisticoヘレニズム神殿
    ヘレニズム時代の小神殿ー>長く曲がりくねった道の真ん中あたり、急なヘアピンカーブのすぐ上に位置する孤立した円形の標識です。古代ギリシャ神殿の基礎跡を示しています。

    9.Antiquariumアンティクアリウムー>古代遺物展示室
    地図の右下、道の終点近く、「入口」を示すボックスのすぐ隣にあります。アンティクアリウムは、かつての管理人住居を利用した敷地内の小さな考古学博物館です。

    10. Camera Sotterraneaー>カメラソッテラ二ア(地下室)
    ________________________
    11.Sentico di Goetheと12. Gymnasiumはこの劇場構造と直接関係はないので割愛します。
               -画像は現場のインフォメーションボードより。

  • 向こうにエトナ山が見えます。クルっと弧を描くようなナクソス湾の南側突端にみえているのはスキソ岬です。ここは歴史的に非常に重要なポイントなのです。紀元前735年、ギリシャのカルキスから海を渡ってきた人々が最初に船を寄せ、足を下ろしたのがまさにあの「スキソ岬」だからです。彼らはその岬の根元に、シチリア島で最古のギリシャ植民都市「ナクソス」を建設しました。

    向こうにエトナ山が見えます。クルっと弧を描くようなナクソス湾の南側突端にみえているのはスキソ岬です。ここは歴史的に非常に重要なポイントなのです。紀元前735年、ギリシャのカルキスから海を渡ってきた人々が最初に船を寄せ、足を下ろしたのがまさにあの「スキソ岬」だからです。彼らはその岬の根元に、シチリア島で最古のギリシャ植民都市「ナクソス」を建設しました。

  • かつて古代ギリシャ人はこの地をタウロメ二オン(Tauromenion / Ταυρομένιον)と呼んでいました。<br />タウロメニオンは以下の2つの言葉が合体した造語です。 <br />1.タウロス(Tauros / Τα?ρος):ギリシャ語で 「雄牛」。<br />2.メネイン(Menein / μένειν):ギリシャ語で 「留まる、居住する」 という動詞。 <br />つまり、直訳すると 「雄牛(の形をした山)に留まる/居住する(場所)」 という意味になります。これが時代を経てラテン語の「タウロメニウム(Tauromenium)」に変わり、現在のイタリア語「タオルミーナ(Taormina)」へと変化しました。 <br />________________________________________<br />参考文献・歴史的ソース<br />この語源を記録した最も古い参考文献は、古代ギリシャ・ローマ時代の歴史家たちの記述です。<br />*ディオドロス・シクロス(Diodorus Siculus / 紀元前1世紀の歴史家)<br />彼の著書『歴史叢書(Bibliotheca historica)』第16巻に、「紀元前358年、ナクソスの生存者たちが近くの雄牛の形をした丘(タウロ山)に集まり、そこに移住して街を築き、タウロメニオンと名付けた」という旨がはっきりと記録されています。 <br />*ストラボ(Strabo / 紀元前1世紀~1世紀の地理学者)<br />彼の著書『地理誌(Geographica)』でも、タウロ山(Mount Tauro)の地形とこの都市の命名について言及されています。

    かつて古代ギリシャ人はこの地をタウロメ二オン(Tauromenion / Ταυρομένιον)と呼んでいました。
    タウロメニオンは以下の2つの言葉が合体した造語です。
    1.タウロス(Tauros / Τα?ρος):ギリシャ語で 「雄牛」。
    2.メネイン(Menein / μένειν):ギリシャ語で 「留まる、居住する」 という動詞。
    つまり、直訳すると 「雄牛(の形をした山)に留まる/居住する(場所)」 という意味になります。これが時代を経てラテン語の「タウロメニウム(Tauromenium)」に変わり、現在のイタリア語「タオルミーナ(Taormina)」へと変化しました。
    ________________________________________
    参考文献・歴史的ソース
    この語源を記録した最も古い参考文献は、古代ギリシャ・ローマ時代の歴史家たちの記述です。
    *ディオドロス・シクロス(Diodorus Siculus / 紀元前1世紀の歴史家)
    彼の著書『歴史叢書(Bibliotheca historica)』第16巻に、「紀元前358年、ナクソスの生存者たちが近くの雄牛の形をした丘(タウロ山)に集まり、そこに移住して街を築き、タウロメニオンと名付けた」という旨がはっきりと記録されています。
    *ストラボ(Strabo / 紀元前1世紀~1世紀の地理学者)
    彼の著書『地理誌(Geographica)』でも、タウロ山(Mount Tauro)の地形とこの都市の命名について言及されています。

  • まず、最上部。<br />今歩いている部分は2階建てのアーケード(ポリティコ)があったところです。ローマ時代に劇場が拡張された際、構造上の必要性から煉瓦とローマン・コンクリート(オプス・カエメンティキウム)でできた外周壁と内壁(擁壁・構造壁)が増築されました。ローマ人はそうした機能上の解決に加え、アーケードの表面を美しい大理石や彫刻で飾ることを忘れませんでした。今はそれらはすべて持ち去られどこかの教会や富豪の館でセカンドライフをおくっているはずですが。。

    まず、最上部。
    今歩いている部分は2階建てのアーケード(ポリティコ)があったところです。ローマ時代に劇場が拡張された際、構造上の必要性から煉瓦とローマン・コンクリート(オプス・カエメンティキウム)でできた外周壁と内壁(擁壁・構造壁)が増築されました。ローマ人はそうした機能上の解決に加え、アーケードの表面を美しい大理石や彫刻で飾ることを忘れませんでした。今はそれらはすべて持ち去られどこかの教会や富豪の館でセカンドライフをおくっているはずですが。。

  • 上記の画像の地点から少し歩を進めます。この2階建ての壮麗な柱廊(アーケード)部分には一番上の観客席(summa caveaスンマ・カヴェア)がありました。現在はその部分の床や屋根が崩落し、柱の根元やアーチの骨組み(レンガのコア部分)だけが残っているため、写真のように巨大な門や柱の列のように見えます。<br />(注)観客席の一番上(summa caveaスンマ・カヴェア)は身分の低い奴隷や女子のための席でした。一方、身分の高い人々用には特別なボックス席:トリブナル(Tribunal)やオーケストラ(Orchestra)の特設席がもうけられていました。*古代ローマは厳然たる階級社会であり、それぞれの観客席が明確に分かれており専用の建築用語が存在していました。

    上記の画像の地点から少し歩を進めます。この2階建ての壮麗な柱廊(アーケード)部分には一番上の観客席(summa caveaスンマ・カヴェア)がありました。現在はその部分の床や屋根が崩落し、柱の根元やアーチの骨組み(レンガのコア部分)だけが残っているため、写真のように巨大な門や柱の列のように見えます。
    (注)観客席の一番上(summa caveaスンマ・カヴェア)は身分の低い奴隷や女子のための席でした。一方、身分の高い人々用には特別なボックス席:トリブナル(Tribunal)やオーケストラ(Orchestra)の特設席がもうけられていました。*古代ローマは厳然たる階級社会であり、それぞれの観客席が明確に分かれており専用の建築用語が存在していました。

  • 今も残る天幕(ヴェラリウム)のポスト固定部分。<br />ローマ時代には強いシチリアの日差しから観客をまもるため、劇場の上部を天幕(ヴェラリウム)で覆う設備が設置されていました。このニョッキリとびだしているのはその設備の貴重な構成要素です。<br />メカニズム:外周壁の外側に突き出た「石のブラケット(コンソール / 受け棚)」」の上に垂直に天幕用の木のポストをのせ、アーチの2階部分に取り付けた強いクランプでそれをガッシと挟むようにして固定していたようです。このブラケットに使われた黒石は非常に硬度の高いエトナ山の玄武岩であると思われます。<br /><br />(注)劇場全体を覆う天幕(ヴェラリウム)が実際にどのように張られていたのか、下記の復元グラフィックで確認できます。<br />The Theatre of Taormina Ricostruzione virtuale del Teatro Antico di Taormina. 

    今も残る天幕(ヴェラリウム)のポスト固定部分。
    ローマ時代には強いシチリアの日差しから観客をまもるため、劇場の上部を天幕(ヴェラリウム)で覆う設備が設置されていました。このニョッキリとびだしているのはその設備の貴重な構成要素です。
    メカニズム:外周壁の外側に突き出た「石のブラケット(コンソール / 受け棚)」」の上に垂直に天幕用の木のポストをのせ、アーチの2階部分に取り付けた強いクランプでそれをガッシと挟むようにして固定していたようです。このブラケットに使われた黒石は非常に硬度の高いエトナ山の玄武岩であると思われます。

    (注)劇場全体を覆う天幕(ヴェラリウム)が実際にどのように張られていたのか、下記の復元グラフィックで確認できます。
    The Theatre of Taormina Ricostruzione virtuale del Teatro Antico di Taormina. 

  • 次にCaveaカヴェア(観客席):<br />岩山を掘って階段状にしています。角度(傾斜)は30~35度です。<br />建設と改造の流れを①と②に分けて書きます。<br />【①. 古代ギリシャ時代の建設(紀元前3世紀)】:建設は紀元前3世紀のヘレニズム時代、おそらくシラクサのヒエロン2世の統治下で始まりました。<br />*工法:<br />エトナ山の絶景が眺められるこの美しいすり鉢状のシートは、もともとはタウロ山(Monte Tauro)のごつごつとした硬い石灰岩でできた岩山でした。古代の作業員たちは、傾斜した観客席(カヴェア)を設けるために、手工具やハンマー、ノミを使って硬い岩山をゴリゴリと掘り進めました。この過酷な大掘削には多くの奴隷や戦争捕虜が使役され、熟練の職人たちとともに文字通り血と汗を流して『人工の絶景シート』を造り上げたのです。この人力によって掘削・除去された岩石量は、総計10万立方メートルを超えたとされています。

    次にCaveaカヴェア(観客席):
    岩山を掘って階段状にしています。角度(傾斜)は30~35度です。
    建設と改造の流れを①と②に分けて書きます。
    【①. 古代ギリシャ時代の建設(紀元前3世紀)】:建設は紀元前3世紀のヘレニズム時代、おそらくシラクサのヒエロン2世の統治下で始まりました。
    *工法:
    エトナ山の絶景が眺められるこの美しいすり鉢状のシートは、もともとはタウロ山(Monte Tauro)のごつごつとした硬い石灰岩でできた岩山でした。古代の作業員たちは、傾斜した観客席(カヴェア)を設けるために、手工具やハンマー、ノミを使って硬い岩山をゴリゴリと掘り進めました。この過酷な大掘削には多くの奴隷や戦争捕虜が使役され、熟練の職人たちとともに文字通り血と汗を流して『人工の絶景シート』を造り上げたのです。この人力によって掘削・除去された岩石量は、総計10万立方メートルを超えたとされています。

  • (注)当時のシチリア(特にシラクーザなどの大都市圏)は、カルタゴとの戦争や周辺都市との覇権争いが絶えない時代でした。一般市民(職人)のみでなくこうした戦争捕虜(奴隷)が、これらの大規模な公共建築の「消耗品」的労働力として大量に投入されていました。<br />それらを考えると、眼前に広がる青い海が少し違って見えてきますよね。

    (注)当時のシチリア(特にシラクーザなどの大都市圏)は、カルタゴとの戦争や周辺都市との覇権争いが絶えない時代でした。一般市民(職人)のみでなくこうした戦争捕虜(奴隷)が、これらの大規模な公共建築の「消耗品」的労働力として大量に投入されていました。
    それらを考えると、眼前に広がる青い海が少し違って見えてきますよね。

  • 【②古代ローマ時代の拡張(西暦2世紀以降)】:ローマ人により大規模な改築と拡張が行われました。<br />*まず、画像中央の下の方に見える白い座席や、その上のすり鉢状の傾斜に注目してください。ここは「天然の岩肌を削って」作られたギリシャ時代の土台です。文字通り岩山をくり抜いて造られているため、地盤が非常に安定しているのが特徴です。しかし、このギリシャ時代のサイズでは、ローマ人が求める収容人数には足りませんでした。そこで彼らは驚きの「空中工事」へと乗り出します。(次の画像へ続く)

    【②古代ローマ時代の拡張(西暦2世紀以降)】:ローマ人により大規模な改築と拡張が行われました。
    *まず、画像中央の下の方に見える白い座席や、その上のすり鉢状の傾斜に注目してください。ここは「天然の岩肌を削って」作られたギリシャ時代の土台です。文字通り岩山をくり抜いて造られているため、地盤が非常に安定しているのが特徴です。しかし、このギリシャ時代のサイズでは、ローマ人が求める収容人数には足りませんでした。そこで彼らは驚きの「空中工事」へと乗り出します。(次の画像へ続く)

  • *ローマ人の空中継ぎ足し工事。先ほどの写真と見比べると、ギリシャ時代とローマ時代の境界線がはっきりとわかります。画像奥、レンガのアーチの手前にある上層の茶色っぽい客席(上から10段ほど)は、自然の山の高さを完全に超えてしまっています。ギリシャ時代にはここに席はありませんでした。ローマ人はここに巨大な「外壁・回廊(構造壁)」を新築し、その壁と山の斜面の間の空間に、レンガと古代コンクリートで人工的な空中斜面を構築。そこに10段の座席をギッシリと並べました。つまり、この「レンガ壁」と「最上部の客席」は、収容人数を1万人規模に膨らませるためにローマ人がセットで新築した、一体型の空中構造物なのです。<br /><br />

    *ローマ人の空中継ぎ足し工事。先ほどの写真と見比べると、ギリシャ時代とローマ時代の境界線がはっきりとわかります。画像奥、レンガのアーチの手前にある上層の茶色っぽい客席(上から10段ほど)は、自然の山の高さを完全に超えてしまっています。ギリシャ時代にはここに席はありませんでした。ローマ人はここに巨大な「外壁・回廊(構造壁)」を新築し、その壁と山の斜面の間の空間に、レンガと古代コンクリートで人工的な空中斜面を構築。そこに10段の座席をギッシリと並べました。つまり、この「レンガ壁」と「最上部の客席」は、収容人数を1万人規模に膨らませるためにローマ人がセットで新築した、一体型の空中構造物なのです。

  • それとこの劇場建設について特記しておきたいことがあります。それは技術的な面です。<br />*専任の建築家(Architect)は?<br />特定の「〇〇氏」という個人名は分かっていませんが、天才的な「専任の建築家集団(マスター・ビルダー)」が最初から綿密な計算をしてプロジェクトを率いていたことは間違いありません。 <br />なぜなら、この劇場には偶然では絶対に不可能な「計算し尽くされた2つの奇跡」が組み込まれているからです。 <br />「奇跡その1-音響(アコースティック)の計算」<br />マイクのない時代、一番後ろの席(最上段)まで役者の囁き声やため息を届けるため、座席の傾斜角度、湾曲度、風の流れを計算する専任の建築家(音響技師)の存在が不可欠でした。 <br />「奇跡その2-景観の計算(日本語で言う、いわゆる借景)」<br />劇場のステージ(背景)の真ん中の空間、ちょうどエトナ山の山頂が綺麗に見えるように、劇場の「方位」が精密に合わされています。これも当時の優れた建築家が意図的に設計した証拠です。 <br />当時のギリシャ世界では、建築家は「職人の親方(アルキテクトン)」と呼ばれ、職人や奴隷たちを指揮するエリート集団でした。

    それとこの劇場建設について特記しておきたいことがあります。それは技術的な面です。
    *専任の建築家(Architect)は?
    特定の「〇〇氏」という個人名は分かっていませんが、天才的な「専任の建築家集団(マスター・ビルダー)」が最初から綿密な計算をしてプロジェクトを率いていたことは間違いありません。
    なぜなら、この劇場には偶然では絶対に不可能な「計算し尽くされた2つの奇跡」が組み込まれているからです。
    「奇跡その1-音響(アコースティック)の計算」
    マイクのない時代、一番後ろの席(最上段)まで役者の囁き声やため息を届けるため、座席の傾斜角度、湾曲度、風の流れを計算する専任の建築家(音響技師)の存在が不可欠でした。
    「奇跡その2-景観の計算(日本語で言う、いわゆる借景)」
    劇場のステージ(背景)の真ん中の空間、ちょうどエトナ山の山頂が綺麗に見えるように、劇場の「方位」が精密に合わされています。これも当時の優れた建築家が意図的に設計した証拠です。
    当時のギリシャ世界では、建築家は「職人の親方(アルキテクトン)」と呼ばれ、職人や奴隷たちを指揮するエリート集団でした。

  • ちょっと絵葉書っぽいのですが。。広角レンズをもっていかなかったのでフォトショップのPhoto stitchでズームレンズで撮った2枚の画像を縫い合わせました。<br />ところで長い間、無視され放置されていたこの古代の遺産がどのようにして我々の目の前に姿を現したのか疑問に思いませんか?<br />経緯:<br />他の遺跡の例にもれず、ローマ帝国の崩壊後、この劇場は放棄され、土砂崩れによる埋没や植物の繁茂に見舞われたほか、中世には建築資材を調達するための石切り場としても利用されていました。また、他の建築物への転用などで貴重な大理石の柱の多くは消失してしまっていました。<br />そうした背景をへて近代における考古学的発掘(18~19世紀)が始まります。<br />次の画像に流れを加筆しました。

    ちょっと絵葉書っぽいのですが。。広角レンズをもっていかなかったのでフォトショップのPhoto stitchでズームレンズで撮った2枚の画像を縫い合わせました。
    ところで長い間、無視され放置されていたこの古代の遺産がどのようにして我々の目の前に姿を現したのか疑問に思いませんか?
    経緯:
    他の遺跡の例にもれず、ローマ帝国の崩壊後、この劇場は放棄され、土砂崩れによる埋没や植物の繁茂に見舞われたほか、中世には建築資材を調達するための石切り場としても利用されていました。また、他の建築物への転用などで貴重な大理石の柱の多くは消失してしまっていました。
    そうした背景をへて近代における考古学的発掘(18~19世紀)が始まります。
    次の画像に流れを加筆しました。

  • ① 時期:18世紀後半から本格的な遺跡の発掘、土砂の除去、体系的な調査が始まり、19世紀には大規模な建築物の修復が最盛期を迎えました。<br />②発掘の過程:1787年のドイツの著名な作家ゲーテをはじめ、「グランド・ツアー」で訪れたヨーロッパの知識人たちがその素晴らしさを発見し、世界的な関心が高まりました。その後、ブルボン朝の当局や初期のイタリア人考古学者らが、何世紀にもわたって堆積した土砂を取り除くため、人力による除去作業を組織的に行いました。19世紀半ばには、著名な建築家フランチェスコ・サヴェリオ・カヴァッラーリの主導により、最も重要な部分の発掘および修復が行われました。彼は埋没していた構造物を掘り起こし、象徴的なコリント式の円柱(倒壊していたもの)を再び石造りの背景壁(スケネ)へと立ち上げ、現在の姿へと復元したのです。

    ① 時期:18世紀後半から本格的な遺跡の発掘、土砂の除去、体系的な調査が始まり、19世紀には大規模な建築物の修復が最盛期を迎えました。
    ②発掘の過程:1787年のドイツの著名な作家ゲーテをはじめ、「グランド・ツアー」で訪れたヨーロッパの知識人たちがその素晴らしさを発見し、世界的な関心が高まりました。その後、ブルボン朝の当局や初期のイタリア人考古学者らが、何世紀にもわたって堆積した土砂を取り除くため、人力による除去作業を組織的に行いました。19世紀半ばには、著名な建築家フランチェスコ・サヴェリオ・カヴァッラーリの主導により、最も重要な部分の発掘および修復が行われました。彼は埋没していた構造物を掘り起こし、象徴的なコリント式の円柱(倒壊していたもの)を再び石造りの背景壁(スケネ)へと立ち上げ、現在の姿へと復元したのです。

  • 半壊しているFrontescena(フロンテシェーナ)を見て下さい。何故真ん中がぽっかり空いているのでしょうか?で、ちょっと調べてみました。<br />*第二次世界大戦時、タオルミーナの町自体(特にドイツ軍が司令部を置いた高級ホテルなど)は連合軍の空爆を受けましたが、劇場自体は致命的な直撃を免れました。 <br />*壁が「半壊」した本当の歴史<br />1.アラブ人による破壊(10世紀):965年にアラブ系の王朝(ファティマ朝)がタオルミーナを猛攻撃した際、この劇場も大きく破壊されました。<br />2.中世の「資材置き場」化(11世紀以降):その後シチリアを支配したノルマン人などが、町に教会や豪華な宮殿、城壁を建てる際、「あの劇場のレンガや大理石、すごく上質だから剥ぎ取って使おう」と、劇場をタダの建築資材の採掘場(リサイクルショップ)として使ってしまったのです。 <br />特に壁の中央部分(一番大きくて立派な大理石の柱や装飾があった場所)が、真っ先に持ち去られてしまったため、現在のような「真ん中が崩れた姿」になりました。ここから美しいイオニア海が見えるのでそれはそれでいいのですが。因みに大聖堂(ドゥオーモ)の三廊式建築を支えている 見事な一本石(モノリス)のピンクの大理石。あの左右計6本柱こそが、この古代劇場の舞台背景(フロンテシェーナ)をかつて豪華に飾っていたコリント式の柱そのものです。

    半壊しているFrontescena(フロンテシェーナ)を見て下さい。何故真ん中がぽっかり空いているのでしょうか?で、ちょっと調べてみました。
    *第二次世界大戦時、タオルミーナの町自体(特にドイツ軍が司令部を置いた高級ホテルなど)は連合軍の空爆を受けましたが、劇場自体は致命的な直撃を免れました。
    *壁が「半壊」した本当の歴史
    1.アラブ人による破壊(10世紀):965年にアラブ系の王朝(ファティマ朝)がタオルミーナを猛攻撃した際、この劇場も大きく破壊されました。
    2.中世の「資材置き場」化(11世紀以降):その後シチリアを支配したノルマン人などが、町に教会や豪華な宮殿、城壁を建てる際、「あの劇場のレンガや大理石、すごく上質だから剥ぎ取って使おう」と、劇場をタダの建築資材の採掘場(リサイクルショップ)として使ってしまったのです。
    特に壁の中央部分(一番大きくて立派な大理石の柱や装飾があった場所)が、真っ先に持ち去られてしまったため、現在のような「真ん中が崩れた姿」になりました。ここから美しいイオニア海が見えるのでそれはそれでいいのですが。因みに大聖堂(ドゥオーモ)の三廊式建築を支えている 見事な一本石(モノリス)のピンクの大理石。あの左右計6本柱こそが、この古代劇場の舞台背景(フロンテシェーナ)をかつて豪華に飾っていたコリント式の柱そのものです。

  • 向かって右、Versura est ヴェルスーラ西近くのFrontescena(フロンテシェーナ)の一部。優雅なコリント式の列柱は再建されたものです。<br />手前に4本並んでいる大理石の柱は、ローマ時代にレンガの壁(スケーネー)を豪華に飾り立てていた装飾の一部です。

    向かって右、Versura est ヴェルスーラ西近くのFrontescena(フロンテシェーナ)の一部。優雅なコリント式の列柱は再建されたものです。
    手前に4本並んでいる大理石の柱は、ローマ時代にレンガの壁(スケーネー)を豪華に飾り立てていた装飾の一部です。

  • ここに見えているのは舞台背景、スカエナエ・フロンス(Scaenae frons、フロンテシェーナとも呼ばれる)の2階部分です。中央に見えるのは大きなアーチ状の出入り口、Porta regia(ポルタ・レギア)。その隣にある小さなアーチ状の窪みは彫像を置くためのniches(ニッチ)です。いづれもローマ建築特有のデザイン要素ですね。<br />因みにローマ演劇には3つの出入り口がありました。<br />*まずポルタ・レギア(Porta regia)は「王、神々、主役(英雄)」など、最も身分が高く重要なキャラクター専用の出入り口でした。<br />*ポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)x 2. ポルタ・レギアの左右(1階部分)に小さめの門が一つづつ。これらは「平民」「友人」「客人」「脇役」「あるいは旅人」役に割り当てられていました。しかしこれらのポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)は現在見ることはできません。なぜなら、ローマ時代後期(2世紀~3世期頃)に、演劇用から「グラディエーター(剣闘士)や猛獣が戦う闘技場(アリーナ)」へと大規模にリフォームされた時、ポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)があったスカエナエ・フロンス(Scaenae frons)の1階部分は取り壊されてしまったからです。 <br />今、Porta regia(ポルタ・レギア)の下に見えるゴツゴツしたローマン・コンクリートの出入り口はアリーナに変貌した劇場の地下通路(ヒポスカエニウム)の出入り口でポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)ではありません。<br />

    ここに見えているのは舞台背景、スカエナエ・フロンス(Scaenae frons、フロンテシェーナとも呼ばれる)の2階部分です。中央に見えるのは大きなアーチ状の出入り口、Porta regia(ポルタ・レギア)。その隣にある小さなアーチ状の窪みは彫像を置くためのniches(ニッチ)です。いづれもローマ建築特有のデザイン要素ですね。
    因みにローマ演劇には3つの出入り口がありました。
    *まずポルタ・レギア(Porta regia)は「王、神々、主役(英雄)」など、最も身分が高く重要なキャラクター専用の出入り口でした。
    *ポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)x 2. ポルタ・レギアの左右(1階部分)に小さめの門が一つづつ。これらは「平民」「友人」「客人」「脇役」「あるいは旅人」役に割り当てられていました。しかしこれらのポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)は現在見ることはできません。なぜなら、ローマ時代後期(2世紀~3世期頃)に、演劇用から「グラディエーター(剣闘士)や猛獣が戦う闘技場(アリーナ)」へと大規模にリフォームされた時、ポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)があったスカエナエ・フロンス(Scaenae frons)の1階部分は取り壊されてしまったからです。
    今、Porta regia(ポルタ・レギア)の下に見えるゴツゴツしたローマン・コンクリートの出入り口はアリーナに変貌した劇場の地下通路(ヒポスカエニウム)の出入り口でポルタエ・ホスピタレース(Portae hospitales)ではありません。

  • 画像の中で黄色の矢印が指している、舞台の両脇にそびえ立つ四角い建物、これがヴェルスーラ(Versura、側棟)です。そして、その最上階(トップ部分)に設けられていたのが、一般市民とは完全に隔離された極上のVIP席「トリブナル(Tribunal=特別席)」でした。劇を主催する執政官や、地元の有力な政務官(マギストラトス)、あるいは皇帝の代理人といった超重要人物たちがここに君臨していたのです。一般の観客に見下ろされることなく、かつ「自分たちは特別な存在である」という権威を劇場全体に誇示できる、まさに計算し尽くされた設計でした。映画『グラディエーター』を観たことがある方なら、ホアキン・フェニックス演じるコモドゥス皇帝が座っていたあの豪華なボックス席を思い出すかもしれません。映画では演出上、アリーナの中央に席がありましたが、ここタオルミーナでは舞台の真横という、役者の息遣いまで聞こえる特等席に隔離されていたのです。<br /><br />

    画像の中で黄色の矢印が指している、舞台の両脇にそびえ立つ四角い建物、これがヴェルスーラ(Versura、側棟)です。そして、その最上階(トップ部分)に設けられていたのが、一般市民とは完全に隔離された極上のVIP席「トリブナル(Tribunal=特別席)」でした。劇を主催する執政官や、地元の有力な政務官(マギストラトス)、あるいは皇帝の代理人といった超重要人物たちがここに君臨していたのです。一般の観客に見下ろされることなく、かつ「自分たちは特別な存在である」という権威を劇場全体に誇示できる、まさに計算し尽くされた設計でした。映画『グラディエーター』を観たことがある方なら、ホアキン・フェニックス演じるコモドゥス皇帝が座っていたあの豪華なボックス席を思い出すかもしれません。映画では演出上、アリーナの中央に席がありましたが、ここタオルミーナでは舞台の真横という、役者の息遣いまで聞こえる特等席に隔離されていたのです。

  • 客席上部から舞台を見下ろした何も書き込まないショットです。舞台の両脇にヴェルスーラが見えます。これをバジリカと表記しているサイトもあります。<br /><br />*ヴェルスーラとバジリカとを同義語のように扱っているサイトもありますが、厳密には違います。ヴェルスーラは側棟でありバジリカのような形状をしたものと言うのが正しい解釈です。<br />*ちなみに、「バジリカ」と聞くと現代では「大聖堂(教会)」をイメージしますが、それはキリスト教が国教になってからの話。もともとは「公会堂や多目的空間」を指すローマの建築用語でした。<br />

    客席上部から舞台を見下ろした何も書き込まないショットです。舞台の両脇にヴェルスーラが見えます。これをバジリカと表記しているサイトもあります。

    *ヴェルスーラとバジリカとを同義語のように扱っているサイトもありますが、厳密には違います。ヴェルスーラは側棟でありバジリカのような形状をしたものと言うのが正しい解釈です。
    *ちなみに、「バジリカ」と聞くと現代では「大聖堂(教会)」をイメージしますが、それはキリスト教が国教になってからの話。もともとは「公会堂や多目的空間」を指すローマの建築用語でした。

  • 【隔離されたVIP空間「トリブナル(特別席)】<br />影のクーリア(議事堂)?影の永田町?大歓声の裏で繰り広げられた密室政治。舞台の真横に設けられた合法的な密室空間。<br />ローマのクーリア(議事堂)での議論は公式な記録が残りますが、劇場のVIP席や隣接の談話室は「ライバルに会話を聞かれる恐れもなくオフレコで密談ができる」最高に好都合な場所でした。高官同士が肩を寄せ合い、ヒソヒソと「次の執政官選挙、お前の派閥は誰を推す?」「例のクリエンテス(子分)たちの手回しは済んだか?」といった腹の探り合いや裏取引(談合)が日常茶飯事で行われていました。<br />つまりここに座ったローマの高官たちは、ただ優雅に劇を楽しんでいたわけではないのです。何千、何万人という一般観客の大歓声と喧騒に紛れて、隣り合う高官同士が肩を寄せ合い、次の選挙の談合や利権の裏取引を行う――。日本でいえば、高級料亭の密室で行われる政界の根回しのような、いわば &#39;影の永田町&#39;?的な場所としても機能していたのです。舞台の上で繰り広げられるフィクションのドラマのすぐ横で、トリブナルの中では「本物の権力闘争」というもう一つの生々しいドラマが同時進行していました。

    【隔離されたVIP空間「トリブナル(特別席)】
    影のクーリア(議事堂)?影の永田町?大歓声の裏で繰り広げられた密室政治。舞台の真横に設けられた合法的な密室空間。
    ローマのクーリア(議事堂)での議論は公式な記録が残りますが、劇場のVIP席や隣接の談話室は「ライバルに会話を聞かれる恐れもなくオフレコで密談ができる」最高に好都合な場所でした。高官同士が肩を寄せ合い、ヒソヒソと「次の執政官選挙、お前の派閥は誰を推す?」「例のクリエンテス(子分)たちの手回しは済んだか?」といった腹の探り合いや裏取引(談合)が日常茶飯事で行われていました。
    つまりここに座ったローマの高官たちは、ただ優雅に劇を楽しんでいたわけではないのです。何千、何万人という一般観客の大歓声と喧騒に紛れて、隣り合う高官同士が肩を寄せ合い、次の選挙の談合や利権の裏取引を行う――。日本でいえば、高級料亭の密室で行われる政界の根回しのような、いわば '影の永田町'?的な場所としても機能していたのです。舞台の上で繰り広げられるフィクションのドラマのすぐ横で、トリブナルの中では「本物の権力闘争」というもう一つの生々しいドラマが同時進行していました。

  • 舞台(スカエナ)と客席(カヴェア)を繋ぐ左右の要衝、それが「アディトゥス・マキシムス(aditus maximus)」。主要な大通路でありながら、一般の観客は足を踏み入れることすら許されない聖域でした。<br />ここを通ることができたのは、元老院議員や治安官、そして皇帝といった特権階級のVIPや、限られた出演者のみ。まさに現代の「VIP専用レッドカーペット」兼「バックステージ通路」の役割を果たしていた、厳格に管理された空間です。<br /><br />*この通路のすぐ上にはVIP専用の特別席(トリブナル)がありました。<br />*一般観客の動線: 庶民は劇場の外壁に組まれた別の階段や、「ヴォミトリウム(vomitoria)」と呼ばれる専用通路を通され、指定された中・上層の座席へと直接アクセスしていました。<br />*古代のリアリティ: 建築の動線そのものが、古代ローマの容赦ない「徹底された身分格差」をそのまま視覚化しているのです。<br /><br />歴然とした身分格差(次の画像へ続く)。

    舞台(スカエナ)と客席(カヴェア)を繋ぐ左右の要衝、それが「アディトゥス・マキシムス(aditus maximus)」。主要な大通路でありながら、一般の観客は足を踏み入れることすら許されない聖域でした。
    ここを通ることができたのは、元老院議員や治安官、そして皇帝といった特権階級のVIPや、限られた出演者のみ。まさに現代の「VIP専用レッドカーペット」兼「バックステージ通路」の役割を果たしていた、厳格に管理された空間です。

    *この通路のすぐ上にはVIP専用の特別席(トリブナル)がありました。
    *一般観客の動線: 庶民は劇場の外壁に組まれた別の階段や、「ヴォミトリウム(vomitoria)」と呼ばれる専用通路を通され、指定された中・上層の座席へと直接アクセスしていました。
    *古代のリアリティ: 建築の動線そのものが、古代ローマの容赦ない「徹底された身分格差」をそのまま視覚化しているのです。

    歴然とした身分格差(次の画像へ続く)。

  • 【ファーストクラスから奴隷席まで】格差社会チケットを手にした観客たちが向かったのは、画像のようにガチガチの身分格差によって3分割されたすり鉢状の客席(カヴェア)でした。<br />*下層階席(Ima Cavea:イマ・カヴェア)舞台に一番近い特等席です。座ったのは元老院議員や貴族、地元の特権階級のVIPたち。白い大理石の座席が今も綺麗に残っており、現代の飛行機でいう「ファーストクラス」です。<br />*中層階席(Media Cavea:メディア・カヴェア)その上に広がる広いエリア。ここはローマの一般市民(トガと呼ばれる正装を着た大人の男性)たちの指定席、いわば「エコノミークラス」でした。<br />*最上階席(Summa Cavea:スンマ・カヴェア)画像の一番てっぺん、赤レンガの壁の下のエリアです。ここには平民の貧困層や女性、そして奴隷たちが追いやられていました。考古学のリサーチによると、ローマ時代に「空中工事」で継ぎ足されたこの最上段エリアには、木造の座席(スタンド)がギッシリと組まれ、アーチ型の屋根(柱廊)で覆われていたとされています。が、現在は、この最上階席の『構造』がほとんど消失してしまっています。2000年の時の流れで木造部分が完全に朽ち果ててしまったため、現在はむき出しの地面が寂しく残る「謎の空白地帯」になっているのです。華やかな絶景劇場のいちばん高い場所には、かつて太陽に照らされながら、はるか下のVIP席を見下ろしていた奴隷たちの「見えない席」が存在していたのでした。

    【ファーストクラスから奴隷席まで】格差社会チケットを手にした観客たちが向かったのは、画像のようにガチガチの身分格差によって3分割されたすり鉢状の客席(カヴェア)でした。
    *下層階席(Ima Cavea:イマ・カヴェア)舞台に一番近い特等席です。座ったのは元老院議員や貴族、地元の特権階級のVIPたち。白い大理石の座席が今も綺麗に残っており、現代の飛行機でいう「ファーストクラス」です。
    *中層階席(Media Cavea:メディア・カヴェア)その上に広がる広いエリア。ここはローマの一般市民(トガと呼ばれる正装を着た大人の男性)たちの指定席、いわば「エコノミークラス」でした。
    *最上階席(Summa Cavea:スンマ・カヴェア)画像の一番てっぺん、赤レンガの壁の下のエリアです。ここには平民の貧困層や女性、そして奴隷たちが追いやられていました。考古学のリサーチによると、ローマ時代に「空中工事」で継ぎ足されたこの最上段エリアには、木造の座席(スタンド)がギッシリと組まれ、アーチ型の屋根(柱廊)で覆われていたとされています。が、現在は、この最上階席の『構造』がほとんど消失してしまっています。2000年の時の流れで木造部分が完全に朽ち果ててしまったため、現在はむき出しの地面が寂しく残る「謎の空白地帯」になっているのです。華やかな絶景劇場のいちばん高い場所には、かつて太陽に照らされながら、はるか下のVIP席を見下ろしていた奴隷たちの「見えない席」が存在していたのでした。

  • (ローマ劇場)を巡る歴史ミステリーには、さらに生々しい裏の顔があります。それは、入場券として使われていた粘土や骨のトークン「テッセラ(tesserae)」の配分方法です。古代ローマの「パトローヌス(有力者・保護者)」と「クリエンテス(子分・被保護者)」の主従関係(親分・子分システム)は、南イタリアおよびシチリア島で数千年にわたり社会の底流に残り続け、19世紀に近代的な秘密結社「コーザ・ノストラ(シチリア・マフィア)」が誕生する地盤になったと多くの歴史社会学者が指摘しています。<br />*支配と分配のシステム: 劇場への入場は原則無料でしたが、どの「席」のテッセラを誰に分配するかという特権は、パトローヌス(有力者・保護者)である地元の有力者や「顔役」たちが完全に握っていました。<br />*大衆のコントロール:クリエンテス(子分・被保護者)たちに 恩を売り、忠誠を誓わせ、大衆をコントロールすることで裏の秩序を支配する。「俺の言う事を聞いとけばいい席をあてがってやる」みたいな....なんかドロドロしてますね。<br />美しく壮大なローマン・エンジニアリングの光の裏には、こうした泥臭い冷徹な「民衆統治の闇の力学」がぴったりと張り付いていた。。。これこそが、シチリアという島が持つ歴史の本当の深みなのかもしれません。<br /><br />(注)テッセラ(tessera、複数形:tesserae)とは、劇場や闘技場などのイベントで使用された古代ローマの入場券やトークン(引換券・証明証)のことです。<br />テッセラ(入場券)の特徴材質: 粘土、骨、象牙、金属などが使われました。<br />記載内容: 表面には皇帝の肖像や、入場すべき入口(アイル)、列、座席番号などが刻まれていました。<br />役割: コロッセオなどの大型劇場や競技場で、観客が自分の席をスムーズに見つけるためのチケットとして機能しました。<br /><br />※画像はWikipediaより借用。

    (ローマ劇場)を巡る歴史ミステリーには、さらに生々しい裏の顔があります。それは、入場券として使われていた粘土や骨のトークン「テッセラ(tesserae)」の配分方法です。古代ローマの「パトローヌス(有力者・保護者)」と「クリエンテス(子分・被保護者)」の主従関係(親分・子分システム)は、南イタリアおよびシチリア島で数千年にわたり社会の底流に残り続け、19世紀に近代的な秘密結社「コーザ・ノストラ(シチリア・マフィア)」が誕生する地盤になったと多くの歴史社会学者が指摘しています。
    *支配と分配のシステム: 劇場への入場は原則無料でしたが、どの「席」のテッセラを誰に分配するかという特権は、パトローヌス(有力者・保護者)である地元の有力者や「顔役」たちが完全に握っていました。
    *大衆のコントロール:クリエンテス(子分・被保護者)たちに 恩を売り、忠誠を誓わせ、大衆をコントロールすることで裏の秩序を支配する。「俺の言う事を聞いとけばいい席をあてがってやる」みたいな....なんかドロドロしてますね。
    美しく壮大なローマン・エンジニアリングの光の裏には、こうした泥臭い冷徹な「民衆統治の闇の力学」がぴったりと張り付いていた。。。これこそが、シチリアという島が持つ歴史の本当の深みなのかもしれません。

    (注)テッセラ(tessera、複数形:tesserae)とは、劇場や闘技場などのイベントで使用された古代ローマの入場券やトークン(引換券・証明証)のことです。
    テッセラ(入場券)の特徴材質: 粘土、骨、象牙、金属などが使われました。
    記載内容: 表面には皇帝の肖像や、入場すべき入口(アイル)、列、座席番号などが刻まれていました。
    役割: コロッセオなどの大型劇場や競技場で、観客が自分の席をスムーズに見つけるためのチケットとして機能しました。

    ※画像はWikipediaより借用。

  • ヴェルスーラ東(Versura est)に来ました。<br />ヴェルスーラ (Versura 、側棟)は大きなアーチ門がある多目的ホールで、舞台のすぐ左右に位置する袖(そで)や脇の出入り口としての機能をもっていました。

    ヴェルスーラ東(Versura est)に来ました。
    ヴェルスーラ (Versura 、側棟)は大きなアーチ門がある多目的ホールで、舞台のすぐ左右に位置する袖(そで)や脇の出入り口としての機能をもっていました。

  • こちらはVersura ovestヴェルスーラ西。内部空間です。<br />滑らかな半円形を描いた巨大な天井(天井のうねり)が広がっていますがこれはバレル・ヴォールト(筒型穹窿)」という構造です。<br />よく見ると、奥の壁面に向かって天井のコンクリート(剥き出しの未加工の石と漆喰)の面が、まるで洞窟のようにゴツゴツと、波打つようにうねっています。これは、中世以降に表面を飾っていたはずの「美しい大理石の板」や「漆喰の彫刻(スタッコ)」がすべて剥ぎ取られ、建築の「骨組み(下地)」が剥き出しになっているためです。

    こちらはVersura ovestヴェルスーラ西。内部空間です。
    滑らかな半円形を描いた巨大な天井(天井のうねり)が広がっていますがこれはバレル・ヴォールト(筒型穹窿)」という構造です。
    よく見ると、奥の壁面に向かって天井のコンクリート(剥き出しの未加工の石と漆喰)の面が、まるで洞窟のようにゴツゴツと、波打つようにうねっています。これは、中世以降に表面を飾っていたはずの「美しい大理石の板」や「漆喰の彫刻(スタッコ)」がすべて剥ぎ取られ、建築の「骨組み(下地)」が剥き出しになっているためです。

  • Versura ovestヴェルスーラ西とVersura est ヴェルスーラ東にあった秘密の階段。<br />図面のオレンジの丸の部分を見てください。ここに一般観客から見えないように隔離された高官専用の狭いアーチで囲まれた特殊通路がありました。この階段は特別なボックス席ートリブナル(Tribunal)への直通階段だったのです。<br />*何故隔離された空間?暗殺を恐れるローマの高官たちにとって、一般大衆に背中を見せずに、専用の階段からサッと馬車へ直行できるこの構造は必須だったのです。なので、トリブナルの専用入り口は「VIPの安全な避難経路(セキュリティ・ルート)」として機能していました。

    Versura ovestヴェルスーラ西とVersura est ヴェルスーラ東にあった秘密の階段。
    図面のオレンジの丸の部分を見てください。ここに一般観客から見えないように隔離された高官専用の狭いアーチで囲まれた特殊通路がありました。この階段は特別なボックス席ートリブナル(Tribunal)への直通階段だったのです。
    *何故隔離された空間?暗殺を恐れるローマの高官たちにとって、一般大衆に背中を見せずに、専用の階段からサッと馬車へ直行できるこの構造は必須だったのです。なので、トリブナルの専用入り口は「VIPの安全な避難経路(セキュリティ・ルート)」として機能していました。

  • レンガ壁が壊れてトリブナル(Tribunal)への直通階段が露出してしまっています(右側に見える、人一人がやっと通れるくらいの狭い階段です)。VIPは劇場の外側から馬車などで乗り付け、直接アーチに囲まれたトンネルを通ってこの階段を登り、上部のトリブナル(Tribunal)や談話室に入っていったのです。一般市民の混雑に巻き込まれることなく、厳重に隔離された専用通路でスマートに入退場していました。<br />(注)劇場は最も暗殺の起きやすい場所でした。<br /><br />因みに古代ローマ建築には「基本設計(アルゴリズム)」とも言えるいくつかの鉄則があります。<br />建築家ヴィトルヴィウスが著した『建築論』や、現代の考古学(テアトロ・ロマーノの研究文献)によって明かされている「絶対に変わらない設計思想」がそれです。<br />1.「一般客とVIPの動線は100%分離する」<br />2.「アディトゥス・マキシムスはオルケストラと外部を繋ぐ」<br />3.「トリブナルはアディトゥスの上に配置する」<br />これらはタオルミーナ劇場だけでなく、ポンペイやオレンジ、ローマ市内にあるすべての劇場に共通する「鉄則」です。それがこの劇場の設計にも明確に適用されていることを確認した1日になりました。

    レンガ壁が壊れてトリブナル(Tribunal)への直通階段が露出してしまっています(右側に見える、人一人がやっと通れるくらいの狭い階段です)。VIPは劇場の外側から馬車などで乗り付け、直接アーチに囲まれたトンネルを通ってこの階段を登り、上部のトリブナル(Tribunal)や談話室に入っていったのです。一般市民の混雑に巻き込まれることなく、厳重に隔離された専用通路でスマートに入退場していました。
    (注)劇場は最も暗殺の起きやすい場所でした。

    因みに古代ローマ建築には「基本設計(アルゴリズム)」とも言えるいくつかの鉄則があります。
    建築家ヴィトルヴィウスが著した『建築論』や、現代の考古学(テアトロ・ロマーノの研究文献)によって明かされている「絶対に変わらない設計思想」がそれです。
    1.「一般客とVIPの動線は100%分離する」
    2.「アディトゥス・マキシムスはオルケストラと外部を繋ぐ」
    3.「トリブナルはアディトゥスの上に配置する」
    これらはタオルミーナ劇場だけでなく、ポンペイやオレンジ、ローマ市内にあるすべての劇場に共通する「鉄則」です。それがこの劇場の設計にも明確に適用されていることを確認した1日になりました。

  • 舞台裏の通路。アーチ部分のややクロースアップ。ローマン・コンクリート(オプス・カエメンティキウム)の構造を見てください。<br />古代ローマの驚異的な発明であるローマン・コンクリート、なぜ2000年も崩れないのかという秘密。そしてその「魔法のレシピ」は次の画像のコメント欄に書き込みました。

    舞台裏の通路。アーチ部分のややクロースアップ。ローマン・コンクリート(オプス・カエメンティキウム)の構造を見てください。
    古代ローマの驚異的な発明であるローマン・コンクリート、なぜ2000年も崩れないのかという秘密。そしてその「魔法のレシピ」は次の画像のコメント欄に書き込みました。

  • 「魔法のレシピ」<br />基本は「石や砂礫」に「結合剤(セメント)」を混ぜたものですが、その中身が非常に特殊でした。<br />1. 骨材(カエメンタ):写真の石の部分<br />コンクリートの骨組みとなるバルク材です。ローマ人は手に入る地元の石を何でも使いましたが、特に凝灰岩(ぎょうかいがん)や砕いたレンガ、そして軽石(火山礫)を好んで混ぜました。軽石を混ぜることで、強度を保ちながらも全体の重量を軽くし、このような巨大なアーチやドーム(ローマのパンテオンなど)を支えることに成功しました。<br />2. 水酸化カルシウム(消石灰):ベースとなる接着剤<br />石灰石を焼いて水と混ぜたものです。現代のセメントに相当するベースですが、これだけだと水に弱く、時間とともに劣化してしまいます。<br />3. 奇跡の原材料「プッツォラーナ(火山灰)」:これこそが「秘密の何か」の正体です!<br />ローマ近郊のポッツォーリや、ナポリ湾周辺(ヴェスヴィオ火山近郊)で採れる特定の火山灰です。この火山灰にはシリカとアルミナが豊富に含まれており、これが石灰・水と化学反応(ポゾラン反応)を起こすことで、現代のセメントを遥かに凌ぐ耐久性を生み出しました。<br />ローマ人は地元シチリアの頑丈な石のなかに、ナポリ湾から運ばれた特別な『火山灰』を混ぜ合わせました。この魔法のレシピのおかげで、コンクリートは雨や風に風化するどころか、時が経つほどに自己修復を繰り返し、今もなおこの巨大な構造を支え続けているのです。

    「魔法のレシピ」
    基本は「石や砂礫」に「結合剤(セメント)」を混ぜたものですが、その中身が非常に特殊でした。
    1. 骨材(カエメンタ):写真の石の部分
    コンクリートの骨組みとなるバルク材です。ローマ人は手に入る地元の石を何でも使いましたが、特に凝灰岩(ぎょうかいがん)や砕いたレンガ、そして軽石(火山礫)を好んで混ぜました。軽石を混ぜることで、強度を保ちながらも全体の重量を軽くし、このような巨大なアーチやドーム(ローマのパンテオンなど)を支えることに成功しました。
    2. 水酸化カルシウム(消石灰):ベースとなる接着剤
    石灰石を焼いて水と混ぜたものです。現代のセメントに相当するベースですが、これだけだと水に弱く、時間とともに劣化してしまいます。
    3. 奇跡の原材料「プッツォラーナ(火山灰)」:これこそが「秘密の何か」の正体です!
    ローマ近郊のポッツォーリや、ナポリ湾周辺(ヴェスヴィオ火山近郊)で採れる特定の火山灰です。この火山灰にはシリカとアルミナが豊富に含まれており、これが石灰・水と化学反応(ポゾラン反応)を起こすことで、現代のセメントを遥かに凌ぐ耐久性を生み出しました。
    ローマ人は地元シチリアの頑丈な石のなかに、ナポリ湾から運ばれた特別な『火山灰』を混ぜ合わせました。この魔法のレシピのおかげで、コンクリートは雨や風に風化するどころか、時が経つほどに自己修復を繰り返し、今もなおこの巨大な構造を支え続けているのです。

  • *舞台裏の通路:ここはギリシャ時代からローマ時代へとまさに劇的な変化が起きた場所です。本来のギリシャ劇場では、この部分は大部分が屋外に開かれた空間でした。しかしローマ人は、ここに重厚な煉瓦造りのヴォールト(アーチ状の天井)を架け、暗く屋根に覆われた通路を作り出しました。<br />*剣闘士の通路:ローマ時代、劇場が剣闘士の競技場として使われるようになると、この暗くヴォールトに覆われた通路は、剣闘士や舞台係、猛獣を移動させるために利用されました。これらは、強烈な日差しを避けつつ、劇的で完璧な瞬間が訪れるまで観客の目から隠しておくための空間でもありました。

    *舞台裏の通路:ここはギリシャ時代からローマ時代へとまさに劇的な変化が起きた場所です。本来のギリシャ劇場では、この部分は大部分が屋外に開かれた空間でした。しかしローマ人は、ここに重厚な煉瓦造りのヴォールト(アーチ状の天井)を架け、暗く屋根に覆われた通路を作り出しました。
    *剣闘士の通路:ローマ時代、劇場が剣闘士の競技場として使われるようになると、この暗くヴォールトに覆われた通路は、剣闘士や舞台係、猛獣を移動させるために利用されました。これらは、強烈な日差しを避けつつ、劇的で完璧な瞬間が訪れるまで観客の目から隠しておくための空間でもありました。

  • いま私が歩いているのはかっての’ ポルティクス・ポスト・スカエナム(Porticus post scaenam)=広大なバックステージ(楽屋空間)の回廊部分です。<br />楽屋空間の前面には「客席に対峙する巨大なステージの壁、エディフィチョ・シェニコ(Edificio scenico,舞台棟)』がありました。古代ローマ時代、そこは華麗な大理石の柱で埋め尽くされ、背後のエトナ山を完全に覆い隠す巨大な人工の壁だったのです。そしてその壁の真裏には、このポルティクス・ポスト・スカエナム(Porticus post scaenam,舞台裏の柱廊)&#39;という広大な回廊が広がっていました。劇の合間、シチリアの猛烈な太陽から逃れてきた観客たちが、ワインを片手に次の演目の噂話に花を咲かせた、いわば古代の劇場ロビーでした。役者たちが情熱をぶつけた表舞台のビルと、観客たちが熱狂を冷ました裏手のオアシス。この2つが背中合わせに存在していたからこそ、劇場はひとつの完成された社交場として機能していました。<br />(注)当時の演劇は、遮るもののない太陽の下で何時間も行われました。そのため、この場所は主に「観客の休憩所・避難所」として使われたのです。

    いま私が歩いているのはかっての’ ポルティクス・ポスト・スカエナム(Porticus post scaenam)=広大なバックステージ(楽屋空間)の回廊部分です。
    楽屋空間の前面には「客席に対峙する巨大なステージの壁、エディフィチョ・シェニコ(Edificio scenico,舞台棟)』がありました。古代ローマ時代、そこは華麗な大理石の柱で埋め尽くされ、背後のエトナ山を完全に覆い隠す巨大な人工の壁だったのです。そしてその壁の真裏には、このポルティクス・ポスト・スカエナム(Porticus post scaenam,舞台裏の柱廊)'という広大な回廊が広がっていました。劇の合間、シチリアの猛烈な太陽から逃れてきた観客たちが、ワインを片手に次の演目の噂話に花を咲かせた、いわば古代の劇場ロビーでした。役者たちが情熱をぶつけた表舞台のビルと、観客たちが熱狂を冷ました裏手のオアシス。この2つが背中合わせに存在していたからこそ、劇場はひとつの完成された社交場として機能していました。
    (注)当時の演劇は、遮るもののない太陽の下で何時間も行われました。そのため、この場所は主に「観客の休憩所・避難所」として使われたのです。

  • 古代劇場の見納め:<br />実は5月10~12日とシチリア島東岸地域は記録的な熱波にみまわれていました。タオルミーナの気温は最高で34~36℃(華氏93~97度)に達しましたが、テアトロ・アンティコのすり鉢状の内部は、まさにオーブンの中にいるような暑さでした。<br />石灰岩による「オーブン」効果:白やクリーム色の古代石灰岩は高い熱容量を持っています。午前中ずっと地中海の強烈な日差しを吸収し、その後、その熱を局所的な放射熱として激しく放出します。これにより、地面や座席の表面温度は容易に45℃(華氏113度)を超え、気象観測所の公式な気温データよりもはるかに高温な局所的微気候が形成されます。<br />空気の滞留:古代劇場のすり鉢状の構造が、天然の防風壁の役割を果たしてしまいます。タオルミーナにはイオニア海からの海風が吹きますが、石の階段状の座席が、熱せられた空気を滞留させてしまうのです。<br />「体感温度」の現実:日陰が全くなく、紫外線指数も急上昇している状況に加え、石からの放射熱が重なり、観客席での実際の体感温度は38~42℃(華氏100~108度)に近いものになっていました。<br />つまりこの場所に一定時間とどまると上下左右からの日差し、照り返し諸々で、程なくローストチキン風になってしまうという訳です。焦げチキンになる前に場所を引き払います。でも水分はしっかり摂って脱水症状になるのを防がないと旅が継続できませんけど。。。

    古代劇場の見納め:
    実は5月10~12日とシチリア島東岸地域は記録的な熱波にみまわれていました。タオルミーナの気温は最高で34~36℃(華氏93~97度)に達しましたが、テアトロ・アンティコのすり鉢状の内部は、まさにオーブンの中にいるような暑さでした。
    石灰岩による「オーブン」効果:白やクリーム色の古代石灰岩は高い熱容量を持っています。午前中ずっと地中海の強烈な日差しを吸収し、その後、その熱を局所的な放射熱として激しく放出します。これにより、地面や座席の表面温度は容易に45℃(華氏113度)を超え、気象観測所の公式な気温データよりもはるかに高温な局所的微気候が形成されます。
    空気の滞留:古代劇場のすり鉢状の構造が、天然の防風壁の役割を果たしてしまいます。タオルミーナにはイオニア海からの海風が吹きますが、石の階段状の座席が、熱せられた空気を滞留させてしまうのです。
    「体感温度」の現実:日陰が全くなく、紫外線指数も急上昇している状況に加え、石からの放射熱が重なり、観客席での実際の体感温度は38~42℃(華氏100~108度)に近いものになっていました。
    つまりこの場所に一定時間とどまると上下左右からの日差し、照り返し諸々で、程なくローストチキン風になってしまうという訳です。焦げチキンになる前に場所を引き払います。でも水分はしっかり摂って脱水症状になるのを防がないと旅が継続できませんけど。。。

  • 出入り口にやってきました。朝来た時と違ってチケット売り場には長い行列。でも窓口は5列横隊に並んでいるのでそんなに待つことはありません。<br />

    出入り口にやってきました。朝来た時と違ってチケット売り場には長い行列。でも窓口は5列横隊に並んでいるのでそんなに待つことはありません。

  • グランド・ホテル・ティメオ: 古代劇場の隣にあるシチリアで最初にできたホテルです。1850年頃、地元の創業者ドン・フランチェスコ・ラ・フロレスタが自宅の部屋を貸し出したことから始まり、1873年に本格的なグランドホテルへと発展しました。エトナ山やイオニア海を望む絶好のロケーションを誇ります。因みにトルーマン・カポーティは2年間このホテルに滞在し、その静穏な環境の中で『ティファニーで朝食を』を執筆しました。また、オードリー・ヘプバーンやソフィア・ローレンも、ホテルの黄金時代には常連として名を連ねていました。

    グランド・ホテル・ティメオ: 古代劇場の隣にあるシチリアで最初にできたホテルです。1850年頃、地元の創業者ドン・フランチェスコ・ラ・フロレスタが自宅の部屋を貸し出したことから始まり、1873年に本格的なグランドホテルへと発展しました。エトナ山やイオニア海を望む絶好のロケーションを誇ります。因みにトルーマン・カポーティは2年間このホテルに滞在し、その静穏な環境の中で『ティファニーで朝食を』を執筆しました。また、オードリー・ヘプバーンやソフィア・ローレンも、ホテルの黄金時代には常連として名を連ねていました。

    Grand Hotel Timeo, A Belmond Hotel, Taormina ホテル

  • テアトログレコ通り(Via Teatro Greco )のジェラード屋さん。

    テアトログレコ通り(Via Teatro Greco )のジェラード屋さん。

  • 水分と冷たさ補給です。左:冷たいフレッシュオレンジジュース。右:レモンとピスタチオのジェラード。<br />ここでやりがちなのが「お水ばかり飲む」、ことですが、これはNGと後で知りました。なぜ?<br />大量の汗をかいた後に水だけを補給すると、体内の塩分濃度が低下。脳への血流が減り、頭がぼわーんとする「熱疲労」を引き起こします。<br />ので、必ず「塩分」をセットで補給することが大切だそうです。おすすめは現地調達できる、ほどよい塩気のリング状パン「タラッリ(Taralli)」や、手軽なポテトチップス「パタティーネ(Patatine)」。これらを歩きながらつまむだけで、脳のエネルギーと塩分がチャージされ、頭ぼわ~ン、ローストチキン化あるいはグラタン化をスマートに回避できるようです。

    水分と冷たさ補給です。左:冷たいフレッシュオレンジジュース。右:レモンとピスタチオのジェラード。
    ここでやりがちなのが「お水ばかり飲む」、ことですが、これはNGと後で知りました。なぜ?
    大量の汗をかいた後に水だけを補給すると、体内の塩分濃度が低下。脳への血流が減り、頭がぼわーんとする「熱疲労」を引き起こします。
    ので、必ず「塩分」をセットで補給することが大切だそうです。おすすめは現地調達できる、ほどよい塩気のリング状パン「タラッリ(Taralli)」や、手軽なポテトチップス「パタティーネ(Patatine)」。これらを歩きながらつまむだけで、脳のエネルギーと塩分がチャージされ、頭ぼわ~ン、ローストチキン化あるいはグラタン化をスマートに回避できるようです。

  • 店内を見回してみると。。。あれっ!!アーチとローマン・コンクリート??これは古代ローマ時代の壁ではないですか。でも、深く追及しないことにしましょう。

    店内を見回してみると。。。あれっ!!アーチとローマン・コンクリート??これは古代ローマ時代の壁ではないですか。でも、深く追及しないことにしましょう。

  • サンタカテリーナ教会(Chiesa di S.Caterina)<br />テアトログレコ通り(Via Teatro Greco )とティメオ通り(Via Timeo)の交差する場所にこの教会があります。17世紀前半に建設されたもので、ピンク色のタオルミーナ産大理石を用いた入り口が目印です。

    サンタカテリーナ教会(Chiesa di S.Caterina)
    テアトログレコ通り(Via Teatro Greco )とティメオ通り(Via Timeo)の交差する場所にこの教会があります。17世紀前半に建設されたもので、ピンク色のタオルミーナ産大理石を用いた入り口が目印です。

    サンタ カテリーナ教会 寺院・教会

  • 木製の梁(はり)によるトラス構造の天井を持つ単廊式の内部空間が特徴です。側壁に沿ってソロモンの柱が天井を支えるように配置されています。<br />右上のバロック絵画は、7世紀のものでイタリアの画家アントニオ・アルベルティ(アントニオ・バルバロンガの名でも知られる、1600?1649年)による『聖母とカルメル会の聖人たち』(Madonna e santi carmelitani)と題された作品。<br />下の祭壇画はヤコポ・ヴィニェリオの手になるものです。

    木製の梁(はり)によるトラス構造の天井を持つ単廊式の内部空間が特徴です。側壁に沿ってソロモンの柱が天井を支えるように配置されています。
    右上のバロック絵画は、7世紀のものでイタリアの画家アントニオ・アルベルティ(アントニオ・バルバロンガの名でも知られる、1600?1649年)による『聖母とカルメル会の聖人たち』(Madonna e santi carmelitani)と題された作品。
    下の祭壇画はヤコポ・ヴィニェリオの手になるものです。

  • この教会の最もユニークな点はローマ時代のオデオン(音楽堂)の遺跡の真上に建てられていることです。そのオデオン自体も、おそらくアプロディーテに捧げられた、より古いギリシャ神殿の跡地に建設されたものといわれています。<br />1970年代の考古学的発見:修復工事の際、地下の納骨堂、古代の舗装の断片、そしてギリシャ・ローマ時代のブーレウテリオン(評議会所・議事堂)の遺構が発見されました。

    この教会の最もユニークな点はローマ時代のオデオン(音楽堂)の遺跡の真上に建てられていることです。そのオデオン自体も、おそらくアプロディーテに捧げられた、より古いギリシャ神殿の跡地に建設されたものといわれています。
    1970年代の考古学的発見:修復工事の際、地下の納骨堂、古代の舗装の断片、そしてギリシャ・ローマ時代のブーレウテリオン(評議会所・議事堂)の遺構が発見されました。

  • さて、ここを出て、オデオンに行きましょう。教会の隣にあるアラビックな建物はパラッツォ・コルヴァイア(コルヴァイア宮殿)です。<br />10世紀頃のアラブの塔が基礎となり、その後増築されて現在の姿となりました。15世紀にはシチリア議会が開かれた場所としても知られています。1階には観光案内所があり、2階にはシチリアの民族博物館が入っているようです。

    さて、ここを出て、オデオンに行きましょう。教会の隣にあるアラビックな建物はパラッツォ・コルヴァイア(コルヴァイア宮殿)です。
    10世紀頃のアラブの塔が基礎となり、その後増築されて現在の姿となりました。15世紀にはシチリア議会が開かれた場所としても知られています。1階には観光案内所があり、2階にはシチリアの民族博物館が入っているようです。

    観光案内所(タオルミナ) 散歩・街歩き

  • ローマンオデオンの説明版<br />バックグラウンド:<br />ローマン・オデオンは、パラッツォ・コルヴァイア(コルヴァイア宮殿)の裏手に位置する小さな劇場で、2世紀、ローマ皇帝カエサル・アウグストゥス・オクタヴィアヌスの時代に建設されました。ここは、都市の特権階級のみを対象とした音楽や文学の公演が行われる舞台でした。1892年に発見された後、長い期間をかけて考古学的な発掘調査が行われましたが、その過程では、遺跡の上に建てられていたいくつかの建物を撤去する必要がありました。建築様式としては、タオルミーナの古代劇場として知られる大規模なギリシャ・ローマ様式の劇場とよく似ていますが、この小規模なオデオンは建物の向きが異なっていて北東を向いて建てられています。粘土煉瓦を用いて建設され、舞台、オーケストラ(演奏・合唱スペース)、観客席(カヴェア)という3つの主要な部分で構成されており、観客席は約200人を収容できるよう5つのエリアに分かれていました。<br />ここは入場料などまったくなく、誰でも自由に見学できる遺跡です。

    ローマンオデオンの説明版
    バックグラウンド:
    ローマン・オデオンは、パラッツォ・コルヴァイア(コルヴァイア宮殿)の裏手に位置する小さな劇場で、2世紀、ローマ皇帝カエサル・アウグストゥス・オクタヴィアヌスの時代に建設されました。ここは、都市の特権階級のみを対象とした音楽や文学の公演が行われる舞台でした。1892年に発見された後、長い期間をかけて考古学的な発掘調査が行われましたが、その過程では、遺跡の上に建てられていたいくつかの建物を撤去する必要がありました。建築様式としては、タオルミーナの古代劇場として知られる大規模なギリシャ・ローマ様式の劇場とよく似ていますが、この小規模なオデオンは建物の向きが異なっていて北東を向いて建てられています。粘土煉瓦を用いて建設され、舞台、オーケストラ(演奏・合唱スペース)、観客席(カヴェア)という3つの主要な部分で構成されており、観客席は約200人を収容できるよう5つのエリアに分かれていました。
    ここは入場料などまったくなく、誰でも自由に見学できる遺跡です。

  • 実を言うと、私がこの「ローマン・オデオン(ローマ劇場)」を訪ねたのには、ある壮大な歴史の伏線(バックストーリー)がありました。<br />この劇場には、のちの建築史をひっくり返す「ローマ建築のDNA」が静かに息づいているのです。<br />*パンテオンへの進化: 当時はまだ、コンクリートだけで巨大な空間を覆う技術(のちのパンテオンの技術)が完成する前段階。そのためローマ人たちは、超ぶ厚く重いレンガの壁(マッス)で周囲を強固に支え、その上に「柱を1本も使わずに、扇形のパラソルのような軽い木造屋根」を架けるという、当時の技術的限界に挑むハイブリッド構造を選択しました。<br />*無柱の大空間というイノベーション: この「重い壁で支えて、内部に柱のない大空間を作る」という試行錯誤の積み重ねが、やがて「壁も屋根もすべてコンクリート一体型にしてしまおう!」という、あの世紀の傑作パンテオン(紀元118年頃)へと結実します。<br />*そして、フィレンツェの奇跡へ: 物語はここで終わりません。ルネサンス期、天才ブルネレスキはこのパンテオンの構造を必死に分析・研究し、独自の「ヘリンボーン工法」を編み出すことで、フィレンツェの「花の聖母教会」の巨大ドームを完成させました。<br />タオルミーナの小さなオデオンに遺されたレンガの壁。古代ローマの技術者たちの執念から始まり、パンテオンを経て、フィレンツェのルネサンスの奇跡へと時空を超えて繋がっていく、その一連の流れは壮大な「人類の知恵の架け橋」そのものだったという気がします。<br /><br />(次の画像へ続く)<br />

    実を言うと、私がこの「ローマン・オデオン(ローマ劇場)」を訪ねたのには、ある壮大な歴史の伏線(バックストーリー)がありました。
    この劇場には、のちの建築史をひっくり返す「ローマ建築のDNA」が静かに息づいているのです。
    *パンテオンへの進化: 当時はまだ、コンクリートだけで巨大な空間を覆う技術(のちのパンテオンの技術)が完成する前段階。そのためローマ人たちは、超ぶ厚く重いレンガの壁(マッス)で周囲を強固に支え、その上に「柱を1本も使わずに、扇形のパラソルのような軽い木造屋根」を架けるという、当時の技術的限界に挑むハイブリッド構造を選択しました。
    *無柱の大空間というイノベーション: この「重い壁で支えて、内部に柱のない大空間を作る」という試行錯誤の積み重ねが、やがて「壁も屋根もすべてコンクリート一体型にしてしまおう!」という、あの世紀の傑作パンテオン(紀元118年頃)へと結実します。
    *そして、フィレンツェの奇跡へ: 物語はここで終わりません。ルネサンス期、天才ブルネレスキはこのパンテオンの構造を必死に分析・研究し、独自の「ヘリンボーン工法」を編み出すことで、フィレンツェの「花の聖母教会」の巨大ドームを完成させました。
    タオルミーナの小さなオデオンに遺されたレンガの壁。古代ローマの技術者たちの執念から始まり、パンテオンを経て、フィレンツェのルネサンスの奇跡へと時空を超えて繋がっていく、その一連の流れは壮大な「人類の知恵の架け橋」そのものだったという気がします。

    (次の画像へ続く)

  • 入ってすぐにこの光景が広がります。手前に見えるトンネル状の遺構は、「ヴォミトリウム(Vomitorium)」と呼ばれる、観客が客席(カヴェア)へと出入りするための入場通路(トンネル)です。その向こうに見えるのは観客席。<br />この上にはかつてオデオン全体をカバーする屋根があった。しかもその屋根は柱を1本も使わずに構築されていた。う~~む、一体どんな構造だったのでしょう? <br /> <br />*「ヴォミトリウム」という面白い名前:<br />ラテン語の「vomere(吐き出す、湧き出る)」が語源です。劇場の終演時、何百人もの観客が一斉にこの通路から外へ「ドッと吐き出されるように」退出していく様子からこの名がつけられました。<br />*優れた群衆コントロール:<br />古代ローマのスタジアム(コロッセオなど)や劇場は、このヴォミトリウムを何箇所も配置することで、身分の異なる観客が鉢合わせるのを防ぎ、かつ数分で全員が安全に避難できるような完璧な動線設計を行っていました。現在のサッカースタジアムの入場口の仕組みと全く同じです。

    入ってすぐにこの光景が広がります。手前に見えるトンネル状の遺構は、「ヴォミトリウム(Vomitorium)」と呼ばれる、観客が客席(カヴェア)へと出入りするための入場通路(トンネル)です。その向こうに見えるのは観客席。
    この上にはかつてオデオン全体をカバーする屋根があった。しかもその屋根は柱を1本も使わずに構築されていた。う~~む、一体どんな構造だったのでしょう? 
     
    *「ヴォミトリウム」という面白い名前:
    ラテン語の「vomere(吐き出す、湧き出る)」が語源です。劇場の終演時、何百人もの観客が一斉にこの通路から外へ「ドッと吐き出されるように」退出していく様子からこの名がつけられました。
    *優れた群衆コントロール:
    古代ローマのスタジアム(コロッセオなど)や劇場は、このヴォミトリウムを何箇所も配置することで、身分の異なる観客が鉢合わせるのを防ぎ、かつ数分で全員が安全に避難できるような完璧な動線設計を行っていました。現在のサッカースタジアムの入場口の仕組みと全く同じです。

  • で調べると、現在の歴史建築学では屋根のトラス(骨組み)は「木造(巨大な木製梁)」で、その上に「軽量のテラコッタ(レンガ素材)の瓦」が葺かれていたというのが定説だそうです。<br />オデオン(音楽堂)の客席(半円形)とステージ(直線)は合体した形をしています。そのため、屋根はドーム状ではなく、ステージ側から客席の後方に向けて、扇を広げたようにややカーブしながら傾斜していく形であったと考えられています。半円形の巨大なパラソル状だったと想像するとわかりやすいかもしれません。

    で調べると、現在の歴史建築学では屋根のトラス(骨組み)は「木造(巨大な木製梁)」で、その上に「軽量のテラコッタ(レンガ素材)の瓦」が葺かれていたというのが定説だそうです。
    オデオン(音楽堂)の客席(半円形)とステージ(直線)は合体した形をしています。そのため、屋根はドーム状ではなく、ステージ側から客席の後方に向けて、扇を広げたようにややカーブしながら傾斜していく形であったと考えられています。半円形の巨大なパラソル状だったと想像するとわかりやすいかもしれません。

  • *パンテオンへの進化のつながり:当時はまだ「コンクリートだけで大空間を覆う技術(パンテオンの技術)」が完成する前段階でした。そのため、ローマ人たちはこの画像にみられるような「超ぶ厚く重いレンガの壁」で周囲を強固に支え、その上に「扇形のパラソルのような軽い木造の屋根」を架けるという方法をとったのです。

    *パンテオンへの進化のつながり:当時はまだ「コンクリートだけで大空間を覆う技術(パンテオンの技術)」が完成する前段階でした。そのため、ローマ人たちはこの画像にみられるような「超ぶ厚く重いレンガの壁」で周囲を強固に支え、その上に「扇形のパラソルのような軽い木造の屋根」を架けるという方法をとったのです。

  • 1.左上の画像、赤丸の部分:煉瓦とローマン・コンクリートが交互に積み重なっています。これぞまさに、当時の超効率的な「サンドイッチ工法(混構造)」です。<br />*なぜ交互(サンドイッチ状)にしているのか?<br />コンクリートは固まるまでに時間がかかるし、一気に高く積むと重みで崩れてしまいます。そこで、まず煉瓦を数段積んで「型枠兼、頑丈な土台」を作り、その間にローマン・コンクリートを流し込む、という作業を交互に繰り返したのです。煉瓦がコンクリートの「補強材(今でいう鉄筋のような役割)」を兼ねており、これによって超高速かつ超強固に客席を組み上げることができました。<br />2.左下の画像と右の上下画像、「オプス・ラテリキウム(Opus Latericium)」―> 「煉瓦外装(れんががいそう)、化粧レンガ」<br />*「見せる部分」と「隠す部分」の美学<br />むき出しのままだとゴツゴツして見た目が悪い(そして観客のお尻が痛くなってしまう)ため、座面や階段の表面、観客の目に触れる場所には、均一で美しい平べったい「化粧レンガ」をピシッと並べてカモフラージュしました。<br />ー>現代のゼネコンがビルを作る時に、コンクリートの骨組みに綺麗な外壁タイル(化粧材)を貼って仕上げるシステムは、すでに2000年前のタオルミーナで完璧に完成していたと言えます。

    1.左上の画像、赤丸の部分:煉瓦とローマン・コンクリートが交互に積み重なっています。これぞまさに、当時の超効率的な「サンドイッチ工法(混構造)」です。
    *なぜ交互(サンドイッチ状)にしているのか?
    コンクリートは固まるまでに時間がかかるし、一気に高く積むと重みで崩れてしまいます。そこで、まず煉瓦を数段積んで「型枠兼、頑丈な土台」を作り、その間にローマン・コンクリートを流し込む、という作業を交互に繰り返したのです。煉瓦がコンクリートの「補強材(今でいう鉄筋のような役割)」を兼ねており、これによって超高速かつ超強固に客席を組み上げることができました。
    2.左下の画像と右の上下画像、「オプス・ラテリキウム(Opus Latericium)」―> 「煉瓦外装(れんががいそう)、化粧レンガ」
    *「見せる部分」と「隠す部分」の美学
    むき出しのままだとゴツゴツして見た目が悪い(そして観客のお尻が痛くなってしまう)ため、座面や階段の表面、観客の目に触れる場所には、均一で美しい平べったい「化粧レンガ」をピシッと並べてカモフラージュしました。
    ー>現代のゼネコンがビルを作る時に、コンクリートの骨組みに綺麗な外壁タイル(化粧材)を貼って仕上げるシステムは、すでに2000年前のタオルミーナで完璧に完成していたと言えます。

  • 「ヴォミトリウム(入場通路)」の内部、あるいはその通路を兼ねた『客席を支える地下の頑丈なアーチ式基礎構造(サブストラクチャー)』<br />この画像からローマン・ブリックを用いた驚異の技術(荷重分散テクノロジー)がみてとれます。<br />1. 2000年間たわまない「筒型アーチ(バレル・ヴォルト)」<br />この通路の天井は、単なる門型ではなく、奥行きのあるトンネル状になっています。これは建築用語で「バレル・ヴォルト(筒型丸天井)」と呼ばれる構造です。<br />*なぜ崩れないのか?:上の客席(何百人もの観客と石灰岩の重さ)からかかる強烈な「下向きの重力」を、この綺麗なカーブが「左右の分厚いレンガ壁」へと綺麗に分散しています。そのため、中に柱を1本も立てなくても、2000年間崩れることなく空間を維持できています。<br />

    「ヴォミトリウム(入場通路)」の内部、あるいはその通路を兼ねた『客席を支える地下の頑丈なアーチ式基礎構造(サブストラクチャー)』
    この画像からローマン・ブリックを用いた驚異の技術(荷重分散テクノロジー)がみてとれます。
    1. 2000年間たわまない「筒型アーチ(バレル・ヴォルト)」
    この通路の天井は、単なる門型ではなく、奥行きのあるトンネル状になっています。これは建築用語で「バレル・ヴォルト(筒型丸天井)」と呼ばれる構造です。
    *なぜ崩れないのか?:上の客席(何百人もの観客と石灰岩の重さ)からかかる強烈な「下向きの重力」を、この綺麗なカーブが「左右の分厚いレンガ壁」へと綺麗に分散しています。そのため、中に柱を1本も立てなくても、2000年間崩れることなく空間を維持できています。

  • 2. レンガの「くさび効果」<br />アーチ部分(特に縁の部分)をよく見ると、平べったいレンガが放射状にすき間なく敷き詰められています。<br />*自ら締まるシステム:上から重みがかかればかかるほど、放射状のレンガ同士が中心に向かって「ギュッ」と押し付け合い、お互いをロックし合う仕組み(くさび効果)になっています。<br />*パンテオンへの繋がり、そして花の聖母教会へ:フィレンツェの’花の聖母教会’’の驚異のドームを建設したブルネレスキはローマのパンテオンの構造を長い時間をかけて研究調査しています。そしてそこで学んだ荷重分散テクノロジーの基本的なシステムが彼の「ヘリンボーン(魚の骨)工法」として’花の聖母教会のドーム’に結晶しました。この『レンガがお互いを押し合って、支えがなくても自立する仕組み』の応用版です。ローマ人はすでにこのオデオンの時代に、その基礎理論を完璧にマスターしていたことがこの画像から証明されます。

    2. レンガの「くさび効果」
    アーチ部分(特に縁の部分)をよく見ると、平べったいレンガが放射状にすき間なく敷き詰められています。
    *自ら締まるシステム:上から重みがかかればかかるほど、放射状のレンガ同士が中心に向かって「ギュッ」と押し付け合い、お互いをロックし合う仕組み(くさび効果)になっています。
    *パンテオンへの繋がり、そして花の聖母教会へ:フィレンツェの’花の聖母教会’’の驚異のドームを建設したブルネレスキはローマのパンテオンの構造を長い時間をかけて研究調査しています。そしてそこで学んだ荷重分散テクノロジーの基本的なシステムが彼の「ヘリンボーン(魚の骨)工法」として’花の聖母教会のドーム’に結晶しました。この『レンガがお互いを押し合って、支えがなくても自立する仕組み』の応用版です。ローマ人はすでにこのオデオンの時代に、その基礎理論を完璧にマスターしていたことがこの画像から証明されます。

  • この画像でアーチの真上は「コンクリート(礫岩)」の塊だったことがわかります。中央の大きなアーチの「上半分」に注目してください。綺麗な赤レンガの層の上から、ゴツゴツとした石と砂が混ざったような、ラフな岩肌がむき出しになっていますね。これ、古代劇場で何度もみてきたローマン・コンクリート’(オプス・カエメンティキウム)’です。<br />古代ローマ人は、表面の綺麗に見える部分や、強度が必要なアーチの縁(へり)には四角いレンガを積みました。しかし、その上の見えない内部や分厚い壁の芯には、火山灰・石灰・小石を混ぜ合わせたコンクリート(オプス・カエメンティキウム)を流し込んで、巨大な岩盤のように一体化させていたのです。<br />*大きなメインアーチの左側に、四角い小さな通路(入り口)がもう一つ見えています。これは身分違いの動線管理、あるいはスタッフ用通路だったと思われます。<br />古代ローマの劇場は「誰がどこから入るか」が厳格に決められていました。中央の大きなヴォミトリウムが一般観客用だとすれば、この左側の少し小さく目立たない通路は、劇場の管理スタッフ、あるいは出演者がステージ裏や楽屋へと移動するための専用動線(通用口)であった可能性が非常に高いです。

    この画像でアーチの真上は「コンクリート(礫岩)」の塊だったことがわかります。中央の大きなアーチの「上半分」に注目してください。綺麗な赤レンガの層の上から、ゴツゴツとした石と砂が混ざったような、ラフな岩肌がむき出しになっていますね。これ、古代劇場で何度もみてきたローマン・コンクリート’(オプス・カエメンティキウム)’です。
    古代ローマ人は、表面の綺麗に見える部分や、強度が必要なアーチの縁(へり)には四角いレンガを積みました。しかし、その上の見えない内部や分厚い壁の芯には、火山灰・石灰・小石を混ぜ合わせたコンクリート(オプス・カエメンティキウム)を流し込んで、巨大な岩盤のように一体化させていたのです。
    *大きなメインアーチの左側に、四角い小さな通路(入り口)がもう一つ見えています。これは身分違いの動線管理、あるいはスタッフ用通路だったと思われます。
    古代ローマの劇場は「誰がどこから入るか」が厳格に決められていました。中央の大きなヴォミトリウムが一般観客用だとすれば、この左側の少し小さく目立たない通路は、劇場の管理スタッフ、あるいは出演者がステージ裏や楽屋へと移動するための専用動線(通用口)であった可能性が非常に高いです。

  • ここで遺跡巡りをしばらく中断し、電気店へ走ります。フロントのルチアが貸してくれたシチリア仕様のアダプターを明日は返さないといけないのです。<br />地元の電気屋さんへタクシーを飛ばし、20分ほど待ってもらって引き返す、往復のアレンジメントで50ユーロ位でしたっけ。で、着ついたところはアメリカの巨大なBestBuyのような電機器具専門店を想像していたら真逆で、可愛い小さい家族経営のようなお店でした。でも幸い、探していた同じタイプのアダプターはあったので急いで引き返します。帰路、「スーツケースが届いた」という連絡が入り、大喜びでホテルへ向かった私。<br />でも、でも。。信じられないオチが待っていたのです。<br />フロントのルチア曰く、なんと、配送業者は私のスーツケースを、私が泊まっているホテルではなく、すぐ近くにある「全く別のホテル」に誤配送していたのです!<br />こぞまさにイタリア流。アメリカ人なら両手を広げて’OMG’’と叫ぶところですが、そこは人の温かいシチリアの人々なのでしょう。間違えて荷物を受け取ってしまった近所のホテルのスタッフが、わざわざ私の正しいホテルまで、スーツケースを届けてくれたのでした。このフォローの仕方が奇想天外で。。。結果的にチェックアウトする前日に届いたし、緊急の必需品購入も大した額ではないので、それはそれでいいのですが。。<br />システムはめちゃくちゃで、ミスも起きる。でも、最後は現場にいる地元の人の「圧倒的な優しさと親切さ」が全てを解決してくれる。なんか私は偉大なるものに守られているのではないか。。と思ってしまいました。

    ここで遺跡巡りをしばらく中断し、電気店へ走ります。フロントのルチアが貸してくれたシチリア仕様のアダプターを明日は返さないといけないのです。
    地元の電気屋さんへタクシーを飛ばし、20分ほど待ってもらって引き返す、往復のアレンジメントで50ユーロ位でしたっけ。で、着ついたところはアメリカの巨大なBestBuyのような電機器具専門店を想像していたら真逆で、可愛い小さい家族経営のようなお店でした。でも幸い、探していた同じタイプのアダプターはあったので急いで引き返します。帰路、「スーツケースが届いた」という連絡が入り、大喜びでホテルへ向かった私。
    でも、でも。。信じられないオチが待っていたのです。
    フロントのルチア曰く、なんと、配送業者は私のスーツケースを、私が泊まっているホテルではなく、すぐ近くにある「全く別のホテル」に誤配送していたのです!
    こぞまさにイタリア流。アメリカ人なら両手を広げて’OMG’’と叫ぶところですが、そこは人の温かいシチリアの人々なのでしょう。間違えて荷物を受け取ってしまった近所のホテルのスタッフが、わざわざ私の正しいホテルまで、スーツケースを届けてくれたのでした。このフォローの仕方が奇想天外で。。。結果的にチェックアウトする前日に届いたし、緊急の必需品購入も大した額ではないので、それはそれでいいのですが。。
    システムはめちゃくちゃで、ミスも起きる。でも、最後は現場にいる地元の人の「圧倒的な優しさと親切さ」が全てを解決してくれる。なんか私は偉大なるものに守られているのではないか。。と思ってしまいました。

  • で、スーツケースが無事に手元に戻って、この件は一件落着。遺跡巡り、街歩きの再開です。コルソ・ウンベルト通り(Corso Umberto)です。

    で、スーツケースが無事に手元に戻って、この件は一件落着。遺跡巡り、街歩きの再開です。コルソ・ウンベルト通り(Corso Umberto)です。

    ウンベルト1世通り 散歩・街歩き

  • カプチン門(Porta dei Cappuccini)<br />かつての副次的通用門。<br />防衛網:古代から中世にかけて、タオルミーナは堅固な城壁システムによって守られていました。町の両端にあるメッシーナ門(Porta Messina)とカターニア門(Porta Catania)が主要な出入り口としての役割を果たしていた一方で、このカプチン門(Porta dei Cappuccini)のような副次的なアーチや通用門が、城壁を抜ける局所的な通行を担っていました。<br />カップチーニとの関わり:この門の名は、近隣にある歴史的なカップチーニ教会と、それに隣接するカップチーニ修道院に由来しています。この修道院は16世紀、中世の市壁の外側に設立されました。

    カプチン門(Porta dei Cappuccini)
    かつての副次的通用門。
    防衛網:古代から中世にかけて、タオルミーナは堅固な城壁システムによって守られていました。町の両端にあるメッシーナ門(Porta Messina)とカターニア門(Porta Catania)が主要な出入り口としての役割を果たしていた一方で、このカプチン門(Porta dei Cappuccini)のような副次的なアーチや通用門が、城壁を抜ける局所的な通行を担っていました。
    カップチーニとの関わり:この門の名は、近隣にある歴史的なカップチーニ教会と、それに隣接するカップチーニ修道院に由来しています。この修道院は16世紀、中世の市壁の外側に設立されました。

  • メッシーナ門(Porta Messina)<br />1808年再建のニューフェイス(新しい)です。<br />消えた左側の壁:かつて山頂のタウロ城(要塞)へと駆け上がっていた城壁の跡で、リゾート化に伴って解体された歴史の跡を物語っています。

    メッシーナ門(Porta Messina)
    1808年再建のニューフェイス(新しい)です。
    消えた左側の壁:かつて山頂のタウロ城(要塞)へと駆け上がっていた城壁の跡で、リゾート化に伴って解体された歴史の跡を物語っています。

    メッシーナ門 建造物

  • サン・パンクラツィオ浴場の遺跡に行く途中で また頭がぼわーんとしてきたのでこのBarでちょっと休んでお決まりのフレッシュオレンジジュースを。。それにしても暑いです!!

    サン・パンクラツィオ浴場の遺跡に行く途中で また頭がぼわーんとしてきたのでこのBarでちょっと休んでお決まりのフレッシュオレンジジュースを。。それにしても暑いです!!

  • サン・パンクラツィオ浴場 Bath of S. Pancrazio<br />歴史あるメッシーナ門のすぐ近く、サン・パンクラツィオ広場に佇むむき出しの遺構です。2つの半円形プール(浴槽)の跡や、砕いた赤瓦を混ぜ込んで強度と防水性を極めたローマ式コンクリート(コッチョペスト)の頑丈な基礎壁が、今も力強く残っています。ここはかつて「ビザンチン浴場」と呼ばれていたのですが、レンガの積み方からローマ時代中期の浴場というのが現在の定説です。しかし、お風呂に不可欠な「加熱炉(プラエフルニウム)」の決定的な痕跡が見つかっておらず、その正確な用途については今なお考古学者たちの間で熱い議論が続いています。

    サン・パンクラツィオ浴場 Bath of S. Pancrazio
    歴史あるメッシーナ門のすぐ近く、サン・パンクラツィオ広場に佇むむき出しの遺構です。2つの半円形プール(浴槽)の跡や、砕いた赤瓦を混ぜ込んで強度と防水性を極めたローマ式コンクリート(コッチョペスト)の頑丈な基礎壁が、今も力強く残っています。ここはかつて「ビザンチン浴場」と呼ばれていたのですが、レンガの積み方からローマ時代中期の浴場というのが現在の定説です。しかし、お風呂に不可欠な「加熱炉(プラエフルニウム)」の決定的な痕跡が見つかっておらず、その正確な用途については今なお考古学者たちの間で熱い議論が続いています。

  • サン・パンクラツィオ浴場 Bath of S. Pancrazio【サン・パンクラツィオ浴場と、古代の「M&amp;A(企業の吸収合併)」神殿の物語】<br />この遺跡の本当のロマンは、隣接する18世紀の美しいバロック様式教会「サン・パンクラツィオ教会」の足元に隠されています。教会の外壁下部をよく見ると、明らかに時代を遡る巨大な石材がパズルのように再利用(転用)されているのがわかります。実はこの教会、紀元前3~2世紀にエジプトの神イシスとセラピスを祀っていた「古代ヘレニズム時代の神殿」の土台の上に、直接建てられているのです。

    サン・パンクラツィオ浴場 Bath of S. Pancrazio【サン・パンクラツィオ浴場と、古代の「M&A(企業の吸収合併)」神殿の物語】
    この遺跡の本当のロマンは、隣接する18世紀の美しいバロック様式教会「サン・パンクラツィオ教会」の足元に隠されています。教会の外壁下部をよく見ると、明らかに時代を遡る巨大な石材がパズルのように再利用(転用)されているのがわかります。実はこの教会、紀元前3~2世紀にエジプトの神イシスとセラピスを祀っていた「古代ヘレニズム時代の神殿」の土台の上に、直接建てられているのです。

  • 「なぜシチリアのギリシャ人たちが、エジプトの神を?」と思うかもしれません。私も真っ先にそう思いました。実はこれ、古代の超実利的な「宗教的M&amp;A(吸収合併)」の結果なのですね。アレクサンドロス大王の東方遠征によって世界がグローバル化し、人と文化の流動が激しくなったこの時代。人々は、伝統的なオリンポスの神々(いわば冷徹な大企業のCEOたち)の対応に物足りなさを感じていました。そこへ彗星のように現れたのが、涙を流して人々に寄り添い、船乗りの安全を守るエジプトの女神イシス。その圧倒的な「顧客満足度」と「エモーショナルなカスタマーサービス」の高さに目をつけたギリシャのマーケットは、競合として排除するのではなく、このイシス信仰をまるごと自社ブランドに『吸収合併』することを選んだのです。かくして、港町タオルミーナに華々しく開設されたのが、このイシス&セラピス神殿という名の「新・ブランチオフィス(支社)」だったという訳です。目の前のプール遺構で旅の汚れと熱を洗い流した古代の商人や船乗りたちは、その足で隣の神殿へと向かい、エジプト生まれの異国の神に旅の安全を熱心に祈り、癒やしを得ていたのかもしれません。<br />

    「なぜシチリアのギリシャ人たちが、エジプトの神を?」と思うかもしれません。私も真っ先にそう思いました。実はこれ、古代の超実利的な「宗教的M&A(吸収合併)」の結果なのですね。アレクサンドロス大王の東方遠征によって世界がグローバル化し、人と文化の流動が激しくなったこの時代。人々は、伝統的なオリンポスの神々(いわば冷徹な大企業のCEOたち)の対応に物足りなさを感じていました。そこへ彗星のように現れたのが、涙を流して人々に寄り添い、船乗りの安全を守るエジプトの女神イシス。その圧倒的な「顧客満足度」と「エモーショナルなカスタマーサービス」の高さに目をつけたギリシャのマーケットは、競合として排除するのではなく、このイシス信仰をまるごと自社ブランドに『吸収合併』することを選んだのです。かくして、港町タオルミーナに華々しく開設されたのが、このイシス&セラピス神殿という名の「新・ブランチオフィス(支社)」だったという訳です。目の前のプール遺構で旅の汚れと熱を洗い流した古代の商人や船乗りたちは、その足で隣の神殿へと向かい、エジプト生まれの異国の神に旅の安全を熱心に祈り、癒やしを得ていたのかもしれません。

  • メッシーナ門のちかくにあったタオルミーナの歴史的スポットの紹介。

    メッシーナ門のちかくにあったタオルミーナの歴史的スポットの紹介。

  • ナウマキアの標識。

    ナウマキアの標識。

  • ナウマキアに行く道には屋台のような雑貨屋さんが道の半分位まで商品を並べてしまっています。中ほどに陳列されているのはシチリアレモン。アメリカのスーパーで売られているレモンの2倍位のサイズです。残念乍らフレッシュレモンは輸入禁止品目なのでアメリカの小売店で目にすることはありません。<br />理由:目に見えない」病原体(真菌および細菌)や 微小な媒介生物(地中海ミバエ等)の侵入を防ぐためUSDAが輸入禁止しています。レモンの加工品は、洗浄、殺菌等の処理が行われるので禁止品目にはなっていません。<br /><br />

    ナウマキアに行く道には屋台のような雑貨屋さんが道の半分位まで商品を並べてしまっています。中ほどに陳列されているのはシチリアレモン。アメリカのスーパーで売られているレモンの2倍位のサイズです。残念乍らフレッシュレモンは輸入禁止品目なのでアメリカの小売店で目にすることはありません。
    理由:目に見えない」病原体(真菌および細菌)や 微小な媒介生物(地中海ミバエ等)の侵入を防ぐためUSDAが輸入禁止しています。レモンの加工品は、洗浄、殺菌等の処理が行われるので禁止品目にはなっていません。

  • ナウマキア入り口。

    ナウマキア入り口。

  • 細く入り組んだ道を辿ってなんとかナウマキア到着です。画像でわかるようにローマ時代の遺構の上に住宅が立ち並び、棕櫚の木や草花も生い茂って何がなんだかわからないシュールな感じです。<br />「不思議なシュールさ」に包まれたこの巨大な赤レンガの壁。実はこれ、長さ約122メートルに及ぶ古代ローマ時代の超巨大遺構なのです。<br />この遺跡には、古くからある大きな勘違いがそのまま「名前」として定着してしまったという、面白い歴史のいたずらがあります。<br />名称の「ナウマキア(Naumachia)」とは、ギリシャ語で「模擬海戦(水上戦闘)」を意味する言葉。<br />時は1764年、ジャック=フィリップ・ドルヴィルというオランダの学者がこの遺跡を発見しました。彼は壁の裏側にある巨大な水槽(貯水池)の遺構を目にし、さらに古い記録を読んだ際、何を血迷ったか「ローマ人たちがここに水を並々と張り、船を浮かべて血湧き肉躍る模擬海戦のショーを行っていたのだ!」と、とんでもない大誤解をしてしまったのです。<br />それ以来、地元でも「ここは海戦場跡だ」と信じ込まれ、その名前がそのまま現代にまで残ることなってしまいました(はじめに誤解ありき―影の声)。<br />実際にはこの場所で模擬海戦が行われたことは一度もありません。現代の考古学者たちによってドルヴィル氏の説は完全に否定され、この構造物の「本当の姿」が明らかになっています。<br /><br />

    細く入り組んだ道を辿ってなんとかナウマキア到着です。画像でわかるようにローマ時代の遺構の上に住宅が立ち並び、棕櫚の木や草花も生い茂って何がなんだかわからないシュールな感じです。
    「不思議なシュールさ」に包まれたこの巨大な赤レンガの壁。実はこれ、長さ約122メートルに及ぶ古代ローマ時代の超巨大遺構なのです。
    この遺跡には、古くからある大きな勘違いがそのまま「名前」として定着してしまったという、面白い歴史のいたずらがあります。
    名称の「ナウマキア(Naumachia)」とは、ギリシャ語で「模擬海戦(水上戦闘)」を意味する言葉。
    時は1764年、ジャック=フィリップ・ドルヴィルというオランダの学者がこの遺跡を発見しました。彼は壁の裏側にある巨大な水槽(貯水池)の遺構を目にし、さらに古い記録を読んだ際、何を血迷ったか「ローマ人たちがここに水を並々と張り、船を浮かべて血湧き肉躍る模擬海戦のショーを行っていたのだ!」と、とんでもない大誤解をしてしまったのです。
    それ以来、地元でも「ここは海戦場跡だ」と信じ込まれ、その名前がそのまま現代にまで残ることなってしまいました(はじめに誤解ありき―影の声)。
    実際にはこの場所で模擬海戦が行われたことは一度もありません。現代の考古学者たちによってドルヴィル氏の説は完全に否定され、この構造物の「本当の姿」が明らかになっています。

  • なんとまあ、ここには陸橋までかかっています。ここら辺はレストランなども開業しているようで、特別メニューの『パスタ・アッラ・ナウマキア』などというのもあるのかもしれません。

    なんとまあ、ここには陸橋までかかっています。ここら辺はレストランなども開業しているようで、特別メニューの『パスタ・アッラ・ナウマキア』などというのもあるのかもしれません。

  • では、映画さながらの模擬海戦が行われたわけでなければ、この全長122メートルにも及ぶ巨大なレンガの壁は一体何だったのでしょう?<br />現代の考古学が明かしたその正体は、古代ローマ人の凄まじい技術力が詰まった、2つの主要な都市機能を担う「ハイブリッドな巨大インフラ」だったと言えます。<br />1. 都市の命綱:「巨大なダム(貯水施設)」<br />このそびえ立つ分厚いレンガ壁のすぐ真裏には、都市の水道網(導水路)へと繋がる、目を見張るような巨大な地下貯水槽が隠されていました。つまり、この壁は上からの土圧を支える「擁壁」であると同時に、拡大を続けるローマ都市の住民たちへ水を安定供給するための「巨大なダム」の役割を果たしていたんですね。<br />2. 古代のスポーツセンター:「ギムナシウムの超豪華な噴水壁」<br />さらに驚くべきは、私たちが今見上げているこの壁の表面が、かつては都市の壮大な古代体育施設(ギムナシウム)の内側に面していた、という事実です。<br />壁をよく見ると、大きなアーチ状の窪みと、その間に挟まれた小さな長方形の窪みが交互に並んでいます。実は、18箇所もあったこの大きなアーチの窪みには、裏の貯水槽からパイプを経由してふんだんに水が引かれ、泉のように湧き出る「噴水(ニンファエウム)」がありました。そして、その間の小さな長方形の窪みには、古代の英雄や神々の大理石の彫像がずらりと飾られていて。。。

    では、映画さながらの模擬海戦が行われたわけでなければ、この全長122メートルにも及ぶ巨大なレンガの壁は一体何だったのでしょう?
    現代の考古学が明かしたその正体は、古代ローマ人の凄まじい技術力が詰まった、2つの主要な都市機能を担う「ハイブリッドな巨大インフラ」だったと言えます。
    1. 都市の命綱:「巨大なダム(貯水施設)」
    このそびえ立つ分厚いレンガ壁のすぐ真裏には、都市の水道網(導水路)へと繋がる、目を見張るような巨大な地下貯水槽が隠されていました。つまり、この壁は上からの土圧を支える「擁壁」であると同時に、拡大を続けるローマ都市の住民たちへ水を安定供給するための「巨大なダム」の役割を果たしていたんですね。
    2. 古代のスポーツセンター:「ギムナシウムの超豪華な噴水壁」
    さらに驚くべきは、私たちが今見上げているこの壁の表面が、かつては都市の壮大な古代体育施設(ギムナシウム)の内側に面していた、という事実です。
    壁をよく見ると、大きなアーチ状の窪みと、その間に挟まれた小さな長方形の窪みが交互に並んでいます。実は、18箇所もあったこの大きなアーチの窪みには、裏の貯水槽からパイプを経由してふんだんに水が引かれ、泉のように湧き出る「噴水(ニンファエウム)」がありました。そして、その間の小さな長方形の窪みには、古代の英雄や神々の大理石の彫像がずらりと飾られていて。。。

  • 「血飛沫が舞い、船と船が激突する映画のような『模擬海戦』の物々しさはないけれど、2000年前にここで水しぶきを浴びながらトレーニングしていた若者たちがいたと思うと、この’何という。。’的な裏道が全然違った’昔輝いていた’的な空間に思えてきます。

    「血飛沫が舞い、船と船が激突する映画のような『模擬海戦』の物々しさはないけれど、2000年前にここで水しぶきを浴びながらトレーニングしていた若者たちがいたと思うと、この’何という。。’的な裏道が全然違った’昔輝いていた’的な空間に思えてきます。

  • 噴水壁をさらにじっくり観察していると、崩れたレンガの隙間に、何やら怪しげな「縦長の細い空洞」を見つけました。古代ローマのエンジニアたちが仕掛けた「インフラの裏舞台」の跡???<br />ちょっとしたプライバシー侵害(のぞき見)の気分でカメラのレンズを近づけてみると、そこはかつて、裏の巨大貯水槽から表の噴水へと水を供給するための**「水道管(パイプ)の通り道」**だったことがわかりました。大発見!!<br />現代ならさしずめ、壁の裏を走る塩ビ管や銅管といったところでしょうが、2000年前のこの壁の裏を流れていたのは、加工しやすい「鉛製のパイプ」や「テラコッタ(陶器)の土管」でした。さらに驚くべきことに、水の勢いを調節するバルブ(蛇口)には、現代とほぼ同じ仕組みの真鍮や青銅製の精密な金属パーツが使われていたようです。<br />表舞台では、美しい神々の彫像が並び、アスリートたちが爽やかに汗を流す華やかなスポーツセンター。しかしその壁のすぐ裏側では、鉛管と防水漆喰が張り巡らされた、おそろしく現代的でメカニカルな給排水システムがガチガチと動いていたのです。表の美しさと、それを可能にした裏の地味め~のローマン.エンジニアリング。このギャップを覗き見た瞬間、2000年前の「ローマの水道屋さん」たちの息遣いが、崩れたレンガの隙間からワッとほとばしったような気がしました。

    噴水壁をさらにじっくり観察していると、崩れたレンガの隙間に、何やら怪しげな「縦長の細い空洞」を見つけました。古代ローマのエンジニアたちが仕掛けた「インフラの裏舞台」の跡???
    ちょっとしたプライバシー侵害(のぞき見)の気分でカメラのレンズを近づけてみると、そこはかつて、裏の巨大貯水槽から表の噴水へと水を供給するための**「水道管(パイプ)の通り道」**だったことがわかりました。大発見!!
    現代ならさしずめ、壁の裏を走る塩ビ管や銅管といったところでしょうが、2000年前のこの壁の裏を流れていたのは、加工しやすい「鉛製のパイプ」や「テラコッタ(陶器)の土管」でした。さらに驚くべきことに、水の勢いを調節するバルブ(蛇口)には、現代とほぼ同じ仕組みの真鍮や青銅製の精密な金属パーツが使われていたようです。
    表舞台では、美しい神々の彫像が並び、アスリートたちが爽やかに汗を流す華やかなスポーツセンター。しかしその壁のすぐ裏側では、鉛管と防水漆喰が張り巡らされた、おそろしく現代的でメカニカルな給排水システムがガチガチと動いていたのです。表の美しさと、それを可能にした裏の地味め~のローマン.エンジニアリング。このギャップを覗き見た瞬間、2000年前の「ローマの水道屋さん」たちの息遣いが、崩れたレンガの隙間からワッとほとばしったような気がしました。

  • ナウマキアのサインボードを後にしてウンベルト1世通りに戻ります。

    ナウマキアのサインボードを後にしてウンベルト1世通りに戻ります。

  • 熱疲労が気になるのでタオルミーナ1日目の探検はこれくらいにして、もと来た道を戻ります。メインストリートのウンベルト通りは全長1km足らず。ショッピングにあまり興味がないし人混みは苦手なので、ボトルのお水を飲みながら足早に通り過ぎます。

    熱疲労が気になるのでタオルミーナ1日目の探検はこれくらいにして、もと来た道を戻ります。メインストリートのウンベルト通りは全長1km足らず。ショッピングにあまり興味がないし人混みは苦手なので、ボトルのお水を飲みながら足早に通り過ぎます。

    ウンベルト1世通り 散歩・街歩き

  • 昨日必需品を揃えるために訪れたインティミッシミ(INTIMISSIMI)の前を通って。。。

    昨日必需品を揃えるために訪れたインティミッシミ(INTIMISSIMI)の前を通って。。。

  • カターニア門(Porta Catania)<br />メッシーナ門に比べるとヴィンテージ(古い)ー1440年改築。<br />西側のカターニア門は何度も改築、修復されています。アラゴン家の紋章が門上部に刻まれているのは1440年アラゴン支配時代に最後の改築が行われたからです。

    カターニア門(Porta Catania)
    メッシーナ門に比べるとヴィンテージ(古い)ー1440年改築。
    西側のカターニア門は何度も改築、修復されています。アラゴン家の紋章が門上部に刻まれているのは1440年アラゴン支配時代に最後の改築が行われたからです。

    カターニア門 建造物

  • Luraleo Barで、今日3,4回目のフレッシュオレンジジュース。軽くランチとディナーの中間位のものをと思って、プロシュート、オリーブ、トマトのピッザをオーダーしたのですが、食欲がほとんどなくて見ただけでお腹いっぱい。お店のひとが、テイクアウトのバッグに入れてくれました。明日の予定もあるので体力をセーブするため、タクシーでホテルに帰ります。このバーの目の前にタクシースタンドがあるので便利です。<br /><br />再び長靴の国へーハプニングで始まったシチリア・南イタリア10日間③:タオルミーナ(アイオニアン.ブルー)に続く。

    Luraleo Barで、今日3,4回目のフレッシュオレンジジュース。軽くランチとディナーの中間位のものをと思って、プロシュート、オリーブ、トマトのピッザをオーダーしたのですが、食欲がほとんどなくて見ただけでお腹いっぱい。お店のひとが、テイクアウトのバッグに入れてくれました。明日の予定もあるので体力をセーブするため、タクシーでホテルに帰ります。このバーの目の前にタクシースタンドがあるので便利です。

    再び長靴の国へーハプニングで始まったシチリア・南イタリア10日間③:タオルミーナ(アイオニアン.ブルー)に続く。

40いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イタリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イタリア最安 308円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イタリアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP