2026/06/16 - 2026/06/18
3049位(同エリア3216件中)
芦花さん
2026年6月、昨年の中部イタリアの続編として、北イタリアを目指すことに。以下5つのパートで展開します。
今回は、カトリックの源流としての「ミラノ」→羽田までの復路。
イタリアって実は新しい国なんですね。その象徴がタイトル写真にしたフランチェスコ・アイエツ(Francesco Hayez)が1859年に制作した最高傑作『接吻(Il Bacio)』。
ミラノにおける近代イタリアとヨーロッパ中世のカトリックを中心にした旅行ガイドです。
①イタリアまでの往路&中世の自治都市「マントヴァ・ヴェローナ」
②湖水地方「ガルダ湖」
③ジロ・デ・イタリア(イタリア一周自転車レース)の舞台「ドロミテ」とプロセッコの世界遺産街道
④海洋国家としての自治都市「ジェノヴァ」
⑤カトリックの源流としての「ミラノ」→羽田までの復路
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ホテルは、ミラノ中央駅前の「グラムミラノ」。
ダブルベッドの客室利用。 -
イタリアモダンの典型的なホテルでシャワールームもこんな感じ。
-
洗面台は一つ。
-
早速近所のイタリアン「ピアネタ・ルナPianeta Luna」。
-
まずは前菜がわりのアンチョビのブルスケッタ
-
そしてメインのミラノカツレツ(仔牛肉)。28ユーロ。
骨付きのボリューミーな生後数ヶ月の非常に柔らかく、癖のない仔牛肉。肉を叩いて薄く伸ばされた肉で、しっとりしてジューシーな味わい。
過去にツアーで食べたミラノカツレツとは全く違う! -
シンプルなペペロンチーノをサイドディッシュとして。
-
まずは地下鉄でモンテナポレオーネ駅へ。
-
駅を降りてしばらく石畳の歩道を歩くと
-
ミラノスカラ座。
-
その向かいのスカラ広場にあるダ・ヴィンチ像。
この銅像は1872年、彫刻家ピエトロ・マニ(Pietro Magni)によって制作・建立。
1861年にイタリア王国が統一された直後、ミラノ市は自らの都市の文化的威信と知性を象徴する記念碑を求めていました。そこで選ばれたのが、傭兵隊長上がりのミラノの領主スフォルツァ家に招聘されてミラノで活躍したルネサンスの万能の天才ダ・ヴィンチ。 -
そしてスカラ広場のさらに奥の方に歩くと一大観光名所の一つ、エマヌエーレ・ヴィットリア2世アーケード。
1861年イタリア統一時の象徴的君主がサヴォイア家のエマヌエーレ・ヴィットリア2世。
日本における明治天皇的な存在で、実権があったわけではありませんが、近代国家統一の旗印として由緒ある血統が必要だ、というのは万国共通か。 -
そのアーケードをくぐり抜け、かつてツール・ド・フランスで活躍した日本人、新城幸也が所属していたランプレのシャツを着たサイクリストのイケオヤジ。
-
そしてメインのドゥオーモ。
何十年ぶりかに見ましたが、さすがの迫力!! -
ミラノのドゥオーモ(大聖堂)のファサード中央に位置する「ブロンズのメインゲート(中央大扉)」。
聖母マリアの生涯を描いたブロンズの扉。 -
この彫刻は、彫刻家カミッロ・パチェッティ(Camillo Pacetti)によって1810年に作られた作品。
タイトル:『新法(La Legge Nuova)』。
→新約聖書の「新」(反対側に旧約聖書の像がある)
アメリカの「自由の女神」に非常に似ているので撮影したのですが、間違いなく自由の女神のアイデアのルーツだそう。
ニューヨークの「自由の女神像」が完成・公開されたのは1886年ですが、制作したフランスの彫刻家フレデリック・バルトルディは、このドゥオーモの『新法』から強い影響・インスピレーションを受けたと言われてるとか。
共通する特徴:
頭の冠:放射状に光が伸びる冠(頭飾)
右手の掲げ方:右腕を高く上げてトーチ(松明)を掲げている姿
古代ローマ風の衣:流れるようなドレープ状の衣装
「自由の女神」の約70年も前にドゥオーモのファサード(バルコニー左側)に設置されていたため、「ニューヨークの自由の女神のプロトタイプ(原型)」として現地でも知られる有名なスポットとこと。 -
ドゥオーモの中に入ると、近代イタリアが育んだミラノ市街から一転してヨーロッパ中世の世界へ。
北部ゴシックの中でも最大級のゴシック建築で500年かけて建造されたため、最後の方には一部、近世バロックの意匠も残っているらしい。 -
これが有名な『皮を剥がれた聖バルトロマイ像(San Bartolomeo Scorticato)』(マルコ・ダグラーテ作、1562年)で、肩から身体に巻きつけている布のように見えるものは、剥がされた彼自身の皮膚。
-
それにしても、ルネサンス・マニエリズムの見事な造形。
-
ドゥオーモはエレベーターに乗って上に上がれます。
事前にネットでの予約が必要(時間帯別のチケット購入)。 -
一体いくつあるのかわからない尖塔とその上の彫刻。
-
ゴシック様式の特徴、リブ・ヴォールト(Ribbed Vault)が肋骨(リブ)のように空間を補強。
-
大屋根の上はこんな感じですが、たくさんの人がいても全く問題ないようです。
-
下は階段を使って降りるようになっていました。
-
ドゥオーモから、散歩しつつ歩いてブレラ美術館(絵画館)へ。ミラノ観光の今回一番お目玉です。
一般的な添乗員付きツアーでは組み込まれていないので、今回じっくり時間とって拝観することにしたのです。 -
ブレラ絵画館にてまずは腹ごしらえに絵画館内のカフェ。
-
パニーニ風のハンバーガーをいただく。
-
ブレラ美術館は、もともとイエズス会の建物でしたがその後この地を占領したハプスブルク家のマリア・テレジアが買収。
のちに征服者となったナポレオンが1809年に美術館として開館したという歴史的にも興味深いエピソードを持つ美術館。 -
イタリア・初期ルネサンスの巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini)の初期を代表する傑作『死せるキリストを支える聖母と聖ヨハネ(ピエタ)』
このような名画が、多数見切れないほどあるのがブレラ美術館。
聖母マリア→イエス・キリスト→ヨハネ
画面手前に描かれた石の欄干(石棺の縁)は、鑑賞者の空間と絵画の世界を分かつ仕掛けです。中央下部にはラテン語で「この腫れた目(哀しみ)が溜息をもたらす時、ジョヴァンニ・ベッリーニのこの作品は涙を流させるかもしれない」という詩的な署名が刻まれているという。 -
この精密な肌の表現には感嘆せざるをえません。
-
美術史における遠近法表現の金字塔とも言われる作品。
アンドレア・マンテーニャ(Andrea Mantegna)の『死せるキリスト(The Lamentation over the Dead Christ)』(1480年頃)。
正確な数学的遠近法をそのまま適用すると足が巨大で頭部が極小になってしまうため、マンテーニャはあえて足を小さめに縮小し、迫真の顔表現と全身のリアリティを両立させる巧みな構図上の視覚調整を行っている。 -
ヴェネツィア派の巨匠ヴィットーレ・カルパッチョ(Vittore Carpaccio)が1514年に制作した『最高義審判所(シネドリオ)における聖ステファノの論争』(Disputa di Santo Stefano nel Sinedrio)。
初期キリスト教の最初の殉教者(執事)である聖ステファノが、エルサレムの最高義審判所で異邦人や学者たちと教義について議論(論争)している場面です。左側の壇上で手を挙げて語っている若者が聖ステファノ。 -
『アレクサンドリアで説教する聖マルコ(St. Mark Preaching in Alexandria)』(ジェンティーレ&ジョヴァンニ・ベッリーニ兄弟作)。
ヴェネツィアのサン・マルコ広場かと思ったら、エジプトのアレクサンドリアの広場だそう。
なぜサンマルコ大聖堂に似ているのかというと、ヴェネツィアの守護聖人である「聖マルコ」が、かつてエジプトのアレクサンドリアでキリスト教を布教していたという伝説を描いているから。
兄のジェンティーレ・ベッリーニは、ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂をイメージのベースにしつつ、東方の建物を融合させて「異国のアレクサンドリア」を表現したらしい。 -
ブレラ美術館は、近代イタリア独立(リソルジメント運動)に関連する重要な絵画が多く展示されています。これはフランチェスコ・アイエク作、アレッサンドロ・マンゾーニの肖像。
実はイタリアという国は明治の近代日本とほぼ同じ時代(1861年)に独立した近代国家。
独立前、北イタリアはオーストリアハプスブルク家の占領地、中部イタリアはローマ教皇領、そして南は各種王朝が占領した被支配の地。
マンゾーニは、文学者でイタリア語(話しことば)を選定した人。今のイタリア語はもともとフィレンツェ語で、イタリア半島内で最も美しくて格式があるということでフィレンツェ語をイタリア語として採用。
オペラ「レクイエム」は彼を追悼してヴェルディが作ったオペラ。 -
ちなみに今の日本語(話しことば)は、江戸時代の山の手の言葉で、京都弁を採用するかどうか協議した結果、首都の言葉を採用すべし、ということで江戸の山の手の言葉が今の日本の標準語として採用されたのです。
-
そしてフランチェスコ・アイエクの傑作「接吻」。
近代イタリアを象徴する絵画で、男性の赤いタイツと緑のマントはイタリアを表し、緑の青い衣装の女性はフランスを象徴。
フランス(ナポレオン三世)の手助けによってハプスブルク家から独立したのが北イタリア。その代償としてニースとサヴォイア家の出身地サヴォイアを割譲(ブロンビエールの密約)。
その流れで半島が一気に統一されたのです。 -
見事な絵画で目も脳も脚も疲れたので、さっそくジェラート。
-
CREMA Alta Gelateriaにて、おしゃれで美味い、イタリアのジェラート。
-
細い路地(フィオーリ・キアーリ通り)を突き抜け、地下鉄駅ランザ駅から
-
サン・アンブロジオ駅で下車し、今回の目玉の一つ「サン・アンブロジオ教会」へ。
-
ヨーロッパ中世のローマ・カトリックの代表的聖人にしてカトリックの教父アウグスティヌスは、ここミラノにて、師匠である聖アンブロジオの元で教えを受けたのですが、その場所がここサン・アンブロシオ教会(建物自体は11~12世紀に再建されたもの)。
-
私自身、アウグスティヌスの『告白』読者で、その舞台でもあったこの教会は必ず来たかった聖地なのです(と言っても私は無宗教者ですが)。
-
ここには、イスタンブールのアヤソフィアやラヴェンナの教会でみたような精巧なモザイク画が見られますが、
-
有料エリアの教会よりも古いという小堂には、なんと言っても 聖アンブロジウスの「最古の肖像」と言われるモザイク画があります。
掲げてあったキャプションには以下のような内容が書かれてありました。
このモザイク画は、彼が司教になる前、執政官(総督)だった時代の公式肖像画をもとに作られた可能性が指摘。
聖アンブロジウスの遺骨(聖遺骨)を科学的に調査したところ「鎖骨の骨折痕」と「顔面骨格の左右非対称」が確認。つまり、古代のモザイク職人は聖人を神格化して綺麗に描いたのではなく、彼の実話通りの身体的特徴(骨折による肩の下がりや顔の歪み)を極めて忠実に再現していたことが、2018年の科学調査によって判明。 -
そして教会の地下には、聖アンブロシウス本体の聖遺骨があり、その両脇には彼自身がその遺骨を発掘したという二人の聖人、聖プロタシオと聖ゲルバシオの聖遺骨も。
-
ミラノにおけるローマ・カトリックの痕跡に感動したのち、ホテルに戻って屋上で一服。
-
ホテルの屋上からは見事なミラノ中央駅。
これも近代イタリアの象徴的建築。ムッソリーニのファシズムを象徴する建築でもあったので「いわくつき」の建物でもあります。
ちなみに21番線ホームは第二次世界大戦中にイタリア在住のユダヤ人をアウシュビッツへ送ったというイタリアの黒歴史を象徴する場所でもあります。 -
ミラノでの最後の晩餐はホテル近くのOsteria Papà Nicola。
-
海鮮パスタメインでいただきました。
やっぱりイタリアンは、全般的にミラノよりも昨年周遊したローマやフィレンツェの方が美味いかな。 -
翌朝、「いわくつき」?のミラノ中央駅から、マルペンサ空港への直通列車へ。
-
復路も往路同様、中国国際航空で便はCA0950。
-
今回も素晴らしかったイタリア。景色も歴史もグルメも間違いないイタリアです。
-
機内食は中華風。
-
やはりフライトマップは、固まってしまって使えない。これは故障ではないと思います。
-
2度目の機内食も問題なし。
-
北京国際空港にてトランジット
-
北京から羽田はブレックファストスタイル。
-
やっと羽田到着。
中国系キャリアは、日本語の映画観れないなど、LCCみたいですが相当に便利。
北京までで約10時間、羽田まで約3時間と、これだけ飛行時間短いと、ヨーロッパ旅行には相当に優位性があるのでは、と思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2026年6月:AI活用した北部イタリア旅行
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ミラノ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2026年6月:AI活用した北部イタリア旅行
0
58