2026/06/15 - 2026/06/15
123位(同エリア334件中)
芦花さん
2026年6月、昨年の中部イタリアの続編として、北イタリアを目指すことに。以下5つのパートで展開します。
今回は、海洋国家としての自治都市「ジェノバ」。ミラノからの日帰り観光です。
①イタリアまでの往路&中世の自治都市「マントヴァ・ヴェローナ」
②湖水地方「ガルダ湖」
③ジロ・デ・イタリア(イタリア一周自転車レース)の舞台「ドロミテ」とプロセッコの世界遺産街道
④海洋国家としての自治都市「ジェノヴァ」
⑤カトリックの源流としての「ミラノ」→羽田までの復路
今回はチャットGPT、クロード、ジェミニの三つの生成AIを駆使して各種歴史や芸術・文化などを堪能。複数のAI活用することで複眼的な視点を保有しつつ「明確な根拠」をプロトコルに含有させることでその精度の確度向上にも努めました。
そうすると、まさにガイドよりも詳しい世界遺産や芸術・歴史・文化などがその場所で深く味わえる、まさに「AI旅行元年」ともいうべき感慨深い旅となりました。その成果をここでも再現したいと思います。
もちろん、この2年間早稲田大学オープンカレッジで三森のぞみ先生のイタリア史を勉強中であることやキリスト教の基礎の独学もそのベースにはありますが。。。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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ジェノヴァもイタリアの数あるコムーネ(自治都市国家)の一つ。かつてイタリア半島の中部・北部には様々な形態のコムーネあり。
組織運営の共和国制のベネツィア。傭兵上りの領主が支配したミラノ(スフォルツァ家)、マントヴァ(ゴンザーガ家)やウルビーノ(モンテフェートロ家)。
貴族一家が独裁的に支配したフェッラーラ(エステ家)やトリノ(サヴォイア家)。
そしてジェノヴァは『複数の貴族たちが共同経営した巨大な商社』のような、特定の貴族が統治したコムーネではなく複数の貴族がバラバラに存在した形態のコムーネ。
そのジェノヴァへは、ミラノからおおよそ鉄道で2時間なので、日帰り観光可能。 -
事前にオンラインでチケットを購入し、ジェノヴァ駅に到着。ここは駅コンコース。
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神戸や長崎同様、ジェノヴァは港町なので平地が少ない坂の街。
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まずは地下鉄に乗って、ジェノヴァの街の中心、フェラーリ広場へ。
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フェラーリ広場は19世紀の大銀行家・政治家であり慈善家でもあったラッファエーレ・デ・フェラーリ公爵にちなんで名付けられる。
彼は1875年、ジェノヴァ港の拡張のために巨額の寄付を行い、その功績を記念して広場に名が残されたとか。 -
共和国の政治の中心だったドゥカーレ宮殿。
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文化を象徴するカルロ・フェリーチェ劇場。
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19世紀以降の華やかな大通りヴィア・ヴェンティ・セッテンブレ(Via XX Settembre)方面など、まさにジェノヴァの中心。
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そして南側の路地を抜け、サン・ロレンツォ教会へ。
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ライオンに触れるとジェノヴァへまた戻って来られるという噂もある、象徴的なライオン像。
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この教会でまず目を引くのは、この白(大理石)と黒(蛇紋岩)の美しい縞模様。歴史的に、この二色の縞模様はリグーリア地方やトスカーナ地方のロマネスク・ゴシック様式の特徴ですが、ジェノヴァにおいては単なるデザインではない。
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中世のジェノヴァでは、この縞模様を用いることができるのは「貴族(特に共和国に貢献した有力家系)」と「公的な最高権威」のみに許された特権。まさにジェノヴァ共和国の富と権力の象徴。
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下部に「GIUSEPPE CARDINALE SIRI」と大きく刻まれた、20世紀ジェノヴァの精神的支柱となった巨人ジュゼッペ・シーリ枢機卿(1906?1989)の安息の地。
シーリ枢機卿は、1946年から1987年という長きにわたりジェノヴァの大司教を務め、20世紀の最高カトリック権威の一人として君臨。コンクラーベ(教皇選挙)では何度も有力な教皇候補(パパビレ)に挙がったほどの人物。
第二次世界大戦末期には、撤退するナチス・ドイツ軍と交渉してジェノヴァの港やインフラの破壊を阻止し、戦後は労働者の支援にも尽力したため、市民からは「ジェノヴァの守護者」として今も絶大な尊敬を集めていた人物だとか。
いわばジェノヴァを守った英雄的存在なんですね。 -
横の白い大理石の碑文には、ラテン数字を交えてこのように刻まれている。
「この爆弾はイギリス艦隊によって発射され、この栄えある大聖堂の壁を突き破ったものの、1941年2月9日、ここに不発のまま落下した。マリアの街であるジェノヴァは、この大いなる恵みの記憶を石に刻み、永世の感謝を捧げる」 -
教会からフェラーリ広場を通り過ぎ、さらに進むと「コロンブスの家」があります。
実際には、コロンブスが幼少期に暮らしていたオリジナルの家そのものではありませんが、まさにその跡地に、当時の姿を再現して建て直された歴史的建造物だそう。 -
新大陸を発見したクリストファー・コロンブス(イタリア名:クリストーフォロ・コロンボ)の父親であるドメニコ・コロンボは、1470年頃からこの場所にあった建物を借りて居住。父親は毛織物職人や門番をしており、コロンブスは4歳から約4年間にわたって、少年時代をこの家で過ごしたと記録されているという。
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この辺りは旧市街で通りが狭隘なエリア。特に危険な雰囲気もなく安心して散策可能。
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ランチは地元の名店トラットリア・ロズマリーノ(Trattoria Rosmarino)。
ミシュランガイドのビブグルマンやスローフード協会にも選出されている超人気トラットリアらしい。 -
1時間前に店頭で予約でも普通に食事できました。
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全体的にジェノベーゼの緑で統一されているところがいかにもジェノヴァのレストラン。
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SFORMATO DI FUNGHI PORCINI SU FONDUTA DI DI LAVAGÈ
Porcini mushrooms flan with blue cheese fondue(12ユーロ)。
私が今回の旅行で食べた中でいちばんの美味さでした。個人的にポルチーニ茸が好きなので。。。。
中央のスフォルマート(Sformato)は、ポルチーニ茸(Funghi Porcini)の芳醇な香りと旨味を凝縮し、卵や生クリームとともに型に入れてふんわり・しっとりと蒸し焼きにした温かい洋風茶碗蒸し=フランのような料理。ポルチーニ特有の濃厚なブラウンの色合いがそのまま出ています。
底のソース:ラヴァジェ(Lavagè)チーズのフォンデュは、ソースに使われている「Lavagè(ラヴァジェ)」は、リグーリア州のアペニン山脈エリア(Val d'Avetoなど)で作られる地元の希少な伝統チーズ(San Stèなどと同系統の職人手作りチーズ)です。クセが強すぎず、コクとミルクの甘みが引き立つクリーミーなフォンデュ。
上のトッピングは、サクサクとした香ばしい塩味のビスケット(クッキー)。柔らかなスフォルマートとなめらかなチーズソースにサクッとした食感を合わせる。 -
これが正真正銘、ジェノヴァの「ジェノベーゼ」。これも相当に美味い。ねっとりした生パスタの食感も絶妙でした。
手でひねったような形の短い手打ち生パスタ「トローフィエ(Trofie)」に、新鮮なバジル、松の実、ニンニク、オリーブオイル、パルミジャーノやペコリーノを石臼ですり潰して作る「ペースト・ジェノベーゼ」をたっぷりと和えてある。
本場のバジル(特にプラ地区産の若い小ぶりのバジル)は青くささが一切なく、甘く華やかな香りが特徴です。もちもちとしたトローフィエのねじれ部分に濃厚なソースがしっかりと絡みつき、シンプルだからこそ素材のクオリティと技量がはっきりと現れる逸品。 -
LASAGNE ROSMARINO(13 ユーロ)genoese style lasagna with white beef and pork ragout
一般的なラザニアといえばトマトソースで煮込んだ赤いミートソース(ボロネーゼ)ですが、この料理はトマトを使わない「ホワイトラグー(Ragù in bianco)」で作られている。
牛ひき肉と豚ひき肉を、白ワイン、ハーブ(ロズマリーノ=ローズマリーなど)、香味野菜とともに旨味を閉じ込めるようにじっくり炒め煮にしています。トマトの酸味がない分、お肉本来のダイレクトな旨味とハーブの爽やかな香りが際立つ。
「Green "genoese style"」の理由は、緑色のパスタ生地(スフォリア)とホワイトラグー、そしてまろやかなベシャメルソースを重ねることで、バジルの緑とリグーリア風の洗練された香りを引き立てているからだとか。 -
ヘーゼルナッツのセミフレッド/タルト(Semifreddo / Torta alle nocciole)。
リグーリア州と隣接するピエモンテ州の名産である高品質な「ヘーゼルナッツ(Nocciola)」をふんだんに使ったデザート。ナッツのメレンゲやケーキのベースに、ひんやりとしたヘーゼルナッツのジェラート(またはセミフレッド)を重ね、上からキャラメリゼしたナッツを砕いて散らしています。 -
食後は、ジェノヴァを支配した有力貴族たちの館があるガリバルディ通りへ。この日は月曜だったのでほとんどの宮殿は休館でしたが「赤の宮殿」だけは開館していたのでさっそく中にはいる。
赤の宮殿はは、その名の通り鮮やかな紅色の外壁が目を引く、世界遺産「レ・ストラーデ・ヌオーヴェ」の中でも一際異彩を放つ美しい宮殿。 -
17世紀後半にジェノバの屈指の名門貴族ブリニョーレ・サーレ家の館として建築。
この大空間は、当時の貴族たちが富と権力を誇示するための仕掛け。 -
タイトル: 『赤い袖の紳士の肖像』(伊: Ritratto di gentiluomo "dalle maniche rosse")画家: パリス・ボルドーネ(Paris Bordon / Paris Bordone, 1500?1571年):制作年代: 1540年~1550年頃(盛期ルネサンス~マニエリスム期)
1. 質感の魔術師:眩いばかりの「赤いサテン」
この画家の最大の持ち味は、クシャッとしたシルクやサテンの光沢表現。
男性が身にまとっている黒い上着から覗く、鮮やかな「赤い袖」の立体感と輝きに注目。この独特な生地の質感描写はボルドーネの代名詞で、ロッソ宮殿(赤い宮殿)の雰囲気にこれ以上ないほどマッチ。彼は、あの巨匠ティツィアーノの弟子でもあります。
2. 手元と背景に隠された「恋のストーリー」
男性の右手をよく見てみてください。小さな「手紙」を携えていますよね。
そして、彼の背後(画面左上)に視線を移すと、小さく建物(ロッジア)が描かれており、そこにいる金髪の女性に手紙が手渡されている(または送ろうとしている)場面がシンボルとして描かれています。
*美術史のロマンあふれる裏話
過去の研究では、この男性はジェノバの裕福な商人オッタヴィアーノ・グリマルディではないかと言われています。実は、ロンドンのナショナル・ギャラリーに、これと対(ペア)になるように描かれたボルドーネ作『若い女性の肖像』(通称:とてもふしだらな女性の肖像)という、同じような赤いドレスを着た美しい女性の絵が存在します。もしかすると、離れ離れの恋人たちが、手紙を介して時空を超えてつながっている様子を描いたのかもとのこと。
手紙を手に、少し物憂げに視線を外すジェントルマン。当時のジェノバ貴族の富と、秘められたドラマを感じさせる素晴らしい名画。
ちなみにグルマルディ家は、今のモナコ公国を支配するグリマルディ家と同じで彼らのご先祖様ですね。有名な「白の宮殿」を建造した一家。 -
タイトル: 『ホロフェルネスの首を持つユディト』(伊: Giuditta con la testa di Oloferne)。画家: パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese, 1528?1588年)。制作年代: 1580年頃(盛期ルネサンス~マニエリスム期)
この作品は、旧約聖書(外典)に登場する有名なヒロイン「ユディト」の物語を描いている。彼女は、敵国アッシリアの将軍ホロフェルネスを美貌で油断させ、彼が泥酔して眠った隙にその首を切り落とし、見事自国を救う。
1. ヴェネツィア派の巨匠「ヴェロネーゼ」の贅沢な色彩
作者のヴェロネーゼは、ティツィアーノやティントレットと並び、16世紀ヴェネツィア派を代表する三大巨匠の一人。
彼の一番の特徴は、色彩の鮮やかさと、豪華絢爛な「衣装」の描写です。ユディトが身にまとっている美しい山吹色のドレスや、お供の老女の光沢のあるピンク色の衣装、そして背景の深い緑のカーテンなど、緊迫した場面でありながらも、まるで宮廷劇のワンシーンのような華麗さがあります。
2. 静と動、美と醜の計算されたコントラスト
画面中央の美しいユディトは、非常に冷静な表情で切り落とした生々しい首を掴んでいます。
この「ユディトの若々しく白い肌」と、彼女をサポートする「年老いて肌の黒い召使い」、そして「血の気の引いたホロフェルネスの青白い生首」という、色彩と質感の強烈な対比(コントラスト)が、この絵にただの凄惨さではない、洗練された演劇的な緊張感を与えています。
3. 赤の宮殿でも一際輝くベネチアの風
ジェノバの貴族たちは、地元の画家に限らず、当時最先端だったヴェネツィアの華やかな絵画もこぞって買い求めました。このヴェロネーゼの作品も、ブリニョーレ・サーレ家が誇ったコレクションの質の高さを象徴する一枚。 -
タイトル: 『クレオパトラの死』(伊: Morte di Cleopatra)。画家: グエルチーノ(Guercino、本名:ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ)。制作年代: 1648年頃(バロック期)
歴史上の絶世の美女、エジプト女王クレオパトラの最期の瞬間を描いたドラマチックな傑作。ローマの将軍アントニウスとの愛に生き、オクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝)に敗れた彼女は、捕虜となる屈辱を拒み、自ら命を絶つ道を選ぶ。
1. 悲劇の象徴「毒蛇(コブラ)」
彼女の右手に注目。小さな蛇を握りしめ、まさに自分の胸(乳房)を噛ませているところ。当時、コブラに身を噛ませて自殺したという伝説に基づき、バロック期には人気のあった画題ですが、グエルチーノはそれを生々しくではなく、非常に洗練された哀愁漂う場面として描き出している。
2. グエルチーノ特有の「光と影」とエロティシズム
グエルチーノは、明暗の強いコントラスト(キアロスクーロ)の達人。背景の深い闇と、ベッドを覆う重厚な紫(あるいは深紅)のカーテンに対し、クレオパトラの白く滑らかな肌が光を浴びて神々しいほどに浮かび上がる。死の直前でありながら、どこか官能的で、眠っているかのような穏やかさすら感じさせる表現は、彼の卓越した技術の賜物。
3. 天才画家の円熟期の傑作
グエルチーノはキャリアの途中で、より古典的で調和の取れた、優美なスタイルへと変化していきました。この『クレオパトラの死』はその円熟期の作品で、バロックらしいドラマの激しさと、ルネサンスのような理性的で美しい構図が見事に融合。 -
タイトル: 『聖セバスティアヌス』(伊: San Sebastiano)。画家: グイド・レーニ(Guido Reni, 1575?1642年)。制作年代: 1615年頃(バロック期・ボローニャ派)
描かれているのは、初期キリスト教の殉教者「聖セバスティアヌス」。ローマ皇帝の親衛隊長でありながらキリスト教を信仰したため、木に縛り付けられ、無数の矢を射られる刑に処される(実はこの後一命を取り留めるのですが、最終的に殉教します)。
1. 「天上の美」と称された圧倒的な肉体美
レーニの最大の持ち味は、バロックのドラマチックな光を取り入れつつも、ルネサンスの巨匠ラファエロのような「完璧な古典的・理想的な美」を追求した点。矢が突き刺さり、血が流れているという凄惨な状況であるにもかかわらず、その肉体はまるでギリシャ彫刻のように白く、滑らかで完璧なプロポーションを保っています。この「苦痛」と「究極の美」の融合が、見る者を強烈に惹きつけます。
2. 天を見つめる、恍惚(エクスタシー)の表情
彼の表情をじっくり見てみてください。苦しみに悶えているのではなく、うっとりと天を仰いでいますよね。これは、肉体の苦痛を超越し、神の愛や天国と一体化している「宗教的恍惚(エクスタシー)」の瞬間を描いています。暗い背景の中で、彼の顔と体に当たるスポットライトのような光が、その神聖さをさらに際立たせています。
3. 三島由紀夫をも虜にした、運命のモチーフ
日本の文豪、三島由紀夫のエピソードは美術界でも非常に有名。彼は青年期にグイド・レーニの『聖セバスティアヌス』の複製画を見て強烈なインスピレーションを受け、自伝的小説『仮面の告白』にその衝撃を綴ったほか、自らこの聖セバスティアヌスに扮したポートレート写真を撮影したほど、この絵に深く魅了されたらしい。 -
タイトル: 『若い男の肖像』(伊: Ritratto di giovane)。画家: アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471?1528年)。制作年代: 1506年(盛期ルネサンス期)
これまで観てきた17世紀バロックの「劇的な光と影、感情の爆発」から一転して、ここには16世紀初頭の「驚異的なまでの緻密さと、静かな知性」が凝縮。
1. デューラーの「本物」がジェノバにある凄み
デューラーといえば、レオナルド・ダ・ヴィンチと並び称されるルネサンスの超巨人ですが、彼の油彩画の多くはドイツやオーストリア、あるいはウフィツィ美術館(フィレンツェ)などにある。そんな彼の貴重な真作が、ここジェノバの個人コレクション(ブリニョーレ・サーレ家)に遺され、今私の目の前にあるということ自体が奇跡的なことだという。
2. 画面に隠された「1506」と「AD」のサイン
絵の最上部、男性の帽子の真上あたりの緑の背景に、薄く文字が書かれているのが見えます。そこには、制作年である「1506」という数字と、デューラーが自作に必ず描き込んだお馴染みのモノグラム(Aの中にDが入ったロゴマーク)がしっかりと刻まれています。
3. ヴェネツィアの風を感じる「緑の背景」
なぜデューラーがこの絵を描いたのか。1506年という年は、彼が2回目のイタリア(ヴェネツィア)滞在をしていた時期。当時、ヴェネツィアで流行していた「背景をシンプルな一色(この美しい緑色)にして、人物の存在感を際立たせる高貴な肖像画のスタイル」を、デューラーが完璧に自分のものにして描いたのがこの作品。
4. 生きているかのような「毛髪と瞳」の描写
カメラのレンズ越しでも伝わってくる、この若者の豊かな栗色の髪の毛1本1本の繊細なカール、そして少し斜めを鋭く見つめる瞳のリアルさを見てみてください。北方の画家ならではの、顕微鏡で覗いたかのような超絶的な細部描写(ディテール)は、思わず息を呑むほどの完成度。 -
タイトル: 『凍った川の上でスケートをする人々(氷上の風景)』(伊: Paesaggio con pattinatori sul ghiaccio)。画家: ヤン・ウィルデンス(Jan Wildens, 1586?1653年)。制作年代: 1610年代~1620年代頃(バロック期・フランドル派)
1. ブリューゲルが確立した「冬の風景画」の直系
この絵の構図やテーマは、ピーテル・ブリューゲル(大ブリューゲル)が描いた超有名作『雪中の狩人』や『鳥罠のある冬の風景』にそっくり。ブリューゲルが先駆者として生み出した「鳥瞰図(鳥のような高い視点)から見下ろす、雪に覆われた北国の村と、そこでたくましく生きる庶民の日常」というスタイルは、フランドルの画家たちの間で大流行したスタイル。作者のウィルデンスも、その伝統を完璧にリスペクトしてこの美しい冬景色を描く。
2. ルーベンスの「背景」を支えた男の卓越した空間描写
実はこのヤン・ウィルデンス、フランドル・バロックの最高峰であるピーテル・パウル・ルーベンスの公式アシスタント(共同制作者)として大活躍した人物。ルーベンスは人物を描く天才でしたが、壮大な風景を描くときは「風景のプロ」であるこのウィルデンスに背景を任せていたという。
この絵を見ても、手前の裸の木々から、凍りついた川がはるか奥の都市のシルエットへと消えていく見事な遠近法(空気遠近法)に、彼のプロとしての誇りが垣間見えます。
3. 氷の上のコミカルな人間模様(ディテール)
氷の上の人々を一人ずつ観察すると、気持ちよさそうに風を切って滑る人派手に転んで氷の上にひっくり返っている人(中央右寄りの、赤い服の人に注目!)。寒さに耐えながら荷物を運ぶ人や、犬を連れて歩く人。ブリューゲルの絵と同じように、ここには「冬の厳しさ」と「人々の生活のユーモア」が同時に描き込まれており、見れば見るほど新しい発見があって飽きない。
4. 南国イタリアの貴族が求めた「北国の冬」
地中海に面した温暖なジェノバの貴族たちが、なぜこの凍てつくフランドルの冬景色の絵を買い求めたのか?当時、ジェノバとアントウェルペン(フランドルの中心都市)は、金融や貿易で非常に強い結びつきがあり、彼らにとって、自分たちの街では決して見ることのできない「異国の美しい雪景色」や「氷の上のエンターテインメント」が描かれた絵画は、お部屋を彩る極上のコレクションであり、知的な自慢の品だったのです。
イタリア・バロックの燃えるような情熱から、北国の静かで少しクスッと笑える冬の世界へ。ロッソ宮殿のコレクションがいかに多様で、当時の貴族たちの好みの幅が広かったかがよく分かる素晴らしい締めくくりですね。 -
上のフロアに上がると、先ほどまでの絵画がずらりと並んでいた天井の高い豪華な主階(ピアノ・ノビレ)とは、ガラリと雰囲気が変わる。
各種の名画絵を飾っていた部屋の天井は高く、主に高貴なゲストを迎えたり、富を誇示したりするための「公的なスペース(サロン)」。
これに対して、ここの天井の低いフロアは、ブリニョーレ・サーレ家の人々が実際に日々を過ごした「私的な居住空間(アパルタメント)」、あるいは使用人たちのスペース。
天井が低いのは、当時の建築技術や効率的な暖房(冬場に部屋を温めやすくするため)の理由もありますが、どこか包み込まれるような居心地の良さ、親密さ(インティメイトな雰囲気)があります。 -
バロック時代のフレスコ画の究極のテクニックが、この部屋の天井に見事に現れています。
実際の天井は平ら、あるいはなだらかなドーム状であるはずなのに、絵の力によって「建物の天井が取り払われ、その先の無限の青空へと空間が突き抜けている」ように錯覚させられますよね。
雲に乗った神々や、宙を舞う天使たちの立体感が凄まじく、まるで部屋の空気がそのまま天界へと吸い込まれていくようなダイナミズムを感じる。 -
こんな感じで、街を歩いていても全般的にジェノバでは、バロック様式の騙し絵を活用した装飾が市内に多い印象。
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坂の街の階段から望む地中海。
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高台バルヴェデーレ カステッロ(Belvedere Castelletto)からの風景。
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下に赤の宮殿を望む。
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上を見上げれば急傾斜に張り付いたような港町独特の街並み。
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クルーズ船がジェノヴァ港に入港。
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エレベータで高台に上がることもできます(私たちは下に降りるのに利用)。
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こんな通路を通る。
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さらに歩いて、サンティッシマ アヌンツィアータ教会(Basilica della Santissima Annunziata del Vastato)。
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この教会が現在のような黄金のバロック様式に生まれ変わった最大の契機は、16世紀末から17世紀にかけて、ジェノバの屈指の豪商・政治家一族であったロメッリーニ(Lomellini)家が主導権を握り、改築費用を独占的に出資したから。
彼らは単に寄付をしただけでなく、フランドル派や地元ジェノバ派の最高峰の芸術家たち(ジョヴァンニ・カルローネ、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ、ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニなど)を雇い入れ、このような豪華な装飾を教会に施す。 -
中に入って天井を見上げると、幾重にも重なる金のフレームに囲まれた中央には聖母被昇天のフレスコ画が描かれており、下から見上げるとまるで天界の光が降り注いでいるかのような立体感。
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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニによる名画『最後の夕食』。
入口のファサード内側に掲げられている大型キャンバス画で、登場人物たちの表情や光の当たり方が非常にドラマチックに描かれています。 -
ところが、第二次世界大戦時(1943年)、ジェノバは大空襲を受け、この教会の屋根やドーム、内部の貴重なフレスコ画の多くが壊滅的な被害を受けます。
しかし、ジェノバの人々と歴史家たちは情熱的な復元作業を行い、残された資料と職人技によって、見事に「黄金のバロック世界」を再建。
まさにジェノバの歴史と誇りが何度も蘇る象徴的な場所だそうです。 -
さらに歩いて、港に到着。
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まだミラノ行きの電車に乗るまで時間があったので、ジェラートをいただく。
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いちごとピスタチオ。
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ジェノバ港に停泊していたこの帆船は映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」で使用した帆船という噂もありましたが、実は違うらしい。
この船は、巨匠ロマン・ポランスキー監督が1986年に公開した海賊映画『パイレーツ』(原題:Pirates)の撮影のために、なんと実物大の「動く船(レプリカ)」としてチュニジアの造船所で特別に建設されたものだそう。 -
そしてまた地下鉄に乗ってジェノバ駅に到着し、2時間かけてミラノに帰還。
続く。
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