2025/10/09 - 2025/10/16
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薔薇の咲く庭さん
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この旅行記スケジュールを元に
西安に来て3日目、やっと兵馬俑の観光の日が来ました。私にとっては長年の希望だったのでこの日までがとても長く感じられました。天気は雨。ガイドさんの話によると7月頃からずっと雨の日が多く、曇り空でスッキリしない日が続いているとのことで、地球温暖化の影響を受けているのではないかと不安な表情でした。
この日もどんよりとした曇り空で、雨粒が傘の間から落ちて一眼レフのカメラが濡れてしまうのでないかとヒヤヒヤしながら首から下げていました。
兵馬俑坑博物館では専門解説員が解説をしてくれて、知識が増えた感じがします。博物館の後、兵馬俑作成体験館でレプリカを作る体験は感動の時間でした。
その後に訪れた始皇帝の墓も兵馬俑の規模から想像を超えた大きさで、まさに「百聞は一見にしかず」です。
玄宗皇帝と楊貴妃が過ごした温泉・華清池では楊貴妃の壁画を見ることが出来て漠然と想像していた美女の姿を見ることが出来て面白かったです。
ご覧いただけると幸いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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雨の降る中を傘を差してもかなり濡れながら、やっと兵馬俑にたどり着きました。一号坑です。この写真を撮るまでが大変でした。人垣が5重6重になっていて前の人が見終わり、人が入れ替わって自分の番が来るのを待たなければならなかったからです。列に並んでから15分くらいかかり、やっと最前列に出ることが出来てこの写真が撮れるところまで来ました。
秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 史跡・遺跡
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兵士の数は8000体だそうです。皆、同じ方向を向いていました。また兵馬俑は陵墓の1.5km東に位置し、その規模は2ha程だそうです。3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体近くあり、みな戦闘態勢で東を向いています。
「死後の世界も生前と同様」という始皇帝の考えに基づき、始皇帝を守るために作られているそうです。始皇帝の権力の強さは相当なものだったと推測されます。
一号坑の規模は最大で長さ230m×幅62mあります。 -
一人ひとりの顔が違うところにこの武士俑の凄さがあると思います。焼いて陶器なのですから。よく造りました。
発見したのは農民だそうですが、さぞ驚いたことでしょう。 -
手作りで作っているので同じものはできないということは分かります。
紀元前246年から紀元前208年にかけて造られたと推定されているのでその時の技術は相当なものです。紀元前なのですから。 -
兵士が整列している姿は圧巻です。元々は色がついていたそうです。
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ガイドさんが見せてくれた写真。鮮やかな色彩の色が付いていますね。
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2千年以上の時間が過ぎているので色は脱色しても仕方がありません。
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それにしても凄い! 隊列は230mの長さで続いています。幅は62mあり、正面から左右に通路が分かれ一方通行です。人が凄くて右か左の通路を選択する余裕はありませんでした。ガイドさんは左側を進みました。とにかくガイドさんとはぐれてしまうと大変なことになるので、しっかりと後について行きました。凄い人混みです。
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少し奥に進んで横の方から撮りました。整然とした隊列で東の方を向いています。
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拡大してみました。本当によく作ったと思います。
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面から200mくらい進んだのでしょうか?後ろの方には兵馬俑の修理のためのスペースがありました。横になっている兵馬俑がたくさんありました。
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後部から隊列を見ています。8000体と言われていますが、まだ発掘中の像もあるそうです。なのではっきりした数は分からないとのことでした。
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発掘された像の修理中のようです。グルグルと補強する紐が巻き付けられています。この日は日曜日なので作業する人はいませんでした。
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さらに進むと補強する紐が外れた兵馬俑が間隔をあけて並べてありました。顔がないのはこれから作るのでしょうか?どこかで作っているのでしょうか?
AIに聞くと2000年前の制作当時から別々のパーツで作って、後から組み合わせていたそうです。なので出土された時もバラバラの状態で発見されることが多くあるとのことでした。パズルを組み合わせるかのように元の形に修復士たちが作業をしているそうです。顔の白い所は修復の処置をしている最中とのことでした。 -
胸の所に青いマークを付けた像がありました。何かの意味があるのかと思います。
AIに聞くと、破損の程度や状態を表すための目印だそうです。他にオランジ色などがあるそうです。オレンジ色は青の後ろの方に見えました。 -
修理中の兵馬俑は同じ目の高さで見ることが出来ました。見下ろした兵馬俑より大きく見えます。
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ずいぶんたくさんの兵馬俑が修理中でした。作業をしている人を一人も見ることができなくて残念です。
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1号坑の最後尾に出ました。ガイドさんが「ここからの景色は始皇帝になった気分で見られます」と言っていましたが、本当にそう思います。ここからゆっくりと馬車に乗って始皇帝はこの隊列を見ていたことでしょう。
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2号坑へ進みました。ここは精鋭部隊のエリアでした。これは横一列に並んで戦車を引く馬の陶俑です。下の方に見えました。
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一号坑の大軍団とは違い兵馬俑は戦術的な構成になっていました。
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拡大してみました。表情がある俑があっておもしろいです。首がないのは修理中なのでしょう。2000年の歴史の重みを感じさせます。
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跪射俑(きしゃよう)のガラスケースの所に出てきました。この兵馬俑の本物が見たくてここに来たのです。片膝をつく姿勢は安定して構える戦闘態勢だそうです。何も持っていないように見えますが体の右側に大型の弓をしっかりと握りしめていたそうです。最前線で弓を構える実践的な姿には凛とした緊張感があります。
この跪射俑(きしゃよう)は重心が低く安定していたために奇跡的に無傷の状態で出土しました。博物館の「至宝」の一つだそうです。 -
後ろ側から見ると、髷(まげ)が少し右側にあることが分かります。偏髷というそうで、非対象的な髪型や頭部の造りは下級武士の階級を示しているそうです。
将軍など上位の階級は髪のまとめ方が異なるそうです。当時の軍の秩序が表現されているそうです。
身分は現場の兵士ですが、鎧の細かい鋲、靴の裏の縫い目や滑り止めなど緻密に作れれていて作り込みのすばらしさと保存状態のよさはトップクラスだそうです。 -
2日後に咸陽博物館で跪射俑の絵が展示されているのを見ました。元はこんな形だったのですね。大型の弓はこんな形だったのですね。
咸陽博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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色がついている跪射俑(きしゃよう)の写真がありました。色を付けると顔の感じが変わりますね。年を取ってしまったように見えます。ガラスケースの色がついていない方は青年に見えます。
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この写真にも後ろ姿と足に色を付けてあります。
跪射俑(きしゃよう)がとても貴重な兵馬俑であることがこの写真からも理解できます。靴底の幾何学的な細かい模様や縫い目があるそうです。ぬかるんだ戦場や足場の悪い中でも滑らないように工夫されているそうです。右足はつま先を地面に立てて体重を支え、左足は足の裏がしっかりと地面についています。最もバランスを取りやすいファイテイングポーズだそうです。
2000年も前の焼き物でありながら本当にリアルに作ってあり心が惹かれます。 -
この兵馬俑は御手俑(ぎしよう)というそうです。馬の手綱を握って従える兵士と戦馬のセットです。かなりリアルです。大軍団の臨場感が伝わってきます。
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高級軍史俑というそうで、身分の高い将校クラスの指揮官だそうです。身に着けている服、頭部に立派なん冠や髪の結い方から上の立場の人と分かるデザインになっています。まあ、なんとなくそういった風格が感じられますね。
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最後は最高位の将軍俑です。軍を率いる最高責任者で数千~数万の兵馬俑の中でごく少数しか見つかっていないそうです。頭には立派な二重の冠をかぶり、胸元や肩に凝った装飾のついた鎧を着用しています。百戦錬磨の指揮官の風格が感じられます。トリに飾られていました。
始皇帝は13歳で即位した際、驪山北麓に陵墓の建設を開始したそうです。丞相・李斯が設計を主導し、少府令・章邯が監督して兵馬俑を作りました。最大70万人が動員され、地勢や風水思想(背山臨水の地形)に基づき選定されたこの場所に作ったそうです。 -
兵馬俑を見学した後、バスに乗って兵馬俑のレプリカ制作陶芸体験のできる教室へいきました。粘土をこねることから成形、そして秦の兵馬俑の魅力を引き出すまで、歴史の痕跡を自ら再現することができるのです。
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制作する兵馬俑は7つの見本の中から選ぶことが出来ます。
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陶芸教室の先生が粘土をこねるところから説明してくれました。ガイドさんが日本語に訳します。
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粘土をこねて半分に分け、鋳型の中に入れます。もう一つの鋳型に残り半分の粘土を入れて合わせます。
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しばらくたってから型を外すと原形が出来上がります。余分な粘土を削りとって形を整えていきます。手に粘土が付いているのでカメラで写真を撮るのが大変でした。
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最後の仕上げは先生が手伝ってくれて兵馬俑が完成しました。さすがに先生は細かい所まで丁寧に仕上げをしてくれました。
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想像していたような作品が出来ました。感激です!
このツアーの魅力はレプリカの制作体験があることです。西安まで来た甲斐がありました。 -
先程、兵馬俑坑博物館で買ってきたレプリカと並べてみました。右腕が少し細いように見えます。表情は私が作った方が穏やかに見えます。まあ、よしとしましょう。とても貴重な体験だと思います。
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家に帰ってから飾り棚の中に二つを並べて飾りました。この写真を見ると、制作し終えた時の感動が蘇ります。
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夫が作った作品です。始皇帝だったと思います。
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見学とレプリカ制作を終えてランチです。ランチの中の一品。少し辛い炒め物。
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とてもたくさんの量が出てきて食べきれませんでした。すべて円卓でグループで取り分けて食べました。
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昼食後にカートに乗って向かったのは銅馬車博物館です。
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地下の深い所に降りました。なぜ地下にあるのか不思議に思いました。調べてみると、1980年10月3日、程学華率いる始皇帝陵試掘分隊が、始皇帝陵墳丘から20mの地点の地下7mの深さで金製・銀製の塊と金糸のふさを発見したそうです。銅馬車の一部でした。それで地下に展示室があるようです。
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薄暗い展示室でした。2乗の銅車、8頭の銅馬および2体の御者が、地下7.8mの深さで出土したそうです。展示されていたのは一乗の馬車でした。
銅車馬は、4頭立ての二輪馬車で、実際の車馬の2分の1の比率でできているそうです。1号銅車馬は、立車といい、車体の右には盾と鞭、前には弩と矢が掛けられています。車上には1本の傘が立てられ、傘の下には高さ91センチの銅御者1体が手綱を引いて立っていましたた。傘には夔龍文あるいは夔鳳文が描かれています。 -
後ろから見ました。たくさんの人が見学に来ていて、よいアングルで写真を撮るのが大変でした。始皇帝は馬車まで用意していたのには驚きです。
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横から見ました。かなりリアルに作られています。金属加工技術の精度の高さを感じさせます。始皇帝の乗用車として用意していたそうです。
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次の見学地は秦の始皇帝が眠る「秦の始皇帝陵」です。カートは途中までしか行かないのでカートを降りて始皇帝陵までは歩く必要がありました。歩くのがきつい方がいてどうするかガイドさんが迷ったのですが、結局頑張って歩くことになりました。
秦の始皇陵 史跡・遺跡
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あの山の上まで陸墓「秦の始皇帝陵」は続いているそうです。辺り一帯がお墓の一部で膨大なお墓であることが分かりました。始皇帝の権力の凄さを兵馬俑で実感しましたが、お墓の大きさでもその凄さを感じました。
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やっと始皇帝陵に着きました。
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始皇帝はこの下に眠っているのでしょう。石の塔婆が一つで、今まで見てきたものと比べると、とてもあっけない感じを受けました。記念撮影をしました。
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記念撮影をしました。世界遺産になっているマークがありました。
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次に訪れたのは華清池です。入り口に楊貴妃が踊っている像がありました。左の方に玄宗皇帝も踊っています。
華清池は西安市街から東へ約30キロ行った郊外の驪山(りざん)のふもとにある有名な温泉地です。兵馬俑の近くにあります。周の時代から三千年以上の歴史がある温泉地だそうですが、この華清池が有名なのは唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの場だったからです。華清池(驪山温泉) 温泉
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夕方からは池でイベントがあるようで準備をしていました。池の上にステージを作っていました。
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さらに進むと、楊貴妃の像がありました。等身大よりも大きくて、台座を入れると3mくらいあるそうで大きかったです。ヌードなので近寄り難いのですが・・・
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横ろからの像です。
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いくつか建物があり、建物の中には浴槽がありました。温泉です。玄宗皇帝が入っていた?らしい浴槽です。
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空の浴槽もありました。周りに見学コース用の柵が設けられていて下を見ることが出来ました。
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ここは楊貴妃が入浴していた浴槽のようでハス?のような花が浮かべてありました。
湯気が立っていて今でも温泉が湧いています。 -
これも楊貴妃が入っていた浴槽でした。階段が付いていて低い所に湯船があるのは日本の様式と違います。石のお風呂なのですね。
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楊貴妃が描かれている壁画がありました。美しい人ですね。
視線の先は・・・ -
玄宗皇帝です。玄宗皇帝も楊貴妃の方を見ていました。
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楊貴妃を拡大してみました。
楊貴妃は中国の四大美人(楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉)の一人とされる一方で、玄宗皇帝を惑わせ、玄宗皇帝が政治を顧みずに酒食に溺れるようになり、ついには内乱まで起こってしまったことから、「傾国の美女」とも言われています。
もともとは玄宗皇帝の息子の妃だったのですから、玄宗皇帝に責任があるように思います。 -
夕食は火鍋料理でした。火鍋の歴史は古く(約3千年前に既に食べられていた料理)、モンゴル近くの中国地域で作られた料理が中国全土に広まったと言われています。
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本来、中国語の「火鍋」という言葉は「鍋の下に明火を点け、食材を鍋の中のスープに投げて煮ながら食べる」の意味を指すそうで、煮えているスープの中に食材を入れて食べました。牛肉が美味しかったです。
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夕食後、シェラトン シーアン ノース シティ ホテルに戻りました。
宿泊客はヨーロッパ系、アメリカ系の方が多く、東洋人は少数でした。ガイドさんからホテルの外には出ないように言われていました。また。観光地では日本人と分かるような大きな声で話さないように言われていて、日中関係が微妙な時期の旅行でした。シェラトン シーアン ノース シティ ホテル ホテル
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この日は充実した一日でした。兵馬俑があんなに混んでいるとは想像していなかったので人の多さに驚きました。レプリカ制作が出来たのはとても貴重な体験です。
凛とした跪射俑(きしゃよう)の本物と整然とした隊列を見たくて西安まで来ました。見ることが出来てとても楽しい幸せな時間です。
明日は則天武后の陸陵、章懐太子墓、法門寺へ行きます。お墓巡りで少し退屈な旅になりそうです。
~旅は続く~
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