2026/06/06 - 2026/06/14
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ペコちゃんさん
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クルーズ7日目の寄港地は青森です。
青森はこれまでに、十和田湖と奥入瀬渓流、五所川原(立佞武多の館)、金木町(斜陽館・津軽三味線会館)、津軽半島(不老不死温泉)、下北半島(恐山・大間)など、主要な観光スポットは大体行きましたが、何故か弘前が抜けていました。
今回は丁度良い機会なので、明治~大正にかけての洋館など、歴史的な名建築が残る弘前城周辺を散策してみることにしました。
江戸時代の青森県は大まかに言うと、日本海側の弘前藩と太平洋側の南部藩に分かれており、「青森」という地名は1624年頃、弘前藩が現在の青森市に港町を建設して付けられたものです。
明治の廃藩置県では当初「弘前県」とし、城下町として栄えていた弘前を県庁所在地にする予定でしたが、その年のうちに青森に変わります。
その主な理由は
<交通の要衝> 青森は港町で、北海道方面への玄関口だった
<将来の発展性> 鉄道・航路整備を見据えた拠点として期待された
<軍事・防衛面> 北方への対応拠点として重視されたとされる
<政治的配慮> 旧弘前藩士の影響力を避ける意図があった可能性
と言うことですが、青森県の歴史や文化を理解するうえで、弘前は外せない街です。
写真は、八角形のドームが印象的な「旧弘前市立図書館」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 船 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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<7日目>弘前観光
一度訪れてみたかった弘前の建物群・・・今回は《 百石町展示館 ⇒ 日本キリスト教団弘前教会 ⇒ 青森銀行記念館 ⇒ 旧東奥義塾外人教師館 ⇒ 弘前市立山車展示館 ⇒ 旧弘前市立図書館 ⇒ 旧第八師団長官舎 ⇒ 藤田記念庭園 》の順に回ります。 -
弘前駅前から「土手町循環バス」に乗り、「下土手町」で下りて、最初に「百石町展示館」へ向かいます。
街中には、このような案内表示があるので、助かりますね。 -
①百石町展示館
営明治13年に1,064戸を焼失した弘前大火を教訓に、明治16年に宮本甚兵衛が「角三」呉服店の店舗として新築した土蔵造りの建物です。
大正6年に津軽銀行が買い受け、必要最小限の改装を加えて津軽銀行本店となり、昭和の大改修を経て平成10年まで青森銀行・津軽支店として使用されていた建物で、平成13年に弘前市に寄贈されました。
ギリシャ風の玄関ポーチや煉瓦張りの1階下部の腰外壁と日本古来の土蔵造りの白壁が見事に調和しています。 -
この展示館は、美術作品などの展示や音楽・演劇など、文化活動の発表と鑑賞の場として使われており、2階では今日から『弘前工芸協会展』が開催されています。
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なかなかの力作揃いですね。
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次の弘前教会に行く途中で見かけた飲食店の看板・・・誰か、標準語に訳して!
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土手町通りを歩いていると、気になるものを発見しました・・・「世界一大きい!!特大記念スタンプ」と書いてあります!
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ここは、老舗はんこ店「三照堂」。
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見たことがない、巨大なスタンプ・・・左は直径28cmもある「弘前ねぷた祭」の特大記念スタンプ、右は弘前市のマスコットキャラクター「たか丸くん」・・・スタンプを押すA3の大きな紙まで用意してくれているので、記念に押しました。
特大スタンプは4種類あるようで、これは夏バージョン・・・因みに、特大スタンプの参考商品は39,960円・・・興味のある方は如何ですか。 -
そしてこれは、弘前市立観光館前に建つ「たか丸くん」の石像・・・弘前城築城400年祭のマスコットキャラクターとして平成21年に誕生した「たか丸くん」は、弘前城の別名「鷹岡城」の鷹がモチーフで、頭の上には本丸にある天守閣を載せています。
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②日本キリスト教団弘前教会
明治8年に元弘前藩士で東奥義塾々長や青山学院々長を務めたクリスチャンの本多庸一や、東奥義塾で教鞭をとった米国人のジョン・イングらによって設立された弘前公会が母体で、明治37年に焼失した教会堂に代わって明治39年に再建された建物です。 -
パリのノートルダム大聖堂に似たゴシック風のダイナミックな外観に目を奪われます。
天を突きさすような双塔、中央に施されたレリーフ装飾のメダイヨン、トレサリーで装飾された尖塔アーチ型の上げ下げ窓とドリップストーン(雨押さえ石)のコントラストなど、気品と重厚感を漂わせ、明治の建物でありながら、現代の街の風景に溶け込む時代を超えた新しさを感じます。 -
東北地方では最初のプロテスタント教会・・・玄関の右に掲示されている表札「日本基督教團 弘前教會」や玄関上の扁額「弘前禮拝堂」に歴史を感じます。
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玄関を入って、右側の部屋に置かれているのは、大正末期のオルガンと弘前教会初代牧師の本多庸一(よういつ 1849~1912)の写真。
本多は新島襄・植村正久・内村鑑三・新渡戸稲造と並び、明治期の日本におけるキリスト教主義教育の先駆者とされ、津軽の近代化や女学校設立(現弘前学院)よる女子教育、りんご産業の一端にも尽力し、弘前の発展に大きく寄与しました。 -
シンプルな意匠の内部と祭壇・・・上に伸びるような高い天井とアーチ状の窓からの採光に開放感を感じます。
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祭壇の上にかかる白いアーチ・・・ブドウの蔓がモチーフになっています。
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礼拝堂前部にある祭具・・・伝統工芸である津軽塗の天板をもつ聖餐卓の上には、あけびづる細工の献金籠が置かれています。
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内部はプロテスタントの教会らしく質素ですが、青森県産の総ヒバ造りで腰壁は鏡板張、上壁や天井は白漆喰で仕上げられ、アーチ状の窓とのコントラストが見事です。
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一階後部(入り口側)は襖で仕切られており、襖戸の上に飾られた「弘前礼拝堂」の扁額は本多庸一直筆のもの・・・最初の教会堂から掲げられ、黒い焦げ目は、教会堂が火災にあった時の痕。
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2階には、3つの間仕切りが可能な30畳の和室があります。
<余談>クリスマスの時、イング宣教師は故郷のアメリカ・インディアナ州より取り寄せた印度リンゴを若者たちに振舞いましたが、その味に感動した若者たちがリンゴの苗木をイングに頼んで取り寄せ、彼らの中からリンゴの栽培会社「敬業社」が興され、津軽一円のリンゴ栽培のルーツの一つとなりました。 -
青森銀行記念館向かいの市民中央広場に建つ「安寿と厨子王と母」の像。
安寿と厨子王の伝説は丹後や越後など各地にありますが、津軽地方にも「岩木山に安寿姫を祀り、岩手山には津志王丸を祀っている」という伝説があり、弘前藩の菩提寺である長勝寺の境内一角にある蒼竜寺(座禅堂)の中に、安寿と厨子王の像が安置されています。
大正4年に小説「山椒太夫」を書いた森鴎外〈1862~1922〉は、史伝『渋江抽斎』で弘前藩の医師・学者であった渋江抽斎とその一族を詳しく描いています。 -
③青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)
明治12年(1879)に設立された「第五十九国立銀行」は、青森県では最初の国立銀行で、この建物は明治37年に親方町に移った時に本店として建てられ、その後、青森銀行・弘前支店として使われました。
昭和40年の支店改築時に地元住民の保存要請を受けて現在地に「青森銀行記念館」として保存されることとなり、2018年に弘前市へ寄贈されました。 -
ルネサンス風の意匠を基本とした木造2階建ての建物ですが、構造は堅固な土蔵造り・・・屋根の周囲に造られたバラストレード(装飾欄干)は、建物の景観を引き締めるだけでなく、屋根雪が滑り落ちるのを防ぐことが出来、さらに展望台を兼ねた塔屋は、建物の象徴にもなっています。
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壁面には「張り瓦」という工法が用いられ、下地の板の上に24cm角、厚さ2cmの瓦を張り、その上に漆喰を約4.5cm塗り重ねています。
また、上げ下げ窓の外部に土を漆喰で固めた引戸を取り付けるなど、防火・防犯の配慮もなされています。 -
設計・施工は、当時の洋風建造物の第一人者で太宰治の生家・斜陽館なども手がけた弘前の棟梁・堀江佐吉(1845~1907)・・・祖父の代から弘前藩の抱大工だった家柄に生まれ、技術は抜群で度胸があり、棟梁としての才能もあって数百名の部下を統率しました。
佐吉は北海道での公共工事などに携わりながら、独学で洋風建築の技術を身に着けました。 -
正面玄関を入るとかつての営業室が広がり、天井は高く、壁の腰回りには羽目板が廻っています。
客溜まりとの間には銀行の窓口で使われていたカウンターが今も残り、約5mある柱と柱の間にワニス塗の光沢が美しい青森県産ケヤキの一枚板が使われています。(入館料:200円) -
銀行店舗としての名残がある営業室・・・壁面は白漆喰塗で、蛇腹の黄大津とのコントラストが映えます。
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天井はクロス張りで、丸い端正な漆喰彫刻からシャンデリアが吊り下がっています。
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丸柱は青森県産のケヤキで、柱頭に接する持送りに「アカンサスの葉」がデザインされています。
アカンサスはギリシャの国花として親しまれ、ヨーロッパで古代から現代まで最も使われている文様。 -
客溜り東側の曲がり階段から2階へ。
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会議室とも呼ばれた「控所」・・・壁から天井まで黄大津の漆喰で仕上げられて、中央にメダイオン(円形装飾)が象られています。
床は無地のリノリュームを敷詰め、鉄製の端押さえ金具で止めていますが、当初からのものです。 -
「小会議室」・・・当初は暖炉があり、床は絨毯敷でしたが、後に暖炉は撤去され、床もリノリューム敷になりましたが、昭和60年の保存修理で絨毯は復原されました。
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天井には当初からのアカンサスの葉をモチーフにした金唐革紙が残され、中央のメダイオンと照明に重厚さを感じます。
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壁に飾られた額は、昭和後期に弘前市長を務めた福士文知の書『随處作主(ずいしょさしゅ)』・・・ ” 環境や境遇に左右されずに、自分自身の意思と判断に基づいて行動しようとする姿勢をもって生きる ” という意味。
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「会議室」は柱のない約14.5m四方の広い空間で、格天井にはアカンサスの葉をモチーフにした金唐革紙が施され、床はオイルスティンを塗布した縁甲板張りです。
当館や弘前市の他の歴史的な建造物の説明パネルが並んでいます。 -
裏庭にはツツジが美しく咲いています。
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「重役会議室」・・・壁と天井は黄大津の漆喰仕上げで、中央にメダイオンを設けて照明を吊るし、床のリノリュームは昭和60年の保存修理で敷き替えられました。
東面の窓に取り付けられているロールブラインドは、当初のものです。 -
④旧東奥義塾外人教師館
「東奥義塾」は藩校であった「稽古館(けいこかん)」を母体に、明治5年に菊池九郎らによって創立された私学で、この建物は東奥義塾で招いた外人教師専用の住居として、明治33年に建てられました。 -
東奥義塾では、新時代を担う人材養成のため英学主体の教育を実施し、弘前教会の設立に加わったメソジスト派宣教師ジョン・イングを始め、同派の宣教師が次々と教師として着任します。
明治23年に外国人教師用の住宅が建てられますが32年に焼失し、翌33年に再建されたのが本館です。 -
1階の左部分は3室とも喫茶室になっているので、休憩しようと思って座ったのですが、人手不足で時間がかかりそうなため諦めて、見学のみに変更。
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明治31~40年に在職したアレキサンダー家の写真。
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2階は当時の書斎や主寝室、子供部屋がそのまま。
ここは主寝室・・・内部の壁はもともと色漆喰塗でしたが、今はクロス張りになっています。 -
書斎。
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雨が降っても遊べる、ブランコ付のベランダ。
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2階奥の展示室には、東奥義塾の略年表と歴代外人教師の写真・・・左から3番目にジョン・イングの写真もあります。
明治時代の弘前における外国人の生活様式を垣間見る上で、貴重な建物でした。 -
旧東奥義塾外人教師館の裏(南側)には、戦前の弘前市内に建てられたミニチュア建造物が並んでおり、中には現存していないものもあります。
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⑤弘前市立山車展示館
弘前の山車は、4代藩主・津軽信政の時代(1682年)に、弘前八幡宮の祭礼で神輿の露払いとして各町内の若衆たちによって繰り出されたのが最初・・・明治以降は廃藩となったことや八幡宮との関係も薄くなったことから山車は殆ど市民の目に触れることもなくなり、倉庫の奥に眠っていましたが、貴重な文化遺産の山車を保存するため平成6年に当館が建設され、藩政時代から伝わる弘前市内7町会の山車を一堂に展示しています。 -
館内に飾られた「青森ねぶた面」は、2022年に制作された「九紋龍史進」。
弘前の山車は京都や江戸の影響を受けた人形を中心とした高欄付きの山車で、人形や衣装の中には享保年間(1716~36)のものもあります。 -
鍛冶町の山車「道成寺山」・・・和歌山県・道成寺に伝わる縁起物・安珍と清姫の物語で、恋に狂った清姫が執念の余り、半身鬼・半身蛇となって安珍が隠れている釣鐘に巻き付いているところを、二人の山伏がその傍らで祈祷している姿を表現しています 。
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本町の山車「黄石(こうせき)公と張良(ちょうりょう)山」・・・一人前の軍師である張良が黄石公から兵法の奥義を伝授してもらうために、黄石公が故意に大蛇のいる川に落とした沓(くつ)を張良は拾って捧げ、黄石公はその試練に合格した張良に兵法の奥義を授けるという、古代中国の修身からとったものです。
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土手町の山車「猩々山」・・・猩々(しょうじょう)が酔いと笑いを湛えた赤い童顔の面を付け、赤頭・赤ずくめの扮装で酒を飲みながら舞っています。
猩々とは、中国の伝承に由来する酒好きの想像上の霊獣で、日本では能楽「猩々」などに登場する赤い顔と長い髪を持つ目出度い存在を指します。
この「猩々」を土手町の山車飾物にしたのは、藩政時代に土手町に大酒造家が軒を連ねていたところから用いられたと言われます。 -
紺屋町・浜の町の山車「紅葉狩山」・・・平安時代の武将・平維茂(これもち)が信濃の戸隠山へ狩りに出かけた時、紅葉見物をしている美しい女性達に誘われ、酒宴や舞を楽しんでいるうちに、うとうと眠ってしまい、目が覚めると夢に見た鬼女が目の前に現れ、維茂は神から授かった刀で鬼女に立ち向かい退治する、という謡曲の説話からとったものです。
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東長町の山車「布袋山」・・・中国に実在した禅僧・布袋和尚が、大きな袋を背に満面の笑みを湛えて唐団扇を手にし、傍らに唐子が戯れています。
唐子たちを配したのは、古来より子は宝という意図からで、町内の福徳を願ったものと思われます。 -
布袋様の反対側で相撲を取っているのは、財福の神様「大黒天」と長寿の神様「寿老人」・・・この相撲には「最終的には両者ともに倒れる」という皮肉が込められているとか。
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これはいつ頃でしょうか・・・山車の行列を記録した貴重な写真も展示されています。
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8月1~7日に開催される「弘前ねぷたまつり」の時に出陣する、直径3.3mの「津軽情っ張り大太鼓」と、直径4mの「津軽剛情張大太鼓」・・・間近で見る大太鼓は、迫力満点!
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和徳(わとく)町の山車「米山(こめやま)」・・・米俵の山の上に農業神・商工神として崇敬される稲荷様の神使である阿吽の狐を乗せています。
左側の練り物は「楠公父子桜井駅の訣れ」・・・南北朝の内乱の際、南朝側に加勢していた楠木正成が、足利尊氏軍との決戦である湊川の戦いに向かう途中、供の中に加わっていた11歳の正行に教えを残し、摂津国の桜井駅から河内の国へ帰すという場面です。 -
⑥旧弘前市図書館
青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)の設計者・堀江佐吉により、明治39年(1906)に日露戦争の戦勝記念として建てられた図書館で、東奥義塾の敷地内(現:追手門広場付近)に建設されました。
手狭になった図書館が別の建物に移転することになったため、昭和6年に堀江家に払い下げられ、解体移築しましたが、市制施行100周年記念事業で1989年に現在地に移築復元されました。 -
印象的な八角形のドームを左右に持つ対称形で、正面の屋根窓・各階の蛇腹・窓の造作など、ルネサンス様式を基調とした木造3階建て・・・窓が多いのは図書館として明るさを追求したためです。
一方で、寺社建築などに見られる木鼻を用いて庇をせり出させるなど、随所に和風の様式が用いられ、晩年の堀江佐吉の卓越した技術を見ることが出来ます。 -
1階は旧市立図書館の形態を復元して当時の関係資料を展示し、2階には地方出版物や同人誌の紹介コーナーがあります。(3階は非公開)
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左側の八角形の入り口から入館します・・・玄関屋根のペディメント(三角形の部分)にも、佐吉の拘りを感じます。
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廊下を進んで行くと、右側の八角形は「婦人閲覧室」・・・この時代には、女性専用の閲覧室があったのですね~。
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1階中央にある「図書室」。
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その奥にある「館長室」。
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こじんまりとした明るい部屋で、壁には当時の館長の写真があります。
左は初代館長の杉山燾之進(とうのしん)・・・弘前藩最後の家老の長男で、石田三成の末裔だとか。
右は2代目館長の大道寺繁禎(しげよし)。 -
玄関がある八角形の塔から、階段を上がって2階へ。
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2階の中央にある広めの部屋は「普通閲覧室」・・・現在は展示資料室になっています。
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奥は「特別閲覧室」。
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右側の八角形の塔は「評議室」。
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図書館がある一角は「追手門広場」・・・右側は弘前市立観光館、左奥の建物は弘前市役所・・・その間から残雪の岩木山が美しく見えます。
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市役所の前に置かれたラッパを吹く少年の像は『希望の奏』・・・この像は、第二次世界大戦で亡くなった少年たちを追悼するために建てられたモニュメントで、その姿は希望と平和を象徴しています。
戦争は子ども達の命と未来までも奪ってしまうのですね。 -
⑦旧第八師団長官舎
明治29年(1896)に第7~12師団が新たに増設され、第八師団が弘前に置かれたことから、大正6年(1917)に現在の市役所前庭に旧第八師団長官舎が建設され、昭和20年まで師団長官舎として利用されました。
この建物は、堀江佐吉の長男・彦三郎が施行した、大正時代のモダンな文化住宅で、戦後は米軍の司令官官舎として使われた後、昭和26年に弘前市に払い下げられ、市長公舎として使用されましたが、市庁舎本館の建設に際し、2/3を解体して昭和33年に現在地へ移築しました。 -
2015年から「スターバックスコーヒー・弘前公園前店」として活用されており、「伝統と革新が共存する登録有形文化財」というキャッチコピーをもとに、建物の意匠を大切にしながら青森県特産の「ブナコ」を使用したインテリアや「こぎん刺し」などの伝統工芸品を店内のデザインに取り入れています。
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玄関を入った先にある注文スペースは、もとは会議室だった場所・・・天井の照明のシェードには「ブナコ」を使用しています。
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⑧藤田記念庭園
弘前城に隣接する「藤田記念庭園」は、弘前市が市制施行100周年を記念して整備し、平成3年に開園した日本庭園(入園料:320円)。
正面の冠木門をくぐって、中に入ります。 -
藤田記念庭園は、弘前市出身の実業家・藤田謙一が大正10年(1921)に別邸を構える際、東京から庭師を招いて造らせた江戸風な景趣の庭園です。
約6,600坪の広大な庭園は、岩木山を眺望できる借景式庭園の高台部と池泉廻遊式庭園の低地部に分かれ、高台部には洋館と和館などが建てられています。 -
先ずは「クラフト&和カフェ 匠館」へ。
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アップルパイセットとタルトセット(各1,100円)を頂きましたが、これが美味しい!
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一息ついて「洋館」へ。
別邸である洋館は木造モルタル2階建で、玄関先まで反りをつけて下ろされたドーマー付きの袴腰屋根や、階段吹抜け部分の八角形の塔が印象的なデザインとなっています。 -
設計は堀江佐吉の六男・金造、施工は長男・彦三郎が行いました。
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玄関の左右にはステンドグラス・・・お洒落ですね。
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玄関を入った所にある暖炉とステンドグラス。
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暖炉のまわりの飾りは、シンプルだけど細かくて美しい。
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素敵なステンドグラス。
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建物内のあちこちにステンドグラスが飾られています。
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応接間は「藤田謙一資料室」となっています。
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弘前出身の藤田謙一〈1873~1946)は明治大学卒業後、大蔵省に奉職した後、実業界に転身して日活社長をはじめ多くの企業を経営し、東京商工会議所会頭を経て昭和3年には日本商工会議所初代会頭に就任するなど、日本屈指の財界人として活躍しましたが、藤田育英社の創設や弘前市公会堂の寄付など、多くの育英事業や寄付行為でも社会に貢献しました。
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応接間の暖炉。
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1階のホールに置かれたピアノは、明治33年のドイツ・ベヒシュタイン製・・・大正から昭和にかけて日本に輸入された同種のピアノは震災や戦災で多くが消失し、現在では貴重なものになっています。
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ホールの先は、カフェ「大正浪漫喫茶室」。
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2階は有料施設(第一・第二会議室)なので、見学は出来ません。
大正時代の浪漫を感じさせる洋館は、木立の中にひっそりとした佇まいを見せていました。 -
洋館の向かいにある「和館」・・・木造平屋の書院造りです。
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庭園から望む残雪の岩木山・・・何とも贅沢な眺めですね。
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こちらが和館の入り口。
和館は、1937年に藤田謙一の本宅として板柳町に建てられたものを、1961年に現在の場所へ移築したものです。 -
玄関から広間に向かう手前に、ブドウの透かし彫りが見事な衝立が置かれています。
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広間の周りの廊下からは、庭園や岩木山が楽しめます。
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廊下の内側は書院造りの主座敷で、12.5畳と10畳の二間続きになっており、床の間・棚・付け書院が設けられています。
藤田記念庭園の和館は、2011年の第69期名人戦第4局(羽生善治名人 vs 森内俊之9段)、2017年の第75期将棋名人戦第2局(佐藤天彦名人 vs 稲葉陽八段)の会場となった場所でもあります。 -
壁の掛け軸には『掃雪開松径』・・・「雪を掃き清めて、松の間を通る小径を開く」という冬の庭の情景を表す言葉です。
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杉戸に描かれた絵。
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ここは居間でしょうか。
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九谷焼の唐獅子。
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明治初期の津軽塗(ななこ塗)箪笥・・・色漆で絵を描いた後、表面を研いで仕上げたものだそうです。
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池泉廻遊式庭園の低地部にも行ってみたかったのですが、時間の関係でパス。
和館の周りの庭園を歩くと、これは見事な松の古木。 -
木立の中に、弘前相互銀行の初代頭取だった唐牛敏世(かろうじ びんせい)の像が置かれています。
藤田記念庭園は藤田の死後、唐牛に譲渡され「弘前相互銀行倶楽部」(後に「みちのく銀行倶楽部」)として開放されますが、1979年に唐牛が亡くなると放置され、1987年に弘前市が市制施行百周年記念事業の一環として買収して復元整備し、1991年に開園しました。 -
よく手入れされた庭園に咲くツツジの花と石燈籠。
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樹齢約180年と言われる高さ16mのシダレザクラ・・・大正10年にこの庭園を造る以前から、ここに植えられていたものだそうです。
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パンフレットの写真を見ても、本当に見事なシダレザクラ・・・機会があれば、弘前城の桜と共に見に来たいと思いました。
弘前観光を終えてタクシーで弘前駅に戻り、13時45分発の奥羽本線でダイヤモンド・プリンセスが待つ青森に戻ります。
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