2026/04/23 - 2026/04/26
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nichiさん
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この旅行記のスケジュール
2026/04/25
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高村別邸
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自転車での移動
数分
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千曲市ふるさと漫画館
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自転車での移動
約5分
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極楽寺
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自転車での移動
約10分
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法城山高圓寺
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自転車での移動
約10分
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自転車での移動
約1分
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武水別神社神主松田家館跡
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自転車での移動
約40分
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この旅行記スケジュールを元に
シニア夫婦は伝統的建造物群保存地区を自転車で巡り、千曲市ふるさと漫画館に寄ってみました。
近藤日出造という、新聞の風刺画を描いていた方の作品が展示してありました。政治漫画の第一人者として、世界的に有名な方あったようで、私たちシニア夫婦も新聞の風刺画で拝見したことがあった方でした。
その後、自転車を走らせて、極楽寺~法城山高圓寺~武水別神社と巡りました。武水別神社は地元でも有名な大きな大きな神社です。
武水別大神(たけみずわけのおおかみ)と読み、善光寺平の豊穣と千曲川の氾濫防止を祈って祀られたのだそうです。
そしてココの境内で、自転車をお借りした宿のご主人に教えていただいた、「うずらもち」を戴きました。
そして、その真向かいにある、武水別神社の神主松田家館跡へ。
天正12年(1584年)越後の大名だった上杉景勝が、松田民部介に稲荷山城にいることを命じ、八幡神領を与えた古文書が展示してありました。
松田民部介は武水別神社の代々神主である松田家のご先祖様。
現在の松田家は、20代目だそうです。
松田家は、戦国時代以来、絶えることなく松田邸に居住し続けたことにより、多くの古文書が残ったのですね。
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戸倉上山田温泉で宿泊した亀清旅館で自転車を借りて、千曲市にある伝統的建造物群保存地区を巡ってきました。
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自転車で、千曲市ふるさと漫画館にやってきました。
近藤日出造記念館でもあります。 -
お邪魔します。
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中は撮影禁止。
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300円×2枚
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近藤日出造って誰って思ったけど、政治漫画の第一人者として、世界的に有名な方でした。
私たちシニア夫婦も新聞の風刺画で拝見したことがあった方です。
政治家の似顔絵が得意な方で、そこに添えられているコメントが面白い。
戦前から活躍されていた方で、読売宸殿で政治漫画が描いていらっしゃいました。
似顔絵が似ていることと、コメントが面白く、シニア夫婦は一つ一つの絵に見入ってしまいました。 -
シニア夫婦は引き続き自転車で蔵町の中を通り、
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極楽寺にやってきました。
表通り沿いにある駐輪場に自転車を停めて矢印通りに進むと、いきなり極楽寺の境内に出ました。 -
こちらが極楽寺の本堂です。
参拝します。 -
こちらは鐘楼ですね。
元々は上杉景勝が天正11年(1583年)に稲荷山城を築城した際に、鬼門除けとして建てられた鐘楼です。
一度焼失していますが、江戸初期である寛永19年(1642年)に再建されている鐘楼です。 -
カッコいい鐘楼ですね。
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隣には大欅が立っています。
幹周はどれぐらいあるのでしょうか?
樹齢約300年と言われている、かなりの大木です。 -
大欅越しに鐘楼を眺めてみます。
この景色は永年変わっていないのでしょうね。 -
大欅あたりから本堂を眺めます。
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山門をくぐって振り返ります。
山門の奥に本堂が見えます。 -
参道には六地蔵。
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元来はこちらからお邪魔しなくてはいけなかったのですね。
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参道横にはなまこ壁の大きな蔵がありました。
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参道を歩いてきました。
こちら側が極楽寺の正門ですね。
奥に山門、その先に本堂が見えます。 -
参道の入口横に大きな大きな石がありました。
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「蛇枕石」との表記です。
大蛇はこの石で昼寝をしていたとか・・・
この石に縄をかけて雨乞いをするとおしめりがあったようですね。
干ばつの年、この石を動かし過ぎて大蛇の怒りを買い、大洪水になって家や田畑が流され、蛇枕石はココに流されたそうです。 -
極楽寺を出て自転車で走っていたら、、、
レトロな建物ですね~~
大正末期に建てられた建物です。 -
現役の開業医の建物でした。
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シニア夫婦は自転車に南に走っていると、右に大きな門が現れました。
法城山高圓寺です。
シニア夫婦は、駐輪場に自転車を停めて参拝します。 -
この立派な門は仁王門ですね。
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左の仁王様
阿吽の「吽」ですね。 -
右の仁王様は、阿吽の「阿」ですね。
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仁王門に描かれた天井絵です。
鮮やかですね。 -
左には薬師如来が安置されている薬師堂。
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正面奥には本堂です。
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仁王門に戻りました。
立派な山門ですね。 -
右に仁王門。
中央奥に本堂。
左に薬師堂。
立派なお寺です。 -
県道を挟んで六地蔵がありました。
県道ができる際、お寺の真ん中を道路が突っ切ったのですね。 -
参道をさらに歩くと山門をくぐりました。
山門越しに振り返ると、山門の間から仁王門が、そのさらに奥には本堂が見えます。 -
ここが、法城山高圓寺の正門です。
今歩いてきた参道がずっと奥まで続いています。 -
シニア夫婦はさらに南に自転車を走らせます。
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昨晩お世話になったお宿、亀清旅館のご主人に教えていただいた武水別神社に到着しました。
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駐輪場に自転車を停めて、大鳥居にやってきました。
ここから再び武水別神社にお邪魔します。 -
太鼓橋を渡ります。
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お百度石がありました。
昔のカウンターが付いてますね。
百回分数えることができます。
ここから本堂まで百回も巡ったのですね。 -
左側には、境内摂末社である高良社です。
室町後期の建物で、武水別神社の境内の中では一番古いものだそうです。 -
その隣には、「うずらや」さん。
ここで「うずらもち」を戴きたかったのです。
昨晩お世話になった亀清旅館のご主人が教えてくださいました。
地元の方が何度もお買い上げになっています。 -
戴いたのは、お茶とうづらもち2個 650円×2
とろけるようなお持ちの中に、甘さ控えめのこし餡が入ってます。 -
これは美味!
お店の前の椅子で戴きました。 -
武水別神社は大きな神社ですね~
参道を奥に進みます。 -
木々も立派です。
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左側に手水舎。
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手水舎の後ろに何かの碑がありました。
八幡の戦いの記念碑?
ひょっとして??
説明文を読んでビックリ!
武田信玄と上杉謙信の有名な川中島の戦い。
初戦はココだったそうです。 -
武田信玄は南から信州に攻め入り、ココで村上義清と対峙することになりました。
信玄の総攻撃を二度に渡って退けた村上義清でしたが、周辺の国衆が武田に屈服したため、自身の城であった葛尾城を諦めて撤退し、長尾景虎(上杉謙信)に援軍を求めました。
上杉・村上連合軍は葛尾城を奪還しますが、武田信玄の信濃侵攻は止むことなく、この戦いは、これ以降12年に渡る、上杉謙信vs武田信玄の川中島の戦いの始まりでした。
な~るほど・・・ -
さあ奥に進みます。
これは中鳥居です。
シニア夫婦はお辞儀して奥へ。 -
正面は勅使殿。
皇室や神社庁などからお見えになる勅使を迎える所ですね。
右に額殿。
奥に拝殿が見えます。 -
右から勅使殿、拝殿、左奥に見えるのが本殿です。
立派ですね~ -
拝殿にやってきました。
参拝します。 -
見事な彫刻です。
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拝殿の右側から、
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グルっと奥に廻ります。
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拝殿は裏側の彫刻も見事です。
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そして本殿に参拝。
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これは何?
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献納滝壺の石?
木曽義仲?
また随分昔にさかのぼったな~~
平家との戦いで戦勝祈願した際、祈祷文を奉持した使者がこの石に溜まっていた雨水で足の汚れを洗ったのだっそうです。
本当か~~?
なんでそんなことがわかるのだろう?? -
この石に溜まっていた雨水ね~~
面白い・・・ -
武水別神社をあとにしたシニア夫婦は、その真向かいにある、武水別神社の神主松田家館跡へ。
自転車もここの駐輪場に移動させました。 -
屋形の横のお屋敷の門には、「松田」の表札。
こちらに武水別神社の神主である松田家がお住いのようですね。 -
神主の住居として、大きな大きな屋敷構えですね~
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堀と橋、そして長屋門が見えます。
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武水別神社の神主を代々つとめてきた松田家の屋敷が、古文書に博物館になっています。
戦国時代につくられた土塁跡や堀跡があり、中世の居館跡の痕跡があります。
江戸時代になると、この敷地に神主屋敷の建物群が建てられました。 -
さあお邪魔しましょう。
小さな橋を渡って建物内に入るのです。
この長屋門、城門のようですね。 -
橋から横を見ると、堀。
かつては松田邸の四方を囲んでいたそうですが、ほとんどが埋め立てられ、ココだけ残っているそうです。
これは江戸時代より前のものだそうです。 -
これが館の敷地配置図ですね。
右の水色の所が現存する堀です。
左の緑の部分が現存する土塁です。 -
松田邸の建物の案内です。
敷地内に多くの建物が建っていますね。 -
さあ中へ。
300円×2名 -
長屋門をくぐって最初にお邪魔するのが主屋です。
武家屋敷のようですね。 -
多くの古文書が展示されていますが、シニア夫婦は興味を持った一部のみ。。。
これは、上杉景勝の朱印状です。
天正12年(1584年)越後の大名だった上杉景勝が、松田民部介に稲荷山城にいることを命じ、八幡神領を与えた古文書です。
松田民部介は武水別神社の代々神主である松田家のご先祖様ですね。
松田家は、武水別神社の神主を勤めながら、稲荷山城を拠点として武士として活動していたのですね。
現在の松田家は、20代目だそうです。 -
武田信玄のご朱印状です。
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主屋の中を進んで行きます。
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広いお屋敷ですね~
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さらに奥へ。
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さらに奥へ。
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床の間に掲げられているこの掛け軸の絵、面白い。
太田南畝という、江戸幕府の御家人による狂歌です。
蔦屋重三郎とは歳も近く、交流があったようです。
はらふへき
ちりもなければ
一本の
はしらにかけて
おかんとほつす -
松田家は、戦国時代以来、絶えることなく松田邸に居住し続けたことにより、多くの古文書が残ったのですね。
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ここは、湯殿です。
湯殿と言っても、神事を行う前に身を清める為の場です。
代々神主であった松田家にとっては、大切な空間であったようです。
どのように清めていたかは今は不明だそうです。 -
廊下から庭が見えます。
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釜ですね。
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主屋を出て敷地内を巡ります。
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トイレですね。
勿論、使用不可。
小は木製。
大の便器が豪華な瀬戸物です。 -
小さな門をくぐります。
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奥にはいくつかの建物が建っています。
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主屋との間には白い土塀があります。
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左の方にあるのは西の蔵。
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土が盛り上がっていますが、これは土塁の跡です。
かつては松田家の四方にあった土塁ですが、江戸時代にほとんど削られています。
土塁からは16世紀前半ころの瓦が出土しているようですので、1500年代につくられた土塁のようです。
戦国時代から安土桃山の頃につくられたのですね。 -
こちらは、裏長屋です。
左右に物置がある、長屋門です。
こちらは明治時代に建てられたようです。 -
引き続き敷地内を歩きます。
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いくつかの建物が並んでいます。
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こちらは隠居屋です。
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江戸後期に建てられたようです。
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家長は隠居するとココで余生を過ごしたのですね。
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茅葺屋根の建物ですね。
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建物は基礎石に載せてあります。
よって地震にも強い建物です。
赤い矢印の所が少しズレています。
弘化4年(1847年)の善光寺地震でズレた跡です。
この建て方によって、柱は折れることなく、建物も無事でした。 -
少し離れて隠居屋を見てみます。
立派ですすね~~ -
武水別神社神主松田家館跡をあとにして、シニア夫婦は再び自転車に乗って上田千曲長野自転車道を走って上山田温泉に戻ります。
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右の方に見える斜面は、姨捨の棚田ですね。
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千曲川沿いのサイクリングロードを上山田亜温泉に向かって自転車を走らせます。
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めっちゃ気持ちいいです。
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冠着橋まで戻ってきました。
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大勝橋が見えてきました。
もう、上山田温泉です。
この後、宿で自転車を返却して、サイクリングは終わりです。
宿の方々にお礼を言って、出発しました。
つづく
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