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臼杵招霊赤猫社(福良天満宮境内社)へ行きました。<br />福良天満宮境内に「赤猫社」が祀られています。御祭神は「あかねこ」と称えられた故大塚幸兵衛氏始め臼杵商人の御霊他ご縁ある稲荷神社の御神札です。赤猫社が祀られるようになったのは、「あかねこ」という言葉より、招き猫の置物を作成したところ不思議と良いことに恵まれたという方が増え、その「あかねこ」の魂を氏神様である福良天満宮に返そうと平成11年に明治時代初期に活躍された臼杵商人の魂を迎え福良天満宮境内に「招霊赤猫社」(おがたまあかねこしゃ)として建立されました。<br />臼杵城址へ行きました。<br />城は臼杵川の河口近く、臼杵湾に浮かぶ東西約420メートル、南北約100メートルの丹生島の上に築かれ、北、東、南の三方が海に囲まれた断崖絶壁という天然の要塞でした。<br />https://youtu.be/ofe2paTAamQ

26年春 九州ツーリング 臼杵市内招霊赤猫社(福良天満宮境内社)から臼杵城址へ行きました。

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2026/05/02 - 2026/05/02

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しろくまクンクン

しろくまクンクンさん

臼杵招霊赤猫社(福良天満宮境内社)へ行きました。
福良天満宮境内に「赤猫社」が祀られています。御祭神は「あかねこ」と称えられた故大塚幸兵衛氏始め臼杵商人の御霊他ご縁ある稲荷神社の御神札です。赤猫社が祀られるようになったのは、「あかねこ」という言葉より、招き猫の置物を作成したところ不思議と良いことに恵まれたという方が増え、その「あかねこ」の魂を氏神様である福良天満宮に返そうと平成11年に明治時代初期に活躍された臼杵商人の魂を迎え福良天満宮境内に「招霊赤猫社」(おがたまあかねこしゃ)として建立されました。
臼杵城址へ行きました。
城は臼杵川の河口近く、臼杵湾に浮かぶ東西約420メートル、南北約100メートルの丹生島の上に築かれ、北、東、南の三方が海に囲まれた断崖絶壁という天然の要塞でした。
https://youtu.be/ofe2paTAamQ

旅行の満足度
4.5
交通手段
徒歩 バイク
旅行の手配内容
個別手配
  • 狭い坂道を登った先にあります。

    狭い坂道を登った先にあります。

  • 福良天満宮の石の鳥居です。

    福良天満宮の石の鳥居です。

  • 手水舎です。

    手水舎です。

  • 拝殿です。

    拝殿です。

  • 臼杵の街並みがきれいです。

    臼杵の街並みがきれいです。

  • 臼杵招霊赤猫社です。<br />飛び石にも猫の足跡があります。

    臼杵招霊赤猫社です。
    飛び石にも猫の足跡があります。

  • 新しい神社?になります。

    新しい神社?になります。

  • 猫まつりですね。

    猫まつりですね。

  • ちょっと面白いですね。

    ちょっと面白いですね。

  • にぎやかです。

    にぎやかです。

  • 「赤猫石」石に猫を描いて奉納しているようです。

    「赤猫石」石に猫を描いて奉納しているようです。

  • 「福猫たまりの井戸」とあります。

    「福猫たまりの井戸」とあります。

  • 色々な猫がいます。

    色々な猫がいます。

  • 福良天満宮です。

    福良天満宮です。

  • 神木霊社とありました。

    神木霊社とありました。

  • 神馬舎です。

    神馬舎です。

  • 福良天満宮にも赤猫が侵食してきています。

    福良天満宮にも赤猫が侵食してきています。

  • おちゃめな牛さんです。

    おちゃめな牛さんです。

  • 本殿です。

    本殿です。

  • 左は愛宕神社、右は瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)です。

    左は愛宕神社、右は瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)です。

  • 福良天満宮から坂道を下ると龍原寺の三重塔があります。

    福良天満宮から坂道を下ると龍原寺の三重塔があります。

  • 龍原寺 山門と三重の塔です。

    龍原寺 山門と三重の塔です。

  • 本堂です。

    本堂です。

  • 龍原寺 山門と三重の塔です。

    龍原寺 山門と三重の塔です。

  • 光蓮寺の山門です。

    光蓮寺の山門です。

  • 龍原寺 山門と三重の塔です。<br />屋根の連なりがきれいです。

    龍原寺 山門と三重の塔です。
    屋根の連なりがきれいです。

  • 臼杵城址へ行きました。

    臼杵城址へ行きました。

  • 臼杵城 古橋口の石橋を渡ります。<br />石橋は寛延元年(1748)にかけられたものです。

    臼杵城 古橋口の石橋を渡ります。
    石橋は寛延元年(1748)にかけられたものです。

  • 丹生島の入口、すなわち二の丸大手口の前には、かつて海水を引き込んでいた堀があります。<br />

    丹生島の入口、すなわち二の丸大手口の前には、かつて海水を引き込んでいた堀があります。

  • 石橋を渡った先の坂道は『鐙坂』と呼ばれ、カーブしながら掘割状の坂道を登っていく。自然石の掘割で作られていますが今は崩壊の危険があるためバリケードでおおわれているのが残念です。<br />上部は石垣となっています。

    石橋を渡った先の坂道は『鐙坂』と呼ばれ、カーブしながら掘割状の坂道を登っていく。自然石の掘割で作られていますが今は崩壊の危険があるためバリケードでおおわれているのが残念です。
    上部は石垣となっています。

  • 石垣の上に鳥居があります。

    石垣の上に鳥居があります。

  • 鳥居の先には中門跡と畳櫓があります。

    鳥居の先には中門跡と畳櫓があります。

  • 鳥居と櫓の組み合わせは面白いですね。<br />これはたぶん護国神社の鳥居でしょう。

    鳥居と櫓の組み合わせは面白いですね。
    これはたぶん護国神社の鳥居でしょう。

  • 大門櫓です。

    大門櫓です。

  • 大門櫓を場内からです。

    大門櫓を場内からです。

  • 分かりにくいですが城壁左端には鐘楼があります。

    分かりにくいですが城壁左端には鐘楼があります。

  • 左奥に見えている石垣は月桂寺です。

    左奥に見えている石垣は月桂寺です。

  • 中は覗いていませんが絵馬堂かもしれません。

    中は覗いていませんが絵馬堂かもしれません。

  • 護国神社です。<br />護国神社が建っているあの場所は、江戸時代(延宝3年・1675年以降)には臼杵藩主(稲葉氏)が実際に暮らし、政治を行っていた「二の丸居館(御殿)」があった場所です。

    護国神社です。
    護国神社が建っているあの場所は、江戸時代(延宝3年・1675年以降)には臼杵藩主(稲葉氏)が実際に暮らし、政治を行っていた「二の丸居館(御殿)」があった場所です。

  • 明治時代になり廃城となると、二の丸の居館は取り壊されましたが、お殿様が愛した見事な庭園と池だけはそのまま残されました。<br />その後、明治10年の西南戦争で亡くなった地元の若者たち(勤皇臼杵隊など)を祀るために、明治11年、この二の丸の跡地に「招魂社(のちの護国神社)」が建てられることになります。<br />昭和35年、この護国神社に、かつての臼杵藩主(稲葉家)の霊を祀っていた「稲葉神社」が合祀されました。つまり、「お殿様のために造られた庭園の池」の奥に、現在は「そのお殿様自身(と戦没者)」が神様として祀られているということです。

    明治時代になり廃城となると、二の丸の居館は取り壊されましたが、お殿様が愛した見事な庭園と池だけはそのまま残されました。
    その後、明治10年の西南戦争で亡くなった地元の若者たち(勤皇臼杵隊など)を祀るために、明治11年、この二の丸の跡地に「招魂社(のちの護国神社)」が建てられることになります。
    昭和35年、この護国神社に、かつての臼杵藩主(稲葉家)の霊を祀っていた「稲葉神社」が合祀されました。つまり、「お殿様のために造られた庭園の池」の奥に、現在は「そのお殿様自身(と戦没者)」が神様として祀られているということです。

  • 臼杵城といえば「キリシタン大名の大友宗麟」があまりにも有名です。宗麟は熱心なキリスト教徒として知られ、城内にキリスト教会や修道院、さらにはキリシタン墓地まで造り、一時は「キリスト教の理想郷」をこの地に築こうとしました。<br />この護国神社(旧稲葉神社)に祀られている歴代の城主(藩主)は、キリシタン大名の大友宗麟やその一族ではありません。<br />大友氏は宗麟の息子の時代に豊臣秀吉によって改易(領地没収)されてしまいます。そのあと、江戸時代を通じて270年間という長い間、臼杵を治めたのは美濃国からやってきた「稲葉氏」というまったく別の家系でした。<br />この神社の祭神となっているのは、その稲葉氏の御先祖である戦国武将・稲葉良通や、歴代の臼杵藩主たちです。

    臼杵城といえば「キリシタン大名の大友宗麟」があまりにも有名です。宗麟は熱心なキリスト教徒として知られ、城内にキリスト教会や修道院、さらにはキリシタン墓地まで造り、一時は「キリスト教の理想郷」をこの地に築こうとしました。
    この護国神社(旧稲葉神社)に祀られている歴代の城主(藩主)は、キリシタン大名の大友宗麟やその一族ではありません。
    大友氏は宗麟の息子の時代に豊臣秀吉によって改易(領地没収)されてしまいます。そのあと、江戸時代を通じて270年間という長い間、臼杵を治めたのは美濃国からやってきた「稲葉氏」というまったく別の家系でした。
    この神社の祭神となっているのは、その稲葉氏の御先祖である戦国武将・稲葉良通や、歴代の臼杵藩主たちです。

  • 高台の城址からは街並みだけでなく山々もきれいに見えます。

    高台の城址からは街並みだけでなく山々もきれいに見えます。

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