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贄代稲荷大明神から南へ歩を進めること約700メートル、陶器の町らしい町並みの路地を抜け、64番札所 世昌山 宝全寺の手前でひっそりと鎮座する白龍神社(常滑市本町2-156)が現れます。

知多四国巡拝 白龍神社・64番札所世昌山 宝全寺

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2025/10/21 - 2025/10/21

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旅行記グループ 知多半島の社寺巡り2

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azusa55さん

贄代稲荷大明神から南へ歩を進めること約700メートル、陶器の町らしい町並みの路地を抜け、64番札所 世昌山 宝全寺の手前でひっそりと鎮座する白龍神社(常滑市本町2-156)が現れます。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩
  • 大きな一本の楠木を背にして佇む白龍神社全景。<br />社頭には淡いベージュ色の鳥居が立ち、御神木へと参道が伸びています。

    大きな一本の楠木を背にして佇む白龍神社全景。
    社頭には淡いベージュ色の鳥居が立ち、御神木へと参道が伸びています。

  • 鳥居右側の水琴窟の解説、常滑を歩いているとこうした水琴窟をよく見かけます。

    鳥居右側の水琴窟の解説、常滑を歩いているとこうした水琴窟をよく見かけます。

  • この水琴窟が手水のようで、柄杓で水をすくい流し込むと澄んだ水音が聞こえてきます。<br />常滑ならではのものかもしれない。

    この水琴窟が手水のようで、柄杓で水をすくい流し込むと澄んだ水音が聞こえてきます。
    常滑ならではのものかもしれない。

  • 白龍神社本殿全景。<br />境内は決して広くはありませんが、足を踏み入れると御神木の根元の本殿とその前の陶製の小さな狛犬に目が留まります。<br />常夜灯も常滑焼ですか。

    白龍神社本殿全景。
    境内は決して広くはありませんが、足を踏み入れると御神木の根元の本殿とその前の陶製の小さな狛犬に目が留まります。
    常夜灯も常滑焼ですか。

  • 常滑焼の陶製狛犬。<br />素朴でありながら愛嬌のある姿は、信仰と文化が結びついた象徴といえるだろう。

    常滑焼の陶製狛犬。
    素朴でありながら愛嬌のある姿は、信仰と文化が結びついた象徴といえるだろう。

  • 社殿の背後には、天を衝くように大きな樹が聳えています。<br />樹皮からみて楠かと思われますが、こうした樹には古来より龍神や蛇が宿るとして社が祀られます。<br />白龍大神を祀るこの神社も、まさにその伝承を体現する姿を見せており、樹と社殿が一体となって「龍の依代」としての神域を形づくっています。<br />祭神は 白龍大神。<br />白蛇信仰と結びつき、「白蛇を見ると幸運が訪れる」との伝承が残ります。<br />一方で古来より龍神・蛇神は水の守護や財福をもたらす存在とされ崇敬されます。<br />ここ白龍神社も商売繁盛や金運向上を願う人々の祈りが込められているのだろう。<br />町並みに溶け込むように調和する姿は、神社そのものが町の景観の一部となっています。<br />小さな祠でありながら、地域の人々の日常の暮らしと信仰が交差する場所です。<br /><br />さて、今回の知多四国巡拝の最後の札所、64番札所 世昌山 宝全寺はここから50メートルほど先になります。<br />後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 白龍神社<br />創建 / 不明<br />祭神 / 白龍大神<br />所在地 / 常滑市本町2-156<br />贄代稲荷大明神から白龍神社 / 贄代稲荷大明神から坂を下り、南へ進む。0.7km、約10分。<br />参拝日 / 2025/10/21

    社殿の背後には、天を衝くように大きな樹が聳えています。
    樹皮からみて楠かと思われますが、こうした樹には古来より龍神や蛇が宿るとして社が祀られます。
    白龍大神を祀るこの神社も、まさにその伝承を体現する姿を見せており、樹と社殿が一体となって「龍の依代」としての神域を形づくっています。
    祭神は 白龍大神。
    白蛇信仰と結びつき、「白蛇を見ると幸運が訪れる」との伝承が残ります。
    一方で古来より龍神・蛇神は水の守護や財福をもたらす存在とされ崇敬されます。
    ここ白龍神社も商売繁盛や金運向上を願う人々の祈りが込められているのだろう。
    町並みに溶け込むように調和する姿は、神社そのものが町の景観の一部となっています。
    小さな祠でありながら、地域の人々の日常の暮らしと信仰が交差する場所です。

    さて、今回の知多四国巡拝の最後の札所、64番札所 世昌山 宝全寺はここから50メートルほど先になります。
    後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 白龍神社
    創建 / 不明
    祭神 / 白龍大神
    所在地 / 常滑市本町2-156
    贄代稲荷大明神から白龍神社 / 贄代稲荷大明神から坂を下り、南へ進む。0.7km、約10分。
    参拝日 / 2025/10/21

  • 白龍神社の社頭を後にし、常滑本町の細い通りを50メートルほど進むと、街並みに溶け込むように佇む寺院が現れます。<br />そこが第八回歩いて巡拝 知多四国の最後の札所「64番札所 世昌山 宝全寺」です。<br />所在地は常滑市本町2-248。<br />宝全寺の門前と伽藍全景。<br />門前の狭い道筋は常滑街道で街道に面し玉垣と石柱門が建っています。

    白龍神社の社頭を後にし、常滑本町の細い通りを50メートルほど進むと、街並みに溶け込むように佇む寺院が現れます。
    そこが第八回歩いて巡拝 知多四国の最後の札所「64番札所 世昌山 宝全寺」です。
    所在地は常滑市本町2-248。
    宝全寺の門前と伽藍全景。
    門前の狭い道筋は常滑街道で街道に面し玉垣と石柱門が建っています。

  • 門前から境内の眺め、正面の寄棟瓦葺の建物が本堂となります。<br />自身としては今回が2回目の訪問になり、前回と比較しても伽藍に変化はないようです。<br />

    門前から境内の眺め、正面の寄棟瓦葺の建物が本堂となります。
    自身としては今回が2回目の訪問になり、前回と比較しても伽藍に変化はないようです。

  • 境内左には三十三観音堂と十王堂、秋葉三尺坊大権現堂、弘法堂とその右に三宝荒神様の小さな祠があり、正面に金毘羅堂と続きます。<br />門前右には地蔵堂と手水舎があります。

    境内左には三十三観音堂と十王堂、秋葉三尺坊大権現堂、弘法堂とその右に三宝荒神様の小さな祠があり、正面に金毘羅堂と続きます。
    門前右には地蔵堂と手水舎があります。

  • 堂内は左に十王が並び、中央に弥勒菩薩と釈迦如来の姿、右に三十三観音が安置されています。<br />この右に秋葉三尺坊大権現堂がありますが、単独の写真を撮り忘れていました。

    堂内は左に十王が並び、中央に弥勒菩薩と釈迦如来の姿、右に三十三観音が安置されています。
    この右に秋葉三尺坊大権現堂がありますが、単独の写真を撮り忘れていました。

  • 参道右側の地蔵堂と正面の本堂。

    参道右側の地蔵堂と正面の本堂。

  • 地蔵堂内の眺め。<br />この二体のお地蔵様は「いぼ取り、がん封じ地蔵」と呼ばれ、近隣の墓地で六地蔵として祀られていた内の二体だと云います。<br /><br />祈願は既に奉納されている小石を持ち帰り、患部をこするとご利益を得ることができ、治れば借りた石を倍にしてお返しするものらしい。<br />こうした悩みを持つ方には御利益があり、遠方から訪れる方もあるという。<br />足元の二体のお地蔵様は文政、天保のころに作られたもの。

    地蔵堂内の眺め。
    この二体のお地蔵様は「いぼ取り、がん封じ地蔵」と呼ばれ、近隣の墓地で六地蔵として祀られていた内の二体だと云います。

    祈願は既に奉納されている小石を持ち帰り、患部をこするとご利益を得ることができ、治れば借りた石を倍にしてお返しするものらしい。
    こうした悩みを持つ方には御利益があり、遠方から訪れる方もあるという。
    足元の二体のお地蔵様は文政、天保のころに作られたもの。

  • 宝全寺は曹洞宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩。<br /><br />由緒と歴史<br />『常滑市誌』(1965~1968年編纂)によれば、宝全寺は、天正元年(1573)に北条光明寺八代・吟法龍公和尚を開山として瀬木村に創建されており、明治36年(1903)に宝全庵から宝全寺に改称し、今日に至っている。<br />本尊は十一面観音である。<br />さらに、『尾張徇行記』(1790~1820)には次のように記されています。<br />『宝全庵在府志曰 在瀬木村、曹洞宗、属天沢院、此寺ハ草創ノ由来ハ不知、龍公和尚ヲ開山トス』とあり、この記録から、当時は宝全庵と呼ばれ、曹洞宗に属して天沢院の末寺であったこと、また草創の由来は不詳ながら龍公和尚を開山とする伝承があることが確認できます。<br />因みに、『尾張名所図会』(1830~1844)には宝全寺の記載は見られず、史料により偏りがあるようです。<br /><br />相持院との関わり<br />前回掲載した65番札所「相持院」と宝全寺の両寺院は曹洞宗に属し、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈の際、相持院は一時的に宝全寺へ合併された史実があり、地域の寺院が時代の荒波を越えて信仰を継承してきた証でもあります。

    宝全寺は曹洞宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩。

    由緒と歴史
    『常滑市誌』(1965~1968年編纂)によれば、宝全寺は、天正元年(1573)に北条光明寺八代・吟法龍公和尚を開山として瀬木村に創建されており、明治36年(1903)に宝全庵から宝全寺に改称し、今日に至っている。
    本尊は十一面観音である。
    さらに、『尾張徇行記』(1790~1820)には次のように記されています。
    『宝全庵在府志曰 在瀬木村、曹洞宗、属天沢院、此寺ハ草創ノ由来ハ不知、龍公和尚ヲ開山トス』とあり、この記録から、当時は宝全庵と呼ばれ、曹洞宗に属して天沢院の末寺であったこと、また草創の由来は不詳ながら龍公和尚を開山とする伝承があることが確認できます。
    因みに、『尾張名所図会』(1830~1844)には宝全寺の記載は見られず、史料により偏りがあるようです。

    相持院との関わり
    前回掲載した65番札所「相持院」と宝全寺の両寺院は曹洞宗に属し、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈の際、相持院は一時的に宝全寺へ合併された史実があり、地域の寺院が時代の荒波を越えて信仰を継承してきた証でもあります。

  • むくり屋根の向拝を持つ寄棟瓦葺の64番札所弘法堂。

    むくり屋根の向拝を持つ寄棟瓦葺の64番札所弘法堂。

  • 左の小さな祠が三宝荒神様で更に右に金毘羅堂。

    左の小さな祠が三宝荒神様で更に右に金毘羅堂。

  • 金毘羅堂正面全景。

    金毘羅堂正面全景。

  • 向拝先端の瓦にご注目、左右には訪れた者を眺めるように天狗瓦が乗っています。<br />左の天狗の鼻をよく見ると、高いはずの天狗の鼻が折れています、これは伊勢湾台風により被害を受け折れてしまったものらしい、右に比べると座り込んだ姿は表情も冴えないようだ。

    向拝先端の瓦にご注目、左右には訪れた者を眺めるように天狗瓦が乗っています。
    左の天狗の鼻をよく見ると、高いはずの天狗の鼻が折れています、これは伊勢湾台風により被害を受け折れてしまったものらしい、右に比べると座り込んだ姿は表情も冴えないようだ。

  • 堂前の狛犬、寄進年は見忘れました。

    堂前の狛犬、寄進年は見忘れました。

  • 写真は堂前の賓頭盧尊師。

    写真は堂前の賓頭盧尊師。

  • 宝積む全き寺の鐘の声 寂滅為楽と響く入相<br /><br />さて、今回最後の札所も回り終え、ここから常滑駅方向に向かいます。<br /><br />後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 64番札所 世昌山 宝全寺<br />宗派 / 曹洞宗<br />創建 / 1573年(天正元年)<br />開山 /  吟法龍公和尚<br />本尊 /   十一面観世音菩薩<br />所在地 / ??常滑市本町2-248<br />白龍神社から宝全寺 / 白龍神社から南へ進む。50m、約1分。<br />参拝日 / 2025/10/21関連記事

    宝積む全き寺の鐘の声 寂滅為楽と響く入相

    さて、今回最後の札所も回り終え、ここから常滑駅方向に向かいます。

    後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 64番札所 世昌山 宝全寺
    宗派 / 曹洞宗
    創建 / 1573年(天正元年)
    開山 / 吟法龍公和尚
    本尊 / 十一面観世音菩薩
    所在地 / ??常滑市本町2-248
    白龍神社から宝全寺 / 白龍神社から南へ進む。50m、約1分。
    参拝日 / 2025/10/21関連記事

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