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入見神社から次の目的地「45番札所泉蔵院」に向かう道すがら、国道247号線沿いの洋菓子店アルザスに立ち寄りました。<br />今回は美味しい千鳥チーズを販売するアルザスと臨海山慈光寺、45番札所 尾風山 泉蔵院を纏めて掲載します。

知多四国巡拝 アルザス「千鳥チーズ」・臨海山慈光寺・45番札所 尾風山 泉蔵院

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2025/09/30 - 2025/09/30

294位(同エリア509件中)

旅行記グループ 知多半島の社寺巡り2

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azusa55さん

入見神社から次の目的地「45番札所泉蔵院」に向かう道すがら、国道247号線沿いの洋菓子店アルザスに立ち寄りました。
今回は美味しい千鳥チーズを販売するアルザスと臨海山慈光寺、45番札所 尾風山 泉蔵院を纏めて掲載します。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
1.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩
  • 入見神社から次の目的地「45番札所泉蔵院」に向かう道すがら、国道247号線沿いの洋菓子店に立ち寄りました。<br />小さなトロトロのチーズケーキが印象に残ったので、今回はこちらの洋菓子店を掲載します。<br />左正面の「千鳥チーズケーキ」の看板がそのお店「アルザス」。<br />外観は地元内海のケーキ屋さんの趣ですが、創業弘化4年(1847)の和菓子店市太樓が昭和49年(1974)に開業した和洋菓子店です。

    入見神社から次の目的地「45番札所泉蔵院」に向かう道すがら、国道247号線沿いの洋菓子店に立ち寄りました。
    小さなトロトロのチーズケーキが印象に残ったので、今回はこちらの洋菓子店を掲載します。
    左正面の「千鳥チーズケーキ」の看板がそのお店「アルザス」。
    外観は地元内海のケーキ屋さんの趣ですが、創業弘化4年(1847)の和菓子店市太樓が昭和49年(1974)に開業した和洋菓子店です。

  • 街で見かける敷居の高い店舗とは違い、店内も親近感を感じる雰囲気です。<br />工場一括製造で安価を売りにした大手ケーキ屋さんも、随分値上がりし「これがこの値段」と感じる中で、全体的に商品価格も安価な設定、田舎だからという理由ではなさそうです。

    街で見かける敷居の高い店舗とは違い、店内も親近感を感じる雰囲気です。
    工場一括製造で安価を売りにした大手ケーキ屋さんも、随分値上がりし「これがこの値段」と感じる中で、全体的に商品価格も安価な設定、田舎だからという理由ではなさそうです。

  • 「千鳥チーズ」<br />飲めるチーズケーキとも言われるだけに、食感はとても柔らかいもので「飲める」は的を射た表現かもしれない。<br />お茶うけに丁度いいサイズで、何個でも食べられる。<br />チーズケーキにもいろいろな種類がありますが、どの種類にも当てはまらない独自の味わいかもしれません。<br />店内にイートインコーナーもあり、アイスコーヒーも無料提供されており、巡拝で歩き疲れた時の甘味補充に立ち寄ってもいいかもしれない。<br /><br />後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 アルザス「千鳥チーズ」<br />入見神社からアルザス / 入見神社から内海川左岸沿いを南下、国道247号線を左折、200mほど先の左側、所要時間約8分。<br />訪問日 / 2025/09/30<br />所在地 / 知多郡南知多町内海北向9-4<br />定休日 / 水曜

    「千鳥チーズ」
    飲めるチーズケーキとも言われるだけに、食感はとても柔らかいもので「飲める」は的を射た表現かもしれない。
    お茶うけに丁度いいサイズで、何個でも食べられる。
    チーズケーキにもいろいろな種類がありますが、どの種類にも当てはまらない独自の味わいかもしれません。
    店内にイートインコーナーもあり、アイスコーヒーも無料提供されており、巡拝で歩き疲れた時の甘味補充に立ち寄ってもいいかもしれない。

    後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 アルザス「千鳥チーズ」
    入見神社からアルザス / 入見神社から内海川左岸沿いを南下、国道247号線を左折、200mほど先の左側、所要時間約8分。
    訪問日 / 2025/09/30
    所在地 / 知多郡南知多町内海北向9-4
    定休日 / 水曜

  • 名鉄電車の「歩いて巡拝知多四国」で内海の町を歩いています。<br />前回掲載したアルザスで「千鳥チーズ」を頂いたあと、次の目的地45番札所泉蔵院へ向かいます。<br />アルザスから南に向かい、一筋目を左に進んだあたりで「高潮水位ライン」の表示を見かけました。<br />長閑な海辺の風情が漂う内海ですが、1953年の台風13号、1959年の伊勢湾台風の際には、高潮により甚大な被害を受けました。<br />近年では台風の勢力が一層強まりつつあり、この看板は過去の記憶を語るものではなく、自然の猛威に備えるための警鐘として、未来へ向けて後世に伝えるものです。

    名鉄電車の「歩いて巡拝知多四国」で内海の町を歩いています。
    前回掲載したアルザスで「千鳥チーズ」を頂いたあと、次の目的地45番札所泉蔵院へ向かいます。
    アルザスから南に向かい、一筋目を左に進んだあたりで「高潮水位ライン」の表示を見かけました。
    長閑な海辺の風情が漂う内海ですが、1953年の台風13号、1959年の伊勢湾台風の際には、高潮により甚大な被害を受けました。
    近年では台風の勢力が一層強まりつつあり、この看板は過去の記憶を語るものではなく、自然の猛威に備えるための警鐘として、未来へ向けて後世に伝えるものです。

  • 道を更に進むと左側に趣のある建物が見えてきます。

    道を更に進むと左側に趣のある建物が見えてきます。

  • 越屋根が印象的な尾州廻船内海船船主 内田家。<br />尾州廻船組織「尾州廻船」の内、地元内海を拠点とした内海船の有力船主であった「内田佐七」家によって造られた明治初期の建造物で、内田佐七の家屋と分家の家屋「旧内田佐平二家住宅」から成っており、土・日・祝日限定で公開されています。

    越屋根が印象的な尾州廻船内海船船主 内田家。
    尾州廻船組織「尾州廻船」の内、地元内海を拠点とした内海船の有力船主であった「内田佐七」家によって造られた明治初期の建造物で、内田佐七の家屋と分家の家屋「旧内田佐平二家住宅」から成っており、土・日・祝日限定で公開されています。

  • 内田家を横目に先に進むと、正面に「法然上人知多二十五霊場」の幟とその高台に鎮座する寺が現れます。<br />石段右の寺標には「四国巡拝発願者 衛門三郎由来杖杉弘法大師札所 慈光寺」と刻まれています。<br /><br />衛門三郎は平安初期の伊予国(愛媛県)の豪農で、托鉢に訪れた僧に冷遇したことから、身の回りに不幸が続き、後にそれが弘法大師と知り、後悔の念から私財を捨て、許しを乞う為大師を追って四国巡礼の旅に出た人物とされ、本四国巡礼の先駆けともいえる人物。

    内田家を横目に先に進むと、正面に「法然上人知多二十五霊場」の幟とその高台に鎮座する寺が現れます。
    石段右の寺標には「四国巡拝発願者 衛門三郎由来杖杉弘法大師札所 慈光寺」と刻まれています。

    衛門三郎は平安初期の伊予国(愛媛県)の豪農で、托鉢に訪れた僧に冷遇したことから、身の回りに不幸が続き、後にそれが弘法大師と知り、後悔の念から私財を捨て、許しを乞う為大師を追って四国巡礼の旅に出た人物とされ、本四国巡礼の先駆けともいえる人物。

  • 門前左の解説板の内容は以下。<br />「慈光寺<br />天文八年(1539)創建 西山浄土宗。<br />本尊「阿弥陀如来座像」(平安時代後期)<br />一色氏内海城の大手門を移したといわれる山門は鐘楼兼用の二重門。<br />境内には内田佐七家の沖船頭が、江戸時代末に隠岐の島からもって来たといわれる「あごなし地蔵」があり、お参りすると歯痛が治るといわれている。<br />南知多三十三観音の二十九番札所。」 <br />先程の内田家と関連がある寺なので立ち寄ってみました。

    門前左の解説板の内容は以下。
    「慈光寺
    天文八年(1539)創建 西山浄土宗。
    本尊「阿弥陀如来座像」(平安時代後期)
    一色氏内海城の大手門を移したといわれる山門は鐘楼兼用の二重門。
    境内には内田佐七家の沖船頭が、江戸時代末に隠岐の島からもって来たといわれる「あごなし地蔵」があり、お参りすると歯痛が治るといわれている。
    南知多三十三観音の二十九番札所。」
    先程の内田家と関連がある寺なので立ち寄ってみました。

  • 慈光寺門前。<br />知多四国には69番札所として慈光寺(知多市大草字西屋敷)があるが、寺名は同じながら、内海の慈光寺は知多四国の札所には含まれていない。

    慈光寺門前。
    知多四国には69番札所として慈光寺(知多市大草字西屋敷)があるが、寺名は同じながら、内海の慈光寺は知多四国の札所には含まれていない。

  • 石段正面の斜面に稲荷荼枳尼天。

    石段正面の斜面に稲荷荼枳尼天。

  • 参道は右に続き、一色氏内海城の大手門を移築したとされる山門。

    参道は右に続き、一色氏内海城の大手門を移築したとされる山門。

  • 三門から方形屋根の本堂の眺め。

    三門から方形屋根の本堂の眺め。

  • 本堂の山号額。<br />臨海山 慈光寺は天文八年(1539)恵空上人の開創で、十四世安空義静上人により中興されました。<br />堂内には本尊の阿弥陀如来の他、十二年に一度開帳される秘仏大日如来像、馬頭観音、衛門三郎ゆかりの杖杉弘法大師、円空作の「弁財天」を安置する内田佐七家の菩提寺です。<br />後で知ったことですが、本堂左脇の小道を進むとそのまま、知多四国45番札所泉蔵院に通じています。

    本堂の山号額。
    臨海山 慈光寺は天文八年(1539)恵空上人の開創で、十四世安空義静上人により中興されました。
    堂内には本尊の阿弥陀如来の他、十二年に一度開帳される秘仏大日如来像、馬頭観音、衛門三郎ゆかりの杖杉弘法大師、円空作の「弁財天」を安置する内田佐七家の菩提寺です。
    後で知ったことですが、本堂左脇の小道を進むとそのまま、知多四国45番札所泉蔵院に通じています。

  • 本堂から鐘楼兼用の二重門の眺め、門の先には墓地につながる小さな門があります。

    本堂から鐘楼兼用の二重門の眺め、門の先には墓地につながる小さな門があります。

  • 門入口の右の間には千体地蔵が安置されています。<br />今から300年前の造立で、祈願成就・水子供養・子供の冥福供養のため奉納されたのがはじまりとされる。

    門入口の右の間には千体地蔵が安置されています。
    今から300年前の造立で、祈願成就・水子供養・子供の冥福供養のため奉納されたのがはじまりとされる。

  • 門入口の左には六地蔵と正面に「あごなし地蔵」と呼ばれる地蔵が安置されています。<br />安政年間(1854~1860)、隠岐(島根県)の地蔵を分祀して持ち帰ったとされ歯痛が治るとされます。<br />隠岐の「あごなし地蔵」は隠岐に流された小野篁(おののたかむら)の悲恋伝説からはじまるようです。<br />都人だった篁は、遣唐使の任を拒絶し、隠岐に配流され、村の娘阿古那と恋におちたが、赦免の日が訪れ都へ帰る際、別れを嘆き悲しむ阿古那のために、篁は自分の身がわりに地蔵を刻み阿古那に与え隠岐を去って行ったという。<br />以来阿古那地蔵と呼ばれ、いつしか転訛し「あごなし地蔵」になり、歯痛に効くと信仰されていったようで、その御利益を知った船乗りによって隠岐から全国に広がっていったようです。<br /><br />もう少しゆっくりしたところですが、今日は足の捻挫もあり、ただでさえかみさんに後れを取っているので、後日改めて訪れたい、本堂左からかみさんの待つ45番札所泉蔵院に向かいます。<br /><br />後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 臨海山慈光寺<br />宗派 / 西山浄土宗<br />開創 / 天文8年恵空上人<br />本尊 / 阿弥陀如来<br />札所 / 南知多三十三観音霊場29番札所 馬頭観音、法然上人知多霊場9番札所<br />所在地 / 知多郡南知多町内海南側63<br />アルザスから慈光寺 / アルザスから南に向かい一筋目を左に進み突き当り。移動時間5分<br />参拝日 / 2025/9/30

    門入口の左には六地蔵と正面に「あごなし地蔵」と呼ばれる地蔵が安置されています。
    安政年間(1854~1860)、隠岐(島根県)の地蔵を分祀して持ち帰ったとされ歯痛が治るとされます。
    隠岐の「あごなし地蔵」は隠岐に流された小野篁(おののたかむら)の悲恋伝説からはじまるようです。
    都人だった篁は、遣唐使の任を拒絶し、隠岐に配流され、村の娘阿古那と恋におちたが、赦免の日が訪れ都へ帰る際、別れを嘆き悲しむ阿古那のために、篁は自分の身がわりに地蔵を刻み阿古那に与え隠岐を去って行ったという。
    以来阿古那地蔵と呼ばれ、いつしか転訛し「あごなし地蔵」になり、歯痛に効くと信仰されていったようで、その御利益を知った船乗りによって隠岐から全国に広がっていったようです。

    もう少しゆっくりしたところですが、今日は足の捻挫もあり、ただでさえかみさんに後れを取っているので、後日改めて訪れたい、本堂左からかみさんの待つ45番札所泉蔵院に向かいます。

    後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 臨海山慈光寺
    宗派 / 西山浄土宗
    開創 / 天文8年恵空上人
    本尊 / 阿弥陀如来
    札所 / 南知多三十三観音霊場29番札所 馬頭観音、法然上人知多霊場9番札所
    所在地 / 知多郡南知多町内海南側63
    アルザスから慈光寺 / アルザスから南に向かい一筋目を左に進み突き当り。移動時間5分
    参拝日 / 2025/9/30

  • 慈光寺門前から左に進み50mほど先の左側に45番札所尾風山 泉蔵院に続く石段が現れます。<br />海沿いの国道沿いから、急なスロープを上ると本堂脇から境内につながる脇参道がありますが、こちらが本来の入口と思われます。<br />45番札所 尾風山 泉蔵院入口全景。<br />内海海岸に迫り出した前山の西端に位置し、前山の丘陵が背後に迫る場所に鎮座しています。<br />石段の正面に宝篋印塔があり、右手方向の参道の先に伽藍が広がります。

    慈光寺門前から左に進み50mほど先の左側に45番札所尾風山 泉蔵院に続く石段が現れます。
    海沿いの国道沿いから、急なスロープを上ると本堂脇から境内につながる脇参道がありますが、こちらが本来の入口と思われます。
    45番札所 尾風山 泉蔵院入口全景。
    内海海岸に迫り出した前山の西端に位置し、前山の丘陵が背後に迫る場所に鎮座しています。
    石段の正面に宝篋印塔があり、右手方向の参道の先に伽藍が広がります。

  • 宝篋印塔、年代は見ていません。

    宝篋印塔、年代は見ていません。

  • 宝篋印塔左の「泉蔵院の指定文化財 算額」解説。<br />内海出身の榎本犀助章清が宝暦4年(1754)に奉納したもので、本堂(薬師堂)に掲げられており、豊浜の成道山光明寺にも江戸時代の算額が残されています。

    宝篋印塔左の「泉蔵院の指定文化財 算額」解説。
    内海出身の榎本犀助章清が宝暦4年(1754)に奉納したもので、本堂(薬師堂)に掲げられており、豊浜の成道山光明寺にも江戸時代の算額が残されています。

  • 泉蔵院境内全景。<br />泉蔵院は弘法大師巡錫の霊跡として知られる井際山観福寺の一坊・泉蔵坊として神亀年間(724~729)に僧行基が創建したと伝えられています。<br />室町時代初期に、内海城主一色氏により鎮守堂として城内に移転されました。<br />その後一色氏は家老佐治氏に追われ、主を失った内海城は廃城となり、泉蔵坊はその城跡を寺域とし、梅山和尚の中興により天文年間(1532~1555)泉蔵院へと改められた。<br /><br />内海が廻船業で栄えた時代はその旦那衆が講員に名を連ね、文化7年(1810)に再建された金毘羅堂は、内海廻船組を主宰した前野小平治の寄進により建立されています。<br /><br />御本尊は行基菩薩の作と伝えられる秘仏の阿弥陀如来、薬師如来。<br />ともに行基の自作とされ、信者が、今の人生と来世の両方で安らかに過ごせるように願って、二体の仏様を並べて丁寧に安置した」とされます。<br />また、泉蔵院は祈願が成就するという通称「だるま弘法」として親しまれ崇敬されています。

    泉蔵院境内全景。
    泉蔵院は弘法大師巡錫の霊跡として知られる井際山観福寺の一坊・泉蔵坊として神亀年間(724~729)に僧行基が創建したと伝えられています。
    室町時代初期に、内海城主一色氏により鎮守堂として城内に移転されました。
    その後一色氏は家老佐治氏に追われ、主を失った内海城は廃城となり、泉蔵坊はその城跡を寺域とし、梅山和尚の中興により天文年間(1532~1555)泉蔵院へと改められた。

    内海が廻船業で栄えた時代はその旦那衆が講員に名を連ね、文化7年(1810)に再建された金毘羅堂は、内海廻船組を主宰した前野小平治の寄進により建立されています。

    御本尊は行基菩薩の作と伝えられる秘仏の阿弥陀如来、薬師如来。
    ともに行基の自作とされ、信者が、今の人生と来世の両方で安らかに過ごせるように願って、二体の仏様を並べて丁寧に安置した」とされます。
    また、泉蔵院は祈願が成就するという通称「だるま弘法」として親しまれ崇敬されています。

  • 参道左側の見上げる高さの山肌に堂があり、内部に三つの社が祀られているようですが詳細は分かりません。<br />この背後の頂に一色城址があります。

    参道左側の見上げる高さの山肌に堂があり、内部に三つの社が祀られているようですが詳細は分かりません。
    この背後の頂に一色城址があります。

  • 金比羅堂。<br />入母屋瓦葺で軒唐破風付き素木造の建物で、各部の彫細工はなかなかのもの。<br />現在の堂は文化7年(1810)の再建とされ、手前の石灯籠も前野小平治の寄進によるもの。

    金比羅堂。
    入母屋瓦葺で軒唐破風付き素木造の建物で、各部の彫細工はなかなかのもの。
    現在の堂は文化7年(1810)の再建とされ、手前の石灯籠も前野小平治の寄進によるもの。

  • 拝所から堂を見上げる、欄間の細工も手が込んでいます。

    拝所から堂を見上げる、欄間の細工も手が込んでいます。

  • 正面の本堂と右手の弘法堂。

    正面の本堂と右手の弘法堂。

  • 本堂の山号額「尾風山」。<br />現在の本堂は延宝4年(1676)に再建された、入母屋瓦葺のもので妻側に向拝を持つもの。

    本堂の山号額「尾風山」。
    現在の本堂は延宝4年(1676)に再建された、入母屋瓦葺のもので妻側に向拝を持つもの。

  • 目入り達磨が安置された本堂内の眺め。

    目入り達磨が安置された本堂内の眺め。

  • 本堂から右手の45番札所弘法堂の眺め、安置される大師像は「だるま弘法」と呼ばれるようです。

    本堂から右手の45番札所弘法堂の眺め、安置される大師像は「だるま弘法」と呼ばれるようです。

  • みだやくし なはいろいろにことなれど とうきふやくのじがんとぞしれ<br /><br /><br />後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 45番札所 尾風山 泉蔵院<br />宗派 / 真言宗豊山派<br />開山 / 梅山和尚<br />開基 / 724~729(行基)<br />本尊 / 阿弥陀如来・薬師如来<br />札所 / 知多四国45番札所、南知多観音霊場三十番札所<br />所在地 / 知多郡南知多町内海南側69番<br />慈光寺から泉蔵院 / 慈光寺門前から左に50m先の左側。移動時間1・2分<br />参拝日 / 2025/9/30

    みだやくし なはいろいろにことなれど とうきふやくのじがんとぞしれ


    後開催第七回歩いて巡拝 知多四国 45番札所 尾風山 泉蔵院
    宗派 / 真言宗豊山派
    開山 / 梅山和尚
    開基 / 724~729(行基)
    本尊 / 阿弥陀如来・薬師如来
    札所 / 知多四国45番札所、南知多観音霊場三十番札所
    所在地 / 知多郡南知多町内海南側69番
    慈光寺から泉蔵院 / 慈光寺門前から左に50m先の左側。移動時間1・2分
    参拝日 / 2025/9/30

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