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59番札所 萬年山 玉泉寺から常滑街道を北進し、1.6kmほど先の常滑市苅屋深田に鎮座する60番札所 大光山 安楽寺に向かいます。<br />玉泉寺までは短い距離で順調に札所を巡れましたが、ここからは移動する距離が増えてきます。

知多四国巡拝 60番札所 大光山 安楽寺・尾張多賀神社

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2025/10/21 - 2025/10/21

-位(同エリア1153件中)

旅行記グループ 知多半島の社寺巡り2

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azusa55さん

59番札所 萬年山 玉泉寺から常滑街道を北進し、1.6kmほど先の常滑市苅屋深田に鎮座する60番札所 大光山 安楽寺に向かいます。
玉泉寺までは短い距離で順調に札所を巡れましたが、ここからは移動する距離が増えてきます。

旅行の満足度
2.0
観光
2.0
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩
  • 写真は常滑市消防所南出張所を左に進んだ先の光景。<br />丘陵地を縦走する道になり、田畑が広がり、伊勢湾を見渡せる見晴らしのいい道になります。<br />セイタカアワダチソウの先に見えている瓦葺の建物が60番札所 大光山 安楽寺です。

    写真は常滑市消防所南出張所を左に進んだ先の光景。
    丘陵地を縦走する道になり、田畑が広がり、伊勢湾を見渡せる見晴らしのいい道になります。
    セイタカアワダチソウの先に見えている瓦葺の建物が60番札所 大光山 安楽寺です。

  • 玉泉寺から約30分ほど、60番札所 安楽寺門前に到着。

    玉泉寺から約30分ほど、60番札所 安楽寺門前に到着。

  • 参道脇に鉢植えの蓮が植えられ、庭園はとても綺麗に整備されています。<br />伽藍は正面の白壁に施された火灯窓が印象的な本堂、左手の太子堂、右の庫裏が主なものになります。<br />本堂は弘化2年(1845)に再興されたとあるが、その後も改修を経て現在の綺麗な姿を伝えています。

    参道脇に鉢植えの蓮が植えられ、庭園はとても綺麗に整備されています。
    伽藍は正面の白壁に施された火灯窓が印象的な本堂、左手の太子堂、右の庫裏が主なものになります。
    本堂は弘化2年(1845)に再興されたとあるが、その後も改修を経て現在の綺麗な姿を伝えています。

  • 本堂前には十三重の宝塔があり、塔が立つ庭園は四国の形を模しており、修行大師の像の正面から、飛び石に沿って庭園内を一周すれば、本四国を巡ったと同じ御利益があるお砂踏み霊場です。

    本堂前には十三重の宝塔があり、塔が立つ庭園は四国の形を模しており、修行大師の像の正面から、飛び石に沿って庭園内を一周すれば、本四国を巡ったと同じ御利益があるお砂踏み霊場です。

  • 写真は本堂に掲げられている寺号額。<br /><br />安楽寺について常滑市公式観光サイト「とこなめ観光ナビ」によると以下のように紹介されています。<br />「開山前、天文6年(1537)に織田・今川が交戦した際、兵火を逃れるため阿野の高讃寺より移され安置されたと伝えられる。<br />弘化2年(1845)、当山11世の徳芳和尚のときに本堂を再興。<br />昭和10年、弘法大師堂が再建される。<br /><br />境内には四国の地形を象った、本四国お砂踏み霊場が設けられ、中心には十三重の宝塔・修行大師像が祀られている。<br />春は桜、6月末~8月初旬には蓮が見られる。<br /><br />本堂の欄間には立川流の彫刻師 中野甚右衛門重富の躍動感ある龍が彫られている。」とあった。<br /><br />常滑市誌(1976)では以下のように纏めている。<br /><br />「安楽寺は、慶長8年(1603)長安久公和尚を開山として創建されている。(西浦町史は天正14年(1586)としている)<br />徇行記には「安楽寺・・・・・・在刘屋村、号大光山、曹洞宗」「草創の由来へ不知、境内に観音堂あり、此寺往昔は村中にありしが享保11午年(1726)に今の地へ引移せり」と記されている。<br />本尊は阿弥陀如来である。」<br />創建時期は、ここに掲載されている「西浦町史」を国立国会図書館から確認できず、尾張志も不詳とあるため、当ブログでは、高讃寺より本尊が移設された時期とは整合しないが、常滑市誌の「慶長8年(1603)長安久公和尚開山」を引用します。<br />尚、天文6年(1537)に遷された本尊の阿弥陀如来像は行基作と伝わるそうです。

    写真は本堂に掲げられている寺号額。

    安楽寺について常滑市公式観光サイト「とこなめ観光ナビ」によると以下のように紹介されています。
    「開山前、天文6年(1537)に織田・今川が交戦した際、兵火を逃れるため阿野の高讃寺より移され安置されたと伝えられる。
    弘化2年(1845)、当山11世の徳芳和尚のときに本堂を再興。
    昭和10年、弘法大師堂が再建される。

    境内には四国の地形を象った、本四国お砂踏み霊場が設けられ、中心には十三重の宝塔・修行大師像が祀られている。
    春は桜、6月末~8月初旬には蓮が見られる。

    本堂の欄間には立川流の彫刻師 中野甚右衛門重富の躍動感ある龍が彫られている。」とあった。

    常滑市誌(1976)では以下のように纏めている。

    「安楽寺は、慶長8年(1603)長安久公和尚を開山として創建されている。(西浦町史は天正14年(1586)としている)
    徇行記には「安楽寺・・・・・・在刘屋村、号大光山、曹洞宗」「草創の由来へ不知、境内に観音堂あり、此寺往昔は村中にありしが享保11午年(1726)に今の地へ引移せり」と記されている。
    本尊は阿弥陀如来である。」
    創建時期は、ここに掲載されている「西浦町史」を国立国会図書館から確認できず、尾張志も不詳とあるため、当ブログでは、高讃寺より本尊が移設された時期とは整合しないが、常滑市誌の「慶長8年(1603)長安久公和尚開山」を引用します。
    尚、天文6年(1537)に遷された本尊の阿弥陀如来像は行基作と伝わるそうです。

  • 昭和10年再建の太子堂。

    昭和10年再建の太子堂。

  • 堂の左に賓頭盧さま。<br />人々が抱える体の病をひたすら受け入れてきた痛々しい姿をみせています。

    堂の左に賓頭盧さま。
    人々が抱える体の病をひたすら受け入れてきた痛々しい姿をみせています。

  • 太子堂に掛けられている弘法大師の額。

    太子堂に掛けられている弘法大師の額。

  • 堂内中央の厨子に大師像が安置されています。

    堂内中央の厨子に大師像が安置されています。

  • このよをば かりのやどりとさとりなば ここはにょいりん あんらくのてら

    このよをば かりのやどりとさとりなば ここはにょいりん あんらくのてら

  • 次の札所へは安楽寺の北側の御嶽神社を横目に東進し、多賀神社方向に向かいます。<br /><br />後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 60番札所 大光山 安楽寺<br />宗派 / 曹洞宗<br />創建 / 慶長8年(1603)<br />開基 / 長安久公和尚<br />本尊 / 阿弥陀如来像<br />札所 / 知多四国八十八カ所60番・知多西国三十三観音11番<br />所在地 / 常滑市苅屋深田101<br />玉泉寺から安楽寺 / 玉泉寺から常滑街道を右へ直進、南陵中学校交差点右折、常滑市消防所南出張所で左折・直進。距離1.6km・徒歩25分。

    次の札所へは安楽寺の北側の御嶽神社を横目に東進し、多賀神社方向に向かいます。

    後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 60番札所 大光山 安楽寺
    宗派 / 曹洞宗
    創建 / 慶長8年(1603)
    開基 / 長安久公和尚
    本尊 / 阿弥陀如来像
    札所 / 知多四国八十八カ所60番・知多西国三十三観音11番
    所在地 / 常滑市苅屋深田101
    玉泉寺から安楽寺 / 玉泉寺から常滑街道を右へ直進、南陵中学校交差点右折、常滑市消防所南出張所で左折・直進。距離1.6km・徒歩25分。

  • 60番札所 大光山 安楽寺の境内左の小道から北に向かい、三叉路を右折し次の札所に向け直進します。<br />やがてその正面に大きな森が見えてきます、その杜が今回掲載する「尾張 多賀神社」です。<br />写真は知多半島を縦断する国道247号線の多賀神社西交差点から社頭の眺め。<br />歩いて巡拝 知多四国の巡拝ルートはこの交差点を左折することになります。<br />・・・寄らせてもらってもいい?、「じゃあ右手の直売所で待ってるから」と了解を得て、一人で杜の中に向かう。

    60番札所 大光山 安楽寺の境内左の小道から北に向かい、三叉路を右折し次の札所に向け直進します。
    やがてその正面に大きな森が見えてきます、その杜が今回掲載する「尾張 多賀神社」です。
    写真は知多半島を縦断する国道247号線の多賀神社西交差点から社頭の眺め。
    歩いて巡拝 知多四国の巡拝ルートはこの交差点を左折することになります。
    ・・・寄らせてもらってもいい?、「じゃあ右手の直売所で待ってるから」と了解を得て、一人で杜の中に向かう。

  • 社頭全景。<br />神橋の先の左に手水舎、右手に「多賀神社」社標があり、正面の鳥居の先から石段が上に伸びています。

    社頭全景。
    神橋の先の左に手水舎、右手に「多賀神社」社標があり、正面の鳥居の先から石段が上に伸びています。

  • 神橋から石造の明神鳥居と石段の眺め。

    神橋から石造の明神鳥居と石段の眺め。

  • 社頭右の解説。<br />オガタマノキという暖地植物を主とした暖帯林で構成された社叢は、県の天然記念物に指定されているようです。

    社頭右の解説。
    オガタマノキという暖地植物を主とした暖帯林で構成された社叢は、県の天然記念物に指定されているようです。

  • 左手の手水鉢。<br />当神社の祭神の神使いは蟹ということ、鉢の中には蟹のモチーフが飾られています。<br />この他に社務所横の手水舎にも隠れ蟹、絵馬にも蟹が用いられています。<br />ただ、蟹が神使いとなった経緯は諸説あり、定かではないようです。

    左手の手水鉢。
    当神社の祭神の神使いは蟹ということ、鉢の中には蟹のモチーフが飾られています。
    この他に社務所横の手水舎にも隠れ蟹、絵馬にも蟹が用いられています。
    ただ、蟹が神使いとなった経緯は諸説あり、定かではないようです。

  • 由緒について神社HPでは以下のように語っています。<br />『近江国多賀大社より正元山伏が元和7年(1621)に此の地に勧請し奉ると伝える。<br />旧2月(現在は三月の第三日曜日)の多賀神社大祭(幟祭りとも呼ぶ)の幟のなびくさまにて吉凶を占う。<br />又、祭神の神使たる蟹を絵馬として奉納すれば満願成就するという。<br />多賀神社には、伊弉諾尊を祀る多賀神社、木花咲耶姫命を祀る冨士淺間神社、大山祇命を祀る山神社の三社が垣内に並んで祀られている。<br />伊弉諾尊の神使たる蟹を絵馬として奉納すれば満願成就するという。<br />歴史が古いのは冨士淺間神社。<br />かつては「藤原三所大権現」と称し、大永7年(1527)に社殿を再建した時の棟札が残り、創建は更に遡るだろう。<br />多賀神社は、元和7年(1621)に正元山伏が近江国の多賀大社(現滋賀県多賀町)から勧請したのが起源。』<br /><br />とある、愛知県神社名鑑(1992)の内容は神社由緒を踏襲しており、由緒に記載のない部分のみ下に記載します。<br /><br />『九等級 多賀神社 旧指定村社。<br />鎮座地 常滑市刈屋字洞/脇一一番地。<br />祭神 伊弉諾命。<br />由緒 古記録には「再建大永7年(1527)、御社一宇 願主 刈屋城主 政所鵜飼左近尉實隆」とあり。<br />明治5年村社、同40年10月26日指定社。<br />昭和6年多賀社を多賀神社と改称。<br />社殿 本殿流造、拝殿、社務所、神饌所。<br />氏子数 270戸』<br />尾張名所図会・尾張志に目を通すが、由緒以上の内容・挿絵などの記載はなかった。

    由緒について神社HPでは以下のように語っています。
    『近江国多賀大社より正元山伏が元和7年(1621)に此の地に勧請し奉ると伝える。
    旧2月(現在は三月の第三日曜日)の多賀神社大祭(幟祭りとも呼ぶ)の幟のなびくさまにて吉凶を占う。
    又、祭神の神使たる蟹を絵馬として奉納すれば満願成就するという。
    多賀神社には、伊弉諾尊を祀る多賀神社、木花咲耶姫命を祀る冨士淺間神社、大山祇命を祀る山神社の三社が垣内に並んで祀られている。
    伊弉諾尊の神使たる蟹を絵馬として奉納すれば満願成就するという。
    歴史が古いのは冨士淺間神社。
    かつては「藤原三所大権現」と称し、大永7年(1527)に社殿を再建した時の棟札が残り、創建は更に遡るだろう。
    多賀神社は、元和7年(1621)に正元山伏が近江国の多賀大社(現滋賀県多賀町)から勧請したのが起源。』

    とある、愛知県神社名鑑(1992)の内容は神社由緒を踏襲しており、由緒に記載のない部分のみ下に記載します。

    『九等級 多賀神社 旧指定村社。
    鎮座地 常滑市刈屋字洞/脇一一番地。
    祭神 伊弉諾命。
    由緒 古記録には「再建大永7年(1527)、御社一宇 願主 刈屋城主 政所鵜飼左近尉實隆」とあり。
    明治5年村社、同40年10月26日指定社。
    昭和6年多賀社を多賀神社と改称。
    社殿 本殿流造、拝殿、社務所、神饌所。
    氏子数 270戸』
    尾張名所図会・尾張志に目を通すが、由緒以上の内容・挿絵などの記載はなかった。

  • 鳥居から続く石段。

    鳥居から続く石段。

  • 参道途中にたてられている「愛知縣十勝地」の石標。<br />これと似たもので「岐阜縣名所」もあります。<br />今ほど交通網が整っていない昭和はじめ、地元から募った名所にランキング付けし、こうした碑を立て地域の活性化を図ったらしい。<br />交通が発達した現在では埋没した存在になっているのかもしれない。

    参道途中にたてられている「愛知縣十勝地」の石標。
    これと似たもので「岐阜縣名所」もあります。
    今ほど交通網が整っていない昭和はじめ、地元から募った名所にランキング付けし、こうした碑を立て地域の活性化を図ったらしい。
    交通が発達した現在では埋没した存在になっているのかもしれない。

  • 石段から先の境内。<br />一対の狛犬とニノ鳥居、常夜灯が連なる長い参道の先に社殿がある。

    石段から先の境内。
    一対の狛犬とニノ鳥居、常夜灯が連なる長い参道の先に社殿がある。

  • 大正13年(1924)寄進の狛犬。<br />この時代になると、大量生産で判で押したような姿の狛犬には趣がある。

    大正13年(1924)寄進の狛犬。
    この時代になると、大量生産で判で押したような姿の狛犬には趣がある。

  • 平成6年(1994)寄進のニノ鳥居と百度石、ここから本殿まではかなりの距離がある。

    平成6年(1994)寄進のニノ鳥居と百度石、ここから本殿まではかなりの距離がある。

  • 参道中ほどの奥山半僧坊。<br />右手の高みに社があるようです。<br />こうした見えない社に向かうと大体が登るんじゃなかったと後悔することがある、今日はかみさんを待たせているので参拝しなかった。<br />神社HPによれば「正法興隆、山門護持、鎮守の大権現は国中に広く崇敬をうけている。<br />信徒による半僧講が各地に結成され、苅屋においては、明治16年(1883)に結成されている。」<br />とあります。

    参道中ほどの奥山半僧坊。
    右手の高みに社があるようです。
    こうした見えない社に向かうと大体が登るんじゃなかったと後悔することがある、今日はかみさんを待たせているので参拝しなかった。
    神社HPによれば「正法興隆、山門護持、鎮守の大権現は国中に広く崇敬をうけている。
    信徒による半僧講が各地に結成され、苅屋においては、明治16年(1883)に結成されている。」
    とあります。

  • 参道の先の境内全景。<br />左手が社務所と手水舎、右手から絵馬殿、拝殿と続き、左手奥が本殿。

    参道の先の境内全景。
    左手が社務所と手水舎、右手から絵馬殿、拝殿と続き、左手奥が本殿。

  • 拝殿と絵馬殿。

    拝殿と絵馬殿。

  • 絵馬殿の左の扉から内部に入ることができ、先人が奉納した絵馬を見ることができます。

    絵馬殿の左の扉から内部に入ることができ、先人が奉納した絵馬を見ることができます。

  • 上は大正5年(1916)、下の絵馬は明治42年(1909)に富士登山を記念して崇敬者が奉納した絵馬。

    上は大正5年(1916)、下の絵馬は明治42年(1909)に富士登山を記念して崇敬者が奉納した絵馬。

  • おがたまの木(もくれん科)。<br />神社HPより<br />「愛知県指定天然記念物(多賀神社の社叢)<br />おがたまの木の名は「招霊(おきたま)」が転化したものとされ、この枝を神前に供え、神霊を招くのに使われたことから、「おがたま」と呼ばれるようになった。<br />神前によく供えられる「さかき」は、実はおがたまの木だとも言われている。<br />高さ12m、根の太さ3m」

    おがたまの木(もくれん科)。
    神社HPより
    「愛知県指定天然記念物(多賀神社の社叢)
    おがたまの木の名は「招霊(おきたま)」が転化したものとされ、この枝を神前に供え、神霊を招くのに使われたことから、「おがたま」と呼ばれるようになった。
    神前によく供えられる「さかき」は、実はおがたまの木だとも言われている。
    高さ12m、根の太さ3m」

  • 右手の社殿全景、手前から山神社、冨士淺間神社、多賀神社の拝所が続く。<br />山神社。<br />祭神は大山祇命。<br />「伊弉諾尊の御子であり、山の神であります。<br />山から流れくる水は田をうるおし、五穀を育てます。<br />又、航海の者は山頂を目印として眺めます。<br />そのため海上交通の守護神としても崇められ、五穀豊穣、大漁満足、交通安全、開運厄除に御利益があります。」

    右手の社殿全景、手前から山神社、冨士淺間神社、多賀神社の拝所が続く。
    山神社。
    祭神は大山祇命。
    「伊弉諾尊の御子であり、山の神であります。
    山から流れくる水は田をうるおし、五穀を育てます。
    又、航海の者は山頂を目印として眺めます。
    そのため海上交通の守護神としても崇められ、五穀豊穣、大漁満足、交通安全、開運厄除に御利益があります。」

  • 冨士淺間神社。<br />木花咲耶姫命を祀り、かつては「藤原三所大権現」と称し、大永7年(1527)に社殿を再建した時の棟札が残るので、創建はさらに時代を遡るだろう。<br />「この神は大山祇命の姫神であり、秀麗な富士山の桜の花の美しさにたとえた御名です。<br />天孫瓊々杵命の妃となり給い我国母の元妃として御婦徳の賢聖なる御神です。<br />火難消除、安産、航海、漁業、農業、機械等の守護神として御利益があり、往古冨士淺間神社より勧請し産土神として多賀神社と共に崇敬されております。」

    冨士淺間神社。
    木花咲耶姫命を祀り、かつては「藤原三所大権現」と称し、大永7年(1527)に社殿を再建した時の棟札が残るので、創建はさらに時代を遡るだろう。
    「この神は大山祇命の姫神であり、秀麗な富士山の桜の花の美しさにたとえた御名です。
    天孫瓊々杵命の妃となり給い我国母の元妃として御婦徳の賢聖なる御神です。
    火難消除、安産、航海、漁業、農業、機械等の守護神として御利益があり、往古冨士淺間神社より勧請し産土神として多賀神社と共に崇敬されております。」

  • 多賀神社。<br />祭神は伊弉諾尊。<br />元和7年(1621)に正元山伏が近江国の多賀大社(現滋賀県多賀町)から勧請したのが起源。<br />「神代の昔、伊弉冉尊と供にお互い誘い合って万物をお生みになられた。<br />又、幽明に出入りし、災禍厄難を禊たまいて祓の道を新たかにされました。<br />生命の祖神様と仰がれ、延命長寿、災難厄除、縁結び、家内安全、商売繁盛、学業成就、開運招福にご利益があります。」

    多賀神社。
    祭神は伊弉諾尊。
    元和7年(1621)に正元山伏が近江国の多賀大社(現滋賀県多賀町)から勧請したのが起源。
    「神代の昔、伊弉冉尊と供にお互い誘い合って万物をお生みになられた。
    又、幽明に出入りし、災禍厄難を禊たまいて祓の道を新たかにされました。
    生命の祖神様と仰がれ、延命長寿、災難厄除、縁結び、家内安全、商売繁盛、学業成就、開運招福にご利益があります。」

  • 流造の本殿は5本の鰹木と外削ぎの置き千木がのり、大きな唐破風向拝が付く妻入りの祭文殿が連なる重厚な社殿。

    流造の本殿は5本の鰹木と外削ぎの置き千木がのり、大きな唐破風向拝が付く妻入りの祭文殿が連なる重厚な社殿。

  • 参拝を済ませ、かみさんの待つ社頭に戻ろう、まだまだこの先は長い。<br /><br /><br />後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 尾張多賀神社<br />創建 / 元和7年(1621)<br />祭神 / 伊弉諾尊<br />摂社 / 山神社・冨士淺間神社<br />氏子域 / 常滑市苅屋、苅屋町<br />例祭日 / 3月第3日曜日<br />所在地 / 常滑市苅屋字洞ノ脇51番地<br />安楽寺から多賀神社 / 安楽寺境内左から北に向かい、三叉路を右折・直進。距離0.6km・徒歩10分。

    参拝を済ませ、かみさんの待つ社頭に戻ろう、まだまだこの先は長い。


    後開催 第八回歩いて巡拝 知多四国 尾張多賀神社
    創建 / 元和7年(1621)
    祭神 / 伊弉諾尊
    摂社 / 山神社・冨士淺間神社
    氏子域 / 常滑市苅屋、苅屋町
    例祭日 / 3月第3日曜日
    所在地 / 常滑市苅屋字洞ノ脇51番地
    安楽寺から多賀神社 / 安楽寺境内左から北に向かい、三叉路を右折・直進。距離0.6km・徒歩10分。

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