2026/05/05 - 2026/07/05
4661位(同エリア4762件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2026/05/09
2026/07/05
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この旅行記スケジュールを元に
美術館・博物館で開催されている企画展等をまとめて旅行記にしました。
Ⅰ
4月7日から6月14日まで開催されている懐石の器を鑑賞にやってきました。
なお5月6日の連休までは前期、その後は後期となっています。
また千利休の茶道具も楽しみです。
Ⅱ
「ライオンキング」のチケットをいただき、5月5日(日)に有明四季劇場へ。昔観たのは汐留の劇場でした。
Ⅲ
5月24日には印刷博物館で行われている「名著誕生展 ヴァチカン教皇庁図書館」展に出かけました。
Ⅳ
7月5日は白金台の松岡美術館の「ヴィクトリア朝絵画 フランス印象派 風そよぐ情景」「五窯饗宴」「いにしえのエトルリア小企画展」に出かけました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
5月5日(火)
お濠の馬場先門の向かい側にある明治安田生命ビルです。 -
この明治生命館は重要文化財です。
明治生命館 名所・史跡
-
全景は撮っていませんが、この通りに面してコリント式の列柱が並んでいます。
この窓の装飾も美しいです。 -
この先が静嘉堂文庫美術館です。
1階部分にあります。静嘉堂文庫美術館 美術館・博物館
-
「美を味わう」とは、なんと贅沢。
器で美味しさも変わります。 -
「静嘉堂」という名前は、中国の古典『詩経』の大雅、既酔編の「籩豆静嘉(へんとうせいか)」の句からとられました。
彌之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整うという意味だそうです。 -
ロビーのショーケースにあった作品です。
右
花卉文切子皿 大正~昭和期(20世紀前半)
日本の切子は、カットガラス技法が西洋から導入されたことにより、明治以降に急速に発達しました。
これは口緑を鋸歯状に成形した皿です。
周囲の花卉文の花びらは繊細なカットで表されています。左の展示物と同様の箱に収納されており、それぞれ 12枚ずつが同時に岩崎家に入ったと見られます。
これらのモダンな文様はアールデコ由来のようです。
大正~昭和初期に制作されました。
左
赤被せ切子皿 大正~昭和期(20世紀前半)
無色のガラスに赤色ガラスを被せてカットする「色被せ」の技法による、輪花形の切子皿です。
赤いガラス層は金呈色の可能性があります。分厚い器胎の中央、赤い八角形に深く表されるのはカットガラスで「蜘蛛の巣文」と呼ばれます。
削りの深浅や精緻なカットなど、随所で近代らしい卓越した技を見せています。縁には右の展示物に似た鋸歯状の装飾が施されています。 -
祥瑞丸文輪花向付
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
口緑を11弁の輪花状とした祥瑞の碗形向付。外側面には丸文を8つ配し、その中に船・馬上人物や幾何学文を表しています。
見込みは盛り上がった内底に菊花文を描き、内側面には、型打ちによって屈輪文や波状の鎬文を立体的に表しています。
これと近似する作品の陶片が加賀大聖寺藩上屋敷跡(東京大学本郷構内)より出土してます。 -
祥瑞盆栽文向付
景徳鎮窯
明時代(17世紀前半)
轆轤と型を併用して成形された六稜花形の祥瑞向付。
見込み中央には松の盆栽を描き、左に如意と孔雀の羽の花瓶、右にも鉢植えになっています。器形に沿って内側面を区画し、七宝繋ぎ文・波濤文・白抜きの宝相華文など、祥瑞らしい多彩な地文様で器面を埋めています。外側面と蝶と蘭・果実などの分様は余白をもって描かれ古染付にも通じる趣をもっています。珍しい意匠の祥瑞の優品です。 -
ギャラリー1
懐石の流れ-----------
祥瑞唐子唐草文向付
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
「祥瑞」は、明末の崇禎年間(1628~44)頃、日本の茶人の注文によって景徳鎮窯で焼成された染付です。
この作品は轆轤成形の後、型押しによって稜花形の皿に形作られました。
見込みには濃麗なコバルト顔料で花唐草の中、笑みをたたえた唐子たちが茎や蔓を手に戯れる意匠が描かれています。
周囲は無文とし、鐔縁には花文や四方襷文を巡らせています。
外側面では余白を残して花卉文が描かれています。 -
左上
鉄霰地乙御前燗鍋 染付替蓋
伝:西村道弥 江戸時代(18世紀)
替蓋:永楽保全 江戸時代(19世紀)
燗鍋は、酒を火にかけて温めて注ぐための、把手と注ぎ口のついた鍋のことです。もとは裏方の道具でしたが、次第に懐石の席中に持ち出されるようになり、現在は懐石の酒器の中でも格式高いものとされています。
金体に丸みを帯びた形で、京の釜師・西村道弥作と伝わっています。複数付属する蓋は、季節や趣向に応じて使い分けるもので、二献目や三献目などで交換して変化を付ける場合もあります。
左下
牡丹餅文手鉢 備前 桃山~江戸時代(17世紀前半)
備前焼の皿や鉢は、懐石では焼物として用いられることが多いです。このような手鉢は、中でも代表的な器の一つです。少しゆがめた円形の器に把手を渡しています。見込みに残る「牡丹餅」と呼ばれる円形の重ね焼きの置き痕や、「胡麻」と呼ばれる焼成中に振りかかった灰が黄褐色に変化した斑点などが豊かな表情をみせています。
右下
南京赤絵人物花卉文八角鉢 景徳鎮紊 清時代(17~18世紀)
八角に型打ちした鉢の見込みに太湖石に寄り添う山茶花と菊、外側には文人と待童がたたずむ庭園を描いています。文人の傍らには書籍と孔雀の羽を入れた瓶、赤い織物を掛けた卓には茶器が並び、香が焚かれ、侍童は主の愛玩する鉢植えに水やりをしています。白地を生かした爽やかな雰囲気の絵付けや口縁の鉄釉、器形などが有田焼の柿右衛門様式に似ており、高台内に「天下太平」の染付銘が記されています。 -
左上
伊羅保徳利 朝鮮時代(17世紀)
茶事に用いる正式な酒器は燗鍋と引盃ですが、趣向によっては懐石の中盤でゆっくり酒を飲んでもらおうと、徳利と陶磁器の盃を客に預けることがあります。本作は高麗茶碗の伊羅保に似た肌合いの鶴首徳利。赤褐色の粗い素地に釉が掛かり、油揚げのような黄褐色を呈しています。江戸前期に伊羅保茶碗が流行し、日本各地でその写しが作られましたが、そうした時期の注文品の可能性があります。
右上
御本雲鶴鉢
釜山窯 朝鮮時代(17~18世紀)
「御本」とは、日本から朝鮮半島へ御手本(切形)を送り、釜山に置かれた倭館内の窯で制作された茶道具をいい、焼造は17世紀前半から18世紀始めまで続けられました。本作はそのうち「雲鶴」と呼ばれる種のものです。箱書によれば、茶碗や鉢として用いられてきたと見られています。日本の茶人好みに口部を変形させ、高麗青磁にみられる象嵌の技法で、見込みには菊文、外側面にはぼんやりとしていますが、雲鶴文を表しています。
左下
八寸(参考出品)
中下
小吸物椀(参考出品)
右下
黒塗縁高
伝 中村宋哲 明治~昭和期(19世紀後半~20世紀前半)
縁高は、懐石における主菓子器(主菓子を入れる器)の中でも格式高いとされるものの1つです。
縁を高くした折敷を重ねたもので、縁高折敷や縁高重とも呼ばれます。通常、このように5客分を重ねて1組とします。
亭主は各段に1人分の主菓子を入れて出し、客は正客から順に1段ずつ次客へと渡していきます。本作は職家として代々千家を支えた中村宗哲の作と伝わっています。 -
ギャラリー2
懐石道具の華、「向付」のさまざまーーーーーーーーーー
左上
織部角繋ぎ向付
美濃 桃山~江戸時代(17世紀前半)
織部焼は、17世紀初頭に美濃(岐阜県)で作られた、緑釉や抽象的な文様などを特徴とする陶器のことです。本作は型を使って角柱を連ねた形に成形した向付です。
四方に縞文や吊るし柿文などの抽象的な文様を表し、白色の長石釉と緑釉を掛けわけます。大規模な窯で大量生産された織部焼は京などの消費地へも多くもたらされ、同時代に日本から海外へ注文された古染付などの器にも影響を与えています。
右上
万暦染付九龍文向付
景徳鎮窯 明時代・万暦年間(1573~1620年)
濃麗な、紫がかった呈色のコバルト顔料を用いて、見込みに正面向きの龍1頭(合わせて九龍文)を描く向付です。作りは薄手です。いずれの龍も皇帝のみ使用が許される5爪を持っています。「九(jiu)」は最大の陽数で、永遠を表す「久(jiu)」と同音であることから、中国皇帝を意匠とされました。「大明萬暦年製」銘をもつ伝世品で、官窯の染付が早くから向付に見立てられた珍しい作例です。
左下
古染付海老文貝形向付
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
「古染付」と称される中国の染付は、明末の天啓年間(1621~27)を中心に景徳鎮窯で焼造されました。
粗製ながら絵付や造形に雅味をたたえ、日本の茶人の好みが色濃く反映されています。「虫喰い」と呼ばれる釉の剥落があるのも特徴です。本作は巻具形に型作りされた向付で、内面に、湾曲する姿が「彎彎順」(物事が順調)を表す海老などを描き、染付の「吹墨」もあしらいます。底には円柱形の脚が3つ付きます。
右下
天啓赤絵鳳鶴八卦文向付
景徳鎮窯 明時代・天啓年間(1621~27)
碗の見込みには赤く星色する鉄顔料で、八卦の「乾」(陽の三爻)と「坤」(陰の三爻)を入れた小円を上下に置き、下方に向かう鶴と上方に向かう鳳凰を左右に描いています。この八卦と瑞鳥の組み合わせは、宇宙の調和と太平長久を願う吉祥図様です。側面には牡丹唐草文、口縁に唐草文を巡らせています。外側は無文とし、碁笥底とした凹部に、染付で驚文あるいは「天啓年製」銘が記されています。 -
上
祥瑞松竹梅文袖形向付
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
「祥」は、明末の崇禎年間(1628~44)頃
日本の茶人の注文によって景徳民窯で焼成された染付です。鮮やかな呉須の呈、密に描かれた絵文様、口緑に鉄釉(口紅)を塗る等の特徴をもっています。箱の貼紙には「祥瑞 誰か袖向皿」と記されています。形は江戸初期に流行した「誰袖屏風」や「誰袖匂袋」等に着想を得たものでしょうか。見込みには松竹梅に鳥、左側に川辺の景が丁寧に描かれています。底裏に4足が付いています。
下
色絵牡丹麒麟文向付
有田 金欄手様式 江戸時代(18世紀前半)
日本で初めて磁器製作の技術を得た有田(佐賀県)では、17世紀末には、染付と色絵、金彩による金襴手様式が確立されました。外面は、艶やかな瑠璃釉の地に、金泥と掻き落としで牡丹唐草文を表しています。外面は中国明時代に作られた金襴手の雰囲気をよく写していますが、内面は余白を多く残す中国の金襴手と異なって、染付と色絵の文様で埋め尽くされています。日本で写すにあたってさらなる豪華さが求められたのでしょう。 -
左上
打刷毛目銹絵染付梅花文向付
現川 江戸時代(17世紀後半~18世紀前半)
現川焼は、長崎県の現川地域で 17世紀末から 18世紀前半にかけて製作された陶磁器。本作は薄づくりの皿の二方を大胆に切り落としたシャープな造形の向付です。見込みに表された波のような白い模様は、白土を溶いて刷毛につけ、器面にリズミカルに打ち付ける「打刷毛」の技法による白土とチョコレート色の素地との対比が美しいです。底は一転、同心円状の刷毛目模様として、変化を付けています。
左下
黄楽百合形向付
樂一入 江戸時代(17世紀後半)
楽焼は小さな内窯で低火度焼成したやきもので、京の陶工長次郎が始めたとされています。一入は、長次郎に始まる樂家の4代。本作は、百合の花をかたどった楽焼の向付です。温かみのある黄色の釉が全体に掛けられ、花びらの先や裏側など一部は茶褐色となり変化をみせています。江戸時代前期に作られた百合形の向付としては、上野焼(福岡県)や京焼の野々村仁清の作品なども知られています。
下中
銹絵舟形向付
京 江戸時代(18世紀)
苫葺き屋根の付いた小舟のかたちを模した向付。屋根や凹字形の艫(船尾)の張り出しなどを丁寧に形作り、屋根に葺かれた苫などを銹絵で描いています。
いずれにも印は捺されないのですが、付属する箱には「粟田焼」と墨書されており、「粟田」印を有した類品が知られています。京における陶業の中心地のひとつであった粟田口(京都市東山区)一帯で焼かれた粟田口焼の作品と推測されます。
右下
御本花形向付
釜山窯 朝鮮時代(17世紀)
「御本」は手本に従って作られた高麗物を意味し、江戸時代・寛永16年(1639)頃から享保3年(1718)まで、対馬藩が朝鮮釜山の館(日本人居留地)内に築いた茶碗窯(釜山窯)で作らせた茶道具をさします。
本作は、花形の口縁の一辺を直線的に押し込んで、茶碗における遠州好みの造形とされる「前押せ」のようにした向付。青灰色の肌に「御本」と呼ばれる紅色や明るい橙色の斑文が浮かんでいます。 -
上
阿蘭陀染付花鳥文向付
デルフト窯 オランダ(17世紀)
「阿蘭陀」は、江戸時代にオランダ東インド会社を通じて日本に齎されたヨーロッパ陶器の総称で、主にデルフト窯で焼かれた軟陶を指します。オランダ商館長の日記から、遅くとも 1630年代には大名家等から発注されていたと判明しています。本作は、錫白釉を掛け乳白色とした陶胎に、コバルト顔料で、図案化された花、蜻蛉、鳥などを細筆と点描を交えて描いた向付。焼成中、釉中に沈んで滲む青料の趣は独特のものです。
下
呉州赤絵胡人獅子文鉢
漳州窯 明時代(17世紀前半)
呉州赤絵のうち、銅を呈色剤とする青緑色のアルカリソーダ釉主体で絵付されたものを「青呉州」「呉州青絵」と呼びます。外側面には、庭園で頭に羽根飾りをつけた2組の胡人が長袖を翻して舞うさまを描いています。
見込みには卍(wan)字繋ぎの円内に、獅子(shi)と如意形の霊芝を表し「万事(wanshi)如意」を寓意させています。内側の口辺に楼閣・船・人物を配した風景が巡るなど、異国情緒あふれる意匠です。 -
左上
古染付汐汲み図銅鑼鉢
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
見込みに染付で描かれるのは、四阿を背に、3人の人物が各々2つの水がめを天秤につるして運ぶ場面です。日本においては、謡曲「松風」や歌舞伎「汐汲」などにおける、秋の月下に汐汲みをする場面を想起させる図様です。共通する図様の類品がいくつか知られています。口緑には丁寧に口紅が施されて虫喰いが見られないなど、典型的な古染付とはやや趣を異にした作風です。
左下
天啓赤絵漁夫図皿
景徳鎮窯 明時代・天啓年間(1621~27)
のどかな水辺の風景が描かれた大振りの皿。魚が戯れる浅瀬で大きな魚籠を覗く漁師に男が声を掛けています。
図中には「湛魚沽美酒一酔解千愁(魚をたのしみ美酒を買い、一酔いして諸々の愁いを忘れる)」という語句が記されており、画意を表したものでしょう。
粗放な筆遣いの染付で大略を描き、赤・緑・黄・黒の上絵付で魚や草木などの点景を加えています。
右上
古染付蟹文八角鉢
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
波間から飛び出した蟹が、勢いよく太陽とみられる円を飛び越えています。蟹の「甲羅」は、中国の役人の採用試験である科挙に上位で合格する「甲」と通じることから、合格や出世を象徴しています。蟹が波間から大きく飛び出る本作の図様は、大きな出世への願いをこめためでたい図とみることができるでしょう。たっぷりと掛けられた釉薬の質感や、口縁と見込みの縁にみられる虫喰いもみどころです。
右下
天啓赤絵人物図銅鑼鉢
景徳鎮窯 明時代・天啓年間(1621~27)
口縁を内側に折り込んだ、平らな作りの銅鑼鉢です。見込みには、並んで語り合う様子の人物が7人。赤絵具で口紅や髪飾りが表されていることをみると、これらの人物は女性のようです。人物の衣装のほか、画面上方の月に雲、遠景の木などのモチーフには濃く艶やかな上絵具が用いられており、のびのびとした筆致とともに天啓赤絵らしい魅力を放っています。 -
左上
絵高麗草花文鉢
磁州窯系 明時代(16~17世紀)
日本では江戸中期以降、中国北部磁州系の白地鉄絵陶器を朝鮮半島産ととらえ、絵文様のある高麗(朝鮮)のやきものの意味で「絵高麗」と呼びました。
本作は腰の張った深さのある鉢で、鉄分を含む陶胎に白土を化粧掛けし、鉄絵で略体の花と束草文を三方に描いて、ごく細い線彫りを加えています。白濁した透明釉を掛け、広い見込み底を蛇目状に秞剥ぎします。箱書により江戸前期からの伝世が知られました。
右上
青磁花卉文鉢
龍泉窯 明時代(15世紀)
いわゆる「天龍寺手」の鉢。見込み中央に実を2つ付けた桃の折枝文、側面に牡丹、菊、梔子の折枝を配し、外側面には口縁に巡らした唐草文の下に牡丹、菊、梔子を彫り表しています。厚く掛かった青磁釉は気泡を多く含んでわずかに失透しています。高台の内側は蛇目状に秞剥ぎされており、露胎部は赤褐を呈しています。明代初期の官様(宮廷仕様)の器で、日本で菓子鉢として用いられ、伝世の杉箱に収まっています。
左下
呉州赤絵花鳥文鉢
漳州窯 明時代(17世紀前半)
呉州赤絵は、福建省南部の漳州窯で明代未期に焼かれた輸出用の粗製磁器のうち、上絵付のあるものの通称。白濁した釉の上に、吉祥性豊かな文様を大らかに描く作風が、日本人に好まれました。典型的な呉州赤絵の大鉢で、見込み円内に大輪の花と霊芝を挿した花瓶、口辺内側には花鳥文を巡らします。外側口縁には四方に窓を設け、鳥や魚、兎をそれぞれ対で表し、胴部には蓮池に遊ぶ水鳥などを伸びやかに描いています。
右下
呉州赤絵魁字文鉢
漳州窯 明時代(17世紀前半)
見込み中央に赤絵具で大きく「魁」一字を記した鉢。
呉州赤絵の中で魁字文の鉢は、見込みに玉取獅子を描くものと並んで高く評価されています。「魁」字には1画目の点があるものと無いものがありますが、本作は後者を重圏内に記し、周囲に菊2枝を路体で描いています。「魅」は首位・先頭などを意味する吉祥文字。外側面には牡丹と菊を2枝、その間を飛ぶ尾長の鳥を表します。
高台には呉州手の約束である砂粒が付着しています。 -
左上
祥瑞本捻鉢
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
濃く鮮やかな青料の発色が美しい祥瑞の鉢。器の内外に螺旋状の緩やかな凹凸がつけられ、それに沿うように器面を曲線で区画し、その中を文様で埋めています。このような鉢は捻鉢と呼ばれるもので、祥瑞を代表する鉢のひとつです。特に本作のように内外の側面をひと続きの曲線で区切ったものは「本捻」と称されます。高台畳付には砂粒が付着し、高台内には「福」字銘を記しています。
右上 左下
祥瑞唐子唐草文鉢
景徳鎮窯 明時代(17世紀前半)
爽やかな青色の文様で器面が埋め尽くされています。
見込みは唐子唐草文を表し、その周囲には波状文をめぐらせています。外側面には松や梅などの木と、大きな扇が配され、その間を鳥が飛んでいます。口縁下には、枠取の中「福」「禄」の字を繰り返し記す文様帯がありますが、数合わせのためか一字だけ「寿」字が記され、工人の息遣いを思わせます。高台内には「禄」字銘を記しています。
右下
安南染付雲龍文字文獣足平鉢
ベトナム・黎朝時代(17世紀)
ベトナム製の陶磁器は、16世紀後半から17世紀前半にかけて日本に多くもたらされました。中でも染付の作品は「安南染付」と称され、茶陶として賞翫されました。本作は、獣面を表した脚を付けた安南焼の平鉢。
見込み中央に雲龍文を表し、その周囲には漢字を散らします。全体の意匠は、口縁際の花文などから鼓の打面の造形を意識したとみられ、類似の作品がいくつか知られています。 -
上
前頁の右下と同様
左下
安南染付蜻蛉文菊形皿
ベトナム・黎朝時代(17世紀)
安南染付は中国の染付を目指したやきものですが、その多くは本歌とは異なった独特の趣を有しています。たとえば本作は、見込みに蜻蛉と菊の花びらの輪郭を線描きしていますが、その筆線は、黄身を帯びた透明釉の下でぼんやりと黒みを帯び、時に流れてにじんでしまいます。日本の茶人はこのような安南染付に味わいを見出し、文様のにじみを絞り染めになぞらえて「絞り手」と呼んで珍重しました
右下
安南染付笠文鉢
ベトナム・黎朝時代(17世紀)
安南染付の厚手の丸皿。黒みを帯びた呉須で、見込みの半分に2本の足の生えたような笠文を2つ、もう半分に半円状の縞文を表します。この独特の笠文は、織部焼などにみる紐を垂らした笠文を、現地の陶工がイメージして描いたものでしょう。笠文は同時期に中国へ注文された古染付などにも描かれており、本作も日本人好みの文様を表した注文品と考えられます。
高台内に「壽福」と記します。 -
左上
朝鮮唐津手鉢
高取 内ケ磯窯 江時代(17世紀前半)
高取焼は、黒田長政が朝鮮出兵の際に連れ帰った陶工八山が、桃山時代末期に窯を開いたことに始まります。本作は、把手を渡した内抱えの鉢。白濁する藁灰釉と褐色の鉄釉を片身替わり風に掛け分けています。このような藁灰釉と鉄釉を掛け分けあるいは重ね掛けした作品は、唐津焼の一種として朝鮮唐津と称されますが、本作のような釉調の品は高取焼(福岡県)の内ヶ磯窯の作品と考えられています。
右上
飴釉割山椒鉢
高取 江戸時代(17~18世紀)
花のような形をした薄造りの鉢です。腰に段を付けて轆轤成形した後、口縁4か所に切り込みを入れて4弁の花びらのような形とし、各弁の先端中央を内側に押し込んでいます。このような器形は、割れた山椒の実の形に似ることから割山椒とも呼ばれています。総体に艶やかな飴釉がかかり、内側面に重ね掛けされた白濁釉が青白色を帯びながら流れて景色となっています。
左下
色絵梅鶯文銅鑼鉢
有田 古九谷焼様式 江戸時代(17世紀)
満開の花を咲かせた梅の木に鶯が止まっています。側面を内側に抱え込んだ銅鑼形の鉢で、文様は染付と、赤・黄・緑・青の色絵で表されます。高台はややいびつな形です。色絵の輪郭を赤で引く点などは「有田の色絵磁器の内、17世紀半ばに作られた「祥瑞手」と呼ばれる一群の特徴で、中国明松の磁器、色絵祥瑞の影響が色濃く表れています。高台には染付で「福」字銘を表します。
右下
打刷毛目銹絵染付瓜文鉢
現川 江戸時代(17世紀後半~18世紀前半)
見込みに瓜を描いた現川焼の鉢。内面全体に刷毛を打って縮緬状に白泥を塗り、銹絵と染付で文様を描き添えます。外側面の二方には大きく白泥を付し、濃い茶色の素地と大胆に対比させています。滑らかな胎土、均一に溶けた透明釉、丁寧に削り出された高台などに、高い技術がうかがえます。現川焼は、その洗練された作風から、俗に「九州の仁清」などと呼ばれることもあります。 -
上
色絵丸文台鉢
有田 古九谷様式 江戸時代(17世紀)
紫を地に、あざやかな緑・白・黄の丸文を重ねて配した大胆な意匠が目を引きます。器面は縁を若干立ち上げ、一部をゆがめています。裏面は一転、染付で葡萄の蔦を二箇所からつたわせるように描き、高台内面は緑釉で塗り込めています。製作は17世紀半ばとされ、その斬新な意匠は、鍋島藩(佐賀県)の藩窯である鍋島焼の初期につながる作風とも評されます。
下
白釉輪花透し鉢
野々村仁清 江戸時代(17世紀)
輪花形の口縁に沿って作られた透しが印象的な鉢。
総体に兎の斑釉と呼ばれる白濁釉が掛けられ、文字通り白兎の毛並みのような細い筋を伴いつつ流れて景色を作っています。野々村仁清は、正保4年(1647)ごろに京都・仁和寺門前に窯を開き、華麗な色絵作品や唐物、高麗物の写しなど幅広く作陶しました。仁清の作として、水玉や菊花形の透しを入れた向付や鉢が数点知られています。 -
祥瑞写松竹梅文瓜形銚子
永樂保全 江戸時代(19世紀)
日本風の鉄製鍋をやきものでかたどった器形に、瑞風の装飾をほどこしています。器面を旋様の曲線で区切るのは、端にみられる捻設と呼ばれる文様構成。鮮やかな県須の発色とあわせて、端の雰囲気をよく再現しています。家楽保全は、土風炉師・西村家(のちの永樂家)の11代。保全はさまざまな陶磁器の写しを得意としましたが、祥瑞の写しは中でも得意としたものの一つでした。 -
金襴手雲龍文銚子
永樂和全 江戸~明治時代(19世紀)
日本風の燗鍋を模した器形に、中国陶磁風の文様装飾を組み合わせています。艶やかな赤絵具を背景に、金彩で文様を表すのは、明代の中国で作られた金襴手にならったもの。胴部には火炎宝珠を追う雲龍文、把手には蝶や花唐草文を描き、細部を針のような工具で丁寧に掻き落として永楽和全表します。作者の永樂和全は、永樂家の12代。父保全同様に様々な陶磁器の写しを得意としました。 -
黄瀬戸草花文録
美濃 桃山時代(16世紀後半)
黄瀬戸は、淡黄色の炭を掛けた美濃(岐阜県)のやきものです。16世紀後半から作られたとされ、食器類に優品が多いです。本作は、薄造りで口縁をやや外に反らせた、端正な姿の鉢。柔らかな黄の用合いは、「油場所」とも呼ばれて喜ばれるものです。
見込みには草花文を彫り込んで鉄釉を添え、口縁には唐草と網代模様を交互に配しています。薩摩出身の実業家・赤星弥之助の旧蔵品です。 -
織部草花文角鉢
美濃 桃山~江戸時代(17世紀前半)
草花が斜めに生き生きと重量感のある織部焼の角鉢。布をかぶせた型を素地に押し当てて成形されており、見込みの隅などに布の痕(布目)が残っています。見込みには草花文を鉄絵で伸びやかに描いて白濁した長石秞を掛け、二方の隅に銅緑秞を掛けています。凹字形の脚は、木製のうつわの造形を思わせます。本作のような平たい鉢は、焼魚などを載せる焼物鉢のほか、酒肴を載せる八寸として用いることができるでしょう。 -
前作の掛軸です。
まさに角鉢に調和した一品です。
盛り付けも美を感じます。 -
色絵定家詠十二ヶ月花鳥図色紙皿
尾形乾山 江戸時代(18世紀前半)
月ごとの和歌と絵を色紙形の皿の表に表した、季節感あふれる器です。揃って伝来する1月から12月までのうちの3枚です。裏面の和歌は、鎌倉時代の歌人・原定家による花鳥を主題とした和歌で、見込みの花鳥図はそれぞれの和歌の内容に対応しています。作者の尾形乾山は、絵師・尾形光琳を兄にもつ京焼陶工。絵や書、和歌、作陶に通じた乾山ならではの作です。
本当に裏面に和歌とは心憎いです。
裏面
四月
卯の花 / 白妙の衣はすてふ / 夏の来て /
かきねもたはに / さける卵の花
時鳥 / ほとときす / しのふのさとに /
里なれよまた / 卯花の五月まつころ -
五月盧橘 / ほととぎすなくや / さ月の宿かほに /
かならすにはふ / 軒のたちはな
水鶏 / 槙木の戸を / たたく水鶏の / 明ほのに /
ひとやあやめの / のきの / うつり香 -
六月常夏 / 大方の日影にいとふ /
六月のそらさへしおき / とこなつの花
鵜 / みしか夜の鵜川にのほる
/ かかり火のはやく過ゆく六月 / のそら -
色絵菊文八角鉢
仁阿弥道八 江戸時代(19世紀)
見込みに大きな菊の花を描いた鉢。外側面は8つに区切り、幾何学文様と花卉文や山水文などの文様を交互に表します。各の上絵具と金彩による大らかな給付は尾形乾山の色絵陶器を思わせますが、器形や装飾の組み合わせなどには独自性が現れています。
2代高橋道八(号 仁阿弥)は、江戸時代後期の京焼陶工。岡田穎川に入門し、器種・技法を問わず幅広い作風を展開しました。 -
青磁象嵌鳳凰唐草文鉢
高麗時代(14世紀)
赭土や白土を灰色の素地に嵌めて文様を表し、青磁釉を施して焼成された象嵌青磁の作品。内底のくぼんだ鉄鉢形の鉢で、落ち着いた合いが美しいです。
内底に表した花卉一枝の円文を蓮弁で囲み、周囲を唐草文で埋め、牡丹と鳳凰を4つずつ交互に配しています。
一方、外側面は花卉をあしらった丸文を四方に置き、周囲の唐草を細線で描きます。裏千家 13代・円能斎が「雲鶴の手菓子鉢」と箱に書付けています。 -
三島暦手鉢
朝鮮時代(15世紀)
三島暦手は、小印を規則的に押し、そこに白土を埋めて文様を表した朝鮮陶磁の日本における呼称。その呼称は、細かな文様が三嶋大社の暦に似ることに由来するといいます。本作は艶やかで、灰色と白の諧調も美しい鉢。内底の菊文の周囲に連珠文・蝶文・蓮弁文を巡らせ、内側面にも連珠文を整然と配しています。
外側は波文・連珠文・蝶文・蓮弁文が続く。伝世の箱には「みしま菓子鉢」と記された紙があらます。 -
溜塗紅葉張交銘々盆
飛来一閑 明治時代(19世紀後半~20世紀前半)
銘々盆は、客に菓子を出すためなどに用いられる組物の盆のこと。本作は、表千家の茶室不審庵ほか各地の名所で採られた紅葉を張り込んだ銘々盆。鉋目を残して削った木胎に紅葉を置いて和紙を張り、溜塗で仕上げています。裏面には、表千家 11代碌々斎が紅葉の採られた場所を書き付けています。碌々斎は、隠居後に全国を旅し、各地の素材を用いた作品を多く作らせました。本作もその一例といえるでしょう。 -
紅葉の名所です。
瀧田川 若王子 永観堂 永源寺 通天橋 高野 春日山 嵐山 坂本 箕面山 宮嶋 牛瀧 日光 -
富士図桐竹四方盆
画:竹内栖鳳 明治~昭和期(19世紀後半~20世紀前半)
千菓子を載せるのに適した木製の四方盆。桐製の盆の縁に覆輪のように竹材をはめています。見込みには、近代日本画の大家学繊間が伸び伸びとした筆づかいで富士山の稜線を描いています。近代の日本画家が茶碗や盆などの茶道具に絵付けする例は少なからず知られています。箱書によれば、製作は京都の漆器工房である美濃屋が担ったようです。 -
漆絵竹図四方盆
画:堂本印象 大正~昭和期(20世紀)
規則的な凹凸のついた板を黒漆で塗り込み、木製溜塗の枠の中に嵌め込んだ四方盆です。見込みには、朱漆で対角線上に太い竹の幹を表し、細い新竹の枝葉を添え、「印象」と署名しています。鮮やかな朱漆が黒色の背景によく映えています。絵付を行った堂本印象は、若いころから茶の湯に親しみ、掛軸や茶道具の図案なども幅広く手掛けており、自ら制作した陶芸作品も知られています。 -
ギャラリー4
懐石から茶へー千利休と豊臣秀吉ゆかりの茶道具ーーーーーーーーーーーーー
青磁鯱耳花入
龍泉窯 南宋時代(13世紀)
千利休旧蔵と伝わる、端正な形の青磁花入。胴にある大きなヒビを、漆と、鎹とよばれる金属とで留めており、その周りに貫入を伴う朽葉色の景色が広がります。本作のような美しい青緑色をした中国の青磁は、日本で「砧青磁」と呼ばれます。本作のヒビを、衣を柔らかくするために砧を打つ音の「響き」とかけて、利休が本作を「砧」と名付けたと伝わっています。仙台藩主伊達家伝来です。 -
餌籮茶碗
北宋~南宋時代(11~12世紀)
餌籮とは、鷹匠が持ち歩く鷹の餌などを入れる袋のこと。本作の呼称は、器形が餌籮に似ることに由来するもののようです。中国製の白磁ですが、全体に茶褐色を帯びている。土中にあったものが発掘され、茶碗として見立てられたものとみられます。本作は利休所持と伝わり、高台内に利休の螻蛅判(花押の一種)らしき朱書きが残っています。利休とのゆかりが語られる古手の中国陶磁として貴重な一碗。千利休所持の後、千宗旦の高弟・藤村庸軒に伝わりました。 -
重要美術品
唐物茄子茶入 利休物箱
(木葉猿茄子)
福州窯系
南宋~元時代(13~14世紀)
肩と腰が張った姿の茄子茶入。器形が物相(飯を盛るための木型)に似ることと、利休が所持したことから「利休物相」と呼ばれます。腰のあたりに釉が丸く剥げ黒点が二つみられる箇所があり、これを猿面に見立ててか「木葉猿茄子」の別名があります。
江戸幕府3代将軍徳川家光から伊達設に下賜され、伊達政宗に下賜され、伊達家に受け継がれました。小堀遠州の選んだ堆黒盆など数々の次第が伴ってきます。 -
竹茶杓 銘 両樋
千刹休 桃山時代(16世紀)
千利休は泉州堺生まれの茶人。信長や秀吉の茶堂などとして活躍し、以降の茶の湯に大きな影響を及ぼしました。本作は、先側(櫂先)と持ち手側の両方に樋(くぼみ)の通ることから「両樋」と呼ばれる茶約。深い樋のある「実行」と呼ばれる種の竹を素材としたものです。共筒は、表皮をすべて削いで丸く仕上げました。賞削りと呼ばれる格調高い造り。蓋身の接合部には利休の螻蛄判があります。 -
黒塗水仙漆絵盆
南宋時代(12~13世紀)
利休が好きだった水仙の花。
金泥と色漆で、一輪の水仙を描いた小判形の盆です。
表面にびっしりと現れた断文(ひび割れ)が伝世の年月を思わせます。裏には千利休の螻蛅判が記され、箱蓋裏には表千家5代随流斎が「利休所持盆判アリ」と記しています。古くから利休所持と認識されていた唐物の盆として貴重な作です。水仙は利休が好んだ花であったともいい、本作の絵付けは利休のイメージとも交錯します。 -
黒楽茶碗 紙屋黒
長次郎 桃山時代(16世紀後半)
長次郎は、千利休に見出され、楽焼を創始したとされる安土桃山時代の陶工です。本作は、見込み浅く、腰の張った姿の黒楽茶碗。胴や高台周りに残る不規則な向きの箆後や窪みが、長次郎の息遣いを思わせます。博多の豪商神屋宗湛が、朝鮮出兵で名護屋(佐賀県唐津市)を訪れた豊臣秀吉への献茶のために作らせた茶碗と伝わります。表千家7代如心斎の高弟・川上不白ら多くの茶人の手を経て伝えられました。 -
黒塗大棗
桃山時代(16世紀後半)
棗は一般に薄茶点前において、抹茶を入れておくための茶器です。本作は総体黒塗のやや大振りな棗で、蓋裏には利休の螻蛅判が朱書きされています。
利休は漆器の素をしばしば使用したと伝わり、利休の螻蛄判を伴う棗がいくつか知られています。本作の箱には表千家6代覚々斎と同7代如心斎が極め書きしており、早くから利休ゆかりの棗として珍重されてきた様子がうかがえます。 -
竹茶杓 銘 かりがね
細川三斎 桃山~江戸時代(16世紀後半~17世紀前半)
細川三斎(忠興)は桃山・江戸初期の武将。京に生まれ、信長・秀吉・家康にそれぞれ仕えました。諸芸に通じ、茶の湯では師・千利休の茶を忠実に受け継いだと評され、「利休七哲」の1人に数えられます。
本作の銘「かりがね」は雁の鳴き声の意、あるいは雁の別名。節下には濃淡の景色が広がり、節にある2つの芽跡から2本の樋が伸びています。共筒は、表皮を削き残した草体の削り(草削り)です。 -
唐物茄子茶入 付藻茄子
福州窯系 南宋~元時代(13~14世紀)
足利義満に見出されたとされる唐物茄子茶入。早くから高い評価を得、桃山時代には織田信長、豊臣秀吉の手にわたりました。慶長20年(1615)、大坂夏の陣で火中して大破するも、塗師の藤重藤元・藤巖父子が家康の命により破片を探し出し、驚くべき漆繕いを行って今日の姿によみがえりました。本作は修理の褒美として藤元に下賜され、同様に藤巖に下賜された「松本茄子」(後期展示)とともに伝えられています。 -
ギャラリー2には、旧エレベータらしきものがありました。
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この右上の器こそ、国宝 曜変天目(稲葉天目)
建窯 南宋時代(12~13世紀)
撮影できなかったため、掲示ポスターを撮りました。
天目茶碗のうち、最上級とされるもの。曜変天目と略称されます。
これは見る角度によって七色に変化します。 -
目の前の通りです。
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La Boutique de Joel Robuchon
丸の内ブリックスクエア ショッピングモール
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ガレットとミニサラダとコーヒーで1900円です。
ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション 丸の内ブリックスクエア店 グルメ・レストラン
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連休で混んでいました。
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5月9日(土)
有明四季劇場に来ました。有明四季劇場 名所・史跡
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予定外だったのですが、チケットをいただいたので来ました。
ライオンキングは随分昔に観たことがありましたが、久々です。
以前は汐留で観ました。 -
いよいよ始まります。
お子さんもたくさんいました。 -
5月24日(日)
印刷博物館です。
こちらは、飯田橋方向から来て、神田川を越えた右の入口です。印刷博物館 美術館・博物館
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まずは展示室までのプロローグの様子です。
こちらは木製手引き印刷機です。
右下は上から撮影したものです。
この先に木製手引き印刷機のレプリカがありました。
ドイツのグーテンベルク・ミュージアムで80%に複製したものです。
数年前に、長崎の天草コレジョ館でもグーテンベルク印刷機を拝見しました。 -
プロローグには印刷に関する歴史的遺産のレプリカがずら~りと陳列されています。
古代エジプトの「死者の書」のパピルス
古代メソポタミアの円筒印章
楔形文字の粘土板文書
古代メソポタミアのハンムラビ法典 -
ロゼッタストーン
古代中国の甲骨文字(甲羅)
古代中国の竹簡
古代中国の古銅印 -
古代ローマの碑文
ラスコー洞窟の壁画
ネイティブアメリカンのペトログリフ
バティック用の版
マヤ文明のステラ(石碑)
コーラン
無垢浄光大陀羅尼経
室町時代の北斗曼荼羅
グーテンベルク42行聖書等 -
大型欧文木活字
オーディュポン「アメリカ鳥類図譜」等
引札等
ポスター等
レプリカながら、印刷の歩みがわかりました。
見ていて楽しいです。 -
更に印刷手法がわかります。
以前来た時にはなかったような気がします。
とてもわかりやすいです。
左上から順番に。
7世紀・中国:石碑を彫っています。
12世紀・日本:印仏を印してます。
17世紀・アントワープ:木製印刷機で印刷しています。
13世紀・中国:木活字を拾っています。
15世紀・フランス:本を書き写しています。 -
18世紀・フランス:銅板印刷機で印刷しています。
18世紀・日本:木版で錦絵を摺っています。
19世紀・イギリス:動力輪転印刷機で印刷しています。
1937年・日本:タイピングで活字を鋳造しています。
1998年・日本:大型高速輪転印刷機で印刷しています。
2000年・日本:パソコンでレイアウトをしています。
印刷技術の進歩は、まさに人類の歩みです。
大量生産はありがたいですが、やはり昔の1点物は希少価値があります。 -
紙面のデザイン・フォトマスク・銅板・校正刷りなど・・。
製本の行程・ギネス認定証です。
何がギネス認定かと言うと、小さな本です。
なんと0.74×0.75mmです。
TOPPANの歴代マイクロブックです。
もはや、塵にしか見えないくらいのレベルでした。 -
百万塔
百万基の木製の供養塔です。(上右)
春日版「大般若波羅蜜多経」巻第四百三十三
興福寺
百万塔陀羅尼
版の鋳造実験物
高野版「即身成仏義」
空海著などです。
即身成仏について書かれてあるかと思うと、なんとも恐ろしくもあり敬虔な気持になります。 -
ここからが、私が見たかったヴァチカン教皇図書館Ⅲ+展です。
今回は3回目です。
2002年そして2015年にも開催されました。
私は2015年にも観にきました。
このエントランスにはラファエロの「アテナイの学堂」が薄いヴェールになってお出迎えしてくれます。 -
上左
プラトン著作集「ソクラテスの弁明」を含む
プラトン死刑宣告を受けたソクラテスが裁判所で告発者と論戦をかわし、人生や哲学思想をかたる「ソクラテスの弁明」。著書を残さなかったソクラテスは、プラトンら弟子の著作に描かれてきました。
上中
「自然誌および天体論」
アリストテレス
アリストテレスの主著です。アリストテレスはアレクサンダー大王の教師を務めた科学者で、中世を通じて影響力を誇りました。
「自然誌」は現在の物理学を含む動きと変化に関わる全て事象を記しています。
上右
「神統記」
ヘシオドス
古代ギリシャの宇宙論や神話の記した人類史上最古級の文学書。ヘシオドスはホメロスと並ぶ最古の叙事詩人です。パルマ王立印刷所所長ジャン=バティスタ・ボドニはモダン・ローマン体活字体を完成させた人物です。
中左
「方法叙説」
初版
ルネ・デカルト
フランス語による最初の哲学書。方法論の発見や刊行にいたる経緯をしるした前書きに相当します。後半では豊富な図版とともに「屈折光学」「気象学」「幾何学」が紹介されています。
中右
「物の本質について」
ルクレティウス
共和政ローマの哲学者ルクレティウスが唯物論的自然哲学。中でも原子の世界をしるした書。長く忘れられていましたが、1417年に南ドイツの修道院で写本が発見されると15世紀だけで数十部手写されました。本書はその1つです。
下左
「禁書目録」
教義にそぐわない書籍を一覧するためカトリック教会が発行したリスト。査察官が持ち運びやすいようポケットサイズになっています。中世から異端審問に禁書はありましたが、手写では伝播に限界があり、複製メディアである活字体が重宝されました。
個人的な考えですが、焚書となって失われた書籍にも貴重な物があったかと思うと、何とも微妙な気持ちです。
下中
「神の国」
アウグスティヌス
西洋で最初の歴史哲学書。マインツのグーテンベルクのもとで働いていたシュバインハイムトパンナルツは1465年、ローマ近郊のスビアコにイタリア初の印刷所を設立しました。本書は「神の国」最古の活字本でもあります。
下右
体験コーナー
2種類の羊皮紙を触ってみましょう。
左がパーチメント 右がヴェラムです。 -
上左
望遠鏡 ガリレオ・ガリレイ
自ら研磨した凸レンズ2枚を取り付け、1610年に倍率約20倍の望遠鏡を制作しました。月は従来考えられていたような滑らかな球体ではなく凹凸があることを発見しました。観察結果をもとに「星界の報告」を刊行しました。
上中
天体対話 ガリレオ・ガリレイ
聖書と切りはなし、あくまで数学的な学説としてガリレオは登場人物3名にコペルニクスの地動説を語らせています。ただ、その思いは通じず異端とみなされ、カトリック教会に断罪されてしまいます。以降、本書は1822年まで禁書目録に掲載され続けました。
上右
顕微鏡 ロバート・フック
凸レンズを2枚組み合わせたフックの顕微鏡は、設計上は150倍近い倍率を持つとされます。「ミクログラフィア」初版(1655年)をもとに、1920年代のイギリスで完全復元されました。
中左
「ロビンソン・クルーソー」 ダニエル・デフォー
実際の航海記や最新地図など、当時の科学的知見を作風に取り入れています。山羊皮の帽子や服を身につけ、鉄砲を抱えた銅板エッチングによるイメージが現代までロビンソンのモデルになっていました。
中中央及び右
プリンキピア アイザック・ニュートン
月や惑星の動きを万有引力で解説。ユークリッド幾何学で証明しています。ニュートンのライバルだったライプニッツの積分法を使い、バーゼル大学物理教授ベルヌーイは潮汐の仕組みを論じました。
下左
世界周航記 ウッズ・ロジャース船長
3年余りに及ぶ世界航海を率いたイギリス人総指揮官ウッズ・ロジャースによる航海記です。「ロビンソン・クルーソー」のモデルとなったアレクサンダー・セルカークをファン・フェルナンデス島(チリ)で救出するなど多くの収穫を得ました。
下中
がリヴァー旅行記 ジョナサン・スウィフト
旅行記の体裁をとった風刺文学で、哲学や科学の知見がふんだんに盛り込まれています。日本に関する記述もあり、オランダとしか貿易しないこと、エドにいる皇帝(将軍)、踏み絵の習慣、長崎がヨーロッパとの窓口であることが紹介されています。
下右
種の起源 チャールズ・ダーウィン
自らの意思でなく、自然淘汰により種が枝わかれし、多様化してきたと説いています。地球の生き物すべては、神によって創造されたと信じられていた当時、大きな論争を巻き起こしました。 -
百科事典
ディドロ・ダランベール
1751-80年までフランスでまとめ上げられた全35巻です。 -
上左
ファウスト ゲーテ
ドイツの文学者ゲーテによる悲劇。シューマン(ゲーテのファウストからの場面)、マーラー(第8交響曲)などファウストは、19世紀以降の音楽家に大きな影響を与えました。コブデン・サンダーソンが設立したダブス・プレスは美術史やグラフィックデザイン史で高い評価を受けています。
上中
魔笛 モーツァルト
モーツァルトが生涯最後に完成させたオペラ。フリーメイソンの思想をもとに主人公タミーノがイシス(エジプト神話の女神)信仰を許されるまでの試練をテーマに作曲されました。フリーメイソンとは自由、平等、友愛を掲げる結社です。
上右
夢判断 ジグムント・フロイト
夢や無意識という人類にとって未知の研究領域を切り開いた書。自らの発見をコペルニクスの地動説、ダーウィンの進化論につぐ革命的成果と位置づけました。広く知られるようになったのは、70歳を超えたフロイトが増補改訂をつづけた資料からです。
中左
電胎版 シルヴィーとブルーノ 完結編
木口木版をもとに電胎法で製作された出版当時の銅凸版。電胎法とは19世紀半ばにできた複製法で凸版、凹版ともに用いられました。
下左
不死のための10の秘法 サルバドール・ダリ
シュルレアリスムを代表する芸術家ダリが67-69歳のときに制作された作品。感覚や理性にとらわれず、夢や無意識の世界を表現する文学・芸術運動がシュルレアリスムです。ダリはフロイトやアインシュタインから大きな影響を受けました。光学理論から派生したホログラムや立体現の作品が本資料にも含まれます。
中右
図解幾何学原論
ユークリッド著 オリバー・バーン
現代の教育現場でも使用されるロングセラーの数学書です。写本を含めて千種類以上あるとされます。本書は技術・数学者であるイギリス人オリバー・バーンが手掛けた英語版。 -
ここからは再び常設展です。
展示は常設展→企画展となっていますが、私が時間の都合上、通常とは違う順序に鑑賞しただけです。
上左
妙法蓮華経常不軽菩薩品
鳩摩羅什訳
宮沢賢治晩年の1931年頃にかかれたとされる詩「雨ニモマケズ」に影響をあたえた経典。人々からののしられても常不軽菩薩は「我あえて汝らを軽しめず、なんじら皆まさに作仏すべし。と同じ言葉を繰り返しました。
常不軽菩薩は釈迦の前世の姿だったことが経典の最後で明らかになります。
上中
鉄腕アトム 「少年」付録 手塚治虫
10万馬力のロボット少年アトムが主人公。友達のような親近感が受けて、たちまち少年の看板漫画になりました。「鉄腕アトムにはたくさんの付録がありました。そのうちスーパー旋風」「テストパイロット」がシリーズ。
手塚治虫はSF小説に影響を多く残しています。
上右
嵯峨本「伊勢物語」 角倉素庵
中左
不二家のソフトクリーム、新聞広告「キッコーマン」、デイリーソーセージ
下左
大日本憲法発布式の図 歌川国政
中右
「国会」第7号付録 -
「旅行用心集」
八隅蘆庵著 須原屋茂兵衛他刊
1810年(文化7年)・ 凸版/木版
200年前に発行された旅行者のバイブルです。
現在の「地球の歩き方」みたいなものでしょうか・・・。(^^♪
フォートラの皆さんには、ちょっとクローズアップしてご紹介します。
・月の出入潮の満ち引きなどが掲載されてます。
・道中用心61か条などのアドバイスもあります。
「宿に着いたら避難路と方角を確かめる」
「空腹で風呂に入らない」・・・・。
・トラブルや健康への対処法
「船酔いや駕籠酔いの治し方」
「山でいのししや狐などに遭わない方法」
「旅の疲れを癒すお灸のすえ方」
・旅の持ち物や薬
「持って行く常備薬」
「荷物を減らすための工夫」
・全国のガイド
「温泉リスト」
「主要な街道(距離)」
「関所情報」
これは現在でも役立ちそうですね!! -
事前予約する必要がありますが、システィーナ礼拝堂のデジタル上映がありました。
私13時からの上映を予約していました。
臨場感があってまるでヴァチカンに実際にいるような迫力でした。
視点が動くので、様々な方向から感じることができました。
ミケランジェロの最後の審判は天井画ですが、ここでは天井ではなく壁に描かれているかの如く目の前に迫ってきました。
以前は予約なしで鑑賞できたと思いますが、現在は予約制です。
VR作品観覧料は500円です。(当日支払い)
企画展の入場料は1000円です。 -
こちらは神田川を背にした左側の出入口です。
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ランチは神楽坂のお店で。
花かぐら グルメ・レストラン
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花かぐらです。
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間口は狭く、この先は座敷になっています。
私は1人でしたので、この右手のカウンター席に案内されました。
予約はしてませんでしたが、13時30分を過ぎていたので、少しだけ待って入れました。 -
お席です。
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花かぐら弁当です。
ワイン、デザート、コーヒー付きです。
これで2500円でした。 -
ミルクティのプリンとコーヒーです。
この後は、近くのお店で陶器を購入しました。 -
7月5日(日)
白金台にある松岡美術館にやってきました。
こちらは常設展としても、古代エジプトや中国仏教、ガンダーラ彫刻、またインドのヒンドゥー教彫刻などもあり、いつも楽しみにしてます。
特に今回は私の好きな企画展ですので楽しみです。松岡美術館 美術館・博物館
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ロビーには古代ローマの彫像などが、何気なく展示してます。
左から順番に
ミネルヴァ
金彩大理石 ヘレニズム後期(紀元前 100年頃)
ローマ近郊出土
アルテミス
大理石 ローマ期 1~2世紀頃
ゼウス
大理石 ローマ期 2世紀頃
アフロディーテ
ローマ期 2世紀頃 大理石
ポピュラーな神々なので解説なしです。 -
中国の宋から元の時代までの陶器です。
左上:白磁刻花 蓮花紋 盤
中国 定窯 北宋時代 11-12世紀
右上:白磁印花 牡丹唐子紋 鉢
中国 定窯 北宋 金時代 11-13世紀
「犀牛望月」が表されているようです。確かに牛が月を見上げています。
中央:白磁刻花 蓮紋花 鉢
中国 定窯 北宋時代 11-12世紀
左下:白磁貼花 獅子文 暖盤
中国 北宋時代 11-12世紀
内に熱い湯を入れて上の器が冷めないようにする物です。
右下:白磁貼花 獅子文 香炉
中国 北宋時代 11-12世紀 -
左上:白釉劃花 牡丹文 洗
中国 磁州窯 北宋時代 11-12世紀
右上:白釉劃花 木槿文 枕
中国 磁州窯系 北宋時代 11世紀
左下:白地黒掻落 牡丹文 瓶
中国 北宋時代 11-12世紀
中下:白釉黒花 飛鳳文 壺
中国 磁州窯系 元時代 13-14世紀
右下:黒花加彩 人物図 梅瓶
中国 磁州窯 元時代 14世紀
明の時代に景徳鎮で始まる五彩磁に千行する多色の釉上彩です。
中国では紅緑彩、日本では宋赤絵と呼ばれています。 -
上:緑釉劃花 飛鳥文 枕
中国 磁州窯系 金時代 12-13世紀
左下:三彩劃花 飛鳥文 小盤
中国 磁州窯系 金時代 12-13世紀
右下:三彩劃花 詞文 枕
中国 磁州窯系 金時代 12-13世紀
中国では束腰枕、銀錠枕と呼ばれる陶の枕です。
文字が刻まれています。当時流行していた曲の名が添えられているようです。
個人的にこのタイプの陶枕は初めて拝見しました。
おそらくどこの国にもない中国の独特の文化かと思います。
従来であれば、寿とか福だとかの吉祥文字、格言、子どもの成長や夫婦円満・長寿を願う言葉なら理解できます。
悪夢を避けて良い夢を見るのもそうでしょう。
枕は寝具であるだけでなく、工芸品であり、魔除けであり、教養を表す品でもあります。
ただ、この「落梅風」などは、春風や梅の香りへの誘いのためかもしれません。
そして風雅な世界を表現しているともいえます。
またデザインとしての意味も考えられます。
ちなみに朝鮮半島の高麗青磁にも陶枕はありますが、文字入りは極めて少なく、銘程度なようです。ChatGPTに確認しました。 -
左上:黒釉 堆線文 瓶
中国 磁州窯系 北宋金時代12-13世紀
裏には5枚のシールが貼ってあり、これは1937-60年の間に、パリのオランジュリー美術館、チェルヌスキ美術館、ロンドンの英国東洋陶磁学会で展示された履歴を物語っているのだそうです。
英国の著名な東洋陶磁集家アルフレッド・クラーク(1873-1950)旧日蔵作品です。
右上:青磁刻花蓮弁文 壺
中国 龍泉窯 北宋時代 11世紀
角のような管を付した多嘴壺とよばれる明器(副葬品)がしられ、本作も墓室に収められていたようです。
左下:澱青釉 紅斑 杯 中国鈞窯 金-元時代 12-13世紀
小さな杯ですが、内外には紫紅色の斑文が美しいです。
中下:澱青釉 紅斑 瓶 中国鈞窯 金-元時代 12-13世紀
見事なターコイズブルーです。
右下:青白磁 紅釉 鳳凰文 瓶 中国景徳鎮窯 元時代 14世紀 -
左上:青磁袴腰 香炉 中国 龍泉窯 南宋時代 13世紀
左下: 青磁 双魚文 盤 中国龍泉窯 南宋-元時代13世紀
右:青磁貼花牡丹唐草文 瓶 中国龍泉窯 南宋時代13世紀
日本では「浮牡丹手」と呼んで珍重され、鎌倉時代以降に多数もたらされたようです。 -
左上:青花 双鸞菊文 大盤
中国 景徳鎮窯 元時代 14世紀
右上:青花 瓜草文 大盤
中国 景徳鎮窯 元時代 14世紀
左下:青花 孔雀牡丹文 扁壺
中国 景徳鎮窯 元時代 14世紀
このような方形扁壺は元時代に特有な器形で、西アジアの金属器あるいは北方遊牧民族由来のようです。青花磁器の類型はわずかで、イラン国立博物館の所蔵作品が知られています。
中下:青花 双鳳草虫図 八角瓶
中国 景徳鎮窯 元時代 14世紀
元青花の特徴をよく示した大器で、トプカプ宮殿に主文様が水禽図の類型が僅かに知られています。
右下:青花 花卉文 八角水注
中国 景徳鎮窯 元時代 14世紀 -
バステト女神
エジプト ブロンズ
末期王朝時代 紀元前664-332年頃 -
左:お軸です。
春峡 (複製画)
川合玉堂(1873-1957年) 大正15年(1926年)頃
右:洗礼者ヨハネ
ブロンズ像 高さ50cm オーギュスト・ロダン
床の間の畳上に、洗礼者ヨハネとは面白いディスプレイです。 -
左上:廃墟のそばに人物のいる風景
19世紀 ロバート・ブルーワー
1775年(マデリー)~1857年(バーミンガム)
右上:バヴァリアの山湖
ユリウス・ヤコブ(息子)
1842年(ベルリン)~1929年(ベルリン)
左下:落日の海
カール・ケンツラー
1872年(ベルリン)~1947年(ポツダム)
右下:北ウェールズの穏やかな午後
1885年 54彩
ベンジャミン・ウイィアムズ・リーダー
1831年(ウスター)~1923年(サリー) -
左上:スレドルの谷、北ウェールズ
1944年頃 34歳
ウォルター・J・ワトソン
1877年(チェシャー)~1963年(シュロプッシャー)
右上:キラーニイのトアの滝、アイルランド
1893年 71歳
ジェームズ・B・スミス
左下:小さな災難
1912年 76歳
エドワード・ジョン・ポインター
1836年(パリ)~1919年(ロンドン)
右下:取入れ
J.O.バンクス -
左上:海辺の風景
アシーユ・フランソワ・ウーディーノー
1830年(ダミニー)~1895年(パリ)
右上:ブルターニュの村
ウジェーヌ・ブーダン
1824年(オンフルール)~1898年(ドーヴィル)
下:海、水先案内人
1884年 60歳
ウジェーヌ・ブーダン
1824年(オンフルール)~1898年(ドーヴィル)
1889年のパリ万博博覧会で金メダルを、1892年にレジオン・ドヌール勲章を受章しました。 -
サン=タドレスの断崖
1867年 27歳
クロード・モネ
1840年(パリ)~1926年(ジヴェルニー) -
ノルマンディの田舎道
1868年 28歳
クロード・モネ
1840年(パリ)~1926年(ジヴェルニー) -
エトルタの波の印象
1883年 43歳
クロード・モネ
1840年(パリ)~1926年(ジヴェルニー) -
麦畑から見たモレ
1886年 47歳
アルフレッド・シスレー
1839年(パリ)~1899年(モレ=シュル=ロアン) -
羊飼いの女
1887年頃 57歳頃
カミーユ・ピサロ
1830年(セント・トーマス島)~1903年(パリ) -
川辺
1895年 26歳
ルイ・ヴァルタ
1869年(ディエップ)~1952年(パリ) -
イル=ド=フランス
1888年 47歳頃
アルマン・ギヨマン
1841年(パリ)~1927年(オルリー) -
【いにしえのエトルリア 小企画展】
左上:横たわるシーレーノス
ブロンズ エトルリア 紀元前6世紀後半
右上:女性 面部
テラコッタ エトルリア 紀元前6世紀
左下:女性 装飾瓦
テラコッタ エトルリア 紀元前5世紀
飾瓦の文様には酒神のディオニソスを狂言する女性信奉者マイナス(メナード)や、顔を見た者を石に変えてしますゴルゴン三姉妹の1人メデューサ、ディオニソスの従者シーレーノスなどが見られます。
右下:女性 象
ブロンズ エトルリア 紀元前5世紀 -
左上:戦士 像
ブロンズ エトルリア BC5世紀中期
右上:戦士 像
ブロンズ ウンブリア BC5世紀中期
左下:戦士 像
ブロンズ ウンブリア BC5世紀
右下:ライオン 像
ブロンズ エトルリア BC5世紀
ライオンはエトルリアの壁画が彫刻にみられますが、絶滅したとされており、ギリシャや近東のモティーフから影響を受けています。
あるいはギリシャ神話の怪物キマイラ(キメラとも) -
左上:セクメト神像
花崗岩 エジプト カルナック・ムト神殿出土
新王国時代 第18王朝 BC1550-1295年頃
中上:エネヘイ像
石灰岩 エジプト サッカラ出土 新王国時代第18王朝末期-第19王朝初期
BC13世紀頃
右上:馬頭部
玄武岩 東部トルコ地中海沿岸地域
ヘレニズム期 BC3世紀
下:彩色木棺
伝中部エジプト 末期王朝時代第30王朝 プトレマイオス朝時代初期 -
中国仏教彫刻・ガンダーラ彫刻
中央:如来立像
石灰岩 中国 南北朝時代 6世紀
左上から
菩薩立像
片岩 ガンダーラ 3世紀
観音菩薩立像
石灰岩 中国 (伝)山西省太原出土 隋時代 581-618年
如来坐像
大理石 中国 遼-金時代 12世紀
菩薩坐像
片岩 ガンダーラ 3世紀頃
仏陀坐像
片岩 ガンダーラ(伝)サリ・バロール出土 3-4世紀頃
右上より
仏陀立像
片岩 ガンダーラ(伝) タルベラ出土 3世紀頃
菩薩立像
片岩 ガンダーラ 3世紀頃
菩薩立像
片岩 ガンダーラ 3世紀頃
仏陀立像
片岩
ガンダーラ 2-3世紀頃
菩薩立像
片岩 ガンダーラ 3世紀頃 -
左上:仏陀説法図
片岩 ガンダーラ 3-4世紀頃
左中上:礼拝者図
片岩 ガンダーラ 3世紀頃
左中下:仏陀帰郷図
片岩 ガンダーラ 3世紀頃
左下: 花綱と童子
片岩 ガンダーラ 2-3世紀頃
中上:仏陀説法図
片岩 ガンダーラ 3世紀頃
中中央:仏陀坐像
玄武岩 東インド バーラ朝 10-11世紀
中下: 菩薩坐像
片岩 ガンダーラ 3-4世紀頃
右上: 菩薩諸相像
片岩 ガンダーラ 3-4世紀
右中上: 菩薩坐像
片岩 ガンダーラ 3-4世紀頃
右中下: 仏陀坐像
片岩 ガンダーラ(伝)バリコット出土 3-4世紀頃
右下: 菩薩坐像
片岩 ガンダーラ 3-4世紀頃 -
菩薩半跏思惟像
片岩 ガンダーラ 3世紀頃 -
破風仏伝図
片岩 ガンダーラ 3-4世紀頃 -
釈迦の生涯
1 燃燈仏授記
2 托胎霊夢
3 占夢
4 帰城
5 カピラ城
6 占相
7 御者と愛馬の誕生
8 婆羅門への布施
9 誕生祝
10 勉学
11 武勇
12 四門出遊
13 出家踰城
14 仙者訪問
15 草刈人の布施
16 涅槃
17 荼毘
18 舎利の守護
19 分舎利
20.21 歌舞
22 断片 -
ヒンドゥー教の神
左上: シヴァとパールヴァティー
泥岩 インドラージャスタン 11-12世紀
中上: シヴァとパールヴァティー
砂岩 中インド 11-12世紀
左上: 仏陀坐像
玄武岩 東インド パーラ朝 10-11世紀
【この作品は仏教の像で、ヒンドゥー教ではありません。
失礼しました。】
中段左: 踊る少年クリシュナ
ブロンズ 南インド 14ー15世紀
中段中: 音楽の神シヴァ
プロンズ 南インド 11世紀頃
中段右: シヴァとパールヴァティー
粘板岩 東インド 9ー10世紀
下左: アイヤナール
ブロンズ 南インド 14世紀頃
下中: ヴィシュヌ
花崗岩 南インド 12-13世紀
下右: ラクシュミ・
花崗岩 南インド 12-13世紀 -
左上: ヴィシュヌ
砂岩 中インド 12世紀頃
中上:ヴィシュヌとラクシュミー
泥岩 西インド 12世紀頃
右上:ヴィシュヌ
砂岩 中インド 12世紀頃
中段左: スーリヤ
砂岩 中インド 10-11世紀
中段中:スーリヤ
粘板岩 東インド 19世紀
中段右:ブラフマー
片岩 西インド 12 世紀頃
左下:スーリヤ
粘板岩 東インド 11-12世紀
中下:サラスヴァティー
玄武岩 東インド 11-12世紀
下右:ハーリーティー
砂岩 西インド 9-10世紀 -
上左:ガンガーのいる門柱
砂岩 中インド 7-8世紀
中上:ヤクシー
砂岩 西インド 11世紀頃
右上:樹神
砂岩 西インド 11世紀頃
中中央:神々の眷属
砂岩 中インド 10-11世紀
中右:ブラフマー
砂岩 中インド 10-12世紀
下:楽女
粘板岩 西インド 13-15世紀 -
クメール彫刻
左上:菩薩頭部
砂岩 クメール 12-13世紀
右上:ヴィシュヌ
砂岩 クメール 12-13世紀
左下:シヴァ神妃ウマー
砂岩 クメール 12世紀
右下:男性像
砂岩 クメール 9-10世紀 -
左:シヴァ
砂岩 中インド 10-11世紀
右:ヨーギニー
玄武岩 東インド 11-12世紀 -
庭園です。
松岡清次郎氏の自邸の跡地に建設されました。土地の3分の2は庭園です。
燈籠、水盤、つくばい、2羽の鶴も当時のままです。
こちらから眺めるお庭は心地よいです。
この美術館には時々訪れています。
企画展だけでなく、常設展として古代ギリシャ・ローマ彫刻や、古代オリエントの像、ガンダーラ仏像、ヒンドゥ教像などを鑑賞するだけでも満足です。
最後にこの近くでパスタを食べて帰ろうと思ったら、残念ながら貸切になってました。(;^_^A
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