2026/03/15 - 2026/04/15
173位(同エリア619件中)
紅映さん
台東区内を歩いていると、ところどころに「旧町名由来案内<下町まちしるべ>」という看板を目にします。ふと思い立って、その地図を参考に歩いてみると、ちょっとだけ見知らぬ過去の町の姿が見える気がしました。
加齢とともにいろいろあって、自転車はNG。ウォーキングポールを携えての徒歩がやっと。わずかな範囲ですが、写真を撮り歩くのにも日数がかかり、いつの間にか桜が咲いて、雨の日が続いて・・・
気づいたら染井吉野が散ってしまって、今やツツジが盛りの時期となりました。
自己満足の域ではありますが、下町散歩の一助になれば嬉しく思います。
お目通し頂ければ幸いです。
2026.4.24 記
・・・☆紅映☆・・・
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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旧谷中三崎町
慶応4年(1868年)江戸府に所属。
同年7月に東京府となり、更に9月に明治元年と改元。
明治11年(1878)年11月、東京府下谷区に所属。
その後東京府東京市下谷区となる。
昭和18年(1943年)、東京都下谷区谷中三崎町
昭和22年(1947)年、東京都台東区谷中三崎町
昭和42年(1967年1月1日
住居表示の実施により現行の谷中三~五丁目に編入。 -
谷中三崎町の散歩は真島坂に入口のある台東区立「台桜幼稚園」から出発と致します。入園式の頃にはちょうど桜が満開でした。
この幼稚園は谷中小学校の裏手にあります。
ソメイヨシノ バラ科 サクラ属
母をエドヒガン、父を日本固有種のオオシマザクラの雑種とする人為的な交配で生まれた日本産の栽培品種
名前の由来は、幕末のころに、江戸の染井村で植木職人らによって売り出され、全国に広がったことにちなむ。 -
坂を下り切ったところの通りには「谷中三崎町会」の掲示板があります。
住所表示では「谷中三崎町」は無くなりましたが、町会名として残っているのですね。 -
この通りには台東区立の「特別養護老人ホーム谷中」があります。利用者さんの送迎で大きなワンボックスカーが走っているのをよく見かけます。
特養の建物は、この道とへび道との間に建っていて、へび道側にも門があります。
*写真は表側の入り口付近と裏門から見た施設の建物 -
へび道ー1
坂下の通りの更に1本先の道は「へび道」として親しまれている文京区との区境いの道になります。 -
へび道ー2
くねくねとして、見通しが悪い一方通行の道です。 -
へび道は特養の裏門前を過ぎるとややもして都道との交差点に出ます。
へび道を抜けた交差点の文京区側には「藍染川と枇杷橋(合染橋)跡」とう標識が建っています。
「文京と台東の区境の道路はうねうねと蛇行し、現在暗渠となっている藍染川の流路であること。水源は染井の内長池(現在の都営染井霊園の北側の低地)で、西ヶ原、駒込村から根津谷に入って不忍池へ。更に上野の山の三枚橋下(公園入口のところ)で忍川となり、三味線堀から隅田川に注いでいる。この橋は変遷の後に琵琶橋と呼ばれた。
川は、水はけが悪くよく氾濫したので、大正10年(1921)から暗渠工事が始められ現在に至る。」
というようなことが書かれています。 -
へび道と交差する通りは都道で、台東区のコミュニティバスが走っており、ここで曲がって、更に先で曲がって不忍通りに出ます。
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交差点の谷中側の角は「大島屋」というお蕎麦屋さん。
1階が車庫で店舗は2階になります。大島屋 グルメ・レストラン
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蕎麦屋さんの2,3軒先にあるのが乃池というお寿司屋さん。このお寿司屋さんは有名なようで、土日などは行列が出来ています。
近年は出前しないので家で食べたい時は取りに行かないといけなくて・・ -
乃池さんの藤棚にはすでに花がちらほら咲き始めていました!!
乃池 グルメ・レストラン
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乃池の向かい側には銭湯♪
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その並びの履物屋さん、さらにその向こう隣りは交番。
下谷警察署 初音交番
「谷・根・千」地域の根津、千駄木地域に接する谷中西部地区を管轄する交番です。写真を撮るのは遠慮しておきました。 -
そして更にその少し先には有名な江戸千代紙の「いせ辰」谷中本店
江戸末期の1864年に千代紙・おもちゃ絵の版元として神田元岩井町(現岩本町)で創業。千代紙・おもちゃ絵の専門版元として次々作品を作ったそうですが、関東大震災と戦災で多くの版木を消失し、一時期は店舗ももてなかったとか。
その後、美しい千代紙の復刻を続け、伝承版画の技術で、本来の千代紙の姿を今に伝えているとのこと。お近くにいらしたら、是非一度覗いてみて下さい。いせ辰 (谷中本店) 専門店
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江戸千代紙の「いせ辰」さん
インバウンドさんにも人気で、お客さんが絶えずいらっしゃいます。 -
少し上り坂になっている道を更に進むと谷中小学校です。
台東区立谷中小学校
寺町谷中、そして大名時計博物館のある谷中二丁目ということで、このデザインです。(^-^;
曇り空を青くしてみました(笑) -
桜がなんとか入学式まで持ちこたえたようです。
やはり日本の入学式には桜が似合いますよね~♪ -
谷中小学校の角にある町会の掲示板
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こちらも谷中小学校前にある「エリアマップ」
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エリアマップの裏側
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そして住居表示街区案内図
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こんな看板もあります。
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三崎坂の上のほうに目をやると東京スカイツリーが見えます♪
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三崎坂
この坂は登り詰めてから右にカーブして、言問通りに出ます。三崎坂 名所・史跡
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三崎坂の両脇にはお寺さんが並んでいます。
マンションの手前に2軒、先に3軒。その先は旧町名が変わりますが、更にお寺が続きます。因みにこのマンションの場所も以前はお寺だったそうです。
そして、もちろん道路の反対側にもお寺さんが数軒あります。 -
まず、マンション手前の2軒をご紹介すると
1軒目は妙円寺さん。境内が奥まっています。
円住山妙圓寺 日蓮宗
慶長4年(1599)に創建、元禄17年(1704)当地へ移転した。妙円寺 寺・神社・教会
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その次が妙法寺さん。
地形的なことからでしょうか、こちらも境内が奥まっています。
龍江山妙法寺 日蓮宗
神田に創建、のちに谷中茶屋町への移転を経て当地へ移転したという。妙法寺 寺・神社・教会
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上の写真を一部拡大すると、ここからも東京スカイツリーが見えます♪
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更にマンションの向こう隣りは天龍院さんです。
臨済宗妙心寺派 海雲山天龍院
寛永7年に神田に創建、神田寺町を経て、元禄14年(1701)当地へ移転。 -
案内板によると・・・
天龍院に伊東玄朴のお墓(都指定旧跡)があると記されています。
伊東玄朴
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての江戸幕府蘭方医。幕府奥医師まで登りつめた近代医学の祖で、官医界における蘭方の地位を確立した。 -
谷中小学校前に戻って、信号を渡ったところには日蓮宗の大圓寺さんがあります。
江戸時代から明治時代にかけて続いていた団子坂の菊人形が、昭和59年に「菊まつり」としてこのお寺で再現されました。
菊人形の展示、菊小鉢の販売や縁日屋台などで賑わいます。 -
高光山大圓寺
日蓮宗の寺院。創建年代は不詳。
大円院日梗聖人が開基となり創建、上野清水門脇から当地へ移転。大円寺 寺・神社・教会
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大圓寺の境内には笹川臨風の「お仙と春信の顕彰碑」と永井荷風の「笠森阿仙之碑」があります。
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この通りは大圓寺さんの本堂に向かって右側の塀に沿っている道ですが、台東区が定めた「道路愛称名」の一つ「六阿弥陀通り」として公式に登録されている道だそうです。
江戸六阿弥陀は、行基菩薩が一夜の内に一本の木から六体の阿弥陀仏を刻み上げた阿弥陀仏のこと。作成を依頼した長者が六ヶ所に寺を建立、六体の阿弥陀仏を一体ずつ安置し、更に余り木で作った2仏を加えた8阿弥陀を巡礼することが、江戸時代中期に大流行したそうで、その際に通った道だとか。 -
阿弥陀通りを少し先へ進むとお寺があります。
長興山立善寺(りゅうぜんじ)
日蓮宗の寺院。別名「しょうぶ寺」
門前にはバイキンマン。最初はアンパンマンでしたけど、ややもしてバイキンマンに変わりました。
保育園「立華学苑」を併設立善寺 寺・神社・教会
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バイキンマンの後ろには大黒様。
このお寺さんは、かなり以前から保育園を後ろのほうに建て替えたり、境内をならしたり、何やらずっと工事中です。 -
そしてお隣りは防災広場「初音の森」
防災広場には深井戸、マンホールトイレ、かまどベンチ、非常用照明、防火水槽を設置しています。広場は延焼火災防止エリアともなっているようです。
午前中はあちらこちらの保育園や幼稚園の子どもたち、午後の放課後の時間になると小学生たちが遊んでいます。
お休みの日には親子で・・・
ここでは折に触れて防災に関する催しが行われたりします。 -
防災広場「初音の森」前にあるエリアマップ
奥に見えるのは「谷中防災コミュニティセンター」 -
防災広場「初音の森」に隣接している「谷中防災コミュニティセンター」
西部区民事務所谷中分室、谷中区民館、谷中児童館、谷中こどもクラブ、中央図書館谷中分室などがあり、防災機能を備えた複合施設です。
隣接する防災広場「初音の森」との一体的な活用も含め、地域コミュニティや地域防災の拠点となっています。 -
谷中防災コミュニティセンターには上野消防団第7分団本部もあり、小さな消防車が配備されています。
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防災広場の向かい側の路地を下りて、途中の道を左折。
こじんまりとした民家が並ぶ下町らしい路地にきれいな鳥居がありました。
「正一位 福喜稲荷大明神」
細い路地の、両側を建物に挟まれた小さなお稲荷さん。
創建年代やご由緒は不明のようですが、かつてこの地にあったお寺さんの境内とか個人のお屋敷などの屋敷神だったのかもしれません。
江戸から明治にかけて関東一帯でよく見られる屋敷稲荷・町内稲荷の系譜に属する名前だそうで、個人宅や商店、町内が守り神として勧請した稲荷社である可能性が高いとのこと。
谷中ではこうしたお稲荷さんをたまに見かけますが、どれも、それなりに大事にされているようです。ご近所にお世話をなさる方がいらっしゃるのでしょう。きっとご由緒もご存知なのかもしれません。 -
そろそろ「散歩その3」も終盤。
またまた日数がかかってしまいました(^-^;
このところの暖かさで町中花盛り。
白と黄色のモッコウバラが競って咲いていたり・・・ -
モッコウバラとオオムラサキツツジが仲良く咲いていたり。
あちらこちらで春爛漫です。
モッコウバラ(木香茨、木香薔薇)
バラ科 バラ属 中国原産
耐寒性・耐暑性ともに強い -
お稲荷さんから谷中小学校前を通って、横道を入って来ると真島坂の上に出ます。この真島坂を下れば出発地の幼稚園となります♪
いつもながら、のろのろな散歩記となり、この三つ角のお宅の柳もすっかり葉を伸ばしていました。 -
またまた、取り留めのない散歩となりましたが、出発地点の坂上に戻ってきたところで、旧町名「谷中三崎町」のお散歩終了と致します。
いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。
最後までお目通し頂き重ねて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
・・・☆紅映☆・・・
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この旅行記へのコメント (2)
-
- yamayuriさん 2026/05/09 11:06:38
- 谷根千・・・
- 紅映さん、こんにちは。
こんな風情のある街にお住まいなんですね。
周りを散策するだけでも、楽しいですよね。
そして、へび道のような何通りもある道を散策していると、
飽きませんよね。
羨ましいです。
谷根千は憧れなんだけど、まだ行けてないんです。
ゴールデンウィーク最終日に渋谷に行きましたけれど、
最近の渋谷も昔と全く変わってしまって、
東京の変容が凄いなと思いました。
でも、谷根千は昔から変わっていないんですね。
旅行記で紹介していただいて、とてもありがたいです。
yamayuri
- 紅映さん からの返信 2026/05/09 20:58:02
- RE: 谷根千・・・
- yamayuriさん、今晩は♪
いつもご覧頂き、またご丁寧なコメントを頂きありがとうございます。
住んでいるのは、この地域のお隣りというか、高台のほうなので、買い物とか郵便局、お医者さんなど、どこへ行くにも坂を下らなくてはならなくて、時にはへび道を横切ったりします。
50年近く住んでおりますので、それなりに多少は変わりましたけど、特に変わりだしたのはここ十数年でしょうか?
コロナ禍になって、同時に足腰を手術して・・・そんなこんなであまり出なかったせいもあってか、最近ちょこっと歩いただけでも、空き地になってたり、その空き地にいつの間にかマンションが建っていたり・・・
ただ、まだまだ町の雰囲気が変わってしまうほどではないので、インバウンドの方々がよく散策なさっていらっしゃいます。
へび道は、きょうも沢山のインバウンドの方が歩いていました♪
渋谷へは、それこそもう何年も行っていませんが、テレビで見るとかなり大開発したようですね!!
若かりし頃には毎日のように行っていたのですけど・・・
宜しければ折を見てお出かけください。
古き良き時代の雰囲気が、まだ少し残っているようですので・・♪
いつもご訪問頂きありがとうございます。
・・・☆紅映☆・・・
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