2026/01/05 - 2026/02/16
591位(同エリア610件中)
紅映さん
台東区内を歩いていると、ところどころに「旧町名由来案内<下町まちしるべ>」という看板を目にします。ふと思い立って、その地図を参考に歩いてみると、ちょっとだけ見知らぬ過去の町の姿が見える気がしました。
加齢とともに、あちこちにメスが入って、自転車はNG。ウォーキングポールを携えての徒歩がやっとの身ですので、思い立ってすぐにとはいかず・・・わずかな範囲ですが、写真を撮り歩くのにしばし日数がかかりました。思えば1年以上前に思い立ったのですが、しばし手つかず・・・それではと今年になって重い腰を上げたものの遅々として進まず(^-^;
ようやく<その1>をなんとか仕上げました!!
自己満足の域ではありますが、下町散歩の一助にでもなれば嬉しく思います。
お目通し頂ければ幸いです。
2026.2.25 記
・・・☆紅映☆・・・
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
「下町まちしるべ」散歩その1
現在の谷中1丁目、言問通りと文京区との区界にある交差点から出発することに致します。 -
この交差点の台東区側左角には昔ながらのおせんべい屋さんがあります。
昔せんべい大黒屋
厳選されたお米と香り豊かな本醸醤油、炭は紀州備長炭。一枚一枚丁寧に昔ながらの味と伝統を守っているおせんべいです。時間帯によっては、ショーウインドー越しに、その様子を拝見することが出来ます♪ -
おせんべい屋さんの筋向いには古いお寺さんがあります。
楞伽山天眼禅寺 臨済宗妙心寺派
延宝6年(1678)に創建。松平下総守殿二代目忠弘の奥方天眼寺殿慈光性輪尼大姉が当寺開基となり、以後奥平松平家の菩提寺となっているとか。天眼寺 寺・神社・教会
-
言問通りはこの辺りからゆるい上り坂になっていて、「善光寺坂」と呼ばれています。右側の通り沿いも谷中1丁目、旧谷中坂町です。
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最近はどこでも建て替えが頻繁ですが、この辺りの建物でも、知っている限りだいぶ変わりました。
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さて、これが表題にある旧町名由来案内板です。玉林寺山門の脇に設置されています。
「散歩その1」では、この案内板にある緑色の部分を歩いてみます。
下町まちしるべ 旧 谷中坂町
「谷中坂町」とは・・・
江戸期に谷中村の一地域だったところ。
元禄年内に寛永寺領となり、寺と町屋が形成されるにつれ谷中善光寺前町と呼ばれた。
明治2年(1869) 谷中坂町と名付けられた。
明治11年 下谷区に編入。
明治22年 東京市誕生。谷中のほかの地域も下谷区に。
昭和22年(1947) 23区制にともなって台東区となる。
昭和41年(1966) 住居表示制度により12月31日をもって現在の谷中
1丁目と4丁目の一部になった。
*因みに谷中周辺一帯は、同時期に現在の町名に。 -
玉林寺参道入口の左手には「一時集合場所」の標識
区内には、ところどころにこういう看板が立てられています。
町会ごとに、ひとまず集まる場所です。
災害時の避難所と避難場所が書かれています。 -
玉林寺参道の右手には「横綱千代の富士の像」と書かれた大きな石と
境内にある天然記念物のシイについて書かれた表示板があります。 -
望湖山 香華院 玉林寺
1591年(天正19年)、用山元照によって開山された曹洞宗のお寺。
昭和の大横綱千代の富士が眠るお寺として知られます。 -
玉林寺 本堂
本堂の裏は池を配したお庭になっており、以前、お彼岸の頃などに拝見させて頂いたものですが、今はどうでしょうか?玉林寺 寺・神社・教会
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「横綱千代の富士の銅像」
このお寺には昭和の大横綱千代の富士のお墓と銅像があります。千代の富士の生前に、菩提寺でもあった玉林寺に横綱の偉業をたたえ建てられたそうです。銅像の眼差は「富士山」と「お墓」に向けられているとか。
お墓は三女の愛ちゃんを生後4か月足らずで亡くし、愛ちゃんの一周忌に建立されたとか。千代の富士が亡くなる26年も前のことだそうです。
千代の富士
本名 : 秋元貢 (みつぐ) (1955-2016)
昭和最後の大横綱ウルフこと第58代横綱
銅像の横には「千代の富士像建立の碑文」があります。 -
玉林寺境内のみかんの木
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井戸
玉林寺の右手の細い道を敷地に沿って上って行ったところにある個人のお宅「専用」と書かれた井戸です。屋根掛けもしてあって、現役という感じです。
数段の急な階段の上にある二本の木はかなり太くて、相当な樹齢と思われます。この辺りは古くから開発されていたのでしょうね。
この先をくねくねと進むと妙福寺の横に出ますが、この日は、ここまでで帰宅。後日、再度玉林寺の先から言問通りを歩くことに致します。 -
ということで数日後、再び言問通りの善光寺坂です。
これは、住居表示街区案内図。
谷中地区をほぼ網羅しているようです。 -
善光寺坂
言問通りは文京区弥生の本郷弥生交差点から、台東区浅草の言問橋西交差点に至る道路の通称です。根津1丁目の不忍通りとの交差点から谷中方面の一つ目の交差点からゆるい上り坂になります。この坂上の北側に善光寺があったので、そのお寺にちなんでこの名がついたようです。
谷中善光寺は、1601年、浄土宗信州善光寺の別院の尼寺として建立。
1703年(元禄16年)元禄地震による小石川水戸邸を火元とする大火によって焼失し青山に移転したそうです。
そんな昔にあったお寺で、しかもかなり昔に移転してしまったお寺の名前が、今なお地名として遺っているとは、まさに歴史を今に伝える坂です。 -
究竟山妙情寺 日蓮宗
本堂前に設らえた松が目を惹く、こじんまりとしたお寺。 -
向かい側には上野消防署谷中出張所
消防車3台、救急車1台。
消防車が、すぐに出られるようにスタンバっていますね!! -
仏寿山上聖寺 日蓮宗
永6年(1629)湯島大根畠組屋敷に創建、天和3年(1683)当地へ移転。
境内には蜜柑が鈴なりです。 -
大法山一乗寺 日蓮宗
茂原妙光寺(藻原寺)十七世日僚(元和3年1617年寂)が創建。
上総国長柄郡藻原村妙光寺末頭 創建当時の住所は谷中善光寺前町 -
一乗寺/太田錦城のお墓を安置
太田錦城(1765-1825)は江戸時代中期の儒学者。加賀国大聖寺に生まれ、当時の大儒であった皆川淇園、山本北山に折衷派を学んだのち漢代以降の中国の諸説を直接研究し、一家の学を建てた。
文政8年61歳で没。著書に「九経談」「春草堂詩集」「鳳鳴集」など。 -
一乗寺 本堂
良く晴れた別の日に再度伺いました。 -
一乗寺/花手水
コロナ禍以来、本堂前にきれいな花手水(鉢)を飾っていましたが、この度久しぶりに訪ねると、このような飾りつけをしていました。
この日は暖かな日曜日とあって、お参りに訪れる人が後を絶ちません。 -
一乗寺/魚籃(ぎょらん)観音
三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。
令和元年12月から、この魚籃観音様をモチーフとした御朱印・御首題を始めたということでした。
この日は社務所がなにやら賑わっていました。 -
一乗寺の脇は「谷中6丁目信号」がある交差点です。
言問通りは少しカーブしながら、やがて山手線を超えて根岸へと下っていきます。 -
一乗寺から少し戻って、本光寺横の細い路地へと曲がって歩いているとサイレンが聞こえたので、パチリ!!この界隈、文京区側に大きな大学病院が二つあるので、救急車をよく見かけます。
この細い道は町名の境界となっている道です。 -
この道の左側、つまりは谷中坂町側には、またまたお寺さんが並んでいますが、こちらはその中の一軒、間口が狭い小さなお寺です。
顕寿山佛心寺 日蓮宗
寛永6年(1629)浅草に創建、慶安元年(1648)当地へ移転、開山。
参道には椿が植えられていて、いつもきれいに管理されています。
椿の咲く時期に通りかかると、中のほうまで拝見させて頂いています。 -
そして、すぐ隣りの間口の大きな妙泉寺を通り過ぎると、玉林寺脇から井戸の横を通って登ってきた路地と交わります。その角にあるのがこのお寺さんです。
妙福寺
日蓮宗石岡山妙福寺
肥前国加瀬郡加瀬町に妙福寺と号して応永年間(1394-1427)に創建、14世日春上人が慶安年間(1648-1651)に江戸へ上京したのちに建てたお寺だそうです。 -
きれいな色の梅の花が咲いていました。
この日はお天気が良かったので、とてもいい香りがしました。 -
この先の並びの二軒のお寺さん及びヒマラヤスギのある側は旧谷中坂町ではないとのことなので、ヒマラヤスギの下を抜けて、旧地図に従って領玄寺へ向かいます。
-
日長山領玄寺 日蓮宗
旧本山は身延山久遠寺。境内には領玄寺貝塚(縄文時代中期)がある。 -
領玄寺 本堂
梅が奇麗に咲いているようですが、この辺で遥拝です。
春には枝垂れ桜が見事です。 -
「領玄寺貝塚」説明板
縄文中期-後期。一部残存。上野台地の西端に立地。
この辺一帯に小規模な貝塚が点在していた。
ハマグリなどの貝、土器、まが玉、石器などが発見されている。
北方(荒川区)には同時期の延命院貝塚が見られる。
(平成7年3月に台東区によって説明板が設置されました)
貝塚は、今はお寺の墓地になっているそうです。 -
領玄寺さんの敷地内と思われる家の前に咲いていた山茶花と八つ手
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この辺りのお寺さんでは、このような看板が建てられていることがありますので、注意が必要です。
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またまた数日が経った青空の日です♪
向岡山宗善寺(真宗大谷派)
元和5年(1619)湯島に創建。寛永6年(1629)下谷へ。
そして天保10年(1839)当地へ移転した。
境内は高いところにあるので、とても見晴らしが良いです。 -
宗善寺境内
境内では梅の花が咲き始めていました。
来月には辛夷、そして門の横では桜も咲き始めます。 -
宗善寺境内からの見晴らし。
谷向こうの文京区のビルなどを眺める事が出来ます。 -
宗善寺山門を出て左に折れると、すぐに細い下り坂になります。
三浦坂です。
三浦坂(上から)ー1月中旬ー
途中で勾配が急になっているのが分かります。 -
三浦坂(下の方から)
黄葉した柳の葉が青空に映えてきれいです。
この先はお寺さんしかない狭い急坂ですが、見ていると、この坂を登ったり下ったりする人が結構いらっしゃいました。 -
そして再びの三浦坂
二月中旬にもなると柳の葉がすっかり散っていました。 -
三浦坂
かつて、美作国(現岡山県北部)真島郡勝山二万三千石の藩主・三浦家の下屋敷があったことからその名が付きました。細い坂で、中ほどで勾配がガクンと急になるので初めて通る車はちょっとびっくりするようです。 -
三浦坂を下って2本目、かつて藍染川だった区界の道路を左に曲がると数軒先が臨江寺となります。
-
龍興山臨江寺 臨済宗大徳寺派
寛永7年(1630年)下谷池之端に「臨江庵」として創建され、延宝9年(1681年)に現在地に移転、臨江寺と改称。 -
臨江寺の大王松
<大王松>
マツの仲間では世界一長い葉を持つことから「大王」と呼ばれる。
雄大な樹形を観賞するため公園、庭園及び寺社等に植栽される。 -
臨江寺の墓苑には蒲生君平の墓があります。
儒学者として知られる蒲生君平の墓は国指定史跡になっています。
蒲生 君平(がもう くんぺい)
江戸時代後期の儒学者。天皇陵を踏査して『山陵志』を著した尊王論者、海防論者としても知られる。
同時代の仙台藩の林子平や上野国の郷士高山彦九郎と共に「寛政の三奇人」の一人。因みに「奇」は「優れた」という意味だそうです。 -
台東区教育委員会が建てた「蒲生君平墓(国史跡)」の標
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道沿いに右隣りのお寺。
祝融山瑞松院 臨済宗妙心寺派
承応元年(1652)に創建、寛文4年(1661)当地に移転。 -
瑞松院の門前脇に置かれた小さなお地蔵様
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更にその隣りもお寺です。
栄源山本壽寺 日蓮宗
神田寺町に創建、慶安3年(1650)に当地へ移転したという。
このお寺のやや先が最初の歩き出し地点の交差点になります。
ということで、これにて二か月がかりで旧谷中坂町をほぼ一周しました。
この区域は、このほかに言問通りの向こう側も多少含まれていたり、まだまだご紹介していないお寺さんもあったりして、まさに昔から綿々と続く「寺町」といった地域です。
お寺さん毎に、いろいろな歴史を持って今につながっていることを改めて感じた散歩でした。 -
本壽寺
後日、お天気のいいときに通りかかると白梅が見事に咲いていました。 -
以上、旧町名「谷中坂町」の区域図に沿ってぐるっと回った気まぐれな散歩でした。最後までお付き合い頂きありがとうございました。
いつの日か、なるべく早めに(笑)<その2>をお届けしたいと思います。
・・・☆紅映☆・・・
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