2026/02/01 - 2026/03/28
593位(同エリア612件中)
紅映さん
東京の台東区内を歩いていると、ところどころに「旧町名由来案内<下町まちしるべ>」という看板を目にします。ふと思い立って、その地図を参考に歩いてみると、ちょっとだけ見知らぬ過去の町の姿が見える気がしました。
今回はかなり急いだのですが、急に思い立った臨時号を優先しましたので、予定より一週間遅れの《その2》です♪
そうこうしている間に季節が変わって春爛漫になってしまいました~(^-^;
自己満足の域ではありますが、下町散歩の一助になれば嬉しく思います。
お目通し頂ければ幸いです。
2026.3.31 記
・・・☆紅映☆・・・
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
旧町名由来案内板
「散歩その2」はここから出発。看板の緑色の部分を気ままに歩きます。
例によって何日もかけて・・・。お天気が良かったり曇っていたり、写真の写り方がいろいろですがご勘弁ください。
「旧町名由来案内」下町まちしるべは赤字坂下の道路わきにあります。
下町まちしるべ 旧谷中真島町
寺町と呼ばれる谷中にあって、この町は唯一(だと思いますが・・・)お寺は一軒も無く、商店もかなり少ない、おおむね住宅地です。
「旧谷中真島町」とは・・・
江戸時代の末頃に岡山県の勝山藩のちの真島藩の下屋敷があったところ。
藩主は三浦氏。真島は美作国の郡名で、勝山はその真島郡の一地名であったため、慶応年間に藩名を勝山藩から真島藩に変えた。
三浦氏の始祖が、ある時家光の狩りに供奉して猪を射止めた功労により、この地を拝領したと伝えられる。
明治五年(1872) 真島藩下屋敷と周辺の武家地を合併して誕生した。
関東大震災の被害もなく平和で静かな住居地だったが、太平洋戦争によって昭和二十年三月四日大被害を蒙った。
明治30年代
東京で5番目の土地持ちといわれた渡辺銀行の渡辺家により開発され、住宅地として区画分譲された。
1927年(昭和2年) 渡辺銀行は巨富を得たが経済恐慌で破産。
1966年(昭和41年)
住居表示制度により12月31日をもって現在の谷中2丁目となった。
上野台地から藍染川流域の斜面にあたることから坂が多く、まさに3つの坂からなる町といえる。 -
旧町名由来案内板に向かって左へひと角行くと文京区との区界になり住所は根津。
その四つ辻の文京区側の電信柱にはこんな案内があります。
そこから300m行くと「根津神社」左へ100mいくと「へび道」
写真奥はあかじ坂です。 -
「旧町名由来案内」板のほうへ戻ります。
案内板は左手の塀の前に建てられています。
あかじ坂は手前の四つ辻から突き当りまで、登りの一方通行です。 -
あかじ坂
三浦坂から一本西側になる坂で、明治時代に造られた比較的新しい坂。
こちらは登る方向の一方通行ですが、三浦坂よりはかなり道幅が広く、ガードレールもあって歩道が確保されています。
別名、明治(あかじ)坂、赤字坂。明治の末から昭和の初めまで東京渡辺銀行を興した相場師の渡辺治右衛門の屋敷があり、その渡辺治右衛門の俗称「明石屋治右衛門」を略した「明治(あかじ)銀行」に因んだとされます。つい最近、マンションが建ったりして様変わりしてきましたが、分譲工事をした頃の名残り(?)の石垣が両側に残されています。 -
あかじ坂を上りかけた所に観光案内板が設置されています。
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区画した当時(?)の石垣があかじ坂左右に今も現役で残っています。
補修した跡が痛々しいですが・・・ -
あかじ坂中ほどのブティック&陶芸教室
毎年、蝋梅がきれいに咲きます。
このお宅は季節ごとにいろいろな花を咲かせているので、通るたびに楽しませて頂いております♪ -
素心蝋梅
ロウバイ科ロウバイ属に分類される落葉低木
名前の由来は、半透明で花びらが蝋細工のようであるためとする説や、陰暦の12月にあたる朧月(ろうげつ)に咲くためとする説がある。
ロウバイは花の中心部が暗紫色でその周囲が黄色、ソシンロウバイは花全体が黄色という違いがある。 -
ブティックさんなどご近所のクリスマスローズが、3月に入ってから、見事に咲き揃いました。
クリスマスローズ
キンポウゲ科 ヘレボルス属
耐寒性多年草。花びらに見える部分は「ガク片」。
花びらは退化して蜜腺(みつせん)となって雄しべの周囲にひっそりと存在している。 -
山茶花をきれいにお手入れしているお宅があります。
階段上の奥に見える木々は大名時計博物館の庭です。 -
根津スタジオ
山茶花のある階段から根津スタジオの建物の全体を眺める事が出来ます。 -
根津スタジオ
昭和初期に宮大工によって建てられた和風建築の一軒家で敷地は140坪。
最初に住んでいらした方の情報は、ネットでは分かりませんでした。
昨年4月に大規模修繕をしました。テレビドラマや映画の撮影などに使用するようで、たまたま通りがかったときに、私でも知っているような有名な俳優さんを見かけたりします。 -
根津スタジオ
上の写真:門の右手に立派な屋敷稲荷があります。
下左の写真:創建当時の住所(多分)
下右の写真:根津スタジオの向かい側にある「一時集合場所」の看板
災害時の避難場所が書かれています。 -
あかじ坂を登り切って、突き当りを右へ
夏みかんが鈴なりのお宅の筋向いの道を曲がると大名時計博物館です。
曲がり角に案内標識が立っています♪ -
曲がり角にあるのは大名時計博物館の敷地内にあるアパート
十数年前の朝ドラで主人公やその仲間たちの下宿先に使われました。 -
大名時計博物館
大名時計博物館は、陶芸家の上口愚朗氏が生涯にわたり収集した大名時計を展示している博物館です。上口氏は昭和26年(1951)に勝山藩の下谷屋敷跡に「上口和時計保存協会」を設立。氏の没後、二代目上口等氏が昭和49年(1974)本館を設立。江戸時代の大名お抱えの時計師たちが作った櫓時計、台時計、枕時計などが並んでいます。
開館:10:00~16:00
休館:月
休館:7月1日~9月30日
休館:12月25日頃~1月14日頃
かつて、一度だけ拝見したことがあります。
最近こうして覗いてみても門が締まっている感じですが・・・大名時計博物館 美術館・博物館
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もとは勝山藩下屋敷があった場所のようです。
のちの真島藩です。 -
シャリンバイの実がたくさん生っていました♪
シャリンバイ
バラ科シャリンバイ属の常緑低木
潮風や大気汚染に強く、海岸沿いの緑化や公園によく植えられている。
大島紬では、シャリンバイの木を細かく切り、10時間以上煮出した液を染料として用いるそうです。
また実も染料に利用したりジャムにして食べる事も出来るそうです。 -
通りに戻ると突き当りは、<その1>でご紹介した宗善寺。
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宗善寺本殿
2月末のいいお天気の日に伺いました。
白とピンクの梅に加えて辛夷の花がかなり咲き進んでいました。
コブシ
モクレン科モクレン属に属する落葉高木
葉が出る前に他の木々に先駆けて白い花をつける。
モクレンとの分かりやすい違いは
コブシ:花びらが完全に開く
モクレン:花びらが開ききらず上向きに咲く宗善寺 寺・神社・教会
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再び三浦坂(3月中半)
大きな柳の木が芽を吹き出していました。
前回に続いて、町の境目の三浦坂を下ります。 -
こちらは2月下旬
三浦坂を下って2本目の文京区との区境を右へ曲がると沈丁花が良い香りを放っていました。
沈丁花は春のお彼岸頃に咲く花と思っていましたが、早いですネ!!
沈丁花
ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木
中国から日本に渡来して、室町時代にはすでに栽培されていたとか。
クチナシ、キンモクセイとともに日本の三大芳香木の一つ。 -
区境の道路から細い小路を覗くと突き当りにお稲荷さんが見えます。
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大名時計博物館の森を背にした、真島稲荷です。
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真島稲荷神社
三浦坂と赤字坂の中間にある路地の突き当りに鎮座します。後ろの木々の茂みは大名時計博物館の敷地内のものです。
大正初年頃この町に住んでいた人が稲荷大明神のお告げにより勧請。後に戦災に遭い焼失。昭和二十五年に有志で再建して京都伏見稲荷を勧請したとか。
いわゆる屋敷稲荷社だったのでしょうか。
小さなお稲荷さんですが、毎年初午の日に「真島稲荷講初午祭」が斎行されるとかで、今年は折しも雪が舞う中となったようです。 -
「鳥のいるカフェ」
お稲荷さんの見える道路沿いにあります。フクロウや鷹などの猛禽類に触れ合えるそうです♪この辺りには他に小さなレストランと喫茶店、自動車修理工場などがあります。 -
ご近所の梅の花
2月8日、この界隈にちょこっとだけ雪が降りました♪
束の間の雪を楽しみました。 -
そして最初の旧町名由来案内板のあるあかじ坂下へ戻ってきました。
旧町名由来案内板の向かいにはこじんまりとした旅館があります。
澤の屋旅館
1949年開業の老舗旅館。日本随一の外国人宿。
温かいおもてなしの心が行き届いた家族経営の小さな旅館
下町の家族旅館として、これまでに92ヵ国、のべ19万人を超える外国の方が利用されたそうです。澤の屋旅館 宿・ホテル
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そして、出発地点の交差点そばには、塀に囲まれた道祖伸(?)が祀られています。大切にされているようです。
通りがかった人がお参りする姿を見受けることがありますが、詳しいことは分かりません。
道祖神とは・・・
境界の守護
村や集落の境、分かれ道、峠などに祀られている。
外部から侵入する悪霊や疫病、災厄を防ぐ。
古代からの「境界管理」の儀礼が起源とされている。
ということだそうです。 -
その少し先には「台東谷中郵便局」
この通りにはカバン屋、貸し自転車屋、パン屋、雑貨小物(?)屋さんなど数軒の商店があります。 -
この通りは、いつの頃からか「切手通り」と名づけられました。
郵便局があるからでしょうね。 -
切手通り沿いにはびっしりと家が建っていますが、山側の家並の後ろにはかつての石垣が遺されています。
石垣は、ここでもあちこち修繕しているようです。 -
切手通りを先へ進むと道路は右に曲がっていますが、その道路に沿った左側のお宅までが旧谷中真島町です。
切手通りから石垣沿いの細い道を右へ曲がります。
この石垣はあかじ坂と同じ昔からのものですが、この辺りはかなりの高さがあり、石垣のすぐ際まで家が建ち並んでいて、ちょっと心配・・・ -
そのまま石垣沿いに進むと・・・
猫町ギャラリー
陶芸、人形、絵画、版画、写真など、猫をテーマとした作品を展示、販売するギャラリー。
二十数年前にオープン。
谷根千エリアの猫ブームの火付け役となったのだとか。
階段の手すりは猫だらけです。 -
真島坂
石垣沿いの道が少し登り加減になったところで、真島坂に出ます。ここで石垣が折れ曲がります。
真島坂上に向かって左側はほかの町になりますが、谷中小学校の裏手と台桜幼稚園です。 -
2月下旬
谷中小学校の梅が奇麗に咲いていました。 -
真島坂
一方通行ではないのですが、細いこともあり幼稚園もあるからでしょうか、時速20キロ制限です。 -
真島坂を登り切った三叉路。
左が真島坂。右は三崎坂へと出る一方通行の道です。 -
登ってきた方向から真っすぐの道の突き当りは前出の宗善寺となります。
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その道の一本右の通りには、このほど新しくマンションが出来て、徐々に住み始めているといったところです。
この通りには2,3年前と今年とで、新しくマンションがふたつ出来ましたし、左右のところでも盛んに建て替えられていて、戦後に建った家がどんどん無くなっているようです。 -
3月下旬
のんびりしている間に、この通りにも可憐な花が咲き始めました。
トキワマンサク(ピンクの花)
マンサク科トキワマンサク属の常緑小高木
和名は常緑樹で冬でも葉があることに由来。
フッキソウ(白い花)
ツゲ科の常緑小低木
日本(北海道から九州)を含む東アジアに分布
山地の林内に自生。グラウンドカバーとしてよく栽培される。
秋には白く透き通った真珠のような実をつける。 -
更に進むと突き当り右角は、先ほどのあかじ坂の根津スタジオ。左右の大谷石の塀は分譲した頃のものと思われますが、ここと真島坂以外には見かけない気がします。
-
そして再び、あかじ坂。
ここを下れば出発地点となります。 -
以上、旧町名「谷中真島町」の区域図に沿ってぐるっと回った気まぐれな散歩でした。最後までお付き合い頂きありがとうございました。
いつの日か、また<その3>をお届けしたいと思います。
・・・☆紅映☆・・・
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