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2026年。<br /> 今年の一ノ宮参拝の幕開けは、1月28日~30日にかけ、公共交通機関を利用し千葉県の下総国一宮 香取神宮と茨城県の常陸国一宮 鹿島神宮から始まりました。 <br />今回は二泊三日の初日の模様を掲載します。

下総国一宮・常陸国一宮巡拝 DAY1『香取神宮』

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2026/01/28 - 2026/01/30

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kimi shinさん

2026年。
 今年の一ノ宮参拝の幕開けは、1月28日~30日にかけ、公共交通機関を利用し千葉県の下総国一宮 香取神宮と茨城県の常陸国一宮 鹿島神宮から始まりました。 
今回は二泊三日の初日の模様を掲載します。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 2026年。<br /> 今年の一ノ宮参拝の幕開けは、1月28日~30日にかけ、公共交通機関を利用し千葉県の下総国一宮 香取神宮と茨城県の常陸国一宮 鹿島神宮から始まりました。 <br />今回は二泊三日の初日の模様を掲載します。<br />名古屋駅を7時過ぎの のぞみに乗り、東京駅から総武線、成田線で降車駅「香取駅」に向かう。

    2026年。
     今年の一ノ宮参拝の幕開けは、1月28日~30日にかけ、公共交通機関を利用し千葉県の下総国一宮 香取神宮と茨城県の常陸国一宮 鹿島神宮から始まりました。 
    今回は二泊三日の初日の模様を掲載します。
    名古屋駅を7時過ぎの のぞみに乗り、東京駅から総武線、成田線で降車駅「香取駅」に向かう。

  • 香取神社のアクセスは佐原駅が一番便利ですが、一駅先の香取駅で降車しました。<br /> 利根川右岸の田園地帯に包まれた香取町の中心に位置する香取駅。<br />乗車券を箱に入れるだけの無人駅で、想像していた以上に長閑なところでした。

    香取神社のアクセスは佐原駅が一番便利ですが、一駅先の香取駅で降車しました。
     利根川右岸の田園地帯に包まれた香取町の中心に位置する香取駅。
    乗車券を箱に入れるだけの無人駅で、想像していた以上に長閑なところでした。

  • 11:35。<br />駅から利根川堤防へ向かう途中で見かけた風神様(龍田神社)の脇を通り過ぎる。<br />所在地 / 千葉県香取市津宮712

    11:35。
    駅から利根川堤防へ向かう途中で見かけた風神様(龍田神社)の脇を通り過ぎる。
    所在地 / 千葉県香取市津宮712

  • そこから100mほど直進し国道356号線の三叉路を左に進みます。<br /> 幅員の狭い国道沿いは歩道が整備されておらず、大型車が来るとヒヤリとする場面もあり、あまり気持ちの良い道ではない。<br />国道から一本北に入り、集落の中を左方向に歩いた方が怖い思いをしないかもしれない。

    そこから100mほど直進し国道356号線の三叉路を左に進みます。
     幅員の狭い国道沿いは歩道が整備されておらず、大型車が来るとヒヤリとする場面もあり、あまり気持ちの良い道ではない。
    国道から一本北に入り、集落の中を左方向に歩いた方が怖い思いをしないかもしれない。

  • 国道沿いを、500mほど西に向かった先の酒屋のある交差点が最初の目的地「香取神宮一ノ鳥居」。<br /> 右を眺めれば、利根川堤防の先に木造鳥居の笠木と貫だけが頭を出しています。

    国道沿いを、500mほど西に向かった先の酒屋のある交差点が最初の目的地「香取神宮一ノ鳥居」。
     右を眺めれば、利根川堤防の先に木造鳥居の笠木と貫だけが頭を出しています。

  • 堤防に向かう。<br /> 二段になった法面に階段が作られ、小段に与謝野晶子歌碑(左)と常夜燈が立てられています。<br /><br />右の常夜灯は、津宮河岸の常夜燈と呼ばれる。<br /> 香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の三社詣りの講の人々により、往事の利根川を行き交う船の目印、航路の安全を祈願し明和6年(1769)に香取神宮に寄進されたもので、宝珠の先端までの高さは2.8mほどの燈籠です。(香取市指定文化財)。<br />左の歌碑は明治34年に与謝野晶子が当地津宮を訪れ、投宿した宿で「かきつばた 香取の神の津の宮の 宿屋にのぼる 板の仮橋」詠んだ歌が刻まれている。

    堤防に向かう。
     二段になった法面に階段が作られ、小段に与謝野晶子歌碑(左)と常夜燈が立てられています。

    右の常夜灯は、津宮河岸の常夜燈と呼ばれる。
     香取神宮・鹿島神宮・息栖神社の三社詣りの講の人々により、往事の利根川を行き交う船の目印、航路の安全を祈願し明和6年(1769)に香取神宮に寄進されたもので、宝珠の先端までの高さは2.8mほどの燈籠です。(香取市指定文化財)。
    左の歌碑は明治34年に与謝野晶子が当地津宮を訪れ、投宿した宿で「かきつばた 香取の神の津の宮の 宿屋にのぼる 板の仮橋」詠んだ歌が刻まれている。

  • 堤防の天端に立つと、一ノ鳥居(浜鳥居)と利根川の穏やかな流れが広がる。<br /> 往古は鳥居が利根川の水中に建っていたとされ、現在の鳥居は平成14年に再建されたものだという。<br />今では静かな風景が広がっているが、かつては三社詣りの参詣客を乗せた舟がここに着き、表参道として賑わっていたのだろう。<br /><br /> さらに時代を遡れば、香取神宮の祭神・経津主大神は、この津宮浜鳥居河岸から上陸されたと伝えられている。<br />約800年の歴史を持ち、12年に一度行われる香取神宮の「式年神幸祭」では、経津主大神が東国を平定した様子を模し、平安時代さながらの装束をまとった氏子たちが色鮮やかな御座舟でここに乗り付け、香取神宮まで巡行するという。<br /><br />香取神宮へのスタートはここからが始まります。<br /> 神社までは距離にして2.6km・徒歩40分で、神社付近になると緩やかな上りが続きます。<br />所在地 / 千葉県香取市津宮

    堤防の天端に立つと、一ノ鳥居(浜鳥居)と利根川の穏やかな流れが広がる。
     往古は鳥居が利根川の水中に建っていたとされ、現在の鳥居は平成14年に再建されたものだという。
    今では静かな風景が広がっているが、かつては三社詣りの参詣客を乗せた舟がここに着き、表参道として賑わっていたのだろう。

     さらに時代を遡れば、香取神宮の祭神・経津主大神は、この津宮浜鳥居河岸から上陸されたと伝えられている。
    約800年の歴史を持ち、12年に一度行われる香取神宮の「式年神幸祭」では、経津主大神が東国を平定した様子を模し、平安時代さながらの装束をまとった氏子たちが色鮮やかな御座舟でここに乗り付け、香取神宮まで巡行するという。

    香取神宮へのスタートはここからが始まります。
     神社までは距離にして2.6km・徒歩40分で、神社付近になると緩やかな上りが続きます。
    所在地 / 千葉県香取市津宮

  • 鳥居から真っすぐに続く細い道路を300mほど進むと左手に沖宮神社、右手の杜の中に忍男神社 (東の宮)が現れます。<br /> 忍男神社から右に進んだ左手に瞻男神社(西の宮)が鎮座してます。<br />どちらもコピーしたかのような社殿で東と西の繋がりを感じさせるものです。<br /> 東の宮の祭神は伊奘諾命、西の宮の祭神は大己貴命・綿津見命を祀り、香取神宮の境外摂社になります。<br />道路左側の沖宮神社も香取神宮の末社のひとつで、綿津見命をお祀りします。<br /> ここが古来からの参拝道ということです。<br />所在地 / 千葉県香取市津宮560 

    鳥居から真っすぐに続く細い道路を300mほど進むと左手に沖宮神社、右手の杜の中に忍男神社 (東の宮)が現れます。
     忍男神社から右に進んだ左手に瞻男神社(西の宮)が鎮座してます。
    どちらもコピーしたかのような社殿で東と西の繋がりを感じさせるものです。
     東の宮の祭神は伊奘諾命、西の宮の祭神は大己貴命・綿津見命を祀り、香取神宮の境外摂社になります。
    道路左側の沖宮神社も香取神宮の末社のひとつで、綿津見命をお祀りします。
     ここが古来からの参拝道ということです。
    所在地 / 千葉県香取市津宮560 

  • なかなか電車が通らないJR鹿島線・成田線の踏切から北側の東の宮、西ノ宮の杜の眺め。 

    なかなか電車が通らないJR鹿島線・成田線の踏切から北側の東の宮、西ノ宮の杜の眺め。 

  • 踏切から50mほど先に朱色の神橋と石碑が建てられています。<br /> かつては細い流れの根本川が神宮参拝時の禊の場であったという。<br />橋の袂に解説があり、内容は以下。<br /> 「董橋(草履抜橋、じょん抜き橋)<br />根本川に掛かるこの橋は、香取神宮への表参道に掛かり、例幣使の参向時には、ここで身を清めたといわれ、衛兵の見張所もあったことから「董橋」の名がつき、「津宮大橋」とも呼ばれた。<br /> 人々は、この場所で豊富な湧き水の流れに身を清め、衣と草履を履き替えて神宮に向かったことから、「草履抜橋」「じょん抜き橋」と転化されたともいわれる。」

    踏切から50mほど先に朱色の神橋と石碑が建てられています。
     かつては細い流れの根本川が神宮参拝時の禊の場であったという。
    橋の袂に解説があり、内容は以下。
     「董橋(草履抜橋、じょん抜き橋)
    根本川に掛かるこの橋は、香取神宮への表参道に掛かり、例幣使の参向時には、ここで身を清めたといわれ、衛兵の見張所もあったことから「董橋」の名がつき、「津宮大橋」とも呼ばれた。
     人々は、この場所で豊富な湧き水の流れに身を清め、衣と草履を履き替えて神宮に向かったことから、「草履抜橋」「じょん抜き橋」と転化されたともいわれる。」

  • 董橋から約100m先の右側に桝原稲荷神社の鳥居と神道山古墳群の解説が現れます。<br /> 正面の神道山は全体に複数の古墳があるようで、気になる鳥居の桝原稲荷神社も山頂に鎮座するようなのでここは寄らなかった。<br />左の解説の内容は以下のようなもの、<br /> 「神道山の大半は香取神宮の所有地で、昔は、香取神宮が「香取山根本寺」を置き寺領として與え守護させたが、安政年間(1780年頃)に廃寺となった。<br />神道山には、古墳時代5~6世紀に構築された古墳12基があった。<br /> 現在は主墳「前方後円墳」1基、陪塚と呼ばれる円墳が6基残っており、昭和52年に市指定の遺跡となった。なお、山頂には「枡原稲荷」も祭られている。」<br /><br />道は神道山を回り込む様に続き、南側の県道253号線に至ります。

    董橋から約100m先の右側に桝原稲荷神社の鳥居と神道山古墳群の解説が現れます。
     正面の神道山は全体に複数の古墳があるようで、気になる鳥居の桝原稲荷神社も山頂に鎮座するようなのでここは寄らなかった。
    左の解説の内容は以下のようなもの、
     「神道山の大半は香取神宮の所有地で、昔は、香取神宮が「香取山根本寺」を置き寺領として與え守護させたが、安政年間(1780年頃)に廃寺となった。
    神道山には、古墳時代5~6世紀に構築された古墳12基があった。
     現在は主墳「前方後円墳」1基、陪塚と呼ばれる円墳が6基残っており、昭和52年に市指定の遺跡となった。なお、山頂には「枡原稲荷」も祭られている。」

    道は神道山を回り込む様に続き、南側の県道253号線に至ります。

  • 県道を越え、しばらくすると左手の丘陵地に続く道が現れるのでそちらに向かいます。<br /> この道の突き当りが香取神宮奥宮への入口になります。

    県道を越え、しばらくすると左手の丘陵地に続く道が現れるのでそちらに向かいます。
     この道の突き当りが香取神宮奥宮への入口になります。

  • 道の中ほどに忽然と鳥居が現れます。<br /> 大坂の井と呼ばれ、4m四方の泉の中に鳥居が建てられています。<br />かつては清冽な湧き水が湧出していたと思われますが、今はその面影はないようです。<br />大井の井<br />所在地 / 千葉県香取市香取1590

    道の中ほどに忽然と鳥居が現れます。
     大坂の井と呼ばれ、4m四方の泉の中に鳥居が建てられています。
    かつては清冽な湧き水が湧出していたと思われますが、今はその面影はないようです。
    大井の井
    所在地 / 千葉県香取市香取1590

  • 大坂の井の先に大きな樹があり、その下に道祖神が祀られています。<br /> 文字が刻まれていますが全文読み取れなかったが、昭和3年に建立されたもののようです。

    大坂の井の先に大きな樹があり、その下に道祖神が祀られています。
     文字が刻まれていますが全文読み取れなかったが、昭和3年に建立されたもののようです。

  • 12:40奥宮入口に到着。<br /> ここから境内に入ると近道ですが、食事の時間でもあり、ここから右手に下った香取神宮 参拝者第1駐車場方向に向かいます。

    12:40奥宮入口に到着。
     ここから境内に入ると近道ですが、食事の時間でもあり、ここから右手に下った香取神宮 参拝者第1駐車場方向に向かいます。

  • 香取神宮参詣の表玄関といえる、第1駐車場付近の眺め。<br /> 平日にもかかわらず、県道55号線付近の入口には多くの駐車待ちの車列ができていた。<br />遅い初詣客や直近でTV取材もあり、人気の高さが伺える。<br /> お昼はこの県道沿いにある「川口園食堂」でアジフライ定食と決めた。

    香取神宮参詣の表玄関といえる、第1駐車場付近の眺め。
     平日にもかかわらず、県道55号線付近の入口には多くの駐車待ちの車列ができていた。
    遅い初詣客や直近でTV取材もあり、人気の高さが伺える。
     お昼はこの県道沿いにある「川口園食堂」でアジフライ定食と決めた。

  • 店は昭和の食堂の面影が漂う外観で、店内も昭和世代の自分にはとても懐かしいものがある。<br /> 肉厚で大きなアジ二枚が盛られ、今は貴重な御飯が大盛でもないのにこれだけの量盛られている。<br />この量を見てかみさんはすぐに小盛にしてもらったが、それでも普段倍以上の量がある。<br /> 普通盛ですら、普段の倍以上の量があり、サービス精神にあふれている。<br />この揚げたてのアジフライ定食は850円。女性は小盛を勧めます。<br />川口園食堂<br />所在地 / 千葉県香取市香取1353-1

    店は昭和の食堂の面影が漂う外観で、店内も昭和世代の自分にはとても懐かしいものがある。
     肉厚で大きなアジ二枚が盛られ、今は貴重な御飯が大盛でもないのにこれだけの量盛られている。
    この量を見てかみさんはすぐに小盛にしてもらったが、それでも普段倍以上の量がある。
     普通盛ですら、普段の倍以上の量があり、サービス精神にあふれている。
    この揚げたてのアジフライ定食は850円。女性は小盛を勧めます。
    川口園食堂
    所在地 / 千葉県香取市香取1353-1

  • 食後の運動はの広大な香取神宮境内を巡拝します。<br /> その前に右手奥の香取市循環バスのバス停で佐原行の時刻だけは調べておく。<br />平日は本数が少なく、乗り遅れると次の目的地佐原まで2.8km・約40分歩くことになる。

    食後の運動はの広大な香取神宮境内を巡拝します。
     その前に右手奥の香取市循環バスのバス停で佐原行の時刻だけは調べておく。
    平日は本数が少なく、乗り遅れると次の目的地佐原まで2.8km・約40分歩くことになる。

  • この参道には団子やわらび餅の店が連なっており、当日は多くの店が臨時休業。<br /> 唯一開いていた亀甲堂にはTVの影響もあり長い行列ができ、さすがのかみさんもすぐに食べるのを諦めた。<br />タイミングも悪く、観光バスが数台立ち寄ったばかりで、参道は参詣者で溢れていた。

    この参道には団子やわらび餅の店が連なっており、当日は多くの店が臨時休業。
     唯一開いていた亀甲堂にはTVの影響もあり長い行列ができ、さすがのかみさんもすぐに食べるのを諦めた。
    タイミングも悪く、観光バスが数台立ち寄ったばかりで、参道は参詣者で溢れていた。

  • 境内の香取神宮の御由緒と日本書紀に記された香取神宮の解説。<br />『御祭神 経津主大神<br /> 大神は天照大神の御神勅を奉じて国家建設の基を開かれ、国土開拓の大業を果された建国の大功神であります。<br />故に昔から国民の崇敬非常に篤く、国家鎮護、国運開発の神、民業指導の神、武徳の祖神として廣く仰がれて居ります。<br /> 御創祀は神武天皇十八年と傳えられ、現在の社殿は元禄十三年の造営にもとづくものです。<br />明治以降は官幣大社に列せられ、毎年四月十四日の例大祭には宮中より御使が参向される勅祭の神社であります。』<br /><br />「日本書紀と香取神宮」より抜粋。<br /> 『香取神宮の主祭神である 経津主大神は、天照大御神の命を受けて「出雲の国譲り」を成功させ、日本の国づくりの基礎を築いた神様とされています。<br />経津主大神は 日本書紀には登場しますが、古事記には出てきません。<br /> 日本書紀によると、葦原中国(あしはらのなかつくに=地上世界)の平定が何度も失敗したため、高天原の神々は「次に派遣するのは経津主大神がふさわしい」と判断しました。<br />すると、鹿島の神である 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が「経津主大神だけが立派で、私は違うというのか」と強く抗議します。<br /> その結果、経津主大神に武甕槌大神を“副官”としてつけ、二柱を一緒に派遣したと書かれています。<br />一方、古事記では、鹿島の神である 建御雷神(たけみかづちのかみ) に天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を従えて派遣したとされており、日本書紀とは主従関係が逆 になっています。<br />このように、日本書紀と古事記では国譲りの描写に違いがあり、非常に興味深いポイントとなっています。』<br /> こうした差異は、両書が編纂された目的や政治的背景の違いから生まれたもので、日本書紀の方が国家的な史書として信頼性が高いと考えられています。<br />一方で、古事記はより古い伝承の姿を残しているため、神話の原型を知る上では欠かせない資料となっています。

    境内の香取神宮の御由緒と日本書紀に記された香取神宮の解説。
    『御祭神 経津主大神
     大神は天照大神の御神勅を奉じて国家建設の基を開かれ、国土開拓の大業を果された建国の大功神であります。
    故に昔から国民の崇敬非常に篤く、国家鎮護、国運開発の神、民業指導の神、武徳の祖神として廣く仰がれて居ります。
     御創祀は神武天皇十八年と傳えられ、現在の社殿は元禄十三年の造営にもとづくものです。
    明治以降は官幣大社に列せられ、毎年四月十四日の例大祭には宮中より御使が参向される勅祭の神社であります。』

    「日本書紀と香取神宮」より抜粋。
     『香取神宮の主祭神である 経津主大神は、天照大御神の命を受けて「出雲の国譲り」を成功させ、日本の国づくりの基礎を築いた神様とされています。
    経津主大神は 日本書紀には登場しますが、古事記には出てきません。
     日本書紀によると、葦原中国(あしはらのなかつくに=地上世界)の平定が何度も失敗したため、高天原の神々は「次に派遣するのは経津主大神がふさわしい」と判断しました。
    すると、鹿島の神である 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)が「経津主大神だけが立派で、私は違うというのか」と強く抗議します。
     その結果、経津主大神に武甕槌大神を“副官”としてつけ、二柱を一緒に派遣したと書かれています。
    一方、古事記では、鹿島の神である 建御雷神(たけみかづちのかみ) に天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を従えて派遣したとされており、日本書紀とは主従関係が逆 になっています。
    このように、日本書紀と古事記では国譲りの描写に違いがあり、非常に興味深いポイントとなっています。』
     こうした差異は、両書が編纂された目的や政治的背景の違いから生まれたもので、日本書紀の方が国家的な史書として信頼性が高いと考えられています。
    一方で、古事記はより古い伝承の姿を残しているため、神話の原型を知る上では欠かせない資料となっています。

  • 上は香取神宮境内マップで参道の先の総門、楼門、本殿、奥宮の社殿の他に多くの境内社が祀られています。<br /> それら全て回ると想像以上に広く、思いがけず時間を要します。

    上は香取神宮境内マップで参道の先の総門、楼門、本殿、奥宮の社殿の他に多くの境内社が祀られています。
     それら全て回ると想像以上に広く、思いがけず時間を要します。

  • 長い参道の先に現れる石鳥居と総門。<br /> 総門は切妻造の八脚門で正面のみ軒唐破風が施されたもので、<br />大鳥居の脇に大きな一対の狛犬が建立されていますが、広い境内の境内社を含めて狛犬はあまり見かけず、後は楼門の左右の間に安置される木造狛犬くらいのものだろう。<br /> この総門の前が手水舎で、参道は右に向かい楼門に繋がる。

    長い参道の先に現れる石鳥居と総門。
     総門は切妻造の八脚門で正面のみ軒唐破風が施されたもので、
    大鳥居の脇に大きな一対の狛犬が建立されていますが、広い境内の境内社を含めて狛犬はあまり見かけず、後は楼門の左右の間に安置される木造狛犬くらいのものだろう。
     この総門の前が手水舎で、参道は右に向かい楼門に繋がる。

  • 上は楼門、入母屋屋根の朱塗りの門で左右の間に随神が安置されており、元禄13年(1700)の造営。<br /> 下は楼門から拝殿方向の眺めで、主な社殿は5代将軍の綱吉の命により造営されたもので、本殿・楼門は国の重要文化財に指定され現在に至っている。<br />拝殿・幣殿・神饌所は、昭和11年から昭和15年にかけて行われた昭和の大修築を受けたもので本殿と幣殿、拝殿が連なる権現造。

    上は楼門、入母屋屋根の朱塗りの門で左右の間に随神が安置されており、元禄13年(1700)の造営。
     下は楼門から拝殿方向の眺めで、主な社殿は5代将軍の綱吉の命により造営されたもので、本殿・楼門は国の重要文化財に指定され現在に至っている。
    拝殿・幣殿・神饌所は、昭和11年から昭和15年にかけて行われた昭和の大修築を受けたもので本殿と幣殿、拝殿が連なる権現造。

  • 拝殿は入母屋檜皮葺で千鳥破風と唐破風向拝が付くもので、黒漆の落ち着いた色合いに、金の飾り金具や蟇股や斗栱などに施された彩色が上品な美しさを魅せてくれる。

    拝殿は入母屋檜皮葺で千鳥破風と唐破風向拝が付くもので、黒漆の落ち着いた色合いに、金の飾り金具や蟇股や斗栱などに施された彩色が上品な美しさを魅せてくれる。

  • 本殿後方から社殿の眺め。<br /> 透塀の先の本殿は、檜皮葺の三間社流造で9本の鰹木と外削ぎの置き千木が載る<br />混みあう拝殿から本殿裏側に回れば裏詣りができるので、経津主大神に心行くまで参拝できる。<br />御神徳は家内安全や産業指導の御神徳を授かれる。

    本殿後方から社殿の眺め。
     透塀の先の本殿は、檜皮葺の三間社流造で9本の鰹木と外削ぎの置き千木が載る
    混みあう拝殿から本殿裏側に回れば裏詣りができるので、経津主大神に心行くまで参拝できる。
    御神徳は家内安全や産業指導の御神徳を授かれる。

  • 上は祈祷殿。<br /> 楼門の右側に建つ入母屋銅葺屋根の建物で、正面に向拝が付くもので、肘木の細工や彩色が美しい。<br />江戸時代に建てられた「旧拝殿」で、昭和の大修築で造営された黒漆の拝殿に対し、当時の拝殿は朱塗りの建物だったことが分かります、現在は祈祷殿として使われており、千葉県の指定文化財。<br /><br />下は勅使門、総門下の鳥居の右側にあります。<br /> 茅葺屋根の門で、江戸時代中期はこの先に大宮司邸があり、勅使を迎え入れるための門です。<br />大宮司邸は現在はなく、近代建築の神道館に置き換わっています。

    上は祈祷殿。
     楼門の右側に建つ入母屋銅葺屋根の建物で、正面に向拝が付くもので、肘木の細工や彩色が美しい。
    江戸時代に建てられた「旧拝殿」で、昭和の大修築で造営された黒漆の拝殿に対し、当時の拝殿は朱塗りの建物だったことが分かります、現在は祈祷殿として使われており、千葉県の指定文化財。

    下は勅使門、総門下の鳥居の右側にあります。
     茅葺屋根の門で、江戸時代中期はこの先に大宮司邸があり、勅使を迎え入れるための門です。
    大宮司邸は現在はなく、近代建築の神道館に置き換わっています。

  • 上は祈祷殿から弓道場に向かう下り坂の右側に鎮座する璽神社・大山祇神社。<br /> この先にはまだ佐山神社、狐坐山神社など二社ほど祀られているようです。<br />下は授与所から奥に向かった右側に鎮座する六所神社。

    上は祈祷殿から弓道場に向かう下り坂の右側に鎮座する璽神社・大山祇神社。
     この先にはまだ佐山神社、狐坐山神社など二社ほど祀られているようです。
    下は授与所から奥に向かった右側に鎮座する六所神社。

  • 上は押手神社、鎮座地は要石の前にあたり、社の前に一対の狛狐と祭壇には小さな狐が置かれています。<br /> 下が要石。<br />映画でも取り上げられたもので、地震を引き起こす鯰(映画ではミミズ)をこの石が封じ込んでおり、これが外れると鯰が蠢き地震を引き起こす。

    上は押手神社、鎮座地は要石の前にあたり、社の前に一対の狛狐と祭壇には小さな狐が置かれています。
     下が要石。
    映画でも取り上げられたもので、地震を引き起こす鯰(映画ではミミズ)をこの石が封じ込んでおり、これが外れると鯰が蠢き地震を引き起こす。

  • 要石から先に進むと広い空間が現れます、そこに鎮座するのは香取護國神社。<br /> 当地出身の4213柱の英霊が祀られています。

    要石から先に進むと広い空間が現れます、そこに鎮座するのは香取護國神社。
     当地出身の4213柱の英霊が祀られています。

  • 上は匝瑳神社、本殿左後方に鎮座し香取大神の親神を祀る。<br /> 下は諏訪神社、楼門前の古神札納所の脇に鎮座します。<br /><br />境内社はこの他に多数ありますが、今回の掲載ではここまでします。

    上は匝瑳神社、本殿左後方に鎮座し香取大神の親神を祀る。
     下は諏訪神社、楼門前の古神札納所の脇に鎮座します。

    境内社はこの他に多数ありますが、今回の掲載ではここまでします。

  • 奥宮は境内の西側に鎮座し、祭神の経津主大神の荒魂を祀り、社殿は伊勢神宮遷宮時の古材を使用して作られています。<br /> さて、バスの時間も迫ってきたので、奥宮参拝を済ませバス停に向かおう。<br />バス停へは奥宮社頭の右側の奥宮道を下って行けば表参道の朱の鳥居前に出られます。

    奥宮は境内の西側に鎮座し、祭神の経津主大神の荒魂を祀り、社殿は伊勢神宮遷宮時の古材を使用して作られています。
     さて、バスの時間も迫ってきたので、奥宮参拝を済ませバス停に向かおう。
    バス停へは奥宮社頭の右側の奥宮道を下って行けば表参道の朱の鳥居前に出られます。

  • 下総国一宮 香取神宮<br />祭神 / 経津主大神<br />創建 / 神武天皇十八年(BC643)<br />所在地 / 千葉県香取市香取1697

    下総国一宮 香取神宮
    祭神 / 経津主大神
    創建 / 神武天皇十八年(BC643)
    所在地 / 千葉県香取市香取1697

  • 15:25佐原行きのバスに乗り、香取神宮を後にして佐原の忠敬橋を目指す。

    15:25佐原行きのバスに乗り、香取神宮を後にして佐原の忠敬橋を目指す。

  • 15:40佐原に到着、バス停近くの「さわら十三里屋」に寄るも、かみさんが食べたかったものは売り切れで、やむなく小野川沿いの町並みを散策する。<br /> 上は伊能忠敬の生家と樋橋。<br />下は共栄橋から中橋方向の街並みの眺め。

    15:40佐原に到着、バス停近くの「さわら十三里屋」に寄るも、かみさんが食べたかったものは売り切れで、やむなく小野川沿いの町並みを散策する。
     上は伊能忠敬の生家と樋橋。
    下は共栄橋から中橋方向の街並みの眺め。

  • この時期は柳の葉も落ち、水の透明度も良くないのかイメージとは少しかけ離れていた。<br /> 食べ歩きの目標もなくなり、少し早いが初日の宿に向かう。

    この時期は柳の葉も落ち、水の透明度も良くないのかイメージとは少しかけ離れていた。
     食べ歩きの目標もなくなり、少し早いが初日の宿に向かう。

  • ホテルルートイン香取佐原駅前<br /> 佐原駅のすぐ隣に位置するので、電車で移動するには好立地。<br />ただ、周辺にコンビニがないので、持ち込み品は早めに途中のコンビニで買っておく必要がある。<br /> 値段の割には大浴場もあり、部屋やベットも広く快適な宿でした。<br />所在地 / 千葉県香取市イ92-6

    ホテルルートイン香取佐原駅前
     佐原駅のすぐ隣に位置するので、電車で移動するには好立地。
    ただ、周辺にコンビニがないので、持ち込み品は早めに途中のコンビニで買っておく必要がある。
     値段の割には大浴場もあり、部屋やベットも広く快適な宿でした。
    所在地 / 千葉県香取市イ92-6

  • 夕食は駅前の魚八十食堂へ。<br /> こちらも昭和の風情漂う食堂で、値段の割に美味しいお店。

    夕食は駅前の魚八十食堂へ。
     こちらも昭和の風情漂う食堂で、値段の割に美味しいお店。

  • 二人でビール二杯と地酒を頼み、学生時代が懐かしいハムカツや家庭の味を思い出す唐揚げの他、刺し盛だのサツマイモサラダや甘辛ごぼうなど食べても4000円でお釣りがきた。<br /> 下手な居酒屋より安く地元に根付いた食堂です。<br />魚八十食堂<br />所在地 / 千葉県香取市イ81<br /><br />この後、山崎屋酒店で店主のお勧めの地酒を買い求めホテルに帰り二次会。<br /> この酒屋は、種類も豊富で、店主の説明や対応も心地よく、買ってよかったと思わせる店だった。<br />山崎屋酒店<br /><br />所在地 / 千葉県香取市佐原

    二人でビール二杯と地酒を頼み、学生時代が懐かしいハムカツや家庭の味を思い出す唐揚げの他、刺し盛だのサツマイモサラダや甘辛ごぼうなど食べても4000円でお釣りがきた。
     下手な居酒屋より安く地元に根付いた食堂です。
    魚八十食堂
    所在地 / 千葉県香取市イ81

    この後、山崎屋酒店で店主のお勧めの地酒を買い求めホテルに帰り二次会。
     この酒屋は、種類も豊富で、店主の説明や対応も心地よく、買ってよかったと思わせる店だった。
    山崎屋酒店

    所在地 / 千葉県香取市佐原

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