2025/09/22 - 2025/09/22
591位(同エリア2536件中)
こまたびさん
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旅の2日目はベルリンです。
現地ガイドのHさんにベルナウアー通りのベルリンの壁をメインに案内していただいた後、一人でブランデンブルク門やポツダム広場、テロのトポグラフィーはじめ各スポットを巡り、ベルリンという街がたどった歴史に思いを馳せました。
【 旅程 】
9月20日(土)関西国際空港から出国
9月21日(日)ベルリン・ブランデンブルク空港着(ヘルシンキ乗り継ぎ)
ポツダム観光
9月22日(月)★ベルリン観光
9月23日(火)ベルリン観光
9月24日(水)ベルリンからクラクフへ移動(鉄道)
クラクフ観光
9月25日(木)クラクフ観光
アウシュビッツ訪問
9月26日(金)クラクフ・バリツェ空港出発(ヘルシンキ乗り継ぎ)
9月27日(土)関西国際空港着、帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて、この日午前はガイドツアーを予約しました。
ホテルが連泊できなかったため、まずは2件目のホテルへ向かいます。ツアーガイドさんとは2件目のホテルのロビーで落ち合う予定。
因みにこの日は前日の夏日と打って変わって気温が18度の曇り空。結構肌寒く、もしかして暑いかもと思っていたジャケットを羽織ってちょうどいいくらいでした。
連日30度近い日が続いている日本とは全然違うなと実感させられます。
画像は、ホテルを出て地下鉄の駅へ向かう途中にあるカイザーヴィルヘルム記念教会。ヴィルヘルム皇帝記念教会 寺院・教会
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昨日も見ましたが、第二次世界大戦で英国空軍の爆撃で破壊され破損したままの尖塔のみが残るこの姿、朝の人のいない中で見るといっそう胸に迫るものがありました。
ここを含め、クアフュルステンダム界隈もゆっくり散策したかったのですが、今回は残念ながら無理そう。 -
教会の壁面にあるレリーフ。そのデザインといい比較的新しいもののようです。
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そうそう、クアフュルステンダムには無印良品がありました。けっこう馴染んでいる(笑)。
この近くにはユニクロもあるようです。
さて、地下鉄(U-Bahn)の動物園前駅から、次のホテルの最寄りのStadtmitte駅へ向かいます。
ベルリンのU-Bahnは治安が良くない的な情報もあり若干ビビっていたんですが、全然そんなこともなく。というか早い時間でしたので人もあまりおらずのんびり乗れました。 -
15分ほどでStadtmitte駅に着きました。
駅を出てすぐに見えたのは、ジャンダルマンマルクトにあるドイツ教会のドーム。
まずはホテルへ行き、荷物を預かってもらいました。しどろもどろの英語でも通じたことに感動。 -
集合までまだ時間があったので朝のベルリンをぶらぶら。
ホテルからわりと近い場所にあったのは、チェックポイントチャーリー。チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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ここは、ベルリンが東西に分かれていたころの国境検問跡地。
検問跡後ろの、元西側のエリアにあるマクドナルドが時代の変遷を感じさせますね。
ガイドツアー開始の時間が近くなってきたのでホテルのロビーに戻ります。
現地ガイドのHさんは、日本への留学経験もあるとても気さくな方でした。
Hさんとともに、まずはベルナウナー通りにあるベルリンの壁記念センターへ向かいます。
U-Bahn の Stadtmitte 駅から Friedrichstraße 駅へ向かい S-Bahn に乗り換え、Nordbahnhof 駅へ。
乗り換えで降りた Friedrichstraße 駅はかつて東西の国境検問所だった駅であり、向かった Nordbahnhof 駅は施冷戦時代の「幽霊駅」(東ドイツ領内を通る西ベルリンの鉄道が閉鎖・通過した東側の駅)だったとのこと。
冷戦時代のベルリンの鉄道について考えたことがなかったので、そういう駅が存在していたことを初めて知りました。Hさんから説明がなければ気が付かなかったです。 -
さて、そもそもこの旅のきっかけは、クラウス・コルドンの小説「ベルリン三部作」にはまりその舞台を実際に見てみたいと思ったことでした。
■クラウス・コルドンの小説「ベルリン三部作」
https://www.iwanami.co.jp/book/b528583.html
この小説はベルリンに暮らすゲープハルト一家を軸に1918年、1933年、1945年それぞれの時代が描かれ、一家が暮らしていた家がアッカー通りにあるという設定です。
そこは戦後、ベルリンの壁によって分断さた場所でもありました。
現在、アッカー通りと交差するベルナウナー通りはベルリンの壁記念センターの屋外施設となってベルリンの壁が保存されており、ベルリンの壁について知ることのできる場となっています。
このことを知り、小説の舞台だけでなくベルリンの壁も見なくてはと思い、まずここを訪れました。
Nordbahnhof 駅を出るとすぐに屋外施設の公園が姿を現します。
残念ながらこの日は月曜日でベルリンの壁記念センター自体は休館で見ることができなかったのですが、ベルナウアー通りに残るベルリンの壁をはじめとした遺構だけでも十分見る価値はあります。ベルリンの壁記念センター 博物館・美術館・ギャラリー
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足もとに眼をやると、かつてベルリンの壁があったことを示すしるしが。
これ、ベルリンの壁の跡に沿ってずっと続いているようです。 -
公園内にはベルリンの壁、そして壁ができたことでこの地域がどう変化したのかについての説明があります。
ベルナウアー通りのこの辺りはもともと墓地だったのですが、ベルリンの壁が建設される1960年代半ば以降に再整備され墓地の痕跡は消えてしまいます。 -
公園に面した建物の壁にも、当時の様子を伝える写真が。
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ベルナウアー通り沿いに残るベルリンの壁。
かつてはこの壁からベルナウアー通り側が西ベルリンで壁の向こうは緩衝地帯を経てもう一枚壁があり、そこを越えると東ベルリンでした。そう、ベルリンの壁って一枚ではないのです。
今は公園となっている緑地帯が、かつての緩衝地帯。けっこう広いです。
歩いていると、壁の補修作業をしている人たちがいました。定期的に補修しないと劣化が進んで崩壊してしまうとのことでした。
こういう人たちがいるから、ベルリンの壁が今に至るまで残っているんですね。 -
かつての緩衝地帯だった公園には、東ベルリンから西ベルリンへ脱出しようとして犠牲になった人々の追悼碑があります。
この横には犠牲者ひとりひとりの写真がその名前と生年月日とともに展示されており、その数は136名になるそうです。生年月日を見ていると、犠牲になったのは若い人が多かったようです。 -
こちらはベルリンの壁ができる前にこの地にあった墓地の壁。
別のエリアにも一部残っています。 -
緩衝地帯に残る監視塔。
手前は東ベルリン側の壁です。
この監視塔が立つ緩衝地帯エリアは昔と同様に立ち入ることができません。
ベルリンの壁といえばイーストサイドギャラリーが有名ですが、ここは当時の雰囲気がよく残った状態で保存されている印象です。 -
ベルリンの壁分断による犠牲者を追悼する碑が、緩衝地帯を塞ぐ壁に刻まれていました。
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アッカー通り沿いに建つ建物。こちらの壁にも当時の写真が。
このすぐ先に、小説ベルリン3部作の主人公たちが暮らすエリアがあるのですが、ますばベルリンの壁の見学を優先します。 -
アッカー通りを示すプレート。
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緩衝地帯にある和解教会についての説明。
この教会は緩衝地帯に建っていたため、1985年に解体されてしまいます。 -
解体される教会。左下の尖塔が崩れ落ちるさまが痛々しい。
壁の崩壊後、跡地には近代的な姿の教会が再建されています。 -
彫刻家ヴァスコンテロスによる「和解」。
この彫刻の複製は広島の平和記念資料館にもあるそうです。 -
東ベルリンから西ベルリンへの脱出には、トンネルも掘られました。
これは、脱出トンネルの場所を示すもの。 -
公園沿いの建物には脱出トンネルを使って西側に逃れた人々のパネルも展示されています。
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こちらも脱出トンネルの様子を伝えるパネル。
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東ドイツの人民警察機動隊が西に逃れる瞬間をとらえた有名な「ジャンプ」。
この写真が撮られたのは1961年。東西間にはまだ壁はなく人々は比較的自由に行き来できたのですが、その結果東側から西側へ逃れる人の数が増加。これを重く見た東ドイツ政府は、たった2日で有刺鉄線を張り巡らせ、越境を阻みます。
やがて有刺鉄線にかわって壁が築かれるのです。 -
住んでいる場所のすぐそこに突然国境が引かれ、物理的にも壁が立ちはだかり、昨日まで行けた場所に行けなくなったり隣人だった人々と行き来できなくなるなんて想像もつかないです。
家族が分断されてしまうことも多くあったでしょう。
案内してくださったガイドのHさんは、ご自身がベルリンの壁崩壊直前の時期に東ベルリンから西ベルリンへ亡命された経験を持つ方で、ベルリンの壁についてはもちろん当時のことも教えてくださいました。
彼女が西ベルリンへ亡命したのは壁崩壊の数ヶ月前で、その頃はまだ崩壊するとは思ってなかったし、周りの人も同じだったとか。
その中で家族を残して西側ベルリンへ向かったため、もう会えないかもと思っていたとのこと。
恥ずかしながら私はこの旅に出るまでベルリンの壁についてほとんど知りませんでした。
分断の時代を直接知る人の案内で訪れることができたことで、ベルリンの壁について、そして分断されていた時代についてもっと知りたいと思いました。 -
ベルナウアー通りを後にして、次の目的地へ向かいます。
画像は道中で見かけたモダンなビル。 -
ヴァット通りを北上すること約10分、目的の場所が見えてきました。
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巨大な赤レンガ造りにアーチの窓が映える。
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ここはどこかといいますと、かつてドイツの大手電機メーカーAEG社の工場だった建物。
小説「ベルリン3部作」の第二部「1933 壁を背にして」の主人公ハンスがここに務めているという設定でした。 -
小説の中に出てくるこの工場の描写がとにかく巨大で(その敷地はフツシテン通りからブルネン通りまで広がっています)、そんなに大きいのならもしかして今でも残っているのでは? と思いグーグルマップで探してみたところ「AEG」のアルファベットの残るこの建物が出てきて感激、これは現地で見てみたいと思ったのがこの旅のほんとうのきっかけです。
そして本当に来ちゃいました(笑)。
Hさん曰く、そんな目的でベルリンに来る日本人を案内したのは初めてとのことで、面白い人ですね言われました(笑)。 -
小説にあった通りとても巨大です。
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AEG社はユダヤ人実業家のエミール・ラーテナウが創業した企業です。ヴァイマール期の著名な政治家ヴァルター・ラーテナウはその息子。
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北西の入り口から敷地の中に入ることができました。
敷地内は自由に歩けるようです。 -
北西の入り口から敷地内に向かってレールが伸びています。
工場が稼働していた頃に使われていたものでしょうか。 -
敷地内の建物には工科大学やさまざまな企業のオフィスが入っているようです。
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北西から敷地内に入ってまっすぐ先に見えるのは、元組立工場だった巨大なホール。外観を見ていた時に「AEG」のアルファベットが入った印象的な壁がありましたが、その反対側です。
この建物は建築家ペーター・ベーレンスの設計で1912何に建てられたもので、現在ではペーター・ベーレンス・ホールと呼ばれています。
大きなガラス窓から中の様子がうっすらと見えますね。天井がガラス張りなのか明るいです。
ティーアガルテンの北のモアビット地区にも同じくベーレンスによる似た雰囲気の元AEGの工場の建物が残っており、そちらの方が有名なようです。 -
ホールの傍にはベルリンのシンボル・ベルリンベアも姿も。
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ペーター・ベーレンス・ホールの横側。奥行きがかなりあります。
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ペーター・ベーレンス・ホールについての説明のパネル。
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こちらのパネルでは、組立工場だった頃のペーター・ベーレンス・ホールの様子です。
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こちらはペーター・ベーレンス・ホールの建設当時の様子。
この建物はまさにドイツの近代産業建築の象徴です。 -
敷地の中はとても広く、ペーター・ベーレンス・ホールの他にも沢山の煉瓦の建物があります。
こちらはホールの斜め向かいにある建物。こちらも元工場でしょうか。二棟続きになっています。 -
今回は北西の入り口付近をメインに見学しました。反対側の入り口には、小説にも出てきたAEG社のゲートもあるんですが、今回は見てません。
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AEG工場跡を後にして、小説ベルリン三部作の主人公たちが住んでいたアッカー通37番地へ向かいます。
アッカー通りに出ると教会がありました。 -
教会の向かいには古い赤レンガの建物。
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ここは現在は学校のようです。
ちょっとだけ敷地の中に入ります。 -
入ってすぐの壁には銃弾の跡のようなものがありました。
第二次世界大戦時のものでしょうか。 -
敷地内にも重厚なレンガ造りの建物が広がります。
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内側から見た入口。ガラスの飾りがかわいいですね。
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建物の正面には先ほどの教会。すてきなロケーションです。
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移動中に見つけた、アッカー通り沿いの建物にあった慈善活動に携わったジャーナリスト、リービヒの功績を伝えるプレート。
現在は閑静な住宅街といった雰囲気ですが、アッカー通りはかつては貧しい労働者たちが暮らす場でした。
その様子は小説「ベルリン三部作」にも描かれています。 -
こちらは足元で見つけた東西分断時代に西側への脱出を試みて命を落とした人がかつて暮らしてた場所の通りに埋められたプレート。
ホロコースト犠牲者の元所在地を示すつまづきの石のことは知っていたんですが、ベルリンの壁時代についてもこうしたものがあるのは知りませんでした。
ベルリンにはこれまでに起こった悲劇を今に伝えるものが多くあることに驚きます。そこからは、こうした歴史を絶対に忘れない、忘れさせないという強い意志を感じました。 -
アッカー通り37番地に着きました。
小説では、ゲープバルト一家の暮らすアパートはここにある設定ですが、実際のアッカー通り37番地は墓地です。
墓地なのでこの場所そのものに小説の名残を見つけることはできないですが、小説のであるAEG工場跡付近からこの場所までを歩けただけでも感激でした。
第二次世界大戦から東西冷戦の分断の時代を経て、小説に出てきたアッカー通りの雰囲気はもうあまり残っていないのでしょうが、それゆえに時代の変遷を感じます。 -
ちなみにこの墓地は先ほど見たベルナウアー通りにあったベルリンの壁建設時になくなってしまった墓地と隣接した場所にあるので、おそらく同一の墓地だったと思われます。
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アッカー通りを示す道標。
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アッカー通りとインヴァリーデン通りが交差する角にあるポプラ公園。
ここも小説「ベルリン3部作」に出てきた場所です。
小さいながらも手入れの行き届いた美しい公園でした。 -
この後はイーストサイドギャラリーへ向かう予定でしたが、時間が足りないので予定を変更。
ガイドのHさんと地元のスーパーでお買い物です。円安の中の節約旅なので、地元のスーパーは強い味方です!
インヴァーリーデン通りにある時代を感じる建物「アッカーホール」の中に、大手スーパーのREWEが入っていてびっくり。
ドイツのスーパーでの買い物を教えてもらいつつ、日本を発ってから不足していたビタミン補給のための野菜と、Hさんおすすめの果物エリアをじっくり散策。果物、日本にはないものがちらほらあり楽しかったです。ちなみに「BIO」とある商品がオーガニック商品で体にいいとのこと。
それから、豊富にあるパンを数個選んで購入しました。
その後、マーケットの前にあった乗り場からトラムに乗り、 Friedrichstraße 駅へ。トラムでの移動は街の景色を眺められるのでおすすめ。途中、有名なレビュー劇場・フリードリヒシュタット・パラストの建物を見ることもできました。
Friedrichstraße 駅でHさんとはお別れ。現地の人の案内は完全な一人旅では分からなかったり気が付かなかったりすることを補完していただいて、よりベルリンという街を理解することができました。と同時に、ベルリンをもっと知りたくなりましたね。とても感謝しています。 -
Hさんと別れてからは一人でベルリン散策です。
フリードリヒ通りからウンターデンリンデンを進んで、まず目指したのはここ、ブランデンブルク門。
さすがベルリンを象徴する建造物、観光客が多い。ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門はベルリンの市門のひとつで、現在のものはフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の時代、1791年に完成。ベルリンの市門で現在まで残っているのはここだけとか。
そしてフリードリヒ・ヴィルヘルム2世はフリードリヒ大王の甥なので、大王の時代のブランデンブルク門はこの門ではなくて、もうひとつ前のものだったんですね。 -
高さ26m、幅65.5mあるだけあってとにかく大きい。
間近で見上げた時、東大寺の南大門の倍はあるんじゃないかと思ってしまいましたが(関西人なものですいません)、後で調べたら南大門の高さは25.46mとのこと。大差ないんかいと突っ込みつつ、えらく大きい見えたのは柱が上まで突き抜けているからですかね。
そして日本の国宝も世界クラスの大きさを誇っているのかと思うと、ちょっと嬉しいですね(笑)。 -
反対側から見るとこんな感じ。
見上げるとほんとうに大きいですねー。 -
門を抜けた先には、絶賛工事中ですが、かつてのプロイセン王家ホーエンツォレルン家の狩場だったティーアガルデンが広がります。
遠くにヴィム・ヴェンダースの映画「ベルリン、天使の詩」で有名なジーゲスゾイレ(戦勝記念柱)も見えますね。
かつてはこのブランデンブルク門の裏側にベルリンの壁がありました。ちょうどこの写真の工場用バリケードのあるあたりじゃないでしょうか。
ブランデンブルク門は東ベルリン側にあり、西側の人々は行くことのできない場所だったんですね。
ベルリンの壁崩壊で必ず出てくるのもブランデンブルク門ですし、実際にまずここの壁が取り壊されたそうで、やっぱりベルリンの人々にとってここは特別な場所なんだなと。 -
ブランデンブルク門のすぐ側には、2005何に完成した「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」があります。
広場に並ぶ高さがばらばらの立方体の石に沿って歩いていくと…虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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気が付いたら石の高さが背を越えるほどに。
遠くから眺めると分からないのですが、地面が中央に向かって窪んでいて、奥に行くほど石の高さが出てる造りになっています。
で、この石が高くなればなるほど圧迫感がひどい。ここから出られなくなるんじゃないかと錯覚するほど。 -
抜けて外に出てもう一度石を見ると、奥の様子はまるで分からない。眺めに何とはなしの不穏さを感じさせる点といい、これはホロコーストそのものを表しているんだと思いました。
奥の石の圧迫感や出られない感覚は、同時迫害されたユダヤ人が感じたもの、でも外から見るとなんか変だけど奥の様子までは分からない感じは、同時の一般の人々が覚えたものではなかったでしょうか。
この地下には情報センターがありますが、この日は月曜日で休館のため見ることはできませんでした。 -
エーベルト通りを南下して、次に向かったのはポツダム広場。
ポツダム広場は戦前はベルリン屈指の繁華街でした。
小説「ベルリン三部作」をはじめ多くの文学作品などにかつての様子が登場します。
けれども第二次世界大戦で空襲を受け、更に戦後はベルリンの壁で分断されてしまい一時は何もない荒れ地でした。その様子は、1987年の映画「ベルリン・天使の詩」でも見ることができます。
あの映画に映るポツダム広場は、今のポツダム広場からは想像もできないもので、映画の登場人物のように過去の姿を知っている人には受け入れられない光景だったんじゃないでしょうか。
現在の再開発されたポツダム広場を前にそう思いました。
ここにもベルリンの壁が一部残されています。ポツダム広場 広場・公園
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ポツダム広場に残るベルリンの壁。
ここは壁をそのまま残すのではなく、壁と壁の間に東西分断時代のベルリンについての説明板があり、当時について知ることができます。 -
こちらは、ポツダム広場とテロのトポグラフィーがあるニーダーキルヒナー通りについて説明されています。
左上の何もないポツダム広場が痛々しい… -
こちらはイーストサイドギャラリーとチェックポイントチャーリー。
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こちらは国会議事堂とブランデンブルク門について。
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壁の下にあった錠前の束。
どんな意味が込められているのでしょうか。 -
少し離れたところに残るベルリンの壁の一部。
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側にはベルリンの壁があったことを示すプレートも。
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ポツダム広場を後にして、シュトレーゼマン通りを進み、ベルリンの歴史的な建物が多くあるニーダーキルヒナー通りへ。
この建物はベルリン下院議事堂。帝政時代にはプロイセン州下院議事堂だった建物です。 -
向かいにはマルティン・グロピウス・バウという美術館。
企画展をやっているようですね。
建物前にある彫刻は、第二次世界大戦時に被害を受けたものでしょうか。豪華な建物との対比が凄まじくて驚きました。マルティン グロピウス バウ 博物館・美術館・ギャラリー
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レリーフの細部まで美しい建物でした。
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その横にはテロのトポグラフィー。
ここは、もともとはナチス・ドイツのSSとゲシュタポの本部が置かれていた場所。
ここも第二次世界大戦の空襲で破壊され、その跡地にナチス・ドイツによる恐怖政治について解説したテロのトポグラフィーが建てられています。
無料で見ることができる、ベルリンを訪れたなら必見の場所です。テロのトポグラフィー 博物館・美術館・ギャラリー
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テロのトポグラフィーには展示施設と屋外展示があります。
屋外展示は、かつてナチスに対抗した人々が拷問を受けた地下牢の壁の跡に沿ってあります。
画像のレンガの壁は地下牢の跡。 -
屋外展示だけでもかなりの情報量で、今回は施設内の見学は見送りました。
無料でこれだけのものを解放していることに、現在のドイツのナチズムへの深い反省とこれを決して忘れないという強い思いを感じます。 -
元地下牢沿いのニーダーキルヒナー通りには、ベルリンの壁が残ります。
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約200mにわたって残る壁は、イーストサイドギャラリーに次いで長いものではないでしょうか。
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テロのトポグラフィーを出てすぐのニーダーキルヒナー通りとヴィルヘルム通りの交差点には、向かいにナチス・ドイツ時代にゲーリング率いる航空省だった建物が。
どっしり威圧感のある造りです。
現在は連邦財務省が入っています。 -
交差点の向こうには気球が。
これでベルリンの街を遊覧できるようです。
このまま真っ直ぐ行くと朝に見たチェックポイントチャーリーに辿り着くのですが、そっちに向かう前にもう一つ訪れたい場所が。
ヴィルヘルム通りを南下してアンハルター通りを曲がり、シュトレーゼマン通りまで行くとそれは見えてきます。遊覧気球 ヴェルト バルーン アクティビティ・乗り物体験
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向かったのはかつてのアンハルター駅の跡。
左奥のベンチが何故か破壊されている…Anhalter Bahnhof 史跡・遺跡
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アンハルター駅は、かつてはウィーンやプラハなどからの列車が乗り入れるベルリンの南の玄関口として栄えた壮麗な駅でした。
ナチスの時代にはベルリンのユダヤ人を強制収容所へ移送する出発地ともなりました。行先はほとんどがナチス占領下のチェコスロバキアのテレージエンシュタット。そこからアウシュヴィッツなど更に東の絶滅収容所へ移送された人も多くいたでしょう。 -
ベルリン随一とも言われた1880年完成の壮麗な駅舎は、1943年11月の連合軍による空襲で打撃を受け、更に戦後はこのすぐそばにベルリンの壁ができてしまい(アンハルター駅は西ベルリン側)、駅としての重要性を失い1952年に廃止。ファザードの一部を遺して爆破・解体されました。なんともベルリンの辿った歴史を体現する場所です。
なお、地下鉄U-Bahnのアンハルター駅は今も健在です。 -
よく見ると柱には銃弾の跡が。
-
こちらにもあります。
この駅について知ったのはやはり小説「ベルリン三部作」でしたが、戦前のベルリンについて書かれたものを読むと大抵登場するんですよね。かつてはベルリン随一のターミナル駅だったこの駅について調べてみて、現在は廃駅となりファザード部分を残すのみと知り衝撃を受けました。
この向こうにあるドイツ技術博物館には、ファザード中央の時計の左右に飾られていた「昼と夜」の彫像のオリジナルも展示されているようなので、いつか訪れたいです。 -
アンハルター駅跡をあとにして、本日の宿に向かいます。
先ほど正面を見たマルティン・グロピウス・バウの裏側からニーダーキルヒナー通りへ。
この時点でかなり疲れていましたが、ベルリンの街を少しでも堪能したくてひたすら歩く。 -
この日の宿はライプツィガー通りとシャルロッテン通りの角にあるガーナー ホテル ベルリン ゲンダルメンマルクト バイ IHG。
ベルリン滞在中の残りはここに宿泊。
どこに行くのにもたいへん便利な立地でした。ガーナー ホテル ベルリン ゲンダルメンマルクト バイ IHG ホテル
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お部屋はこんな感じ。前の宿はクラシックな感じでしたがこちらは今っぽくてスタイリッシュ。
ここも前日の宿同様中庭側の部屋だったので静かでした。
そして一人旅ですがシングルが取れず贅沢に広々ダブルです。
部屋に着いたのは16時くらいでしたが、朝から歩き詰めでさすがに限界。この日はそのままゆっくり休みました。
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旅行記グループ
ドイツ・ポーランド2025
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