2025/11/11 - 2025/11/12
29位(同エリア259件中)
ローマ人さん
この旅行記のスケジュール
2025/11/12
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電車での移動
特急九州横断鉄道 大分駅8:07発→豊後竹田駅9:15着
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自転車での移動
観光案内所でレンタル
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電車での移動
普通列車 豊後竹田駅13:10発→大分駅14:29着
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この旅行記スケジュールを元に
旅の2日目、11月12日(水)です。
前日は大分県北東部にある日出城跡と杵築城跡を巡ました。
今日は大分県南西部にある岡城跡と大分(府内)城跡を巡ります。
午前中に大分駅から岡城跡の最寄駅の豊後竹田駅までJRで移動し、岡城跡を散策。
その後、広瀬神社にお詣りしてから大分市内に戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自転車 JALグループ JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の2日目、11月12日(水)の朝です。
部屋からの眺望です。 -
スタートの6:30と同時に朝食会場のレストランへ。
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大分郷土料理を取り入れたビュッフェスタイルです。
料金は、大人1,600円、小学生900円、未就学児は無料(当時)です。 -
レストラン内はゆったりとしたスペースが確保されています。
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ビュッフェ台。
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サラダ。
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パン類。
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ざる豆腐と明太子。
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手作り和食惣菜。
写真には写っていませんが、筑前煮や椎茸の煮物などもありました。 -
大分郷土料理「りゅうきゅう」。
魚を醤油・酒・みりん・ごま、ショウガで作るタレで和えたものです。 -
大分郷土料理「だんご汁」。
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大分名物のとり天(左)と牛肉と大分産シイタケのすき焼き(右)。
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魚のすり身に野菜を加えて揚げた、九州地方なじみの味「ギョロッケ」(左)、大分名物「ニラ豚」。
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大分郷土料理「とりめし」。
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定番メニューのベーコン、シーセージ、スクランブルエッグ。
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カレー、コーンスープ。
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フルーツ。
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パンケーキ、ヨーグルト、ケーキ。
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私のチョイスです。
大分の郷土料理が味わえて良かったです。 -
「りゅうきゅう」で丼を作ってみました。
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デザート。
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7:40、ホテルをチェックアウトし、キャリーケースを預けて、大分駅へ。
今日は大分県竹田市にある岡城と大分城(府内城)を観光します。
写真は、宿泊したアートホテルの全景です。アートホテル大分 宿・ホテル
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大分駅府内中央口広場です。
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大分駅府内中央口広場にある大友義鎮(おおとも よししげ:法号は宗麟)像。
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、現在の大分県を含む北九州地方を治めた戦国大名の大友氏21代目当主です。大友宗麟公像 名所・史跡
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大友義鎮像の近くに聖フランシスコ・ザビエル像があります。
スペイン人でキリスト教のイエズス会の創設メンバーであるフランシスコ・ザビエルは、布教活動のために天文18(1549)年8月に鹿児島に上陸します。
各地での布教活動後、天文20(1551)年9月には大友義鎮の招きにより豊後府内(現在の大分市)を訪れ、キリスト教の布教活動の許可を得ました。
府内に2か月滞在した後日本を離れましたが、これ以降、府内は日本におけるキリスト教布教の拠点となり、ポルトガル商船や中国船がが来航し、南蛮貿易が活発に行われました。
その結果、府内は全国に先駆けて南蛮文化が目覚ましく開花し、東洋と西洋の文化が交わる国際貿易都市として繁栄しました。フランシスコザビエル像 名所・史跡
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広場の床に描かれたプランシウス世界図。
この世界図は、16世紀にオランダ東インド会社の初代公認地図学者として活躍したペトラス・プランシウスの作品です。
この地図の中には日本列島の輪郭が示され、九州と思われる部分に「Bungo(豊後)」の表記があり、当時のヨーロッパの人々は九州を「Bungo」と呼び「Japan」と異なる国と認識していたと考えられていますが、これは大友義鎮の積極的な外交姿勢や繁栄の情報がヨーロッパに伝わったことによるものと考えられているそうです。 -
大分駅府内中央口のファザードです。
大分駅 駅
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中央の柱の前にニワトリのオブジェがあります。
九州で最も東に位置し、朝が早いことに因んだとか。 -
駅名標です。
岡城の最寄り駅「豊後竹田駅」に向かいます。 -
8:07発、豊肥線の九州横断特急2号熊本行に乗車。
料金は2,510円(運賃1,510円、自由席特急料金1,000円)です。 -
自由席シート。
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車内は空いています。
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切符。
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9:15、豊後竹田駅に到着。
岡城がある竹田市は大分県の南西部に位置し、熊本県と宮崎県に接しています。豊後竹田駅 駅
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JR九州が運行するクルーズトレイン(豪華観光寝台列車)「ななつ星in九州」が停車していました。
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「ななつ星in九州」。
ワインレッドカラーに塗装された車両には、金色のロゴマークが描かれています。 -
豊後竹田駅舎内に「竹田観光案内所」があります。
観光案内所の開場時間は8:30~17:00。竹田観光案内所 (JR豊後竹田駅構内) 名所・史跡
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ここで市内のマップを入手し、電動機付自転車をレンタルしました。
料金は4時間1,000円です。
2時間500円、4時間以上(17:00まで)1,500円もあります。 -
破風がある和風デザインの豊後竹田駅舎です。
裏は崖になっていて滝が流れ落ちています。 -
観光案内所でいただいた、城下町散歩マップです。
旧城下町である町の中心部を、阿蘇山から流れ出た溶岩が形成した台地が囲んでいるという地勢です。
駅の位置はマップの下部中央の赤枠で囲んだ場所です。
岡城は、マップの上部左側の青枠で囲んだ場所にあります。 -
旧城下町の碁盤目状に整った街並みを自転車で進んでいきます。
この辺りは平らです。 -
市街地を過ぎると岡城への上り坂が現れます。
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途中、手掘りのようなトンネルがあります。
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トンネルを抜けると、岩山の上に石垣が見えてきました。
手前に石碑のようなものがあります。
駅からここまで自転車で約10分でした。 -
前の写真の反対側から見た石碑です。
「史跡 岡城址」の石名標と「あゝ義経公の碑」です。 -
「あゝ義経公の碑」です。
石碑には「兄頼朝の命悲し 落ちゆく名将義経を 天下無隻の岡城に 迎えん惟栄夢に無く」と刻まれています。
岡城は、伝承では文治元(1185)年に山城が築城されたのが始まりです。
兄の頼朝から追討された源義経を迎え入れるために、当時にこの地方を支配していた豪族「緒方惟栄(おがた これよし)」が築城したとの伝説があるそうです。
九州に向かう船が嵐で阻まれて義経が足を踏み入れることはなかったとか。 -
石碑があるのは駐車場の一角です。
この場所には、かつては行政機関・裁判所としての機能を持っていた施設「総役所」があったそうです。 -
石垣をズームアップ。
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チケット売場です。
観覧料は、大人300円、小人150円。
入城受付時間は、9:00~17:00。
定休日は、12/31~1/3。
御城印は、ここで販売しています。 -
御城印です。
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岡城後のガイドマップです。
岡城は、北側を流れる稲葉川と南側を流れる白滝川に挟まれた、阿蘇山の溶岩で形成された断崖絶壁の台地の上に築かれた山城です。 -
パンフレットから城内マップを抜粋。
現在、私がいる位置は城跡の西側(マップの左端)です。
城跡は東西に羽を広げたような形をしています。 -
大手門跡に向かいます。
チケット売場の直ぐ近くにある石垣に巨大な石「鏡石」がありました。 -
大手門跡に向かう道。
まだ平らな道です。 -
行く手正面に岩壁が見えてきました。
右側に並んだ建物は土産物店です。 -
ズームアップ。
岡城を支えている台地の絶壁は、阿蘇山の噴火により流れ出した火砕流でできた阿蘇溶結凝灰岩の岩盤です。
阿蘇溶結凝灰岩で形成された台地が、長い年月をかけて河川で削られて、深い谷と断崖絶壁による要害堅固な岡城の地形が生み出されたそうです。 -
更に歩くと上り坂が見えてきました。
大手門跡に続く「大手坂上り」です。
手前に「史跡 岡城址」の石碑があります。 -
最初は緩やかな坂です。
坂の右側の石垣塀は、上部がかまぼこ型に円く整形された「かまぼこ石」になっています。 -
ここにも石碑があります。
岡城は、先に記したように緒方惟栄が文治元(1185)年に山城を築城したのが始まりで、その後、豊後国守護大友氏の一族の志賀氏の居城となりました。
天正14(1586)年、薩摩の島津義弘率いる大軍が、岡城を攻撃しますが険峻な要害である岡城を落とすことができずに撤退すると、「難攻不落の城」として世に開き知られるようになりました。
その後、志賀氏は豊臣秀吉の朝鮮出兵で主家の大友氏が失脚することに伴い城を去ることになりました。
代わって、岡藩中川氏の初代藩主「中川秀成(なかがわ ひでしげ)」が文禄2(1593)年に城主として岡城に入城し、以後、明治維新後の廃藩置県まで13代277年間にわたり中川氏の居城となりました。
中川氏の時代に岡城は大改修され、要害堅固な地形を土台とした総石垣の広大な近世城郭へと変貌していきました。 -
ジグザグ状の坂が続きます。
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道が狭くて角度が急になってきました。
かつて、再三にわたる島津軍からの攻撃に耐え抜いたという話も納得できます。 -
大手門跡が見えてきました。
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大手門跡です。
大手門は、中川秀成による江戸時代初期の改修時に整備されたものです。岡城阯 名所・史跡
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大手門跡想像図。
大手門の石垣の上には櫓門があり、櫓上から敵を攻撃できるようになっていました。 -
大手門の柱の礎石、車敷。
門の大きさが窺えます。 -
門の左側。
城内への進行方向です。 -
門の右側。
一段高くなっています。 -
大手門跡の内側からの眺め。
下の方に、先ほど前を通った土産物店が見えます。
高低差が良く分かります。 -
大手門跡からの本丸方向(東方向)の眺め。
断崖絶壁が続いているのが良く分かります。 -
古大手門跡。
改修前の大手門です。
南東向きになっています。 -
古大手門跡からの大手門跡の眺め。
大手門跡の奥に見えるのは西の丸跡です。 -
西の丸跡入口の石段です。
この石段は、立入禁止になっています。 -
西の丸跡の石垣を回り込んで進みます。
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西の丸跡の石垣の横にある通路からは「大手坂上り」の坂が見えます。
ここは、上って攻めてくる敵を攻撃する絶好の場所です。 -
西の丸跡の石垣。
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西の丸には、寛文4(1664)年に中川氏3代藩主「中川久清」の隠居後の住まいとして御殿が造営され、その後、政務の中心的役割を果たすようになりました。
御殿の他にも馬場や庭園などがあり、城内で最も広い曲輪でした。 -
西の丸跡からの眺め。
西の丸跡の西側から張り出した場所に隅櫓跡があります。 -
櫓跡の先端まで行ってみました。
眼下に駐車場とチケット売場の建物が見えます。
まさに絶壁です。 -
隅櫓跡から見た西の丸跡の石垣。
波を打ったような曲線を描いた石垣が美しいです。 -
西の丸跡から家老屋敷跡に向かいます。
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井戸跡があります。
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中川民部邸跡です。
西の丸御殿が建築された後に西の丸周辺に配置された、中川覚左衛門、中川但見、中川民部の3つの家老屋敷の1つです。
屋敷の広さは約3,250㎡あり、発掘調査を基に礎石による建物表示がされています。 -
絶景スポットがあります。
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景色の案内表示。
中央に旧城下町、左側に阿蘇山が見えるそうです。 -
同じ方向を撮影。
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ズームアップ。
見えました!
阿蘇山(標高1,592m)です。 -
騎牟礼城跡。
岡城の支城だそうです。 -
近戸門跡です。
中川秀成による改修時に新たに設置された門で、通用口としての機能を持ち、家臣や領民の日常的な出入りに使用されていました。 -
内側から見た近戸門跡。
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外側から見た近戸門跡。
門前は急坂で、門から城下町へ「七曲り」と呼ばれるつづら折りの坂道が続いています。 -
近戸門跡の石垣の上からの眺め。
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近戸門跡から真っ直ぐ進むと、写真左側の道に至ります。
写真右側の道に沿って進みます。 -
この石段の下に・・・。
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「埋門跡」があります。
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中川覚左衛門屋敷跡です。
中川覚左衛門は、茶道織部流の祖、古田織部正重勝の子孫で、中川氏に代々仕えて中川の姓を賜りました。 -
当時の屋敷の間取りがわかるように、建物の床面が復元されています。
敷地が広く、家老に相応しい屋敷だったことが想像できます。 -
中川覚左衛門屋敷跡の前は清水谷と呼ばれる深い谷が広がっています。
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谷の向こう側に本丸跡の石垣が見えます。
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谷に沿った道を本丸跡に向かいます。
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石垣が美しい。
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広くなった場所があります。
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賄方跡です。
来客者などのもてなしによる賄いを行う部署があったそうです。 -
武具方跡です。
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中川覚左衛門屋敷跡が見えます。
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中休憩所跡です。
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本丸跡に向かう道です。
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家老の中川但見屋敷跡です。
大手門から本丸に向かう桜馬場跡の左側(北側)にあります。 -
城代屋敷跡です。
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この辺りは視界が開けているので本丸跡周辺が見渡せます。
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本丸跡です。
右側は断崖絶壁です。 -
籾倉跡です。
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西中仕切跡です。
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西中仕切跡。
城内で最も狭い場所に築かれています。
石垣により通路を折り曲げ、敵が直進できないようになっています。 -
主郭部の三の丸北側から二の丸にかけて続く、絶壁上に築かれた高石垣です。
壮大さと美しさを兼ね備えていて感動です。 -
内側から眺めた西中仕切跡です。
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西中仕切跡の石垣の上からの大手門跡方向の眺め。
両側を絶壁に挟まれて幅が狭くなっているのが良くわかります。 -
西中仕切跡の石垣の上からの主郭方向の眺め。
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中仕切跡を抜けると太鼓櫓跡があります。
この櫓は主郭部の入口となる城内で最も重要な門で、整形して隙間なく積む「切込接(きりこみはぎ)」という技法で2mほどの巨石を積んでいます。
城内の時を告げる役割も持っていて、太鼓の音で登城や門の開閉、非常時の合図などを伝えていたそうです。 -
太鼓櫓跡の内側です。
四角形の防御施設「枡形」になっています。 -
反対方向の石垣の上から眺めた太鼓櫓跡です。
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太鼓櫓跡からの中仕切跡方向の眺め。
左側は絶壁、右側は石垣で逃げ道がありません。 -
太鼓櫓跡の石垣の上からの三の丸跡の眺め。
太鼓櫓跡から一段高くなった場所です。 -
三の丸跡です。
三の丸には、他藩からの使者や家臣が、藩主と対面する「殿舎」があったそうです。 -
蕃山先生頌徳碑があります。
江戸時代初期の陽明学者「熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)」を讃える碑です。
岡山藩で藩政改革に功績をあげた熊沢蕃山は、その後、岡藩に仕え、第3代藩主に藩政に関して指南し、灌漑事業を営んだり、藩校、武道修練所などを造り人材育成をしたそうです。 -
三の丸の北側は清水谷の絶壁です。
谷の向こうに中川覚左衛門屋敷跡が見えています。 -
「三の丸からの撮影スポット」があります。
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景色の案内表示。
くじゅう連山が見えるそうです。 -
同じ方向を撮影。
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ズームアップ。
右側が黒岳(標高1,587m)、その左側で上部が雲に覆われているのが大船山(標高1,786m)かな。 -
三の丸跡。
右側が本丸跡の石垣、左側の石段を上がると二の丸です。 -
二の丸跡入口付近にある空井戸跡です。
抜け道として使用されていたとか、財宝が隠されているなどの伝説が残されているそうです。 -
二の丸跡です。
二の丸は、北側に張り出したL字型の形をしています。
ここには、月見櫓や御風呂屋など、特徴的な機能を持つ建物が並んでいて、来客の歓迎や藩主の楽しみの空間とし利用されていたそうです。 -
二の丸跡には、瀧廉太郎像があります。
日出城跡に建っていたものと同じデザインです。
瀧廉太郎は、大分県日出の出身ですが、少年時代に父の赴任に伴って滞在した竹田で遊び場にしていた岡城をモチーフに名曲「荒城の月」を作曲したと云われています。 -
月見櫓跡です。
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二の丸から眺める高石垣。
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御風呂屋跡には、トイレを備えた休憩所が建っています。
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休憩所内部。
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御風呂屋跡の説明パネル。
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本丸跡に向かいます。
本丸跡への石段は両側から上ることが出来る造りですが、写真左側に石段は通行禁止になっています。 -
石段を上ります。
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本丸跡です。
本丸には、中央部に藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられ、それを取り囲むように、天守に相当する御三階櫓や隅櫓、多門櫓、金倉などが配置されていたそうです。 -
本丸跡の石碑。
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本丸跡の南西隅にある御三階櫓跡です。
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御三階櫓跡。
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御三階櫓跡からの大手門跡方向(西側)の眺め。
南側(写真左側)が断崖絶壁になっているのが良くわかります。 -
南側の眺め。
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東側の眺め。
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北側の眺め。
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本丸跡の北側。
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岡城跡についての説明ボードがあります。
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本丸跡東側には岡城天満神社が鎮座し、学問の神様「菅原道真」が祀られています。
中川秀成が初めて岡城に入城した時に、城内東側にあった天神祠を移転建立したもので、中川氏歴代藩主が守り神として崇拝してきたそうです。 -
岡城天満神社の拝殿。
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天満神社の左横に、「荒城の月」を作詞した作詞家「土居晩翠」の詩碑があります。
土居晩翠直筆による荒城の月の歌詞の1・2番が刻まれています。 -
岡城天満神社の後ろ側に金倉跡があります。
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金倉跡からの東方向の眺め。
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本丸跡入口にある門跡の礎石。
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本丸跡から下りてきました。
本丸跡で一段高くなっている御三階櫓跡の石垣です。 -
本丸跡の北側石垣に沿って、城の最も東側にある下原門跡に向かいます。
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本丸跡の北側石垣。
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本丸跡の北東隅の金倉跡の石垣。
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東中仕切跡の石垣が見えてきました。
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東中仕切跡からの本丸跡石垣の眺め。
本丸跡と東中仕切跡の間には道の両側に空堀が掘られ、道幅を狭くしてあります。 -
外側(東側)からの東中仕切跡の眺め。
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東の郭です。
中川氏が岡城主となる以前の志賀氏の時代には岡城の中心部だった場所だそうです。 -
東の郭には御廟所跡があります。
中川氏歴代藩主の位牌が祀られていた場所だそうです。 -
なだらかな下り坂が続きます。
道に沿って長い石垣があります。 -
下原門跡です。
岡城の東端にあります。
現在の大手門が出来るまでは、この門が正門だったそうです。 -
外側から見た下原門跡です。
高低差があり、強固な門だったことが想像できます。 -
下原門跡の石垣の上からの眺め。
門の内側。 -
下原門跡の石垣の上からの眺め。
門を中心に道がクランクになっています。 -
反対側の石垣の上からの眺め。
これで、岡城の全スポットを巡りました。
パンフレットでは、城一周の所要時間が約1時間半と記載背れていましたが、ゆっくり見て回ったので約2時間かかりました。 -
戻ります。
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本丸跡北側の断崖絶壁。
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ズームアップ。
さすが「難攻不落の城」です。 -
岡城からの帰りに広瀬神社にお詣りしました。
豊後竹田(現在の竹田市)出身で日露戦争の旅順港閉塞作戦に従事中に戦死し、日本初の軍神となった海軍中佐「広瀬武夫」を祀った神社です。
昭和10(1935)年の創建。 -
鳥居の前に「広瀬武夫中佐」像が建っています。
旅順港閉塞作戦は、明治37(1904)年に勃発した日露戦争でロシアの中国の租借地「旅順港」に集結していたロシア艦隊の軍事行動を阻止するために、同港の狭い出入口に重しの石積んだ船を沈めて出入港できなくする作戦です。
広瀬中佐は2次にわたる作戦に参加し、2回目の作戦での撤退時に部下の杉野兵曹長の所在不明が判り沈みゆく船内を3度にわたり捜索したものの発見できず、断念して離船中に頭部に被弾し戦死しました。
「部下の身を案じたがために命を落とした」ことが、当時の世相と相まって美談として称えられました。 -
鳥居を潜って急な石段を上ると、更に石段があります。
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石段を上りきった先には、「陸軍大将 阿南惟幾顕彰碑」と胸像があります。
「阿南 惟幾(あなみ これちか)」は、旧日本陸軍大将で、太平洋戦争末期の昭和20(1945)年4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任しました。
同年8月に降伏による戦争終結への賛否を巡り混乱する内閣で、陸軍強硬派の戦争継続意見に抗しきれず、「本土決戦で敵に一大打撃を与えてから有利な条件で講和に持ち込む」ことを主張しましたが、昭和天皇の聖断によるポツダム宣言受諾が決定されると、陸軍内の強硬派を抑えつつ終戦詔勅に署名しました。
そして、同月15日に割腹自決しました。
阿南は、昭和天皇の戦争終結への意志を知り、和平への舵を切ることに同意していましたが、陸軍強硬派の暴発・反乱を恐れて、最後まで強硬な発言を続けたことを謝罪するために自決したといわれています。
父の出身地ということで豊後竹田に住んでいたことがあるそうです。 -
境内です。
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手水舎です。
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神門です。
広瀬神社 寺・神社・教会
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拝殿です。
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拝殿の扁額文字は「忠勇義烈」です。
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広瀬中佐胸像。
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社殿前にある戦没者名碑です。
台座には、日露戦争後に引き上げられた旅順港閉塞作戦で使われた閉塞船の重しの石が8個はめ込まれています。
3つ並んだ石の中央の石です。 -
御朱印をいただきました。
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広瀬神社にお詣りした後、大分市内に戻る列車の時間までのわずかな時間を利用して竹田市歴史文化館「由学館」を訪れました。
豊後竹田の歴史を紹介するミュージアムです。
駅の観光案内所で、ここに岡城跡全体を再現したジオラマがあると聞いていました。竹田市歴史文化館 由学館 美術館・博物館
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館内入口までの長いアプローチ。
開館時間は、9:00~17:00(最終入館16:30)。
休館日は、毎週木曜日、年末年始。
入館料金は、大人500円、65歳以上250円、小中高生300円、幼稚園以下無料。 -
館内に入りました。
巨大なシアターがあります。
ジオラマがあるこの場所までは無料で入館できます。 -
岡城跡のジオラマです。
西方向からの眺望。
写真左下が駐車場になっている総役所跡です。
城に周囲が険峻な崖になっているのが良くわかります。 -
ズームアップ。
西の丸です。 -
北方向からの眺望。
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主郭部分です。
右から西中仕切跡、三の丸跡、二の丸跡、本丸跡と続いています。
主郭部とそれを挟んでいる東西の曲輪が接続する部分が狭隘地になっていて、そこにそれぞれ中仕切が設けられ、攻めるのが困難な構造になっています。 -
東方向からの眺望。
城の南北が川で挟まれている地形の様子が良くわかります。 -
由学館には、、慶長17(1612)に製作されたキリシタン遺物「サンチャゴの鐘」が展示されていて、これも無料で見ることができます。
写真撮影禁止なので写真はありませんが、高さ80cm、口径65cm、重さ108kgの大きさがあり、表面に十字の紋と「HOSPITAL SANTIAGO 1612」の銘文が刻まれています。
昭和25(1950)年に「銅鐘」という名称で国の重要文化財に指定されています。 -
豊後竹田駅に戻って、レンタルした自転車を返却しました。
豊後竹田駅 駅
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13:10発の列車に乗車しました。
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乗車した頃は、平日の昼を過ぎたばかりなので車内は空いていましたが、大分駅に近づいてくると沿線に立地する大分大学の学生などが大勢乗車してきて満席になりました。
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14:29、大分駅に到着しました。
最後までご覧いただきありがとうございました。大分駅 駅
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この旅行記へのコメント (2)
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- 164-165さん 2026/05/03 06:06:17
- 岡城址
- ローマ人さん おはようございます。
岡城をじっくり回られたのですね。私が見逃した部分もたくさんあり感心しました。
以前に行った時のことが思い出されて懐かしく思いました。
電動自転車で城迄行かれたのは素晴らしく、年寄りで怖いと感じている私としては感心した処です。
いつも詳細な旅をしていらっしゃいますね。見習いたいところです。
【164-165】
- ローマ人さん からの返信 2026/05/03 14:52:59
- コメントをいただきありがとうございます
- 164-165さん、こんにちは。
いつも、私の旅行記をご覧いただきありがとうございます。
旅をすると欲張って滞在可能時間ぎりぎりまで観光してしまいます。
岡城址もご多分に漏れず、豊後竹田での昼食の機会を失ってしまいました。
ペーパードライバーの私にとっては、観光地の駅前にレンタル自転車のポートがあると大変助かります。
城巡りでは伊予大洲駅前のレンタル自転車も重宝しました。
今後ともよろしくお願いいたします。
ローマ人
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