2025/11/01 - 2025/11/01
1013位(同エリア1781件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2025/11/01
-
電車での移動
Phetchaburi-(MRT)-Bang Sue
-
電車での移動
Krung Thep Aphiwat 10:35-(列車)-11:30 Ayutthaya
-
車での移動
Grab タクシー
-
チャオ・サーム・プラヤー国立博物館
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
1351年から1767年までタイ族の王朝の都だったアユタヤでは、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ位置という地の利を活かして、中国、日本、琉球、インド、ヨーロッパなどと活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えました。
チャオ・サーム・プラヤー国立博物館には、その財力を注いで製作されて各寺院に奉納された、素晴らしい宝物類が多数展示されています。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:成田空港→バンコク(スワンナプーム)空港(バンコク泊)
2日目:バンコク国立博物館、ワットアルン、ワットポー(バンコク泊)
3日目:バンコク→スコータイ→(バンコク泊)
4日目:バンコク→アユタヤ→(バンコク泊)
5日目:タリンチャン水上マーケット、バンコク国立博物館→バンコク空港→(機中泊)成田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アユタヤ方面への列車が出発するKrung Thep Aphiwat駅10:35発の急行列車に乗車するため、MRTで Bang Sue駅へやって来ました。
ここからタイ国鉄Krung Thep Aphiwat駅へは、地下通路で結ばれています。誘導サインに「3B Krung Thep Aphiwat Central Terminal」とあります。 -
ここが、Krung Thep Aphiwat駅へのセキュリティゲートなのですが、「3B」の表示が無く、一旦通り過ぎてしまいました。
-
駅構内図です。長距離列車乗場やフードコートはMRT駅とは反対側にあります。そちら側が、車寄せなどを備えたメインエントランスになっているようです。
-
乗車券売場です。乗車券売場はメインエントランスにもあり、そちらの方が大規模でした。
アユタヤまでの鉄道乗車券は、渡航前にタイ国鉄の公式サイト「D-Ticket」から購入し、メールで送られて来た乗車券をプリントアウトして持参しました。
なお、アユタヤまででは近距離で乗車前日以降でないと予約できないため、往路は東北線(ウボン方面)のPak Chongまでの乗車券(2等、290THB)、復路は、北線 Nakhon Sawanからの乗車券(336 THB)を購入しました。
これなら、30日前からの予約、購入が可能なようです。アユタヤまでは241 THBなので、それほど大きな違いはありません。 -
とにかく広いです。
-
ようやく、店舗などが見えてきました。
-
コインロッカーもあります。
-
フードコートで、遅めの朝食にします。
-
-
このベトナム料理店(というか屋台)で、
-
海鮮のフォーをチョイスしました。
-
10:35発Ubon Ratchathani行Express71の出発ゲートはBです。
出発20分前にボーディングが始まるとのこと。空港のようなシステムです。 -
ここが、ゲートBです。乗客の皆さんは椅子に座って待っています。
-
乗車券のQRコードをかざしてゲートを通過し、ホームに上がると乗車予定の車両が停まっていました。Expressはスピードの速い気動車、普通列車はディーゼル機関車が客車を牽引するスタイルのようです。
-
2等車の車内です。エアコン付です。
-
3等車の車内です。エアコンはありません。
-
アユタヤ駅には、10分遅れて11:40に到着しました。
アユタヤは、Grabタクシーと徒歩で廻ることにしました。レンタサイクルの利用も検討したのですが、天候の心配とGrabアプリを使ってみたかったからです。
渡航前にインストールしておいたアプリを操作し、チャオ・サーム・プラヤー国立博物館まで「乗用車、到着まで約5分、88THB」のタクシーを選択しました。車両ナンバーの他に運転手の顔写真も表示され、たいへん使い勝手が良く安心なアプリです。 -
チャオ・サーム・プラヤー国立博物館です。
本館は改装中ですが、2022年にオープンしたばかりの建物に、アユタヤの遺跡群から発見された、芸術性の高い宝物類が大量に展示されています。 -
「ようこそ、アユタヤの黄金宝物の展示へ」とあります。
まさに圧巻の展示内容で、アユタヤで必見の場所と思います。 -
ここでは、
ワット・ラチャブラナ、
プラ・チェディ・シー・スリヨータイ、
ワット・プラ・シー・サンペット、
ワット・プララーム、
ワット・マハタート
に奉納された宝物類を見ることができます。 -
展示室です。ビデオ映像などが導入され、説明板も丁寧で非常に質の高い展示です。なお、言語はタイ語と英語です。
-
【説明板より】ワット・ラチャブラナは1421年、チャオ・サム・プラヤーの治世中に建立された。ルアン・プラサート・アクソーンラニットの古都年代記』によれば、「ソムデット・プラ・インタ・ラチャが病に倒れ死去した際、その長男チャオ・アエ・プラヤーと次男チャオ・イー・プラヤーは象上の決闘で死闘を繰り広げ、双方が命を落とした。三男であるチャオ・サム・プラヤーがアユタヤの王位を継承し、ソムデット・プラ・ボロマラチャティラートと名乗った。王はパ・ターン地区の決闘現場に、二人の兄の死を偲ぶ二つの仏塔建立を命じた。当時この寺院はワット・ラチャブーンと呼ばれていた」。
-
【説明板より】ワット・ラチャブラナの主要建造物には、プラ・プラング(仏塔)、プラ・ヴィハーン・ルアン(本堂)、プラ・ウボソート(仏堂)、中規模および小規模のヴィハーラ(僧院)、本堂を取り囲む小仏塔が含まれる。寺院中央に位置する二つの仏塔であるプラ・プラングは、東を向いている。1957年9月、仏塔地下の宝物保管庫が盗難に遭った。その後、美術局による正式な調査と発掘調査が実施され、宝物は回収されて博物館に収蔵された。地下の宝物庫は三層構造の四角い部屋である。
-
「ワット・ラチャブラナ地下聖堂の黄金の宝物と仏教神話」
-
【説明板より】ワット・ラチャブラナの仏塔には仏舎利だけでなく、青銅仏像、奉納碑、金箔で覆われた仏像、縁起の良い動物の形をした金箔片、仏教神話を描いた壁画が収められていた。さらにチャオ・サム・プラヤー王の貴重な遺品も納められていた。これには、仏塔の地下室に保管されていた、実物大とミニチュアの両方の、金と宝石で飾られた食器や王室の宝物が含まれている。
-
【説明板より】ワット・ラチャブラナの仏塔内に黄金の遺物を収めた宝庫が設けられた背景には、二つの理由があると信じられていた。第一の理由は、国王が世俗の最高の統治者であるという信仰に由来する。したがって、王冠や王室の器物といった王室の象徴は、深く尊ばれ、地下室に厳重に保管されるべきである。第二の理由は、国王が正義と公正をもって王国を統治し、仏陀への供養として仏塔を建立することで仏教に貢献したため、彼は菩薩(未来の仏)として崇敬されるべきであるという点にある。
-
【説明板より】地下室の最上階である第一階層は、寺院の床から3.70メートル、幅1.40メートル、高さ1.50メートルである。この地下室には多数の仏像が安置されている。第一階層の地下室は、東側地下室、西側地下室、南側地下室、北側地下室の四つの衛星地下室に囲まれている。これらの側室には多数の仏像と奉納板が安置されている。側室の四壁には壁画が描かれており、天界の集会(テップ・チュムヌーム)や中国人、貴族、子供、成人、使用人などの肖像が描かれている。
-
【説明板より】地下室の第二層は幅1.40メートル、高さ2.75メートルである。この地下室の四壁はそれぞれ奥行き37センチメートルの小室となっている。美しい内部壁画は赤みを帯びた色調で仏陀と仏教の物語を描いている。天井には星の文様が施されている。北室、東室、西室にはそれぞれ青銅製の台が置かれ、貴重な品々が展示されていた。
四つの小室に隣接する石床からは、金製の王室用具、王室の宝物、宝飾品、装飾品、金製の仏塔など、多数の金製品が出土した。主納骨堂の周囲には、北東納骨堂、南東納骨堂、北西納骨堂、南西納骨堂の四つの付属納骨堂が配置されている。これらの納骨堂内からは、多数の仏像と奉納碑板が発見された。 -
-
【説明板より】王室の象の置物 アユタヤ初期美術、15世紀、ワット・ラチャブラナ寺院主塔地下室で発見 金、彩色ガラス
王室の象を模したこの座像は、彩色ガラスで装飾された金製である。頭部は取り外し可能で、蓮の花弁模様が周囲を囲む長方形の台座に座っている。鼻先には金の葉を持ち、頭部には冠、胸元には精巧な胸飾り、背中にはハウダー(象の背負い籠)、足首には足首飾りをつけている。 -
-
【説明板より】白鳥形の器 アユタヤ初期美術、15世紀、ワット・ラチャブラナ寺院主塔地下室で発見 金
この白鳥形の器は金製で、精巧な文様が浮き彫りにされている。胴部は水・液体または香水を収めるものと推定される。頭部は胴部から取り外し可能である。 -
-
【説明板より】プラ・サン・カーン・チャイ・スリル(または勝利の剣) アユタヤ初期美術、15世紀、ワット・ラチャブラナ本堂の地下室で発見 鉄、金、彩色ガラスと水晶で装飾
-
【説明板より】王室の儀式における王室の装束と装飾品 初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・ラチャブラナ寺院の主塔地下室で発見
アユタヤ時代、王は神聖な神々として崇められ、クメール帝国のデヴァ・ラージャ神話の影響を受けていた。クレーン・トン(王室の衣装と装飾品)は格別に美しかった。宮廷法によれば、王室の衣装と装飾品は「クレーン・ラチョ・プラポーク(御用具)」と呼ばれ、15の品で構成されていた。
マハ・モンクット(王冠)、
マハ・クン・トゥン(イヤリング)、
パハラート(腕輪)、
タニム・マライ(花の首飾り)、
スロイ・マハ・サンワン(長いネックレス)、
サー・エン(フリンジ付きベルト)、
ウットラ、ウットリ、クアン・ダイ・チェット・テウ(両手首に7つのバングル)、
プラ・タマロン・サム・オン(全指に装着する三連指輪)、
カノン・カンケン、サヌブ・プラオ(内・外腰布)、
パー・ラッタナ・カンポン(儀式用布)、
クアン・チュン(足首用バングル)、
ロン・プラ・バット(スリッパ)
王室の衣装と装飾品には、ダイヤモンド、キャッツアイ、ルビー、エメラルド、赤色宝石などの貴石が施されていた。彩色と文様には琺瑯技法も用いられた。 -
【説明板より】 [上] チュラ・モンクット 彩色ガラス象嵌の金冠
チュラ・モンクットは冠であり、髷を飾る男性用頭飾りである。四本の金帯で構成され、伝統的なタイの「プラ・ジャム・ヤム」文様で装飾されている。基部には繊細な文様、すなわちプラ・ジャム・ヤム、カーノック・クルエ・タオ、花文様に加え、縁取りには蓮の花弁模様が施されている。
[中] 襟飾りの部品 彩色ガラスを象嵌した金
[下] 宝石をあしらった金の指輪 宝石と色ガラスを埋め込んだ金 -
【説明板より】ファフラッド(腕輪) 金地に彩色ガラスを埋め込み
-
【説明板より】トン・プラコーン(バングル) 金地に彩色ガラスを埋め込み
-
【説明板より】王室の宝物 アユタヤ初期美術、15世紀 ワット・ラチャブラナ寺院主塔の地下室にて発見。
金の傘の一部、金の箒、金の扇、金の王笏、儀式用ひょうたん瓶、金のタマリンド壺文様扇、金のスリッパ -
【説明板より】王室御用具 初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・ラチャブラナ本塔地下室にて発見。
-
【説明板より】照明アクセサリー
3.1 香炉の蓋 3.2 キャンドルスタンド 3.3、3.4 キャンドルホルダー -
【説明板より】王室御用具 初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・ラチャブラナ本塔地下室にて発見。
-
【説明板より】プラ・スリ・ボックス
ビンロウの実やタバコを保管するために使用された小さな長方形のケースで、王族や貴族の地位を示す象徴の一つだった。 -
-
【説明板より】ガルーダがナーガを捕らえる
「ガルーダがナーガを捕らえる」は、タイの王と仏教に関連する装飾作品によく見られる場面であった。ガルーダとナーガはヒンドゥー教の神ヴィシュヌの動物であり、仏教神話にも登場する。 -
【説明板より】アユタヤ時代の服装と装身
アユタヤ時代の服装や装身具の伝統は、宮廷法や公文書、外国人の記録などの文献資料に確認できるほか、考古学的出土品や絵画、彫刻にもその痕跡が認められる。
衣装や装身具は社会的地位の反映と見なされていた。アユタヤ王朝の宮廷では、国王はマハ・モンクット冠を、王妃はモンクットティアラを、王妃たちは白鳥の尾のような後頭部装飾を持つプラ・マラ・ムアイ・ハン・ホン頭飾りを着用した。一方、皇太子や王女は髷冠を、王室職員は頭飾り・簪・髪籠を身につけた。行事ごとに異なる装身具が用いられた。
王室の衣装や装飾品は宝石や装飾模様で彩られ、アユタヤ時代の精巧な職人技を反映していた。
庶民は金、銀、真鍮の装飾品を身につけた。富裕層や貴族、特に子供たちは通常、金や色鮮やかな宝石をあしらった装飾品を身につけたが、王室の装飾品ほど精巧で美しいものではなかった。庶民の装飾品は宝石がなく、ほとんどが質素なものであった。 -
【説明板より】アユタヤ時代初期、15世紀 第三納骨堂の小さな四角い部屋の周囲の空洞で発見された。
-
【説明板より】ワット・ラチャブラナの六仏舎利は、主塔の第三納骨堂中央に安置されている。これらは水晶仏塔、金仏塔、各種素材の覆いの中に収められた金箱に納められ、舎利安置の伝統に従い複数層で構成されている。
-
【説明板より】初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・ラチャブラナ本塔第三地下室の小方室にて発見。
最大から最小へと7層に重なり、以下の構成であった。
第1層 鉄製外蓋
第2層 ピューター(白鑞)製外蓋
第3層:青銅製外殻
第4層:銀製外殻
第5層:金製仏塔
第6層:水晶製仏塔
第7層:仏舎利を収めた金製箱 -
【説明板より】金製仏塔 初期アユタヤ美術、15世紀
円形の平面を持つ鐘形の仏塔。基部は平らな台座で、プラジャム・ヤム・カンプー文様で装飾され、二重の蓮華台座は蓮華弁文様で飾られている。上部は四葉の花模様と宝石を散りばめた蓮弁で装飾された円柱台座で、装飾を施した鐘形胴部を支える。胴部は宝石を散りばめた金板と花房状の彩色ガラスで装飾されている。四面にはプラジャム・ヤム文様とカンコット文様、開花した蓮が交差する帯が配される。鐘形胴部の上には八角形のバラング(彩色ガラス装飾)、輪状部分、尖塔頂部が配置されている。第四層(銀製外蓋)内部から発見。金製仏塔内部からは水晶仏塔(仏舎利を納めた金箱を含む)、金製仏像、水晶仏像、金製経典、各種小型金宝物が多数出土した。 -
魔を制する姿勢の仏像、仏像のアーチ門、魔を制する姿勢の仏像、金写本または金製ヤシの葉、水晶仏塔
-
-
【説明板より】魔を制する姿勢の仏像 初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・ラチャブラナのメイン寺院第二納骨堂で発見。
非常に丸い顔、額の中央でカーブした生え際、格子状の髪、炎のような光背を持つ仏像。斜めの仏衣をまとっている。サンガティの先端はへそのあたりにあり、ムカデの牙のように二つに分かれている。 -
-
【説明板より】ミニチュア仏塔の一部 初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・ラーチャブラナのメイン仏塔の第二納骨堂で発見。
-
【説明板より】仏教とヒンドゥー教において、蓮は神聖な誕生と豊穣の象徴である。仏教の羅什記(ラリタヴィスタラ)には、菩薩が摩耶妃の胎内に宿った夜、蓮は地底の水から生い茂り、ブラフマーロカに到達したと記されている。また、別の伝説では、大出家の夜、シッダールタ王子が夢の中で、自分の臍から蓮が芽生え、高く成長して無量無辺天に達するのを見たとされている。蓮は清浄と豊穣の象徴であるだけでなく、宗教的な彫像を支えるためにも広く用いられている。最も人気のあるのは、聖なる蓮である。
-
-
【説明板より】初期アユタヤ美術 15世紀 ワット・ラチャブラナの主塔の地下聖堂で発見。
-
【説明板より】初期アユタヤ美術 15世紀 金と宝石 メッキ、エンボス加工打ち出し仕上げ、宝石をちりばめたもの
ワット・ラチャブラナの主塔第二納骨堂で発見。金の板を内部の核に取り付けて作られたミニチュアの仏塔。形状、要素、模様はワット・ラチャブラナの主塔のものを模倣している。 -
「プラ・チェディ・シー・スリヨータイの仏陀の遺骨」
-
【タイ国政府観光庁のサイトより】プラ・チェディ・シー・スリヨータイ
白象王の異名を持つ17代チャクラパット王の妃の遺骨が眠る仏塔です。1549年のビルマ軍との戦いに男装して象にまたがり参戦した妃は、夫の危機を救うために命を落としました。戦後、王が妃の勇気を讃えるために建てた黄金色に光り輝く仏塔は、まさに愛の証といえるでしょう。 -
【説明板より】1989年から1991年にかけて、美術局は最高司令部、陸軍、海軍、空軍と協力し、仏塔の保存修復を実施するとともに、その周辺区域の整備を行った。1990年5月20日、柱廊部分において幅約20センチメートル、高さ約45センチメートル、深さ約35センチメートルの空洞が発見された。内部には多数の遺物が収められており、具体的には水晶仏像、円形水晶仏塔、三層傘・鳳凰形日傘・葉形盾・王室長柄扇を備えた六角形水晶仏塔などであった。六角形水晶仏塔内部には金箱が納められており、その中には小円形で不透明な白色の仏舎利223個が収められていた。
さらに地下室からは、白色の星形グーズベリー状ビーズ、金板、赤色宝石など多数の遺物が発見された。 -
-
【説明板より】王室の宝物である六角形水晶仏塔
プラ・チェディ・シー・スリヨータイの東側列柱の空洞で、水晶の仏像と円形の水晶の仏塔と共に発見されました。
焼成粘土で作られた二重の蓮華台座の上に六角形の水晶の仏塔が置かれ、金箔で覆われ、宝石で装飾されています。台座の周りには、王家の宝物である三段傘4本、フォー型の日傘1枚、葉の形をした盾2枚が置かれています。水晶の仏塔の中には、仏舎利が収められた金の箱があります。 -
【説明板より】水晶の仏像、円形の水晶の仏塔、星型グーズベリービーズ
-
【説明板より】ワット・プラ・シー・サンペットの仏舎利
ワット・プラ・シー・サンペットは、アユタヤ時代の王室礼拝堂だった。
ソムデット・プラ・ボロム・チャイ・ロカナートの治世中、彼はロッブリー川沿いの北に新しい居住宮殿の建設を命じ、かつての居住地を聖地へと変貌させ、王室の功徳を積む儀式や、国王と王族の遺骨を安置する場所として利用した。王室礼拝堂であったため、アユタヤ王朝の各王によって継続的に修復されてきた。 -
【説明板より】1767年のアユタヤ陥落後、ワット・プラ・シー・サンペットは廃墟となった。その後、ラーマ5世の治世(1868年~1910年)には、宮殿全体の建築基礎図を調査するための発掘調査が命じられた。その後、ラーマ6世の治世(1910年~1945年)には、発掘調査はワット・プラ・シー・サンペットまで拡大された。1932年、ワット・プラ・シー・サンペットの中央の主仏塔が盗難に遭った。そのため、王立協会事務局は東の主仏塔の発掘調査を行った。1932年2月15日、地下納骨堂内から多数の遺物が発見された。具体的には、仏像、奉納された額縁、約250点の仏具、そして仏弟子たちが両手で蓮の花を握りしめて歩く姿を描いた錫製の彩色皿が地下納骨堂の壁に設置されていた。最も重要な遺物は、様々な素材で作られた8層の蓋と仏塔の中に安置された仏舎利であった。1層目は金箔を施した石造りの仏塔、2層目は錫製の鋳型、3層目は金箔を施した鉄製の蓋、4層目と5層目は青銅製の仏塔、6層目は銀製の仏塔、7層目は金製の仏塔、8層目は水晶製の仏塔だった。中央の仏塔については、内部の遺物はすべて略奪され、外側の石造りの仏塔とクメール文字で刻まれた金板だけが残された。この金板は、スパナバット(王室の金板)で、「モンコン・デーヴィ・シュリー・ヴォラケーオ」の名を授けられものだった。この世紀は、ソムデット・プラ・ラーマティボディ2世の治世に相当する。
発掘調査後、王立協会事務局は3つの主仏塔と2つの従仏塔を修復し、遺跡を囲むコンクリートと金網の柵が築かれ、同時に遺跡周辺の地形図を作成するための発掘調査が行われた。 -
-
【説明板より】内部には、青銅、錫、金で作られた大小様々な額縁や仏像が納められており、数百体もの仏像が乱雑に積み重なっていた。
-
【説明板より】納骨堂の中央には砂場があり、その上に高さ81センチ、最下部の直径43センチの石造仏塔が置かれていた。石造仏塔の中には錫製の仏塔が、錫製の仏塔の中には鉄製の仏塔が、鉄製の仏塔の中には2層の金メッキの金属が、金メッキの金属の中には銀、銀の中には金、金の中には水晶がそれぞれ施されており、8層で1つの仏塔を構成している。しかし、錫製の2層目は屋外に持ち出され、空気にさらされたため完全に劣化し、7層しか残っていない。水晶の仏塔の中には、キャベツの種ほどの大きさの仏舎利が納められており、見る者を魅了する。
-
【説明板より】ワット・プラ・シー・サンペットの東側主仏塔の地下聖堂で発見。
-
【説明板より】金写本 古代クメール語で刻まれたアユタヤ・クメール文字 アユタヤ中期、1494年 ワット・プラ・シー・サンペットの中央主塔の地下納骨所で発見。
丸みを帯びた長方形の金板に、古代クメール語で刻まれている。横線4行、縦線1行の碑文がある。 -
【説明板より】ワット・プラ・シー・サンペット東側の主仏塔の地下聖堂で発見。
-
涅槃の仏陀を描いた奉納板 中期アユタヤ美術、16世紀。
-
【説明板より】仏陀を描いた奉納板 中期アユタヤ美術、16世紀
降誕の姿勢をとる仏陀、ナーラギリを鎮める仏陀、パリラヤカの姿勢をとる仏陀 -
【説明板より】仏教の原理を描いたピューター製の彩色板 中期アユタヤ美術、16世紀 ピューター製/彩色
ワット・プラ・シー・サンペット東側主仏塔地下納骨所で発見。
顔料粉末をバインダーと混ぜて平面的に彩色されたピューター製の板。使用されている色は少なく、黄色、茶色、赤、白、黒のみ。輪郭は赤と黒で描かれている。仏僧が体を覆う袈裟をまとい、時計回りに巡行し、両手のひらを合わせて蓮の花を握っている様子が描かれている。
手首から垂れ下がった袈裟の端は後方に流れている。左足は床に平らに置き、右足のかかとを上げている。地下納骨所に安置された仏舎利を拝むために巡行する様子が描かれている。 -
【説明板より】ワット・プララームの金板
1957年12月から1958年3月にかけて、美術局はワット・プララームの中央仏塔の地下室の発掘調査を行った。地下室の中央、地表から22メートルの深さに設置された石の箱の中に、銘文の有無を問わず10枚の金板を含む多くの重要な遺物が発見された。箱から入手した遺物の中には、長さ9センチの金板が8枚ある。うち3枚は象、4枚は花を、最後の1枚はナーガを描いており、破損していた。さらに、高さ5センチの仏像を描いた金板、金製の腕輪チャーム、高さ約40センチの磁器の壺、多数の陶磁器製の仏像、そして多数の錫製の仏像があった。 -
【政府観光庁のサイトより】ワット・プララーム
1369年、ラメスワン王によって建立されたとされるアユタヤ王朝初期の寺院。ここはラメスワン王の父で初代のウートン王の葬儀が営まれた場所と言われています。境内には、クメール様式のトウモロコシ型の塔堂を中央に、本堂そして7つの礼拝堂の跡が残っています。 -
-
【説明板より】7つの頭を持つナーガが覆いを広げている様子が刻まれた金板。
胴体の中央には円形の模様がある。 -
【説明板より】ワット・プララーム本堂の地下納骨堂で発見された遺物の中には、金皿、金の奉納板、錫の奉納板、仏像に加え、青磁と元代中国美術の釉下彩が施された陶器が2点、完全な状態で残っており、年代は約600~700年前と推定される。
蓮の形をした蓋が付いた葉緑色の壺の中には、奉納板がぎっしり詰まっていた。 -
【説明板より】ワット・マハタートの仏舎利
ワット・マハタートは、ソムデット・プラ・ボーロマラチャティラート1世の治世(1374年)に建立され、ソムデット・プラ・ラーメスワン(1388~1395年)の治世に完成したと推定されている。1767年のアユタヤ陥落後、廃墟となり、その後1904年に仏塔が壁龕の高さまで崩落し、それ以来修復されていない。 -
-
【説明板より】ワット・マハタートの仏塔の地下室 仏塔または仏塔台座の下で発見。
-
【説明板より】魚形のジオード容器 初期アユタヤ美術、15世紀。
ジオードで作られた魚形の容器。金彩が施され、魚の鱗は黒と赤で縁取られている。下部は平らな台座が付いた容器で、立てて置くことができる。上部は蓋で、内部は空洞になっており、物を入れることができる。 -
【説明板より】獅子形蓋箱 アユタヤ時代初期、15世紀。
獅子の形をした金製の中国風蓋箱。2つの部分に分かれており、胴体の下部は容器、胴体の上部と頭部は蓋になっている。胴体全体に模様が浮き彫りにされている。目と頭部には宝石が装飾されていた。角、耳、舌、尻尾は胴体とは別に作られ、金線で取り付けられており、可動式になっている。 -
【説明板より】蓋のつまみ アユタヤ時代初期、15世紀。
宝石またはエナメルで装飾された金の蓋のつまみ。 -
【説明板より】仏舎利を安置する第六層ストゥーパ 金 / 宝石で装飾 ワット・マハタートの本堂地下納骨堂内第五層ストゥーパ内部で発見。
様々な宝石で装飾された金のストゥーパ -
-
-
-
【説明板より】ワット・マハタート本堂の地下納骨堂で、仏舎利を納めた石箱から発見された。
-
【説明板より】牛、象、馬の形に切り抜かれた金板 初期アユタヤ美術、15世紀。
-
【説明板より】初期アユタヤ美術、15世紀 ワット・マハタートの蓮華仏塔の地下室で発見。
発見された納骨堂には、幅約70センチメートル、高さ約60センチメートルのラテライト製の柱が2本積み重ねられており、その周囲にはスコータイ様式の壺が並んでいた。壺の中には完全な形のものもあれば、粉々に砕けているものもあった。壺は大小様々な大きさで、多数の仏像と奉納板が収められていた。その他には、明代のものと推定される陶磁器、犬や水牛などの人物像や動物像、サンカローク壺、そして金で覆われた箱が多数あった。最も重要なのは、青銅製の豚の中に古代タイ文字が刻まれた金写本が1冊、壺の中にさらに2冊、合計3冊の写本が収められていたことである。
この後、博物館のカフェで一時休憩し、徒歩で遺跡群へ向かいました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アユタヤ(タイ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ タイ3都市めぐり
0
94