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江戸における徳川家の菩提寺として有名な増上寺。<br />何かの歴史小説で、当時の増上寺住職、存応と徳川家康の出会いが描かれていたのが印象的に残っています。<br />都営浅草線大門駅から、寄り道をしながら見どころたっぷりの増上寺へお参りしてきました。<br /><br /><br />

大門駅から増上寺を参拝

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2023/12/13 - 2023/12/13

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キャンサー50

キャンサー50さん

江戸における徳川家の菩提寺として有名な増上寺。
何かの歴史小説で、当時の増上寺住職、存応と徳川家康の出会いが描かれていたのが印象的に残っています。
都営浅草線大門駅から、寄り道をしながら見どころたっぷりの増上寺へお参りしてきました。


旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
3.0
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄
  • 大門駅から真っすぐ続く参道には、円形の説明板がいくつもあります。<br />こちらがその一つ、「め組のけんか」。<br />文明2年(1805)、芝神明の境内で、勧進相撲を興行していた力士と町火消め組との間でけんかが起りました。<br />これが、のちに江戸っ子気質の典型として評判になった芝居「神明恵和合取組」のモデルになりました。<br />説明板には「錦絵 神明相撲闘争之図」が描かれています。<br /><br />

    大門駅から真っすぐ続く参道には、円形の説明板がいくつもあります。
    こちらがその一つ、「め組のけんか」。
    文明2年(1805)、芝神明の境内で、勧進相撲を興行していた力士と町火消め組との間でけんかが起りました。
    これが、のちに江戸っ子気質の典型として評判になった芝居「神明恵和合取組」のモデルになりました。
    説明板には「錦絵 神明相撲闘争之図」が描かれています。

  • こちらは「芝神明」の説明板。<br />歌川国丸の「江戸芝神明之図」が描かれています。<br /><br />

    こちらは「芝神明」の説明板。
    歌川国丸の「江戸芝神明之図」が描かれています。

  • 「大門」の説明板。<br />二代広重の「東海道名所之内 芝増上寺」が描かれています。<br /><br />

    「大門」の説明板。
    二代広重の「東海道名所之内 芝増上寺」が描かれています。

  • 参道途中の右手にある、芝大神宮。<br />平安時代、寛弘2年(1005)一条天皇の御代に創建された由緒ある神社です。<br />鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代には、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はにぎわい大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇敬を集めました。<br />当時の賑わいは、広重の絵などに見ることができます。<br /><br />

    参道途中の右手にある、芝大神宮。
    平安時代、寛弘2年(1005)一条天皇の御代に創建された由緒ある神社です。
    鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代には、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はにぎわい大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇敬を集めました。
    当時の賑わいは、広重の絵などに見ることができます。

    芝大神宮 寺・神社・教会

  • 社殿に向かう石段の右手にある貯金塚。<br />かつて貯金王と言われた牧野元次郎の偉業をたたえ、芝大神宮の境内に貯金塚が建てられました。<br />牧野元次郎(1874~1943)は、現在のりそな銀行の元となる不動貯金銀行を設立しました。<br />この銀行は関東大震災の折、どこの銀行もお金がおろせない中、この銀行だけが人々の貯金、その全額を払い戻したといいます。<br />碑文は、作家、武者小路実篤の揮毫です。<br /><br />

    社殿に向かう石段の右手にある貯金塚。
    かつて貯金王と言われた牧野元次郎の偉業をたたえ、芝大神宮の境内に貯金塚が建てられました。
    牧野元次郎(1874~1943)は、現在のりそな銀行の元となる不動貯金銀行を設立しました。
    この銀行は関東大震災の折、どこの銀行もお金がおろせない中、この銀行だけが人々の貯金、その全額を払い戻したといいます。
    碑文は、作家、武者小路実篤の揮毫です。

    芝大神宮 貯金塚 名所・史跡

  • 社殿に向かう石段の左手にある生姜塚。<br />「生姜は穢悪を去り神明に通ず」といわれ、江戸時代には、神社の二町四方に生姜の山ができ、それが三日のうちに一茎も残らず売り尽くされたと伝えられます。<br />社務所では生姜飴を売っています。<br /><br />

    社殿に向かう石段の左手にある生姜塚。
    「生姜は穢悪を去り神明に通ず」といわれ、江戸時代には、神社の二町四方に生姜の山ができ、それが三日のうちに一茎も残らず売り尽くされたと伝えられます。
    社務所では生姜飴を売っています。

    芝大神宮 生姜塚 名所・史跡

  • 石段の上にある、芝大神宮の社殿。<br />

    石段の上にある、芝大神宮の社殿。

    芝大神宮 寺・神社・教会

  • 芝大神宮の社殿、向かって左手にある力石。<br />「五重貫余」の切付とともに、「川口町 金杉藤吉」の名前があります。<br />金杉藤吉は、明治時代に活躍した有名な力持ちの力士です。<br /><br />

    芝大神宮の社殿、向かって左手にある力石。
    「五重貫余」の切付とともに、「川口町 金杉藤吉」の名前があります。
    金杉藤吉は、明治時代に活躍した有名な力持ちの力士です。

    芝大神宮 力石 名所・史跡

  • 力石のすぐ近くにある、星野立子三代の句碑。<br />星野立子(1903~1984)は昭和期の俳人、高浜虚子の次女です。<br />碑には立子、立子の長女椿、椿の息子、3名の句が並んでいます。<br /><br />

    力石のすぐ近くにある、星野立子三代の句碑。
    星野立子(1903~1984)は昭和期の俳人、高浜虚子の次女です。
    碑には立子、立子の長女椿、椿の息子、3名の句が並んでいます。

    芝大神宮 寺・神社・教会

  • 増上寺参道にある『江戸自慢三十六興』のレリーフ。<br />2つのレリーフが並んでおり、右のレリーフは『江戸自慢三十六興』の「芝神明生姜市」で、左は『名所江戸百景』の「芝神明増上寺」です。<br /><br />

    増上寺参道にある『江戸自慢三十六興』のレリーフ。
    2つのレリーフが並んでおり、右のレリーフは『江戸自慢三十六興』の「芝神明生姜市」で、左は『名所江戸百景』の「芝神明増上寺」です。

  • 参道の車道を跨ぐ、増上寺大門。<br />増上寺の総門・表門で、地名の由来になっている門です。<br />旧大門は慶長3年に江戸城の拡張・造営により、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康より寺の表門として譲られたものでした。<br />現在のものは昭和12年のものです。<br /><br />

    参道の車道を跨ぐ、増上寺大門。
    増上寺の総門・表門で、地名の由来になっている門です。
    旧大門は慶長3年に江戸城の拡張・造営により、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康より寺の表門として譲られたものでした。
    現在のものは昭和12年のものです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 参道左手にあった安養院。<br />説明板もありませんが、最初の芝区役所の跡です。<br /><br />

    参道左手にあった安養院。
    説明板もありませんが、最初の芝区役所の跡です。

    最初の芝区役所跡 (安養院) 名所・史跡

  • 参道右手にあった廣度院。<br />江戸時代には子院第一号の廣度院をはじめとする子院群が増上寺三門の前に立ち並んでいました。<br /><br />

    参道右手にあった廣度院。
    江戸時代には子院第一号の廣度院をはじめとする子院群が増上寺三門の前に立ち並んでいました。

    廣度院 寺・神社・教会

  • 廣度院の練塀。<br />現在も残り、往時の景観を今日に伝える歴史的遺産です。<br /><br />

    廣度院の練塀。
    現在も残り、往時の景観を今日に伝える歴史的遺産です。

    廣度院 寺・神社・教会

  • 増上寺三門から車道を挟んで反対側に対になってある常夜燈。<br />この付近にもあっただろうと思われる常夜燈を模倣したもので、江戸の町の夜を偲ぶためにあるそうです。<br /><br />

    増上寺三門から車道を挟んで反対側に対になってある常夜燈。
    この付近にもあっただろうと思われる常夜燈を模倣したもので、江戸の町の夜を偲ぶためにあるそうです。

    常夜燈 名所・史跡

  • 慶長16年(1611)徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立しました。<br />元和7年(1621)大風により倒壊するも、元和8年(1622)に再建。<br />増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。<br /><br />

    慶長16年(1611)徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立しました。
    元和7年(1621)大風により倒壊するも、元和8年(1622)に再建。
    増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 三門向かって左手にある旧方丈門(黒門)。<br />三代将軍家光公の寄進・建立とされ、慶安年間(1648~1652)の建立とされています。<br /><br />

    三門向かって左手にある旧方丈門(黒門)。
    三代将軍家光公の寄進・建立とされ、慶安年間(1648~1652)の建立とされています。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 三門を抜けるとすぐにある立派な松がクラント松です。<br />米国第18代大統領グラント将軍が明治12年訪日した際に植樹した松です。<br /><br />

    三門を抜けるとすぐにある立派な松がクラント松です。
    米国第18代大統領グラント将軍が明治12年訪日した際に植樹した松です。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 三門向かって右手には多くの石碑があります。<br />こちらはその一つ、阿波丸事件殉難者之碑。<br />阿波丸は、昭和20年4月1日、シンガポールから日本に向けて航行中に、アメリカ海軍潜水艦クイーンフィッシュに雷撃により撃沈された貨客船です。<br />2000人以上の乗客はほとんどが死亡しました。<br /><br />

    三門向かって右手には多くの石碑があります。
    こちらはその一つ、阿波丸事件殉難者之碑。
    阿波丸は、昭和20年4月1日、シンガポールから日本に向けて航行中に、アメリカ海軍潜水艦クイーンフィッシュに雷撃により撃沈された貨客船です。
    2000人以上の乗客はほとんどが死亡しました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • こちらは、め組供養碑。<br />増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉難者・物故者の供養のために建てられました。<br /><br />

    こちらは、め組供養碑。
    増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉難者・物故者の供養のために建てられました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • め組供養碑の隣は、筆塚。<br />練成会グループによって建てられた大きな黒い石碑で、「心と創造」と刻まれています。<br /><br />

    め組供養碑の隣は、筆塚。
    練成会グループによって建てられた大きな黒い石碑で、「心と創造」と刻まれています。

  • 増上寺境内の一番北東にある、熊野神社。<br />元和10年(1624)、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものです。<br /><br />

    増上寺境内の一番北東にある、熊野神社。
    元和10年(1624)、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものです。

    増上寺 熊野神社 寺・神社・教会

  • 熊野神社社殿。<br /><br />

    熊野神社社殿。

    増上寺 熊野神社 寺・神社・教会

  • 熊野神社の境内にある、綿貫次郎碑。<br />綿貫次郎(1836~1864)は幕末の武士で、熊野みこし講の創設者です。<br />

    熊野神社の境内にある、綿貫次郎碑。
    綿貫次郎(1836~1864)は幕末の武士で、熊野みこし講の創設者です。

    増上寺 熊野神社 寺・神社・教会

  • 熊野神社の隣には洒落たカフェがあります。<br />TERA CAFE SHIEN ZOJOJI。<br /><br />

    熊野神社の隣には洒落たカフェがあります。
    TERA CAFE SHIEN ZOJOJI。

    TERA CAFE SHIEN ZOJOJI グルメ・レストラン

  • 熊野神社近くにある鐘楼堂。<br />寛永10年(1633)年の建立ですが、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものです。<br />鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(1673)にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し、江戸三大名鐘の一つに数えられています。<br /><br />

    熊野神社近くにある鐘楼堂。
    寛永10年(1633)年の建立ですが、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものです。
    鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(1673)にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し、江戸三大名鐘の一つに数えられています。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 三門入って左手にも沢山の見どころがあります。<br />こちらは観世音菩薩像。<br />昭和57年2月8日、千代田区永田町にあるホテル「ホテルニュージャパン」の火災で罹災し死亡した33名の供養のため建立された観音像です。<br /><br />

    三門入って左手にも沢山の見どころがあります。
    こちらは観世音菩薩像。
    昭和57年2月8日、千代田区永田町にあるホテル「ホテルニュージャパン」の火災で罹災し死亡した33名の供養のため建立された観音像です。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 観世音菩薩像の隣にある、魚供養之碑。<br />千代田水産株式会社という会社が建立したものです。<br /><br />

    観世音菩薩像の隣にある、魚供養之碑。
    千代田水産株式会社という会社が建立したものです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 魚供養之碑の隣にある槙の木は、ブッシュ槙と呼ばれるものです。<br />米国第41代大統領ブッシュが副大統領として昭和57年訪日した際に植樹したものです。<br /><br />

    魚供養之碑の隣にある槙の木は、ブッシュ槙と呼ばれるものです。
    米国第41代大統領ブッシュが副大統領として昭和57年訪日した際に植樹したものです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • こちらは「詠唱発祥の地」碑。<br />戦後の混乱期、増上寺山内の浄土宗宗務所において、宗門教化のための詠唱は、檀信徒を勇気づけ、彼らのこころの安穏を取り戻しました。<br />そのため、増上寺を詠唱発祥の地としたそうです。<br /><br />

    こちらは「詠唱発祥の地」碑。
    戦後の混乱期、増上寺山内の浄土宗宗務所において、宗門教化のための詠唱は、檀信徒を勇気づけ、彼らのこころの安穏を取り戻しました。
    そのため、増上寺を詠唱発祥の地としたそうです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 増上寺水盤舎。<br />もと清揚院殿(家光公三男・綱重)の御霊屋にあったもので、徳川家霊廟建造物として現存する数少ない遺構のひとつです。<br /><br />

    増上寺水盤舎。
    もと清揚院殿(家光公三男・綱重)の御霊屋にあったもので、徳川家霊廟建造物として現存する数少ない遺構のひとつです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • こちらは法然上人歌碑。<br />「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ」。<br />浄土宗の宗歌になっています。<br /><br />

    こちらは法然上人歌碑。
    「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ」。
    浄土宗の宗歌になっています。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 歌碑の近くにある、聖鋏観音像。<br />昭和56年8月3日のハサミの日に、故・初代山野愛子氏が願主となって建立しました。<br /><br />

    歌碑の近くにある、聖鋏観音像。
    昭和56年8月3日のハサミの日に、故・初代山野愛子氏が願主となって建立しました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 増上寺の本堂(大殿)の近くには、法然上人の幼少期の像がありました。<br /><br />

    増上寺の本堂(大殿)の近くには、法然上人の幼少期の像がありました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 三門から真っすぐ正面に建つ、大殿。<br />昭和49年(1974)、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。<br /><br />

    三門から真っすぐ正面に建つ、大殿。
    昭和49年(1974)、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 大殿の向かって右手にある安国殿。<br />戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を、昭和49年(1974)、新大殿完成の折りに境内北側に移転したものです。<br />本堂中央にある本尊は、恵心僧都の作と伝えられる秘仏「黒本尊」です。<br /><br />

    大殿の向かって右手にある安国殿。
    戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を、昭和49年(1974)、新大殿完成の折りに境内北側に移転したものです。
    本堂中央にある本尊は、恵心僧都の作と伝えられる秘仏「黒本尊」です。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 安国殿の右奥にある、徳川将軍墓所。<br />二代秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の6人の将軍の他、5人の正室、5人の側室などが埋葬されています。<br />拝観料500円。<br /><br />

    安国殿の右奥にある、徳川将軍墓所。
    二代秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の6人の将軍の他、5人の正室、5人の側室などが埋葬されています。
    拝観料500円。

    徳川家墓所 (徳川家霊廟) 名所・史跡

  • 徳川将軍墓所の入口手前におびただしい数が連なる、千躰子育地蔵尊。<br />子供の健康と成長を願って安置された地蔵尊です。<br />それぞれが別の表情をもつお地蔵様は、すでに1000体を超えているそうです。<br /><br />

    徳川将軍墓所の入口手前におびただしい数が連なる、千躰子育地蔵尊。
    子供の健康と成長を願って安置された地蔵尊です。
    それぞれが別の表情をもつお地蔵様は、すでに1000体を超えているそうです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 子育地蔵群に埋もれるようにある、西向聖観世音菩薩。<br />鎌倉時代、執権・北条時頼公が観音山に辻堂を建て、鎌倉街道に向けて安置した石像の観音さまです。<br /><br />

    子育地蔵群に埋もれるようにある、西向聖観世音菩薩。
    鎌倉時代、執権・北条時頼公が観音山に辻堂を建て、鎌倉街道に向けて安置した石像の観音さまです。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 大殿の向かって左手にある光摂殿。<br />平成12年(2000)、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として完成しました。<br /><br />

    大殿の向かって左手にある光摂殿。
    平成12年(2000)、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として完成しました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 光摂殿の隣にある増上寺会館(寺務所)。<br />

    光摂殿の隣にある増上寺会館(寺務所)。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 大殿の裏手にある、増上寺圓光大師堂(旧景光殿)表門。<br />一間一戸の四脚門(平唐門形式)で、昭和53年(1978)、現在地に移築・改修されました。<br />18世紀前期のものと推測され、江戸時代に隆盛を誇った増上寺の面影を伝える数少ない遺構の一つです。<br /><br />

    大殿の裏手にある、増上寺圓光大師堂(旧景光殿)表門。
    一間一戸の四脚門(平唐門形式)で、昭和53年(1978)、現在地に移築・改修されました。
    18世紀前期のものと推測され、江戸時代に隆盛を誇った増上寺の面影を伝える数少ない遺構の一つです。

    増上寺景光殿 表門 寺・神社・教会

  • 表門をくぐった先にある、圓光大師堂。<br />知恩院より拝領した、法然上人御廟の御浄砂を奉安する御堂として平成21年(2009)、竣工しました。<br /><br />

    表門をくぐった先にある、圓光大師堂。
    知恩院より拝領した、法然上人御廟の御浄砂を奉安する御堂として平成21年(2009)、竣工しました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 圓光大師堂の隣にあるのが貞恭庵。<br />十四代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりの茶室です。<br />昭和55年(1980)に移築・改修し、一般にも利用されるようになりました。<br /><br />

    圓光大師堂の隣にあるのが貞恭庵。
    十四代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりの茶室です。
    昭和55年(1980)に移築・改修し、一般にも利用されるようになりました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 貞恭庵の裏手が大納骨堂(舎利殿)。<br />昭和8年(1933)に建立され、本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像です。<br /><br />

    貞恭庵の裏手が大納骨堂(舎利殿)。
    昭和8年(1933)に建立され、本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像です。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 三門向かって左手にある経蔵。<br />徳川幕府の助成により建立された経蔵は内部中央に八角形の輪蔵を配する、九間半(約17m)四面、土蔵造りの典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されています。<br /><br />

    三門向かって左手にある経蔵。
    徳川幕府の助成により建立された経蔵は内部中央に八角形の輪蔵を配する、九間半(約17m)四面、土蔵造りの典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されています。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 経蔵の隣にある慈雲閣(開山堂)。<br />平成元年(1989)増上寺開山・酉誉聖聰上人の550年遠忌記念事業の中心として、戦災で焼失した開山 堂の再建を企画、建築されました。<br /><br />

    経蔵の隣にある慈雲閣(開山堂)。
    平成元年(1989)増上寺開山・酉誉聖聰上人の550年遠忌記念事業の中心として、戦災で焼失した開山 堂の再建を企画、建築されました。

    増上寺 寺・神社・教会

  • 旧方丈門近くにあった、土木建築殉教者慰霊碑。<br />昭和12年に、職域に殉じた人々の御霊を合祀し、供養するために建てられました。<br /><br />増上寺境内には、石碑等がたくさんで、説明板も多いので、とても楽しめる場所でした。<br />なぜこの碑が増上寺なのか、よくわからないものも多く、まあ、それも一興です。<br />江戸時代は、おそらくもっと広大な境内だったのでしょうが、現在でも都内有数の大きさのお寺でしょう。<br /><br />

    旧方丈門近くにあった、土木建築殉教者慰霊碑。
    昭和12年に、職域に殉じた人々の御霊を合祀し、供養するために建てられました。

    増上寺境内には、石碑等がたくさんで、説明板も多いので、とても楽しめる場所でした。
    なぜこの碑が増上寺なのか、よくわからないものも多く、まあ、それも一興です。
    江戸時代は、おそらくもっと広大な境内だったのでしょうが、現在でも都内有数の大きさのお寺でしょう。

    増上寺 寺・神社・教会

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