2025/09/28 - 2025/10/08
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goemonpさん
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ヨーロッパに行きたしと思えどヨーロッパは余りに高し。。。ということで、欧州の中では比較的物価の安い中欧諸国を巡る旅に行ってきました。
ドナウ川沿いの景色の美しいブダペスト、音楽の都ウィーン、モーツァルトゆかりの地ザルツブルグ、愛らしい街並みのプラハと中世の趣の残る町々を巡り、建築・文化・芸術・食事など改めてヨーロッパ文化の素晴らしさに触れてまいりました。
ゴエモン「なんだか高尚そうなこと言ってるけど、お酒も随分飲んでたぞ。」
ウィーン編③では引き続きヴェルヴェデーレ宮殿やシシィ博物館、シュテファン大聖堂などのウィーン著名観光地を回ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
さてウィーン3日目の朝。
本日もしっかり朝食をいただいて、がっちり観光いたしましょう。ホテル ボルツマン ホテル
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本日の最初の目的地はヴェルヴェデーレ宮殿。
ウィーン初日にホテルに来る時乗ったトラムが直通なので、本日はBauernfeldplatz駅へ向かいます。
ゴエモン「今日は荷物がないからいいけど、ホテルボルツマンにチェックインする時にこっちから来ると、写真のような階段を重い荷物を持って登る破目になるよ。気を付けてね。」 -
今日も格好いい近代的なトラムに乗ってベルヴェデーレ宮殿へ向かいます。
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ゴエモン「ベルヴェデーレ宮殿にやってきたぞ。ところで入り口はどこかな?」
ベルヴェデーレ宮殿 城・宮殿
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ゴエモン「goemonp達が代理店から受け取ったメールにはどこかでバウチャーとチケットを引き換えるって書いてあったみたいで、引き換え場所を探してうろうろ園内を探し回っちゃったよ。疲れたけどまあこんな素敵な風景も見られたからいいか。」
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ゴエモン「結局チケットとの引き換えなんて必要なくて、バウチャーをこちらの入り口で提示したら問題なく入れたよ。海外のサイトは適当なのもあるから、分からないことは聞いてまわる度胸も必要だね。」
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ヴェルヴェデーレ宮殿は「宮殿」とは言っていますが、現在は内部は美術館になっており、様々な絵画や作品が展示されています。
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天井画も美しい。
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古い時代のキリスト教にまつわる精巧な細工物なども展示されています。
ゴエモン「僕がどこにいるかわからないぞ。」 -
こちらの聖母子像などもなかなか見事な出来です。
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しかしヴェルヴェデーレ宮殿と言えば、やはり有名なのは何といってもオーストリアが誇る有名画家の一人、グスタフ・クリムトの作品群でしょう。
こちらは「ユディット」。
旧約聖書の物語に想を得た作品ですが、女性の恍惚とした表情はなんともいえず官能的で、とても聖書にまつわる作品とは思えません。 -
そしてこちらがおそらくクリムトの作品でももっとも有名なものの一つ、「接吻」。
ゴエモン「接吻している二人が地味に描いてあって、周りが金ぴかなんだな。人間の感性はよくわからないな。」
19世紀末の退廃的なウィーンの雰囲気を表しているとも言われていますが、この作品から受け取るものは見る人それぞれでしょうね。
芸術的感性に恵まれていない鳥はおいといて。 -
ゴエモン「なんだと。馬鹿にするな。さっきの絵よりこっちの絵の方がずっと素晴らしいぞ。」
確かに鳥類的にはそうかもしれませんね。 -
ヴェルヴェデーレ宮殿もう一つの見どころは同じくオーストリアの画家、エゴン・シーレの作品群。
ご覧のような独特の色使いとねじ曲がったような不思議な身体表現が特徴的で、ようやく絵が売れ始めた20代後半に妻ともどもスペイン風邪に感染して亡くなるという夭逝の天才画家。
ゴエモン「なんか不思議な作風だなあ。インパクトはあるけど僕の好みじゃないかも。」 -
ゴエモン「やっぱり僕の好みはこういう作風だね。」
お後がよろしいようで。 -
ヴェルヴェデーレ宮殿から少し歩いたところにあるCafe Goldeggでランチをいただきました。
カフェ ゴールデック カフェ
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パニーニやチーズトーストと珈琲をいただきました。なかなか美味しかったです。
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さて、本日第二の目的地はカールス教会。
1737年に神聖ローマ帝国皇帝カール六世がペスト撲滅を記念して建立したこの教会は、バロック様式建築の傑作とされ、定期的にコンサートも開催されているそうです。
ゴエモン「立派な建物だね。両側の2本の円柱が特徴的だな。」カールス教会 寺院・教会
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ゴエモン「主祭壇にはかつてペストがイタリアで猛威を振るった際、危険を顧みずにペスト患者たちの救済に尽くした聖人カルロ・ボッロメーオが神の力を借りてペストを鎮める姿がレリーフとして刻まれているよ。」
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ドームの内部には何かオブジェのようなものがありましたが、なんだかよくわかりませんでした。
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次なる目的地は皇妃エリザベート(シシィ)にまつわる博物館、シシィ・ミュージアム。こちらも先日来何度も訪れているホーフブルクエリアにあります。
シシィ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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なんともお美しいシシィ様がお出迎え。
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館内にはシシィの使っていた身の回り品や。
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自筆の書簡類、筆記用具、衣装など在りし日のシシィの生活ぶりを偲ばせる品々が展示されています。
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こちらはシシィの旦那フランツ・ヨーゼフ一世の謁見室。
仕事熱心なフランツ・ヨーゼフ一世は在位中実に25万人を超える人たちと謁見したといわれています。 -
そしてこちらはフランツ・ヨーゼフ一世の執務室。
仕事中毒の彼は朝から晩までせっせと仕事をしていたそうですが、そんな彼を慰めるのは机の右手に飾ってある愛妻エリザベートの肖像画であったのかもしれません。
ゴエモン「いい旦那じゃないか。」 -
そしてこちらは彼の寝室。
皇帝の寝室にしては質素で彼の質実剛健な人柄が伺えます。 -
ところがシシィの方はこんな真面目一徹の旦那のことはあまり好みではなかったようで、おまけに姑のゾフィー皇太后が大変な意地悪ばあさんだったことから、しだいに皇后としての務めもさぼりがちに。
もっぱらこちらの部屋にこもって自分の美しさに磨きをかけるか、姑を避けるためかどこかに旅行に出ていたそうです。
ゴエモン「実は引きこもり気味だったのか。まあバイエルンの田舎でのびのび暮らしていたのに、16才でいきなり右も左もわからない外国の王室に嫁に行き、姑にはいびられ、旦那にもなじめないとなれば仕方がないかなあ。」 -
彼女は身長170センチを超える長身で、体重は生涯50キロを超えることはなかったそう。その抜群のプロポーションを維持するため、日夜こうしたトレーニング機器を使ってエクササイズをしていたそうです。
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こちらはお風呂。きっとここでも玉の肌に磨きをかけていたに違いありません。
しかし皇妃エリザベート、国民から慕われる美しい王妃様としか思っていませんでしたが、実は生前は国民の前に姿を現すことも稀で、国民からはすっかり無視される存在だったのだとか。
現在のように国民からの敬愛を集めるようになったのは、1898年に旅行中暗殺された後、その死を悼んだ夫がウィーン各地に記念碑などを建立したことから、その美しい容姿とも相まって、後世になってその評判が広まっていったのだそうです。
ゴエモン「ある意味で現在一般的にイメージされるシシィ像は、現実の彼女とは異なる虚像なんだね。本人が「監獄」とまで呼んで嫌ったウィーンの街の人々から死んだ後になって慕われるなんて、なんだか皮肉な話だなあ。」 -
シュテファン大聖堂へ行く道すがら、道の真ん中にいわくありげな記念碑がありました。
ゴエモン「これはペスト記念柱だよ。1679年にウィーンで推定7.5万~15万人の人がペストでなくなったんだって。時の皇帝レオポルト一世が彼らを慰霊するため、当時の著名な彫刻家や芸術家を募って造ったそうだよ。完成は1693年だそうだから結構時間がかかったんだね。」ペスト記念柱 建造物
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そしてやってきましたシュテファン大聖堂。
ゴエモン「すごいなあ。」
ゴシック様式の大聖堂で、大聖堂自体の高さだけでも107.2メートル、一番高い南塔は137メートルもあるそうで、世界でも教会の塔としては3番目に高く、完成には65年を要したとか。
かのモーツアルトが一時副楽長を務め、自身の結婚式や葬式もこの場所で行われたことでも有名です。シュテファン大聖堂 寺院・教会
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内部もゴシック様式で、厳かな雰囲気が漂っています。
主祭壇は美しいステンドグラスで取り巻かれ、聖堂内の柱にも様々な彫刻がほどこされています。 -
これは手掘りの聖母子像。
かつては色が着いていたらしいのですが、長年にわたり聖堂内の蝋燭のすす等を浴びた結果、すっかり真っ黒になってしまったらしいです。美しい彫刻ですが、作者の名は知られていないとか。 -
ハプスブルク家の墓所だけあって、皇帝の柩なども置かれています。この柩はフリードリッヒ3世のもの。彼は15世紀にハプスブルク家初の神聖ローマ皇帝になった人物。
ゴエモン「この皇帝、皇帝になった理由は「御しやすいから」ということで、優柔不断で愚図な人だったらしいよ。おかげで周辺諸国から攻め込まれて領地を失ったり、ウィーンから追放されたりとひどい目にあったんだけど、なぜか敵国の君主が都合よく死んでしまったりして、結局50年以上にわたり神聖ローマ皇帝位を保持したばかりでなく、ハプスブルク家による皇帝位の世襲を実現しハプスブルク家繁栄の基礎を築いたそうだから、人生って分からないね。」
きっと神に愛された人物だったのでしょう。今は神の身許で安らいでいるに違いありません。 -
主祭壇はウィーンの大規模教会では最初のバロック様式で作られたものだそうです。
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大オルガン。現在あるものは2017~2020年にかけて設置された新しいものですが、12,000本ものパイプからなるヨーロッパでも最大級のパイプオルガンだとか。
パイプオルガンコンサートもあるみたいなので、興味のある方は参加してみるのもいいかもしれませんね。 -
柱にも見事な彫刻がほどこされており、見て回るだけでも興味深いものでした。
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さて、聖堂内を見学した後は北塔に登ってみましょう。
料金はEUR7。 -
ゴエモン「おお、塔の上に出たぞ。大聖堂の屋根が良く見えるな。おもしろい模様に塗られているんだね。」
残念ながらオリジナルの屋根は第二次世界大戦時に焼けてしまい、現在のものは戦後になってオリジナルを再現して造られた鉄筋コンクリート製のものなのだとか。 -
ゴエモン「こっちには鳥の模様が描いてあるぞ。」
これはウィーン市とオーストリアの紋章らしいよ。紋章の下にはオーストリアが第二次世界大戦後独立を果たした年号である「1950」という数字が刻まれているね。 -
この北塔は眺めが良いだけではなく、「プンメリン」と呼ばれている巨大な鐘が設置されていることでも有名です。
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この鐘はオーストリア最大の鐘であり、ヨーロッパ全体でも2番目に大きなものだそうで、重さは何と20トン。オリジナルは1711年に造られたものだそうですが、戦争の惨禍で一時床に落下してしまい、1951年になって元の鐘の金属を一部使用して再鋳造された新しいものだそうです。
ゴエモン「新年など特別な機会にしか鳴らされないんだって。」 -
さて、本日最後の訪問地はモーツァルトハウス・ウィーン。
モーツァルトがウィーンで活躍していた際に住んでいた住居のうち現存する唯一のもので、オペラ「フィガロ」をここで書いたと言われています。モーツァルトハウス ウィーン 建造物
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モーツァルトがもっとも羽振りのいい時代に住んでいた住居だけあって、部屋数も多く、各部屋には当時のモーツアルトの生活ぶりを示す品々や、彼のウィーンでの活躍ぶりについた多くの展示があってモーツァルトファンなら是非訪れてほしい施設なのですが、残念なことに写真撮影は禁止だったので、写真は見学終了後に階段で撮ったこれしかありません。
ゴエモン「僕の写真が一枚もないじゃないか。なんたることだ。」 -
帰りにスーパーで今日の晩飯と明日の朝飯を購入することにしました。
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大きなスーパーでしたが、すぐ食べられるお弁当のようなものは余り種類がなく、お値段も高めだったのでパス。
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ヨーロッパだけあってパン類は豊富だったのでこちらで翌日の朝食を購入。
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もちろん酒も忘れてはいけません。
ワインの品ぞろえはなかなか豊富でした。 -
結局スーパーではサラダだけ購入し、メインは昨日も行ったLeberkase-pepiで再びレバーケーゼをゲット。
ゴエモン「相当気に入ったんだね。」
ワインはオーストリアで一般的なグリューナー・ヴェルトリーナー種の白ワイン。スッキリして食事に合わせやすそうなワインでした。
というわけでウィーン市内観光は終了。明日は電車に乗ってモーツァルトの故郷、ザルツブルクへ向かいます。ホテル ボルツマン ホテル
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