2024/11/29 - 2024/11/30
2位(同エリア863件中)
morisukeさん
- morisukeさんTOP
- 旅行記169冊
- クチコミ2件
- Q&A回答0件
- 864,834アクセス
- フォロワー444人
オッサンネコです。
日本にはたくさん世界遺産が登録されていますが、
2000年代以降は複数資産で一つの物語を語る方式が主流になってきました。
その典型となるのが、2018年登録の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
構成は12遺産で成り立ち、そのうちの幾つかは二次離島の奥地にあるシマツ。
なので、潜伏キリシタン関連遺産のコンプリートは、小笠原諸島と並んで、
日本の世界遺産では最難関レベル、ラスボス級の到達度と評されています♪
そんな折、たまたま仕事で五島の福江市に寄る千載一遇の用事がありまして、
ツアーを使わずとも、離島の世界遺産にアプローチできる手段があることが判明。
そのキリシタン関連遺産「旧五輪教会堂」と云ふ。
なんでも旧五輪教会堂は久賀島の最奥地にあり、聖地とまで呼ばれているそうな。
さらにはその聖地にチャリで到達できる裏技のような手段があるそうな。
セカケンホルダーとして、そんな浪漫が目の前に転がっているのならば…
行かねばならぬでしょう。
果たして潜伏キリシタンが守り続けた聖地とは如何なる場所なのか?
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 自転車 ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どうもどうも、オッサンネコとモリネコです。
時刻はAM9:00 福江港ターミナルの前から今回の旅はスタートです。
本日の目的地は久賀島のキリシタン関連遺産である旧五輪教会堂。
旧五輪大聖堂はツアーに申し込めば海からびゅーんと行けるのですが、
どうせ行くなら自力でたどり着いてみたい。
そんな希望を叶えるためのアシがこちらのクロスバイク。
福江港ターミナルにある「GOTO CHARI」でバイクをお借りしました。
料金は6時間で4,000円と少しお高め。
どこ行かれますか?と聞かれたので、久賀島ですと答えると、
今日雨ですよ(正気ですか!?)と怪訝な顔をされるシマツ。
いやいや、わかってますよ。今日お天気がよろしくない事くらい (*´з`)
分かっちゃいるけど、そこに浪漫があるなら行かねばならぬでしょう。 -
こちらが久賀島へ連れてってくれるフェリー・シーガル。
船体は曇天でも映える鮮やかな山吹色… めっちゃカッコええやん (´∀`о)
料金は片道790円と自転車持ち込み料430円。
港を発船した後に船内で料金を払うシステム。
この空模様で自転車持ち込んでる奇特な野郎は私だけでしたが、
係員のお兄さんが気さくに応じてくれたのがせめてもの救い。 -
久賀島の田ノ浦港に向けて、シーガルは力強く走る。
雲の切れ間から天使の梯子が降りてきて、めっちゃキレイですやん (`∀´*)
なんて感激してたら、沖合で波が一気に高くなりまして、
もはやデッキには立っていられなかったので、船内にそそくさと撤収ぅ。 -
20分ほどで時刻通り目的地の田ノ浦港に到着。
ターミナルとは名ばかりの、何もない浮島の波止場。
観光客はモリネコ一人、あとは釣り人が数人いただけ。
そう、私のヘンテコな旅は大体においていつも孤独なのである (*´д`) -
Google Mapは4トラには載せられないので…
代わりにこの観光地図で久賀島の地理をご説明 (`∀´*)
久賀島は馬の蹄(ひずめ)の様な形をした島。
島の真ん中にあるのが久賀島最大の集落である久賀地区。
そこから島の北東に位置するのが蕨(わらび)地区。
外海から移ってきた潜伏キリシタンが暮らしていた集落になります。
そして蕨からさらに海沿いを進んだ最奥地にあるのが五輪地区。
この五輪地区にある「旧五輪教会堂」が本日のゴールになります。 -
田ノ浦港から目的地の旧五輪教会堂までは片道14.4km。
往復29km ( ゚Д゚)…。
そして島内は基本、アップダウンの繰り返し。
福江港に戻る最終便は12:35なので、持ち時間は3時間となります。
ここからは時間との勝負。サイは投げられたのであります。 -
海岸線を道沿いに進むと、山裾に立派な浜協教会が見えてきました♪
喜びも束の間、この辺りから大粒の雨がボツボツ降ってくる間の悪さ。
ここからはカッパを装着しての走行になるのですが、
ただでさえキツイ坂道に加えて、海から強風が吹き荒れるシマツ。
折れそうな心をこらえて、ただ愚直に雨で滑るペダルを回すのみ…
なので、ここから先は写真がほとんどありません(笑) -
イチオシ
修行の様なアップダウンを繰り返し、ようやく蕨集落が見えてきました。
少し雨が上がった晴れ間ににこの景色… 絶景ですやん 。・゚・(ノД`)・゚・。
蕨集落は、潜伏キリシタンが移り住んだ場所でもあるのですが、
かつては島の中心として福江藩の代官所が置かれた場所でもあるのです。
なので信仰の潜伏と、藩政の統制が同居した特異な土地だったわけ。
今では集落の学校も廃校となり、ただ静かな時間が流れるのみ。 -
旧五輪教会堂まであと5.4km…。
ただ、まともな舗装路はここまで。
蕨を越えると道は一気に荒れ始め、アップダウンもマシマシになります。
ここからの道は海岸線沿いの悪路になるのですが、
急カーブの連続、高低差のある道、倒木、落石、雨で路面が濡れてる、
さらには海から吹く雨風もマシマシ…
ここまで来たらもう笑うしかない (*ノ∀`)ノ アヒャヒャ -
死に体でたどり着いた悪路の終着。
「この先は歩こう」
まだ終わらんのかい ヽ( `Д´)ノ
海に続く林の小径800mのラストスパート。 -
林の小径を転がるように下ること数分。
視界が広がり、海岸線の向こう側にやっと目的地が見えてきました。
五輪という集落になりますが、家屋の類は数えるほど。
よくこんなとこに人が住めるのぅとため息が出てしまう ( ゚Д゚) -
旧五輪教会堂。
汗と潮風にまみれながら、目の前に現れたのは板張りの素朴な教会。
小さな礼拝堂が秘める物語の重さに、息を呑むほどの美しさがある…。
この教会堂が建てられたのは1897年(明治30年)。
五島崩れと呼ばれた迫害の記憶が刻まれた地に、この教会堂は静かに建っている。
信徒が自らの信仰を守り抜き、ついに形にすることができた祈りの場。
それが世界遺産として評価された最大の理由となっています (ノД`) -
外から眺めると教会という感じは全くしない。
見学をするには事前にネットで予約をしておく必要があります。
扉に鍵は掛かっていなかったので、入っていいものか思案していたら、
教会守の方が現れて内部を案内してくれました。
そして見逃せないポイントが一つ。
この教会は五島列島の教会群の中で唯一、内部の撮影が可能なのです。
写真好きにはホント神…。(*´ー`*人) -
中に入らせて頂きました。
柔らかな木の香りがほのかにふわり。
窓から差し込む幻想的な光にくらり。
建築マニアとしては手が震えてしまうくらい感動的な空間 ( ゚Д゚) -
特に印象的な意匠は、木材を露出させたリブ・ヴォールト天井。
交差リブが肋骨状に走り、簡素ながらもゴシック的な垂直性。
外観の素朴さに対して、内部は驚くほど荘厳な美が施されている印象。 -
祭壇正面は、幼子イエスを抱く聖ヨセフ像ですな。
信徒にとっては、家族や共同体を守る守護者の象徴として映るのかな。 -
脇壇には幼子イエスを抱く聖母マリア像。
潜伏期のマリア観音に象徴されるように、信徒が最も深く信仰した対象。 -
教会守の方が言うには、晴れた時に窓から見える海が絶景なのだと。
確かに… ( ゚Д゚)
ここまで海と近い教会はどこにもないかも…。 -
イチオシ
フェリーの時間もあるので、教会に滞在できる時間は20分だけ。
ゆっくり見学したかったのですが、名残惜しくも早々に引き上げます。
静謐な空間に見えたのは、幾層にも積み重なった百年以上の祈り。
ひとつの魂の記憶に触れたかのような不思議な感覚に包まれたのでした。 -
旧五輪教会堂を後にして、来た道を再び戻ります。
ここで頭の中をもう一度「修行モード」へとスイッチ。
ここに来て思う。
島内を移動するのにクロスバイクを選択したことは間違いではない。
間違いではないが、何かが足りない。
そう、電動アシストだ… ( ゚Д゚) -
久賀島の潜伏キリシタンの面影をたどるチャリ旅。
世界遺産を語る上で、もう一箇所どうしても寄りたい場所がありまして。
それがこちら、牢屋の窄(さこ)殉教記念聖堂。
この殉教記念聖堂は凄惨なる「五島崩れ」があった場所であり、
迫害されても信仰を止めなかった信者の魂が祀られています。
遡るは黒船が到来し、鎖国から開国へと踏み切った後の長崎のお話。
1854年の日米和親条約を皮切りに、1858年には日米修好通商条約を締結。
その流れの安政の五カ国条約によって、外国人居留地の設置とともに、
居留地内での教会の建設と布教が公式に認められます。
そこで登場するのはキリスト教の宣教師、ベルナール・プチジャン。
プチジャン達は長崎に大浦天主堂を建設し、布教を広めようとしました。
ここに大いなる”ずれ”がひとつ。
幕府のスタンスは、教会の設立はあくまでも在留外国人のためであり、
日本人がキリスト教を信仰する事に対しては変わらず禁止を貫きました。
この指針は幕府から明治政府に代わった後も引き継がれる事になります。
幕府や明治政府がキリスト教を恐れたのは幾つが理由があるのですが、
ひとつは、島原・天草一揆における歴史的トラウマ。
ふたつは、宗教活動から植民地支配に発展するのではないかという不安。
そして、唯一の神だけを絶対視するキリスト教の教義。
日本は伝統的に将軍や天皇を頂点とする統治制度を敷いており、
キリスト教の教えは日本の秩序とは相反するものであったのもまた事実。
欧米からの圧力はハンパないから教会の設立は認めるとして、
庶民の信仰は禁止するという顔色外交を行ったわけですな。
ただプチジャン神父によって、潜伏キリシタンの運命は大きく動きます。 -
大浦天主堂の完成後、初代司祭として赴任したプチジャン神父。
プチジャン神父にはずっと心に秘めた思いがありました。
二ホンにはずっと途絶えていたキリスト教の信者がきっといるはずだと。
そして、その瞬間は訪れます。
大浦天主堂が建った噂を聞きつけ、浦上村の信徒が天主堂を訪れます。
表向きは見学でしたが、天主堂でプチジャン神父と対面した時に、
自分たちはキリシタンであると、秘めてきた信仰を告白するのです。
このセンセーショナルな出来事に欧米列国は沸きます。
禁教令下の日本で200年以上潜伏していた信徒が発見された!
これは神の成せる奇跡だと。
また、この告白を皮切りに信仰を隠していた信徒が連鎖的に現れます。
ただ、悲しいことにそんな噂は瞬く間に幕府側の知るところに。
当然、幕府側は烈火の如くブチ切れ。
浦上村の信徒共同体を根こそぎ崩壊させる徹底的な弾圧が実行され、
信徒たちは村ごとの追放・強制移住を強いられます(浦上四番崩れ)
そして、その調査の手は五島列島にも及ぶ事になります。
五島でもキリスト教を密かに信じている集落があると密告が相次ぎ、
浦上村からの連鎖的な調査で、隠していた信仰の発覚に繋がります。
久賀島で起きた潜伏キリシタンへの大規模な迫害が「五島崩れ」であり、
ここ殉教記念聖堂が建つ地で、多くの信徒が命を落とす事になるのです。 -
密告の後、役人は各集落を訪問し、祭事の習慣を問いただしました。
信徒と判明した人々は捕縛され、牢獄や寺院で改宗を強要されます。
ただ、形式的でも「私はもうキリシタンではありません」と認めれば、
投獄や島流しを免れるケースはあったそうです。
そして、最後まで改宗を拒んだ信徒たちが行き着いた場所が、
「牢屋の窄」と呼ばれる、わずか12坪(40㎡)の石牢でありました。
この空間に押し込められた信徒の数は200人前後。
これは単純計算、畳一枚に8人が収容された事になり、
座ることもできず、立ったまま眠らざるを得なかったと言われています。
光も風も入らない石牢に、200人近くを押し込めたまま数か月。
投獄された信徒たちは飢えと病気で衰弱し、40人以上が命を落とす事に。
そんな過酷な状況においても、彼らは信仰を手放さなかった、
肉体は朽ちても魂は救われると信じたその強さこそが、
世界遺産に登録された五島の教会群の根底に流れているのだと思います。 -
記念堂の奥には、牢屋の窄で殉教された信徒と石碑が並んでいます。
中には、名前がない”幼児”とだけ彫られた石碑も。
そして石碑の列を撮ろうとしたら、どのアングルからカメラを構えても
カメラの焦点は必ずこの”幼児”の石碑に吸い寄せられる不思議な現象が…
( ゚Д゚)…。
よし。
レンズのオートフォーカスが文字のエッジを認識しやすかった。
そう思っておこう…。 -
殉教記念聖堂の入り口に置かれていたペイントされた石。
1個100円でしたが、100円玉がなかったので泣く泣く諦める事に…。
うーん、残念だ ( ゚Д゚)
ちょっと前に、WA ROCKという遊びが流行ったことがありました。
石にペイントを施して、その石を交換所で別の石と交換する。
人から人へ渡ることで、石がいろんな場所に旅をするという遊び。
この石たちにも久賀島から旅をさせてみたいなぁと思ったりして。 -
往路に雨の中、隣をすり抜けた浜協教会。
朝とは一変してからりと晴れた晴れ空。
よくあることさ… (*´-`)
ここまでくれば、あとは田ノ浦桟橋まで海沿いを10分程度。
中を見学したかったけど、フェリーの時間が迫っているので断念。
ちなみに旧五輪教会堂は、もともとこの浜協地区にあったもの。
現在の浜協教会の建立に伴い、先ほどの五輪地区へと移築され、
世界遺産の構成要素「旧五輪教会堂」として大切に保存されています♪ -
12:30 無事に田ノ浦桟橋に帰着。
湾の中を悠々と走る黄色いフェリーを見た時は涙が出るほど嬉しかった…
こういうギリギリの旅はしちゃいかんね…と思いながらも、
困難なミッションをクリアできた様な達成感に包まれた午後なのでした。
お蔭さまで、帰りのフェリーの中では爆睡でした ( ´-`)zzz -
福江港に到着。
お腹が空きすぎて…吸い込まれるようにお食事処に入りまして。
福江港のすぐそばにある「みひろ」という町中華。 -
長崎といえばちゃんぽんでございますが、
本土から遠く離れた五島で食べるちゃんぽんも格別にウマイ。
ちゃんぽんに焼き飯がついて1050円。
お蔭さまで息を吹き返しました。( 」゚Д゚)」フォー -
午後は特にやることもないので、のんびり町をふらふらり。
福江の町をふらつくと、必ず目につくのが福江城の城跡。
苔むした石垣とお堀に映った青空が印象的で、ボーっと眺めてしまう。 -
福江城跡の城門。
この立派な城門からやたら制服姿の高校生が出てくるなぁと思ってたら、
かつての福江城の本丸跡には、現在、五島高校が建っているそうで。
チャリで楽しそうに城門を颯爽と駆けていく高校生たちの姿。
五島に大学はないので、地元に就職しない限り、彼らは島を出て離れ離れになる。
限りある時間を謳歌する姿、何だか彼らが羨ましくなってしまった。 -
折角なので、福江城跡の中にある五島氏庭園隠居屋敷に寄ってみる事に。
江戸時代末期に藩主・五島盛成公の隠居所として造られた庭園と屋敷。
玄関で見学料800円をお支払い。ちゃりーん。
12月からは閉鎖する(寒いから)ので、ぎりぎり間に合った感じ。
受付を済ましたら、まずは庭園を一周してきてください、との事。
石垣と緑に囲まれた静かな空間。
往時の五島藩主の暮らしに思いを馳せるのもオツなものざんす (´∀`о) -
庭園に張り巡らされている石垣は五島特有の「野面積み」。
石垣に使われている丸い石は、力自慢の若者が海岸から運んできたもの。
元来、野面積みは自然石をほとんど加工せずに積み上げる工法なので、
石の形に合わせて組み合わせ、隙間には小石を詰めるのが特徴ざんす。
というのも、福江城の建立は1863年と幕末の真っ只中。
当時は異国船が日本周辺に頻繁に来航するようになっていた最中で、
幕府からも外国船警固や海防の拠点としての役割が期待されてました。
要は、見た目の豪壮さじゃなく、実用性が最重要視されたわけですな。
なお五島藩は財政難に喘ぐボンビー小藩だったので、
福江城の工事費用は幕府からの借金(御用金)で賄ったと言われてます。
ほんじゃ明治維新によってその借金はどうなったかと言うと、
福江藩を含む多くの藩の借金は事実上チャラという扱いに。
明治維新によって借金ごと旧体制がリセットされた事になるのですが、
この展開を読んでいたなら、五島盛成… 恐るべしですな (σ゚∀゚)σ -
庭園の真ん中にあるのは「心字が池」と呼ばれているそうで。
池が漢字の「心」をかたどった形になっとるという事ですが、
Google Mapを駆使しても、どうやっても「心」には見えんのだが。 -
イチオシ
隠居屋敷から見た庭園。
部屋を仕切る障子、意匠を凝らした格子、縁側から庭園までの距離感…
この部屋から見える庭園が額縁に入れられたかの様な美しさ。
四季の変化を部屋からでも楽しめる構造、うーん、見事です (´∀`。) -
夕刻までもう少し時間があったので武家屋敷通りをふらふらり。
こちらは「福江武家屋敷通りふるさと館」
通りをふらふらしてみたけど、内部を公開しているのはココだけかと。
中を案内してくれたお姉さんに色々教えていただきましたい (´∀`。)
昭和29年(1954年)に福江大火が発生し、多くの武家屋敷が焼失。
当時の上級家臣や藩主級の広大な邸宅はすべて火災で失われたそうで、
福江に現存する武家屋敷は、中流の家臣の屋敷だけなんだそう。 -
ようこそ!五島へ!!
謎のゆるキャラ3兄弟?
つばきねこ… バラモンちゃん… ごとりん…
果たして旅をしている間にこの3兄弟に会えるのでしやうか ( ゚Д゚)フワッ -
実際のバラモン凧の展示がありましたぃ。
おおっ…結構でかいな ( ゚Д゚)!!
五島弁で「バラモン」は元気者とか、やんちゃ坊主の意味。
暴れまわる凧の動きが「バラモン(やんちゃ者)」に重ねられたそうで。 -
中流の武家屋敷とはいえ、石垣と門構えはとても立派。
この歴史ある薬医門を眺めて歩くだけでも、なんか得した気分♪ -
ここにも「ばらもん」ありました。
武家屋敷のお姉さん曰く、島の男の子が初節句を迎えるとき、
おじいや父親が「ばらもん凧」を贈る習慣があるそうな。
ただ、最近ではインテリア的な縁起物の位置付けになっているんだとか。
最近は凧を上げる場所も限られてるもんなぁ (*´з`) -
福江の中心通りはアーケート街になってます。
他の地方都市の商店街よりは、まだまだ活気があるような印象。
この辺は離島ならでは物資調達事情もあるのかもですな。 -
とはいえ、町の至る所で廃業した店もちらほら。
黄昏の町に一際目立つのは廃業したパチンコ屋。
錆びついたシャッターが二度と再開することのない現状を表している。 -
こちらも廃業したホームセンター。
紅く錆びついたシャッターが黄昏時の寂しさを助長している感じ。 -
イチオシ
福江教会堂。
献堂は1962年4月25日。
建設直後の1962年9月26日に福江市街地で起こっ福江大火で、
完成まもないこの教会だけが焼失を免れたことが語り草になってます。
焼け跡に白く屹立する姿が、被災者たちの心の支えになったとな。 -
島ネコも夕餉の時間を堪能中。
近づいたらメシはやらんと怒られてしまいました。
今日は色々あって疲れたので、この辺でお宿に退散します。
離島ならではの風景をたっぷり堪能させていただきやした。
この話もう少し続きます。
それではまた~。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- mistralさん 2025/09/27 08:54:54
- 旧五輪教会堂へ。
- morisukeさん
お久しぶりです。
と思いましたら、今回の旅先は五島列島の久賀島ですか!
しかもお仕事がらみでの立ち寄り先となるなんて、なんてラッキーなことでしょう。
実はお写真を拝見していて驚きましたことには
morisukeさんが自転車をレンタルされたと同じお店で、車をレンタルしたのです。
旅をしたのは2019年の5月のことでした。
連休でもあり、レンタカーはすべて出払っていて、唯一残っていたのが
同じお店で扱っている車でした。
morisukeさんはその自転車をシーガルに積み込んで久賀島へ渡ったんですね
私は、島巡りのツアーに参加し、久賀島へ行ってきました。
島巡りの際には確か同じシーガル号に乗船した記憶があります。
ツアーなので、車で立ち寄れる一番奥まで向かい、そこからは山道を歩いて
海辺まで出たのでした。
歩いたといっても大した距離ではなかったとは思いますが、
港から旧五輪教会堂までチャリで向かわれたということには驚きました。
しかも風雨の中を向かって行かれたのですから、日頃秘境探検で鍛えておられる
とはいえ、その勇気には拍手喝采でした。
今となっては私にとっても滅多にないチャンスだったと思い出していますが
福江島をはじめとして五島列島周辺の海の青さ、島でいただいたお魚の新鮮さ
などなど思い出が沢山残る良い旅でした。
そんなことを思い出しながら、コメントをさせていただきました。
mistral
- morisukeさん からの返信 2025/09/28 22:33:32
- RE: 旧五輪教会堂へ。
- mistralさん
ご無沙汰しております。そして書き込みありがとうございます (´∀`о)
mistralさんからの書き込み見て、おや?と思ったので改めて過去の手記を拝見いたしました。久賀島・奈留島のツアーがあることは何となく覚えていたのですが、記憶の源はこれだ!とはっきり思い出しました。実はツアーというのも選択肢にはあったのですが、催行日がうまく合わなかったり、内容によってはその日の内に福江に戻って来れなかったり(なぜか上五島で解散とか…)。だったら自力で行っちゃるわい、というのが始まりでした(笑)
で、結果がこの通り。家でもクロスバイクを乗り回しているので余裕かなと思ってたのですが、実はレンタルしたチャリのメンテナンスが全然なってなくて、その特性を全然発揮できなかったという残念なオチがついてます。改めてmistralさんの手記を見ながら、絶対コッチの方がいい…と思わずつぶやいてしまいました (ノ∀`) 楽しそうです。あと、ガイドさんの話が直接聞けるのはやっっぱりウマミだなぁと。唯一、私の旅行記には載せていませんが、蕨集落を少しだけ探索できたのはチャリのメリットがあったと思っています。
1日目は曇り気味で「青い海」をあまりみることができませんでしたが、旧五輪教会堂に向かう道で僅かの雲間から光が差し込んだ時、あの時の海の青さは今でも脳裏に焼き付いています。結局2日目もチャリなのですが、青い海を見ながらチャリを走らせるあの爽快感、五島っていいなぁと感激したひと時でした。
長々と失礼しました。またよろしくお願いします。
Mori Neko
-
- yeppoon_loverさん 2025/09/27 08:29:08
- 大変興味深いです。
- morisukeさん
おはようございます。
数週間前、長崎で遊んできたのですが、長崎の旅の計画をするときに、隠れキリシタンに関する旅も検討していたのですが、当方の勉強不足と旅の時間の短さから、断念していました。
なので、こちらの日記、大変興味深く拝見しました。
限られた時間でもブレずに旅するmorisukeさんの強さに、ただただ、感服です。
クロントゥーイに続き、morisukeさんをなぞるような旅をするかもしれません(笑)
旧五輪教会堂は、行ってみたいです。
当時の時代背景と重ね合わせ、感じるものがありました。
海の見える教会、初めてです。
見た目が素敵なのはもちろんですが、それ以上に、当時潜伏していた人たちは、海を見ながら何を考えていたのが、想像が無限に膨らみました。
消失を免れた福江教会堂、北丹後地震での倒壊を免れた海が見える京都の宮津教会と共通点があり、とても興味深かったです。
宮津教会は、大浦天主堂と同じくらい古い天主堂がある教会で、伊根の舟屋とセットで楽しんできました。
それにしても、昔ながらの匂いが伝わってくるちゃんぽんと炒飯、食欲をそそります。
見ているだけで、腹が鳴りました。
続き、のんびりお待ち申し上げております。
yeppoon_lover
- morisukeさん からの返信 2025/09/28 10:32:27
- RE: 大変興味深いです。
- yeppoon_lover様
書き込みありがとうございます。
色々調べてみると、「潜伏キリシタン」という在り方は日本特有みたいです。日本の場合、鎖国を発動してからの約250年、孤立した共同体単位で信仰を維持してきたこと、しかも発覚すれば死罪というオプション付き。聖職者や指導者を抜きにして、ここまで長期的に信仰が守られてきたことが世界的には類を見ない状況となっているようです。まぁだから世界遺産なんですが (´∀`о)
「ブレずに」とありがたい言葉をもらいましたが、チャリを漕いでいる時は半べそ状態(笑)でした。やっぱ旅は絶対余裕持った方がいいです。今回の旧五輪教会堂や、その隣の奈留島の江上天主堂(こちらも世界遺産)なんかは、福江港から船で巡るツアーなんかも出ています。でもこのチャリ乗せ・自力の選択肢が一番安上がりです (^_^*) ただ自力でたどり着いた時の感動はチャリの醍醐味ではないかなぁと。旧五輪教会堂はその価値がありますので、ぜひなぞってくださいませ(笑)
あと宮津教会、改めてポチりました。歴史的背景などを知るととても行きたくなりました。私は大江山の”鬼伝説”に少し興味があるので、そちらと組みわせて行ってみようかと思案中です。やはり旅は計画段階が一番楽しいですね。
今後ともよろしくお願いします。
Mori Neko
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
五島列島(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
45